町長の「八日目の蝉」記(平成28年10月分)

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1797回 6.「地方の時代のあり方」


 総合戦略の内容です。総合戦略は、ここ数年のうちに実行する小豆島が元気になる基盤になる政策と中長期的に実行する政策の二段構成になっています。
 小豆島が元気なる基盤の政策は次の4つです。「小豆島中央病院を核とした地域医療の充実」「新しい高校を活かした文武両道の人づくり」「利用者の視点に立った公共交通の再生」「瀬戸内国際芸術祭2016の取組み」です。中長期的な取組みの政策は、「健康づくり」「子育ち・人づくり」「産業づくり」「農業の再生と復権」「文化・アート総合戦略」「交通の復権」「自然・環境」「国際交流・移住者」の8つの分野ごとに、政策の在り方を整理しましたが、説明は省略します。いろいろな整理の仕方があると思います。
 今取り組んでいる四つのテーマの考え方は次のとおりです。地域医療があること、そしてそれが充実していることは、地域が元気になっていく上で必要不可欠なことです。小豆島には、二つの公立病院がありました。二つの病院ともきちんとした役割を果たしてきたのですが、人口減少と医師の都市集中、偏在により医師確保が難しくなるなどの課題が起き、放っておいたら、二つの病院ともが共倒れになる危機にありました。
 幸い、二町の意見が合い、島民に皆さんの理解により、ひとつの病院にすることできました。この4月、小豆島中央病院が開院しました。一番心配された医師確保も香川大学などの協力で確保できました。開院1か月の状況は課題もたくさんありますが、順調です。
 小豆島中央病院は、最低限必要な地域医療が守れたということにとどまらず、これから土庄町、小豆島町の枠を超えて、医療だけでなく、健康づくり、介護、子育て、高齢者の社会参加などの取組みが、この病院を軸にして、島をあげて行うきっかけになるはずです。「島はひとつ」が一歩も、二歩も前進するはずです。
 水準の高い医療は、これから小豆島の可能性をいろいろなかたちで高めると思います。小豆島中央病院は、小豆島の実力からすると、専門用語になりますが、ハイ・スペックの病院を目指しています。人が小豆島に集まってくるきっかけになるはずです
 小豆島高校野球部の甲子園での活躍は、皆さんの記憶に新しいと思います。小高野球部の活躍は運がよかったからではありません。優れた指導者が7年をかけて、生徒たちを「エンジョイベースボール」という一貫した理念で実現したことです。小豆島には広い野球の裾野があります。小学校から中学校、そして高校と事実上の一貫教育が野球で行われ、その成果として甲子園での活躍が実現しました。
 新しく小豆島中央高校が開校します。小高野球部の活躍は、小豆島中央高校の先駆けです。これから野球以外の分野でも同じことが実現できると私は考えています。
 これから、新しい高校を頂点にして、小豆島の教育のあり方を根本から見直し、再構築したいと思います。検討の場は総合教育会議です。総合教育会議が昨年度からすべての市町村でスタートしましたが、必ずしもその意味が理解されていないように思います。
 小豆島町では、私が議長をして、毎月1回、教育委員だけでなく、高校長、中学校長、全小学校長、幼稚園、保育園長のほか、町議会の代表に参加してもらい議論してもらっています。年末までには、小豆島町の教育のあり方について、具体的な方向を決めようと思っています。
 小豆島でも自家用車が普及して、公共交通であるバスの利用者が減り、運賃が高くなり、また利用者が減るという悪循環にありました。
 私は、これではいけないとずっと思っていました。新しい病院と新しい高校の成功は、小豆島が元気になるために不可欠です。そして、そのためには、安いバスに乗って患者や生徒が通院、通学できることが不可欠です。
 病院の赤字は数億円、バスの赤字は数千万です。答えは明らかです。バスの赤字が少々増えても、病院の赤字が減れば、島全体の収支は黒字になります。
 国土交通省も、公共交通についての考え方を抜本的に変えています。地域ごとの状況に応じて、公共交通の在り方は違っていいという考え方に立っています。小豆島が公共交通を社会資本として、それを地域づくりの起爆剤にするなら応援すると一貫して協力していただきました。
 小豆島のバス料金は、これまで最大1180円だったのが、今はどこへも300円以下で行けるようになりました。
 バスが利用しやすくなったことが島民に普及し、また、高校生をはじめ利用者が本格的に増えれば、バス会社の赤字解消も夢でなくなるでしょう。何よりも、島民の皆さんの交流、観光客の増加につながっていくでしょう。
 瀬戸内国際芸術祭2016の取組みについては、今回、小豆島町は、「小豆島町未来プロジェクト」と題して、取り組んでいます。つまり、アートの振興にとどまらず、小豆島が元気になっていく上で、アートがどのような意味を持ち得るかという視点で、私は、取り組んでいます。アートが、福祉、教育、地場産業などにどんな関わりを持ち、それぞれがどう変わっていくかという視点です。
 ひとつ例をあげると、草壁港に「ミノリジェラート」という瀬戸芸の参加作品であるお店が大人気です。どうしてジェラ‐トの店が「アート」なのでしょうか。
 この店のジェラートの食材は、小豆島でとれたレモン、ミカン、オリーブ、いちごなどです。お店が繁盛すればするほど、小豆島の農家は潤うし、高齢者も元気に柑橘類の栽培ができるようになります。荒廃地も減っていくでしょう。
 このお店をはじめたのは移住者です。お店の空間デザインは、著名なクリエイターが協力してくれました。つまりこの店は、島内外のいろいろな分野のいろいろな人の知恵が集結されています。小豆島の芸術祭は、アートをきっかけに社会のあり方をどう変えていくかというステップに入っています。(平成28年10月31日)

小豆島町の総合戦略の
「小豆島の基盤をつくる」施策
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小豆島町の総合戦略の基本施策
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4月に開院した小豆島中央病院

甲子園に出場した小豆島高校野球部

来年の4月に開校する小豆島中央高校

総合教育会議では、毎月1回教育委員だけ
でなく、教育機関の長や町議会の代表に
参加してもらい議論を行っています

抜本的な見直しを行った公共交通

地域の資源を活かし地域経済の循環を
目指す取組みの考え方
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小豆島でとれた食材を使ったジェラートを
提供する「ミノリジェラート」

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第1796回 5.「地方の時代のあり方」


 「小豆島町の人口ビジョンと総合戦略」(以下「総合戦略」)について話します。「総合戦略」は、「小豆島を21世紀の日本と世界の『希望の島』に」という、実に大胆な副題をつけましたが、半分以上本音でそう考えています。小豆島の歴史で触れたように、小豆島は、神道、仏教、キリスト教のすべてが融合している島です。そのような島は、世界でも珍しいはずです。21世紀の世界と日本の希望の島でありたいと思います。
 「総合戦略」の基本理念は、四つです。
 ひとつは、小豆島の豊かな自然、文化、伝統、産業、人と人の絆などを守り、その魅力を磨き、新しい価値を加えて、次の世代につないでいくことです。
 ふたつは、自分たちのことは、自分たちで考え、行動し、変えていくという本来の姿を取り戻すことです。自立自助です。
 みっつは、地域の連帯や助け合いの心で、自分たちの地域に誇りと自信を持って地域をつくっていくことです。
 よっつは、日本や世界の人々との関係をつくり、お互いに交流し、みんなで助け合いながら、島の魅力を高めることです。
 人口ビジョンです。
 小豆島町の人口は、平成22年(2010年)16,151人です。厚労省の社人研推計では、平成72年(2060年)5,903人です。人口ビジョンでは9,567人です。2060年にも約1万人を維持できます。大切なことは、社人研推計では49.5%だった高齢化率が36.7%にとどまり、バランスのとれた人口構成に向かっていくことがわかりました。
 10年前に逆ピラミッド型になると思われた人口構成がずいぶん真ん中に丸みのあるものになっています。どうしたら、それを変えるだろうと途方にくれていた私にとっては涙がでるほどに嬉しいことです。
 これらの前提は、こうあればいいという希望的観測に基づくものではなく、ここ数年の小豆島町への若い皆さんの移住増加という実績を踏まえたものです。
 ここ数年、小豆島町への移住者が増加しています。2回目の瀬戸内国際芸術祭の開催された平成25年度以降、毎年度100人を超える皆さんが小豆島町に移住されています。
 平成27年度は148人、20代、30代が60%を超えています。
 しかも、小豆島の食材をつかったレストランを開いたり、移住促進のNPO法人をつくったり、アスパラガスの野菜づくりをしたりなど、小豆島の新しい魅力と可能性を切り開いてくれる皆さんが大勢います。
 人口ビジョンは、こうした移住者がこれからも100人いて、半数が定住するという前提をおいて推計したものです。合計特殊出生率は、国の長期ビジョンと同様の合計特殊出生率を見込んだものです。(平成28年10月28日)

小豆島町の人口ビジョンと総合戦略
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小豆島町人口ビジョンについて①
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小豆島町の人口構成について
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小豆島町人口ビジョンについて②
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人口に占める島回帰の持続を目指して
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小豆島町移住者の推移(年度別)
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年齢階層別の移住者数
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第1795回 4.「地方の時代のあり方」


 小豆島を元気にしたいという思いで6年前に小豆島に戻ってきました。しかし、どうしたらいいものか、本当のところ、何もわからず、困り果てていました。
 しかし、幸運なことに、私が戻った年、小豆島では、小豆島以外の皆さんによって新しい取組みが始まろうとしていました。
 ひとつは、角田光代さんの「八日目の蟬」のテレビドラマ化と映画化、もうひとつははじめての瀬戸内国際芸術祭の開催でした。「八日目の蟬」は、私が「八日目の蟬」記という題名のブログを書き始めるきっかけになりました。
 そして、瀬戸内国際芸術祭は、私に小豆島が元気になっていくヒントを与えてくれました。2010年の小豆島町の瀬戸芸は、中山の王さんの作品のみの部分的な参加にとどまっていましたが、次回は小豆島もしっかり参加しようと私は、二回目の瀬戸芸に向けて準備を始めました。瀬戸内国際芸術祭2013を終えての感想をある本(「小豆島にみる未来のつくり方」(著椿昇、原田祐馬、多田智美)に書きました。そこに書いた文章を見つけて、平田オリザさんが「下り坂をそろそろと下る」に引用してくれています。
 瀬戸内国際芸術祭2013の結論を要約すると次の通りである。
 第一に、アーティスト、クリエイターの皆さんが、地域の人たちが忘れかけている、あるいは気がつかないでいた小豆島の魅力を掘り起こし、見つけ、形にしてくれた。これによって人々は、再び自信と誇りを取り戻そうとしている。
 第二に、小豆島を訪れる人たちの地元の人たちの交流、人と人の交流、地域と地域の交流がはじまろうとしている。
 第三に、小豆島は、アーティスト、クリエイターだけでなく、本当の価値を求めようとしている人たちにとって、可能性のある場所になろうとしている。
 第四に、人口減少と少子高齢化を克服する新たな取組みがアートをきっかけにして、小豆島で始まろうとしている。
 小豆島で始まろうとしている、アートをきっかけにした人口減少と少子高齢化を克服する新たな取組みをまとめたものが、「地方創生」の「小豆島町の人口ビジョンと総合戦略」です。
 「人口ビジョンと総合戦略」は、町長としての6年を振り返り、これからどうすべきかについて、頭の整理をするいい機会になりました。それなりにいいものができたと思いますが、まだ未完成、まだまだ試作品の段階です。
 1ページは、小豆島の歴史を振り返ってみました。江戸時代どころではなく、小豆島の誕生から振り返っています。これからを考えるには、私たちのおかれた危機を考えると、それくらいのスパンで物事を俯瞰することが必要だと思うからです。「小豆島」は、どこから来て、どこに向かおうとしているかという、とてつもなく大きなテーマだからです。
 小豆島は、1400万年前の瀬戸内の火山活動により誕生しました。それから1000万年の間の浸食により、寒霞渓ができあがり、ほぼ今の小豆島のかたちになりました。
 8世紀になると日本の最初の物語である古事記の国生み神話に小豆島が神様がつくった10番目の島として登場します。それほど当時もう小豆島が国全体のなかで重要な島であったことがわかります。
 9世紀になると、空海が小豆島で修行をしています。後に小豆島88か所霊場につながります。16世紀にはキリスト教の宣教師が来島し、小豆島を神の島にしようとします。キリシタン大名の高山右近も1年間小豆島に潜伏しました。
 小豆島が花開いたのは、江戸時代です。今も続く、醤油づくり、素麺づくり、農村歌舞伎は江戸時代に始まりました。小豆島から巨石が海を渡り運ばれ、大坂城の石垣となりました。それを可能とする石材の技術、海運の技術が小豆島にあったことを示しています。
 その後、小豆島も他の地域と同様に、近代を迎え発展していきます。人口のピークは、戦後まもないころでその後は、人口減少がずっと続いています。
 こうした小豆島の歴史を俯瞰して、なぜ江戸時代に小豆島が花開いたのか、どうすれば、再び小豆島は輝くことができるのか。私は、次のように考えています。
 何故江戸時代に小豆島は輝くことができたのか。大胆に単純化すると、「海」「おひさま」「「ひと」「地域」の四つの要素が活かされたことです。
  「海」は、そのころは、交通の要は、海運であり、瀬戸内海は、高速道路でした。交通の要衝であることを小豆島は活かして、交流し、産業、文化を育みました。
  「おひさま」は、温暖な気候、恵まれた自然であり、それを活かした、塩づくり、農林水産業が栄えました。
 「ひと」は、小豆島の人々は「海人」として、進取の気概と冒険心に充ち、かつ、優しく、粘り強い人々でいっぱいでした。
 「地域」は、祭りが盛んで、連帯感と絆でつながれていました。
 それでは、再び小豆島が輝くために何が必要でしょうか。いまあげた四つの要素を取り戻すことはもちろんですが、それらに加え、一部は重なりますが、次の四つの要素が必要になると私は考えています。
 四つの要素とは、「創造力」「自然・瀬戸内海」「教育・ひと」「国際化・交流・関係性」です。 「創造力」とは、科学技術やアート、文化とも言いかえていいと思います。 「自然・瀬戸内海」とは、自然・環境を大切にする、瀬戸内海をキーワードにすることです。 「教育・ひと」は、次代を担う人をどう育てていくかです。
 「国際化・交流・関係性」とは、海外の人、島外の人、地域と直接つながったり、交流することが、地域の魅力の再認識と可能性を広げることになることです。(平成28年10月27日)

映画「八日目の蟬」
(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会

2010年の瀬戸内国際芸術祭で
中山地区につくられた「小豆島の家」

「小豆島にみる未来のつくり方」
(著:椿昇、原田祐馬、多田智美)

「下り坂をそろそろと下る」
(著:平田オリザ

小豆島で始まろうとしている
アートをきっかけにした人口減少などを
克服する新たな取組みをまとめたものが
「小豆島町の人口ビジョンと総合戦略」です

小豆島と日本の歴史をふりかえり、
再び輝く時代へNo.1
(クリックすると拡大できます)

小豆島と日本の歴史をふりかえり、
再び輝く時代へNo.2
(クリックすると拡大できます)

江戸時代に小豆島は輝くことができたのは
「海」「おひさま」「「ひと」「地域」の
四つの要素が活かされたからです

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第1794回 3.「地方の時代のあり方」社会保障のあり方を考える視点


 私の東京での仕事は、社会保障でした。社会保障について、前半は社会保障をどう充実するか、後半は社会保障を持続するためどう見直しをするかがテーマでした。
 どちらもやりがいのあるテーマでした。図は、社会保障の在り方について、厚生労働省を去るに当たって、私の考え方を整理したものです。
 この国のこれからのあり方は、社会保障をどうするかにかかっていると思います。国の政策の見直しはもちろん必要なのですが、私の結論は、社会保障もまたもう一度、地方、地域のあり方を考えることでしか解決できないというものでした。上段は、これまで行われて、今も行われている国の社会保障改革の視点です。人口減少・少子高齢化と経済成長の鈍化に対応して、社会保障の仕組みをどう変えて、守っていくかという視点のものです。
 具体的には、経済・財政との調和を図る、つまり財源には限りがあるので、制度の充実は難しいと言っています。
 給付と負担のバランスを図る、つまり給付額やサービスを減らし、保険料や税負担、本人負担を増やすと言っています。

社会保障のあり方を考える視点
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 世代間の公平を図る、つまり、さっきと同じ、高齢者への給付を減らし、若者の負担を減らす、あるいは高齢者福祉より児童福祉を充実すると言っています。
 これらの改革の視点は間違ったものではなく、必要なことです。問題は、これらの視点だけでは改革が終わらないし、国民からみれば、辛抱ばかりで、なんだということになります。本質的なことが抜けています。
 下段は、私が考えるこれからの社会保障の視点です。人口減少・少子高齢化と経済成長の鈍化を一時的なことではなく、歴史の流れの変化と考えれば、そのことを真正面から受け止めて、発想を変えて、人口減少・少子高齢化と経済成長の鈍化から起こる課題を克服するために、社会保障の考え方や仕組みを変えていくという、逆転的な発想です。
 具体的には、NPO活動の充実などにより、地域の人の力を活かし、地域の力を高めて、福祉をつくったり、高齢者の力で、地域の産業や福祉の基盤をつくったり、高齢者が子育ち支援や人づくりに力を注いだり、誰もが地域で役割を担い、かかわり合いのなかで、地域社会をつくることなどです。
 以上まとめると、支え合う人々の顔の見える社会と地域の再生につながる社会保障をつくっていくことがこれから重要です。このような取組みは、地方でしかできないことです。つまり、この国の最大課題の克服は、地方からしか始まらないと私は考えたのです。

人口減少・少子高齢化と経済成長の
鈍化から起こる課題を克服するために、
社会保障の考え方や仕組みを変えていくという、
逆転的な発想が必要です

 最後のポンチ絵は、霞が関を卒業するに当たっての私の結論です。地域から日本を再生するしかない、人と人との絆、地域の絆、人の力を活かし、地域の力をどう高めるかが、これから一番大切なことだと。
 大きな改革が必要なこととして4つあげています。「人口減少時代の社会保障の改革」「地方の復権の改革」「消費税を含む税体系の抜本改革」「本物の男女共同参画社会の改革」です。具体的な政策として4つあげています。「身近な自然・環境の再生」「人をつくる教育の再建」「NPOなどの新しい『公』の担い手の創造」「農林業など地域密着の産業の復活」です。
 この紙は、私の出発点となるペーパーです。町長になり6年が経ちました。できていることもあるかもしれませんが、できていないことばかりです。ポイントがずれていることもあります。抜けていることもあります。(平成28年10月26日)

地域からの日本再生
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第1793回 山伏の見た小豆島


 山伏は、自然と共にあり、自然の中で死と向き合いながら生きています。先日、山形市であった国保医療学会の基調講演を、出羽三山羽黒山の山伏の方がされました。そのときは、私の関心は、医療をどうするかにあり、今の時代にまだ山伏がいるのかという程度の関心しかなく、講演を聞くことはありませんでした。
 それが変わったのは、小豆島に戻って、瀬戸内国際芸術祭2016の秋会期のCreator in Residence「ei」で作品展開をする坂本大三郎さんに会い、お話しを聞いてからです。
 坂本さんは、もともとは東京でイラストレイターをしていました。しかし、出羽三山に入って以来、山伏の世界に魅入られてしまいました。以来、芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、東北を拠点に、講演をされた山伏のお弟子さんの山伏として活動しています。惜しい講演を聞きそびれたものです。
 坂本さんは、春には山菜を採り、夏には山に籠り、秋には各地の祭りをたずね歩き、冬には雪に埋もれて暮らしています。今年の秋、小豆島を訪れたのは、UMA/design farmの原田佑馬さんとMUESUMの多田智美さんの紹介です。お二人とそのスタッフと一緒に、小豆島坂手に住む人々の暮らしをさまざまな視点で調査・分析し、小豆島の豊かな自然の背後にあるものを見出し、芸術祭の作品をつくるためです。
 坂本さんは、小豆島に来て、小豆島のあちこちを訪ね、人々の話を聞き、文献を読み漁りました。そして、UMAとMUESUMのスタッフの皆さんと坂手物見台に作品を展示しました。
 坂手物見台のひとつの部屋には、小豆島の特産の素麺のスクリーンに、坂手にある五輪塔と徳本にある風葬を行う洞窟・奥籠りを映し出しています。既に忘れられつつある「モノ」と人との関係を紐解くことで、この土地の生と死の有り様に触れています。
 もうひとつの部屋では、「おい縄そうめん」のほかに、海からの漂流物、山の木々、坂手に暮らす人たちが使い古した生地といった素材から、「面」をつくり、生と死の中間にある「モノガタリ」を紡ぎ直しています。
 小豆島の一部の地域には、お盆に生そうめんを編み、先祖を迎える「おい縄そうめん」という文化があります。遠い昔から人はうどんや餅などの粉ものを神聖なものとしてきました。「面をかぶる」ことの意味について、坂本さんから、特別に教えてもらいました。
 「面をかぶる」ことによって、自分という存在を消し去って違うものになります。能面もそうですが、東北のナマハゲなどでは、聖なるものが面をつけ、扮装して聖なる世界(彼岸)から現世(此岸)に現れます。聖なるものは、多くの場合、祖霊・死者の要素を持っています。
 坂手では、海や山といった聖なるものの世界と考えられたところからやってきたモノと、坂手で暮らしている人たちが使い古した着物を裂き織り技法で再生させた布を使って面をつくりました。
 聖なるものは死の側面も持っていますが、命を与えてくれる存在でもあり、マツリの場は、祖先である死者と生者が入り乱れて、新たな生を祝うものです。太鼓祭りが、もともとはお盆の時期であったように、マツリは死者と生者が交差するものです。
 展示した面にも、死者と生者が混在するマツリの要素を持たせたいとの思いが込められています。芸術にはマツリと同じ意味があります。マツリは、死者と生者が交差するちょうど中間で行われ、命を創出するものと考えられていました。そのような意味で、この作品の説明として「生と死の中間」といった言葉を使いました。
 今回の坂本さんの小豆島滞在は2週間ほどでした。是非また小豆島に来ていただき、小豆島をじっくりと見ていただき、小豆島のこれからを話してみたいと思います。(平成28年10月25日)

先日、山形で行われた国保医療学会で
山伏の星野文紘さんの講演がありました

坂本大三郎さんの作品が展示されている
坂手物見台

物見台のひとつの部屋では、素麺の
スクリーンに映像が映し出されています

小豆島の一部の地域では、
お盆に素麺を編み、先祖を迎える
「おい縄そうめん」という文化があります

海からの漂流物、山の木々や使い古した着物
などから作られた「面」が展示されています

展示された面には、マツリの要素を
持たせたいとの思いが込められています

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第1792回 瀬戸内アジアフォーラム


 瀬戸内国際芸術祭2016の一環として、「瀬戸内アジアフォーラム」が開かれました。アジアの10か国・地域から、26団体、約50人の皆さんが参加されました。
 フォーラムを主宰された北川フラム瀬戸芸総合ディレクタ―をはじめ、アジア各国のアーティストだけでなく、さまざまな分野の有識者の皆さんの発言、意見交換から多くのことを教えられました。
 そもそも、なぜ今、北川フラムさんが、瀬戸内海で、しかもその主要会場として、小豆島の福田を選び、アジア各国のアーティストというより、キュレイターと呼ばれるアートのあり方をリードし、広める人たちや、アートを新しい国、地域づくりに位置付けようとするアジア各国の関係者、さらに日本の歴史学者、社会学者、文学者など多様な人々を一同に会したミーティングを開催されたのでしょう。
 北川さんには、北川さんのお考えと信念があると思いますが、フォーラムでの講演と意見交換を聞かせてもらい、私は、次のようなことでないかと考えました。
 壮大な話になりますが、私たち人間や社会の存在が、どんな大きな流れにあって、どこに向かおうとしているかという問題です。どうも、現代社会は、行くつきところまできて、この先、どうやっていいのか、混迷しているように思います。そのことをどうしたらいいかと考えたとき、「根本に戻らないとその解決はできない」と私は思います。
 都市化が進むこと、科学技術が進むこと、国際化、グローバル化が進むこと、経済が成長すること、どれもいいことだし、私たちの生活は、便利で、快適で、魅力あるものになっています。
 しかし、その一方で、私たちが、良きものとして感じていたものが、忘れられ、なくなろうとしています。人によってそれは異なるでしょうが、私なら、身近な自然であり、田んぼであり、畑であり、里山・里海です。額に汗して働く人々の姿であり、優しさに満ちた人々の笑顔であり、子どもを大切に育てる大人や地域の姿であり、ともに助け合い、知恵を出し合う地域の人々の姿といったものです。
 そうした人々や地域の姿が、都市部だけでなく、すべての地方であってほしいと思います。都会だけが栄え、地方・地域が衰退するというのは、どこかがおかしいし、そんな状態が続けば、いつか都市も行き詰まるはずです。どうしたら今の状況を変えることができるのでしょうか。そもそも今の状況は、大きな歴史や文明の流れを見極めると、意外にも心配したものではなく、きちんとした考え方や正しい政策が実行されれば、望ましい方向に向かうのでないかとも思います。
 その答のヒントの一端が、今度のフォーラムにあったように思います。人間が地球に誕生したのは20万年前のアフリカだったと言われています。6万年前くらいから人間の大移動が始まり、日本列島に人間がたどりついたのは、3万年前だと言われています。
 人間は、たどりついたそれぞれの土地で、それぞれの文明、歴史をつくりあげていきました。そして、やがて大航海時代が15世紀ごろから始まります。ヨーロッパの人々が、アジア、アフリカ、アメリカへと大移動を始めるようになりました。その結果多くの地が植民地となっていきました。
 このことを、いわゆる「近代」の始まりだと言ってもいいと思います。「近代」とは、ヨーロッパの文明観や社会観、個人の尊重、科学技術の信奉などが、普く、広がっていった時代です。政治的には、国民を単位とする国民国家が社会保障などの基盤を整備し、国ごとに特色のある産業なども順調に発展することができました。
 「近代」という時代は、植民地支配や世界戦争など戦争の絶えることのない時代でもありましたが、経済はおおむね成長し、国際化も進展し、人々はおおむね幸せを広げていくことができたように思います。しかし、今、「近代」という時代は終わりにさしかかっている、新しい時代の胎動が始まっている、その動きをきちんと、とらまえることで、再び、人間は人間として生きていける、500年くらいの単位の時代の変化の転換点に私たちはいる、そのようなことを、今度のフォーラムを通して、教えていただきました。
 そういう考え方に立って、国のあり方、社会のあり方、人の生き方、科学技術や環境政策、社会政策のあり方を考えると、漠然として、不透明だった未来の先が、少し見えてくるように思います。文化芸術の意味や瀬戸内国際芸術祭のような取組みには、そのような、私たちがまだ実感できないでいる、先の先を見通すものがあるように思います。  社会学者の吉見俊哉さんの講演が印象的でした。吉見さんによれば、「近代」のモットーは、「より速く、より高く、より強く」です。ポスト「近代」のモットーは、「より楽しく、よりしなやかに、より末永く」です。今、私たちは、大航海時代に始まった「近代」の出口にいます。これからの時代に必要なことは、「面」ではなく「点」と「点」を結ぶこと、つなぐことです。世界中、日本中、そして人々のなかに点在する素晴らしい点をつないでいくことです。
 「面」のことを「都市」と考えれば、「点」は「地域・ひと」です。世界中、日本中の「地域・ひと」が、それぞれ個性豊かに輝くことが大切です。魅力のある点と点がつながることが必要です。「面」という捉え方をすると、「面」の内か、外かによって、隔別したり、対立のもとになります。無数の「点」なら、多様で、無限の結び方が可能になります。
 最近、よく、「quality(質)」とか「diversity(多様性)」とか「resilience(復元力)」とか「sustainability(持続性)」が、キーワードとして語られます。これらのキーワードを、500年単位の時代の変化のキーワードとして、真剣に、国のあり方、地域のあり方、人の生き方、政策のあり方を、もう一度再構築することが求められているように思います。
 少し、議論が、おおげさになってしまいましたが、こうして考えていくと、瀬戸内国際芸術祭と小豆島の「地方創生」とが、重なり合う取組みであり、同時進行している意味が、少し見えてきます。どちらにせよ、取組みは、一歩一歩、地道に、歩んでいくしかありませんが。(平成28年10月24日)

 瀬戸内国際芸術祭2016の一環として
行われた「瀬戸内アジアフォーラム」
高松会場のようす

福武ハウスでも「瀬戸内アジアフォーラム」
小豆島会場が行われました

アジアの10か国や地域から、
26団体、約50人の皆さんが参加されました

アジア各国のアーティストだけでなく、
さまざまな分野の有識者の皆さんの発言、
意見交換から多くのことを教えられました

なぜ今、北川フラムさんが福田を
主要会場として「瀬戸内アジアフォーラム」を
開催したのか考えました

小豆島などでも国際化、グローバル化への
対応が必要となっています

昔から続く素晴らしい自然や伝統などが
忘れ去られ、なくなっています

瀬戸内国際芸術祭の取組みには
先の先を見通すものがあるように思います

「瀬戸内国際芸術祭」と「地方創生」という
重なり合う取組みを地道に進めていきます

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第1791回 瀬戸内アジアフォーラムあいさつ


 東アジアから来られた文化・芸術団体のみなさん、地域づくりの関係者のみなさん、ようこそ小豆島へ、ようこそ福武ハウスへ。
 小豆島の島民を代表して、みなさんを心から歓迎します。そして、瀬戸内国際芸術祭2016と東アジアの文化の魅力を高める、瀬戸内アジアフォーラムが、ここ小豆島の福武ハウスで開催されることが、とても光栄で、大きな意味があると感じています。
 開催に力を注がれた北川フラム総合ディレクターをはじめ、フォーラムに関わっている全ての皆さんに感謝します。昨日の小豆島のアートツアーは如何でしたか。皆さんの目には、小豆島がどのように映ったでしょうか。
 小豆島のことを話します。
 小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動によって誕生しました。ところで、もともと日本列島は、ユーラシア大陸の一部でした。
 今日のフォーラムに中国から20名近くの方が来られていますが、私たちの大地は、もともと一つの大陸であり、同じ風土でした。
 1500万年ほど前に、日本海ができ、日本列島がユーラシア大陸から分離しました。そして1400万年前に小豆島が誕生しました。
 瀬戸内海は、世界中で最も美しい多島美の海です。瀬戸内海は、日本で最初に国立公園に指定されています。その美しい自然景観の島の上に、私たちの先達たちは、小豆島の素晴らしい文化と伝統、産業を築いてきました。
 私たちの先達たちは、「海人」です。海が交通の要衝であったころに、大阪、京都などの日本の中心に近いという地の利を活かして、文化と伝統、産業を築いてきました。「海人」は、高い技術と進取の気概を持っていました。小豆島の先達たちは、今から400年も前に、山から数十トンもの大きな石を正確に四方形にして切り出し、海の上を遠く大阪まで運び、大坂城の石垣としました。今の科学技術をもってしても、なぜそんなことがその時代に可能であったのか解明できていません。それほどに、小豆島の先達たちは、高い石工の技術と操船の技術、そして進取の気概を持っていました。
 小豆島の先達たちは、同じころ、醤油づくりと素麺づくりを始めています。瀬戸内海の穏やかな気候と風土、古くから営んできた塩づくり、原料と製品を大量に運べる海運、そして新しいことにチャレンジする進取の気概、島の先達たちは、島にあるモノと強みを考えながら、自分たちの力で素晴らしい産業と文化を育みました。
 そして、上方歌舞伎に習い、自分たちだけで農村歌舞伎を始めました。今も島内の2か所で農村歌舞伎は続けられています。最盛期は島の中に31か所の歌舞伎舞台がありました。
 その小豆島がこの100年ほどの間の日本全体の高度経済成長の下で苦しんでいます。地方よりも都会、都市が優れているという時代が続いたからです。近代化によって地方は、ある意味では、切り捨てられてしまい、その価値を忘れられました。小豆島を含む多くの地方が、人口減少に苦しみ、存亡の危機を迎えています。
 そこに転機が訪れようとしています。2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭がそのきっかけです。世界中のアーティストが、小豆島をはじめ瀬戸内海の島々に訪れ、アートや文化を通して、瀬戸内海の島々の魅力と可能性を気づかせてくれました。国内外から大勢の皆さんが島々を訪れてくれています。小豆島では、若い移住者が増えています。小豆島は、再び、元気になろうとしています。今、人口減少時代の「あたらしい社会のあり方」を小豆島から提案したいと考えています。アート・文化を通した、人口減少時代の福祉、医療、教育、子育ち、産業、観光、暮らしなどのあり方を小豆島から提案したいと思います。それを「小豆島モデル」と、私は呼びたいと思います。
 瀬戸芸2016の開幕にあわせて、移住者の方がとてもお洒落で、美味しいジェラートのお店をオープンしてくれました。
 「ミノリジェラート」という名前のお店で、瀬戸芸の参加作品にもなっていて、連日お客さんの列ができています。ジェラートには、小豆島で採れるレモンや八朔などの柑橘類、オリーブや酒粕など、島の農産物が活かされています。お店の空間設計は、クリエイター集団のgrafが手伝ってくれました。アートをきっかけにして、島の農業が守られ、高齢者や障がい者の活躍の場が生まれ、新しい産業が誕生しています。
 「小豆島モデル」のひとつに、新しい国際交流のあり方があります。そのあり方とは、国と国ではなく、地域と地域が直接つながる、人と人が直接つながるという、国際交流のあり方です。
 福武ハウスでは、海外のアーティストと地元の福田の皆さんが協力して、作品をつくりあげました。アジア各国の自慢の食をつくりあって交流しています。昨日の夕食と今日の昼食も福田のおじちゃん、おばちゃんたちが、額に汗してがんばっています。昨年の12月には、今日も会場に来られている台湾歴史資源経理学会の丘先生の仲介で、台湾桃園市新屋区と福田地区自治連合会が友好交流協定を結び、お互いの文化を理解しながら、交流を深めています。
 20万年前にアフリカで最初の人間が誕生しました。そして3万年前に、人間は日本列島にたどり着きました。北の海から、南の海から、朝鮮半島から、途方もない時間をかけて、人間は日本列島にたどりついたのです。
 私たち人間は、共通の祖先を持っています。この福武ハウスが、世界中から、アジア中から、アーティストやこえび隊、ゲストが集い、交流する拠点になってほしいと思います。 私たちは、交流することで、異なる文化と伝統、産業の違いを知り、それぞれの文化と伝統、産業の魅力と可能性を知ることができます。そのことが、それぞれの文化と伝統、産業を守り、磨いていくことにつながるのだと思います。
 小豆島は、これからも人口が減少していきます。日本も同じです。
 それでも、私たちは、島の外の力も借りながら、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、人びとの絆などの魅力を磨いて、次の世代に伝えていかなくてはなりません。人口減少時代の社会のあり方を、アートや文化を通して小豆島でつくっていきたいと考えています。
 瀬戸内アジアフォーラムは、その大きなきっかけになり、小豆島、瀬戸内海、東アジア、そして世界の未来に貢献すると考えています。
 今日と明日のフォーラム、とても楽しみにしています。
 本日は、ありがとうございます。(平成28年10月21日)

 東アジアの文化・芸術団体関係者らが
参加して行われた「瀬戸内アジアフォーラム」

瀬戸内国際芸術祭2013で
福田小学校跡地に設置された「福武ハウス」

瀬戸内海は、日本で最初に
国立公園に指定されています

美しい自然景観の島の上に、先達たちは
素晴らしい文化、伝統、産業を築いてきました

また、先達たちは高い石工の技術と
操船の技術、進取の気概を持っていました

醤油づくりや素麺づくりといった産業を
自分たちの力で育みました

瀬戸内国際芸術祭がアートや文化を通して
瀬戸内海の島々の魅力と可能性を
気づかせてくれました

島の農産物を活かしたジェラートを提供する
瀬戸芸参加作品の 「ミノリジェラート」

福武ハウスでは、国と国ではなく、
地域と地域、人と人が直接つながる
国際交流が行われています

台湾桃園市新屋区と福田地区自治連合会が
友好交流協定を結び、交流を深めています

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第1790回 2.「地方の時代のあり方」


 ふるさとに戻ろうと考え始めたころ、小豆島と日本のこれからについて考え方を数枚のポンチ絵にしました。10年ほど前のことですが、驚くほどに、私は、あれから何も進歩していません。
 1枚目は、小豆島と日本全体の人口の推移を比較したものです。江戸時代からこれから 100年先まで見てみると、歴史の大きな流れがわかります。
 この図でまずわかることは、人口が、江戸時代からずっと登り坂だったのが、小豆島は戦後ずっと、日本全体は数年前から下り坂になっていることです。小豆島は、日本全体の60年ほど先をいっています。
 小豆島の人口減少の原因は、社会減、小豆島から都会へ若者が向かったことが最大の原因です。私もそのひとりでした。最近は、日本全体と同じ少子化が加わっています。数年前から始まった日本全体の人口減少の理由は、言うまでもなく少子化です。
 小豆島の人口は、江戸時代の初めも、今も3万人です。ところが、日本全体の人口は、江戸時代は3千万人、今は1億3千万人。江戸時代の小豆島は、今でいう都市だったのです。
 この図で理解しなければいけない最大のポイントは、これからの人口減少の下り坂が余りに急坂であることです。余りの急坂では、みんなが転げ落ちてしまいます。

小豆島と全国の人口推移
(クリックすると拡大できます)

 もう一つのポイントは、これから日本全体で起きるかもしれないことを小豆島が先取りしています。そうならば小豆島で、人口減少時代の社会のあり方をつくる社会実験をできるのではないかと思いでました。
 次の図は、小豆島の人口構成がどう変わるか見たものです。小豆島は、これから人口が急速に減少するだけでなく、やせ細った上に、逆ピラミッドになることでした。この図をみながら、絶望的になりました。こんなやせ細った人口構成で何ができるというのか。この人口構成を変えることなど、できるわけがないと絶望的になるばかりでした。

小豆島の人口ピラミッド(2005年~2035年)
(クリックすると拡大できます)

 次の図は、人口減少・少子高齢化を克服するために、必要なことを地方再生の視点からイメージしたものです。
 そのころから、私は時代が、歴史が少し変わろうとしていると感じはじめていました。つまり、地方から都会へという人の流れが、少し変わりはじめているのではないか、という思いでした。
 この国は、戦後一貫して地方で育った逞しい若者たちが都会に向かい、彼らが成し遂げた富を地方に配分、還流することで、日本全体が、都会も、地方も、めざましい発展、進歩を実現してきました。
 政治の仕組みも、中央に、人材も、財源も集中し、国が政策をつくり、財源つきで地方が実行してきました。
 そのことが少し変わり始める、つまり、都会から地方へという、小さい人の流れが始まろうしている、国主導の政策づくりも、国全体の人口の減少、経済成長の鈍化するなかで、もう一度、地方が力をつける、地方が元気になることで、政策をつくっていかねばならない時代になろうとしていると、そう思ったのです。
 この際、すべての地方が元気になれるわけではない、そうしようと決断し、適切な政策を立案し、実行した地方のみが元気になれると思いました。
 必要な政策とは、例えば、農業再生、山の手入れ、福祉ボランティア、文化活動、地場産業育成、子育て教育支援などです。10年前私が考えた事柄です。
 都会は高齢者人口の絶対数の激増が発展を制約するようになり、人をひきつける魅力ある地方が、自立性を回復し、地域間で競い合い、全国と世界に魅力を発信するようになると私は考えたのでした。(平成28年10月20日)

人口減少・少子高齢化を克服するために
(クリックすると拡大できます)

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第1789回 小豆島の秋祭り


 10月11日の福田の葺田八幡神社の秋祭りを皮切りに、10月小豆島と豊島では、8つの神社で秋祭りが連日のように行われます。
 200年以上も続けられている伝統行事です。小豆島の秋祭りは、赤い布団を重ねた高さ3メートル、重さも1トンも2トンもある太鼓台を何十人もの手でかきあげ、まちを練り歩きます。太鼓台には、数人の子どもたちが乗り子になって、太鼓を叩き続けます。
 秋祭りは、五穀豊穣を祝う秋の行事として、定着していますが、小豆島の民俗を研究した川野正雄さんによれば、もともとは夏の行事だったそうです。そうだすると、太鼓祭りは、五穀豊穣に限らず、島の繁栄について、ご先祖さまや自然に感謝する祭りと考えることができます。
 どちらにせよ、ひとつの島のなかで、これほどの数の祭りが、日を変えて、連続して行われ、かつ、それぞれの地区の太鼓台のカタチや担ぎ方などが、微妙に違い、個性豊かで、何よりも、人口減少が進むなかでも、賑わいを保っていることに、小豆島の底力、文化の力、伝統の力を感じます。
 小豆島では、急速な人口減少が進んでいます。戦後間もないころ6万人いた人口が3万人を割りました。その結果、学校や病院の統廃合が進められています。内海地区の小学校について、私はずっと、今の小学校を残したいと考えていました。それが、子どもたちにとっても、地域社会にとっても、有意義であり、必要なことだと考えていました。
 しかし、これからの子どもたちが、地域社会だけでなく、日本中や世界に雄飛して活躍できるように育っていけるためには、ある程度の学校の規模で、たくさんの優れた先生たちのもとで、できるだけの多くの子どもたちと切磋琢磨できる環境で、学び、育っていくことが必要だと考えるようになりました。
 太鼓祭りはどうなのでしょうか。太鼓台についても地域統合が必要になるのでしょうか。今年の秋祭りを見ていると、かき手は、帰省者や瀬戸芸に参加・協力しているアーティストや学生の皆さんなども加わって、大勢の皆さんの力で、それぞれの地区の太鼓台は勇壮な演技をしていました。それでも、なかには、休みの日程の都合で、帰省者などが少なく、かき手不足で、かきあげるのが大変そうな太鼓台もありました。
 人口減少は、乗り子の確保の方が、かき手よりも大変そうです。かつては、大太鼓は8人の乗り子でしたが、今年は、2人や3人の乗りの太鼓台もありました。私の子どものころは、たくさんの乗り子希望者がいて、あぶれる子どももいました。私も、もぞもぞしているうちに、あぶれていました。
 これから地域社会はどうなっていくのでしょうか。小学校がなくなることによって、地域社会はあり方を変えていかざるをえません。子どもたちの未来が一番です。小学校に変わる地域社会の拠点が必要になります。子どもたちや高齢者、障がいを持つ皆さん、子育て中の皆さんなどが、気楽に集まって、交流できる場が必要です。高齢者が、地域で、健康づくりや、さまざまな活動ができ、生きがいを持って、地域に貢献しながら、暮らせる場をどうつくっていくか。新しい、地域の「小学校」をつくっていくことが必要です。
 ところで、江戸時代の小豆島の人口は、2万人から3万人でした。だとすれば、人口が3万人を割ったからといって、そう悲観すべきではないと思います。大切なことは、人々のこころ、気持ちの持ち方にあると思います。
 小豆島は、その素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆をこれからも守り、磨いていけると私は思っています。「八日目の蟬」の作品を書いた角田光代さんが、ある出版社の企画で、来島されました。残念なから、秋祭りは見ていただけなかったのですが、もし見ていただいたら、秋祭りの登場する、小豆島を舞台にした新しい小説が生まれたかもしれないので、残念でした。
 角田さんに、「八日目の蟬」と瀬戸内国際芸術祭をきっかけにして、小豆島は再び、元気になろうとしていることを話し、お礼を言いました。このふたつを通して、私たちは、小豆島の魅力と可能性に気づくことができたように思います。
 小学校は統合することになるかもしれませんが、私は、太鼓台は、これからも、いまのカタチを守っていくことができると思っています。太鼓祭りが始まったころの江戸時代も今の人口と同じくらいだったからです。地域社会は、そこに住む人たちの知恵と力で、これからも、その良さを守り、磨いていけるはずです。そのためには、変わるべきこと、変えるべきことは変えていかないといけません。環境の変化に応じて、変わっていかなければいけません。「脱皮しない蛇は滅ぶ」と言われています。
 今年の秋祭りは、すべて天候に恵まれ、各地の秋祭りは、とても賑わったいい秋祭りでした。秋祭りが未来永劫に続くようにしたいと思います。(平成28年10月19日)
小豆島町内の秋祭り

葺田八幡神社(福田)の太鼓台奉納


地区によって特色の違う
獅子舞も奉納されます

地元の子どもたちによる
長刀踊りの「ネリ」のようす

内海八幡神社(馬木)の太鼓台奉納


橘地区と馬木地区の幟さしが
馬場で披露されます

亀山八幡神社(池田)の太鼓台奉納


神浦地区の太鼓台は
「オシコミ」船によって運ばれてきます

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第1788回 「カタチラボ」<続>


「テーマ:構造/タイトル:はしわけのわけ」
 小豆島の手延べ素麺は、400年の歴史を持っています。お伊勢参りの帰りに、素麺づくりを 知り、冬の農閑期の仕事にしました。素麺づくりの一環で、ごま油づくりも盛んになり、今も小豆島は日本最大のごま油の生産地です。
 「おい縄素麺」というお盆に、めいめいの流儀で、素麺を編んで吊るし、御先祖が家に帰ってくるのを歓迎する風習が今も残されています。素麺は小豆島の人々の暮らしに息づいています。
 素麺の製造工程のひとつに、“箸分け”という作業があります。麺を細く伸ばした後、箸を慎重に麺の間にすべりこませ、ゆっくりと左右に分け、くっついた麺を離していきます。麺を8の字を描くように棒に掛け、麺と麺の間に隙間をつくることで麺を伸ばしたときにくっつかないように工夫されています。重なっていた麺が細く伸びながら分かれるその仕組みが実に理にかなっています。
 山吉邸は、築100年を超える日本家屋です。この荘重な建築と共存するような「箸分け」の仕組みを生かした建具がつくられました。
 手延べ素麺の工程の8の字にかけて伸ばす構造を生かして交点の位置を変化することで、光のいり具合や外の景色の見え方など、季節や時間の移ろいとあわせて、建具自体の表情が変化します。
「テーマ:道具/タイトル:火手の構造」
 小豆島の肥土山と中山では、農村歌舞伎が300年以上に渡って続けられています。稲の豊作を願い、感謝する奉納歌舞伎です。これらの地区では、7月に「虫送り」という伝統行事も続けられています。
 「虫送り」は、田んぼのあぜ道を火手(ほて)と呼ばれるたいまつを持って、「灯せ灯せ」と掛け声をかけながら歩いていきます。火手の火で、害虫を追い払い、豊作を祈ります。
 火手は、持ち手となる竹の先端を割いて、油を染み込ませた布をそこに挟み作られています。虫送りの途中で火が消えることがないように工夫されており、長い年月使われ続けているその道具のもつ必然的な形に美しさを感じることができます。このシンプルな構造を家具に転用することで、新しいカタチが生まれました。
「テーマ:茶/タイトル:オリーブブレンドティー」
 小豆島には、多くのオリーブ農園があります。日本最大のオリーブの産地です。オリーブから、オリーブオイルをはじめオリーブを素材に様々な食品や化粧品が作られています。そのひとつにオリーブの葉を使った“オリーブ茶”があります。
 飲んでみると、ほんのりオリーブ独特の香りと苦みがあり、その奥にやさしい甘みが感じられます。島内には世界唯一のオリーブ茶園も存在し、畑や果樹園と並び、自然豊かな小豆島の風景をつくっています。
 小豆島の新たな特産物になるよう、オリーブの葉と島の素材を組み合わせたブレンドティーが誕生しました。小豆島のオリーブティーに季節毎の果実やハーブをブレンド、ほろ苦いオリーブの味や効能を活かしながら、季節毎のバリエーションを楽しめる、美味しく、飲みやすいお茶が誕生しました。
「テーマ:しつらえのかたち/タイトル:“小豆島茶会”」
 小豆島に来ると、自分のなかの時間や気持ちが変化します。海に囲まれた自然の多い島ということがひとつの要因です。島をまわっていると、寒霞渓の大渓谷や採石場、みごとな棚田の土手の石積みなど、小豆島をかたちづくる自然が生みだした石と人との深い関わりが見えます。
 海や山の景色を眺めているといつもと違う穏やかな気持ちになります。心にすこしゆとりができたようで心地よい。風や波の音、鳥の声にオリーブ、潮の香りや浜辺の貝殻、夕焼け、いろいろなものが合わさってもてなされているようです。
 島で感じる、おもてなし感や時間を、“お茶会”というカタチにしました。島の石と技術で、すりばち、すり棒、花器などお茶の道具をつくり、前回のカタチラボで集めた漂着物を一緒にならべて、架空の“小豆島茶会”という新しいカタチにしました。
「テーマ:産業/タイトル:SET UP FERRY」
 小豆島は海に囲まれています。どこに行くにもフェリーが必要です。フェリーは、観光や運送、そして人々の交流を促しながら、産業のひとつとして、また島の産業の発展を支えてきました。
 島から島へ物を届けるため、またまた誰かに会いに海を渡るため、フェリーは幾度もの航海をとおして、多くの人やモノを運びながら島と島の橋渡し役を担い、様々な物語を紡いできました。
 そんな物語をこの先も紡いでいくであろう子どもたちに、小豆島の産業を支えてきたフェリーを身近な物として感じてもらう、楽しい積み木のおもちゃです。
「テーマ:風景/タイトル:風景の地図」
 海、山、空、港、民家、田、生物。雄大な大自然に囲まれた小豆島では、立つ場所によって、風景ががらりと変わります。島を標高で区分したとき、風景はどのように変わっていくのでしょうか。等高線を結び小豆島の地形を浮かびあがらせてみると、同時に小豆島の暮らしの風景が見えてきます。
 小豆島を標高100メートルごとに分解し、そこから見える景色や見つけたモノなど印象的な風景をグラッフィックデザインの視点を通して、8冊の本にしました。
 グラフィックデザインは面白いと思います。例えば、小豆島がこれから目指す、医療、福祉、教育、子育ち、産業などのカタチを、グラフィックデザインの視点でカタチにしたら、どんな小豆島が見えてくるのでしょうか。一度見てみたいです。そのカタチを見ることで、人々がいきいきと動き出す風景が目に浮かびます。
「テーマ:循環/タイトル:島の建材」
 小豆島では、400年の歴史をもつ醤油づくりや手延べ素麺などの伝統産業はじめ、瀬戸内海に面することで漁業も盛んであり、温暖な気候からオリーブの樹が根付き柑橘類も多く生産されるなど、その地を活かした産業が行われています。
 一方で、それらの産業から生まれる産業廃棄物は、今は、そのほとんどが廃棄物として捨てられています。環境の豊かな小豆島に相応しく、地の恩恵を受けた産業から生まれた、今は価値なきものとして捨てられている素材を、島の環境に還元できないだろうか、地に返し、循環させることはできないものだろうか。
 捨てられている、オリーブ剪定枝を漆喰の「すさ」として「オリーブ漆喰」とし、醤油滓に布海苔などを加えて、「醤油滓レンガ」にしました。自然から生まれたモノも、人の手が加わり生まれたモノも、そのすべてが島で循環する建材がここに誕生しました。
 環境に優しい、エコアイランドもまた、小豆島が目指す未来のカタチだと思います。
 grafの主宰者である服部滋樹さんの言葉です。
 「カタチラボ」というプロジェクトをきっかけに、馬木、小豆島、瀬戸内と俯瞰して見えてきた世界は、先人の航路によって始まった文化交流の結晶だったのだと感じています。島という地形だからこそ営まれる生活は民俗交流によって形成され、今の小豆島を表現しているのだと。
  「カタチラボ」とは民俗学的視点を可視化し、翻訳伝達する装置であり、本展示ではそのひとつの完成形として発表いたします。
 「カタチラボ」は皆さんの中にも存在しています。違った視点でモノを見て、見えるカタチに置き換える。好奇心旺盛な装置なのです。スイッチをオンするよう感じてみてください。(平成28年10月18日)

「テーマ:構造/タイトル:はしわけのわけ」

素麺の製造工程のひとつである
「箸分け」作業

「テーマ:道具/タイトル:火手の構造」

火手(ほて)を持って歩き
棚田の害虫を追い払う「虫送り」

「テーマ:茶/タイトル:オリーブブレンドティー」
「テーマ:しつらえのかたち/タイトル:“小豆島茶会”」

オリーブ茶用の若葉を刈り取る作業

「テーマ:産業/タイトル:SET UP FERRY」

「テーマ:風景/タイトル:風景の地図」

「テーマ:循環/タイトル:島の建材」

「graf」代表の服部滋樹さん

「カタチラボ」とは民俗学的視点を
可視化し、翻訳伝達する装置です

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第1787回 「カタチラボ」


 「カタチラボ」とは、瀬戸内国際芸術祭2016の「小豆島町未来プロジェクト」のひとつとして、醤の郷・馬木の旧山吉醤油母屋において、クリエイター集団grafが展開するプロジェクトです。
 grafの皆さんは、前回の瀬戸芸2013でも、「カタチラボ」を山吉邸で行ってくれました。そのとき私は衝撃を受けました。小豆島に住む私たちが、日常のなかで、当たり前のものとして接触している道具や材料、田畑や食材、構造物などに、かけがえのない価値があることや先達の人々の知恵が結集されていることを、新しいカタチにして、気づかせてくれたからです。
 もうひとつは、調査・検証・解体・編集・再構築というプロセスを経ることで、新しいカタチをつくりだす、「デザイン」というものが持つ凄さに衝撃を受けました。
 grafの皆さんの取組みのなかに、小豆島のみならず、全国各地の地方、地域が再び、輝きを取り戻し、元気になっていくヒントがあると思いました。  そのgrafの皆さんが、再び、瀬戸芸2016秋会期に、私たちに小豆島の新しいカタチを作品にしてくれました。順番に紹介してみましょう。

「テーマ:環境/タイトル:島の鳥」
 小豆島は「バーズアイランド」です。そのことを私は、スポーツジャーナリストで、小豆島町のオリーブ大使をしていただいている増田明美さんから教えられました。二十四の瞳分教場までの道が増田さんの一番好きなジョギングコースとおっしゃってくれました。鳥のさえずりを聞きながらジョギングを楽しめるからです。
 海に囲まれ、星が城や寒霞渓をはじめとする高山や溪谷といった自然もさることながら、島で暮らす人々の手の入った果樹園や田んぼ、オリーブ畑。小豆島は環境のバリエーションが豊富です。
 環境のバリーエーションは、鳥の「くちばし」に現れます。鳥の種類と生息域から小豆島の環境をとらえ、その豊かさを表したトビ、マガモ、ツバメ、ダイサギ、オオルリの「くちばし」のお面を紙で使って表現しました。

「テーマ:暮らしと海/タイトル:島時計」
 小豆島は海に囲まれています。私も、子どものころ、醤油を積んで、島を離れていく、醤油船を見送るのが好きでした。「船の行く先に何があるのだろう、ぼくもいつかあの先にいくのだ」と、想像をめぐらしました。海は島の人たちにとって、風景であり季節であり、商いの場であり、人々の交流を育む、島での暮らしでは切り離すことができないものです。海は生活の一部であり、感覚的に情報を得ては、無意識のうちに、次の行動や出来事のきっかけを海に見ているのではないだろうか。気がつかないうちに海から導きだされる島の人が持つ独自の時間を、島の海岸の砂で、時を刻む時計にして可視化しました。

「テーマ:食/タイトル:醤のカタチ」
 小豆島の名産品のひとつに、職人の手で丁寧に手造りされている「醤油」があります。小豆島の醤油づくりは400年の伝統を持ち、現在でも木桶で熟成する昔ながらの製法を守り続けている醤油蔵が多く残っています。
 そんな長い歴史の中で培われてきた醤油づくりの知識と経験をもとに、自然豊かな小豆島の素材を使い、新たな醤(ひしお)の可能性」を探った作品です。「猪肉・さつまいも・無花果・ハーブの四種類の素材に、小豆島の麹を使い、醤を仕込みました。展示では、麹菌が発酵を促し、変化していく過程を見ることができます。
 この作品には、小豆島のこれからの「食」の産業のヒントがあります。四つの新たな「醤のカタチ」は、いつもの食卓に、少しの驚きとひらめきを与える調味料になるでしょう。小豆島の食材と伝統の強みを組み合わせた、新しい「食」の誕生の可能性がここにあります。(続く)(平成28年10月17日)

 「カタチラボ」とは醤の郷・馬木の
旧山吉醤油母屋において、クリエイター集団
grafが展開するプロジェクトです

瀬戸内国際芸術祭2013でも
「カタチラボ」を展開しました

「テーマ:環境/タイトル:島の鳥」

小豆島町オリーブ大使の増田明美さんから
小豆島は「バーズアイランドと教えられました

「テーマ:暮らしと海/タイトル:島時計」

「テーマ:食/タイトル:醤のカタチ」

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第1786回 中山農村歌舞伎


 中山春日神社奉納歌舞伎がありました。江戸時代からもう300年以上に渡って中山地区で続けられている伝統ある農村歌舞伎です。
 この地区の斜面は、1万年ほど前の大規模な土砂崩れで、できたものです。頂上部に天然の湧水があり、そこから水を引き、小豆島名産の石を積み重ね、棚田をつくりました。
 南北朝の時代には、すでに棚田があったことが、南北朝時代の佐々木信胤の記録に記されています。その後も棚田は整備され、千枚田と称される見事な棚田となりました。
 江戸時代に、お伊勢参りの後に見た上方歌舞伎の面白さが忘れられず、自分たちで歌舞伎をはじめ、稲の豊作に感謝する奉納歌舞伎とし、村をあげての楽しみとし、今に到っています。
 かつては、小豆島中に30を超える歌舞伎の舞台がありましたが、今は、この中山とお隣の肥土山の2か所を残すのみです。
 先日、京都で開催された世界考古学会議のプレツアーで、小豆島を訪れた21か国、70人の考古学者に、中山の千枚田、農村歌舞伎、素麺づくりなどを案内しました。ある考古学者から「小豆島は島全体が博物館。私たちが教えることは何もない」と言っていただきました。それほどに、小豆島の自然、文化、伝統、産業、絆は価値あるものです。
 私自身、小豆島に生まれ育ちながら、中山の千枚田も、農村歌舞伎も、小豆島町長になるまで、見たことがありませんでした。合併前の隣町のことであったこともありますが、文化や伝統の大切さに思いが至ってなかったのです。
 2年前、中山農村歌舞伎保存会長の矢田徹さんから、「歌舞伎に出てみませんか」と誘われました。この日、地元の小学生が演じた「白浪五人男」の南郷力丸の役でした。深謀遠慮の矢田さんは、町長を担ぎ出し、そのセリフで「棚田を守り、農村歌舞伎を守る」と宣言することで、これからも棚田と農村歌舞伎を守ること、小豆島の文化と伝統を守ることの道筋をつくろうとされたのだと思います。
 さて、今年は、矢田さんが後身に道を譲り、久保政さんが会長になって初めての奉納歌舞伎でした。久保さんから、再び、出演をお願いされました。どうしたものかと思ったのですが、期待に応えることも、町長としての大事な仕事と考え、やることにしました。
 役柄は、明智光秀が主君織田信長を討った本能寺の変を題材にした、明智家の悲劇を描いた「絵本太功記十段目」の真柴久吉(豊臣秀吉)だというのです。主役ではもちろんないのですが、大役です。大丈夫かと思いましたが、一生懸命稽古をつけてもらって乗り切るしかないと覚悟しました。
 2か月ほど前から、セリフを覚える準備をしました。1月前から、他の出演者の方と一緒に、連日、稽古をつけてもらいました。久保会長ほか、いろいろな皆さんから適切なアドバイスをいただき、少しずつですが、自信をつけていきました。
 本番の1日前の最後の稽古。自信満々で臨んだのですが、何と、それまで一度も間違えることのなかった、肝心要の冒頭のセリフが出てきませんでした。ありえないことでした。どうしてもそのセリフが出てこず、「何と言うんでしたっけ」。
 後で聞くと、セリフを覚え、本人としてはもう大丈夫というとき、考えられないようなミスをすることがよくあるのだそうです。そのとき、疲れもあるでしょうが、自信過剰や緊張感が失われていることに原因があると思いました。本番では、適度の緊張感を保ち、シチュエーションを常に思い浮かべながら、臨んだので、これまでの稽古ではなかったほど、本人評価100点満点の演技ができたように思います。「失敗は成功のもと」です。
 農村歌舞伎に出たのは、確かに私ですが、一人の力だけで演技しているのではないことを痛感しました。連日稽古をつけてくれた久保会長はもちろんですが、化粧師、舞台師、総務などの大勢の支えがあって、舞台が成り立っています。私の毎日の稽古、修正、送迎、心の準備、本番など、いろいろな人、たくさんの人の応援に支えられていました。もちろん観客の皆さんの視線や声援も支えになりました。
 農村歌舞伎は、地域づくりと同じです。リーダーのもと、たくさんの皆さんの役割、分担と連携があって、成り立つものです。思いがけないことがあっても、自信に裏付けられた的確な判断があれば、危機は乗り越えられます。今回の舞台でも舞台が回らなくなり、上から物が落ちてくるかもしれない危機があったのですが、久保会長の冷静な判断のもと、舞台は進むことができました。棚田と農村歌舞伎をいつまでも大切に守っていきたいと思います。(平成28年10月14日)

中山地区の棚田に用いられている斜面は
1万年ほど前の土砂崩れでできたものです

小豆島を視察した海外の考古学者から
「小豆島は島全体が博物館。私たちが教える
ことは何もない」と言っていただきました

中山農村歌舞伎保存会長の久保政さん

天候にも恵まれ農村歌舞伎には
多くの観客の方が集まりました

地元の小学生らで演じた「白浪五人男」

「絵本太功記十段目」の真柴久吉(豊臣秀吉)
役を演じさせていただきました

一人の力だけではなく、大勢の支えがあって
舞台が成り立っていることを痛感しました

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第1785回 「潮耳荘」


 小豆島の三都半島の神浦(こうのうら)地区の海岸に、「潮耳荘(しおみみそう)」と名づけられた作品ができました。制作したのは、広島市立大学芸術学部教授の伊東敏光さん、同大学卒業生で小豆島在住の康(吉田)夏奈さん、同大学有志の皆さん、そして地元の皆さんです。
 三都半島は、牛のかたちをした小豆島の前足にあたる部分です。神浦地区は、その突端の入り江にあります。丸みを帯びた山に囲まれ、ないだ海をながめていると、名前のとおり、神様がここに降りてこられたことがあるに違いないと感じます。
 入り江の権現崎と呼ばれる陸続きの小さな島に皇子神社があります。その社叢は全山ウバメガシで覆われ、その間にイブキ・ネズミモチ・ネズ・クロマツ・ヤマモモなどが混じり、なかでもイブキの国内の稀有な自生地として国の天然記念物に指定されています。今も地元の皆さんが保存に努めてくれています。
 もうひとつ、権現崎では、約1300万年前、地球のマグマがそのまま地表に噴出したマントル直結型の安山岩を見ることができます。神戸大学の巽好幸教授が発見しました。地球の生成を知ることができる貴重なもので、「神浦は世界のマントル研究者の聖地」と巽教授はおっしゃっています。
 「潮耳荘」は、その神秘的とも言える権現崎の砂洲に建っています。「潮耳荘」は、小豆島の廃屋の木を組み立てて、造った人工の山です。高さは8メートルほどあります。山肌から波打ち際に向かって、じょうごの先のような造形物が1本突き出ています。木の山の中に入ると、じょうご型の造形物が集めた波の音を耳を澄ませて聞くことができます。
 「潮耳荘」の先の、皆さんがきれいに整えられた灌木をくぐっていくと、海岸にたどりつきます。目の前に瀬戸の海が広がります。そこから、ちょっと向こうの先にマントル直結安山岩も見えます。そこは、もう本当に、神浦(こうのうら)そのものです。
 康夏奈さんに初めて小豆島三都半島で会ったのは、5年前のことです。三都半島にあった小豆島芸術家村の招聘作家として来られました。三都半島に来たとき、頭にビビッと電波が走り、頭痛が何日か続いたそうです。それ以来、「ここに何かある。ここで私は何かができる」と、康さんは、小豆島を離れず、小豆島に住んで、アーティストとしての活動を続けています。康さんは、瀬戸内国際芸術祭2013の正式作家になり、「花寿波島の秘密」という素敵な作品を出展されるなど、小豆島から素晴らしい作品を世界に発信し続けています。
 広島市立大学の皆さんが、ここ三都半島をフィールドとして、アートの活動を展開してくれるようになったのは、康さんの熱心な働きかけがあったからです。彼女の何かの力が、広島市立大学の皆さんを引き寄せました。今年の芸術祭では、広島市立大学の先生と卒業生、現役の学生の皆さんが、総出で、総力で、三都半島で、「潮耳荘」をはじめたくさんのアートを展開してくれました。是非ご覧になっていただきたいと思います。
 「潮耳荘」は、暑い真夏に制作されました。私は、ときおり様子見に行きました。驚いたことに、伊東先生が、汗まみれ、泥まみれで、制作に取り組んでおられました。厳しい、厳しい工事現場そのものです。さらに驚いたのは、康さんも同じように、汗まみれ、泥まみれです。学生の皆さんは、一心不乱に働いています。康さんに聞いたら、学生の皆さんは、小豆島観光をすることもなく、制作に取り組むだけで、広島に帰っていったそうです。
 地元の皆さんも、廃材集めをしたり、なれないチエンソーの使い方を学生に教えたり、道づくり、昼ごはんの差し入れをするなど、全面的に協力をしてくれました。「潮耳荘」は、広島市立大学と地元の皆さんの協働作品です。
 アートの力とは何でしょうか。アーティストは、ベストを尽くして作品をつくります。地域の人は、アーティストやアートから、何かを感じ、何かを学びます。訪れる皆さんは、アートや地域の魅力を感じ、何かを得ます。
 小豆島でのアートの取組みは、始まったばかりです。直島や豊島のような大作品はありません。著名なアーティストの作品が展示される美術館はありません。足が地に着き、地域に根を張るアートの取組みが、小豆島では、息長く、続いてほしいと願っています。
 小豆島から、これからの時代や社会のあり方、生き方のヒントのようなものが、地道なアートの取組みの中から生まれてきたらいいなぁと思います。(平成28年10月13日)

三都半島の神浦地区の海岸に
完成した「潮耳荘(しおみみそう)」
(写真提供:康夏奈さん)

広島市立大学芸術学部教授の伊東敏光さん

広島市立大学の卒業生で
小豆島在住の康(吉田)夏奈さん

潮耳荘制作中のようす
(撮影:坪佐利治さん)

上空から見た潮耳荘
(撮影:坪佐利治さん)

波の音を集めるじょうご型の造形物
(撮影:坪佐利治さん)

潮耳荘の内部では、外で集めた
波の音を聞くことができます

潮耳荘製作中のようす
(写真提供:康夏奈さん)

潮耳荘製作中のようす
(写真提供:康夏奈さん)

潮耳荘製作中のようす
(写真提供:康夏奈さん)

潮耳荘製作中のようす
(写真提供:康夏奈さん)

潮耳荘製作中のようす
(写真提供:康夏奈さん)

潮耳荘を視察する
松井一實広島市長

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第1784回 山形にて 全国国保医療学会


 はじめて山形新幹線に乗り山形市を訪れました。全国国保医療学会にはじめて参加するためでした。全国国保医療学会とは、全国の国民健康保険立または市町村立の病院や診療所に勤める医師、看護師などの医療スタッフが一堂に会し、地域医療にかかわるあらゆるテーマについて、研究発表や意見交換を行う学会です。
 わが小豆島中央病院からも、佐藤院長ほか、4人の医師と4人の看護師と事務スタッフ、そして、ふたりの町長も参加し、医師1人と看護師2人がそれぞれ立派な研究発表をしました。 
 この学会は、毎年開催され、今年は56回目ですが、町長になって7年目、はじめて参加しました。村上小豆島中央病院の事務長さんから強く出席してほしいと言われ、私も、今年4月スタートした小豆島中央病院のデビュー戦になること、全国の国保関係者の経験や問題意識を知っておきたいと思い、出席しました。
 今年の学会のテーマは、「地域包括医療・ケアを地域づくりの礎に」で、私の問題意識にもぴったりでした。学会での講演などから、いろいろなことを学ぶことができました。
 とりわけ、国際医療福祉大学大学院渡辺俊介教授の講演は、これから進めることの道しるべとなりました。渡辺さんは、長い間、日経新聞の社会保障担当の論説委員をされていました。40年以上にわたり、社会保障の現場、あり方を見てこられた方です。私も、厚生労働省に勤めていたころ、いろいろなことを教えていただきました。10年ぶり近くの再会となりました。

山形市で行われた全国国保医療学会

 「医療改革と国保直診」という表題で、地域包括医療・ケアの意味するものとして、渡辺さんは、次の5つをあげられました。お話しをうかがい、「この小豆島で実現してみせようではないか。実現しなくてどうする」と決意を新たにしました。
 一つ目は、これからの医療と福祉は、地域でつくりあげるものだということです。これまでは、国が診療報酬をはじめ、医療機関などのあり方を決め、医療機関などはその動向に左右されてきました。これからの基本は、「地域によってさまざまに異なる医療」(横倉日本医師会長)を、いかにして地域に合ったものにするかという「地域包括医療・ケア」体制の確立であり、これを地域自らがつくりあげていくことです。
 これまでの医療改革、福祉改革は、地方主権、地方分権は歌われてはいますが、実は、財政的視点に立ったものです。先般の改革は、はじめて、財政的視点の改革には限界があり、これからの医療と福祉の担い手は、地域であり、これからは、国ではなく、地域が、地域のすべての知恵と力を結集して、医療と福祉を、それぞれの地域に相応しいものをつくっていくのだ、それしか答えはない、そういう意味の改革がはじめて行われたと理解できます。
 二つ目は、「垂直連携」から「水平連携」への転換です。これまでは、高度急性期病院が上にあり、中小病院や診療所が下に位置付けられる「垂直連携」がテーマでした。「地域包括医療・ケア」では、住民に身近な中小病院、診療所、調剤薬局、さらに地域包括支援センター、訪問看護ステーション、介護サービスなどの役割が大きくなり、高齢者が安心して地域で暮らせる体制をどうつくるかという目標に向かって、「水平連携」で、多職種の皆さんが力をあわせていかなければいけません。
 例えば、調剤薬局は、利用者を「待つ」のではなく、訪問看護士などと連携して、地域に出向いていく、ソ―シャルアクセスが調剤薬局にも求められています。
 三つ目は、それを実現するためには、高齢者がどのようにして生活していくかという観点から、住まいも重要であり、移動手段も重要です。高齢者などが集まる「場所づくり」も重要です。「水平連携」は、医師だけでなく、多職種の連携が不可欠です。そのためのソフト面、ハード面のシステムも必要です。つまり、地域包括医療・ケアの実践は、「まちづくり」そのものです。
 ドイツのフライブルグ市のように、予防、健康づくりのために、できるだけ歩くよう、街中に車が入れないようなまちづくりも考えられていい。
 四つ目は、地域包括医療・ケア実現のためには、市町村行政や医療、福祉関係者が取り組まなければなりませんが、中心は医師であるべきです。医師は、あるべき姿を、遠慮なく言える専門家であり、住民や多職種にとって最も説得力のある存在です。
 五つ目は、地域包括医療・ケアは、高齢者だけでなく、障がい者や子ども、女性を含めた「全世代対象」となることが望ましく、雇用の促進、就労(生きがい就労)などにつながる発展が期待されることです。

小豆島中央病院も研究発表を行いました

 長年、広島県のみつぎ病院で、保健、医療、介護、福祉と生活の連携に取り組んできた山口昇先生の話も久しぶりに聞くことができました。山口先生にとって、地域包括医療・ケアは、新しいテーマでなく、長い間、先駆的に取り組んできたテーマです。
 実は、国保立や市町村立の医療機関、保健活動などは、もともと、地域包括医療・ケアの実現を目指して生まれたものです。その本来の目標を、ややもすれば、多くの地方自治体・地域は、国などに頼るあまり、見失っていたとも言えます。そして、いつのまにか、地域自体が、人口減少などにより、力を失っていこうとしています。もう一度、国保の原点、国保直診の原点に立ち返り、医療と福祉の視点に立って、地域を元気にする、地域つくりを行うべきときが来ています。それが「地域包括医療・ケア」という言葉で表現されているのだと思います。
 山口先生は印象的なことをおっしゃいました。山口先生が、先駆的に地域包括医療・ケアに取り組んだときには、施策のメニューがありませんでした。今はあります。今は、どの地域でも、地域包括医療・ケアを実現できるはずです。地域包括医療・ケアの評価は、医療スタッフがどう参加しているか、行政が具体的にどうかかわっているか、住民参加が実現しているかなどで決まります。地域包括医療・ケアの実践が医療費削減につながっていることも、データで明らかにすべきとおっしゃいました。いずれも慧眼です。
 いろいろな自治体の地道な取組みの話も首長さんから聞くことができました。小豆島中央病院の医師や看護師の皆さんとも、時間をとって、懇談できました。夜東京から移動して山形に入り、昼間は、ずっと会場のなかで議論を聞き、夜の新幹線で東京に戻ったので、蔵王の山々も、山形のまちなかも見ることもできませんでした。強行軍で疲れましたが、来てよかった、行ってよかったと思います。(平成28年10月12日)

「地域包括医療・ケア」という言葉のとおり
医療と福祉の視点に立って、地域を元気にする
地域づくりを行っていかなければいけません

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第1783回 小豆医療圏地域包括ケア・多職種連携会議


 小豆島中央病院の誕生は、小豆島の歴史を変える大きな意味を持っています。
 かつて6万人いた人口が3万人を割っています。人口はこれからも減ることが避けられません。一方、医師は偏在し、地方が医師を確保することが難しくなっています。
 人口は少し減っても、小豆島が自然、文化、伝統、産業、絆のある素晴らしい島であり続けるためには、人々が元気でなければいけません。良い医療が島にあることが何よりも必要不可欠です。
 良い医療スタッフが集まる良い医療機関が小豆島中央病院です。医療は医療だけで存在するものではありません。病院での医療の後にはリハビリテ‐ションが必要です。在宅での支援が必要です。また医療を行うにはお金・財源が必要です。良い医療が提供できても、経営が大赤字では、その病院は続けていくことができず、良い医療は途絶えてしまいます。
 医療は、医療保険制度によって運営されています。財源は、保険料と税金と患者負担です。医療保険の財政が破たんすると、良い医療を提供できなくなります。
 これまでは、日本全体で、人口が増え、経済も成長していたので、医療保険制度の運営は、国が責任を持って運営し、うまくいっていましたが、これからは、人口が減り、経済成長も鈍化すると予想されているので、国は、なんとかして医療費の伸びを抑えて、医療保険制度を守っていこうとしています。介護保険制度についても、医療保険制度と同じことが言えます。
 どうしたらいいか。国はこう考えています。国が全国一律にすることも必要ですが、医療と福祉は、それぞれの地域のあり方にかかわっている、それぞれの地域で、それぞれの地域に相応しい医療と福祉のあり方を責任を持って、考え、つくってもらう、国は大枠を考え、つくり、国として応援できる財源などの大枠だけを示し、それを超える支援はない、それがこれからの国が考える医療と福祉のかたちです。
 これまで、地方に対し、手を取り、足を取ってきた国としては随分冷たいではないかと思う人もいると思いますが、私は、地方が、それぞれ地方に相応しい医療と福祉を考え、つくるのは、本来のあるべきかたちだと思います。さて、小豆島はどうしたらいいのでしょうか。国は、今、「地域医療構想」を進めています。医療圏を決めて、医療圏ごとに、高度医療を除く二次医療を提供する仕組みをつくろうとしています。制度としては、医療に着目していますが、福祉も含めて、この医療圏ごとに、それぞれに相応しい医療と福祉のあり方を考え、つくっていこうとしているのです。医療と福祉のあり方ということは、財政面でも、この単位での健全さ、持続性を目指すことを意味します。つまり、それぞれの地域で、財源も含めて、医療と福祉のあり方を考え、つくっていくことを意味します。そうであれば、真剣になって、地域ごとに、健康づくりとみんなの支え合いを考え、つくっていくことが必要不可欠になります。
 香川県は、香川県の医療圏を三つにします。香川本土を東西に分け、小豆島と豊島をひとつの医療圏とします。このことは、とても大きな意味を持っています。つまり、高度医療などは、高松や岡山の高度医療機関の利用、連携によることになりますが、小豆島は、小豆島をひとつの単位として、医療と福祉のあり方を考え、つくることを意味します。
 とてもありがたいことですが、私たちは、とても重たい責任を負うことになります。「島はひとつ」になって、私たちの医療と福祉の責任を果たさねばなりません。今回の「小豆医療圏地域包括ケア・多職種連携会議」はその一歩として、とても意義深いことだと私は思います。この会議を考え、実行するスタッフの皆さんに感謝します。この日、「小豆医療圏地域包括ケア・多職種連携会議」には、医師、歯科医師、薬剤師、看護師、保健師、介護福祉士、社会福祉士、社会福祉協議会スタッフ、警察官、行政マンなど、約70人もの人が小豆島中央病院会議室に集まりました。小豆島の医療と福祉に関わるオールスタッフと言ってもいいと思います。
 このような会議は、画期的です。新しい病院がスタートし、ついに、やっと、ここまで来ることができたと、感激でいっぱいになりました。少人数のグループに分かれて、情報と意見を交換し、問題意識を共有しました。これまでは、どちらかというと「縦のネットワーク」が議論されました。例えば、行政や病院が上にあって、福祉の関係者がその下にくる「縦のネットワーク」でした。これからのネットワークは、「横のネットワーク」が大切です。多職種の皆さんが、対等の立場で、連携し、協働するネットワークです。
 小豆島の相応しい「地域包括ケア」を、小豆島のみんなが、「島がひとつ」になって、自分たちで考え、自分たちでつくっていかなければいけません。もちろん、外の皆さんにも必要なときは、応援を求めてかまいませんが。
 「地域包括ケア」は、高齢者の医療と福祉にとどまるものではありません。障がいを持つ人たちの福祉、教育、雇用、子育て支援、すべて含まれていくべきものです。もちろん、高齢者が元気に社会で活躍できることも含まれます。そうなると、農業の再生、地場産業の再生、観光なども、高齢者の活躍できる分野であり、「地域包括ケア」のテーマになっていきます。つまり、「地域包括ケア」は、つまるところ、自分たちの地域を、自分たちの知恵と力で、元気にしていくという、地域社会の本来のかたちをどう取り戻すか、どうつくっていくかというテーマです。「地方創生」そのものです。
 その第一歩を、まず島の医療と福祉の関係者が一堂に会することで、この日、踏み出しました。いろいろな意味で感激でいっぱいです。(平成28年10月11日)

小豆島中央病院の誕生は、小豆島の歴史を
変える大きな意味を持っています

人口は減っても、小豆島が自然、文化などの
ある素晴らしい島であり続けるためには、
人々が元気でなければいけません

良い医療スタッフが集まる
良い医療機関が小豆島中央病院です

医療は医療だけで存在するものではなく、
医療後のリハビリや在宅での支援が必要です

地方が、それぞれの地方に相応しい
医療と福祉を考え、実行するのは、
本来のあるべきかたちだと思います

小豆医療圏地域包括ケア・多職種連携会議

「地域包括ケア」は、高齢者の医療と福祉に
とどまるらず、障がいを持つ人たちの福祉、
教育、雇用なども含まれていくべきものです

高齢者が元気に社会で活躍できることも
「地域包括ケア」のテーマになっていきます

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第1782回 公共交通・バスの意義


 小豆島を小豆島オリーブバスが走っています。私が、子どものころ、前身の小豆島バスは、観光客と島の利用者で、よく満員で走っていました。
 ところが、私がUターンした7年前、小豆島バスは経営破たんし、両町、住民出資の小豆島オリーブバスとなり、運賃が高く、便数も少ない、悪循環、青色吐息の状態でした。
 小豆島の再生を考えたとき、唯一の公共交通である小豆島オリーブバスの抜本改革、再構築が不可欠でした。島でひとつの新しい病院、新しい高校を成功させるには、誰もが、どこからも安心して利用できる、安い料金の公共交通が必要不可欠でした。瀬戸内国際芸術祭などで小豆島を訪れる観光客の皆さんに、小豆島の魅力を満喫してもらうためにも必要不可欠でした。
 そこで、最高1000円を超えていた運賃を300円以下に、1日フリー切符も1000円にするという、大胆な案を提案したのですが、幸い、議論の結果、導入に賛成していただきました。
 運賃を安くすることで、利用者は増えても、値下げ幅が余りにも大きいので、バス会社の収益は減ります。その結果、国、町などの支援額が増えることが予想されました。それでも病院の赤字の減少や新しい高校の充実、観光の活性化のメリットは、バス会社の収益減をはるかに上回るはずと考えました。公共交通・バスの位置づけを変えることで、小豆島が元気になると考えました。
 さて、バス運賃、路線の再編成の結果どうなったのか。小豆島の公共交通の見直しを指導していただいた大阪大学工学部の土井健司教授(交通まちづくり学・小豆島地域交通協議会会長)と大学の学生、シンクタンク地域デザイン工房の森谷淳一さんの協力を得て、利用者の動向、バス会社の経営の影響を推計、解析しました。結果は次のとおりです。
 平成28年度の利用者は、平成27年度に比べ、57.9%の増加と予測されました。運賃収入の減少は5%と予測されました。利用者の増加は、予想より多く、運賃収入の減少は、予想より小さいという、嬉しいものでした。
 私は、朝、バスを利用して、内海から池田にある町役場に通っています。小豆島中央病院前で下車します。病院に通うのにバスを利用する方が増えていることを日々実感しています。特に、月曜日の朝の便は、満席のことがあります。普段の昼間も、通り過ぎるバスに、たくさんの方がバスに乗っているのを見ると、嬉しくなります。
 今年は、瀬戸内国際芸術祭の年でもあるので、とりわけ若い皆さんがバスを利用して、島内の作品を見て回ってくれています。インバウンドの外国の方は、とりわけフリー切符を使われているとも聞きました。なお、今年は、瀬戸芸があるから利用者が増えていると思われるかもしれませんが、利用者は、前回の芸術祭の年よりも増加しています。
 来年4月からは、小豆島中央高校がスタートするので、高校生の利用が本格的に始まります。バスの利用が確実に増えるはずです。小豆島町と土庄町では、定期運賃の助成もすることとしています。
 地域デザイン工房の森谷さんからとても大切な指摘をいただきました。公共交通を利用することで、子どもたちは公共心、社会のマナーを学ぶことができるということでした。例えば、バスに乗るには、きちんとした身なりをしなければいけません。満席のときはお年寄りに席を譲らなければいけません。雨のときは、苦労しながらバス停まで歩いていかなければいけません。
 都会の子どもなら当たり前のことが、田舎の子、小豆島の子どもたちにとっては、当たり前のことではありません。田舎の子どもの方が、どこにいくのにも車を利用しています。かつては、田舎の子どもは、自然の中で、大勢の友達のなかで、もまれて、たくましく育ったのが、このごろはそうでなくなっています。都会の子どもの方が、もまれ、自然学校などで、自然も知る機会があります。小豆島の子どもたちには、ときには、バスを利用して、小豆島のあちこちに行ってほしいと思います。バスも立派な社会の学校です。
 森谷さんから、もうひとつ聞かされたことがあります。それは、全国の公共交通見直しの例で、運賃を下げても、利用者が増えることは、実際には、ほとんどないそうです。小豆島の今回の例は、稀な事例だと聞きました。想像するに、他の例は、打つ手がないなかで仕方なく運賃を下げているからです。
 小豆島オリーブバスの場合は、新しい病院、新しい高校づくり、そして瀬戸内国際芸術祭の開催をにらんで、小豆島の未来全体を構想し、実行されました。その見直しが、予想どおりの効果をあげつつあるとの報告は、嬉しいことでした。しかし、課題、懸案は、運転手の確保、便数の増加、船便との調整、マナー・サービスの向上、経営の効率化など、山のようにあります。
 小豆島が元気になっていく上で、公共交通のバスの役割はとても重要です。ちょうど人間の体の血液の循環のような役割をバスが担っています。これからも島民みんなでバスを利用することで、小豆島は、健康で、元気になれるはずです。(平成28年10月7日)

小豆島の再生を考えたとき、唯一の
公共交通である小豆島オリーブバスの
抜本改革、再構築が不可欠でした

島でひとつの新しい病院、新しい高校を
成功させるためにも公共交通の
抜本改革、再構築が必要不可欠でした

小豆島地域公共交通協議会

大阪大学工学部土井健司教授
(交通まちづくり学・小豆島地域交通協議会会長)

小豆島中央病院で乗降する乗客

今年は、瀬戸内国際芸術祭の年なので、
若い方や外国の方がバスを利用して
島内の作品を見て回っています

来年4月から小豆島中央高校が開校するので
高校生の利用が本格的に始まります

地域デザイン工房の森谷さんから
公共交通を利用することで、社会性を
学ぶことができると指摘をいただきました

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第1781回 10月最初の週末も充実していました<続>


 日曜日は、「第26回さぬきセンチュリーライド小豆島大会2016」がありました。小豆島ふるさと村をスタートして、小豆島を一周します。ほぼ100キロのコースです。全国から約400名の皆さんが参加しました。小豆島ほど、自転車、サイクリングにぴったりのところはないように思います。角田光代さんが「八日目の蝉」で書いた「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」のなかを駆け抜けていきます。ちょうど、オリーブの実がたわわになっている、さわやかな気候です。きっと気持ちよいことでしょう。
 この大会は、香川県サイクリング協会の皆さんが主催し、献身的に大会運営を支えてくれています。現会長は三好章仁さんです、去年まで、現役のプロ競輪選手だったそうです。逞しい体格の、きりっとした方です。三好会長のような人に支えられてこの大会があります。前会長宮本保弘さんも、とても熱心な方で、小豆島のことを大変大切にしていただきましたが、昨年亡くなられました。心から感謝し、ご冥福を祈ります。
 安田の郷では、収穫祭がありました。東條地区農業集団の皆さんは、減農薬農業を実践し、こどもたちにも田植えや稲刈りの農業体験、自然学習を行っています。今年は、ファームステーション安田の郷で、瀬戸内国際芸術祭2016の秋会期に参加します。安田の郷のお米のおにぎりや採れたての野菜などによるふるさとメニューを楽しんでいただけます。
 堀越では、瀬戸芸秋会期公開の作品「猪鹿垣」の完成披露会が、早稲田大学の古谷教授と学生の皆さん、地元堀越の皆さんが参加して開かれました。このプロジェクトのきっかけをつくった、卒業して社会人として活躍している鉄川ななみさんも参加してくれました。
 堀越は、私にとって思い出深きところです。小学生の時、同じクラスの仲良しだった遊見君と西谷君が堀越に住んでいて、よく遊びにきました。堀越は、母のふるさと、田ノ浦にいく途中にあります。そのころは、舗装された新道がなく、堀越の街並みを抜けていく旧道を、父の自転車に乗せられていったものでした。
 その堀越のことを、鉄川さんに会うまで、私は、すっかり忘れていました。ここがなぜ、移住者の方々に選ばれているかを鉄川さんは教えてくれました。堀越で、住み続けた人たちと新しくやってきた人たちとの協働の地域づくりが、私が知らないうちに始まっていたのでした。
 日本は、この100年ほど、地方で育った逞しい人材が東京に集まり、切磋琢磨することで、日本全体が発展してきました。一方で、多くの地方が人口減少で、力を失ってきました。いま、「地方創生」がテーマになっているのは、100年、200年単位の社会の変化が、再びこの国で始まろうとしていることを意味しています。
 もう一度、日本は、地方が元気になる、輝きを取り戻すことで、日本全体を良くしていけるのだと、私は考えています。ただし、すべての地方が輝きを取り戻すのではなく、最初は、全国の10か所くらいのところの小さな輝き、光から始まるのだと思います。
 そのひとつは、例えば、島根県の雲南市のようなところです。私は、そのまちにまだ行ったことがありませんが、雲南市でも取組みをしている古谷研究室が、ここ堀越を活動の場として選んでいただいことに感謝しています。堀越は、輝きを取り戻す10か所のひとつになるだろうと私は思っています。これからも、古谷研究室の皆さん、地元堀越の皆さんと、地域づくりに取り組んでいこうと思います。
  オリーブ公園のサンオリーブ・ホールでは小豆島町文化協会の芸能発表会がありました。小豆島は、古くから文化・芸能活動が盛んです。河田会長のもと、たくさんの会員が、いろいろな文化活動を展開しています。私は、挨拶のなかで、8月末に小豆島で、世界考古学会議のプレツアーを行ったのですが、ある国の考古学者が、外交辞令でしょうが、「小豆島は島全体が博物館になって、文化が保存されている。私たちが教えることは何もない」と言ってくれたことを紹介しました。
 21か国約70人の考古学者に案内したのは、寒霞渓を筆頭に、中山の千枚田、農村歌舞伎、素麺づくり、苗羽、馬木、安田の醤の郷、福田、岩谷の石切丁場、三都半島神浦の地引網などです。
 この日の芸能発表会では、舞踊、詩吟、コーラスなどいろいろな発表があったのですが、私は、無理をお願いして、小豆島オリーブメイトの皆さんの大正琴の演奏で1曲歌わせていただきました。大正琴は、私の苗羽小学校時代の恩師の鳥居茂子先生が長い間指導されてきました。いつか、大正琴の演奏で歌うのが夢でした。この日夢が叶いました。
 小豆島中央病院では、秋の健康フェア&セミナーが開かれ、健康づくりの講演会、キッズコーナー、無料肝炎検査、健康、栄養管理コーナーなど、多彩な取組みが行われ、たくさんの島民の方が参加されました。小豆島中央病院を核とした健康づくりが、一歩一歩着実に進もうとしています。
 夜は、農村歌舞伎の稽古に参加しました。本番まで1週間、この日、初めて衣装を着て、通し稽古をしました。段々と緊張感が高まっています。(平成28年10月6日)

第26回さぬきセンチュリーライド
小豆島大会2016が開催されました

安田東條地区では、今年も
「安田の郷大収穫祭」が行われました

瀬戸内国際芸術祭2016の秋会期では
安田の郷のお米を使ったおにぎりや採れたての
野菜などを提供する食堂をオープンします

 堀越では、瀬戸芸秋会期公開の作品
「猪鹿垣」の完成披露会が行われました

堀越は、私にとって思い出深きところです

小豆島オリーブメイトの皆さんの大正琴の
演奏で1曲歌わせていただきました

小豆島中央病院では、
秋の健康フェア&セミナーが開催されました

中山農村歌舞伎の本番まで
残り1週間となりました
(10月9日17時から)

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第1780回 10月最初の週末も充実していました


 10月の最初の週末も充実した週末でした。
 土曜日の朝は、「小豆島オリーブ杯小学生バレーボール大会」開会式が小豆島中学体育館でありました。今年で14回目、全国から51チームが参加しました。
 この大会は、小豆島のバレー好きの皆さんが、何から何までを、ボランティアで、実行してくれています。バレーが大好きな人たちが小豆島、香川県にはいっぱいいます。
 香川県からは、前回の東京オリンピックの金メダル女子チームの大松博文監督をはじめオリンピックのメダリストや全日本チーム監督など、名選手をたくさん輩出しています。香川県はバレー県です。この日の参加者のなかからもオリンピック選手が出てほしいと思います。
 午後は、堀越の丘の上に誕生した、「猪鹿垣」を見にいきました。「猪鹿垣」を構想し、地元の皆さんと一緒につくりあげた早稲田大学建築学科の古谷誠章教授と学生の皆さんが来られていました。猪の研究者としてアドバイスをいただいた土庄出身の農林水産省近畿中国四国農業研究センター堂山宗一郎さんもご一緒でした。
 この作品は、瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品です。地元の竹を使い、アートとしての美しさとともに、実際の猪の被害を減らすことも目指したものです。そして、過疎化に苦しむ堀越の再生の「象徴」ともなるものです。
 3年前、早稲田大学古谷研究室の鉄川ななみさんが、卒論研究で、小豆島堀越に来られました。鉄川さんは、人口減少に苦しむ地域の「空き家」活用が、もう一度地域を元気にしていけるのではないかと考え、移住者が多く住む堀越をフィールド研究の地に選んだのでした。
 私は、鉄川さんの卒業研究論文の内容を聞かされて、目から鱗が落ちました。堀越をモデルに地域が再び元気になる取組みをしてみようと、そのとき決めました。そして、東京の早稲田大学に古谷先生を訪ねました。それから、古谷研究室の皆さんと堀越の皆さんの地域再生のプロジェクトが始まりました。
 「猪鹿垣」づくりはその一環です。現下の急務のひとつである、猪の被害から地域を守る、竹で組んだ猪鹿垣を、地域の皆さんと一緒につくり、瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品とすることで、地域活性化のひとつの「象徴」とすることにしました。
 「猪鹿垣」は腰かけることもできます。そこから見える堀越のまちなみと瀬戸内の海はとてもきれいです。読者の皆さんも是非一度訪ねてみてください。堀越のまちは、詩人壺井繁治が生まれ育った地です。繁治が通った分教場跡に繁治の詩碑があります。壺井栄も、この堀越の繁治の生家で過ごし、執筆をした時期があります。「二十四の瞳」は、田浦にある分教場を舞台にしていますが、その原型は、繁治の生家から見える堀越の分教場です。
 堀越の街並みは、細い小道が迷路にようにつながっています。その一角にある旧教員住宅の古民家と荒神さんに早稲田大学の皆さんは、地元の皆さんと一緒に、懐かしい思い出の写真を展示しています。あわせて、ご覧になってほしいと思います。この日から、田浦の岬の分教場の教室で、「壺井栄の唄」壺井栄の本の新装丁の展覧会が始まりました。壺井栄50回忌記念事業のひとつです。
 香川県出身のデザイナーで、壺井栄が大好きな樋笠彰子さんが企画されました。それに東京で活躍するデザイナーや写真家、香川県のイラストレ―タ―が協力して、斬新な壺井栄の新装丁の本が生まれました。きっと壺井栄が天国で大喜びされているはずです。また、いつかこのブログで詳しく紹介できればと思いますが、展示会は今月31日まで。是非直接岬の分教場に行って、作品をご覧ください。
 今夜もまた、中山の農村歌舞伎の舞台に、稽古に向かいました。(続く)(平成28年10月5日)

14回目となる「小豆島オリーブ杯
小学生バレーボール大会」が行われました

瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品である
猪鹿垣が堀越地区に完成しました

早稲田大学建築学科の古谷誠章教授

古谷研究室の鉄川ななみさんが
3年前、卒業研究論文のため
堀越地区でフィールド研究を行いました

壺井繁治が通った分教場跡に
繁治の詩碑があります

10月31日まで岬の分教場において
壺井栄作品の装丁展が開催されています

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第1779回 大石先生が出した宿題<続>


 壺井栄の作品は、戦争について声高に反対する書き方ではありませんが、戦争の犠牲者である庶民の暮らしや大石先生の考え方や生き方を通して、戦争があってはならないことが、きちんと書かれています。
 末吉学長は、「二十四の瞳」には、戦争の事実が不在であるとの批判があるが、平和学的には、「二十四の瞳」は、重要な作品であり、壺井栄の世界の中心は、積極的平和(構造的暴力・社会的不公正がない社会;例えば貧困、貧困に関連する種々の問題)を描くことにあり、「貧困」が重要なメイン・テーマと話しました。
 例えば、「二十四の瞳」に、こんな叙述があります。「5年生になってもはやりの運動靴を買ってもらえないことを、人間の力ではなんともできぬ不況のせいとあきらめて、昔ながらのわらぞうりに満足し、それが新しいことで彼らの気持ちはうきうきした」 。
 日帰り卒業旅行に参加できたのは、分教場の80人の生徒のうち、6割のみでした。卒業できず、奉公に出された松江に、大石先生は「百合の花、アルマイトの弁当箱」を贈ります。
 今の私たちの社会は、壺井栄が描いた時代と異なり、「豊かな社会」となり、「貧困」の問題は、「小さな」問題となり、「ヘイワ日本」が実現しているように思えます。目に見える「貧困」は確かに減ったかもしれませんが、目に見えない、新しい「貧困」が広がっています。
 経済成長の時代は終わりました。グローバリゼーションが広がっています。さまざま国や地域の特色ある文化や伝統は、グローバリゼーションの波によって、押し流されようとしています。  
 格差が拡大しています。中間層が崩壊しようとしています。EUからの離脱を英国が選択したのも、中間層が崩壊し、英国らしさの復活を求めているからです。アメリカのトランプ現象も中間層の崩壊がその要因です。

末吉学長は、平和学的に、「二十四の瞳」は、
重要な作品であるとおっしゃられました

 日本では、労働者の平均賃金は、1997年から2010年までに約15%減少しています。非正規労働者が4割以上を占めています。国も地方公共団体も財政危機にあります。そういうなかで人口減少時代が到来しています。
 日本人の「人との関係意識」の変遷をNHKが長きにわたって調査しています。それによると、親戚との「形式的つきあい」が増え続け、「全面的つきあい」が減り続けています。職場でも、隣近所でも、同じです。
 「国家は、最貧困層を援助する必要がない」と答えた人々の割合は、日本が41%で最も高くなっています。ちなみにアメリカ30%、ドイツ8%、イギリス9%、フランス17%、中国10%、韓国13%です。日本の年間の自殺者数は、ここ数年減ったとはいえ、数年前まで3万人を超えていました。男性の自殺者数は女性の約2倍です。
 私たちは、これからの時代をどう生きたらいいのでしょうか。そのヒントと答えが、壺井栄の作品と生き方にあります。壺井栄が描き続けたのは、希望と悲しみを共にする、人々の出会いと生活の分かち合いです。
 経済的豊かさに支えられない「幸福」への「想像力」を、壺井栄は、たくさんの作品を通して、描き、提供してくれています。壺井栄が描いた、悲しみを分かち合う「コミュニティ」を私たちはつくることが可能でしょうか。
 

日本人の「人との関係意識」は、「形式的つきあい」が
増え続け、「全面的つきあい」が減り続けています

 「悲しみを分かち合うコミュニティ」に不可欠な条件として、次のことがあります。
 ひとつは、悲しみを共に感じる感情教育です。大石先生は、「泣きみそ先生」でした。大石先生は、一人ひとりの生徒の悲しみに寄り添うことができる先生でした。たとえ、何もしてあげられなくても、一緒に泣いてあげることはできる「泣きみそ先生」でした。
 ふたつは、小さい規模が重要だということです。「二十四の瞳」は、13人のコミュニティのことでした。小さなコミュ二ティだから悲しみの共有ができたともいえます。しかし、一方、今の小さな核家族は、育児ノイローゼ、引きこもり、介護など、さまざまな課題を抱えています。
 壺井栄の作品に「雑居家族」があります。壺井栄のこどものころの小豆島の実家では、両親がひきとった身寄りのないこどもたちが、家族の一員として暮らしていました。東京に出た壺井栄も当たり前のように、身寄りのないこどもたちを引き取り、家族の一員として、育て、暮らしています。壺井栄は、新しい「家族」のあり方を考え、実践しました。
 現代はネット社会です。人と人は、直接会って会話するのではなく、インターネットを通して、会話しています。分教場の12人のこどもたちは、8キロかけて大石先生に会いに行きます。途中で、女の子の草履の緒がきれます。男の子は、女の子にぞうりをゆずり、はだしになります。泣き出した子を励まして、助け合って、やっとのことで、大石先生に出会います。
 大石先生と12人の生徒のように、喜びと悲しみを共にできる家族と社会、教育・学校のあり方を実現すること、それが大石先生が出した宿題です。この小豆島で大石先生の宿題の答えを出したいものです。(平成28年10月4日)

 大石先生と12人の生徒のように、喜びと悲しみを
共にできる家族と社会、教育・学校のあり方を
実現すること、それが大石先生が出した宿題です

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第1778回 大石先生が出した宿題


 大石先生とは、小豆島出身の壺井栄が書いた小説「二十四の瞳」に出てくる「岬の分教場」の「おなご先生」です。
 今年は、壺井栄の50回忌の年です。そこで小豆島では、これを記念して、さまざまな取組みをしています。その一つとして、先日、「『平和の島』小豆島フォーラム~壺井栄から学ぶ~」を行いました。「大石先生が出した宿題」は、その基調講演をしていただいた四国学院大学末吉高明学長の講演の題名です。
 大石先生は、もちろん宿題を出しているわけではありません。「二十四の瞳」で壺井栄は何を私たちに伝えたかったのか、今私たちの社会は、それに答えているのか、私たちは今どうしたらいいのか、末吉学長が、壺井栄の作品と生き方を紹介しながら話していただきました。
 壺井栄の「二十四の瞳」は、戦争文学の代表として語られます。しかし、「二十四の瞳」には、戦争の事実が不在であるとの批判があります。声高に、戦争反対と書いたり、戦争の悲惨さを直接的に書いていないからです。
 しかし、壺井栄は、「平和への祈り」を違ったかたちできちんと書いています。「二十四の瞳」の一場面、軍人になりたいという男の子たちと大石先生の会話です。
 「先生、軍人すかんの?」
 「うん、漁師や米屋のほうがすき。」
 「へえーん。どうして」
 「死ぬの、おしいもん。」
 「よわむしじゃなあ。」
 「そう、よわむし。」  
 壺井栄は、小豆島の特産であったオリーブが大好きでした。オリーブは、世界を通して、平和の象徴です。壺井栄にとって、「平和=オリーブの祈り」でした。「オリーブ」という小編で、道子の母の視点を持って平和=オリーブを語っています。
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 まったくまったくオリーブは平和のシンボルというほかありません。あるときわたしがそういいましたら、母、さびしく笑って、「そうあってくれるとよろしいがなア、ま、この五十年、日本はその反対のことばかりが続いたもん。」というのです。
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 わたしの国、香川県では、これを県花として誇っていますけれども、戦争中はオリーブ畑も、荒れ果てて、かぼちゃの葉が繁っていたりしました。戦後十年の今日では、栽培法も研究され、小豆島のそとでも育つようになっています。
 平和のシンボル、オリーブの木。しかし、世の中は、そのように、進んでいるのでしょうか。
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 このオリーブ畑がふたたび荒れませんように。このオリーブが子を生んで日本の隅ずみまでひろがってゆきますように・・・。
 「二十四の瞳」に、文集「草の実」事件の場面で、次のような記述があります。信望のあった教師(稲川先生)が報道によって、「国賊」とされたり、小林多喜二獄死について、「本当は、拷問で殺されたのだが、新聞には心臓まひで死んだと報じられた」  
 今日の報道で、露骨な「報道規制」は行われていません。しかし、最近次のようなことがありました。永六輔さんが今年7月亡くなられ、追悼番組がありました。永さんは、服飾評論家ピーコさんの名づけ親でピーコさんは、永さんを慕っていました。ピーコさんは、収録のなかで「永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちの方に向かっているので、それを言いたいんでしょうね」と言った、それが放送されたNHKの番組からばっさり抜けていました。ピーコさんは、放送を見て、力が抜け、永さんが言いたいことを伝えられないことをふがいなく思いました。(続)(平成28年10月3日)

映画「二十四の瞳」
(C)松竹

田浦にある「岬の分教場」

今年は、壺井栄の50回忌の年です

50回忌を記念して、小豆島町では
さまざまな取組みを行っています

四国学院大学末吉高明学長

壺井栄が大好きだった
平和の象徴であるオリーブ

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