町長の「八日目の蝉」記(平成24年7月分)

感謝の言葉

 第35回日本アカデミー賞において映画「八日目の蝉」が、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞など10部門で最優秀賞を受賞されたことを心から祝福し、嬉しく思います。
 原作を書かれた角田光代さん、監督をされた成島出さんをはじめ映画の製作にかかわられたすべての皆さんに感謝します。
 この映画で描かれた小豆島の風景や人情がいつまでも継承されていけるよう、これからもみんなで力をあわせて取り組んでいきます。
 これからも大勢の皆さんに小豆島を訪れていただき、小豆島の魅力と「八日目の蝉」の感動をもう一度楽しんでいただければと思います。

                                 小豆島町長 塩田 幸雄


 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。また、今度映画化されることになりました。平成23年4月29日公開の全国ロードショーです。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

映画「八日目の蝉」パンフレット
映画「八日目の蝉」
2011年4月29日全国ロードショー

映画「八日目の蝉」の撮影風景
映画「八日目の蝉」撮影風景
映画「八日目の蝉」撮影風景

映画「八日目の蝉」撮影風景
映画「八日目の蝉」撮影風景


(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会 2011年4月29日全国ロードショー
 

第661回 岡山大学生の小豆島レポート ②小豆島のオリーブ産業の課題


 岡山大学生の小豆島実習レポート紹介の2回目は、「小豆島のオリーブ産業の課題」です。小野雄大さん、苅田博亮さん、木本悠貴さんの3人が分担調査しました。
 小豆島のオリーブ産業は、小泉内閣でオリーブ特区に旧内海(うちのみ)町が指定され、醤油メーカーなどが参入するなど、順調に発展していますが、いくつもの課題をかかえています。レポートは、それらを的確に指摘しています。私見も少し加えて三人の小論を整理して紹介します。
 小豆島のオリーブ産業には、三つのパターンがあります。①農家→農協→企業②企業③個人経営農家の三つのパターンです。①は、兼業農家がオリーブの実を栽培し、農協を介して加工企業に販売するものです。②は、企業が栽培から加工、販売の全てを行い、不足分を農協から買い入れるものです。③は、個人農家が栽培から加工、販売の全てを行うものです。
 ①は、新規参入が容易で、兼業農家が中心です。栽培面積が狭く、生産量も少なく、選果作業を農協が行い、加工、販売技術もないので、経営体として脆弱、大きな利益を得ることは難しい構造です。
 ②は、老舗のオリーブ企業、新興のオリーブ企業、醤油企業が進出した企業です。
 ③は、独自の理念でオリーブ栽培、加工販売に取り組む、自立した農家や企業家です。技術力ある農業者や都会からの移住者などがこのパターンに属します。
 三つのパターンに共通する取組み・対応とそれぞれのパターンに応じた取組み・対応が必要になります。
 オリーブ産業の最大の課題は、生産量が少なく、価格が海外品に比べ高価であることです。国内消費は1992年から2011年まで7倍に膨らみ、オリーブオイルの輸入量は、約4万トン(貿易統計)に達していますが、国内産オリーブの供給基地である小豆島の昨年の収穫量は120トン、その全てをオリーブオイル加工したとしても約12トンで、自給率は、0.03%に過ぎません。
 すなわち、今後オリーブの需要はますます拡大することが予想されますが、この程度の生産量では、小豆島産のオリーブが、オリーブ供給の主導権を持つことは困難、これが厳しい現実です。
 したがって、生産量の拡大はもちろん必要ですが、小豆島オリーブが今後生き残るためには、①高品質化を徹底すること②安全な農産物を求める消費者意識に徹底的に応えること③多様化する消費者の嗜好に対応する製品開発を行うことが不可欠です。
 その前提として解決すべき課題は、この2年続いている病害虫の被害を減らすことです。ここ数年、多雨、台風などでオリーブアナアキゾウムシ、ハマキムシ類の多発による被害、炭疽病などの被害が発生しています。気候の温暖化もこれから進みます。小豆島がオリーブ生産の適地で今後ともあるためには、病害虫の駆除・予防技術の研究開発・向上、温暖化などの気候変動に強い品種の研究開発が不可欠です。そのためには、小豆島だけの努力では限界があり、香川県などの最大限のバックアップが必要です。
 小豆島で販売されているオリーブオイルは、小豆島で取れたものだけを小豆島産100%として販売している他、外国産オリーブオイルと、一部外国産のオリーブオイルに小豆島産のオリーブオイルをブレンドしたものが販売されていますが、小豆島産100%は生産量も限られていることから、大半の観光客は、外国産のオリーブオイルを購入されています。
 今後、収穫量を伸ばし高品質の小豆島産100%の「本場の本物」の商品の量産を図ることはもとより、小豆島での生産適地には限りがあり、生産拡大に制約があるとすれば、小豆島産オリーブオイルがブレンドされていることで、オリーブオイルとしての価値が高くなり、消費者の納得感が得られることが必要です。
 オリーブを活かした新商品の開発が重要です。例えば、オリーブオイル搾油後の果実を飼料として与えた黒毛和牛は、オリーブ牛として、味、柔らかさ、健康によいことで注目されています。オリーブの葉の粉末を添加した飼料を与えた養殖ハマチもオリーブハマチもさっぱりした味わいが注目されています。これらの開発はいずれも小豆島の先駆的な人々が係わることで実現したもので、小豆島のオリーブのイメージアップやオリーブ産業の新しい方向を示しています。
 オリーブの抗酸化作用などは、オリーブ茶などの健康食品、化粧品、医薬品などの分野での新商品開発が期待されます。こうした分野で小豆島の企業、研究機関などが他地域をリードする役割を果たさなければなりません。
 オリーブ染めなどのユニークな取組みも小豆島の女性の手によりはじまっています。間伐材をオリーブそろばんに活かす取組みが、そろばんの産地である兵庫県小野市で行われています。オリーブは、捨てるところがなく、すべてに有効利用の可能性があります。
 観光資源としてのオリーブの可能性には大きいものがあります。島のどこでもオリーブを見れることが必要です。若い移住者がオリーブを使った、地産地消のレストランなどの広がりが小豆島の魅力を高めています。
 小豆島のオリーブ栽培の経営基盤を強化するためには、共同の選果機、搾油機の共同購入、汚水処理の共同化、品質基準規格の明確化、価格決定システムの透明化・市場原理の徹底など、実務的、技術的ないろいろな取組みが必要です。
 大事な視点は、一人の農家、一つの企業のみが成功するのではなく、小豆島全体としての底上げ、レベルアップなどに取り組むことです。
 オリーブの持つ平和のイメージ、健康のイメージはかけがえのないものです。イメージだけでなく、歴史的にも、科学的にも実証されたものです。オリーブの森の美しさ、オリーブの花の可憐さは魅力に満ちたものです。
 オリーブのこうした珠玉の価値を、フルに活かして、オリーブの魅力を小豆島のすべての分野に活かして、地域活性化に取り組まねばならないと思います。オリーブを通して活性化する小豆島のイメージアップが、オリーブ産業の発展に、循環的につながっていくはずです。
 このブログでは、繰り返して、オリーブで健康長寿の島づくりを紹介していますが、そのひとつだと考えています。(平成24年7月30日)

小豆島のオリーブ


オリーブの収穫風景


オリーブはまち(香川県水産課提供)
(香川県特産のオリーブの“葉”の粉末
を添加したエサ(モイストペレット)
を2週間以上与えた養殖ハマチ)


オリーブオイル搾油後の果実を
飼料として与えた、オリーブ牛


オリーブ染め


オリーブの木で作ったそろばん


学校給食で使用する油は、すべて
オリーブオイルに変わっています


オリーブオイルを使った健康料理教室


「オリーブによる健康・長寿の島づくり」の
パンフレット(クリックすると拡大できます)


「オリーブによる健康・長寿の島づくり」の
取り組み状況(クリックすると拡大できます)

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第660回 第20回岬の分教場文芸教室 ③松竹のロケ隊が岬の分教場へやってきた


 田浦分校の卒業生で、名古屋で小学校の教師をされていた内海(うちうみ・旧姓黒島)春代さんが松竹のロケ隊が田浦分校にやってきた昭和29年当時の思い出話をしてくださいました。
 内海さんのお母さんも、私の母と同じように、壺井栄さんの妹の岩井シンさんに教えていただいたようです。岩井シンさんは、内海さんが香川大学で学んでいたとき、高松に住んでおり、卒業式のとき、お母さんと一緒に岩井シンさんを訪ねました。
 後で岩井さんからお母さんに葉書が届きました。その葉書を内海さんは今も大事に保管されていますが、その葉書は書き損じたところに紙を貼って再利用したものでした。
 その内容は、香川大学に、「二十四の瞳」の平和の群像の除幕式に出た学生(内海さんのことです)がいるという話を、香川大学の先生から聞いたことを言い忘れていたというものでした。
 松竹のロケ隊が田浦分校にやってきたのは、内海さんが小学1年生のときです。へさきの権現さんに小遠足にいっていたら、見慣れない船が近づいて、突然大勢の人たちがやってきました。松竹のロケ隊でした。先生と一緒に急いで分校に戻りました。
 1年生だった内海さんたち、体の小さい子どもたちはエキストラに起用され、何度も何度も、走らされたり、大変だったようです。体の大きな子どもは出演ができなくて、悔しい思いをしたそうです。当時分教場で先生をしていた池田先生夫妻(おとこ先生とおんな先生)のお子さんである、鈴木(旧姓池田)展子さんが、「岬の分校とちいさな村の物語」にいきいきと書かれています。
 高峰秀子さんは、本当にきれいで、近寄りがたくて、サインももらえなかったそうです。木下恵介監督は、完璧主義者で、天気が悪いと何も撮影しないで帰っていったそうです。都会の子役の子どもたちとは、変わった子どもたちやなあと思い、交流はなかったそうです。
 映画が公開されて、いろいろな人が来るようになりました。そのなかに香川大学の学長がおられて、当時まだ珍しかった鉛筆削りを分校に贈ってくれました。お礼の手紙を内海さんは学長に書きました。こんな内容でした。
 学長先生は、皆さんは、この分校を卒業したら、内海(うちのみ)中学校に進み、高校を出たら、是非香川大学に来て勉強をしてくださいと言われました。私は、高校を出たら香川大学に行きたいと思います。でも、そのことをお父さんに言ったらなんと言うでしょうか。もしかしたら、お姉さんと同じように裁縫の学校に行くかもしれません・・・。
 まだまだ貧しく、大学進学が難しい時代でしたが、内海さんは、手紙のとおり、香川大学に入り、念願の教師となりました。
 岩井シンさんは、晩年は小豆島に戻り、老人ホーム「マリアの園」で暮らしていました。母は、時折、ホームに岩井シンさんを訪ねていました。岩井シンさんから母に年賀状が毎年来ていたのを覚えています。母も亡くなり、岩井シンさんからの年賀状はもうどこにあるのかわかりません。
 内海さんも言われていましたが、都会に出ていたとき、小豆島出身だというと、誰もがいいところですねと言ってくれました。「二十四の瞳」と岬の分教場のおかげです。このふたつをいつまでも大事にしたいと思います。(平成24年7月28日)

高峰秀子さん主演の映画「二十四の瞳」
(撮影:池田正輔さん)


内海春代さんの講演


内海さんの講演に聞き入る参加者


閉校式、修了証の交付の様子

参加者全員で

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第659回 第20回岬の分教場文芸教室 ②大石先生のモデルについて


 須浪敏子四国学院大学文学部教授が、「大石先生のモデルについて」と題して講演されました。
 須浪先生は、小豆島土庄(とのしょう)町の御出身です。同じ四国学院の福祉の村田教授から、壺井栄の研究をしている須浪先生を紹介してもらい、今回無理を言って講演をしていただきました。期待に違わぬ、興味津々の内容でした。
 「二十四の瞳」は、大石先生と12人の生徒の間の美しい交歓を描いたものですが、何といっても、壺井栄の思いや主張は大石先生の発言と行動に凝縮されているはずです。
 木下恵介監督によって映画化され、高峰秀子さんが大石先生を演じられたので、この映画での大石先生像が思い浮かびがちですが、原作と映画とでは「大石先生」に微妙な違いがあるようです。
 須浪先生によれば、例えば、映画では、文部省唱歌が歌われていますが、原作では、「赤い鳥」のはやり歌である「あわて床屋」や「やまのからす」などが歌われています。このように、原作での大石先生は、革新的であり、自己主張のはっきりした先生です。
 壺井栄の小説には、さまざまな人物が登場します。その舞台のほとんどは小豆島です。壺井栄は、「小説のモデルは具体的にはなにもない。しかし、広い意味でのモデルは日本中にある。・・・成績のいいコトエが高等科へやってもらえず、暗い気持ちになるのは、昔の私の気持ちです。」と語っていますが、実際に接した人々から作中の人物像を作り出しています。
 問題の大石久子先生のモデルです。かつては、妹の岩井シンさんが田浦分校で先生をしていたので、岩井シンさんがモデルだろうと考えられていました。壺井栄は妹の岩井シンさんに常に目を掛け、西村の一本松に住む岩井シンさんをいつも励ましていたそうです。私の母は、岩井シンさんに実際に田浦分校で教えてもらったと言っていましたので、私もそうだと思っていました。
 ところが、岩井シンさんは、大変地味なこころ優しい先生で、大石先生のように、ハイカラでもなく、主張のある先生ではありませんでした。岩井シンさんは、小豆島での先生生活の後上京しますが、決して幸せな人生とはいえず、晩年は、小豆島の老人ホームで過ごしました。私の母は、よく岩井シンさんをホームに訪ねていましたので、小豆島で過ごした晩年は幸せだっただろうと思います。
 今、大石先生のモデルとして本命視されているのは、高松出身で、壺井栄が勤めていた坂手の郵便局の近くの坂手尋常高等小学校に勤めていた、明善師範科卒の森静江さんです。森さんは、壺井栄とも親しくハイカラな女性でした。肥土山の造り酒屋の佐伯氏(当時外国航路の船員)に嫁いだ点も大石先生と共通しています。
 もう一人は、坂手出身で、明善師範科を卒業して、「二十四の瞳」の時代である、昭和5年から昭和9年まで田浦分校で先生をしていた中村千栄子さんです。同じ坂手出身のハイカラな先生の噂を壺井栄が聞かなかったはずがありません。
 須浪先生は、以上の3人が大石先生のモデルとして参考にしたことがあったとしても、大石先生は、壺井栄が作り出した人物であり、壺井栄自身の考え方を具現化したものだと考えます。
 例えば、前述のように文部省唱歌ではなく。「赤い鳥」のはやり歌ばかりを選んで教える大胆不敵な教師などいるはずがありません。教師と対等にわたりあってストライキをする子どもに、まじめに感動する教師がその時代にいるはずがありません。大石先生は、下士官になって出世したいと言う正に「どうしてそんな、軍人になりたいの」と聞き、松江がむりやり一家の主婦の役割を受けもたされたとき、「法律はこのおさない子どもを学校にかよわせることを義務づけてはいるが、そのために子どもを守らせる制度はないのだ」と、壺井栄は大石先生に言わせているのです。
 つまり、戦前において臣民の義務とされていた教育を、本来国民一人一人の権利であると壺井栄は考えていたのです。子どもの学習権や教師の教育の自由を認める壺井栄の教育観を具現化した先生こそ大石先生だというのが、須浪先生の結論でした。とても興味深い話でした。(平成24年7月28日)

大石先生を演じる高峰秀子さん
(C)松竹


岬の分教場


須浪敏子四国学院大学文学部教授の
講演の様子


会場に集まった参加者は
講演に熱心に聞き入っていました


須浪敏子四国学院大学文学部教授

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第658回 第20回岬の分教場文芸教室 ①壺井栄と黒島伝治


 二十四の瞳の舞台になった岬の分教場で文芸教室がありました。廃校になり、今は使われていない、岬の分教場の教室に、老若男女の公募の33人の生徒が集まりました。
 20回目となった今回の文芸教室は、猛暑のなか、冷房のない教室で、盛りだくさんの授業が行われました。私にとっても、とても触発された中味の濃い授業でした。
 関心のある皆さんには、是非一度それぞれの先生の詳しい話を聞ける機会を作れればと思います。まずは、エッセンスを紹介します。
 毎年、壺井栄の功績について、お話をしていただいている薄井八代子さん(壺井栄絵顕彰会理事)には、今回は「壺井栄と黒島伝治」と題してお話をしていただきました。
 黒島伝治は小豆島が生んだ代表的なプロレタリアート作家です。壺井栄の夫でもあった壺井繁治、黒島伝治、壺井栄の三人は、順番にひとつ違いで、作家として、人として、相互に影響しあいながら生き抜きました。
 繁治は旧内海(うちのみ)町の堀越、伝治は同じく苗羽(のうま)、栄は同じく坂手、それぞれ隣村の出身です。今は、3人ともが私の母校でもある同じ小学校の出身です。
 この3人のなかでは、伝治が最も地味であり、社会的にも地元においても、必ずしもよく知られていないように思います。しかし、伝治の「二銭銅貨」「渦巻ける烏の群れ」「武装せる市街」「豚群」などの作品は、シベリアでの日本兵や戦前の農民の悲惨な模様を描いたもので、大変優れた作品です。
 伝治の生涯は決して恵まれたものではありませんでした。栄のように、社会的にも、地元でも評価されることもなく、わずか45年の人生を故郷小豆島で終えました。肺病を患い、戻ったふるさとでも、「アカ」と呼ばれ、病気が伝染するといわれ、地元の人たちから避けられた存在でした。
 栄が伝治に初めて出会ったのは、栄16歳のときです。当時栄は坂手の郵便局に勤めていました。そのとき伝治が郵便為替の手続きに郵便局によく訪れました。そのことを、晩年栄は「今日の人」という作品にしています。伝治の、一筋に文学を志す青年の気迫に、栄はこころ惹かれたようです。
 壺井栄を研究している薄井八代子さんは、生前、栄に23回会ったそうですが、そのうち4回も、「薄井さん。黒島伝治の墓を探してくださいね」と栄から頼まれたそうです。
 昭和40年に黒島伝治の文学碑が、壺井繁治らでの手で、生地の苗羽を望む丘の上に建てられています。碑には、繁治が選んだという「一粒の砂の千分の一の大きさは世界の大きさである」という伝治の言葉が刻まれています。
 薄井さんは言われます。黒島伝治は、壺井栄に比べ、地元ですらその業績を知る人は少なく、伝治の業績をきちんと評価し、後代に伝えていく責任が私たちや地元にあると。(平成24年7月28日)

おなご先生役の苗羽小学校
坂本和美先生の授業


薄井八代子さんの講義


授業を受ける参加者の皆さん


黒島伝治の文学碑


二十四の瞳映画村
壺井栄文学館にある黒島伝治のコーナー

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第657回 瀬戸芸企画発表会


 来年3月から開催される瀬戸内国際芸術祭の企画発表会が東京で開かれました。
 会場は東京大学構内の福武ホールでした。ベネッセの福武總一郎さんは、幅広い社会貢献活動をされていますが、このホール建設もそのひとつです。
 直島で、福武さんとともに芸術活動を展開されている建築家の安藤忠雄さんが東京大学教授をされていた頃、安藤さんの設計でこのホールが建てられたと聞きました。
 会場に向かっていたら椿昇京都造形芸術大学教授と出会いました。椿教授は、芸術祭で坂手・ 醤(ひしお)の郷のアート展開のプロデュースをされています。
 芸術祭は、「海の復権」をテーマとして、直島、豊島などで、それぞれ特色ある取組みがなされますが、椿教授のプロデュースされる、坂手・醤の郷の取組みは、そのなかでも一際特色あるものになると思います。
 それは、単に現代アートを見せたり、見るのではなく、アート・デザイナーと地域・地場の企業が一体となって、新しい起業や新しい地域おこしを目指すものだからです。
 この地域の400年の伝統のある杉桶による醤油づくりを軸にして、新しい産業、ビジネス、観光、地域活性化のあり方を、この地に起こすことを目指すものだからです。
 豊島で、島キッチンを設計された建築家の安部良さんも会場に来られていて、初めてお会いしました。豊島は隣の島です。芸術祭をきっかけに元気を取り戻しはじめていると聞いていますが、なかなか訪問する機会がありません。短い時間の会話でしたが、その苦労と情熱を感じることができました。
 会場を出ようとしていると、赤坂有芽さんが声をかけてくれました。赤坂さんは、一昨年の三都(みと)半島の芸術家村の滞在作家ですが、芸術祭の正式作家に選ばれました。再び三都半島で新作にチャレンジされます。嬉しいことに、三都半島に居を移している吉田夏奈さんも、正式作家として発表されました。どんな作品ができあがるか楽しみです。
 発表会の後、東京芸術大学を訪ねて、保科教授、箕浦教授、柚木・白井両助教と三都半島での芸術祭の打合せをしました。三都半島では、原風景を大切にして、三都半島の自然と人情と現代アートのコラボ(協働作業)を楽しんでもらいたいと思います。
 その後、芸術家村の滞在作家で、やはり今度の芸術祭の正式作家に選ばれたジェームス・ジャックさんが学内の茶室で「記憶、お盆、内海」と題した談話会をしているというので覗いてみました。
 10人ほどの人が集まっていました。外国の方も多く、会話は英語で行われていたので、内容はよくわかりませんでしたが、興味をそそられました。
 人の記憶は、あいまいで、神秘的です。この私はどこから来たのかと、記憶をどんどんたどっていっても、どこかで途絶えてしまいます。あいまいで、神秘的な記憶の先に、先祖という存在があります。お盆という儀式で、人は先祖と邂逅(かいこう)します。人は何を受け継ぎ、自分の後に、何を残し、伝えることができるでしょうか。瀬戸内海という美しい内海で生まれ育った私たちは、何を受け継ぎ、何を次代に引き継ぎことができるのでしょうか。
 芸術祭の本当の意味は何でしょうか。難しく考えると、その意味は、それぞれの地域と人の確かな基盤、伝統、家族、自然、産業などを、見つめ直して、困難に立ち向かい、確かなものを、次代に引き継ぐ、その自信を持つきっかけをつくることにあると思いつつも、まずは、アーティスト、地元の人、訪れる大勢の人とともに、アートと地域の魅力を、理屈抜きに楽しむことにあると思います。(平成24年7月27日)

赤坂有芽さんの作品


吉田夏奈さんの作品


ジェームス・ジャックさんの作品


醤の郷の町並み


杉桶による醤油づくり


醤の郷、散策路の花畑
今はヒマワリが見頃になっています

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第656回 岡山大学生の小豆島レポート ①小豆島ロケ地の実態


 昨年10月、岡山大学環境理工学部環境管理工学科環境経営系に学ぶ3年生の学生が教授の方々と小豆島に来られました。
 地域のかかえる課題を、現地調査することで学ぼうとするもので、そのフィールドとして小豆島を選んでくれたものです。
 大学で事前の勉強会を何回かした上で、小豆島に3日間滞在して、調査をしました。私も学生に話をしました。そのレポートができあがったと、担当された市南文一教授から報告書が送られてきました。
 小豆島をはじめて訪れた学生たちの新鮮な目で見た、小豆島の課題と提言です。小豆島の醤油、オリーブ、佃煮、素麺、公共交通、ロケ地利用など、広範囲にわたっていて、参考になることがたくさん含まれています。これから、私の頭の整理もかねて、レポートのポイントを随時紹介していくことにします。

<小豆島のロケ地利用の実態> 
 青山未佳さんは、小豆島のロケ地利用、映画産業とのかかわりが今後の小豆島の地域活性化に大きな意味を持つことして、その問題点と今後の展望を提言しています。
 青山さんの視点はとても大切なものです。小豆島の皆さんは、このごろ小豆島で映画ロケなどが盛んなことを、どうしてだろうと思ったり、あるいは当然のように思っているかもしれませんが、それは偶然ではなく、人知れず努力している人や団体があることも忘れないでほしいと思います。
 映画・ドラマ・CMなどのロケーション地として地域を利用する「映像産業」は、小豆島活性化の鍵であり、推進力になると、青山さんが報告されたように私も思っています。
 そもそも小豆島観光は、木下恵介監督、高峰秀子さん主演の映画「二十四の瞳」に始まるものです。田中裕子さん主演の二度目の映画化も映画村を残すなど大きな功績を残しています。昨年の映画「八日目の蝉」の大ヒットが、小豆島の魅力をふんだんに発信してくれたことは言うまでもありません。
 映像産業は、観光振興に役立つだけでなく、地域の持つ本来の力を引き出してもくれます。例えば、映画「八日目の蝉」撮影のために、中山地区では伝承行事「虫送り」を復活させました。地域の持つ伝統などの魅力や価値が地域で再認識され、地域活性化のきっかけになろうとしています。

 少し長いのですが、青山さんのレポートのまとめの文章を紹介します。

 小豆島のロケーション撮影の利用やイベントの開催は、未だ課題は残っているものの、現在力を入れている島の取組みのひとつであり、その目的は観光客の誘致や小豆島のイメージアップである。また、小豆島の未来像にも挙げられたような小豆島内部の「活性化」、すなわち、島の未来を担う次の世代の子どもたちを育てることや、人と人の触れ合いの場を形成することに繋がっている。
 小豆島町役場で塩田町長のもとを訪れた際、小豆島の目指す未来像についてのお話を伺わせていただいた。

①オリーブ薫るきれいな自然と長い歴史に培われた地場産業にある「オリーブの島」
②子どもが健やかに育つ、自然と文化と人情と学びのある「子育ちの島」
③高齢者、障害者、女性などが活躍し、安心して暮らせる医療と福祉と絆のある「安心の島」
④二箇所居住など、知的な営み、芸術など人々の「賑わいの島」
⑤いろいろな神様と老若男女の人々の一緒の暮らしのある「神々の島」

 この5つの視点から見る小豆島の未来像のうち、「子育ちの島」「賑わいの島」を目指す上で、映像産業は大きな役割を果たすと考える。
 そして、この産業は別の分野の活性化として、「地域の活性化」の効果が見られている。その一例が、中山地区における棚田での伝統行事「虫送り」の復活である。他にも小豆島の観光に関係する宿泊施設・観光施設・売店施設・運輸施設・商事会社などの観光に関する若手事業家が集まり、観光状況の情報交換や勉強会を行う小豆島観光を考える会「新風会」を結成している。また「小豆島ガール」というボランティアによるロケ地MAPの製作などの民間事業も進められている。このように、多くの様々な立場の人が小豆島について考えていくことが、小豆島の魅力に繋がると私は考える。
 今回の3日間の調査とその後の考察を通して、筆者なりに「地域活性化とは何か」について改めて考えてみた。「島の地域資源である美しさを活かし、発信すべき」。これは、小豆島で映画やアート関連の方々を主に聞き取りを実施した際、多くの方々から伺った共通の声である。ロケ地や芸術作品として魅力ある島の美しさは、小豆島の生まれながらの地域資源であり、財産であると思う。行政や個人で考え方に違いはあるものの、島の資源に誇りを持ち、それを活かして外部へ発信しようとするその心が地域を活性化する鍵であり、このことから、小豆島は全国の中山間地域の中でも今後も「地域活性」の期待される島であると私は感じた。(平成24年7月27日)

高峰秀子さん主演の「二十四の瞳」
(C)松竹


田中裕子さん主演「二十四の瞳」
(C)松竹

映画「八日目の蝉」撮影風景
(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会
 2011年4月29日全国ロードショー

中山の虫送りのシーン


福田港のシーン


平成23年に7年ぶりに復活した虫送り


中山地区に描かれた幻想的な炎の列


岡山大学環境理工学部
環境管理工学科環境経営系の皆さん
小豆島来島時の様子


岡山大学の学生の皆さんの
地域調査実習報告書

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第655回 小豆島での海浜学習


 京都教育大学附属小中学校の5年生92人が小豆島で海浜学習をしています。今日は、ふるさと村で、カヌー、ヨット、手打ちうどん体験などをするというので、あいさつも兼ねて見学に行きました。
 この学校は、京都でも有数の進学校です。かつては日本海で行っていた海浜学習を8年前から毎年小豆島で続けています。試行錯誤を重ね、今年は、3泊4日の本格的な海浜学習 のメニューが組まれています。
 都会の子どもたちの自然体験学習の場として、小豆島を本格的に活用していただき、大変ありがたいだけでなく、小豆島が元気になるひとつの方向性を示しているもので参考になる事例だと思います。
 小豆島を、継続的に修学旅行や体験学習の場としている学校や地域がいくつもあります。代表的な学校は、愛知教育大学附属名古屋中学校です。40年以上にわたり、小豆島の自然、産業、暮らしなどを自主学習で調べてまわる修学旅行を続けています。姉妹都市の茨木市の小学生は、20年以上にわたり、毎年サマーキャンプを小豆島で行っています。こうしたかたちの小豆島の魅力をもっとPRしたり、応援スタッフの確保などの体制整備もしたいと思います。
 と同時に、都会の子どもたちが、こうして田舎生活でも力をつけていくのに、小豆島の子どもたちは、かつてのように、自然のなかで逞しく育つ機会が減っており、これでは都会の子どもたちとの差がつくばかりではないか、小豆島の子どもたちに、田舎の子らしく、逞しく、かつ、勉強でも、スポーツでも、人間としても、都会の子どもたちに負けないでほしいと、強く思います。
 この学校が「小学校」ではなく「小中学校」であることに驚きました。優秀な生徒が集まっている上に、小中一貫教育を実践して、人間教育や学力向上を模索しています。この学校では、6・3制ではなく、4・3・2制で生徒の成長に応じた教育の実現に努めているそうです。先生も、小中の両方を経験することで、レベルの高い教師のさらに資質向上を図っています。
 私が子どものころの島の教育にも、都会に比べハンディキャップはあったのでしょうが、先生方の情熱は都会に優るものがあり、自然や農業体験、地域とのかかわりなどを通し、いろいろなことを体験しながら、勉強にも頑張るという経験は、都会の子どもたちには得られないことで、田舎の子どもたちの方が、人間として逞しく成長できたように思います。今そうした状況が変わっているとすれば、手をこまねいていてはいけません。
 田舎で育つことの良さを取り戻し、かつ、都会の子どもたちに負けない学力や人間力などを育む機会が小豆島の子どもたちに必要です。すぐに妙案は浮かびませんが、そうするのだと強く心に誓い決めて、具体的な方策をいろいろ地道に進めていこうと思います。
 小豆島の生徒だけの小豆島高校野球部の健闘ぶりにヒントがあります。彼らは、小中高と一貫して、野球に取り組んできました。優れた指導者が理論面でも、精神面でも、選手たちをひっぱり、自信を植えつけています。家族や地域が一体となって選手たちを応援しています。小高野球部の活躍に学ぶことがたくさんあります。(平成24年7月25日)
京都教育大学附属小中学校の
皆さんの活動の様子

(写真提供:京都教育大学附属小中学校)
手打ちうどん体験


ヨット体験


カヌー体験


茨木市の小学生と地元の小学生との
交流のサマーキャンプ


小豆島の生徒だけの小豆島高校野球部
この夏の大会もベスト8まで勝ち残りました

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第654回 放魚祭


 香川県水産振興協会など香川県の漁業関係者が主催する放魚祭が小豆島の内海(うちのみ)湾でありました。
 地元の苗羽(のうま)小学校の1、2年生38名がマダイ、ヒラメ、メバル、タケノコメバルの稚魚約1万匹を海に放流しました。
 小豆島周辺の瀬戸内海では、四季を通して、さまざまな魚を漁獲することができます。瀬戸の海は、普段は鏡のようにないだ海です。瀬戸内海の島々の山々や瀬戸内海を囲む内陸の川を通して、栄養に富んだ水が瀬戸内海に流れ込み、豊穣の海がつくられ、瀬戸内海では、さまざま魚介類が生息することできました。
 その瀬戸の海に変化が見られたのは、昭和40年代の高度経済成長、工場群の進出による海の汚染でした。赤潮が頻発し、「死の海」とさえ言われました。
 そこで、瀬戸内海環境保全特別措置法などが作られ、工場廃水規制や下水道整備などの取組みが始まりました。若い頃、私が環境庁でかかわった仕事のひとつです。多くの人々の努力の結果、再び、瀬戸の海にきれいな海が戻っています。
 最近では、逆に、水質の貧栄養化が問題になっています。排水規制などの成果だけでなく、森や田んぼなどの管理が不十分なため、自然の栄養に富んだ水が海に流れこまなくなってしまったのです。
 そういう環境のなかで、漁場関係者は、知恵を絞り、何とか、かつての豊かな海、里海を取り戻そうと懸命に努力をされています。
 瀬戸内海は、世界のなかでも最もきれいな海だと思います。よく言われる多島美です。瀬戸内海は、きれいなだけでなく、交通の大動脈として日本の文化と産業を支えてきました。
 瀬戸内海の島々こそ、かつては都会でした。そこに文化と産業が蓄積されたのです。小豆島に88ケ所の霊場や醤油、素麺などの地場産業、農村歌舞伎などの文化の蓄積があるのは、ある意味当然のことだと言えます。
 瀬戸内国際芸術祭が問うていることは、瀬戸内海の持つ本来の力と魅力をどのようにして、自力で取り戻すのかという本質的なことです。それは、この国だけでなく、混迷する世界がそれぞれに取り戻さなければならないこと、自分のよってたつ基盤をしっかりと守って、次の世代につないでいくということです。
 懇親会の席である方が話されていました。子どもに漁業を継いでもらうのだという本当の覚悟をもって仕事をしているかどうかが問われているのだと。このことは、後継者難に悩む漁業だけでなく、この国や世界のすべてに問われていることだと思います。
 今、危機にあるのは漁業だけではありません。大切なものが消えていかないように、私たちは努力を忘れてはなりません。子どもたちが放流した稚魚の成長を祈り、子どもたちに大切なものをついでいくという本当の覚悟を持って仕事にあたろうと思います。(平成24年7月24日)

放魚祭、式典の様子


放流会場では、水産教室も行われました


水産教室の会場には、車の中に稚魚を
展示した「おさかなシャトル」も登場


稚魚放流の様子


放流された稚魚

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第653回 「瀬戸内海賊物語」製作発表会


 昨年開かれた瀬戸内国際こども映画祭の脚本コンクールでグランプリを獲得した「瀬戸内海賊物語」の映画製作発表会が東京であったので出席しました。
 映画製作に取り組むのは、瀬戸内国際こども映画祭を一人で企画し、切り盛りした益田祐美子プロデュサーと脚本募集でグランプリを獲得した若手の大森研一監督らの皆さんです。
 この映画のあらすじは、村上水軍と塩飽水軍の末裔の子どもたちが、島の危機を伝説の宝物探しをすることで救おうと立ち上がる、浪漫と勇気と冒険に満ちた物語です。
 舞台になるのは、小豆島をはじめ瀬戸内海の島々です。瀬戸内海の島々のきれいな実写だけでなく、コンピューター・グラフィックも駆使される、日本映画としては初めての本格的海賊映画です。国際的にも注目されるはずです。
 今日は、主役の子役に選ばれた4人の小学生、中学生が登場しました。厳しい激戦のオーディションで選ばれた皆さん、瀬戸内海は皆さん初めてのようですが、どんな演技をして、これからどう成長、大成するか楽しみです。
 子役を支える俳優陣も多士済々、本格的なものです。そのうち、父親役の内藤剛志さん、教師役の小泉孝太郎さん、おばあちゃん役の中村玉緒さんが今日登場されました。ユーモラスに抱負を語っていただきました。
 その他、地元の大先輩である石倉三郎さんが地元の町長役で出演されることになっており、今から楽しみです。
 いよいよ、この8月から小豆島などでロケが始まります。公開は、ちょっと先の2回目の瀬戸内国際こども映画祭が開催される再来年です。その年は、瀬戸内海が日本で初めて国立公園に指定されて80年の年にもあたっています。来年の瀬戸内国際芸術祭で瀬戸内海の海や島々の復権が再認識されるはずです。その次の年、瀬戸内の島々を舞台にした映画の公開は時宜を得たものになると思います。
 ところで、今日の製作発表を私は感慨を持って見ていました。ここまでたどりついたのも、多くの方々の協力があったものの、いわば益田さんの一人の力と言えるからです。そして、これからも、いろいろな難題が待ち構えているはずなのです。
 まるで、益田さんが「瀬戸内海賊物語」のヒロインのようです。浪漫と勇気と輝く冒険に満ちています。そこに住む人々は、瀬戸内海の素晴らしさに気づき、それを守るための行動に立ち上がらないといけません。
 この映画「瀬戸内海賊物語」が、映画「二十四の瞳」のようにいつまでも不朽の名作として語り続けられ、日本アカデミー賞10冠を獲得した映画「八日目の蝉」を超えて、世界的な国際映画祭での受賞を実現することを願っています。
 木下恵介監督の映画「二十四の瞳」の子役の皆さんは、映画が作られて60年近くたった今も、ときどき小豆島に集まって同窓会をされています。「瀬戸内海賊物語」の子役の皆さんにとっても、そのように思い出深き人生の経験になることを願っています。(平成24年7月23日)
「瀬戸内海賊物語」製作発表会
(写真提供:香川県東京事務所)

益田さんと出演者の皆さん


内藤剛志さん


小泉孝太郎さん


中村玉緒さん


昨年開かれた瀬戸内国際こども映画祭
グランプリ発表時の様子

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第652回 素麺がつなぐもの


 小豆島の素麺づくりは400年の伝統があります。醤油づくり、農村歌舞伎などの同じように、お伊勢参りの帰りに学びとってきたのだと思います。
 奈良の三輪の素麺の技術が導入されたと言われています。この三輪素麺と播州の揖保そうめんと並んで小豆島素麺は、三大素麺のひとつです。
 小豆島の素麺づくりは、冬の天気がよくて乾燥した気候が素麺づくりに適していたこと、農閑期の仕事としてぴったりであったこと、麺がひっつかないようにするごま油の産地であったことなど、いろいろな要素が組み合わされて、発展してきたものです。
 この土曜日、小豆島手延素麺協同組合青年部(中畑豊会長)が、小豆島特産の素麺をPRする「小豆島そうめん流し~島には島の、夏のルール」と題するイベントをオリーブ公園で行いました。ちなみに、中畑会長は、中山農村歌舞伎の名役者のひとりです。
 長さ約120メートルの竹のといが、高低差約10メートルの広場に設置され、約70キロの素麺がといを流れてふるまわれました。大勢の観光客の皆さんが箸で流れてくる素麺をすくい上げ、おいしそうに味わいました。
 佐賀県神埼市に住む大学の友人から手紙が来ました。神埼市も素麺で有名なところですが、そのうちの「伊之助めん」が約380年前に小豆島から来た雲水が伝えたものとの由来を知らせてきたものでした。
 小豆島から行脚遍歴して来た一人の雲水が、肥前神埼の地で病にかかり苦しんでいました。そこに通りかかった伊之助が深く同情し、ひどい貧乏にもかかわらず家に招き、医者を呼び手厚く看病しました。
 その甲斐あって、病が癒えた雲水は、伊之助の誠意に感謝し、小豆島の手延べ素麺の秘法を、手をとって伊之助に伝授しました。
 伊之助はこれこそ神埼の風土に合った天与の家業と心に決め、今日に到っていると言うのです。
 島原の乱の後、農民の絶えた島原半島の地に、当時天領であった小豆島から大勢の農民が移住したことはよく知られています。有名な島原そうめんもこの小豆島から移住した人々が伝えたものです。
 この週末、雲仙市南串山町から約70人の皆さんが小豆島を訪ねて来られました。南串山町にも、島原の乱のあと、小豆島から移住しました。その末裔にあたる皆さんがルーツ探しの旅に小豆島を訪れていたのです。
 一行は、御先祖が小豆島を離れるあたり植えた松、残念ながら枯れてしまい、今年2月、二本目の松が植樹された、田ノ浦の岬の分教場・二十四の瞳映画村を訪問したり、方言の共通性を確認する方言交流会などを行いました。
 素麺が、古くから糸のように、人々と地域をこのように結びつけてきたことに、感動を覚えます。こうした素麺の持つ魅力、伝統の力をもっと大切にしなければなりません。素麺づくりの秘法と伝統の味を大切にしつつ、新しい時代の感覚にあわせた脱皮もしていかねばなりません。伝統の上に立ちつつ、新しい風を、「そうめん流し」のイベントを行った素麺組合の若者たちが吹かせてくれるに違いありません。(平成24年7月23日)

小豆島そうめん流し大会、会場の様子


素麺を味わう観光客の皆さん


私もそうめん流しに参加しました


二十四の瞳映画村を訪れた
南串山町の皆さん


南串山町の皆さんと
今年2月に植樹された二本目の松の前で

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第651回 夏休み健康づくり宣言


 オリーブで健康長寿の島づくりがスタートしています。その一環として、小学生4年生、中学生の希望者の血液検査をして、異常のあった子どもたちに、この夏、親子でオリーブを用いた食生活の改善と運動に頑張ってもらい、生活習慣病の予防に取り組んでもらうことにしています。
 小児生活習慣病が密かに子どもたちに広がっています。香川県食育推進協議会長の北川博敏香川短期大学名誉学長によれば、小児生活習慣病がこのまま進めば、将来、この子どもたちは20代、30代で脳卒中などで要介護となるおそれがあり、子どもに介護されるのではなく、逆に子どもの介護をしなければならないことも懸念されると警告されています。
 先日実施した小豆島町のこどもたちの検査結果でも約14%の子どもたちが肥満等の異常と判定されました。
 この子どもたちに、親子で夏休み健康づくりに取り組んでもらおうと、小豆島町の管理栄養士、学校の養護・栄養教諭が協力して、オリーブを用いたレシピ集を作ってくれました。
 子どもたちが、夏休みに取り組む目標、目標を達成するための食事や運動の具体的な行動目標を書いた健康相談カルテを養護・栄養教諭と親子で相談して作りました。この夏みんなで頑張ります。
 ところで何を隠そう、この私は、暴飲暴食、運動はしないで、健康とはほど遠い状態です。格好よく言えば、町長になっての2年間は、自分の健康より、小豆島の健康づくりを優先しました。実際は、楽なこと、美味しいものを優先して、自分の健康づくりをさぼってしまいました。
 そこで、今回、一念発起して、子どもたちに負けないよう、この夏、厳しい食事と運動の目標を掲げ、健康づくり宣言をしました。
 具体的な目標は次のとおりです。

<食事>
①必ず野菜の入った朝食を食べます。
②毎日オリーブ茶を飲みます。
③昼食と夕食は、内海(うちのみ)病院の給食を利用 し、オリーブ料理を食べます。     
④甘いもの(間食)を控えます。     
⑤飲酒は週3回以内にします。(1日当たりビール1本か日本酒2合まで)

<運動>
①毎朝ラジオ体操をします。
②1日5,000歩歩きます。   

 従って、少しお付き合いが悪くなりますが、成果にもご期待ください。自分の健康にも、小豆島の健康づくりにも励みます。(平成24年7月20日)

親子オリーブ料理教室の様子


完成した料理


オリーブを活用した健康テキスト
(クリックすると拡大できます)


オリーブを活用した健康レシピ集
(クリックすると拡大できます)

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第650回 琴勇輝勝ち越し


 大相撲名古屋場所で十両西7枚目の琴勇輝が千秋楽の相撲に勝って勝ち越しました。この日は、小豆島高校の準々決勝と重なって琴勇輝の相撲を見ることができませんでした。
 この日は、小豆島にとっても、私にとっても、どきどきの日でした。小高野球部にも、琴勇輝にも勝ってほしいし、勝てるはずと思う一方、両方とも負けることもありうるし、神様にすがるような思いでした。
 小高野球部は健闘むなしく負けてしまいました。弱気虫が出て、琴勇輝も負けるかもと思っていた矢先、球場の帰りのマイクロバスに乗っているとき、佐渡ヶ嶽親方から、琴勇輝が勝ったことを携帯電話で知らせていただきました。
 今場所、琴勇輝は全く万全ではありませんでした。先場所のひざの怪我が完治していなかったのです。本人は、大丈夫と言うのみですが、本当はそんな生本来易しいものではありませんでした。今日も後で佐渡ヶ嶽部屋の祝賀会で会った地元の方から、場所前の稽古では、「そんきょ」すらままならない状態だったと聞かされました。
 場所に入っても黒星先行でした。本来の押しのきれがなく、粘りもありませんでした。まだまだ、ひざが回復途上だからです。本人は一切弱音をはきませんが、今日聞いたら、まだ6割くらいの回復だと言っていました。
 それでも、何とか白星を重ね、14日目には、7勝7敗にまでもってきました。千秋楽の相撲は、私は見ることができなかったのですが、大柄の力士を相手に粘りに粘り、なんと「すくい投げ」で勝ったのだそうです。
 人生は山あり谷ありです。決して順風満帆ではありません。琴勇輝の相撲人生もこれからです。今場所の経験は、琴勇輝の相撲人生に生きることでしょう。
 後輩である小豆島高校野球部と琴勇輝から、先輩である私が修羅場で頑張る、頑張れるとは何かを教えてもらっています。
 今日も名古屋での佐渡ヶ嶽部屋の千秋楽パーティに顔を出させてもらいましたが、琴勇輝が、どこの地でも、稽古ぶりや、相撲の姿勢を評価され、愛され、期待されているのを知って、嬉しく思います。
 まずは厳しい試練を乗り越えた琴勇輝。これからも、試練が待っているでしょうが、ひとつひとつ乗り越えていってほしいと思います。私も負けないよう試練を乗り越えたいと思います。(平成24年7月22日)

名古屋場所、土俵入りする琴勇輝


取り組み前、厳しい表情の琴勇輝


名古屋場所での琴勇輝の幟


名古屋場所が行われた愛知県体育館

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第649回 小豆島高校野球部ありがとう


 小豆島高校野球部の夏が終わりました。香川西高校との準々決勝戦、残念ながら7対4で負けました。
 数字ほどの力の差はなく、あそこでもう一発、あの微妙なプレーで判定が逆であったら、あるいは勝っていた試合でした。
 それでも負けは負け、夏の大会で勝ち続けるには、それこそチームの総合力、底力のようなものが、抜きんでていることが必要なのでしょう。
 小豆島高校野球部のように、地元の島の中学卒業生だけの普通の高校生のチームが、甲子園出場を実現するために超えなければならない壁は高いことを改めて実感しました。しかし、この壁は超えられるものだし、何としても、絶対に超えなければなりません。
 今日の試合は、終始押され気味でした。相手投手は130キロを超える球を投げていました。ショートリリーフの左腕はスローカーブを投げる技巧派。押さえの右腕も130キロを超える球を投げていました。
 打撃も鋭く、長町投手の球をいとも簡単にミートしていました。選手の背番号を見ると大きな背番号の選手が出場しています。選手の層が厚いのです。聞けば、多くが京阪神地区の出身者です。野球のエリートたちの集まりなのです。
 一方の小豆島高校野球部のレギュラーは、全員が地元の内海(うちのみ)中学校の卒業生。そんなチームが都会のエリート相手に、9回裏ツーアウト満塁、四番の塩田右翼手がホームランを打てば劇的サヨナラ勝ちというところまで相手を追い込みました。
 奇跡は残念ながら起きなかったのですが、ここまで頑張った選手、杉吉監督ほかスタッフ、家族の皆さん、最後まで声をからせて応援していた生徒の皆さんに感謝します。
 選手の活躍ぶりが小豆島の未来にだぶります。小豆島もまた、自分たちの力で元気になっていかねばなりません。選手たちのがんばりから、私たち小豆島全体も元気をもらいました。
 夢は夢で終わらせていけません。甲子園に行くという夢、甲子園で勝つという夢を、必ず実現しましょう。もう新しいスタートが始まっています。(平成24年7月22日)

3試合を投げ抜いた長町投手


最後まであきらめない
粘り強いバッティングを貫きました


ベンチから懸命に声を出す選手の皆さん


応援団の皆さんも声をからして
声援を送りました

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第648回 凄い試合でした


 夏の高校野球香川県大会の小豆島高校野球部の第3回戦の応援に、炎天下のレクザム球場に行きました。
 3回戦の相手は観音寺中央高校です。春の選抜全国大会で全国優勝したこともあり、今年のチームも県大会優勝を狙う香川県内の名門強豪校です。
 小豆島高校からすれば、部員数、部員の球歴とも格上のチームです。胸を借りて当たって砕けるしかありません。しかし、甲子園に行くためには、絶対に勝たねばならない相手です。
 2回戦の石田高校戦では、長町投手が好調な一方、打線は、技巧派の相手投手を打ちあぐみました。今日の相手投手はさらにレベルの高い投手です。
 今日も長町投手は粘投を続け、危なげない投球でした。7回の唯一のピンチも金屋左翼手の好返球でホームで制しました。
 予想どおり、打線は、相手投手のコントロールの乱れから2回、3回とチャンスをつかんだとはいえあと1本が出ず、貧打と言っていい状況でした。前試合の4回から今日の7回まで、13回連続無得点でした。
 これが自慢の強力打線か、夢だった甲子園も今日で終わりかと諦めかかった8回裏、待望の1点をもぎとりました。それもツーアウト2塁から、長町投手の打った渾身のライトオーバー3塁打で。
 凄い試合でした。緊迫し、ともに力を出し合い、最後の最後に、少しだけ運のよいチームが勝った試合でした。勝利の女神が最後の最後に、ちょっとだけ小豆島高校野球部に微笑んでくれたのです。
 甲子園まであと3つの試合に勝たねばなりません。昨年の夏の大会、秋の大会と連続してベスト8、今年の春は優勝。そして今年の夏もこれでベスト8です。決して運だけで勝ち進んでいるのではありません。杉吉監督の指導のもと、着実に、Enjoy BaseballとAggressive Baseballを全員で実践し、力をつけてきた結果です。
 いろいろな人が声をからして小豆島高校野球部を応援しています。全員が小豆島のごく普通の野球少年たちである小豆島高校野球部の夢が叶いますように。(平成24年7月19日)
3回戦の様子
(写真提供:小豆島高校光画部)

2試合連続完封の長町投手


打線は少ないチャンスの中、
1点をもぎ取りました


駆けつけた応援団の皆さん


見事ベスト8に進出した野球部の皆さん

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第647回 人口減少を解く鍵


 小豆島の最大課題は、人口減少と急速な少子高齢化です。人口が減ることは、日本全体も減っているので避けることはできませんが、今のような人口の減少が続けば深刻な事態が予想されます。
 深刻な事態とは、小豆島の優れた自然、伝統や文化、暮らしを守っていくことが困難になること、災害時の対応が困難になること、一次産業を含めた産業活動が困難になること、医療・福祉・教育を維持することが困難になることなどです。つまり小豆島がもう小豆島ではなくなってしまうことです。
 これを防ぐにはどうすればいいのでしょうか。ひとつは全体の人口は減っても、元気に活動、活躍できる人口を増やすことです。高齢者が健康で元気に活動、活躍したり、女性、障害者などが社会で思い切り活動、活躍できるようにすることです。子育ち、子育ての環境づくりも、もちろん不可欠です。
 小豆島の魅力を高め、働ける場を確保し、都会に出た若者のUターンを増やしたり、島の外からのIターン、Jターンを増やして、人口減少を少しでも緩やかにしなければなりません。
 嬉しいことに、このごろ小豆島に移住する人が増え始めています。表1は、小豆島の2町が受けた移住相談件数、そのなかの移住件数、移住者数です。ここ数年移住相談が順調に増えているのがわかります。しかし、実際移住した人は増えているとはいえ、相談件数ほどには増えていません。
 小豆島に関心を持ってくれている人は増えていますが、実際に移住につながる人がまだまだ少ないのは、住居や働く場の確保など、基本的な問題が残されているからです。
 表2は、移住者の年齢構成です。30代、40代の人が多いのは、小豆島で新しい人生にチャレンジしたい人が多いことを示すものです。移住者の前住所地(表3)も関東中部が多く、少し離れた、これまでの生活環境とは異なる小豆島でのトライや生活を望んでいる人が多いことをうかがわせます。
 小豆島で就いた新しい仕事(表4)は、医療・福祉、オリーブ農園、レストラン経営など、1次産業から3次産業まで多彩です。小豆島の地産の食材を、地元の人には思いもよらないかたちと水準で、規模は小さいとはいえ、生産(1次産業)、加工(2次産業)、販売・料理(3次産業)を一手に行う、いわゆる6次産業にトライしているご夫妻が何組かおられます。小豆島の自然と人情にひかれ、芸術創造の拠点を小豆島に移した若手アーティストもおられます。こうした移住者は一部にとどまっているかもしれせんが、このように都会の若者が、小豆島のこれまでの常識をくつがえし、小豆島の素材や小豆島の真価を見つけ、伸ばしてくれる可能性が高いと私は思います。ここに小豆島再生の可能性があると思います。
 以上のデータは、町役場に相談があった移住者についてのもので、町役場に相談せず直接移住された方々もおられますが、移住者が本格的に増加し、小豆島で活躍していただくためには、まだまだ解決すべき課題が少なからず残っています。やるべきことはたくさんありますが、環境整備が整うにつれ、移住者の数も増え、移住者の方々の活躍が環境整備を一気に加速して、人々を引き寄せる好循環が始まると期待しています。
 来年開かれる瀬戸内国際芸術祭は、現代アートを通して、小豆島の魅力と真価に、島内外の人が気づく機会になり、この流れを決定的なものにするだろうと思います。
 表5は、移住の状況も反映したここ5年間の小豆島の人口の動向です。国勢調査による人口統計上の微調整のあった23年度を除くと、毎年度約400人から500人、人口が減少しています。表を見ると、移住者の増加に伴い、人口減少に緩和傾向が出始めているとも見えますが、きちんとした分析がまだできていません。自然増減と社会増減のデータのきちんとした把握と分析が必要です。
 毎年度500人ずつ減り続けたら、10年で5000人も減るのですから、小豆島の人口減少は、相当深刻だと言わざるを得ません。このままでは、自然、人情、文化、伝統などに恵まれた小豆島が沈没してしまいます。そんなことであっていいはずがありません。小豆島の経験、取組みは、日本全体の課題の解決にもつながっています。モデルとなる取組みを、みんなの知恵と力をあわせて実現したいと思います。(平成24年7月17日)
小豆島に移住して活躍されている皆さん
草壁本町にあるレストラン「フリュウ」


表1
(クリックすると拡大できます)


苗羽地区にあるレストラン「EAT」


表2
(クリックすると拡大できます)


小豆島で制作活動をしている
芸術家の吉田夏奈さん


表3
(クリックすると拡大できます)


表4
(クリックすると拡大できます)


表5
(クリックすると拡大できます)

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第646回 みなとまつり


 神戸のメリケンパークで開かれている「みなとまつり」に、小豆島町商工会青年部のメンバーらが出店している小豆島町のブースの様子を見に行きました。
 昨年7月、神戸と小豆島坂手港を結ぶ定期フェリー航路が復活したのを機会に、小豆島町では、神戸のみなとまつりに参加しています。
 昨年は悪天候にたたられたのですが、今年は炎天下での2日間、大都市のイベントらしく、17万人の来訪者で賑わいました。
 ブースで提供されたのは、ぶっかけ素麺、醤油、佃煮、オリーブ油など、いずれも小豆島の特産品です。
 会場では、全国からB級グルメの有名な焼きそば、うどんなどの店が出店していました。自治体の参加は、小豆島町と気仙沼市のみで、神戸市のご配慮と小豆島町の意欲が光ります。
 猛暑のためか、B級グルメの売れ行きが不振でした。B級グルメのはずが値段も高く、いつのまにかA級グルメになっています。他山の石にしなければと思います。
 小豆島のぶっかけ素麺は、お客さんが途切れることなく、商工会青年部の面々は、汗だくとなり大変でした。
 小豆島素麺は、以前に比べると売り上げが減っていますが、工夫次第でこれから浮上できると実感しました。素麺のイメージアップの工夫、販路の開拓、品質の向上、簡単においしく食べられるレシピ紹介などに取り組まなければなりません。
 小豆島ガールによるオリーブリースの無料体験も子どもたちや女性のお客さんをひきつけていました。オリーブのイメージのよさ、人をひきつける力は貴重です。オリーブは小豆島のシンボルの役割をこれからも果たしていけるでしょう。
 ジャンボフェリーの加藤会長をはじめ、皆さんが炎天下でパンフレットを配るなど大活躍をしているなかで、不精な私はテントの下で冷たい飲み物を飲むばかりで、何の手伝いもしません。人の動きを見ては、神戸に住む皆さんが想像以上に小豆島に関心をもってくれていること、努力次第で小豆島を訪ねてくださり、小豆島の特産物を買ってくださる可能性があるなどと思いをめぐらせていました。
 次の日は矢田神戸市長を訪ねました。来年の瀬戸内国際芸術祭で、坂手と醤(ひしお)の郷での現代アートの展開をプロデュースしていただく椿京都造形芸術大学教授にも同行していただきました。加藤ジャンボフェリー会長もご一緒していただきました。来年の芸術祭のご案内と協力をお願いしました。
 神戸の港を通して、小豆島は全国と世界につながっています。神戸は小豆島にとって大切な都市です。みなとまつりで真っ赤に日焼けされた皆さんご苦労さまでした。(平成24年7月17日)

みなとまつりの会場の様子


小豆島のブースで特産品を
購入するお客さん


ぶっかけ素麺に並ぶお客さん


オリーブリースの無料体験


ブースで提供された特産品の数々

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第645回 「傾(かぶ)き者、まかり通る」


 中山地区の農村歌舞伎舞台で、「傾き(かぶ)き者、まかり通る」という、農村歌舞伎の衣装と道具での「ファッション・ショー」が行われました。
 瀬戸内国際芸術祭実行委員会(会長浜田恵造香川県知事)が来年の芸術祭に向けての企画として主催したものです。
 高知県のご出身で、劇作・演出家の明神慈(みょうじん・やす)さんが構成演出をされました。中山農村歌舞伎に残る衣装や道具を活かした、楽しくて、愉快な衣装絵巻でした。
 中山歌舞伎保存会の矢田徹会長をはじめ、中山農村歌舞伎のメンバーや地元の有志など大勢の皆さんが出演されました。
 ファッション・ショーだと聞いたので、歌舞伎の衣装をまとった人々が順番に登場するのだろうと思っていたら、全く違っていました。白波五人男、石川五右衛門、佐々木信胤、お妻の局など、歌舞伎の登場人物たちが、入れ替わり、立ち代り登場し、いつもの農村歌舞伎とは違った視点で、農村歌舞伎の持つ魅力を満喫することができました。
 中山の農村歌舞伎は、台本から衣装、浄瑠璃、三味線、演出まで、全て地元の皆さんの手作りです。伝統を守り、基本に忠実な本格的な歌舞伎です。今日の舞台は、そこに、明神さんが、新しい息吹きを吹き込みました。役者の皆さんもいつもとは違う歌舞伎を楽しんでいました。
 稽古は、短時間だったそうですが、集中してのとても厳しいものだったそうです。伝統を守り抜くには、時にはこうした新しい刺激を受けることも大切なのかもしれません。演技終了後、役者の皆さんも満足感でいっぱいでした。
 中山地区は、日本のどこにもない魅力を持ったところだと思います。例えば、棚田の数では中山に優る地区がいくつもありますが、このように急峻な棚田で今も稲作が続けられ、稲作の豊作を願い、感謝しての「虫送り」や「農村歌舞伎」が続けられているところは、この中山地区にしかないように思います。
 中山の魅力の秘訣は、棚田を守る人、農村歌舞伎を演じる人、そうめんを作る人、そのみんなが中山に住み、中山を愛する人であることです。演技を終えた皆さんが、演出の明神さんらを含めて、公民館に集まっての楽しい反省会と相成りました。大先輩の矢田さんから中高壮年、女性、若者、こどもたちまでが世代を超えて、つないで集まって、わいわい、がやがやとやっているのを見て、中山の魅力はいつまでも続いていくだろうと思いました。それを応援するのが私の仕事だと改めて思いました。(平成24年7月15日)

いつもの歌舞伎とは違った
雰囲気の舞台になっていました


役者の皆さんは、客席に降りて
お客さんと一体となって演じました


出演者が全員登場のフィナーレ


私も紫の着物で、籠に乗って
舞台にあがり挨拶しました


「傾き物 まかり通る」のパンフレット
(クリックすると拡大できます)

出演者の皆さん全員で

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第644回 石切丁場の新しい可能性


 同志社大学文化遺産情報科学研究センターの研究員と学生が小豆島を訪ねてこられました。津村宏臣准教授も来られる予定でしたが、急な用事で今回は来られず、お二人の若いスタッフから興味深い話をうかがうことができました。
 文化遺産情報科学研究というのは聞きなれない学問分野です。文化遺産の研究と言えば、古文書を丹念に調べたり、遺跡を発掘調査したり、どちらかと言えば文科系の学問のイメージです。同志社大学のこのセンターでは、そこに最新の情報科学技術を加味し、それだけでなく、海中をもぐっての水中調査までするというのですから驚きです。
 いただいた資料には、センターの目的を「様々な文化遺産について、その記録・保存のための情報化や修復、計測技術開発を進めると同時に、多くの人々に文化情報から再構築される『世界』を公開し、学ぶ機会に資することを目的に調査研究をしています」と記されています。
 同志社大学のこのセンターでは、小豆島の岩谷などの石切丁場の文化遺産としての価値を高く評価され、海底部の遺構を調査し、新しい知見に基づいてGIS(地理情報システム)化や3次元化して、どのように石が切り出され、海からどのように運び出されていったのか、その光景をコンピューター・グラフィックとして再現し、全国・世界に情報発信する こととしています。
 今回は、その予備調査として水中調査を2日間にわたって実施されました。岩谷の海岸の海底部分に石を運搬した遺構らしきものが確認できたそうです。本調査で正式に確認できれば、日本初のとても意義あることとして発表されるはずです。
 いずれにせよ、巨大な石が、どのようにして切り出され、海を渡って、小豆島から大阪城まで運ばれていったのか、そのことが解明され、再現されれば、浪漫に満ちているだけでなく、先達たちが培ってきた文化の高さを知り、さらに発展させていくことが可能になるでしょう。
 わくわくどきどきすることを、いろいろな島外の専門家が、このごろチャレンジされていて、嬉しいの一言です。昨年11月に、旧福田小学校で石の歴史シンポジウムを開催しました。この秋にも、さらに掘りさげた石の文化シンポジウムを予定しています。今回、また、石の文化の新しい助っ人を小豆島は得ようとしています。
 石の文化の魅力の創造、発信を通して、小豆島は元気になっていけるように思います。(平成24年7月14日)

海中に潜る同志社大学の皆さん


海底残石調査の様子


海底残石


3次元のデータ処理をした八人石
[(株)相互技研 様 協力]

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第643回 本場の本物


 「本場の本物」は、財団法人食品産業センターが、日本各地の豊かな食文化を守り、育てるために設けている表示基準です。
 「本場の本物」という表示が認められるのは、その土地土地において伝統的に培われた「本場」の製法で、地域特有の食材などの厳選原料を用いて作られた「本物」の食品に限られています。
 「本場の本物」の食品は、日本中で25、そのうち三つが小豆島の「小豆島佃煮」「小豆島桶仕込醤油」「小豆島オリーブオイル」です。
 例えば、「小豆島佃煮」は、醤油づくり400年以上、佃煮づくり60年以上の伝統が息づく小豆島が生む佃煮です。製法は、化学調味料などを使わない無添加で、少量をていねいに熟練工が煮炊きします。小豆島産の醤油を使用し、素材は30年以上使われている昆布、わかめなど6品目に限定しています。
 全国で「本場の本物」を作っている皆さんが小豆島に集まっての第1回の産地研修会が開かれました。第1回の場所に小豆島が選ばれたことを嬉しく思います。
 小豆島に集まったのは、「奥久慈凍みこんにゃく」「足柄茶」「草加せんべい」「大豊の碁石茶」「市房漬」「三河産大豆の八丁味噌」「枕崎鰹節の木枯れ節」「山形のつけもの」「沖ケ浜田の黒糖」「さつま山川かつおぶしの木枯節」「堂上蜂屋柿」「佐賀関くろめ醤油味付」「松江の炭火あご野焼」「飛騨・高原山椒」という、全国各地で、日本の味、本物の味を作っている皆さんです。
 こうして、ひとつひとつの「本場の本物」の名前を紹介するだけで、どんな風景のどんな地域で、そこに住む人々がどんな暮らしをしているのだろうと、想像がどんどん広がっていきます。
 集まられた皆さんは、いきいき、元気溌剌で、楽しそうに、くつろいで話をされています。私にも、気楽に話しかけてくれ、お国自慢に花が咲きました。
 どうしたら日本がもう一度元気になれるかです。東京のような大都会に牽引車になって、頑張ってもらわなければなりません。しかし、どうもそれだけではない、日本がもう一度元気になるには、地方の地域が元気にならなければならないと思うのです。そうなるためには、「本場の本物」のように、その地域にしかないもの、その地域が伝統として守ってきたものを大切にする、地域特有なものを大切にすることが必要です。
 「本場の本物」の取組みは地道ですが、確かなものです。地道な取組みが地道な成果をあげるはずです。(平成24年7月11日)

研修会の様子


佃煮づくりの現場


醤油づくりの現場


オリーブオイルづくりの現場

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第642回 小豆島に潜んだ右近の心情


 高山右近は、織田信長、豊臣秀吉などに仕えた代表的な戦国大名として知られると同時に、確固とした信仰を持って生き抜いたキリシタン大名としても知られています。
 右近は、12歳のとき洗礼を受け、徳川幕府のキリシタン禁教令によりマニラに流罪となり、過酷な旅の疲労で到着後40日で亡くなりました。63歳でした。
 右近の生涯は、試練と困難の連続でした。地位も名誉も、国も栄達も失うなかで、右近は常に「福音」を何よりも大切にする生き方を選び通しました。
 今、愛を信じ、人を絶対に裏切らない武将高山右近の生涯を見つめ直し、その生き方に学ぼうという人々が増えています。また、右近没後400年となる2015年に向けて、バチカンでは、右近をマザーテレサやヨハネ・パウロ2世と同じ「福者」に「列福」する手続きが進められています。
 実は、右近には、豊臣秀吉から棄教を迫まれ、これを拒み領地と財産を捨て、小豆島の領主であった小西行長にかくまわれ、小豆島に隠れ住んだときがあります。
 今日、小豆島キリシタンの足跡をたどる会、小豆島右近クラブ(日向光徳会長)の主催で、右近に関する講演会が開かれました。会場となったサンオリーブには、島の内外から、右近を慕う大勢の人々が集まりました。
 溝部脩ローマカトリック教会高松教区名誉司教が「小豆島に潜んだ右近の心情」について講演をされました。右近には、小豆島の中山の奥地にあった隠れ家で、家族とともに、すべてを捨てて、隠遁者として、過ごしたときがあります。右近35歳のときです。武将として油ののったときであったはずです。右近は、小豆島で、世間から離れ、すべてを捨て、静かに、沈潜して過ごします。右近の心情やいかばかりだったのでしょうか。
 1年後右近は、肥後に領地換えされた小西行長とともに九州に向かいます。そして、やがて前田利家の客将となり再び勇将として活躍するようになります。
 この講演会で私は次のような趣旨の挨拶をしました。映画「八日目の蝉」の成島出監督は、「小豆島では、人々と、自然と、神さまが同じ地平で一緒に暮らしている」とおっしゃっています。島のあちこちに神社や祠があります。人々は万物に神が宿っていると信じています。空海は小豆島の洞窟で修行し、悟りを得ました。その縁で島88ヶ所霊場があります。
 小豆島はキリシタンの島でもあります。島原の乱の後、天領であった小豆島の農家の次男、三男が島原半島に強制移住させられました。しかし、脚本家の市川森一さんは、真実は隠れキリシタンであった人々が、聖地である島原半島の再生を願って移住したのではないかと言われています。
 町長の仕事は、小豆島を元気にすることにあります。元気になるとはいろいろな意味がありますが、神々とのかかわりを見つめ直すことで、新しい小豆島の可能性が開かれるように思います。小豆島に潜んだ右近の心情をおもんばかることで、何かが見えてくるように思います。(平成24年7月14日)

講演会の会場の様子


溝部脩ローマカトリック教会
高松教区名誉司教

小豆島のキリスト教ゆかりの史跡
キリシタン灯篭


隠れキリシタンの墓といわれている
「らんとうさん」


お寺の境内のハート型の洗い場

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第641回 小豆島高校野球部好発進


 夏の全国高校野球選手権香川県大会が始まりました。今年の小豆島高校野球部は、優勝を目指し、優勝できる力を備えたチームです。いよいよ決戦のときです。
 小豆島に戻って3年目を迎えていますが、小豆島高校野球部の活躍、躍進が私自身の励みになっています。私だけでなくすべての島民の励みになっています。
 このチームの良さは、選手全員が小豆島に住む、どこにでもいる普通の生徒であることです。とりわけ今のチームの正選手は、ひとつの中学校の卒業生です。
 小学生、中学生として、一緒に野球をしてきた選手たちが切磋琢磨した結果、甲子園に出場し、活躍できるところまでに成長しました。
 杉吉監督が、見事に、選手の力を引き出し、引き上げました。杉吉監督の目指すEnjoy BaseballとAggressive Baseballを、生徒たちはすっかり身につけ、実践しています。
 初戦の石田高校戦。前日は、2回途中で突然の豪雨、雷雨でノーゲームとなりました。2対0でリードしていたので、残念でしたが、その戦いぶりからして、何の心配も感じさせないものでした。
 今日の再戦。公務のため応援が遅れ、球場についたときは、3回を終えて4対0でリードしていました。昨日同様見事なスタートダッシュだったそうです。このままコールドゲームかという勢いでした。
 ところが、そこから相手投手が調子をあげて、打ちあぐね、得点することができず、そのままのスコアーで試合を終えました。
 スタンドの評価は、こんな試合をしているようでは駄目だ、大振りが目立つなど、辛口でした。いつのまにか私を含め、評価のレベルがもの凄く高いものになっています。おもしろいものです。
 長町投手は2安打完封。昨年に比べ、スピード、コントロール、マウンド度胸、どこを見ても格段にレベルアップしており、頼もしい限りです。
 相手の石田高校の野球のレベルは大したものではないと思っていたのですが、よく見ると相手投手の投球技術はそれなりのものであったし、スタンドの応援態度は高校生らしく、さわやかなものでした。
 初戦は好発進できました。次の相手は観音寺中央高校。春の選抜で全国優勝したこともある強豪です。当たって砕けるしかありません。小豆島高校野球部は、やることをすべてやりとげたチームです。積極さと笑顔の絶えないチームです。勝利の女神が微笑んでくれるはずです。(平成24年7月14日)
試合の様子
(写真提供:小豆島高校光画部)

2安打完封の長町投手


積極的なバッティング


応援団の皆さん


戦況を見つめる選手の皆さん

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第640回 東京にて オリーブを発酵させたら


 東京に来ました。今回の目的は、「抗酸化食品による予防医療領域における可能性」という、ややマニアックなシンポジウムを聞くためです。
 少し専門的ですが、老化や変調は、物が酸化して、変化することもかかわっています。逆に考えると、酸化を防ぐことができる抗酸化作用のある食品を摂ることで、健康を維持できると考えられます。
 オリーブは、抗酸化作用のある代表的な食べ物です。オリーブの実や葉っぱには、抗酸化作用のあるポリフェノールなどの成分がたっぷりと含まれています。
 オリーブの原産地である地中海の島々の人々は、日常的にオリーブを食べて、健康長寿であることが知られています。そこで、小豆島町では、町をあげて、オリーブで健康長寿を実現する取組みを今年度から始めています。例えば、学校や病院などで使うオイルはすべてオリーブオイルにしました。毎週どこかの公民館などでオリーブ料理教室が開かれていますといった感じです。毎日の家庭の食卓がオリーブでにぎわう日も遠くないはずです。
 今日のシンポジウムに来ようと思ったのは、オリーブが健康によいことの科学的な根拠を改めて確認するだけでなく、最新の動向を知ることで、オリーブを生かした新しい健康によい食品や医薬品の研究開発など、オリーブの小豆島での新しい可能性を探ってみようと思ったからです。
 そこで、今回のシンポジウムでは、私だけでなく、小豆島苗羽(のうま)にある香川県発酵食品研究所の末沢所長、小豆島町地域振興アドバイザーで元丸金醤油京都研究所長の太田さん、小豆島町オリーブ課長にも一緒に聞いてもらいました。驚いたことに宝食品の片山社長の姿を会場で発見しました。
 シンポジウムでは、オリーブに限らず抗酸化作用のある食品のいろいろな可能性を確認できました。オリーブに限らず、レモンなどの野菜、果物や日本茶など、いろいろな食品が健康によいことや、調理方法などによっても、健康への影響も違うことも知りました。
 例えば、レモンに含まれるポリフェノールは、発酵することによって大幅に増加するそうです。とすると、オリーブを発酵したらどうなるのでしょうか。発酵食品の代表は醤油です。小豆島の醤油づくりには400年の歴史があります。
 オリーブに限らず、地産の野菜なども組みあわせた食育は、健康づくりだけでなく、地域おこしとしても大きな可能性があると、今日のシンポジウムで改めて感じました。
 シンポジウムの後は、新橋で小豆島出身の方がやっている小料理屋「はづき」に集まり、笠井法政大学教授ともども、小豆島の話の花を咲かせました。(平成24年7月12日)

シンポジウムの様子


学校給食で使われているオイルは
今年5月からすべてオリーブオイル
になっています


病院の給食のオイルも
オリーブオイルになっています


オリーブを使った健康料理教室

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第639回 ホタルを育てる


 中山地区には、棚田や農村歌舞伎が今も残り、日本でも有数の原風景が残された地域です。去る7日に行われた「虫送り」は、幻想的な美しさが訪れた人々を魅了しました。
 その中山の魅力のひとつに加わったのが、ホタルの里づくりです。亘さんをはじめ地元の有志の皆さんがホタルの里づくりに熱心に取り組まれた結果、中山にホタルが戻ってきて、先月はたくさんのホタルが幻想的な光を楽しませてくれました。
 ホタルが育つには、川に清流があって、ホタルの幼虫が川の流れから身を守れる草が繁茂していることが必要です。
 ところが昨年の台風の豪雨で、折角の川の草が流されてしまいました。そこで、今日、地元池田小学校5年生が草を植えに中山を訪れました。ホタルは、今卵がかえったばかりで、目に見えないほどの小さな幼虫です。川に草が戻り、ホタルの幼虫が川に放流され、1年をかけて成長し、来年の6月には空中を飛び回ってくれるはずです。
 同じ中山の亘さんのネットの小屋で国蝶オオムラサキがさなぎから蝶に羽化していました。オオムラサキもまた小豆島からも途絶えていました。今年はじめて羽化に成功しました。オオムラサキは、西日本では広島県などわずかなところでしか羽化に成功していません。
 オオムラサキのさなぎは、絹のような輝きで、本物の葉っぱかと見まごうばかりの、擬態です。生命を守るための自然のなせる技に驚くばかりです。
 小豆島の子どもたちには、ホタルを育てることを通して、自然や生き物たちの生態を勉強してほしいと思います。人間もまた数多くの生き物のひとつです。人間のみが繁栄をし続けることはありえないことです。
 自然に恵まれた小豆島で生まれ育ったことを誇りに、受け継がれた優れた自然、文化、伝統、産業などを守り発展させて、次の世代に引き継いでもらいたいものです。(平成24年7月10日)


川に草を植える池田小学校の児童たち


中山のホタル


国蝶オオムラサキ


羽化の瞬間


オオムラサキのさなぎ

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第638回 内海病院でオリーブ給食


 今日から内海(うちのみ)病院で、給食に使う食用オイルが「なたね油」からすべてオリーブオイルに切り替わりました。
 このブログで何回も紹介しているオリーブで健康長寿の島づくりの一環の取組みです。
 職員食堂でオリーブオイル料理試食会が開かれました。お昼どきの食堂には、久保院長、坂本看護部長をはじめとする看護師の皆さんなどが、試食に訪れました。
 メニューは、ターメリックライス(パエリア風)、チキンのトマト煮(ペンネ添え)、サラダ(たこ、胡瓜、玉ねぎ入りドレッシング)、つゆ豆のバルサミコ酢和え、ヨーグルト(オリーブオイルかけ)、てんぷらです。すべてのメニューにオリーブオイルが使われています。
 スタッフの皆さんは、楽しそうに、おいしそうに、オリーブオイル料理を召し上がっていました。久保院長は、取材に来たテレビで、「健康によいオリーブを食べることで、5年後、10年後、小豆島の人々が健康長寿になって、生活習慣病が減ったというようになることを目指しています」とおっしゃっていました。
 オリーブで健康長寿の島づくりは、地味な取組みですが、みんなで、楽しみながら、わいわいがやがや言いながら、健康づくりを実現し、医療費や介護費を減らし、小豆島のオリーブブランドを高め、地域を元気にする地域おこしです。
 はじまったばかりですが、おかげで順調なスタートを切っています。香川県は、実は糖尿病受診率や野菜摂取量では、全国に比べワーストの常連です。地元紙の四国新聞が、一面でこの課題の深刻さと取組みの必要性を連日報道していました。
 香川県は、オリーブを県花、県木にしています。香川産の野菜の美味しさと豊富さは全国でも有数です。そうした香川県のよさを、政策として、大胆に、かつ、徹底的に生かして、香川のよさをアピールした健康長寿づくりを、県民あげて取り組みたいものです。そのことが、社会保障の課題、財政再建の課題の解決につながり、地域再生につながるはずです。
 学校で、家庭で、公民館で、そして病院でと、オリーブで健康長寿の島づくりが、いろいろなところで始まろうとしています。参加者の皆さんの楽しそうな表情を見ると、小豆島が元気になっていく第一歩が始まったのだと思います。(平成24年7月9日)

オリーブオイルを使った内海病院の給食


料理にオリーブオイルをかける看護師さん


実食の様子


「オリーブによる健康・長寿の島づくり」
の取り組み状況
(クリックすると拡大できます)

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第637回 政治について


 政治の本来の役割は、めざすべき社会のあり方を提示し、そのために必要な政策のあり方を決めることにあると思います。残念なことに、今の政治は、どんな社会をめざすのかという、本質的なことではなく、技術的なこと、手法的なこと、部分的なことばかりを議論しているように思います。
 税と社会保障の一体改革が論議されています。税の論議が先行して、社会保障改革の論議は先送りされていると批判されていますが、必ずしもそうではないように思います。それぞれの党の見解は、相当程度明らかにされ、相違点はかなり明確になっています。メディア、「識者」の方々が、問題の本質をきちんと理解して、わかりやすく、国民に伝えていないのが残念です。
 社会保障は、家族や地域の役割、健康づくり、高齢者、女性などの社会参加など、めざすべき社会のあり方と密接にかかわっています。めざすべき社会のあり方によって社会保障のかたちは変わってきます。
 人口が増え、人口構成のバランスがとれ、経済が成長しているときは、社会保障の設計は容易でした。これらの前提が失われたとき、社会保障の設計は、難しい作業になりました。誰もに喜ばれていた社会保障の設計が、痛みを分け合う、しんどい作業になったのです。難しくて、しんどい作業だからこそ政治の仕事です。
 どんな社会をめざすべきか、私の考え方は、シンプルなものです。 長い時間をかけて受け継がれた地域の文化、伝統、生活、産業などを大切にし、地域の縁、つながり、絆などを大切にする地域社会を守り、作っていくというものです。個人の自由や権利は大事ですが、そのこと以上に、人は一人では生きていけない、助け合うしかないという、シンプルなことを大事にしようというものです。
 消費税をめぐって政治が混乱しています。めざす社会のあり方についての共通の思いがない分、混乱しています。
 人口が減り、少子高齢化が進む社会では、高齢者も公平に負担し、都会と地方の税収差も比較的少ない、消費税を基幹にしていくことが必要だと思います。
 消費税を、地方自治体の仕事や社会保障の機能強化に充てることも必要なことです。
 消費税には逆進性があります。消費税率を上げるのであれば、食料品など日常生活に不可欠な財やサービスには、軽減税率が適用されなければなりません。
 税率アップを価格に転嫁できない中小企業への支援策も必要です。
 経済がデフレ下では、消費税増税は経済に悪影響を及ぼし、税収全体は増収にならないかもしれませんが、財政再建に向けての国の姿勢を示し、日本国債の暴落を現実のものにしないことが必要です。
 国、地方公共団体の赤字構造は早急に是正されなければなりません。支出の半分以上を借金でまかなう財政が長続きするわけがありません。
 消費税を増税することで、社会保障を充実するという期待がありますが、人口が減少し、少子高齢化が急速に進むなかでは、今の社会保障を持続するだけで精一杯と言うしかありません。社会保障の持続可能性を高めるだけでも、とても意義深いことです。
 大事なことは、社会保障のあり方について、もう一度国民的論議をして、自助や共助の大切さを再確認することです。自助や共助の大切さを再確認することは、あるべき社会についてのコンセンサスを得ることに他なりません。
 もう一度、地域社会ごとで、助け合いや支え合いの大切さを学び直すことが必要です。地域の伝統行事や祭りなども大切です。地域の核である小学校を中心とする活動や公民館などの活動の活性化も大切です。
 社会保障は、費用を負担する人と給付を受ける人が、お互いの顔が見えないようになると、制度の設計や運営が放縦なものになってしまいます。負担する人と給付を受ける人が、顔をつきあわせ、喜びと苦労を分かち合うことが必要です。
 その意味から、基礎自治体の役割が、これからの社会保障においては、国と同等以上に重要になっていきます。国の社会保障制度を基盤にして、地域での健康づくり、介護予防、社会参加の仕組みづくりをし、地域の応援の仕組みを作ることが、社会保障の持続性や機能を高め、地域社会をよみがえらせる最高の方策となっていきます。
 小豆島町では、オリーブで健康長寿の島づくりをはじめました。島の特産であるオリーブを食生活で活用することで、楽しく、健康づくりに取組み、医療費や介護費用を抑え、オリーブの小豆島もアピールする、地域おこしです。
 政治は混乱していますが、大きな方向では、これから正しい方向に向かっていくだろうと期待します。大河の流れは、ときに、逆流したり、流れが止まることがあっても、上流から下流へと流れ、大海原にたどり着くものです。(平成24年7月6日)

小豆島のオリーブ


オリーブを活用した「健康長寿の島づくり」
の取り組みが行われています

「健康長寿の島づくり」の
取り組みをご紹介します

自分たちで収穫したオリーブを
学校給食で試食


小豆島高校「オリーブ料理フェスティバル」


学校給食で使用している油はすべて
オリーブオイルに変わっています


専門職の方を対象にした伝道師研修会


健康長寿の島づくり料理講習会


食育の日オリーブ料理講習会

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第636回 さかて「んごんご」ウォーク


 神戸と小豆島坂手を結ぶ定期フェリー就航1周年の記念式典と、これを記念する、さかて「んごんご」ウォークが坂手地区で行われました。
 航路は海の道路です。京阪神との関係で発展してきた小豆島にとって、京阪神航路は京阪神につながる道路でした。瀬戸の海は、日本の文化と産業を支える大動脈であり、小豆島もその要衝のひとつでした。
 京阪神との定期航路がなくなって16年。坂手地区にとっても、小豆島にとっても、悲願であった航路復活。昨年7月6日、ジャンボフェリーが神戸と小豆島坂手の間に就航しました。
 今日の記念式典は一昨日の神戸での式典に続くものです。神戸市からみなと総局花木みなと振興部長、加藤ジャンボフェリー会長なども参加していただきました。
 昨年の就航記念式典と同じように、地元の苗羽(のうま)小学校の音楽部の皆さんが、音楽で式典を盛り上げてくれました。曲目は、「二十四の瞳」「七つの子」「オリーブの歌」、今年の課題曲「組曲カルメン」「おひさま」と、ミュージカル「二十四の瞳」のテーマソングがはじめて披露されました。
 「んごんご」とは、蝉の幼虫を意味する坂手地区の方言です。坂手地区は、ジャンボフェリー就航後、観光客のおもてなしをしたり、地域おこしの芽が出ています。
 今日は、1周年記念行事として、さかて・んごんごウォークを企画しました。港から観音寺、壺井栄の記念碑、洞雲山など、風光明媚な坂手地区をウォーキングで楽しもうという企画です。
 京阪神などから訪れた、予想を超える300人近くの皆さんが参加しました。神戸市花木部長、加藤会長ご夫妻も参加されました。途中の要所では、地元の皆さんがボランティアでお接待(給水)をしました。
 港の広場では、餅つき、餅投げ、かき氷、ポン菓子などのバザーや和太鼓演奏などもありました。坂手の地域おこしに協力している香川大学経済学部の古川ゼミの皆さんもバザーへ参加してくれました。
 これらはすべてジャンボフェリーが運んでくれた元気です。これからもっともっと元気になるはずです。航路は海の道路であり、道路がつながることで、人々や地域は元気になることができます。来年の瀬戸内国際芸術祭では、もっともっと元気な坂手、小豆島を大勢の皆さんに見ていただけると思います。(平成24年7月8日)

 苗羽小学校音楽部の演奏で
記念式典はスタートしました


「さかて んごんごウォーク」
スタートする参加者


地元の皆さんによるお接待の様子


ポン菓子の出来上がる様子
を楽しむ参加者


香川大学経済学部の古川ゼミの皆さん


記念の餅つき

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第635回 空と海の間


 芸術家村の滞在作家の市橋由紀さんが、海から風船をつけたカヤックで小豆島を周り、海側から見た陸側の風景を撮影しています。
 市橋さんによれば、三つの陸の風景があります。ひとつは、樹々、岩などの自然、もうひとつは街、橋、港などの人工のもの、最後は廃墟となった場所、廃墟に新たに生まれた風景です。
 3日間の小旅行と小豆島の地形を通し、大昔から現代までの島の時が立ち現れることを目的とする作品を作られることとしています。
 1日目の今日、日も暮れた堀越地区の港でカヤックが到着するのを待ちました。カヤックは、小豆島のエコツアーのガイドなどをしている自然舎の仲間が手伝っています。
 到着後、小豆島に移住してきたご夫妻が住む古民家で、10人くらいの人と1匹の犬が集まり、おにぎりや惣菜をそれぞれが持ち寄って、市橋さんらを歓迎する小宴が催されました。
 そこで気がついたのは、集まった皆さんのほとんどが、小豆島のことを気にいってくれて、移住してこられた方々であるということでした。
 移住された皆さんには、小豆島の自然や人情などをほめてくれるだけでなく、これまでの経験を活かして、小さなレストランを始めたり、小豆島の素材を活かした新しいものづくりをしたり、アートなどの創造活動をしたり、オリーブ栽培に取り組んだり、地元の企業などで働いたりなど、いろいろなかたちで、新しい小豆島づくりに取り組んでいただいています。
 ところで、作品の名前は、BETWEEN HEAVEN AND SEA ですから、日本語で言えば、空と海の間、すなわち空海です。
 実は、空海と小豆島は深いつながりがあります。空海は、出生地である善通寺と高野山の行き来の途中、何度も小豆島に滞在しました。小豆島の洞窟のなかで修行をしました。その縁から、小豆島88ヶ所霊場があります。
 空海は、洞窟のなかで悟りを得るのですが、洞窟で目にしたのが空と海のみであったことから、自らを「空海」と名乗るようになりました。
 市橋さんが、今度の作品の名前を「空と海の間」と名づけたことは、何やら示唆的です。空海だけでなく、島のあちこちに祠や神社があって、小豆島には、太古の昔から不思議な何かが宿っているように思うからです。市橋さんの3日間のカヤック小旅行で、大昔から現代まで島のどんな時が現れるのか、楽しみです。(平成24年7月11日)

池田地区の浜から出発


出発直後の様子


堀越地区の浜に到着したカヤック


市橋さんの取り組みを手伝う自然舎の皆さん

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第634回 四国ユースフェスタinかがわ


 「四国ユースフェスタinかがわ」が小豆島で開かれ、四国4県と岡山県のホステラー約50人の皆さんとお会いすることができました。小豆島に来られたのは、5県のユースホステル協会の役員の皆さんと4県の大学のユースホステル部(サークル)の若者たちです。
 ユースホステルは、文字通り、若者が安価で泊まれ、交流できる宿で、日本中、世界中に広がっています。私も若いころ利用したことがあります。小豆島には、美しの原高原に公営のユースホステルもありましたが、今は内海(うちのみ)湾に面した西村地区に日本ユースホステル協会直営の小豆島オリーブユースホステルがあります。
 話をうかがって驚いたのですが、ユースホステルの利用者が高齢化しているそうです。若者が旅をしなくなったことなど、いろいろ理由があるようですが、今日は、役員の高齢者と若い大学生が集い、とてもいい雰囲気でした。香川大学、徳島大学、愛媛大学・東雲大学、岡山大学のユースホステル部(サークル)の若者たちは、大学を超え、県境を超えた交流を楽しみました。
 今はKSB瀬戸内海放送の仕事をしている陶山哲夫さんが、初代の小豆島オリーブホステルのペアレント(マネージャー)だったことも初めて知りました。
 陶山さんからおもしろい話をうかがいました。加藤登紀子さんが歌う「知床旅情」の大ヒットに、ユースホステルと小豆島出身のホステラーがかかわっているという話です。知床を訪れた森繁久弥さんは、その美しさに感動して「知床旅情」を作りました。この歌の素晴らしさを知ったホステラーの一人が全国のユースホステルに広めました。ユースホステルで歌われていた「知床旅情」が加藤登紀子さんの耳にとまりました。そのホステラー こそ、小豆島土庄町小部出身の椎木隆さんです。
 もうひとつは、コロンビアローズさんが歌う「二十四の瞳」ができあがるエピソードです。「二十四の瞳」の感動を作詞家丘灯至夫さんが詞にしていました。ところがメロディの楽譜がありませんでした。昭和51年内海(うちのみ)中学校の体育館とグラウンドで開かれるユースホステルの全国大会「第12回全国ユースラリー」の大会のテーマソングにしようと、陶山さんは戸塚正博さんに楽譜を起こしてくれることを依頼しました。
 私は、「二十四の瞳」の歌が大好きです。この歌とユースホステルとのかかわりを聞き、「二十四の瞳」という宝物が、いろいろなつながりを広げてくれていることを思いました。
 今年は、島田歌穂さんがミュージカル「二十四の瞳」を演じられ、新しい「二十四の瞳」が生まれました。シンガーソングライター谷山浩子さんの作詞作曲で、とても素晴らしいものです。
 今回、ホステラーの皆さんは、「二十四の瞳」映画村見学、ふるさと村でのカヌー体験、中山の虫送り、醤油蔵見学・手打ちうどん体験・オリーブ公園で幸せのハートの葉探しなど、多彩なメニューを楽しまれました。ホステラーの皆さんが、小豆島のよさを、いろいろなかたちで全国に伝えてくれるかと思うと、嬉しくなります。(平成24年7月7日)

四国ユースフェスタINかがわ


カヌー体験


中山の虫送り
(写真右端は、香川県ユースホステル
協会会長のジャンボフェリー
加藤琢二会長です)


手打ちうどん体験


ホステラーの皆さん全員で
(西村の小豆島オリーブホステル前で)

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第633回 中山千枚田の虫送り


 日本の原風景の広がる中山地区の千枚田で、伝承行事の虫送りがありました。
 虫送りは、火手(ほて)と呼ばれる松明(たいまつ)を手にして、「灯(とも)せ灯せ」と声を掛けながら、千枚田のあぜ道を練り歩くものです。薄暮のなか、棚田に揺らめく明かりの列が幻想的です。
 松明の火の力が、虫を田んぼから追い出して、豊作をもたらしてくれるという、中山地区で古くから行われてきた伝承行事です。
 虫送りは、ここしばらく、人手不足などで途絶えていましたが、一昨年、映画「八日目の蝉」の撮影のために行われました。日本アカデミー賞10冠を達成した映画「八日目の蝉」で、虫送りのシーンは、なくてはならない特別な意味を持つシーンでした。
 これをきっかけにして、地元の皆さんが、虫送りの美しさを多くの方に堪能してもらいたいと、伝承行事を昨年から復活させました。
 二年目となった今年、地元の親子づれ、観光客など、約350人が参加し、稲の植わった、青々とした水田を、炎をかざして、ゆっくりと下っていきました。
 私も、小豆島霊場44番札所湯船山までうかがい、祈祷のあと、移し火をしてもらい、今年も松明を手に、あぜ道を下っていきました。参加者の半数以上が島外の人だと知って、虫送りの人気の高さと注目度を改めて感じました。
 虫送りの伝承行事を、小豆島の魅力を代表するものとして、これからもずっと続けてほしいと思います。そのためには、千枚田でこれからもずっと米づくりが続けられていくことが必要です。
 千枚田が千枚田であり続けるためには、田んぼの管理、水の管理など、根気のいる農作業を毎日のように続けることができる農家が存在し、経営も成り立つ農業政策が本来必要です。
 農業として千枚田をとらえるだけでなく、貴重な歴史的、文化的な財産を、農家の力に頼るだけでなく、島内外のみんなの力で守っていく方向づけも必要です。
 農村工学研究所の協力も得て、全国各地の棚田保全の取組みを勉強しながら、中山地区の皆さんが中心になって、納得のできる、中山らしい、千枚田の保全方策を、できるだけ早く作り上げたいと思います。(平成24年7月7日)

中山地区の虫送り風景


「ともせ、ともせ」の声とともに
棚田をゆっくり歩いて降りました


子どもたちは、お父さん、
お母さんといっしょに火手を持ち、
楽しそうに参加していました

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第632回 ジャンボフェリー就航1周年


 神戸と小豆島坂手を結ぶジャンボフェリーが就航して1年になりました。それを記念しての式典が神戸港でありました。
 主催者は小豆島坂手自治会の皆さんです。「んごんご(蝉の幼虫の意味の坂手地区の方言)くらぶ」の緑のはっぴを着て、30人近くの皆さんが、朝坂手発のジャンボフェリーに乗って神戸の会場に向かいました。
 神戸市の港キャンペーンガールなどに迎えられ、神戸市みなと総局長、国土交通省神戸運輸監理部長からこころあたたまるスピーチをいただきました。
 このような式典は、通常行政が主体になって関係者のみの形式的な式典になりがちですが、地元の住民がこうして神戸の地まで足を運んで、こころからの感謝の気持ちを伝えたことに、深い感動を覚えたとお二人から言ってくださいました。
 主催者である本田卓自治会長が話されたように、航路は海の道であり、航路復活は地元の悲願でした。道がなければ人々の暮らしは成り立ちません。島で暮らす人々の夢が叶ったのです。
 ジャンボフェリー就航をきっかけにして、地元坂手は元気を取り戻しつつあります。「んごんごくらぶ」の誕生はその象徴です。坂手港では降り立つお客さまのおもてなしを自発的にしたりと、地域おこしに取り組み始めています。
 坂手自治会の一行は、式典のあと、三宮地下街で小豆島観光のキャンペーンをしました。今年の夏のイベントや来年の瀬戸内国際芸術祭を案内したチラシやオリーブクリームの入ったセット2000個があっという間になくなっていました。
 神戸は、私にとっても、あこがれで思い出深いところです。こどものころ毎夏のように、父と母に夏の甲子園に連れていってもらうのを楽しみにしていました。
 ちなみに、今年の夏は、小豆島高校野球部を応援に島民あげて甲子園にジャンボフェリーに乗って行きます。
 神戸港は、小豆島の子どもにとって、人生の玄関口です。私も18歳のとき、島を離れ降り立ったのは、神戸港でした。神戸港から私の第ニの人生は始まりました。
 神戸と小豆島を結ぶ航路の就航は、単にそれにとどまるのはなく、四国、九州につながり、アジア、世界につながっていきます。瀬戸内海、アジア、世界の玄関港である神戸港の復権につながっています。もちろん、小豆島にとって、海の道が神戸とつながり、元気になるチャンスをいただきました。私たちは、必ずこのチャンスを活かして元気になります。
 来年の瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海の復権、海の復権を人々がしっかり実感できるものになるでしょう。神戸と坂手を結ぶジャンボフェリー就航の意味は決して小さいものではありません。ジャンボフェリー(株)加藤琢ニ会長ほか関係の皆さんのご配慮に感謝します。(平成24年7月6日)

昨年就航したジャンボフェリー


神戸港でのジャンボフェリー就航1周年
記念式典、挨拶する本田自治会長


記念のくす玉割りがおこなわれました


加藤会長、「んごんごくらぶ」の皆さんと


三宮地下街でのキャンペーン

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第631回 環境省OB会


 環境省のOB会が東京であり参加しました。現役の皆さんだけでなく、一緒に仕事をした先輩、同僚、後輩に会えて感慨深いものがありました。
 私は、昭和50年に厚生省に入省したのですが、環境庁、厚生省、環境省で環境分野の仕事をたくさんし、どちらかと言えば、社会保障よりも環境政策のプロと自負していました。地方自治体での経験も北九州市に出向し、そこで環境分野の仕事をしました。
 環境分野の仕事は、好きで、熱中して、いろいろなことに取り組みました。
 若いころ、行政官になって3年目、4年目のころ、環境庁に連日にように泊り込んで熱中した仕事が、瀬戸内海環境保全特別措置法と水質総量規制の導入でした。
 この制度のおかげで、瀬戸内海の水質は、とてもきれいなものになりました。皮肉なことに、今は、富栄養化ではなく、貧栄養化が瀬戸内海の課題になっています。
 忘れられないのは、ダイオキシンと産業廃棄物の不法投棄で国中が大騒ぎになっている最中に厚生省の担当課長についたときのことです。その年は1年中休むことなく仕事をすることになりました。連日のように、新聞の一面を飾る記事が出ました。その都度緊張するだけでなく、記事を見るたびに、問題解決への意欲とやるぞという情熱が湧いてきたものです。そのとき、循環型社会形成基本法をはじめリサイクルや不法投棄防止のためのさまざまな法律ができました。
 環境省ができて廃棄物行政が環境省に移管されたので、私は環境省に移籍するように異動しました。環境省では、自然再生推進法の議員立法を手がけたり、豊島の産廃問題を解決する特別立法などにも取組みました。
 環境行政を担当することで、いろいろなことを学び、経験し、大勢の人を知ることができ、今の私の財産になっています。環境行政を担当するには、産業政策、国土交通政策、農業政策などにも通暁することが必要です。いろいろな省庁の人たちやいろいろな産業界 人たちとも接触し、協議、調整をすることが必要です。環境省もプロパーのスタッフだけでなく、各省からいろいろなスタッフが集まった混成部隊でした。そういうなかで、もまれながら、いろいろなことを習得していったのです。
 昨年の東日本大震災以後、環境省の役割はとても大きなものになろうとしています。がれき処理はもちろんのこと、原子力の安全規制まで環境省の仕事に加えられようとしています。原発事故の被災者の健康管理も、厚生労働省ではなく、環境省の仕事になるようです。
 環境省はかつては小さな官庁で、いつも大きな官庁になることを夢見ていたようなところがあったので、仕事が増えることはいいことのようですが、状況を見ると、手放しでそうとは言えないように思います。
 小豆島は、自然環境に恵まれていますが、実は、いろいろな環境問題もかかえています。人が住んでいる以上、小豆島にもごみ処理の課題があります。海は一見きれいですが、魚の種類も漁獲量も減っています。山も荒れなんとしています。エコ・アイランドを目指す取組みも必要です。こうした問題についても、少し余裕ができたら、取り組んでいこうと思います。(平成24年7月4日)

瀬戸内海の島々


のりの色づけ実験


豊島処分地


2010年の瀬戸内国際芸術祭
豊島で展示された作品


エコの取り組みに活用されている
「セグウェイ」

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第630回 オリーブの質の科学的根拠


 小豆島のオリーブは新鮮でおいしいと評判です。一方で、歴史のあるヨーロッパのオリーブに、生産量、種類、味の多彩さで敵うはずがないという意見もあります。
 ここ数年小豆島のオリーブが国際的な品評会に出品され金賞を受賞したりするなど高い評価を得、小豆島のオリーブの質の高さが立証されているのは嬉しい限りです。私は、それに満足することなく、内外のオリーブオイルの成分分析をしてもらい、小豆島のオリーブの質の高さを科学的根拠(エビデンス)に基づいて実証してもらいました。
 成分分析は、香川県産業技術センター発酵食品研究所の柴崎主席研究員にお願いしました。はじめての試みであり、まだまだ課題も多く、改善すべきところも少なくないのですが、小豆島産のオリーブの質の高さが実証できました。小豆島産は平成23年に収穫されたオイルを19本用い、外国産オイルは市場流通しているスペイン、イタリア、トルコ産など20本を用いました。滴定法、高速液体クロマトグラフィ法などにより、約1ケ月をかけて柴崎研究員が分析しました。

 私の素人的な直感は、おいしい・新鮮であるなどの嗜好的なことと、健康によい・体によいなどの科学的なことをごっちゃにするのではなく、オリーブは、用途に応じて、コストも考慮して、使い分けるべきだというものです。直感は、小豆島産は前者に優れ、後者に大きな違いはないというものです。
 したがって、料理でのオリーブの使い方も、炒め物、フライなどの利用は、どの国のオリーブを使っても変わりはあまりなく、生もの料理などの味付けにより、微妙な味わいが求められるときは、小豆島産のオリーブが相応しいというものです。
 発酵食品研究所の分析結果は、予想どおり、直感に沿ったものでした。以下は、その分析結果です。
 まず酸度です。酸度は、オリーブオイルの味わいや香りの良さにつながる果実の品質と採油工程の質を示す指標です。国際的な食品規格でもエキストラバージンオイルであるためには酸度が0.8%以下とされ、オリーブの品質のなかでも重視されている指標です。結果は、小豆島産が平均0.13%、外国産平均が0.34%でした。
 小豆島産が優れていた理由は次のとおりです。
①適切な整枝剪定やきめ細やかな栽培により、病害虫被害や傷果が少ないこと
②収穫方法が果実に優しい手摘みであることや傷果の除去等、果実の丁寧な選別がなされていること
③収穫から採油までの時間が短く、劣化防止につながっていること
④保存状態が良いこと
次は過酸化物価です。過酸化物価は鮮度の指標です。小豆島産オイルは、採油してからの時間の経過している外国産オイルより過酸化物価は低く新鮮でした。
ポリフェノールは、抗酸化作用があり、生活習慣病予防に効果的とされています。ポリフェノールは、小豆島産、外国産とも高い数値が示され、オリーブが健康に良いことが示されました。ポリフェノールの値は、品種、収穫時期、気候、栽培条件等の違いにより、ばらつきがあり、今後の検討課題です。どちらかと言えば、外国産の方が高かったようですが、これからオリーブの健康利用に当たってのポイントですので、今後の研究の進展が期待されます。
 トコフェ-ル(ビタミンE)は、ポリフェノールと同じく抗酸化作用があり、生活習慣病予防に効果的とされていますが、平均値のばらつきは少なく、総じて有意差はありませんでした。
 オレイン酸は、動脈硬化の防止に効能があるとされていますが、ともに数値は高く有意差がありませんでした。
 以上の分析結果はとても示唆的です。小豆島産のオリーブオイルの質の高さが科学的にもある程度立証されたように思います。これから用途、目的に応じた、オリーブの品種、収穫時期、栽培条件などの最適なものにできる研究を進めて、世界一質の良いオリーブの産地であり、かつ、オリーブを最も賢く、上手に、楽しく、広く、科学的に利用・活用している小豆島を目指していこうと思います。(平成24年7月1日)

香川県産業技術センター
発酵食品研究所の研究の様子


オリーブ採油風景


オリーブの病害虫被害防止作業


オリーブ収穫の様子


今年5月からは、学校給食で
使われる油がすべて
オリーブオイルになっています


オリーブオイルを使った健康料理教室では
いりこめしにオリーブオイルを入れて
調理されました

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第629回 オリーブ・オリーブ・オリーブ


 小豆島がオリーブの産地であることは神様のくれた恵みです。オリーブほど、私たちに可能性を与えてくれるものはなく、これからの小豆島の可能性は、オリーブを活かせるかどうかにかかっています。
 今年度から「オリーブで健康長寿の島づくり」を本格的に初めています。公民館などで、毎週のようにどこかで、オリーブを使った料理教室や研修会が開かれています。
 私の役割は、料理教室が終わるころに出かけていき、おいしいオリーブ料理を食べさせてもらうだけです。集まっている皆さんが、楽しそうに、わいわい、がやがや、やっているのを見ると、オリーブ料理が小豆島中のテーブルをにぎわす日も遠くないように思います。
 オリーブで健康長寿の島づくりこそ、究極の地域おこしであり、この国をもう一度元気にする道筋につながっています。オリーブをふんだんに食べることで、健康を実現し、医療費や介護費用を抑制することができます。この国の社会保障の論議では、「社会保障の課題克服の最高の答えは健康づくりにある」ことがすっかり忘れられています。
 料理教室などの集まりは、地域の人々のつながりを強くします。さまざまな地域活動の引き金にもなるでしょう。家庭や地域の縁、つながり、連帯、絆を強くすることが、この国に漂う不透明感を解消する上で、不可欠だと思います。オリーブの持つ平和や健康のイメージは、小豆島のブランド力を一層高めてくれるはずです。観光や地場産業にも好影響を与えるでしょう。
             
 そのオリーブが2年連続収穫量が減少しています。栽培面積は、昭和39年のピーク時を超え、順調に拡大しており、23年度末には約110haになっています。これからも栽培面積は拡大していきますが、22年はハマキムシ等の病害虫による被害、23年は台風と炭そ病被害により2年連続して収穫量が減少しています。収穫量は、21年200t、22年150t、230年120tです。
 オリーブは繊細な植物です。もともと地中海に育つ植物ですから、日本のように高温多雨の気象のもとでの生育にはいろいろな課題があるはずです。気象変動が激しいなか、これからいろいろな事態が想定されます。異常気象や新たな病害虫に的確に対応していけるオリーブ生育の研究体制の充実が不可欠です。ここは、香川県に頑張ってもらわなければなりません。そこで、香川県知事にオリーブの試験研究の充実などをお願いしました。
 小豆島のオリーブは香り、味わい、鮮度など、どれを見ても世界最高水準にあります。収穫高、コストでは、ヨーロッパなどに敵わないにしても、小豆島産のオリーブの収穫量を安定したものにし、増やしていかなければなりません。
 オリーブには無限の可能性があります。食用だけでなく、化粧品としても、機能性食品としても、医薬品として活用されています。オリーブ染め、オリーブそろばん、オリーブ人形、オリーブ冠などな、いろいろな応用もなされています。オリーブを飼料にしたオリーブはまち、オリーブ牛も人気を集めています。
 小豆島のオリーブを活かした島おこし、地域おこしに期待してください。(平成24年7月1日)

小豆島町の保健師、管理栄養士、
学校の養護教諭、栄養教諭を対象とした
「オリーブで健康長寿の島づくり」
伝道師研修会


熱心に質問する参加者


健康長寿の島づくり料理講習会
講習を受ける参加者


オリーブオイルで
ポテトフライを揚げる様子


食育の日のオリーブオイルを使った
健康料理教室

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第628回 小豆島町防災会議


 小豆島町の防災会議を開きました。自治会をはじめ、各分野の代表者、関係者に集まってもらいました。津波発生時の緊急避難所の見直しなどがテーマでした。災害が少ないと思われている小豆島も台風や集中豪雨の被害を度々経験しています。
 とりわけ昭和49年、昭和51年と連続して集中豪雨で大勢の人命を失いました。その後高潮の被害も経験しました。阪神淡路大震災、東日本大震災の被害は決して他人事ではないのです。
 東海、東南海、南海の3つの連動した大地震は、起こる可能性があるのではなく、必ず起きる、いつ起きるかの問題だと言われています。阪神淡路大震災が起こる直前、専門家の間では、神戸で大地震が起きる可能性は極めて低いとされていました。しかし、大地震は起きました。小豆島では大地震は起きないだろうと思いがちですが、大地震は必ず起きる、そのために万全の準備をしなければならない、起きたとき災害を極力小さなものにしなければなりません。
 会議では、高松地方気象台の課長からの津波警報の見直し、神懸通自治消防団の要援護者支援の取組み、北地地区自治会の自主防災の取組み、岩手県大槌町派遣職員の報告など、盛りだくさんの内容でした。それぞれ大変参考になり、示唆に富んでいました。
 気象庁は、これまで津波予測は数値で行っていました。東日本大震災で、気象庁の津波予測の数値が、数百年に1回という大津波に対応できず、過少であったことが避難を遅らせ、大被害の要因になりました。新しい予測は、第一報の迅速性を確保し、安全サイドに立った警報とすることとし、数値ではなく、「巨大な津波」「高い津波」という表現になりました。つまり、「強い揺れを感じたら自らの判断で逃げる」ということです。
 神懸通自治消防団では、各分団(小地区)ごとに独居高齢者(60歳以上)を対象に調査をし、要援護者ごとに担当者を決めています。要援護者については、民生委員とも相談して随時見直しています。いざというとき、頼りになるには、近隣の地域の助け合いです。共助です。地域社会が普段から固い絆でつながっていることが災害を小さくします。
 北地地区自治会では、平成17年に自主的な防災会を設立しました。防災部、衛生部、給食・給水部、救出・避難部、消火部の専門部を設け、通報・連絡(避難・安全確認)組織を立ち上げました。
 発電機、防災ヘルメットなど防災資機材を倉庫に備え、AEDも設置しました。地区内に何箇所も消火栓を設置し、定期点検を怠りません。避難訓練なども定期的に行っています。部会ごとに毎年事業計画を立て見直しています。ハザードマップを作り回覧板などで地区住民に告知しています。津波避難路を夜間を含め地区住民に徹底しています。
 7時間雨量180mmを超えると島の土石流が発生しやすいことを知ると、気象情報を待つのではなく、リアルに実際雨量を知るために雨量計を製作しました。緊急時の一斉情報ネットワークも作りました。炊き出し訓練も、なぜ毎年と言いつつ、作業時間、作業性、美味しさ等を求め進化しています。農業や素麺づくりが盛んなこの地区では、昼間も若者が多く、パソコンの操作を出来る人も多く、容易に入力・検索しやすく、目的別に処理できるよう情報をデータベース化しています。
 都会で運送ネットワークの仕事をしてUターンした木村正徳さんが、その経験も活かし、中心になって、この見事な自主防災組織を運営しています。
 大槌町に派遣された職員の報告も印象的でした。それは、行政のトップや行政の機能が災害発生時に維持され、発揮されることの重要性です。大槌町では、町のトップと災害担当課の職員のすべての命が失われました。災害の復旧、復興には、トップと行政スタッフが存在し、機能しなければ、復旧、復興は大きな支障をきたします。日々の姿勢、準備、心構え、緊急時における対応、リーダシップのあり方など、深く自戒しなければなりません。(平成24年7月3日)

防災会議の様子


高松地方気象台防災業課長
見定さんの講演


大槌町派遣職員の報告


昭和49年の災害


昭和51年の災害


昨年の防災訓練


炊き出し訓練の様子

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第627回 小豆島観光ボランティアガイドクラブ


 小豆島観光ボランティアガイドクラブの総会と懇親会に参加しました。小豆島には、寒霞渓(かんかけい)、オリーブ公園、二十四の瞳映画村などの観光地があります。このクラブのメンバーは、もう10年以上にもわたり、ボランティアで観光客のガイドをしています。嬉しいことに、会のメンバーには、小豆島町だけでなく、土庄(とのしょう)町の人も参加されています。
 23年度の事業報告を聞いていておもしろいと思ったのは、意外にもガイドの対象人数が一番多かったのが星が城だということです。
 星が城は海抜817メートルの山です。瀬戸内海の島々のなかでの最高峰です。ここに、南北朝時代に勢力争いに敗れた佐々木信胤がこもり山城を建てました。
 星が城には、城址、土塁、人口井戸などの遺跡が残されていますが、観光地化されているわけではないのに、多くの方がここを訪れていることを知って感慨深いものがあります。
 というのは、小豆島の観光にとって本質的なものは何かということにかかわっているからです。小豆島観光の究極の魅力は、小豆島の自然の成り立ちや歴史や文化に深くかかわるものにこそあると思うからです。大勢の方が訪れるにぎやかなスポットも大切ですが、一人や少人数で静かに訪れるところにこそ本物の魅力があると思うからです。
 会では、新たに、二十四の瞳映画村で、紙芝居「二十四の瞳」の披露を始めています。この紙芝居は、小豆島出身で大阪府在住の町田忠次さんが始めたものですが、今年のゴールデンウイークでは、延べ19人のガイドが46回公演し、1,357人の方が紙芝居を堪能されました。
 会のメンバーの皆さんが、これからの会のあり方について、活発に論議されているのを聞き、頼もしく感じました。ガイドの心構えなどの基礎研修、主要活動権場所の研修など、ガイド技術のスキルアップを常に図っていることにも頭が下がります。
 もちろん課題もたくさんあります。例えばガイドの高齢化、人員確保の難しさです。役場職員OBの積極的参加の必要性も提案されました。小豆島の観光を伸ばしていき、観光客の皆さんに小豆島を楽しんでもらうために、これからいろいろ取り組んでいかなければなりません。(平成24年7月3日)

寒霞渓のガイドの様子


二十四の瞳映画村での紙芝居



オリーブ公園でのガイドの様子



草壁港でのガイドの様子

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第626回 小豆島高校野球部激励会


 いよいよ高校野球の夏がやってきました。香川大会は11日から開催です。我が小豆島高校は、史上初の第一シード、1回戦は13日、相手は石田高校です。
 今日は、浜本部長、杉吉監督以下の選手、父兄らが集まっての激励会がありました。浜本部長、杉吉監督、選手一人ひとりが決意を述べました。選手のスピーチが自信に満ちていて、積極的で、大会が待ちきれないようで、よくぞここまで成長したものだと感心しました。
 スピーチをそのまま紹介できるといいのですが、以下はそのさわりです。レギュラーのみです。補欠の選手のスピーチも自信にあふれ素晴らしいものでした。

浜本部長
昨夜のミーティングで大会までにできることを選手に具体的にあげてもらうと、そのなかに「感謝」というのがあった。昨年のチームがあって今のチームがある。選手の夢を叶えるだけでなく、みんなの夢を叶える。みんなの夢を叶えることを請け負うことほど幸せなことはない。シード1位になると常に1塁側ベンチになる。秋の大会のサヨナラ負けも1塁側、春の大会のサヨナラ勝ちも1塁側。1塁側ベンチで選手が活躍し、優勝するイメージを描いている。レクザム球場は9度も戦ったホームグランド。Enjoy Baseball.

杉吉監督
時代は変わる。高校野球も変わる。小高野球部がそれだ。昨年の果敢なホームスチールはその代表。昨年のチームがあって今のチームがある。今年のチームは個性的で、言うことを聞かない。勝手にSuper aggressive  baseballとか Ultimate aggressive baseball とか名づける。昨年の夏は力不足だった。あの悔しい思いがある。先輩の苦労、伝統を背負うことは幸せだ。プレッシャーを味わうことは幸せだ。冒険を楽しもう。監督としてやり残したことはない。

⑧土居優馬
歴代主将のなかで一番小さく、一番積極的。初球を打ってすさまじいセンター前ヒット、次の打者の1球目にスチールをする。メガネがトレードマーク。甲子園で「メガネのミキ」をPRする。
⑥赤沢慎吾
香川大会を圧倒的に制覇し、甲子園で優勝する。全国制覇のショートに相応しい力をつけた。日本一を楽しみたい。
⑦金屋雅治
人生のヒットの数は限られているという。春の大会では、あまり打てなかったので、この夏は必ず結果を出す。
①長町泰地
常に挑戦者でありたい。夏は3度目のマウンド。全試合完封する。
③三木敦史
春は優勝投手になった。夏も優勝投手になりたい。甲子園で四国大会で負けた高知高校に勝ちたい。
⑨塩田薫
3回目の夏。3年生として全試合ホームランを打つ。必ず優勝する。
⑤阪倉都志也
思いっ切りフルスイングする。守備ではボールを着実にとり、矢のような球を正確に投げる。活躍に期待してほしい。
②植松弘樹
丸亀の三好に負けない香川一のキャッチャーになる。必ず甲子園に行く。打率は7割5分、盗塁はすべて刺す。
④角井亮介
緊張を楽しみたい。2年生としてしっかり頑張る。チームに貢献したい。

 勝利の女神は、積極さと笑顔が好きです。小豆島高校野球部のモットーであるアグレッシブ・べースボールとエンジョイ・べースボールそのものです。きっと勝利の女神は、小豆島高校野球部に微笑んでくれるはずです。
 選手の皆さんの夢でもあり、すべての小豆島の島民の夢である甲子園出場を、一生懸命頑張り、みんなで叶えましょう。(平成24年7月1日)

激励会の様子


杉吉監督と選手の皆さん


浜本部長のスピーチ


杉吉監督のスピーチ


選手・マネージャーの皆さんもそれぞれの
抱負・目標などを述べました


激励会の最後に
チームの抱負を述べる土居主将


会場に駆け付けた保護者の皆さん

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