町長の「八日目の蝉」記(平成25年4月分)

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。また、今度映画化されることになりました。平成23年4月29日公開の全国ロードショーです。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

映画「八日目の蝉」パンフレット
映画「八日目の蝉」
2011年4月29日全国ロードショー

映画「八日目の蝉」の撮影風景
映画「八日目の蝉」撮影風景

映画「八日目の蝉」撮影風景

映画「八日目の蝉」撮影風景

映画「八日目の蝉」撮影風景


(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会 2011年4月29日全国ロードショー
 

第934回 小豆島ジオサイト探訪現地下見


 いつも小豆島の景色を見ながら、こんなに地形や地質が変化に富み、海と山のいろいろな美しさが見られるところは、世界でもそうはないだろうと思います。
 その美しさが景観上だけではなく、学術的にも世界的価値があることを知ったのは、最近のことです。それらのスポットを今度一度に、しかも世界的な学者と一緒に、大勢の皆さんに探訪してもらおうと計画しています。今年10月5日、6日に、瀬戸内国際芸術祭の一環として開催される「小豆島石の魅力創造シンポジウム・ジオサイト探訪」です。
 今日はその現地下見です。集まったメンバーは、世界のマグマ学者神戸大学巽好幸教授、讃岐ジオパーク構想を提言し、行動する香川大学長谷川修一教授、そして高知大学横山俊治教授、公益財団法人深田地質研究所藤田勝代研究員です。
 巽先生と長谷川先生とは何度もお会いしていますが、横山先生、藤田さんとは初めてお会いしました。お二人は、高知大学での師弟関係です。お二人とも何度も小豆島に訪れて、私以上に小豆島の地形や地質に詳しいことに驚かされました。また、鉄道を利用しながら、沿線に広がる地質・地形を気楽に楽しむ旅「ジオ鉄の旅」を提唱、実践されていると聞き、興味をひかれました。小豆島に鉄道が走っていたら、直ちに仲間入りというところですが、小豆島はさしずめ「ジオ船の旅」です。
 小豆島は、世界的なジオサイトが満載ですが、巽先生によると三都(みと)半島皇子神社あたりが一押しです。皇子神社の波打ち際の岩肌は、マグマがそのまま地表に噴き出してできた安山岩で、マグマ研究上世界的に重要なポイントになっているそうです。巽先生は、京都大学4年生のとき、半年ほど三都半島に滞在し、三都半島を隈なく歩き、これらの世界的なジオサイトを見出しました。
 寒霞渓(かんかけい)は、1300万年から1500万年前に噴出した瀬戸内火山岩類が、1000万年以上の侵食を受けて出来あがったものだそうです。途方もない時間です。山頂の四方指(しほうざし)から寒霞渓を見下ろしながら、あのあたりに噴火口があったなどと巽先生が話すのを聞くと、現世の些事を忘れ、気宇壮大な気分になります。
 天狗岩丁場などの石切丁場とそこから切り出された石がどうようにして海をわたり、大坂城の城石として積みあがられたか、同志社大学文化遺産情報科学研究センターの津村宏臣准教授を中心とするメンバーが世界遺産登録を目指して、海中遺溝調査などを進めています。これらのサイトも探訪の目玉のひとつです。
 とにかく皆さんのお話を聞いていると、学問として楽しいだけでなく、気持ちがわくわくしてきます。例えば、なぜ小豆島で醤油づくりが盛んになったかと言えば、花崗岩がこまかに砕かれた砂浜があったから、中山の棚田ができたのは1万前の地すべりが起源、中腹に湧水ができ、地質の粘土が高く、保水性が良く、水田に適しているからなど、おもしろくて、興味深い話が次から次に飛び出してきます。
 厳しい指摘もいただきました。これほど小豆島の石が学術的に価値が高く、関心をもたれているにもかかわらず、今日訪れた四方指の国土地理院の観測点記念碑の石や壺井栄さんの好きな言葉を刻んだおみやげの石が中国産なのだそうです。早速改めなければと思います。
 神様が、小豆島にいろいろな宝物をおいていっていただいたことに感謝します。そして、このように素晴らしい皆さんが、地元に住む人たちが、知らぬ間に、小豆島の宝物を見つけ、研究し、発信していただいていることに感謝します。私たちも負けないよう、小豆島の宝物を守り、磨いて、世界に発信できるようにしたいと思います。(平成25年4月29日)


地形や地質が変化に富む
皇子神社の社叢


ジオサイトを下見する先生方


「ジオ鉄の旅」パンフレット


地表に噴き出した安山岩


寒霞渓の噴火口を説明する巽先生


同志社大学が進める海中遺構調査


花崗岩が風化してできた砂浜

一万年前の地すべりが起源となった
中山の棚田

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第933回 私の肖像画


 私はこどものころの写真を持っていません。私が大学生であった昭和49年の豪雨災害で、実家が床上浸水し、実家の離れの私の部屋に置いてあった写真がすべて水に浸ってしまったからです。
 何年か前に、近所に住んでいた親戚の人が所持する写真を焼き増しして数枚の写真をくれました。そのうちの1枚は、私が小学校1年生のころ撮られたものです。家のそばの真光寺の境内にある大きな石の上に、近所の年上のこどもたちと兄たちと一緒に写ったものです。
 何故、こどものころの写真のことを話題にするかと言えば、瀬戸内国際芸術祭の「醤(ひしお)の郷・坂手港プロジェクト」で、江戸時代創業の老舗のお醤油屋である左海醤油の倉庫において、作品展示・制作をしているアーティストの加茂昴さんから、こどものころの写真を持ってきてくださいと言われ、実家にあるたった1枚のこの写真のことを思い出したからです。
 加茂さんは、まだお若いアーティストですが、展示された作品を拝見すると確かな問題意識と確かな表現力をお持ちのアーティストだと感じます。  作品は、雪山の尾根を歩く二人の登山家であったり、東京の高層ビル群の夜景であったり、3・11の大震災後の廃墟であったり、人物画であったりしますが、忠実な写実画のようで、実はそうではなく、そこに深い意味が込められているように感じます。
 作風とは異なり、実際の加茂さんが、物静かで、謙虚な人柄の方なのに驚かされます。その加茂さんから肖像画のモデルを薦められ、折角の機会なので快諾しました。
 仕事の合間をぬって、左海醤油倉庫のアトリエを時折訪ねては、雑談をしながら肖像画を描いていただきました。肖像画は、まだ3合目か4合目、残りは東京に戻って描かれるそうです。
 こどものころの写真を持ってきてくださいというのは、単なる現在の肖像ではなく、そこに、こどものころの何かを重ね合わせることで、ひとりの人間の生き様、出来上がった肖像を、加茂さん独自のかたちで表現されるのでしょうか。
 1ヶ月にも及んだ加茂さんの小豆島滞在最後の日、二人で真光寺の石を見に行きました。写真では大きく見えた石が意外に小さいのに驚きました。
 小学校1年生の私の写真。引っ込み思案で、いつも年上のみんなの後をおいかけている暗い感じの少年のはずが、写真では満面の笑みで、腕を組み、年上の誰よりも、偉そうにしています。
 あれから50年以上もたって、石の上で、あのころと同じポーズをして、加茂さんに写真を撮ってもらいました。さて、どんな肖像画が完成するか、楽しみですね。加茂さんには、瀬戸内国際芸術祭が飛躍の一助になればと思います。そして何度も、これから小豆島を訪れてほしいと思います。(平成25年4月29日)


左海醤油の倉庫


左海醤油の倉庫で展開中の
加茂昴さん、織咲誠さんの作品
「醤油倉庫レジデンスプロジェクト」


小学校1年生の私の写真


満面の笑みで、腕を組んでいます


あのころと同じポーズをして、
加茂さんに写真を撮ってもらいました

先日は、谷町議会議員の肖像画を
描かれていました

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第932回 瀬戸の花嫁


 近所の若者の結婚披露宴に出席しました。小豆島に戻って3年になりますが、初めて出席した結婚披露宴です。
 都会以上に小豆島では若者の晩婚化・非婚化が進んでいます。若者の絶対数が減って、出会いの機会がなかなか得られないという事情もありますが、最大の課題は、若者の結婚観の変化、意識の変化でしょう。
 結婚するかどうかは個人の問題であり、自然に任せておいてよいかと言えば、決してそれではいけないと思います。
 なぜなら、小豆島について言えば、人口がこのまま減り続けていけば、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、地域の絆を守っていくことができなくなると考えられるからです。
 人は何のために生きるのでしょうか。家族や地域をわずらわしいと感じることもあるでしょうが、大勢の人は、家族や地域との関わりのなかで、生きる喜び、生きた満足を感じることができるのだと、平凡ながら思います。
 今日のカップルは、いろいろな意味で、素敵(ナイス)なカップルでした。とりわけ人口減少に苦しむ小豆島にとっては、こんなカップルがもっと増えるといいなと思う素敵(ナイス)なカップルでした。
 新郎は、醤(ひしお)の郷の馬木で生まれ育ち、都会の大学を卒業して、島に戻り、島の地場産業である佃煮企業に勤める若者です。新婦は、都会の生まれ育ちで、都会で保育士として活躍中、結婚後は、小豆島の保育園で活躍予定です。
 都会の大学で学んだあと、地場産業の担い手として期待される新郎と、人口減に悩む小豆島に、都会からやってくる、子育ての専門家の新婦のカップル、小豆島にとって、これ以上にめでたく、望まれるカップルはありません。
 お二人の人となりを先輩や同僚の皆さんのスピーチを聞いて、お二人が、ともに素直で、真面目で、ひたむきな方々であることを知りました。とりわけ新婦が、亡くなったお母さんのこと、お父さんをはじめ家族の皆さんのことをお話されるのを聞き、お一人で小豆島に来ていただくことを心から感謝し、幸あれと思いました。
 どうしたら島の若者たちが結婚する機会を得られるか、いろいろ工夫しています。若者たちの企画による「きっかけつくり隊」の取り組みや昔の仲人の復活の取組みをしています。まだ具体的な成果はありませんが、地道に取り組んでいるうちに、やがて成果も出てくるだろうと期待しています。(平成25年4月28日)

おいしい佃煮を作る


お遊戯楽しいよ


きっかけつくり隊のカヤック編


Let's Marriage 応縁隊の船上パーティー

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第931回 “小豆島まだ春会期”


 瀬戸内国際芸術祭には会期があります。春、夏、秋の三会期です。会期を分けたことについて、アーティストの準備の都合や訪れる皆さんの便宜などを考慮したもので、概ね好評だと聞いています。
 私は、芸術祭の意義は、アート作品を楽しんでもらうことにもありますが、アートをきっかけにして、小豆島の魅力を発見し、磨き、発信し、小豆島に住む人たちが自信を取り戻し、小豆島を訪れる人たちには、小豆島に何度も訪れていただき、人によっては小豆島に移住していただくような、「関係」をつくることが、芸術祭の意義であると考えています。
 芸術祭の意義をこのように考えると、芸術祭に会期はありません。芸術祭は、小豆島が元気になっていくまで続き、その後も続いていくものなのです。
 イベントとしての区切りの会期は必要なことですので、芸術祭の会期の考え方は尊重しつつ、小豆島では、会期外についてもできるだけアート作品も観ていただき、小豆島の魅力も大勢の方々に楽しんでいただき、私たちも魅力を磨く努力を続けたいと考えています。
 つまり春会期が終わる4月22日から夏会期が始まる7月19日までの間も、小豆島では、引き続き、アート作品を楽しんでいただきたいと願っています。
 夏の会期が始まる7月20日からは、福田地区の福武ハウス、馬木のUMAKI CAMPなども登場し、小豆島の芸術祭はさらに盛り上がっていきます。
 小豆島は、芸術祭をきっかけに元気を取り戻し、人と人の関係、人と地域の関係の新しいあり方をつくる取組みに貢献したいと考えています。(平成25年4月28日)


役場の内海庁舎にかけられている
「二度目の小豆島には、「ただいま」
と言いたくなる。観光から関係へ」
という懸垂幕


旧JA坂手出張所を改修した
『Creator In Residence 「ei」』では、
クリエーターと地元の皆さんが
一緒に制作を行うなど、様々な取り組み
が行われています


「福武ハウス」が展開予定の旧福田小学校


夏に向けて準備が進んでいる
「UMAKI CAMP」

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第930回 醤の郷に押し寄せる「第三の波」


 連休前半初日、東京での総理大臣表彰式を終え、神戸発の夜行のジャンボフェリーで小豆島に向かいました。
 高松で坂手港に向かう高速艇「バルカソラーレ(太陽の船)」の初めての便に乗り換えました。この高速艇は、芸術祭の期間中の休日などに坂手港と直島を結んでいますが、今度高松とも結ばれました。
 早朝の瀬戸内の海がキラキラ輝いています。坂手港の老舗喫茶店「白鳥」の復活プロジェクトを進めている香川大学の古川先生と学生たちも乗り込んできました。坂手港に着くと、地元の「んごんごクラブ」の皆さんが歓迎してくれました。
 小豆島に戻ると、苗羽(のうま)地区で「醤(ひしお)の郷まつり」が行われていました。この地区には、お醤油屋さん、佃煮屋さんなど集中しています。3年前、商工会が 中心になって、地域おこしの一環として、醤の郷まつりを始めました。
 挨拶で、次のようなことを申し上げました。小豆島の醤油づくりは、400年前に醤油づくりを始めたころを「第一の波」、110年前に醤油醸造研究所をつくったころを「第二の波」とすれば、今、「第三の波」が押し寄せようとしているのではないかと。
 「第三の波」とは、瀬戸内国際芸術祭をきっかけにして、小豆島の魅力と可能性が再認識され、小豆島の醤油づくりが一段レベルアップするのではないかという、期待です。
 その背景は、芸術祭などによって小豆島のブランド・イメージが一層アップしていること、伝統の木桶醤油が再評価されつつあること、酵母菌などによる発酵技術の科学的な評価と向上が始まっていること、小豆島では、芸術祭を契機としてデザイナー、クリエイターなどとの提携が具体化していくこと、食生活に内食化、和食回帰の兆しが見られること、日本食の海外普及が期待されることなどです。これらを「第三の波」と捉えて、活かすことができれば、小豆島の醤油づくりは、世の脚光を浴びるのではないかと思います。
 夜は、旧醤油会館で、8万個の醤油たれ瓶で、アーティスト顔負けの光のグラデーション作品を、中心になって、見事につくりあげた地元馬木のひしお会のメンバーとスタジオLとの慰労会がありました。
 芸術祭で盛りあがった息吹きを、地域おこしとして、持続し、発展させていかねばなりません。芸術祭の会期の終わりごろに、小豆島の醤油づくりの未来について、それぞれの立場から語り合い、展望するシンポジウムを、芸術祭の締めくくりとして、旧醤油会館でやろうと計画中です。(平成25年4月27日)

バルカソラーレ


醤の郷まつり開会セレモニー


発酵食品研究所会場
昆布の成分で「人工いくら」作成


醤油の味体験


マルキン会場、マグロの解体ショー


京宝亭会場、つきたてのお餅を
様々な醤油で試食


ポケットパーク会場の様子


一徳庵会場の様子


サンコウフーズ会場の様子


ベイリゾートホテル会場の様子

旧醤油会館のグラデーション作品

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第929回 緑の内閣総理大臣表彰受賞


  「緑の日」の記念事業として、小豆島町が全国の自治体でただ一箇所、緑化推進功労者・団体として内閣総理大臣表彰を受けました。
 予想もしなかった朗報であり、故坂下一朗前小豆島町長をはじめとする町民の皆さんの努力が評価されたもので、誇りに思います。元気を取り戻しつつある小豆島町を一層元気づけてくれそうです。
 評価されたのは学校や遊休地でのオリーブの植栽と花いっぱい運動です。3年前、小豆島に戻ったときに感じたことは、オリーブの木があちこちに植栽され増えたという実感と道路わきに植えられた花々の美しさでした。今回の内閣総理大臣表彰は、運がよかったからではなく、間違いなくこれまでの町民の皆さんの努力が、国によって評価されたものです。
 表彰式は東京憲政記念館で行われました。なんと天皇陛下(残念ながら美智子皇后陛下は体調不良でご欠席でした)のご臨席のもと、衆参議長、最高裁長官、4人の国務大臣が出席のもと内閣総理大臣賞をいただくという栄えある舞台でした。
 しかも天皇陛下とお話しできる機会をいただきました。陛下には、平成16年の小豆島行幸へのお礼と、昭和天皇直播きのオリーブの木が毎年実をたわわにつけていること、中山棚田でのアマガエルの微笑ましいエピソードが今も中山地区で話題になっていること、また小豆島におこしいただきたいことなどをお話しました。陛下は、行幸時のことを思い出されてか微笑まれ、美智子皇后陛下も症状は回復されておられることなどをお話いただきました。
 安倍晋三総理には、霞ヶ関で働いていたとき、何かと頼りにし、面倒をみていただきました。親しく声をかけていただき、同じ成蹊大学に通っていた私の娘のことまで覚えていただいていました。小豆島で、私が取り組んでいる地域、コミュニティを基本にする福祉づくりのほんのさわりを、時間のないなか、お話できました。いつか、きちんとした成果をお話できるようになればと思います。
 伊吹衆議院議長、平田参議院議長は、経歴などは、大いに異なる政治家ですが、私が本当に助けてもらい、行政官としてのあり方を教えていただいた政治家です。このようなかたちで再会できたことを嬉しく思います。
 霞ヶ関時代にお付き合いのあった、各省のたくさんの行政官の皆さんにも、今回思いがけなく再会でき、話がはずみました。
 オリーブといろいろな花が、小豆島にも、私にも、「幸せ」を贈ってくれました。「小豆島が元気になっていくよう、もっともっと頑張れ」と神様が言ってくれているようです。(平成25年4月26日)


緑化推進功労者内閣総理大臣表彰
式典の様子


遊休地でのオリーブの植栽


花いっぱい運動の様子


記念の表彰状


記念の盾

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第928回 水の神様


 姉妹都市の大阪府茨木市の竜王山の麓にある水の神様を祀る八大竜王宮に、東京出張の途中立ち寄りました。
 日本は農耕の国です。とりわけ稲作を基本としています。稲作に水は不可欠ですが、旱魃に見舞われることもあります。
 一方、豪雨となれば、山頂から、まるで竜が暴れるように水が流れ落ちて、大きな被害をもたらします。
 そこで、人々は水の神様を祀り、雨乞いをしたり、安全祈願をしてきました。小豆島にも、洞雲山や坂手沖の児島など、水の神様を祀る小さな祠があります。
 瀬戸内国際芸術祭が開かれていますが、小豆島の坂手地区に、ビートたけしさんとヤノベケンジさんの共同作品「ANGER from the Bottom」が展示されています。
 この作品は、人々が見向きもしなくなった古井戸から水の神様が怒って、地上に顔を出している様子をイメージしたものです。
 水道がまだない時代、人々は井戸のまわりに集まり、井戸端会議を行い、絆をつなぎながら、井戸の水を大切に分け合ってきました。しかし、文明が進歩し、水道ができ、ミネラルウォーターなるものまでが売られる時代になった今、人々は、大切なものをどこかに置き去りにしてしまいました。この作品は、ビートたけしさん流の現代文明批判です。
 この作品を巡って、ヤノベケンジさんや地元坂手地区の人たちと、わいわいがやがや言っているうちに、水の神様の怒りを鎮めなければいけないのではないかという話になりました。
 そして、水の神様の怒りを鎮め、私たちが、水をこれから大切にし、水害から免れられるよう、水の神様に祈る、何らかの取組みをしたらどうかというところまで、話が盛り上がってきています。
 その話を、先日、茨木市出身のヤノベケンジさんと木本茨木市長を訪問したとき、冗談話として、お話ししたら、茨木市に立派な八大竜王宮があると、木本市長が言われたのです。そこで早速、八大竜王宮を訪ねたというのが、今日の訪問です。
 茨木市は、都市部でありながら、ちょっと奥にいくと、緑豊かな山々と里地、里山が広がっています。その森のなかに八大竜王宮はありました。元来湧き水でできた池のなかに竜王が住んでいると伝えられているそうです。なんと「竜の骨」と称されるものも見せて いただきました。
 ビートたけしさんとヤノベケンジさんの小豆島への素晴らしいプレゼントへのお礼の意味も込めて、水を大切にし、水害がないようにとの私たちの願いが、水の神様に届くには、どうしたらいいか、思案中のこのごろです。(平成25年4月25日)

ビートたけしさんとヤノベケンジさんの
共同作品「ANGER from the Bottom」


茨木市宝池寺の八大竜王宮


住職に八大竜王宮の由来を
教えていただきました


宝池寺住職、河合玄明さんと

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第927回 内海ダム竣功式


 内海(うちのみ)ダムの竣功式が行われました。生憎の雨でしたが、ダムの役割からすると幸先がよいと言えるかもしれません。あるいは、新しいダムの建設に尽力された皆さんの嬉し涙かもしれません。
 小豆島は、背後に急峻な山岳があって、すぐ前が海という特異な自然条件にあることから、一旦大雨が降ると川が氾濫し、大きな被害を出してきました。
 とりわけ昭和49年と昭和51年、連続して豪雨によってたくさんの人命を失ってしまいました。
 一方、瀬戸内海気候であるため少雨で、渇水を度々経験しています。私が小学生のころ、断水のたび井戸水を水筒に入れて学校に通ったものです。
 私は、18歳から島を離れ、都会に出ました。そのときから、毎週日曜日に必ず両親に電話をしていました。その第一声は、いつも「雨降っじょんか」でした。
 戦後間もないころにできた内海ダムは、狭小であるばかりか、コンクリートでもなく、脆弱なダムでした。そこで地元を中心に新しいダムを建設しようとする動きが始まりました。
 予備調査が始まったのは昭和59年度ですから、あれから30年の年月を要して、今日、ついに新しい内海ダムが竣功しました。これにより小豆島の治水と利水の課題が相当程度解決できます。ここまでに尽力された皆さんに心から感謝を申し上げたいと思います。
 今、瀬戸内国際芸術祭が開催されています。小豆島に大勢の皆さんが訪れてくれています。アートだけでなく、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆などが評価されています。
 この小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆を守っていくためには、そこに住む人たちが安心して暮らせることが前提になります。
 内海ダムは、まさにそこに住む人たちが安心して暮らせるために必要なものだと私は思います。内海ダムを活かして、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆を守っていこうと思います。(平成25年4月24日)


竣功式の様子


記念のくす玉開披


記念碑除幕の様子


記念植樹の様子


記念のテープカット



地元草壁の太鼓台の先導で
通り初めが行われました


完成した新内海ダム

当日のチラシ

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第926回 THINK LOCALLY ACT LOCALLY


 今の時代、先行きが不透明になっていると思います。目指すべき道がいくつにも分かれていて、どの道を選んだらいいのか意見が分かれ、どの道を選べばどこにいけるのかすら不透明です。
 こんなとき、どんな選択をしていいのか迷うのですが、私は、足元をしっかり見つめ、確かだと思うことを一番大切にすることだと思います。
 足元とは、家族であり、生まれ、育ち、暮らす地域社会であり、確かだと思うこととは、何世代にも渡って継承されてきた自然、文化、伝統、産業、暮らしの作法、人と人の絆などだと思います。
 「THINK GLOBALLY ACT LOCALLY」という言葉があります。「地球規模で考えて、足元から行動する」という意味です。環境問題を考える視点から出た言葉ですが、ビジネスの分野などでもよく言われています。その通りだとも思いますが、私にはぴんと響かないところがあります。
 逆に、「THINK LOCALLY ACT GLOBALLY」の方がぴんと響くかもしれません。「ローカルに考えて、世界を相手にする」という意味です。
 この百年ほど、日本は、地方から人材が都会へと流れることにより、経済的に発展し、世界でも有数の先進国となり、坂の上に辿り着くことができました。
 それは素晴らしいことでした。しかし、坂の上に立ったとき、その先に何が見えたでしょうか。これから坂を下っていきます。どうしたら上手に坂を下っていくことができるのでしょうか。坂を下って目指す先はどこでしょうか。
 足元をしっかりと見て下りないと、ころんだりして危険です。足元をしっかり見ると、そこに今まで気づかなかったものがたくさんあることに気づかされます。
 地方、地域が元気を取り戻すことが、不透明感を払拭するすべての鍵だと、私は考えています。瀬戸内国際芸術祭の小豆島での意義はどこにあるのかと聞かれれば、私は、「今まで気づかずにいた、あるいは忘れようとしていた地域の宝物、大切なものを、アーティスト、クリエイターらとそこに住む人たちが一緒になって、見つけ、カタチにしていくこと」と答えます。
 アーティスト、クリエイターらがカタチにするものは、絵画であったり、モニュメントであったり、家であったり、家具であったり、食であったり、音であったり、いろいろです。地域に住む人たちと訪れる人たちとの交流というカタチもあります。
 小豆島の芸術祭では、「観光から関係へ」をテーマに掲げています。ただ一度、小豆島を訪れて名所を観てもらうだけでなく、何度も訪れてもらい、人と人が出会うことで生まれる「関係」にこそ、真の豊かさへのヒントがある、という思いを込めたものです。
 私は、行政という仕事の職人です。アーティストやクリエイターなどのような創造的な仕事はできませんが、小豆島の宝物を次々とカタチにしてくれる、小豆島での彼らの仕事ぶりに大いなる刺激を受けています。彼らが作るカタチに負けないよう、社会の仕組みというカタチを作ろうと思っています。
 まずは、「THINK LOCALLY ACT LOCALLY」に徹してみようと思います。(平成25年4月23日)
瀬戸内国際芸術祭、クリエイターと
地元の皆さんが一緒に行っている取り組み

坂手の「Creator In Residence[ei]」
クリエイターと小豆島高校生が
一緒に作品を制作


醤の郷、「graf」の福田の石切丁場の石を
使った「石割ブローチワークショップ」


醤の郷、「graf」の地元の食材や、郷土料理
のお弁当を振る舞う「お弁当の会」


醤の郷、たくさんの町民の皆さんが
制作に参加した
「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」


醤の郷、地域にある食材を集めて食を
提供したり、地域の昔話などをラジオで
流したりする予定の「Umaki Camp」

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第925回 山吉邸お弁当の会


 瀬戸内国際芸術祭の醤(ひしお)の郷・坂手港プロジェクトの会場のひとつである馬木の山吉邸で「お弁当の会」が開かれました。
 関西を中心に活躍するクリエイター集団である「graf」のメンバーが、地元の皆さんの協力を得て、地元の食材や、郷土料理など、小豆島をぎゅっと詰め込んだお弁当を作り、訪れた皆さんに振る舞いました。
 このお弁当の会、とりたてて何でもない催しに見えて、実は、これから私たちが目指さなければならないものが、ぎゅっと詰まっています。
 お弁当の食材は、「graf」のメンバーが島中を巡り、島の皆さんの話を聞いたり、探して、見つけてきたものばかりです。何でもない食材が集められ、手が入れられることによって、新しいカタチができ、これまでにないお弁当が生まれました。
 お弁当づくりは、いろいろなことを示唆しています。それぞれの地域には、よく目を凝らして見ると、いろいろな宝物や素材がいっぱい眠っていたり、隠されています。その宝物や素材を見つけて、どう活かして、どんなカタチを作り出すか、それはそこに住む人たちにかかっています。
 「graf」は芸術家集団ではなく、デザイナー、大工、家具職人、シェフ、作家などによるモノ作りのプロ集団です。山吉邸で、小豆島の新しいカタチ(魅力)作りに取り組む「小豆島カタチラボ」を展開中です。
 どんな小豆島の新しいカタチができるか今から楽しみなのですが、そのひとつに木桶つくりがあります。小豆島には、木桶の醤油づくり400年の歴史があります。日本に3000あるという木桶のうち1000の木桶は小豆島にあります。ところが木桶を作れる職人は大阪府堺市にひとり残されるのみです。
 このままでは、木桶の醤油づくりがいつか途絶えてしまうと、山六醤油の五代目山本康夫さんは、木桶の醤油づくりの伝統を守るべく、自ら桶屋さんに弟子入りしました。
 嬉しいことに、「graf」の家具師が、「俺たちも木桶を作れる」と言ってくれています。「小豆島カタチラボ」の一環として、堺市の桶屋さんに行き、木桶を原寸図面化し、その構造と加工方法などの調査・検証を進めています。
 木桶づくりの新しい可能性だけでなく、芸術祭がきっかけになって、小豆島の醤油づくりに新しいカタチ、可能性が生まれるように思います。
 地域おこしは、そこにある魅力を、そこに住む人たちが見つけ、それを磨いて、カタチにしていくことです。芸術祭をきっかけに小豆島に訪れてくれたアーティスト、デザイナー、クリエイターなど、さまざまな分野で活躍する皆さんから、地域おこしのいっぱいのヒントや示唆をいただいています。新しいカタチの地域おこしが今、小豆島で始まろうとしています。(平成25年4月22日)

「お弁当の会」の会場の様子


弁当を盛り付ける「graf」の皆さん


オリーブ茶も振るまわれました


地元「みつわ会」の皆さんのおもてなし


「graf」の皆さんのお弁当と
「みつわ会」の皆さんの
そうめんのお吸い物、佃煮


「お弁当の会」のおしながき
(クリックすると拡大できます)

馬木山吉邸、「graf」の皆さんの作品
「小豆島カタチラボ」の木桶を
原寸図面化したもの

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第924回 「小豆島まだ春会期」


 瀬戸内国際芸術祭2013は、春、夏、秋の三つの会期に分かれています。その理由は、アーティストや地元の作品づくりの準備の都合や訪れる皆さんに好きな会期を選んでもらい、楽しんでもらうためなどと説明されています。
 それはそれでいいことだと思いますが、小豆島では、こうした会期に限らず、いつでも作品を訪れる人たちに楽しんでもらうことにしました。名づけて「小豆島まだ春会期」です。
 アーティストや芸術祭を支えてもらっている皆さんには、ご苦労をかけることになります。芸術祭が終わる11月4日までは、しんどくても歯を喰いしばって、頑張ろうと思っています。今頑張れるかどうかが、私たちの未来にかかわっていると思うからです。
 折角ある素晴らしいアートを、できるだけ多くの皆さんに見てほしい、小豆島を訪れる一人でも多くの皆さんに、小豆島の自然、文化、伝統などと一緒にアートも見てほしい、そこにある人情やおもてなしも満喫して帰ってほしいと思います。
 芸術祭の目的は、瀬戸内海の海と島々の復権です。その目標を達成するためにやるべきことは、たくさんあります。芸術祭は、その大切なきっかけになるものです。
 芸術祭の春会期、私たちは、大切な第一歩を踏み出せたように思います。ここで休むのではなく、自分たちの力に自信を持って、一歩でも、二歩でも、前に行こうと思います。
 春会期を通して、地域の皆さんが、高校生などの若者も含めて、芸術祭を楽しみながら、少し自信と笑顔を取り戻したという実感がします。
 それぞれの地区で、特色を生かした思い思いのおもてなしが行われました。若者たちとアーティスト、クリエイターとの交流は、若者たちにも、アーティスト、クリエイターにも刺激になったようです。
 小豆島の隠された、眠っていた宝物が、アーティスト、クリエイターによって、次々とカタチになっていきました。
 夏の会期に向けて、更にレベルアップができるよう、構想すべきことは構想し、準備すべきことは準備し、休むべきことは休むこととしつつ、夏会期が始まる7月20日までの間も小豆島の芸術祭を大勢の皆さんに楽しんでいただきたいと思います。(平成25年4月22日)

 (小豆島の芸術祭の情報は、小豆島観光協会のホームページに、最新のものが掲載されていますので、ご利用ください)
小豆島町の芸術祭の作品をご紹介します
中山地区

王文志
作品「小豆島の光」

西村地区
岸本真之
作品「つぎつぎきんつぎ」

三都半島

吉田夏奈
作品「花寿波島の秘密」


越後正志
作品「火のないところに煙は立たず」


古川弓子
作品「眺望絶佳」


佐藤隼
作品「空間収集
-小豆島の自然と生きていたもの-」



升谷絵里香
作品「Wander Island」


赤坂有芽
作品「stories -House-」


ジェームズ・ジャック
作品「夕焼けハウス:言語が宿る家」

馬木・醤の郷
graf
作品「小豆島カタチラボ」



清水久和
作品「オリーブのリーゼント」


島田陽
作品「大きな曲面のある小屋」


小豆島町民+山崎亮+studio-L
作品「小豆島町コミュニティアートプロジェクト」

苗羽・醤の郷
マルキン忠勇・小豆島町
作品「醤油蔵通りプロジェクト」


加茂昴、小山泰介、鈴木基真、織咲誠
作品「醤油倉庫レジデンスプロジェクト」
坂手地区
壺井栄生誕地お花畑プロジェクト
作品「壺井栄生誕地お花畑」


UMA/design farm+MUESUM
作品「Creator In Residence[ei] 」

ヤノベケンジ
作品「ザ・スター・アンガー」


ヤノベケンジ(絵師:岡村美紀)
作品「小豆島縁起絵巻」


ビートたけし×ヤノベケンジ
作品「ANGER from the Bottom」

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第923回 いざ国会議員会館へ


 東京2日目です。今日は久しぶりに国会回りをしました。私は、霞ヶ関で仕事をしていたとき、国会の根回しが好きでした。多くの同僚は、嫌で嫌でたまらなかったようでしたが。
 もともと政治というものに関心があったのでしょう。小学生のころから選挙や政治の動向が気になりました。何か新しいことを始めたり、仕組みを変えたり、困っている人たちの希望を叶えるためには、役所の動きを待っていたのではできないことがたくさんあります。難しい課題を解決するためにも政治の協力が不可欠です。
 政治の力を借りるには、政治家との日ごろからの信頼関係が不可欠です。信頼関係は、すぐにできるものではなく、何度か会うことでしかつくれません。
 小豆島に戻ってからは、当然のことながら、地元選出の国会議員以外の国会議員の方々との接触は、ありませんでした。しかし、これからは少し暇を見つけて、国会議員の皆さんと接触していこうと思っています。
 というのは、小豆島を元気にするためには、航路振興策、陸と海の交通政策の整合性を実現することが不可欠であり、国の政策を動かさないといけないからです。陸の交通政策のみが前進し、海の交通政策が相対的に後退したのでは、どんなに頑張っても島嶼部は競争条件を失っていくばかりです。国の交通政策の見直しは、島嶼部のみならず、海運国家である日本の再生にもつながっているはずです。
 今日は、その手始めとして、自由民主党の離島振興特別委員会の主要な先生方の議員会館の事務所を訪ねました。地元の平井たくや先生の秘書の方に道先案内をしていただきました。今日のところは、ただ、あいさつをするだけです。
 これから、ゴールを目指して、1歩1歩前進していこうと思っています。ゴールに着くのは、決して生易しいことではありません。しかし、それなしでは、小豆島は元気になれない、この国全体も元気になれません。やれるだけのことを、悔いがないよう、やり抜くだけです。(平成25年4月18日)


坂手~神戸間を結ぶジャンボフェリー


池田~高松間を結ぶフェリー


草壁~高松間を結ぶフェリー


福田~姫路間を結ぶフェリー


国会議事堂

議員会館

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第922回 東京にて


 久しぶりに上京してきました。東京にはさまざまな課題がありますが、来るとやはり東京は凄いと思います。ここでしかできないことがあります。ここでしか会えない人がいます。
 今回の用務も多様です。順番に書いていくことにします。初めに訪ねたのは、盛田株式会社の盛田会長と杉山社長です。
 小豆島は醤油づくりで栄えた島です。その中心になったのが丸金醤油です。今でも日本のお醤油屋さんとしては、5番目に大きい会社です。
 戦前はキッコーマンに負けないくらい大きなお醤油屋さんでした。丸金醤油は、地元の人が結集してつくった会社です。小豆島のお醤油屋さんの顔であり、丸金醤油にもしものことがあれば、小豆島の醤油産業は、大打撃を受けることが懸念されます。「丸金醤油」のブランドと小豆島の醤油工場は私たちにとって大切なものです。
 丸金醤油というブランドは引き続き残っていますが、丸金醤油という会社名は、この4月から消え、盛田株式会社になりました。企業が厳しい競争に生き残っていく上でベストの体制をとることが求められています。
 これを前向きにとらえ、小豆島の醤油産業が魅力あるものとして進化できるよう、時折東京に来ては、盛田会長に会って、いろいろなことを話しあっています。
 小豆島の魅力をどう高めるか、ハンディキャップである輸送コストをどう軽減できるか(陸と海の交通政策の公平さの確保)、世界の三分の一がある木桶醤油の再評価などの醤油づくりのことだけでなく、盛田会長は話題が豊富で、人脈も広く、いろいろな話題でいつも歓談しています。
 小野寺浩東京大学特任教授にお会いしました。小野寺さんは、私の環境省勤務時代の同僚です。
 自然保護のレンジャーという職種の方です。屋久島の価値を認め、世界に発信したのは小野寺さんです。専門の自然に限らない広い見識の持ち主です。若いころに屋島の自然保護事務所に勤務し、小豆島のこともよくご存知です。
 小野寺さんに会ったのは、もういちど寒霞渓の価値を再評価し、地域おこしに活かすためのご意見をうかがうためです。来年は、瀬戸内海国立公園指定80年の節目の年です。
 少し話しただけで、寒霞渓の自然環境だけでなく、そこにある食の文化、生活の文化などを含めて考えるべきだと言われさすがだなと思いました。国立公園80年に向けて、小野寺さんの知恵と見識をかりて、寒霞渓を中心とする小豆島の魅力づくりのビジョンをまとめ、行動していこうと思います。
 次に訪ねたのは、認定NPO法人ふるさと回帰支援センターです。代表理事の高橋公さんは、厚生労働省・環境省に勤めているころから懇意にさせてもらっています。
 高橋さんは、学生運動の闘士としてならし、大学中退後、さまざまな社会運動のリーダーとして活躍しました。公務を引いてからは、一貫してふるさと回帰運動を地道に展開されてきました。もう運動は10年になろうとしています。
 私と高橋さんとは、政治的な立場は当然異なるのですが、「ふるさとをもう一度元気にすることが日本のさまざま課題を解決する」という思いで、完全に一致します。
 事務所を訪ねて驚いてしまいました。ささやかな事務所だと思っていたら、都心の一等地にあるビルにオフィスがあり、大勢のスタッフと来訪者で賑わっていました。「ふるさと回帰」という新しい息吹きが、東京のど真ん中で起きているのです。
 小豆島が、「ふるさと回帰」を希望する皆さんの期待にこたえられるよう、これから高橋さんの力もかりて取り組んでいこうと思います。(平成25年4月17日)

盛田株式会社(丸金醤油)


苗羽地区に立ち並ぶ丸金醤油の醤油蔵


醤油蔵の中の様子


瀬戸内海国立公園「寒霞渓」


寒霞渓から望む景色


「ふるさと回帰センター」雑誌等

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第921回 ヤノベさんと茨木市長訪問


 小豆島町と大阪府茨木市は姉妹都市です。今年は姉妹都市になって25年になりますが、思わぬところからさらに縁が深まりました。
 3月20日から瀬戸内国際芸術祭が小豆島で開かれています。たくさんの優れたアートが展開されていますが、なかでも坂手港のヤノべケンジさんのミラーボールなどの作品が話題を呼んでいます。
 ヤノべケンジさんは、ビートたけしさんとの共同作品「ANGER from the Bottom」も展示されています。この作品は、使われなくなった井戸に住む水の神様が怒って地上に現われてくる様を表現しています。
 そのヤノベケンジさんが、なんと姉妹都市茨木市の出身でした。こどものころ、近くにある万博公園でよく遊んだそうです。岡本太郎さんの「太陽の塔」がそびえたつそばで、いらなくなった機械類が無造作に放置されている風景が、アーティストを目指した原風景だそうです。
 昨年3月11日、阪急南茨木駅前にヤノべケンジさんの「Sun Child(太陽の子)」という、高さ6メートルのモニュメントが建てられました。アーティストの立場から、一昨年3月11日の東関東大震災から、1日もはやい復興を願い、未来向かう子どもたちを勇気づける思いで制作したとお聞きしました。茨木市から請われて、この地に置かれました。そばをモノレールが通っていますが、終着駅は万博公園で、岡本太郎さんの「太陽の塔」につながっています。
 今日は、まず「Sun Child」をヤノベケンジさん、若林茨木市国際親善都市協会会長らと一緒に鑑賞したのち、木本茨木市長を訪ねました。秋長小豆島町議会議長、谷町議も同行してくれました。
 人と人がつなぐ縁は不思議なものです。ヤノベケンジさんとお会いして半年にもならないのに、お会いする度に縁の輪が広がり、アートによる地域おこし構想が膨らんでいっています。
 木本茨木市長さんとの歓談のなかで、茨木市に水の主である八大竜王を祀る神社があることがわかりました。ヤンベケンジさんとビートたけしさんの作品のベースにも、坂手洞雲山に伝わる八大竜王伝説があります。
 小豆島と茨木市の八大竜王をつなぎ、新しい神話の物語をつくるという、壮大なロマンのある構想で、ヤノベケンジさんと木本市長さんらと大いに盛りあがりました。
 あっと驚く、おもしろいことが本当に始まろうとしています。(平成25年4月17日)


「Sun Child(太陽の子)」の前で


木本茨木市長、訪問の様子


木本茨木市長(写真:右から2人目)らと

坂手港のヤノベケンジさんの作品
「ザ・スター・アンガー」


ビートたけしさんとの共同作品
「「ANGER from the Bottom」

ヤノベさん構想、絵師岡村さんが描く
壁画「小豆島縁起絵巻」

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第920回 打楽器アンサンブルと合唱の祭典


 瀬戸内国際芸術祭は、芸術のなかでも美術を中心とした祭典です。小豆島出身で指揮者として活躍中の神尾昇さんに昨年6月東京でお会いしたとき、芸術祭で是非音楽をやってみたい、できればザルツブルグ音楽祭のような音楽祭をいつか小豆島で実現してみたいと言われました。
 お話をうかがうとまさにその通りです。香川県ほど音楽の盛んなところはありません。神尾さんによると、東京芸大の新入生の約1割が香川県出身者だというのです。
 新聞をよく読んでみると、香川県出身者によるコンサートを紹介する記事がたくさん出ています。国際的なコンクールもよく香川県で開催されています。
 神尾さんの母校でもあり、私の母校でもある苗羽(のうま)小学校は、戦後間もないころから音楽部をはじめ、児童数が120人ほどになった今も、吹奏楽を続けて、全国的にも高いレベルを守っています。
 音楽は、美術以上に、人々に感動ややすらぎを与えてくれる芸術と言われています。音は、不思議な力を持っています。音楽は、音を芸術として集大成したものです。どうして折角の瀬戸内国際芸術祭に、香川県が力を入れている音楽をもっと活かせないのか、というのが、神尾さんの問題提起でした。
 今日、苗羽小学校で開かれた「打楽器アンサンブルと合唱の祭典」は、こうした神尾さんの思いの第一歩となるものです。世界的なマリンバ、打楽器奏者、作曲家である吉岡孝悦さんをはじめ一級の方々の演奏と神尾さん指揮の素晴らしい合唱を聞かせていただきました。
 神尾さんは、小豆島坂手の先にある「岡崎牧場」で生まれ育った方です。私と同じように、家から一番近い、小学校、中学校、高校を卒業して、東京芸術大学音楽部声楽科に入り、その後指揮科に入り、首席で卒業、今日に至っています。
 普通の家庭に生まれ、普通の小・中・高校で学びました。内海(うちのみ)中学校のとき、音楽の先生だった空井康江先生に才能を見出されました。昨年帰島された際、お二人で楽しそうに音楽の話をされていました。その空井先生が昨年末急逝されました。そして先月、最愛だったお母さんを神尾さんは亡くされました。
 今日の演奏会は、誰よりもお母さんと空井先生に聞いてほしかっただろうと思います。東京などでのコンサートはもちろんお二人とも聞かれているでしょうが、生まれ育ったふるさとでの演奏会には、特別の意味があります。「どこかで聞いてくれていると思います」と神尾さんは言われました。
 今日の苗羽小学校でのコンサートには、小豆島町内の小学生300人と一般の皆さん200人が参加しました。こんな田舎で、こんな素晴らしいコンサート、神尾さんありがとうございます。8月にもまた神尾さん企画でのコンサートを予定しています。皆さんお楽しみに。(平成25年4月14日)


打楽器アンサンブルと合唱の祭典
会場の様子


指揮者として活躍中の神尾昇さん


マリンバを演奏する吉岡孝悦さん


女声合唱と4人の打楽器奏者の
ための「修羅街輓歌」


童声合唱と4人の打楽器奏者の
ための「5つの歌」


混声合唱と4人の打楽器奏者のための
「コスモフラワー」


打楽器アンサンブルと合唱の祭典の
チラシ(クリックすると拡大できます)

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第919回 Umaki Camp


 私は、小豆島の馬木というところで生まれ育ち、遊びました。馬木は、 真光寺というお寺が高台にあって、そのふもとに江戸時代に赤穂から来た人々が住み着いたところです。私の家もそのなかの一軒です。
 まず先遣隊とも言うべき人が小豆島に移住し、生活の目途がついてから、お寺さんを呼んだとも聞いています。
 赤穂から来た人たちは、塩づくりを始めました。やがて醤油をつくりはじめました。お寺には、30メートル以上の高さの、樹齢400年の(移住と同時に植えられたと思われる ので)くすのきとしんぱくの木がそびえたっています。
 この風景のなかで、私は生まれ育ち、遊んだのです。こどものころから見慣れた風景。40年ぶりにふるさとに戻ったときも、空気になった風景なので、この風景が特別にきれいだとか思いませんでした。
 ところが、瀬戸内国際芸術祭で、醤(ひしお)の郷・坂手港プロジェクトをディレクションされる椿昇京都造形芸術大学教授を案内していたとき、真光寺を見上げる、私の生まれ育ち、遊んだその場所で、突然立ち止まり、「こんな素晴らしい景色はない。ドットアーキテクツの家成俊勝さんに、ここに家を建ててもらえば、世界的な建築雑誌のトップを飾ること間違いなし」と言われたのです。
 「へぇー」と思って始まった話が、とんとんとんと進んで、今日は、その建物、「Umaki Camp」の上棟式が行われました。
 家成さん以下のスタッフ、馬木の若手メンバーを中心とする地域おこしの担い手である醤会のメンバー、地域の女性、芸術祭を手伝っている関西からのメンバー、観光客などが集まって、餅つきをし、お餅汁をみんなでいただきました。
 100人以上の大勢の人がUmaki Campの上棟式に集まりました。この賑わいは、絶えて久しかったものです。おまけに私が、子どものころ、ここで飼われていたヤギまでが上棟式にやってきて、おいしそうに草を食べて人気者になっていました。
 Umaki Campの完成は7月。できあがった家のなかでは、この地域にある食材を集めて食を提供したり、地域の昔話などをラジオで流したり、映像化したり、島の人たちと来島した人たちをつなぐ、さまざまな取り組みが行われることになっています。
 芸術祭によって、島外からやってきた建築家、クリエイター、デザイナーなどと地元の人たちの力が融合して、再び新しい息吹き、新しい関係が、ここ馬木の、この地から、生まれようとしていると思います。
 お寺の境内にそびえたつ、くすのきとしんぱくが、久々に、嬉しそうに、頼もしそうに、私たちの取組みを見守ってくれています。(平成25年4月14日)


「Umaki Camp」上棟式の会場の様子


上棟式の様子


醤会の皆さん


地域の婦人会の皆さん


お餅汁のふるまい


餅つきをするドットアーキテクツの
家成俊勝さん(写真:中央)


おいしそうに草を食べるヤギ
会場では、人気者になっていました

馬木地区の醤油づくりの様子

真光寺のくすのきとしんぱく

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第918回 「ei」「関係」への期待


 坂手港の農協坂手出張所だった建物が、Creator in Residence「ei」に生まれ変わっています。
 今日、「ei」を訪れると、建築家の飯田将平さんと仲間の写真家の長谷川健太さん、デザイナーの西尾健史さんが、「ei」の主宰者のひとり、MUESUM代表の多田智美さんと公開で、この小豆島で何に取り組むか、語り合っていました。
 三人は、これから小豆島に滞在して、坂手の海にまつわる、人々の記憶や経験を、きいて、あつめて、結び目をつくって、「舟を編む」そうです。今から、そのプロセスと出来上がり、そして、小豆島と三人の仲間に起きるであろう変化が楽しみです。
 このように「ei」では、創造的な仕事をしているアーティスト、デザイナー、クリエイター、建築家、写真家、演劇家など、実に多様な若者たち10組が、入れ替わり立ち代り、瀬戸内国際芸術祭期間中ここを訪れては、ワークショップ、作品制作など多彩な取り組みをします。
 「ei」とは小豆島弁で「よい」という意味です。言葉のとおり、「ei」の存在と活動が、小豆島だけでなく、関西をはじめこの国に、これまでにない「よい」ことをもたらすに違いないと、私はここを訪れる度に思っています。
 坂手港は、かつて小豆島と関西を結ぶ玄関港でした。あるいはアジアやヨーロッパと日本の中心であった大阪、京都などをつなぐ船がこの港に立ち寄りました。したがって、この地には、いろいろなものが深く刻まれ、残されていると思います。
 関西との定期航路がなくなったことで停滞していたこの地域が、一昨年、神戸と結ぶジャンボフェリーが就航したことで、これまでとは違うかたちで、再び活気を取り戻そうとしています。
 その代表が「ei」の活動です。それは、関西をはじめ全国で創造的な仕事をしている若者たちと、地域の優れた自然、文化、伝統、産業、絆などを守ってきた小豆島とが、ここ坂手港を接点にして、つながり、交流することで、新しい「関係」がつくられ、まるで化学反応が起こるように、新しい何か、新しい価値観、新しい生き方のようなものが生まれるのではないかと思うのです。
 坂手港の地政学的な位置が重要です。海を渡ることが重要です。3時間ほど船に乗り、海を渡ることで、切り離されていたものがつながります。気軽に、何度も、低廉な費用で、行き来できることもポイントです。
 小豆島には、私たちが失いつつあるもの、本当に大切にしなければならないものがふんだんに残されています。しかし、急速な人口減少がそれらを損なおうとしています。そこに住む人々、とりわけ若者たちの自信と勇気を取り戻さなければなりません。
 クリエイターたちとは、新しい時代を築く価値観とカタチをつくろうと模索する人たちです。そのヒントが小豆島にある、あるいは眠ったままあると私は思います。それらを見つけ、新しいカタチにしてほしいと思います。
 両者の新しい「関係」から、この国の未来につながる何かが生まれてくるはずと、私は、「ei」の活動を、いつも楽しみに今は見させていただいています。(平成25年4月15日)

飯田将平さん、長谷川健太さん、
西尾健史さん、MUESUM代表の
多田智美さんとの
公開打ち合わせの様子


写真左から、長谷川健太さん、
飯田将平さん、西尾健史さん


地元の人と一緒に
看板の書き直しを行う飯田さん


「ei」03飯田将平と海辺の人々
(クリックすると拡大できます)

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第917回 大変な土曜日


 朝5時33分ごろ発生した大揺れの地震に驚かされました。私が小豆島で経験した最大規模の地震でした。震度は5弱でした。
 早速池田庁舎に登庁しましたが、幸いなことに被害の報告はありませんでした。今度の地震がほんの少し大きければ被害は避けられないと思います。万全の準備をこころがけなければなりません。
 朝食は、香川大学工学部の新入生の皆さんが、池田のふるさと荘に研修宿泊していると聞き一緒に食べました。
 石の文化やジオサイトでいつもお世話になっている長谷川教授が帯同されています。学生の皆さんに、香川大学の小豆島への関わりを感謝し、今後の関わりへの期待を話しました。
 香川大学は新しい病院を全面的に支援してもらうことになっているほか、醤油・佃煮・オリーブなど小豆島の地場産業を研究面から支えてもらっています。現役の香大生が坂手港で老舗喫茶店を復活するなど地域おこしの手伝いもしています。これから関係はますます強くなっていくはずです。
 このあと、馬木の山吉邸で開かれているgrafの「小豆島をもちかえろう!石割ブローチ・ワークショップ」を見にいきました。福田の石切丁場から切り出された、およそ3トンもの石を道具を用いて割って、加工して、ひとかけらのカタチのアクセサリーをつくっています。
 grafの皆さんの、そこにある、何気ない素材を見つけて、そのよさを引き出して、はっとさせられるカタチにしていく、確かな視点と腕に、いつもひきつけられてしまいます。
 坂手港では、劇団ままごとが、坂手のまちを歩きながら演じる「港の劇場」をしていました。今日の演題は「さかのぼり、まだ見ぬ家へ」で、案内人は大石将弘さんです。
 「夜泣き石」という民話が香川県にあります。海の近くの丘の上にお宮をつくることになり、そこにあった大小重なったふたつの石を村人たちは海に投げ捨てました。
 すると、夜、海から泣く声が聞こえるようになりました。離れ離れになった石がさびしくて夜泣きしているのでした。それに気づいた村人は、再び石を海から引きあげて一緒にすると、夜泣きは聞こえなくなりました。
 散歩の前に小さな石を渡されました。石の泣き声が聞こえるようです。散歩の途中、その石が本来あったところに返してあげてくださいと言われました。私は、もらった石を、散歩の終わりに、海に向かって投げました。その石が波にさらされて、かどがなくなった丸みを帯びた石だったからです。
 地場産業活性化セミナーが開かれました。小豆島が元気になるためには、地場産業の活性化が不可欠です。最先端を行く講師にお願いして開催しています。会場が満席でした。企業関係者の並々ならぬ心意気を感じて心強く思いました。
 講師は、消費者庁「食品表示一元化検討会」座長で宮城県産業技術総合センター(宮城大学特任教授)の池戸重信さんでした。食品表示一元化の最新情報を、全国のどこよりも早く小豆島で聞くことができました。
 池戸さんを呼べたのは、醤油組合理事長の武部一成さんがかねてより池戸さんと懇意だったからです。農水省のご出身で、驚いたことに、環境庁の同じ課、しかも1年違いで、私とすれ違っていました。話がはずみました。池戸さんには、これからも小豆島の食品産業の発展に手を貸していただこうと思います。
 消防団の歓送迎会に出ました。消防団ほど地域社会の健全さ示すものはありません。いつまでも消防団の活動が続くことは、防災だけでなく、福祉、子育て、祭りの継承など、地域社会を守るために不可欠です。
 馬木の真光寺下のUMAKI CAMPがいよいよ明日上棟式です。地元の醤(ひしお)クラブの面々が集まってきて、準備を始めています。明日が楽しみです。(平成25年4月13日)

ふるさと荘に研修宿泊を行っている
香川大学の皆さん


香川大学の長谷川教授


石割ブローチワークショップ、石割実演


アクセサリーを作る参加者


劇団ままごと、大石さんの路上劇


 地場産業活性化セミナーの様子


宮城県産業技術総合センターの
池戸重信さん

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第916回 みんなちがって、みんないい


 ベストセラー「五体不満足」などの著書で知られる乙武洋匡さんが小豆島に来られ、内海(うちのみ)中学校で、小、中学生に講演をしていただきました。
 乙武さんに小豆島の中学校で講演をしていただけることになったのは、三都(みと)半島で活動されているアーティストの吉田夏奈さんと乙武さんが、東京の戸山高校の先輩・後輩の友人関係であったからです。
 私は厚生労働省で障害者福祉の仕事を何度もしました。あるとき、吉田さんと話をしていたとき、乙武さんというおもしろい人がいるけれども、厚労省のころ会ったことがないと言ったら、彼は私の後輩、それなら東京で三人で会いましょうということになりました。
 なかなか日程が決められなかったのですが、そのうちに吉田さんが瀬戸内国際芸術祭の正式作家として作品を制作することになったので、乙武さんに小豆島に来ていただき、吉田さんの作品を観てもらおうということになりました。そして折角なら、乙武さんに、小豆島町のこどもたち相手に話をしてもらおうということになりました。
 初めてお会いした乙武さんは、笑顔いっぱいの、いつも楽しそうに、前を向いて進んでいる好青年でした。ずっと前から知り合いのように話がはずみました。
 小学生・中学生に向けての講演も、こどもたちにとって、とても勉強になったと思います。こどもたちが、こんなに溌剌として、楽しそうに、話を聞き、遠慮のない質問を講師の方にするのを初めて見ました。それほどに、乙武さんは、こどもたちをひきつけ、そして大切なことをわかりやすく話されました。
 もう先生は辞めてしまっていますが、素敵な、人気の先生だったと思います。現在は、作家や評論、映画、そして東京都教育委員として幅広く活躍されていますが、また教育現場で、今度は例えば校長先生として、教育のあるべき姿を実践されることを期待したいと思います。
 乙武さんはいくつも大切なことを話してくれました。そのいくつかを紹介します。
 ひとつは、障害者などへの差別、偏見について、誰も本当は誰も差別をしたと思っているわけはなく、ただ慣れていないことが差別、偏見の要因だと言われました。
 乙武さんは、先生をしていたとき、何ヶ月かともに過ごした児童から、先生の靴は何センチと聞かれたとき、嬉しかったそうです。なぜなら、その児童は先生に足がないことを気にしていないか忘れてしまっていることの証だったからです。
 小学校の先生をしているとき、ジクソーパズルのようなクラスを目指したと言われました。ジクソーパズルは、ひとひとつは、いろいろなかたちをしていて、とがっていたりしますが、組み合わせると一枚のきれいな絵になる、クラスのひとりひとりも同じで、誰もが代わりをできない、かけがえのない存在だと話しました。
 いじめについては、いじめは悪いこと、あってはならないことだがなくはならない、大事なことはいじめがあったとき、勇気をもって解決する気持ちをひとりひとりが持つことだと言われました。
 世界の人口は70億、ひとりひとりが70億分の一、自分も、自分の前にいる人も、ひとりひとりがかけがえのない存在、大切にしようと呼びかけました。
 最後に、大好きだという金子みすずさんの詩を紹介されました。

  私が両手をひろげても、
  お空はちっとも飛べないが、
  飛べている鳥は私のように、
  地面を速く走れない

  私が体をゆすっても、
  きれいな音はでないけど、
  あの鳴る鈴は私のように、
   たくさんな唄は知らないよ、
  
   鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい
  (金子みすず「私と小鳥と鈴と」)

  (平成25年4月12日)

講演会の様子


乙武洋匡さん


吉田夏奈さん


講演に聞き入る児童・生徒の皆さん


乙武さんに質問する児童


キャッチボールを披露する乙武さん


瀬戸内国際芸術祭、吉田夏奈さんの作品

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第915回 小豆島芸術家村第9回入村式


 三都半島にある小豆島芸術家村の9回目の入村式がありました。芸術家村は、地域に若手アーティストが、数ヶ月ほど芸術家村に滞在して、地域の方々と交流し、一緒になって、アート作品を制作することで、若手アーティストの育成と地域おこしの両方を目指すものです。
 芸術家村が始まって4年になります。春と秋に分けて滞在アーティストが滞在し、滞在アーティストの数はこれまで21名、今回の3名をあわせて24名となります。
 4年がたって芸術家村が、地域でも、アーティストの間でも定着してきています。前回の滞在アーティストと今回のアーティスト、そしてこれまでの滞在アーティスト4名が瀬戸内国際芸術祭の正式アーティストとして参加しています。
 久しぶりに三都半島の神浦(こうのうら)地区を訪ねてみました。公民館を訪ねてみると、オシコミ船が展示してありました。船上にカカシの船頭が立っています。このカカシは地元の皆さんが、三都半島で開かれたカカシコンテストの優勝者のご夫妻の指導で手作りしたものです。オシコミ船は、地元の熱意で、多くの寄付を集めて、新建造されました。
 地元の皆さんは、訪れるすべての皆さんに、「島の家」でご接待をしています。この日は、肌寒い日でしたが、あたたかく甘いおしるこをいただくことができました。三都半島自慢の、森口小豆島町議会副議長が栽培したいちごも添えらていました。
 こんなに、こころあたたまるご接待は、世界一だろうと思っていたら、そこに、偶然に、坂手地区の高齢者の女性部会の皆さんが芸術祭の視察にやってきました。この地区から、坂手にお嫁にいったり、神浦から坂手にお嫁にいった人もいて、和気あいあい、島のはっしこ同志で、芸術祭を頑張りましょうと、エールを交換していました。
 今度の芸術祭、あちこちで、こういう風景を見ることができます。家に閉じこもりがちであった高齢者が外に出て、ご接待に携わったり、遠くの展示会場を訪ねて、交流するという、いい効果もでています。
 ところで、芸術家村事業は、今回で一期目の事業は終わります。芸術祭の成果も引き継ぎ、来年度からは二期目の芸術家村事業をスタートさせたいと考えています。二期目からは、毎回新人アーティストを招聘するのではなく、これまでの作家にも滞在してもらったり、作品も恒常的に展示し、次の芸術祭につなげていけるものにしたいと考えています。
 今回の芸術祭では、地域ごとに特徴のある取り組みをしていますが、そのなかで、三都半島のアートは、地道ですが、正統派のアートの展開を目指しています。特徴は次のとおりです。
 ひとつめは、アーティストが、三都半島が大好きなアーティストであることです。ふたつめは、アーティストが、世界を目指して奮闘する若手アーティストであることです。みっつめは、作品が、日本の原風景でもある三都半島で、地元の皆さんの協力と参加の下で、構想され、作成され、展開されることです。よっつめは、芸術家村の取り組みは、一過性のものではなく、今後ともずっと続く、持続性のある取り組みだと言うことです。
 このような視点で、これからも芸術家村を伸ばしていこうと思っています。アーティストと地元も皆さんの協働作業の三都半島の元気を見たいと思います。(平成25年4月11日)


入村式の様子

入村された3名をご紹介します
臼井英之さん


小山真徳さん


柚木恵介さん


「島の家」のお接待の様子


展示されているオシコミ船


カカシの船頭

瀬戸内国際芸術祭2013
三都半島の作品をご紹介します

吉田 夏奈さん
「花寿波島の秘密」


越後 正志さん
「火のないところに煙は立たず」


古川 弓子さん
「眺望絶佳」


佐藤 隼さん
「空間収集-小豆島の自然と生きていたもの-」


升谷 絵里香さん
「Wander Island」


赤坂 有芽さん
「stories -House-」

ジェームズ・ジャックさん
「夕焼けハウス:言語が宿る家」

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第914回 気づかないでいること


 瀬戸内国際芸術祭では、アート作品の展示だけでなく、いろいろな取り組みが行われています。坂手港で、劇団「ままごと」が坂手のまちを歩きながらのお芝居を展開しています。「港の劇場」です。それは、それは意外生に富み、感動的です。先日のブログをお読みください。
 先日、雨でお芝居ができなかった日、主宰の柴幸男さんが、小豆島に来ていた原田祐馬さんの教え子の京都造形芸術大学の皆さんを相手に、ちょっとしたワークショップをしてくれました。それは、「ei」の前にあるベンチに5分間座って、耳をすまして、そこから聞こえる音をすべて書き取ってみようという簡単なものでした。
 こんなことに何の意味があるのだろうと思ったのですが、後で、皆さんが聞き取った結果を聞いて、はっとしました。皆さんが、驚くべきほどの音を聞き、書き留めていたことです。
 私には、ただ車の音に過ぎないものが、前進する音、バックする音の違いを聞き分けた人がいました。遠くからの鶯のさえずりを聞きとった人もいました。そうです。小豆島ほどのバーズ・アイランドはないと、小豆島を訪れたヨーロッパ人が言ったそうです。スポーツジャーナリストの増田明美さんは、田浦の二十四の瞳映画村・岬の分教場に向かうジョギングコースが一番好きだとおっしゃってくれていますが、それは鳥のさえずりを聞きながらジョギングできることが理由のひとつだとおっしゃっています。
 途中私が人と話した、私の言葉を音として捉えた人がいました。人の会話は音ではないと、私はかってに決めつけていました。
 このワークショップでわかることは、同じものでも人によって見方や捉え方が一緒であったり、違ったりすること、気づかないことがたくさんあることです。
 私たちは、普段の生活のなかで、どれだけ大切なことや小さな変化に気づかずにいることでしょうか。行政という仕事のなかでも、本当に人々が困っていることや危険や危機がしのびよっていることに気づかずにいることがないでしょうか。一人でするより、大勢でしたほうが、多くのことを達成できるのではないでしょうか。
 瀬戸内国際芸術祭では、日ごろ接せることのできない分野の仕事をされている皆さんに会えることで、大変な刺激をいただいています。法学部で勉強し、官僚という仕事をしてきた私の頭は、物事に枠をはめて、ごちごちにして考えがちなのですが、皆さんから、発想のやわらかさ、しなやかさ、ひろがり、といったことを学んでいます。
 芸術祭という機会を通して、今まで気づかないでいた、小豆島の素晴らしさ、人々の素晴らしさを活かして、つないでいくことができればと思います。(平成25年4月10日)

「ei」の前にあるベンチでのワークショップ

「ei」の活動の様子をご紹介します
01 蓮沼執太たち
坂手や醤の郷に住む人たちの家にある
音楽や写真、大切にしているものから、
小豆島を探索するという試み


02 吉行良平と仕事/Oue/
暮らすひと暮らすところ
それぞれが暮らしや人々とのふれあいの
なかで感じとった「点」をつないだり、離し
たり、実験しながら形にしていくという試み


「ei」の1階のインフォメーションの様子


「ei」の2階のカフェスペースの様子

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第913回 池田中学校入学式挨拶


 一年生の皆さん。入学おめでとう。期待に胸を躍らせていることと思います。皆さんの入学した池田中学校は、池田地区にある長い伝統を持ち、素晴らしい実績と人材を輩出してきた中学校です。その池田中学校に入学されたことを誇りにしてほしいと思います。
 さて、中学生になったのですから、目標を決めて、その目標に一歩でも,二歩でも近づけるように、一生懸命がんばってほしいと思います。
 私自身の中学生時代を振り返ると、将来に向けた目標は漠然としてあったのですが、反抗期だったのか、勉強にもクラブ活動にも力の入らない中学生でした。皆さんは、そういうことにならないよう、一生懸命がんばってほしいと思います。
 小豆島は、素晴らしい島です。とりわけ池田地区は、自然もきれいだし、農村歌舞伎や秋祭りなどの文化や伝統が引き継がれ、電照菊、素麺、オリーブなどの産業も優れています。
 しかし、一方で、人口の減少という課題に直面しています。人口が減り過ぎると、これらの大切なものを守っていくことができなくなります。なんとか人口の減り方を少しゆるやかにしなければいけません。皆さんには、ふるさと池田と小豆島のことを好きになって池田と小豆島の未来を守ってほしいと思います。
 池田や小豆島の素晴らしさが今注目を集めはじめています。今行われている瀬戸内国際芸術祭がその例です。どうか、一生懸命勉強し、スポーツや文化活動などに励み、ふるさと池田と小豆島を皆さんの力でもっともっといいものにしてほしいと思います。
 来年度は、池田中学校と内海(うちのみ)中学校が統合されて小豆島中学校になります。新しい中学校で池田中学校の素晴らしい伝統をさらに伸ばしてほしいと思います。中学校での3年間、大いに楽しみ、目標目指して頑張ってください。
 入学おめでとう。(平成25年4月9日)

池田中学校の入学式の様子


在校生から新入生への歓迎の言葉

池田中学校の学校の様子
こどもセンター、小学校、中学校
合同運動会


池中文化祭

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第912回 安田小学校入学式あいさつ


 新一年生の皆さん。入学おめでとう。わくわくどきどきしているでしょう。これから先生やお父さん、お母さんの言うことをよく聞いて一生懸命勉強したり、遊んでください。
 最初に言いたいことは、皆さんが入った安田小学校はとても素晴らしい小学校だということです。皆さんが、生まれ育っている安田という地区、それから福田、当浜、岩谷、橘という地区が素晴らしいところだということです。
 安田には、古くから安田踊りという盆踊りや、安全でおいしいお米づくり、皆さんも田植え、稲刈りなどの農業体験をするでしょう、400年の歴史のある木桶の醤油づくりなど、素晴らしいものがあります。
 福田などの東海岸の石の文化は世界遺産を目指しています。漁業もさかんです。旧福田小学校は、7月20日からアジアのアーティストが集まる場所に生まれ変わります。瀬戸内国際芸術祭で大勢の人がやってくるようになるでしょう。
 皆さんには、6年間、この素晴らしい小学校と地域社会のなかで、伸び伸びと育ってほしいと思います。
 校長先生や教育委員会からお話があったように、早寝、早起き、朝ごはんを、毎日きちんと食べて、できればお母さんに頼んでオリーブも毎日食べて、健康で元気に育ってください。あいさつもちゃんとしましょう。
 皆さんには、ふるさとの安田が大好き、小豆島が大好きな、元気な小学生になってほしいと思います。 ご父兄の皆さん。お子さんの入学おめでとうございます。私は、自分の人生を振り返って、今日の私があるのは、小学校時代にあると思っています。
 地域社会とのいろいろな関わりを小学校時代に学ぶことがとても大事です。健全な地域社会に、健全な子どもが育ちます。是非、お子様の成長のためにも、皆さんで健全な地域社会を守ってほしいと思います。
 校長先生ほか先生方には、子どもたちが健やかに成長できるよう頑張ってほしいと思います。
 入学おめでとう。楽しい6年間を過ごしてください。(平成25年4月9日)

安田小学校の入学式


元気よく返事をする新一年生

安田小学校の学校の様子
地域の方との田植え体験


陶芸体験の様子

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第911回 「或る青年の物語」 劇団「ままごと」


 小豆島坂手港で不思議な青年に出会い、坂手のまちを歩いて案内されました。
 坂手で生まれ、育ったそうです。年は31歳だそうです。一度も小豆島坂手を離れたことがないそうです。とても明るく、溌剌とした好青年でした。
 彼は、早速、坂手のまちを歩いて、思い出話をしながら私たちを案内してくれました。迷路のような町並みで、丘から見下ろす海が、とてもきれいで、雄大で、こころをなごませてくれます。
 町並みは、彼がこどものころと違って、4軒から5軒に1軒は空き家になっています。どこのうちにも井戸があると教えてくれました。家々の石積みが時代時代で違っていると彼は教えてくれました。この地域で石がとても大切にされていることがわかります。
 彼は、初恋の同級生の女の子の思い出を話してくれました。勝気な女の子は、夕暮れどきに、沖の赤い灯台まで、一人で泳いでいきました。泳ぎの得意でない彼は、ただ呆然心配して見守るだけでした。
 中学、高校と同じ学校に進みながら、二人は話すこともなく時は過ぎ行きました。高校生になったあるとき、学校帰りの夕暮れどき、自転車で一緒になり、彼は彼女に突然話しかけられたそうです。
 小豆島を離れたいと思っているが、どう思うかと。彼は、もちろん、本当はずっと小豆島にいてほしいと思っていたのに、おもわずうなずいてしまいます。
 それが彼女と会った最後となりました。その日の夜、豪雨による土砂災害があり、たまたま親戚に泊まっていた両親が亡くなり、彼女は、福岡県の親戚に引き取られ、小豆島を離れたからです。彼は、その後も小豆島を離れることがありませんでしたが、何十年もたったある日、彼女から手紙をもらいます。
 赤い灯台があった場所、そこは今は埋めたてられ、ちょうどヤノベケンジさんの作品の巨大なミラーボールが立っている場所まで来たとき、彼は、その手紙を読んで聞かせてくれました。
 あなたに相談した夜、豪雨による土砂崩れで両親が亡くなりました。小豆島を離れたいばかりに、これで小豆島を離れることができるとこころの中で思ってしまいました。
 病気になった今、思い出すのは、坂手の赤い灯台と海のことです。あの赤い灯台は今もありますか。海は凪いでいますか。赤い灯台に泳いでいったとき心配してくれてありがとう。相談したとき、小豆島に残ってほしいと言ってほしかったのに。ばちあたりの私は、もう小豆島には帰れませんと。
 読み終えると、海に向かって、彼は、二度、三度と大きな声で叫びました。「帰ってこいよ。帰ってこいよ」
 その声を聞いて、私はもう涙がこぼれて止まりませんでした。どこからか、彼女が赤い灯台をめざして泳いだとき、彼に小豆島を離れたいと相談したとき、流れていた行政放送の「夕焼け小焼け」のメロディーが流れていました。
 そう言えば、彼は、もう何十年も前の話だと言っていました。しかし、彼は、31歳の好青年でした。人は亡くなると、年が半分になって生きるのだと、誰かが言っていました。いったい、私たちを案内してくれた、あの青年は何者だったのでしょうか。振り向くと、もう青年はいなくなってしまっていました。(平成25年4月8日)

劇団「ままごと」、スタート


青年の案内について行く一行


丘を登る一行


丘から望む景色


手紙を読む青年

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第910回 吉行良平と仕事/Oue/暮らすひと暮らすところ


 瀬戸内国際芸術祭は、高いレベルのアート作品を鑑賞できることも楽しみですが、それ以上に私が楽しみにしているのが、アーティスト、デザイナー、クリエイターなどが、どんな変化を小豆島におこすかということです。
 その意味では、坂手港のCreator in Residence「ei」で行われている、10組の新進クリエイターらが町の人たちとコミュニケーションをとりながら、各10日間の滞在制作を行うという取組みは、今度の芸術祭の中で最も注目すべきものだと、私は考えています。
 クリエイターらの感性と力によって、町の人々がこれまで気づかないでいたものに気づいたり、隠されていた力が引き出されたり、気持ちや思いを、誰かにわかるカタチにして表現したりすることができるようになっていくとしたら、そこから小豆島はどんな風に変わっていくでしょうか。それが未来を担う若者たちに起こる変化であれば、小豆島の未来の風景は、きっとこれまで考えられていたものとは違ったものになるのではないでしょうか。
 もしかしたら、クリエイターらの人たちにとっても、はじめて接する小豆島やそこに住み人々が新鮮な刺激になり、何か変化が生まれるかもしれません。
 そこに起きている小さな化学反応を、持続できる仕組みや小豆島がもう一度元気になっていける仕組みにつなげていけないか、その仕組みは小豆島だけでなく、世界で求められている新しい社会のあり方につながっていくのではないか、というのが私の漠然とした今度のプロジェクトへの期待です。
 「吉行良平と仕事/Oue/暮らすひと暮らすところ」というのは、大阪を中心に、国の内外で活躍する三人のデザイナーのオフィスの名前です。三人とは、順番に吉行良平さん、大植亜希子さん、戸田祐希利さんです。
 三人は、工場やスタジオを共有にすることは多いそうですが、それぞれ使用素材や技法、アプローチは異なり、プロジェクトを共有するのは、今度の坂手港のCreator in Residence「ei」での取り組みが初めてだそうです。
 それぞれが暮らしや人々とのふれあいのなかで感じとった「点」をつないだり、離したり、実験しながら形にしていくというのが今回のプロジェクトです。
 具体的には、三人のデザイナーが指導、助言をしながら、小豆島高校生が、島の暮らしのなかから、今年小高を離任し、小豆島を離れる先生への贈り物をつくるというものです。
 今日は、五人の小豆島高校生が自分たちの制作中の贈り物についてプレゼンテーションをしました。皆な見事なものでした。一人ひとり紹介してみましょう。ただし、紙面の都合上、実際のプレゼンテーションの結論だけを大胆にまとめています。本当は、結論にいたるまでのプロセスの説明がおもしろかったのですが、あしからず。
 溝渕杏さんは、担任の先生に30人のクラスメート分の色のついた贈り物を考えました。醤油の品質試験管、醤油瓶、石鹸、チョークへとアイデアが変わっていきますが、最後は、小豆島を先生が思い出すようにと、オリーブでつくったチョーク状の長さがさまざまな30本の石鹸をつくりました。名づけて「オリーブ・チョーク」です。
 藤井雅人君は、島を離れる先生に日常生活のなかで小豆島のことを思いだしてもらおうと、鏡の縁を小豆島の山々をかたどったものとしました。名づけて「島鏡」です。
 植松真輝君は、小豆島の特産であるオリーブオイル、醤油、素麺、佃煮などそれぞれの気分が味わえる、複数の飲み口のある不思議なカタチのカップをつくりました。名づけて「島気分」です。
 高岸佳以さんは、小豆島の特産でもある焼き海苔から、ひごろ口癖の小豆島の方言「ほんまけ」「むつごい」「こんまい」「たいぎい」などの文字をきりとってみました。名づけて「方言のり」です。
 黒島萌さんは、指でOKのカタチをつくってみました。そこから自分の気持ちをはかることができます。いろいろな景色を見ることができます。OKのカタチをしたブローチを黒板からくりぬいてつくりました。
 高校生のプレゼンテーションに、三人のデザイナーや滞在アーティストらがコメントしました。デザイン素人の高校生から、たった数日で、ここまでの力と感性を引き出した三人のデザイナーもお見事であれば、ここまでの贈り物をつくった高校生もお見事です。
 楽しい、楽しいワークショップでした。さて、このワークショップから、ワークショップを持続し、意味あるカタチ、社会の仕組みをつくるというのが、私の仕事です。さてどうするか。後輩の高校生に負けてはおれません。(平成25年4月8日)


プレゼンテーションの様子


左から吉行良平さん、大植亜希子さん、
戸田祐希利さん


溝渕杏さんのプレゼンテーション


藤井雅人君のプレゼンテーション


植松真輝君のプレゼンテーション


高岸佳以さんのプレゼンテーション


黒島萌さんのプレゼンテーション


溝渕さんの「オリーブ・チョーク」
作品解説はコチラ


藤井さんの「島鏡」
作品解説はコチラ


植松さんの「島気分」
作品解説はコチラ


高岸佳以さんの「方言のり」
作品解説はコチラ


黒島萌さんの「黒バッチ」
作品解説はコチラ

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第909回 花まつりの日曜日


 4月8日は、約3千年前インドにお釈迦さまが生まれた日です。私の地元の馬木では、真光寺の檀家衆が、お釈迦さまに甘茶をそそぎその誕生を祝うとともに、子どもたちにひかれた白像がまちを歩いてまわりました。
 真光寺の檀家衆こそ400年前に、赤穂から小豆島に移住して、塩をつくり、やがて醤油づくりを始めた人たちです。彼らのつくったまち醤(ひしお)の郷が、今瀬戸内国際芸術祭の舞台のひとつになったのです。
 折角の日曜日、雨は早めに止んだものの、1日中強風が続き、高速艇や長距離のジャンボフェリーが欠航してしまい、芸術祭に向かう大勢の皆さんが足止めになり、いろいろな行事も中止になってしまいました。それでも4月のはじめとあって、いろいろな行事を飛び回りました。
 早朝、小豆島町をあげて実践している花いっぱい運動の草抜きにでかけました。強風で小雨も降っていて、中止か、あっても来る人は少ないだろうと思っていたら、いつもどおりの人が来て、黙々と草抜きを即座に終えました。この人たちが醤の郷を守ってきた人たちです。
 次に行ったのは、小豆島全体の学童野球大会です。小豆島はずっと野球がさかんです。昨年、小豆島高校が、春の県大会で優勝するなど、もう一歩で甲子園というところまでレベルアップしています。それが可能になったのも、小学生の学童野球の裾野があるからです。今日は、残念ながら屋内での開会式となりました。
 やはり、野外での訓練は中止になりましたが、小豆島町の消防団の辞令交付式もありました。消防団こそ、健全な地域社会の基盤です。それは、もし消防団がなく、これを別の形で代替したらどうなるか考えるとわかります。公務員がいくらいても足りないでしょう。税金をいくらとられても足りないでしょう。
 地域社会の力で守っていくべきものを守っていけなくなったり、何でも公的な社会システム化すれば、地域社会は崩壊してしまうでしょう。地域社会が音を立てて崩れているのが、今のこの国の本質的な危機だと思います。
 防災であれ、教育であれ、福祉であれ、健全な地域社会を守っていくことが、今の時代の本質的な課題だというのが、私の問題意識です。新人消防団員の若者たちに「誇りと使命感を持って消防団活動に取り組んでほしい」とお願いしました。
 楽しみにしていた坂手港での、劇団「ままごと」の歩きながらのお芝居は、強風のため中止になりました。明日は晴れの予想、明日が楽しみです。
 もうひとつの坂手港のCreator in Residence「ei」での「吉行良平と仕事/Oue/暮らすひと暮らすところ」による小豆島高校生との「島のくらし」のなかから贈り物をつくるという取組み、期待に違わぬものでした。これについては、回を改めて感想を書くことにします。(平成25年4月7日)

真光寺の花まつりの様子


瀬戸内国際芸術祭の作品
「オリーブのリーゼント」の前での白象


花いっぱい運動の様子


消防団の皆さんの活動


Creator in Residennce「ei」

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第908回 雨の日の瀬戸芸


 休日の今日は、いろいろなことが予定されていたのですが、雨で中止になってしまいました。
 楽しみにしていたのは、香川大学遍路研究会主催の小豆島ミニ歩き遍路体験で中山の山道を歩くこと、坂手港での劇団「ままごと」の坂手のまちを歩きながらの芝居を見ることでした。
 それでも、雨のなかでの状況を見ようと、坂手港にあるCreator in Residence「ei」を訪ねました。
 歩きながらのお芝居見学こそ、明日以降の楽しみになりましたが、主宰者の柴幸男さんに、坂手のまちなみを、原田祐馬さんの教え子の学生さんとともに案内してもらいました。驚いたことに、私たち地元の人が気づかない視点で、小豆島に来て何日もたってない柴さんから、坂手のまちの魅力となりたちを、なるほどと、うならせるように教えてもらいました。
 レジデンスでは、吉行良平さん、大植亜希子さん、戸田祐希利さんが、小豆島高校と、「島の暮らし」のなかから贈り物をつくるプロジェクトの打合せをしていました。いよいよ明日、高校生が贈り物のプレゼンテーションをします。これも楽しみです。
 左海醤油の醤油蔵では、加茂昂さんが谷町議をモデルに油絵を描いていました。織咲誠さんが、醤油蔵を、巨大で見事な展示空間とスタジオとして、生まれ変わらせています。来る度に味わいを感じます。
 醤(ひしお)の郷では、雨にかかわらず、何人もの人が散策していました。こんな日が本当に実現したのだと感慨深く思います。島田陽さんの作品「おおきな曲面のある小屋」そばの案内所を訪ねました。そこでは、地元の醤油のほか、昔ながらの駄菓子も売っています。亡き母は、晩年よくこの店を訪ねては、こどもに戻ったように、駄菓子を買って帰ったそうです。自慢の醤油で味つけられた、香ばしい、「醤ちまき」をいただきました。母が好きだったという駄菓子もいただきました。
 瀬戸内国際芸術祭で、私は、アート作品を楽しむこと以上に、アーティスト、クリエイター、デザイナーなどの皆さんの、物事の本質を見る目、本質のかたちにしていく力、人と人、人と地域をつなげる力に感動させられています。
 やり方と気持ちひとつで、小豆島は元気で、輝いていけると思います。是非、一人でも多くの皆さんに、一回でも多く、いろいろなかたちで、アーティスト、クリエイター、デザイナーなどの皆さんを訪ね、出会ってほしいと思います。(平成25年4月6日)

谷町議をモデルに油絵を書く加茂昂さん


島田陽さんの作品の隣にある案内所
醤油や昔ながらの駄菓子が
売られています


 Creator in Residennce「ei」
(「エイ」とは小豆島弁の「良い」という意味)
では、会期中、UMA/design farm+MUESUM
ディレクションのもと、新進気鋭の10組の
クリエイターが、町の人たちと
コミュニケーションを取ながら各10日間の
滞在制作を行っています。
食事のできるカフェもあります。是非とも、
気軽に、お訪ねください。ここから、
新しい人と人の「関係」人と地域の「関係」が
生まれるように思います。

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第907回 蘇る大阪と小豆島の「関係」


 久しぶりに大阪を訪問しました。春うららで川べりの桜も満開で爽快でした。しばらく見ないうちに、大阪のまちなみがすっかりきれいになっていることに気づきました。大阪もなかなかです。
 小豆島にとって、大阪はなくてはならぬ存在です。すべての文化や産業も大阪を通って、小豆島に持ち込まれたのだと思います。
 逆に、大阪城の石や醤油などの産物が、小豆島から大阪に運びこまれました。長い歴史を通じて、日本の経済と文化の中心であった大阪と瀬戸内海の交通の要衝であった小豆島は深い絆で結ばれていたのです。
 ところが、海運が衰退するなかで、小豆島と阪神を結ぶ定期航路がなくなり、関係が疎遠になっていました。一昨年、神戸と小豆島坂手港を結ぶ定期航路が復活したことで、再び大阪と小豆島の深い関係が今、蘇ろうとしています。夢のようなことです。
 瀬戸内国際芸術祭では、大阪を代表するデザイナーやクリエイターたちが、大挙して小豆島に来ていただいて、連日、知恵と汗を出して、小豆島の魅力を引き出し、新しい人と人のつながり、関係をつくるために奮闘していただいています。
 他の仕事もいっぱいかかえておられるなか、寝る時間も、休む時間も割いて、小豆島の未来のために頑張っていただいています。地元はその二倍も三倍も頑張らないといけません。
 今日は、大阪市経済戦略局の堤道明理事にお会いするのが出張の目的でしたが、この機会に、皆さんのオフィスを訪問しました。予想を超えて、皆さん若々しく、エネルギッシュに行動されています。お店もセンスと感性にあふれ流石(さすが)です。
 このセンスと感性を小豆島で発揮していただいていくのだと思うと、本当に頑張らねばと、決意を新たにしています。
 大阪市の堤理事には、これから東瀬戸内の石の文化圏について、世界遺産登録を目指す取組みへの協力をお願いしました。
 小豆島の石がどのようにして海を渡り、あの精緻な大阪城の石垣となったのか、猪垣、棚田、桟敷などの石の文化は、世界に冠たるものであり、アジアの文化として奥深いと思います。今年度から同志社大学文化遺産情報科学研究センターと一緒になって、大阪市をはじめ関係自治体の参加を得て、有識者会議をスタートさせるつもりです。
 大阪城のある大阪市は重要なメンバーです。堤理事から協力について快諾をいただきました。堤理事からは、嬉しいことに、小豆島のJCのシニアのメンバーが構想中の、小豆島から大阪城に運ばれたにもかかわらず、城石として活用されなかった「残念石」をふるさと小豆島に里帰りさせようとのプランについて、賛同の答えをいただきました。
 今年は、いろいろな意味で、小豆島と大阪の「関係」が蘇る歴史的な年になるように思います。小豆島の方が一方的に応援してもらうことばかりですが、もしかすると小豆島の存在が、大阪の復権、再生にもお役に立つことがあるかもしれません。これから、本当に、楽しくて、わくわくすることが始まろうとしているのだと思います。(平成25年4月7日)

「MUESUM、UMA/design」オフィス
エネルギッシュに行動される皆さん


「graf」の素敵なお店


小豆島の木桶醤油も売っていました


店内には小豆島の地図も貼っていました


東瀬戸内の石の文化圏の
世界遺産を目指して
(クリックすると拡大できます)

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第906回 新任の先生方へ贈る言葉


 ここ岬の分教場は、「二十四の瞳」の舞台になったことで知られています。個人的にも、亡き母が学んだ学校であり、特別の思いがあります。
 岬の分教場は、教育の原点、聖地として、大勢の教師を志す人や現役の教師が訪れています。その思いがノートに綴られています。
 今日、こうして新たに小豆島町の小・中・高校の先生として、赴任された皆さんに、この場所でお話できることを光栄に思います。
 短い時間でさて何を話すべきかですが、私が小豆島町で受けた教育の思い出と、町長として、これからの小豆島町の教育に何を期待しているかをお話したいと思います。

 私は、自分の家から最も近い小学校、中学校、高校に通い、学びました。かつては、ほとんどみんなそうだったと思います。
 そのことが、私の人生を振り返ってみて、本当によかった、私の今の人生があるのはそのおかげだと、誇りに思い、ふるさとで受けた教育に感謝しています。
 この思いは私だけではありません。私の小・中・高校の1年先輩、高校3年の同級生、つまり彼女は、高校3年のとき、1年間アメリカの高校に留学した結果、私と同級生になったのですが、今名古屋の藤田保健衛生大学病院副院長をしている松永佳世子さんという人がいます。彼女もまた私と同じ思いをお持ちです。
 彼女は、アメリカのホームステイ先のお父さんにあたる方から、自分の家に一番近い学校に通っているといったとき、「知性とは、与えられた環境でベストを尽くせること」だと教えられたというのです。

 私は、今こうして人前で話すことを苦にすることなく、それを生業にしていますが、私は、小学生、中学生、高校生と、人前で話すことが苦手で、教室でもいるかいないかわからない、手をあげて発表した記憶は一度しかありません。学芸会などでは逃げてばかりいました。
 ここにいる後藤教育長が同級生なので生き証人です。普通なら、小学校の先生は、もっとしっかりして、自信をもって、手をあげて発表しなさいとか、指導するはずですが、担任の先生は、そのような指導ではなく、「塩田君は、塩田君のままでいい」としてくれました。そのことが、どんなに自信になったことかと、今も感謝しています。
 つまり、人にはそれぞれ個性というものがあり、枠にはめるのではなく、その個性を生かした教育をしてほしいと思うのです。人には、それぞれ成長の過程があります。時がくれば、あんなに無口だった子どもでも、いつの日か、自分の力と経験で、人の気持ちを鼓舞できる話を堂々とできりまで成長できるのです。
 中学生のころ、私は、部活動もしなければ、勉強もしない、無気力な生徒でした。決してほめられた生徒ではありませんでした。しかし、今ふりかえってみると、この何もしない3年間が必要だったと思います。ちょうど虫や動物が活動前、さなぎであったり、冬眠をしているようなものです。
 高校生になった途端、猛勉強をするようになりました。自分の目指すべき道をはっきりと決めることができたからです。それができたのも高校の先生方のおかげです。担任の先生は、京都大学理学部を卒業したばかりの数学の先生で、知性があるとは、こういうことだと思わせるものがありました。その先生と同じ大学で学ぼうと思ったのです。地元のベテランの先生方からも、高松高校なんかに負けるなと叱咤激励されました。先生方が大きな夢に向かうことの大切さを教えてくれました。
 私は、大学を卒業して、霞ヶ関で長く仕事をしました。ご存知のようにそこはスーパー優等生の集まったところです。よく国会議員の先生から聞かれたものです。香川県の出身だと言うと、君は高松高校を出たんだなと、いや小豆島高校ですと言うと、相手の顔色が変わります。「君は凄いな、あの「二十四の瞳」の学校を出たんだ」と。
 東京で仕事をしていて、小豆島で生まれ育ち、地元の家から一番近い小・中・高校で学んだことが、誇りになり、支えになりました。後輩たちにも私のその経験をしてほしいと思います。
 そのためには、皆さん、先生方の存在がとても大きいのです。是非、子ども一人ひとりの個性を尊重して、その個性を伸ばす教育を実践してほしいと思います。

 次、これからの小豆島町の教育について、町長として考えていることを申しあげたいと思います。  私は、小・中・高校の役割を次のように考えています。小学校は、地域社会の皆さんと交流しながら、ふるさとを愛する気持ちを育み、人間としての基本的なことを身につける場である、中学校は、できるだけ大勢の仲間と切磋琢磨して、勉強、スポーツ、文化活動などの力をつける場である、高校は、将来の目標に向けて、勉強、スポーツなどを、さらに高いレベルで磨く場であると考えています。
 この考え方から導きだされる結論は、明確です。地域社会との関係が大切な小学校は統合すべきものではなく、地域社会との関係をより強めるべきものです。中学校は、逆に、切磋琢磨できる環境をつくるため統合を急ぐべきです。高校は、勉強、スポーツなどについて、他地域以上のレベルを目指すべきです。そのために統合が必要ならば統合を急ぐべきです。
 今、この国は、道しるべがなく、漂いはじめているかのごとくです。どうしたら小豆島を、日本をもう一度元気にできるのだろといつも考えています。私の結論は、簡単です。健全な地域社会を取り戻すことです。そして健全な地域社会で、健全な子どもたち、人材を育てることです。健全な地域社会を取り戻すにはどうしたらいいか、いろいろなことを小豆島町でははじめています。そのことについては別の機会にお話したいと思います。健全な地域社会から、見映えは悪くとも、雑木や雑草のようにたくましい人材を皆さんに育ててほしいと思います。皆さんの教員としての人生が素晴らしいものになることを願って います。(平成25年4月6日)

研修会の様子


教師を志す人や現役の教師など
たくさんの方の思いが綴られたノート


講話を聞く皆さん

町内の小・中・高等学校
池田小学校


星城小学校


安田小学校


苗羽小学校


内海中学校


池田中学校


小豆島高校

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第905回 新人先生研修会


 小豆島町の幼稚園、小・中・高校に新たに赴任された先生方の研修会が、壺井栄の「「二十四の瞳」の舞台となった岬の分教場でありました。
 この研修会は、小豆島町教育委員会がはじめて行ったのですが、いろいろな意味で画期的です。
 ほとんどが新人の先生です。始業式のまえに、教育の原点とも言われる場所で、先輩の先生から先生としての心構えを聞くことは意味があることです。
 もうひとつは、幼稚園から高校までのすべての先生方が一緒の研修を受けることの意義です。当たり前のようですが、そうではありません。高校は、香川県教育委員会の所管で、町の教育委員会からはこれまで切り離された存在でした。
 教育は、幼稚園から高校まで、一貫した理念で行われることが望ましいと思います。人間力形成の面でも、学力向上の面でも、スポーツ振興の面でも、相互に緊密に連携をとることで、大きく前進できるはずです。
 ところで、岬の分教場が、教育の原点とされ、大石先生が先生の理想とされるのはなぜでしょうか。
 ひとつめは、分教場の場所の設定です。「瀬戸内海べりの農山漁村のすべてがあてはまる寒村」に分教場はあります。どこにでもある場所です。
 ふたつめは、大石先生の人物設定です。若くて、ちょっとハイカラ。でも大胆な行動をとるわけでもなく、行動もどちらか言えば謙虚です。大石先生は、どこにでもいる普通の先生であり、女性なのです。
 みっつめは、テーマの設定です。この小説で壺井栄が言いたかったことは、平和の大切さと貧乏であることの意味です。戦争と貧乏のもたらす悲惨さを、庶民の日々の暮らしを描くことで、静かに訴えています。
 こうした小説としての巧みさもあって、「二十四の瞳」は、いつの時代でも、どこでも、誰にも読み継がれる、普遍性を持った作品になっています。
 今度の新任先生の多くが、映画は見ていても、実際の小説を読んでいる人が少ないのには驚きましたが、是非、小説も読んで、これからの先生のあり方を考えてほしいと思います。
 貧乏ゆえに、学校をやめ、大阪に奉公に出る女の子に対しては、泣きたいときにはおいで、一緒に泣いてあげるからといい、兵隊になりたいという男の子には、先生は兵隊よりとうふ屋や漁師の方が好きという、そんな大石先生の生き方から、何かをくみ取ってほしいと思います。(平成25年4月6日)

後藤教育長の開会の挨拶


私も講話をさせていただきました


壺井栄文学館館長の谷岡稔さんの講話


会場となった岬の分教場

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第904回 寒霞渓ロープウェイ50周年


 寒霞渓(かんかけい)のロープウェイが開通して今日で50年となりました。山頂駅(標高612メートル)とこううん駅(同295メートル)を片道約5分で結ぶこのロープウェイ、昭和39年4月3日の開業以来約2130万人を運び、無事故です。立派なことです。佐伯直治小豆島総合開発社長はこれからの無事故も固く誓っていました。
 今でこそロープウェイの存在は当たり前ですが、よくぞここまでの大規模で、技術的にも困難な事業の実施を、当時の先達たちは、よく決断し、実現したものです。伸び盛りで、意気盛んだった小豆島を象徴しています。
 当時の私は小学6年生。始めて乗ったロープウェイから見た寒霞渓の渓谷と眼下の瀬戸内海のきれいなこと、その感動を忘れることができません。
 ロープウェイを先にするか、スカイラインを先にするか喧々諤々の論議があったのですが、結論的にはどちらも実現しました。今なら、どちらも実現しないでしょう。日本という国も、小豆島も、元気溌剌でした。
 それからの小豆島の観光は、順調な伸びを続けることができました。しかし、やがて 島の人口の減少、モータリゼーションの変化による航路の衰退、観光ニーズの多様化などにより、小豆島は苦戦のときを迎えます。観光客数は、最盛期の年間約150万人(昭和48年)から、今では約100万人ちょっとになっています。
 そして今。小豆島は再び元気になる兆しが見られていると思います。ひとつは、3月20日から始まった瀬戸内国際芸術祭です。芸術祭は、再び小豆島の魅力を引き出すでしょう。大勢の皆さんが、寒霞渓をはじめ小豆島を訪れるでしょう。
 もうひとつは、来年は、寒霞渓などが瀬戸内海国立公園として日本で初めて指定されて80年の節目の年にあたることです。これを機会に瀬戸内海の意味、小豆島の意味、寒霞渓の意味をもう一度考えて見るつもりです。
 寒霞渓は、景観の美しさだけでなく、そこに住む動植物の希少さはとても貴重なものです。地質学的なジオパークとしても貴重なものです。寒霞渓のこうした学術的な価値について、私がかつて勤務した環境省自然環境局の関係専門家の力も借りて、節目の80周年を契機に、一度徹底的に検証したいと思っています。その上で、寒霞渓の保全と振興についてのグランド・デザインを作ろうと思います。
 寒霞渓山頂で行われた50周年記念の式典には、小豆島観光大使になっていただいた石倉三郎さんに、飛び入りで参加していただきました。寒霞渓のふもとで生まれ育った石倉さんから、寒霞渓の思い出と小豆島への熱い思いを語っていただきました。
 みんなの力をあわせて、小豆島のみならず日本と世界の宝物である寒霞渓を守っていく道筋をつくることが、50年前にロープウェイを造った先達たちに負けない、今の私たちの世代の責務だと思います。(平成25年4月3日)


記念式典の様子


挨拶する佐伯直治小豆島総合開発社長


小豆島観光大使の石倉三郎さん


記念植樹の様子


寒霞渓とロープウェイ


ショウドシマレンギョウ


カンカケマイマイ

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第903回 ファームステーション「安田の郷」


 地域社会の健全さがすべての出発点のように思うことが少なくありません。地域社会の健全さとは、そこでしかできない産業があり、人々がその地に伝わってきた文化や伝統を誇り、助け合っていることなどです。
 健全な社会では、年齢構成もほどよくバランスがとれ、経済的な豊かさも保たれ、小学校などと地域の皆さんとの交流も活発に行われています。
 安田地区が、まさにそのような地区だといつも思います。この地区の高齢化率は、33.4%で小豆島町の高齢化率36.5%を下回り、銀行の方から貯蓄も一番多い地区と聞いたことがあります。
 安田踊りという香川県の無形文化財に指定された盆踊りも伝承されています。安田の郷では、農業者が農薬に頼り過ぎない米づくりを続け、小学生などとの農業体験交流も盛んです。木桶を使った伝統的な醤油づくりも続いています。
 安田地区に、今度ファームステーション「安田の郷」が完成しました。旧安田小学校として建てられ、その後牛舎として使われ、役目の終えていた建物が、平成24年から東條地域農業集団の会員の手で改修され、農業者が気軽に集まれる施設として生まれ変わりました。
 校舎として使用されていた頃のままの構造を活かし、懐かしい雰囲気を残した建物になっています。改修にあたっては、立命館大学の建築を学ぶ若者たちが、ボランティアとして何度も小豆島を訪れて、設計協力をしてくれたそうです。
 ファームステーション「安田の郷」は、①東條地区農業集団の活動拠点として②地元住民や移住者、島外者との交流の場として③古郷・諸口地区の栽培者が野菜を持ち寄って交流を深める交流市場として④地元の子どもたちが農業体験を通して、農業に対する感心を高める学習広場として活用されます。
 今後は、2階や建物周辺なども整備し、近い将来、安田の郷のシンボル的な施設として活用していくそうです。
 安田地区のこのような動きには、小豆島が元気を取り戻していくために必要なすべての視点が盛り込まれています。健全な地域に健全な子どもたちが育ち、大切なものが次代を超えて受け継がれていくという、私たちが忘れてはならない営みがここにあります。(平成25年4月3日)


ファームステーション「安田の郷」


開所式の様子


参加者の皆さん全員で


地元幼稚園の皆さんの田植え体験


地元小学校の皆さんの稲の脱穀体験


島外者の皆さんの農業体験

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第902回 石倉三郎さんが初めての小豆島観光大使に


 味のある俳優で知られる石倉三郎さんが、初めての小豆島観光大使になりました。
 全国各地に大勢の観光大使がいますが、意外なことに観光地である小豆島には、今まで観光大使がいませんでした。
 いろいろな理由があるのでしょうが、小豆島は行政区画が複数に分かれていますので、小豆島全体を代表する観光大使の発想が出てこなかったのかもしれません。
 幸い観光振興について、小豆島全体をカバーする小豆島観光協会という組織があり、この組織の名で小豆島観光大使を委嘱しようという声があがりました。
 そして、それなら第一号は、石倉さんにお願いしようというのが一致した声でした。早速、石倉さんにお願いしたところ快諾していただきました。
 石倉さんは、小豆島に生まれ育ちました。ご両親が近くの映画館に勤めていたので、先生の目をくぐって、禁止されている映画をいつも観ては、近所に住む仲間の赤岩譲治さんらと、ガキ大将で、ちゃんばらごっこをしながら、映画スターになることを夢見ていたそうです。
 家が貧乏で、中学生のころ、夜逃げ同様に大阪に引越しました。20歳のころには、念願の東映入りしますが、決して順調ではなく、長い下積み、漫才師を経て、名が知られるようになったのは、年を重ねてからのことです。
 石倉さんほど、味のある脇役をこなせる役者はそうはいません。NHKの連続ドラマなどでも、いろいろな役柄をこなされていますが、1年前、国立劇場で橋詰功さんと二人で「ゴトーを待ちながら」という、2時間動きのないセリフだけの劇を観たのですが、テレビなどと全く異なる役柄で、石倉さんの奥深さを見たように感じました。
 石倉さんは、これまでも、その存在そのもので、もう目いっぱい小豆島のPRをしていただいています。いまさら小豆島観光大使になっていただくのは失礼なことでもあると思います。石倉さんには、これまでどおりに、味のある演技のできる、奥深い俳優として、ご活躍していただいたいと思います。もうそのことだけで見事な小豆島観光大使です。私たちも、石倉さんに負けないよう、ふるさと小豆島に誇りをもって、小豆島を磨き、小豆島の魅力を発信していかねばなりません。(平成25年4月2日)

小豆島観光大使認定証の授与の様子


石倉さんの母校星城小学校の児童
によるお祝いの花束の贈呈


下積み時代をともにした
ビートたけしさんの作品の前で


「ゴドーを待ちながら」の舞台後の石倉さんと

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第901回 醤の郷・坂手港プロジェクト・オープニング


 日曜日、坂手港が熱気に包まれました。年度末のこの日、日本中で坂手港ほど、若手のデザイナー、クリエイター、アーティストなどが集結したところはないに違いありません。坂手港が、日本の中心、世界の中心になった瞬間です。
 行われたのは、3月20日から始まった瀬戸内国際芸術祭の小豆島・醤(ひしお)の郷・坂手港プロジェクトに参加したアーティストらと地元の皆さんによるオープニング・イベントです。
 このオープニング・イベント、どこにでもあるイベントのようですが、画期的なものだと思います。もしかすると、大袈裟ですが、新しい時代と文化の営みが始まった日として、後年語り草になるかもしれません。
 醤の郷・坂手港プロジェクトには、明確な理念と目標があります。今度の芸術祭、いろいろな島と地域で素晴らしいアートの展開が行われています。そのこと自体評価されますが、アートの展開がどのような意味を持ち、芸術祭によって何を変え、何を動かし、何をつくろうとしているかが明確にされなければ、芸術祭は単なる一過性のもので終わってしまいます。
 醤の郷・坂手港プロジェクトは、「観光から関係へ」をテーマに掲げています。一度小豆島を訪ねて、観光するのではなく、人と人のふれあいを通し、小豆島を好きになってもらい、何度も繰り返し訪れ、ひいては移住をしていただくことまでを、視野に入れています。内海(うちのみ)庁舎に掲げた「二度目の小豆島には、「ただいま」と言いたくなる。」という横断幕は、その思いを込めたものです。
 醤の郷・坂手港プロジェクトに参加されたアーティストらの皆さんは、単に作品を展開するだけでなく、それぞれの視点から、小豆島の魅力を引き出し、発信していただいています。
 この地区は、醤油づくりを400年以上にわたって続け、京阪神の玄関港としての役割を担うことで栄えてきた地区ですが、新しい視点からの産業と港づくりが、参加アーティストなどの新しい力と地元の力が結びつくことで始まるはずです。
 坂手港は、私にとって青春の玄関でした。18歳のとき、坂手港から船に乗って、神戸を目指しました。40年立って、ふるさとに戻るとき、航路は廃止されていました。
 その航路が、一昨年7月復活しました。海の道がつながれば、私たちは、もう一度元気になることができます。京阪神に住む人々にとっても、3時間海を渡ると、心を癒して、希望を語ることのできる島にたどりつくことができます。
 航路が復活してからの展開は夢のようです。神様が、小豆島を応援してくれています。「希望の島」小豆島でアーティストらと地元の皆さんが新しい「関係」をつくり、これから「希望の物語」を紡いでいきます。
 そのオープニングが今日という日でした。(平成25年4月4日)


たくさんの人が集まった
醤の郷・坂手港プロジェクトオープニング


醤の郷・坂手港プロジェクトの
アーティストの皆さん


記念の鏡割りの様子


橄欖の皆さんの演奏


記念の餅つき


坂手地区婦人会の皆さんによる
つきたてのお餅の振る舞い


醤の郷、ひしお会の皆さんのブース


香川大学の皆さんによる喫茶「白鳥」のブース


岡村絵師のライブペイント


蓮沼執太と仲間達+地元音楽隊による
即興演奏


劇団ままごとによる上演


ライトアップされたザ・スター・アンガー


ヤノベケンジ
作品「ザ・スター・アンガー」


ビートたけし×ヤノベケンジ
作品「ANGER from the Bottom」


UMA/design farm+MUESUM
作品「Creator In Residence「ei」」


壺井栄生誕地お花畑プロジェクト
作品「壺井栄生誕地お花畑」


ヤノベケンジ(絵師:岡村美紀)
作品「小豆島縁起絵巻」


graf
作品「小豆島カタチラボ」


小豆島町民+山崎亮+studio-L
作品「小豆島町
コミュニティアートプロジェクト」



島田陽
作品「大きな曲面のある小屋」


清水久和
作品「オリーブのリーゼント」


加茂昴、小山泰介、鈴木基真、織咲誠
作品「醤油倉庫レジデンスプロジェクト」


マルキン忠勇・小豆島町
作品「醤油蔵通りプロジェクト」

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第900回 クラブオリーブ・アドバイザー会議


 クラブオリーブ・アドバイザー会議が東京で開かれました。この会議は、オリーブ植栽百年を記念して今は亡き坂下一朗前小豆島町長が、東京などで活躍する小豆島出身者を中心に、これからの小豆島の活性化についての意見をうかがう場として設置したものです。
 私もかつてはこの会議のメンバーでしたが、今は主宰者で、年に1度、小豆島の現状と課題についてレポートする場として、楽しみであるとともに、学生が宿題を教授たちの前でレポートをするような思いで、緊張して臨んでいます。
 今回は、小豆島町の人口動態について詳しくレポートしました。きっかけとなったのは、過疎化に苦しむ徳島県神山町を訪れたとき、神山町の人口がITベンチャー企業の進出があって社会増になったと聞いたことです。小豆島でも、最近の移住者の増加を見ると、年齢層や地域を限定すればもしかして、社会増になっていないかと思い、人口動態についてスタッフに詳しく調べてもらいました。
 答えは全くのNO。小豆島町では残念ながら人口の社会増は起きていませんでした。移住者の顕著な増加傾向が見られていますが、島に生まれ育った若者の流出が大きく、それを飲みこんでしまっています。
 例えば、24年度の高校卒業生は、二つの高校をあわせて239人ですが、島で就職したのは15人に過ぎません。大学進学などのため、一旦島を出ることは止むを得ないとして、彼らがいつの日かUターンするのでなければ、人口はこのまま減り続けてしまいます。
 すなわち、人口減少を抑えるためには、地元の若者に働きがいのある働く場の確保が不可欠です。農業などの小豆島でしかできない一次産業を伸ばすことも必要ですし、食品産業などの地場産業を一段レベルアップして若者の魅力あるものにしなければいけませんし、アーティスト、デザイナーなどの移住者に若者をひきつける新しい可能性を切り開いてほしいし、医療、福祉、教育などの公的なセクターも率先的に雇用の場にしなければなりません。
 クラブオリーブのメンバーは、名誉会長の東京香川県人会長松平頼武さん、顧問のスポーツジャーナリストでオリーブ大使の増田明美さんをはじめ医学部などの大学教授、大企業幹部、官僚などそうそうたる面々です。
 意見交換会のあとは、お酒も入って、いつものように、くだけた懇談の場となりました。1年1度のクラブオリーブの皆さんから勇気と元気をもらっています。
 私のレポートについては、回を改めて紹介します。いただいた意見は別添のとおりです。参考にしていきます。(平成25年4月4日)

名誉会長の松平頼武さんのあいさつ


オリーブ大使の増田明美さんのあいさつ


小豆島の現状と課題について話しました


会議での意見交換の様子


会議終了後の懇談の様子

CLUB OLIVEアドバイザー会議資料

瀬戸内国際芸術祭2013パンフレットなど


オリーブによる健康・長寿の島づくりの
パンフレットなど


小豆島 石の魅力創造プロジェクト
パンフレットなど

地域おこし協力隊員、真鍋邦大さん考案の
島の特産物を活用したギフトカード

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第899回 オリーブで健康長寿の島づくり


 24年度から「オリーブで健康長寿の島づくり」を始めています。その締めくくりの推進会議を、顧問の北川博敏香川短期大学名誉学長(香川県食育推進会議会長)にも出席していただき開催しました。
 「オリーブで健康長寿の島づくり」のコンセプトは単純明快です。オリーブをたくさん食べることで健康長寿になること、そのことで医療費と介護費の伸びを抑えて、その財源で地域活性化をすること、楽しく、みんなで料理教室などをして地域の絆を深めること、小豆島の評判を高め、小豆島のブランド力を向上させること、すべていいことだらけです。
 成功の秘訣は、あらゆることを徹底的に行うこと、できるだけたくさんの人に参加してもらうこと、マスコミにできるだけ報道してもらい、大勢の人たちに知ってもらい、また参加者がますます自信を得て、活動の活性化が図れるようにすることです。
 「オリーブで健康長寿の島づくり」には、小豆島が元気になっていくために必要なことがすべて含まれています。この運動や活動から、次々と新しい動きが芽生えてくるはず です。
 24年度の活動の報告を聞いて、予想を超えた活動が広がっているので、驚きました。公民館での料理教室など47回延べ1,058名もの方が参加しました。小豆島高校の料理フェスティバルは大好評で、オリーブ公園や学校給食のメニューにも採用され、マスコミで何度もとりあげられました。
 栄養教諭を中核とした小、中、高校での食育教育も地味ですが、着実に前進してきています。マスコミの皆さんには、是非とも、このような地味ですが、地域を変え、教育を変える、本質的な取組みを取り上げて応援してほしいと思います。県と町の教育委員会には、もっと自信を持って、社会へアピールする姿勢や気概を求めたいと思います。
 「オリーブで健康長寿の島づくり」が本当の成果を実らせるにはもちろん、これから何年もの地道な努力を続けることが必要です。25年度には、さらに徹底的して活動を続けたいと思います。
 内閣府が、食育基本法の制定を記念して、全国食育大会を都道府県持ち回りで開催しています。26年度には、是非とも香川県・小豆島で開催してほしいと考えています。
 「オリーブで健康長寿の島づくり」の実践を全国にアピールしたいと考えています。香川県にとっても、糖尿病受診率ワーストの汚名を返上し、香川の野菜、果物などの農産物 の凄さをアピールする絶好のチャンスになるでしょう。
 実現できれば、小豆島に日本中の食育や栄養、健康づくりの専門家が集結します。小豆島から、日本再生のキーワード「健康」を発信したいものです。(平成25年4月3日)

オリーブで健康長寿の島づくり推進会議

24年度の活動の一部をご紹介します
学校給食の使用する油を
すべてオリーブオイルへ切り替え


病院給食の油もすべて
オリーブオイルへ切り替え


公民館でのオリーブ料理教室


食育の日のオリーブ料理講習会


小豆島高校のオリーブ料理フェスティバル


オリーブ料理フェスティバルの優秀レシピ
の料理をサン・オリーブで提供


オリーブ料理フェスティバルの優秀レシピを
幼稚園・小学校の給食で提供


健康オリーブ料理レシピコンテストの
表彰式の様子

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第898回 東京にて


 年度の最後の仕事日を東京で過ごしました。本来なら役場の退職者の離任式もあるので小豆島にいなくてはならないのですが、前日に映画「瀬戸内海賊物語」の試写会、翌日に小豆島出身者で構成する「クラブオリーブ」の会議が東京であるので、申し訳ないことですが、離任式を前倒しにしてもらい、真ん中の日を東京での活動にあてました。
 小豆島を元気にするという、私の仕事のほとんどは、小豆島でしか行えないものですが、逆に東京でしかできないこともたくさんあります。そのひとつが、国の政策を動かし、変えることです。
 例えば、離島振興法の対象に小豆島も指定される可能性が高くなっていますが、離島振興法の中味を本当の意味で意味のあるものするためには、国の政策を動かし、変えることが必要です。それは東京にきて、国の政治と行政を動かさなければ実現できないことです。
 高速道路料金の低減や無料化に代表されるように、国の交通政策は、陸上交通に偏っています。海上交通にも同じような政策がとられなければ、島嶼部は競争条件を失い、ひいては海洋国家日本が衰退してしまいます。そのことを、国の政治と行政にきちんと理解してもらい、政策にしなければなりません。
 今年は、瀬戸内国際芸術祭で大勢の皆さんが、小豆島を訪れてくれると思いますが、これを持続させるためには、私たちの努力とともに、国にも、瀬戸内海の魅力や観光を振興する旗振りをしてもらう必要があります。
 例えば、来年は、小豆島が国立公園に日本ではじめて指定されて80周年になります。その機会に小豆島をはじめ瀬戸内海の魅力を、全国と世界に発信していくには、環境省や観光庁のバックアップも不可欠です。
 今回は、国土交通省と環境省、そして地元選出の平井たくや衆議院議員を訪問して、いろいろな意見交換をさせていただきました。
 とりわけ国土交通省で、四国整備局や四国運輸局で最近まで仕事をされた皆さんが、小豆島のために、いろいろなかたちで応援をしていただいていること、これからも応援をしていただけることを、肌で感じることができました。国土交通省出身でもあるジャンボフェリーの加藤会長にも同行していただき、大いなる力となりました。
 離島振興法の活用と航路振興策がまったなしで求められています。私の持つあらゆる経験とパワーを使って、それらを実現したいと思っています。海の交通の復権は、小豆島が元気になるためにも、日本が元気になるためにも、絶対に不可欠です。それを実現するために小豆島が果たす役割は大きいのです。(平成25年4月3日)

国立公園寒霞渓


寒霞渓から瀬戸内海を望む


国民宿舎から屋島を望む


坂手港と神戸港を結ぶジャンボフェリー

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第897回 火のないところに煙は立たず


 三都(みと)半島の二面地区の旧講堂に、越後正志さんの「火のないところに煙は立たず」という立体的な空間の作品が展示されています。
 越後さんは、ベルギーなどヨーロッパを中心にアート活動を展開していますが、瀬戸内国際芸術祭に出展するため、昨年9月から三都半島にある小豆島芸術家村の滞在作家として、三都半島をまわって作品を構想し、地元の皆さんの協力も得て、制作に取り組んできました。
 三都半島は、かつてタバコ葉の産地でした。タバコ農家の乾燥小屋は、「越屋根」と呼ばれる、小部屋で炊かれた煙が抜けるための通気口のある、特徴的な屋根をしており、三都半島の風景の一部でした。
 越後さんは、近く解体予定のタバコ乾燥小屋を見つけ、この屋根部分を解体し、旧講堂内で組み上げました。
 そして、小屋のまわりを不要となったビニールハウスの骨組みで包みこみました。ビニールハウスは、タバコ農家がタバコの代替作物として栽培した電照菊のためのものです。
 作品のなかに5台の一輪車が設置されています。一輪車にはタバコ葉が作られていた頃の様子の写真が納められています。
 訪れた人は、講堂の中を歩き回りながら、三都半島の記憶の風景と出会うことができます。
 越後さんの作品について、こう思います。ひとつめは、そこに住む人すら忘れていてしまっていたもの、気づかずいたものの大切さを、もう一度呼び起こしていることです。ふたつめは、作品の材料が、もう使われなくなったもの、不要とされたものであり、それらに、もう一度命を与えています。みっつめは、空間的なかたちのアートという独特なものであることです。
 芸術祭に参加されたアーティストには、いろいろな方がおられるなかで、越後さんは、物静かで、芯の強い方とお見受けしました。作品もまた、物静かに、大切なものを、私たちに、追憶させてくれます。(平成25年4月2日)


越後さんの作品が展示されている
二面地区の旧講堂


越後正志さんの作品
「火のないところに煙は立たず」


作品を見学する様子


瀬戸芸、三都半島パンフレット
(クリックすると拡大できます)

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第896回 人口予測の衝撃


 国立社会保障・人口問題研究所が2040年の人口予測を発表しました。全国人口が今より約2000万人減って1億人ちょっとになります。
 衝撃的なのは小豆島の人口の減り方で、今より約1万3千人減って人口約1万7千人になると予測していることです。この数値は、今の人口減少の傾向を伸ばしただけのものですから、ある意味当然の予測です。
 何もしなければ、何も変わらなければ、この通りの人口になるのですが、人口が減りすぎれば、小豆島の素晴らしい自然も、文化も、伝統も、産業も、守ることが困難になるでしょう。医療、介護などの社会保障の仕組みを持続させることも困難になるでしょう。
 さてどうするか。ふるさとに戻って、私が取り組む課題です。人口が減ることは避けられないとして、減り方をどの程度緩やかにできるかです。
 町長になって3年が過ぎました。やるべきことは、すべて着手しているつもりです。成果が出るまでには、もちろん何年もかかるのでしょうが、人口減少に改善の兆しが見えているのか、ここ数年のデータをつぶさに読み解いてみました。
 結論を言えば、人口減少は改善していません。相変わらずこれまでどおりのペースで減り続けています。人口減少には、自然減と社会減があります。それらの動向を見てみましょう。
 自然減は、亡くなられる高齢者と生まれてくる子どもの数の差です。亡くなられる高齢者の数を抑えることはできません。生まれてくる子どもの数は、年により微妙な変動がありますが、24年度は小豆島町で74人、増加の兆しは見られていません。
 社会減は、流出者と転入者の差です。社会減のペースも大きな変化が見られていません。例えば、今年の小豆島高校の卒業生は105人ですが、島に残り就職したのは9人に過ぎません。ちなみに土庄高校卒業生は6人でした。つまり、彼らが、大学などを卒業してUターンをしない限り、社会減は続かざるを得ません。
 ここまでの説明では、人口減少の緩和の見通しは悲観的なものですが、かすかに将来につながる兆しが、現われてきているのではないかと思われることがあります。
 それは小豆島町への移住者にいくつかの動きが見られることです。24年度の移住者の総数は、124人にも及ぶ見込みです。とりわけ25年3月の総数は33人でした。
 移住者の内訳を見ると、若者をはじめ現役層が多いことがわかります。しかも、アーティストであったり、看護師であったり、お菓子職人であったりと、専門性や問題意識の高い人が少なからずおられます。
 若い層を中心に、小豆島の魅力に注目してくれる方々が増えはじめているように感じます。そのことは今開催している瀬戸内国際芸術祭に来られているアーティストやクリエイターなど、いろいろな分野の若者たちと接触すると、特にそう感じられます。
 このような若い移住者が増えれば、小豆島の新しい可能性が引き出されて、若者の働き甲斐のある職場が生まれてくる可能性があると思います。そうすれば、Iターン、Uターンがさらに増えることも期待されます。
 小豆島の若者が一度は都会に出ることは、大学などが島にない以上仕方のないことですが、どうしたら彼らがUターンしてくれるでしょうか。
 移住者の増加によって人口減少を緩やかにしていくだけでなく、本質的には、島に生まれた人が、島に誇りを持ち、そこで暮らしていくことに喜びを感じなければなりません。
 事は、相当本質的なことです。都会暮らしよりも、田舎暮らしに価値があると考える人々が育っていかねばならないということです。価値観の転換のようなものが社会全体におきることが必要です。
 その意味で、瀬戸内国際芸術祭が何を投げかけるものかを考えたいと思います。芸術祭は、本質的な価値観の転換のはじまりを示唆しているように、私は思います。(平成25年4月2日)
移住者の皆さんの活躍
地域振興アドバイザーとして活躍されている
芸術家の吉田夏奈さん


イタリアレストラン「フリュウ」を
営む渋谷信人さん


中山でパン工房を営む内藤美智世さん


安田古郷地区、島暮らし体験ツアーで
農業体験に参加する様子


子どもたちが、将来島に誇りを持ち、
そこで暮らす喜びを感じられるように


瀬戸内国際芸術祭、さまざまな
アーティストやクリエイターが活動している
Creator In Residence「ei」


アーティストの皆さんだけでなく
地元の方も参加しています

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第895回 映画「瀬戸内海賊物語」試写会


 映画「瀬戸内海賊物語」試写会が東京でありました。この映画は、一昨年の瀬戸内国際こども映画祭の脚本コンクールでの最優秀作品を映画化したものです。
 こども映画祭の企画から運営から、映画化までのすべてを(株)平成プロジェクト代表の益田祐美子さんが細腕で担いました。
 脚本と監督は、愛媛県出身の若手の大森研一さんです。昨年夏、小豆島中でロケが行われ、大勢の島民の皆さんもエキストラで出演しました。
 出来上がった作品、とても素晴らしいものでした。試写会は少数関係者のみのもので、これから最後の仕上げに入るので、詳しく話せないのが残念ですが、映画作品として、ダイナミックで、楽しく、おもしろく、訴えるものがあります。
 この映画のストーリーを、許される限りで言えば、屈強な村上水軍の末裔で、小豆島に住む女の子が、友だちとともに、島の危機、廃止になりそうなフェリーの建造費を得るために、伝説の村上水軍の宝物を探しての、勇気と冒険とサスペンスの物語です。
 小豆島の視点から、この映画を見ると、フェリーの廃止は現実の課題です。フェリーがなくなれば、小豆島の伝統、文化、産業を守っていくことはできないでしょう。一昨年神戸との航路が復活した坂手地区も、小豆島も見事に元気を取り戻しはじめています。
 何が、フェリーを守る力になったか、それは映画を観て考えていただければと思います。楽しくて、教えてもらうことが多い、いい作品になっています。
 瀬戸内国際こども映画祭の話をはじめて聞いたとき、こんなことが本当にできるのかと思いました。よくぞ、ここまで、きたものと、心から思います。あっぱれ益田さん。公開は、来年になりますが、一人でも多くの皆さんに、映画「瀬戸内海賊物語」を観てほしいと 思います。(平成25年4月1日)

1昨年の瀬戸内国際こども映画祭での
大森研一さん(写真:右)


(株)平成プロジェクト代表の
益田祐美子さん


映画「瀬戸内海賊物語」の
昨年夏のロケの様子

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第894回 国道436号線整備促進期成同盟発足


 私は、環境行政に長く携わっていたせいか、道路というものについて、積極的に見る視点が弱かったのですが、ふるさとの首長になってみて、道路の持つ意味がよくわかるようになりました。
 例えば、農業道路について、農業者が少なくなっていることを考えると、費用対効果の観点から説明がつかないと思っていたのですが、ふるさとに戻り、そうではないことがよくわかりました。農業道路は、農業者のためだけでなく、災害時のバイパスなどとして、地域において欠くことができないものであることを知りました。つまり、地域では、省庁縦割りの視点ではなく、常に多面的な角度から物事を見ることが必要です。
 小豆島にも国道があります。国道は、都市と都市を結ぶ幹線ですので、小豆島の国道は、姫路市と高松市を結ぶものです。国道436号です。
 ということは、この国道には、小豆島の陸の上のほかに、瀬戸内海の海の上にも、道路がなくてはなりません。それがフェリーボートです。道路法にも、フェリーボートが道路に該当すると明確に規定しています。
 ところが、実際の運用では、フェリーボートは、道路や国道に相応しい扱いを受けていません。このことがフェリーボートの廃止や運賃が高止まりする理由のひとつになっています。
 小豆島がもう一度、人口減少の桎梏から脱け出し、活性化するためには、道路法の規定に沿って、例えばフェリーボートの建造費の一部を、道路建設とみなして国庫負担するなどして、フェリーが持続することが不可欠だと私は思います。
 今回の期成同盟は、フェリーのこうした課題の解決を直接目指すものではありませんが、今ある国道436号について、将来を見越した絵を描いて、整備を国に求めていこうとするものです。
 国道436号には、まだまだ非常に狭小で、危険な箇所がいくつも残されています。新しい病院や高校が建設されますが、その通院、通学路にあたるところで、狭小で危険なところがあります。災害時の対応にも支障のある箇所があります。その解消が最低限必要です。
 期成同盟は、小豆島の二町だけでなく、民間の皆さんも一緒になって、香川県の協力も得て、実現を求めていきたいと思います。海の道路についての交通政策の転換を国に求めていこうと考えています。(平成25年4月1日)


国道436号線整備促進期成同盟
設立総会の様子

国道436号線の危険個所の一部
赤坂地区


入部地区


昨年完成した芦ノ浦農道


福田・姫路間を結ぶフェリー


坂手・神戸間を結ぶジャンボフェリー

草壁・高松間を結ぶフェリー


池田・高松間を結ぶフェリー

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