町長の「八日目の蝉」記(平成28年4月分)

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1674回 神戸・大阪・東京出張 続


 東京駅に着きました。いつもの丸善オアゾ店を訪ねました。この書店で、今どんな本が注目されているか、私は定点観測しています。今回は劇作家の平田オリザさんの新著「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)が、どこに置かれ、どの程度積まれているかを知り、そして買い求めるためです。
 この本の中で平田さんが、小豆島町の取組みを紹介してくれています。本の内容は、またこのブログで書いてみたいと思いますが、是非皆さんに読んでいただき、ご意見を聞かせてほしいと思います。
 ちなみに、1階入り口付近ではなく、3階の新書のコーナーにたくさん平積みされていました。ビジネスマン中心の大手町では、この本のテーマがど真ん中に位置付けられていないことを少し残念に思います。
 書店の前の喫茶店で、壺井栄のご遺族の加藤公市さんと待ち合わせました。加藤さんには、壺井栄没50年の小豆島町の取組みの進捗状況などを話しました。
 今年は、壺井栄が亡くなって50年の節目の年です。この機会に壺井栄の足跡を振り返るだけでなく、壺井栄が訴えようとしたことについて、もう一度考える機会にしたいと考えています。加藤さんが念願されていた壺井栄と繁治の獄中往復書簡集の出版が、たくさんの人の尽力で実現できそうなことも報告しました。
 その他の取組みも地味ですが、盛りだくさんになりそうです。そのひとつひとつは、おってこのブログで紹介したいと思います。
 代官山を訪れました。しゃれた街並みの場所です。東京で暮らしているときは、仕事オンリーだったので、このような場所に来たことがないのですが、小豆島にに戻ってからは、二度目です。
 今回も、瀬戸内国際芸術祭を支えているアートフロントギャラリーで開かれている康(吉田)夏奈さんの個展を鑑賞するためです。康さんは、小豆島三都半島の芸術家村のアーティスト・イン・レジデンスを訪れて以来、小豆島を気にいってくれて、ずっと小豆島で暮らしながらアート活動を展開されています。
 今回の作品展は、コズミックカクタスCosmic Cactusと題され、小豆島の海の生き物や植物を紙やパステルを使って生き生きと表現され、これまでの康さんとは違う世界が誕生しています。
 六本木の防衛庁跡にできた東京ミッドタウン・ガーデン内にある21_21DESIGN SIGHTで開催されている「雑貨展」を鑑賞に行きました。今回の瀬戸内国際芸術祭2016でも、「愛のボラード」という素晴らしい作品を、小豆島二十四の瞳映画村の海岸に素晴らしい展開していただいたプロダクトデザイナーの清水久和さんが「愛のバッドデザイン」を出展されています。 「雑貨」は、日常生活のどこにでもあるナイフ、鍋、スプーンなどのことです。それらは、なつかしく、あたたかみがあるだけでなく、よく見ると、デザイン性もとてもすぐれていて、はっとさせられます。
 そうした「雑貨」について、日本を代表するデザイナーたちが挑戦した展覧会です。清水さんが二十年にもわたって収集された、どこかほっとさせられる「雑貨」の数々が展示されていました。
 展示会のあと、清水さんご夫妻と歓談し、楽しいひと時を過ごしました。 清水さんには、今回の瀬戸芸では、小豆島でも、若者たちと「愛のバッドデザイン展」をしていただいています。うれしい限りです。
 文部科学省に浅田審議官を訪ねました。浅田審議官は豊島のご出身です。エリート官僚ですが、品川区の公立中学校の校長を志願してされるなど、これからの日本の教育の方向づけをされる方のひとりです。  
 小豆島では、高校が島でひとつになるので、新しい高校を頂点にして、島全体の教育の在り方を原点に立ち返って再構築したいと、私は考えています。浅田審議官に、小豆島町の総合教育会議に出ていただきお話し、アドバイスをいただくことをお願いしました。
 その後、国会議員会館に立ち寄り、夜は、松平東京香川県人会長ご夫妻、小豆島出身で東京で建築設計会社をされている笠井さんなどと、琴勇輝関と会食しました。皆さんご存知のように琴勇輝関は先場所大活躍しました。 この日も、堂々とされていて、これからのご自身の相撲の抱負だけでなく、相撲界がこれからどうあるべきかについてまで話してくれました。
 琴勇輝関は、会う度に、力士としてだけでなく、人間としても、みるみる成長し、風格がでてきています。本当に嬉しく、頼もしいです。小豆島高校野球部の大活躍も、琴勇輝関が、小豆島帰省のたびに、小豆島のこどもたちに、夢を持つこと、夢が叶うと信じ、一生懸命に頑張ることの大切さを、言葉だけでなく実行してみせてくれたことが大きな一因だと、私はいつも思っています。
 来場所のことについても、「二けた勝つ」と力強く宣言してくれました。みんなで琴勇輝関を応援しましょう。 (平成28年4月28日)

平田オリザさんの新著
「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)

平田さんには中学生を対象とした
ワークショップを行ってもらっています

今年は、壺井栄が亡くなって
50年の節目の年となります

東京ミッドタウン・ガーデン内にある
21_21DESIGN SIGHTでの「雑貨展」

今回の瀬戸芸では、小豆島の若者たちと
「愛のバッドデザイン展」をしていただいています

松平東京香川県人会長ご夫妻、小豆島
出身の笠井さん、琴勇輝関と会食しました

来場所では「二けた勝つ」と
力強く宣言してくれました

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第1673回 神戸・大阪・東京出張


 久しぶりに出張に出ました。今回は、2泊3日、目的地は、神戸、大阪、東京です。
 朝早く、坂手港からジャンボフェリーに乗って、神戸に向かいました。坂手港は、私にとって人生の玄関港です。小豆島で生まれ育った人の多くにとってもそうだと思います。
 子どものころ、夏休みに、両親に、坂手港から船にのって、甲子園に野球を見に連れていってもらうことが、私の一番の楽しみでした。先の小豆島高校野球部の甲子園での活躍は、夢のような出来事でした。
 希望の大学に入れず、浪人生活を始めるべく、一人で船に乗ったのが昨日のことのようです。
 長い間、坂手港と神戸港を結ぶ定期航路がなくなっていました。それを5年前、ジャンボフェリーが復活してくれました。坂手港と京阪神との道がつながったおかげで、小豆島は少しずつですが、元気を取り戻そうとしています。

坂手港と神戸港を結ぶ
ジャンボフェリー

  この日はまず、神戸港で船をおりて、港のターミナルにあるジャンボフェリー本社に加藤会長を訪ねました。神戸港のターミナルは、神戸市港湾局のご尽力で2年前に新築されています。
 加藤会長は、運輸省のご出身で、厚生労働省で仕事をした私とは、お互い、国の行政官同士として、物事の見方や発想、仕事の段取りなど、共通の土台があるので、この日も30分にも満たない時間でしたが、いろいろな懸案事項について、率直に意見交換することができました。三ノ宮駅まで、わざわざ自家用車で送っていただきました。
 次に向かったのは大阪市経済戦略局です。案件は、大阪城と小豆島をはじめとする東瀬戸内文化圏の石の文化の世界遺産化についてお願いするためです。
 大坂城の石垣は、その美しさ、工学的な構造の水準の高さから世界遺産の価値があると多くの有識者が指摘しています。石垣の石は、小豆島などから海を渡って、大坂まで運ばれました。規格のそろった巨石が、どのように切り出され、海を渡り、積み上げられたのか、最新の科学技術をもってしてもまだ解明されていません。江戸時代初期の瀬戸内海圏の石の文化や技術の水準の高さを、私たちは誇りにしたいと思います。

小豆島などの石が使われている
大坂城の城郭

  私は、小豆島に7年前にUターンしました。以来、急速な人口減少に苦しむ小豆島はどうしたら元気になれるのだろうかと、いつも考えています。そのとき、いつも思うのは、「瀬戸内海」が、キーワードではないかということです。
 「小豆島」の「物語」は、「瀬戸内海」を舞台にして、海人たちがつくりあげてできたものだということです。小豆島が誇るべきことは、自然の美しさはもちろんですが、それ以上に、島の人たちの進取の気概、スピリット、精神こそ、私たちが誇るべきものであり、取り戻さないといけないものだと思います。
 大坂城を頂点とする東瀬戸内海圏の石の文化の世界遺産化を進めるには、大阪市の参加と中心的な役割が不可欠です。瀬戸内海は、歴史を振り返ると、大阪のリーダーシップのもとで、発展してきました。織田信長も、豊臣秀吉も、徳川家もすべて、瀬戸内海の進取の気概に満ちた海人を、縦横無尽に使いこなして、天下を統一しました。歴史の真実は、どんな時代でも変わるものではありません。

小豆島が元気になるには
「瀬戸内海」がキーワードではないかと思います

 大阪市の経済戦略局長は、民間出身の方でした。航空など交通分野の民間人として活躍され、公募により選ばれ、大阪市の幹部スタッフとして経済活性化に取り組まれています。地方自治体の仕事は、これまで学校を出て試験に合格した公務員の皆さんが、こつこつ真面目に仕事に取り組んでいるというイメージですが、私は、もうそんな時代は終わったと思います。これからの地方自治体の仕事は、さまざま経験、経歴を持つ、そこの出身者に限らない多士済々のスタッフが総力戦で臨まないと、地域活性化は実現しない、「地方創生」は実現しない、そんな時代になっています。小豆島も例外ではありません。これから、いろいろな人の知恵と力を借りて、小豆島は元気を取り戻したいと思います。
 その後、姉妹都市の茨木市に立ち寄りました。大変お世話になった木本市長が退任されたので、お礼にうかがいました。今回の石の文化の世界遺産化についても、大阪市との橋渡しをしていただきました。(続く)(平成28年4月27日)

「地方創生」などいろいろな人の知恵と力を借りて
小豆島は元気を取り戻したいと思います

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第1672回 百十四銀行と包括連携協力の協定を締結しました


 小豆島町は、百十四銀行と、産業振興による地域活性化と町民生活の向上を目的に、連携・協力の包括的な協定を締結しました。
 ちょっと固くなりますが、協定では、次の八つの事業を連携・協力して行うことになっています。
(1) 企業間及び産業間のビジネスマッチ支援に関する事業
(2) 創業、起業及び企業力向上への支援に関する事業
(3) 観光振興に関する事業
(4) 農業振興に関する事業
(5) 企業誘致の推進に関する事業
(6) その他地域活性化に関する事業
(7) 効率的な行政運営に関する事業
(8) 小豆郡2町が連携して行う地域活性化に関する事業
 土庄町と百十四銀行も同じ内容の協定を締結しました。調印式もふるさと村交流センターに、両町長と渡邊智樹百十四銀行頭取が集まって、一緒に行いました。
 瀬戸内国際芸術祭によって文化芸術、新しい病院によって医療や福祉、新しい高校によって教育で、バスで300円で島中をどこへも行け、循環できるようになり、小豆島ははひとつになろうとしています。産業振興も「島はひとつ」になって取り組む必要があります。小さいことのようですが、両町が一緒に協定調印をし、産業振興、地域活性化も一緒に行うことを宣言したことは画期的なことです。
 地方自治体と地方銀行が協力して、地域の産業活性化などに取り組むことは、当たり前のことではないかと思う人が多いと思いますが、今までは決して当たり前のことではありませんでした。批判的な意見が今も一部にあります。
 行政と地域の金融機関が、連携・協力して地域活性化に取り組むことは、「地方創生」の論議のなかで、本格的に始まったものです。小豆島町でも、昨年「地方創生」のビジョンづくりの議論に初めて金融機関の皆さんに加わってもらいました。地域づくりは、行政、住民のほか企業も、金融機関も、教育研究機関も、すべてのプレイヤーが参加して、はじめて成功するものです。
 協定の経緯は以上のとおりですが、実は、百十四銀行の皆さんは、ここ数年の小豆島躍動の影の功労者であることを知る人は少ないかもしれません。詳しいことは、また紹介したいと思いますが、小豆島高校野球部の活躍、琴勇輝関の活躍、テレビドラマ「八日目の蝉」の実現、瀬戸内国際芸術祭の広がりなどの背景のひとつに百十四銀行の存在があります。
 とりわけ若い女性行員の皆さんを中心に、ここ数年、「八日目の蝉」の観光ガイドの作成や小豆島の素麺の紹介などを通して、小豆島の魅力を全国と世界に発信してもらっています。
 今年度、小豆島町では、醤油、佃煮、素麺、オリーブなどの地場産業の活性化、観光振興、新しい産業づくり、地元商店の活性化など、小豆島が自分たちの力で、元気になっていけるためにしなければいけないことを、みんなで議論して、実践していこうと考えています。
 町の商工業振興審議会の場で、いろいろな人の知恵と力をかりて、みんなで議論し、具体策をまとめ、実行していこうと考えています。地域の金融機関の皆さんの知恵と力も、もちろん借りようと思います。(平成28年4月26日)

小豆島町・土庄町は百十四銀行と
産業振興による地域活性化

公共バスで島中を循環できるようになり
島はひとつになろうとしています

産業振興も「島はひとつ」になって
取り組む必要があります

地域の金融機関も参画して行われた
小豆島町創生総合戦略会議

百十四銀行の若い女性行員を中心に
小豆島の魅力を発信してもらっています

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第1671回 「空き家」問題を考える


 「空き家」が小豆島でも増えています。人口減少が背景にあります。私の古民家の実家も、私がいないことが多く、実質的には「空き家」になりつつあります。
 小豆島では、若者たちが大学入学などを契機に島を出ていきます。非婚化や晩婚化も進んでいます。生まれる子どもの数も減っています。「空き家」がどんどん増えています。
 このまま人口減少が続けば、小豆島の素晴らしさを守っていくことが難しくなります。まして魅力を磨いていくことは難しくなるばかりです。幸いなことに、最近、小豆島では、若い移住者が増えています。平成27年度には、なんと小豆島町だけで148人もの方が移住されました。大半が20代、30代の方々です。
 この移住者の方々と、小豆島に住むいろいろな人たちが、知恵を出し、協力しあうことができるようになれば、小豆島は元気になっていくはずです。地場産業の活性化など、そのためにしなければいけないことがたくさんありますが、そのひとつが、「空き家」を活用して、移住者の皆さんに住んでもらうことや、まちの生活の空間や環境の魅力を高めることです。
 「空き家」の活用策については、法律の制約があったこともあり、これまで行政の中心的なテーマにされてこなかったように思います。ようやく国の法制度の整備も進んできて、小豆島町でも、「空き家」問題にこれから本格的に取り組んでいこうと考えています。小豆島町には、2200戸もの「空き家」があります。そのなかには、崩落寸前の危険な家屋もあれば、そのまま使えるもの、一定の修繕をすれば使えるものなどさまざまです。
 また、仏さまが残されていて、時々持ち主が帰省する空き家もあれば、人に使われたり、譲渡するのはいやだというものから、所有者のフォローができないものなど、いろいろです。これから詳細な調査を行い、危険家屋の除却や修繕の支援など、いろいろなことをしなければいけません。
 そんな中、助っ人のNPO法人が誕生しました。特定非営利活動法人Totie(トティエ)です。Totie(トティエ)とは、人と人、家と人などを「結ぶこと」をあらわす「to tie~」をつなげた造語です。読み方は、「トチ(土地)」と「イエ(家)」から取ったものです。Totieは、移住体験施設の運営、移住者交流会や島ぐらし体験イベントの開催、小豆島町と連携した空き家バンク活用の促進サポートなど、移住希望者と地元住民とをつなぐ活動を展開します。
 この新しいNPO法人に私は期待しています。ひとつは、このNPO法人が、若い移住者の発想から生まれた実践であることです。事務局長の向井達也さんは、瀬戸内国際芸術祭2013で、ドットアーキテクツのメンバーとしてUMAKI CAMPをセルフビルドした後も、小豆島に残り、地域おこし協力隊員になり、地域おこしに関わってきました。
 また、このNPO法人の理事長に、地元の経済人の方が就任していただいたり、さまざまな経歴の地元の人と若い移住者の皆さんが参加し、協力しています。
 これから「空き家」問題に取り組むNPO法人Totie(トティエ)が、錯誤しながら、どんな活動を実践できるか、とても楽しみです。行政も一緒になって、「空き家」問題に取り組んでいこうと思います。(平成28年4月25日)

特定非営利活動法人Totie(トティエ)
事務局長の向井達也さん

移住者の方々の交流会

お試しの移住体験ができる
中長期滞在施設の「細井邸」(坂手地区)

中長期滞在施設の
「末松アパート」(片城地区)

短期滞在施設の「黒田邸」(坂手地区)

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第1670回 「大根の葉」-しあわせの記憶―


 「大根の葉」は、壺井栄の処女作です。栄39歳です。その「大根の葉」を、神戸を中心に活動している劇団道化座の皆さんが、中山の農村歌舞伎の舞台で上演してくれました。
 私は、この公演を鑑賞しながら、壺井栄の凄さを改めて感じただけでなく、この作品を舞台化した劇団道化座の皆さんの凄さも感じることができました

 公演の舞台となった中山の農村歌舞伎とその舞台の凄さも誇りに思うことができました。公演を実現してくれた瀬戸内国際芸術祭2016の北川フラム総合ディレクターはじめスタッフの皆さんにも感謝したいと思います。
 「大根の葉」には、私たちが大切にしなければいけないことが何か、貧しい小豆島の庶民の暮らしを通して、描かれています。親と子、子と子、親戚の人や地域の人のつながりの大切さです。
 幼い妹は、白内障で目がよく見えません。母親は、貧しい生活のなかで、なんとしても女の子の目が見えるようになるよう、何度も神戸にある病院に連れていきます。
 まだ幼い兄は、妹ばかりが母親に可愛いがられていることをうらやみます。母と妹が神戸にいっている間は、ひとり、叔父さんの家に預けられます。
 男の子は、いつも近所の子どもたちにいじめられてばかりです。男の子をおばあちゃんがいつもあたたかく包んでくれます。
 「大根の葉」という題名は、大根の葉が最高の食べ物というくらいの貧しさを意味しています。貧しいなかで、わが子のために、一生懸命にがんばる母親、妹のことが少し理解できるようになって、必死に寂しさに耐える男の子、男の子を心の底から好きなおばあちゃん、そして男の子を温かく見守る地域の人。
 大切なこと、忘れてはいけないことを、庶民の日常の暮らしを通して、やさしい言葉で誰もが楽しめる物語にする、壺井栄はすごいと思います。
 今度の演劇は、壺井栄の原作を、道化座の主催者の馬場晶子(ペンネ―ムおおやかづき)さんが、脚本にして、自らもおばあちゃんを演じ、演出されました。
 道化座は、神戸を中心に活動し、東京の民芸に劣らない歴史と実績のある劇団だと聞きました。壺井栄と言えば、「二十四の瞳」ですが、馬場さんは、この「大根の葉」にこそ、壺井栄の真骨頂があると考え、数年前に、脚本化されました。
 今回の公演があると聞いて、原作にも触れてみたのですが、馬場さんの脚本と演劇は、原作の良さを一段と磨き、作品の感動を一段と深めています。例えば、男の子を誰が演じるだろうと思ったのですが、劇中に男の子は現れませんでした。男の子は影でした。見る人は、見えない男の子をそれぞれ思い浮かべました。
 中川順平(劇団ぶらっと)さんが叔父さん役で出演されていました。大学生のころ、道化座の発足時のメンバーでしたが、社会人として今も活躍中で、趣味のひとつとして参加されています。中川さんと馬場さんは、学生時代からの演劇仲間です。驚いたことがありました。なんとなく気があうので、ところで「お年は」と聞いたり、聞かれたのですが、なんと、馬場さんと中川さんと私は、同い年でした。気が合うはずです。
 今年は、壺井栄が亡くなって、50年になる節目の年です。壺井栄が残してくれたものを、もう一度整理し、壺井栄の作品に、もう一度みんなで触れてみたいと思います。壺井栄と壺井繁治の獄中書簡集を記念出版することを予定しています。映画の作品も何作か観賞できる機会をもちたいと考えています。壺井栄がいつも願っていた「平和」についても、シンポジウムを開いて考えます。その他にも、壺井栄の作品をWeb サイトでも読めたり、岬の分教場の教室で壺井栄の本をデザイン化して展示したりなど、いろいろなことを通して、壺井栄が考えていた「大切なもの」を、もう一度みんなで考えてみたいと思います。
 今回、「大根の葉」の演劇を寒い中、農村歌舞の舞台で2日間にわたって、大勢の皆さんに見ていただきました。こんな素晴らしい演劇を、小豆島の子どもたちに観てもらい、小豆島のことだけでなく、生きていく上で「大切なこと」を、子どもたちに考えてほしいと思います。本物の演劇の楽しさにも触れてほしいと思います。
 早速、壺井栄没50年の取組みのひとつに道化座「大根の葉」公演をつけ加えることをお願いしました。なんと教育長と馬場さんは同じ大学の同窓でした。人生は、人と人のつながりです。そのつながりの在り方が一番大切なことだと思います。(平成28年4月22日)

中山の農村歌舞伎舞台で行われた
劇団道化座による「大根の葉」上演

「大根の葉」には、私たちが大切に
しなければいけないことが、貧しい小豆島の
庶民の暮らしを通して描かれています

劇団道化座の代表である馬場晶子さん
自らもおばあちゃん役で出演されました

男の子は劇中に登場せず、見る人の目に
それぞれの男の子を思い浮かべました

「大根の葉」上演を2日間にわたって
大勢の皆さんに見ていただきました

今年は、壺井栄没50年になる節目の年で
さまざまな取組みを予定しています

壺井栄没50年の取組みのひとつに
道化座「大根の葉」公演をお願いしました

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第1669回 小豆島のバスが変わって、楽しいです


 今朝、いつのようにバスに乗って、池田庁舎に向かいました。嬉しいことに、この日バスは、いっぱいで吊り輪に手を伸ばしているお客さんまでいました。
 都会のバスならよくあることですが、小豆島の朝の通勤時間のバスにこんなにお客さんが乗っているのは、きっと何十年ぶりの快挙、奇跡的なことです。
 この日は、坂手港で瀬戸内国際芸術祭の一環で「喫茶ままごと」が開店しているので、昼食を食べに、昼休み、今度もバスに乗って坂手港に向かいました。このバスも、芸術祭の観光客と、バスで苗羽小学校から下校する坂手地区の児童と、お年寄りのグループでいっぱいでした。
 小豆島では、自家用車が普及したのと、人口の減少で、バスの利用者が激減し、バスの本数が減り、運賃も最大で1200円ほどにもなり、運賃の値上げと利用者減と本数減の悪循環が続いていました。
 こんなことでは、小豆島が元気になれるわけがありません。にもかかわらず、なかなか改革はできず手をこまねいていました。私は、車を運転しないし、島に住んでいた母も当然ながら車を運転できないので、本当に、小豆島のバス事情には困り果てていました。島に戻り、町長になったら、いつか小豆島のバスをよくすることができたらと思っていました。
 きっかけになったのは、新しい病院をつくることになり、この病院を小豆島全島の皆さんに利用してもらい、病院の赤字を少しでも小さくするには、バスの運賃と路線を抜本的に見直すことが絶対に必要だったことです。
 病院の通院だけでなく、新しい高校への通学、島の中での交流、買い物などの行き来、観光客の皆さんに小豆島を思う存分楽しんでもらうには、バスの運賃、路線の見直しが絶対に不可欠でした。
 紆余曲折はありましたが、小豆島オリーブバスの関係者をはじめたくさんの皆さんのご尽力で、小豆島のなかを300円の範囲内でバスを利用して移動することが、ついに、3月20日からできるようになりました。
 バスの見直し、まだ始まったばかりで、正確なことはまだわかりませんが、是非とも成果があがってほしいと思います。バスは、人体に例えると、小豆島という一つの体の血液循環です。新しいバスのシステムが、小豆島を一つの体として、健康に、元気にしていくと、私は信じています。
 私はこれからもバスを利用します。バスは、安心だし、きれいな景色も見れるし、いろいろな人にも会えるし、バスに乗るのは、本当に楽しいです。皆さんもたまにはバスに乗ってみてください。バスに乗るのは楽しいですよ。(平成28年4月21日)

バス運賃の改定や瀬戸内国際芸術祭などの
影響でバスの乗車人数が増えています

4月12日~17日にei2階でオープンしていた
劇団「ままごと」による「喫茶ままごと」
(夏会期にもオープン予定です)

バスの運賃、路線改定更の
大きなきっかけとなった小豆島中央病院

小豆島のバスの見直しのため
協議会による協議を行いました

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第1668回 岬の分教場で新任先生に話しました


 新しく教師になられた皆さんと小豆島に赴任された先生の皆さんに、感謝し、期待します。
 この分教場のこの教室は、壺井栄の「二十四の瞳」の舞台で、教育の聖地でもありますが、私にとっては、母が学んだ大切な場所です。母は、大正のおわりごろに、ここ田ノ浦の貧しい漁師の9人兄弟の長女として生まれました。母の母は、もう一人の妹を生んで、若くして亡くなり、母はその後貧しい漁師の家で、つらい子ども時代を送り、いろいろな事情で、その後も決して楽でない人生でした。「自分の人生は『おしん』よりも辛かった」と母から聞かされたことがあります。母の楽しみは私の成長でした。

岬の分教場で今年度島に赴任した
新任先生などにお話しました

 最初に自己紹介もかねて自分史を話します。私は、小豆島で生まれ、高校まで小豆島で過ごし、京都の大学に行き、厚生労働省などで仕事をし、Uターンで小豆島に戻ってきました。町長になって7年目となります。私を育てたくれた小豆島、小豆島の教育に私は感謝しています。
 後藤教育長は、小学校からの同級生なので、ぼくのことをよく知っていますが、私は、いるのかいないのかわからない、目立たない子どもでした。引っ込み思案で、この間も、伯父から「お前はよく泣いて学校に行きたくないと母親を困らせていた」と言われました。学校で手をあげて発表した記憶は一度しかありません。学芸会などは逃げ回っていました。
 そんな私には、「そんなことではいけない。もっと積極的になるように」と、先生から叱られた記憶がありません。むしろ、先生は「今のあなたでいい」と見守ってくれ、期待してくれている安心感がありました。先生が心配しなかったように、私は社会に出て、自分の考えも言えて、人前で歌も歌えば、演劇にも出られるような人間になりました。週末に、中山農村歌舞伎の舞台である壺井栄原作の「大根の葉」という演劇に出ます。農村歌舞伎に出たこともあります。

中山農村歌舞伎の舞台で
壺井栄原作の「大根の葉」の演劇に出演しました

 私が、東京で仕事をしながら、最も誇りになり、支えになったのは、小豆島で生まれ育ったこと、そして家から一番近い幼稚園、小学校、中学校、高校に通い、学んだことです。この思いは、私だけでなく、同世代の多くの皆さんが感じていることだと思います。
 霞が関というところは、全国の秀才が集まった職場ですが、小豆島の出身、しかも小豆島高校を出たというと、国会議員の先生方は、みなさん、驚いたような顔をしてくれました。「この男は、岬の分教場ようなところで、勉強をして、ここまでのぼりつめてきたのだ」と思うのでしょう。ご存知のように、私が通った小豆島高校からは、毎年、東大や京大、阪大などに何人も合格していたので、私はちっとも島開闢(かいびゃく)以来の神童なのではありませんでした。
 私の高校の同級生の松永佳代子さんは、私と同じように家から一番近い学校に通い、名古屋大学を卒業として医師として活躍していますが、高校生のときの留学先のアメリカ人の父親から、「自分は家から一番近い学校に行っているに過ぎない」と言ったとき、「最高の知性とは、与えれた環境でベストを尽くせることだ」と教えてくれたそうです。松永さんは、8月にアメリカから小豆島に戻ってきて、たった半年猛勉強をして、現役で名古屋大学医学部に、すいすいと合格しました。
 今年、甲子園での小豆島高校野球部の活躍をみながら、後輩たちが「最高の知性とは与えられた環境でべストを尽くせること」を見事に実践してくれていて、鼻高々です。
 

後輩たちが「最高の知性とは与えられた環境で
べストを尽くせること」を見事に実践してくれています

 次に小豆島史を話します。今、この国はいろいろな課題をかかえていますが、「この小豆島からその解決の糸口が生まれる」と私は考えています。小豆島は、ある意味選ばれた島、恵まれた島だからです。
 小豆島の歴史を振り返ると、すぐわかります。日本の最初の物語である古事記に「神様は小豆島(あづきじま)を10番目につくった」と書かれています。9世紀になると、空海が小豆島に来て修行しています。四国八十八ヶ所霊場が有名ですが、小豆島にも島八十八ヶ所霊場があります。16世紀になると、ヨーロッパの宣教師が小豆島を神の島にしようと考えました。
 江戸時代に小豆島は栄えます。江戸時代にはじまった醤油づくり、素麺づくり、農村歌舞伎は今も続いています。大阪城も、江戸城も、小豆島から大きな石が運ばれてできた城です。
 海の時代、小豆島は都会でした。中国、朝鮮、ヨーロッパと日本の中心の大阪、京都を結ぶ交通の要衝に小豆島があったからです。海人の小豆島の人々は、勇気と進取の気概に満ちていました。
 小豆島の人々は100キロを超える猪垣を自分たちの力でつくりました。幕府の支援は一切受けていません。「自分たちのことは、自分たちで解決するから、それを認めてほしい」と幕府にお願いしました。
 小豆島高校野球部の活躍は、こうした小豆島の海人のDNAを引き継いでいます。琴勇輝の活躍もそうです。偶然ではありません。これまでの地道な努力が花開いたのです。

海人であった小豆島の人々は進取の気概に満ちており、
小豆島高校野球部の活躍などは海人のDNAを引き継いでいます

  この100年ほど、この国は、地方で健全に育った若者が東京などの都会に集まり、切磋琢磨して経済の拡大や学問・研究開発などに励んで、この国全体を発展させてきました。中央に富を集め、富を地方に分配したり、中央で縦割りの専門的な政策を立てて、それを都道府県、市町村を通じて行うことで、国全体が発展しました。
 ところが、人口が減少し、経済の成長も難しい時代になりました。都会に人材と富を集めるのではなく、もう一度、地方から、地域から始める時代になろうとしています。「小豆島からもう一度始める」そのような気持ちで、私は小豆島に戻ってきました。
 今、国全体の羅針盤がなくなっていますが、その根本に、家族や地域社会、共同体よりも、国であったり、地方公共団体のような私たちが人為的につくった、顔の見えない支え合いのようなものが重視されていることがあるように思います。社会保障制度がその典型です。
 京都大学の山極学長は、サルの研究者ですが、サルから人間になるに当たって、人間が人間であるために必要不可欠なものとして創りだしたのが、家族と地域社会、共同体だと言っています。
 熱帯雨林で住んでいるときは、いつでも食糧を得られますが、サバンナ・草原で暮らすようになると、絶対的な信頼関係の家族と顔を知り合っている気の許す共同体の仲間とルールをつく り、食糧を分配し、支え合い、子育てを共同ですることが、必要不可欠でした。
 そして、いつの間にか、家族、地域社会、共同体よりも、顔の見えない国全体の助け合いが重視されるようになりました。国の社会保障制度がその典型です。これから必要なことは、家族、地域社会、共同体と国や地方公共団体の役割、在り方について見直し、もう一度再構築することだと思います。
 教育の在り方も同じ文脈で考えることができるように思います。家族や地域社会、共同体の役割、機能が変化しているのであれば、学校、教育の在り方も変わっていかなければいけないと思います。

家族、地域社会、共同体などの
在り方について見直し、再構築が必要です

 「これから小豆島で、教育の在り方を、もう一度考え直して、再構築したい」と私は考えています。小豆島は変わろうとしています。小豆島高校の快進撃は、その象徴です。瀬戸内国際芸術祭もそのひとつです。小豆島は、今「島はひとつ」になろうとしています。
 新しい病院ができました。この病院、実は小豆島の実力からすると、ちょっと格上の病院としてつくり、つくられようとしています。これから小豆島の医療はどんどんよくなっていくはずです。医療だけでなく、この病院を軸にして、福祉、介護、健康づくり、高齢者の社会参加などが、土庄町と小豆島町が一体となって行われていくはずです。
 バスの路線と運賃も変わりました。島が病院と高校を中心に循環できることになります。島の循環系ができようとしています。

「島はひとつ」として病院・バスが一新されました

 新しい高校ができます。今までは、土庄町は土庄高校を、旧内海町は小豆島高校を頂点として、それぞれの町で教育の在り方を考えてきました。今度は、島の高校がひとつになります。香川県教育委員会は、新しい高校をこれまでにない特色のある高校にしたいと考えてくれています。
 寄宿舎もできるし、県内の普通高校では唯一全県下から受験可能な高校です。新しい高校をどんな魅力のある高校にできるのか、小豆島の未来は新しい高校の在り方にかかっています。
 新しい高校を頂点にして、島内の幼稚園、小学校、中学校はどうあるべきなのか、一貫教育とは何なのか、小豆島の教育の魅力を伸ばし、課題を克服するのはどうしたらいいのか、これから土庄町とか小豆島町の壁をとっぱらって、みんなで考えて、何年かかけて新しい小豆島の教育をつくっていこうと思います。
 昨年から総合教育会議ができました。これまで教育の在り方は、教師経験者などの教育関係者などで構成する教育委員会が検討してきましたが、これからは、首長も加わって議論し考えていくことになりました。
 小豆島町では、本年度から、小豆島の教育の在り方について、この総合教育会議の場を中心にして、抜本的にその在り方を考え、数年をかけて教育の在り方を変えていこうと思っています。教育は学校の先生だけで担うものではありません。地域の皆さんにも参加してもらうし、島の内外のいろいろな分野の専門家の皆さんにも参加していただき、協力もいただこうと思います。瀬戸芸に参加されるアーティストなどは、その一例です。いろいろな大学などとも提携したいと思います。
 皆さんは、小豆島の教育の在り方を考えて、変えていこうとしているときに、小豆島に赴任された大変ラッキーな皆さんです。一緒に、小豆島の教育を考え、実践し、がんばりましょう。(平成28年4月20日)

新しい高校を頂点にして
新しい小豆島の教育をつくっていこうと思います

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第1667回 「当たり前」の実践~香川県よろず支援拠点小豆島サテライト開設1周年記念セミナー~


 かがわ産業支援財団という組織があります。香川県内の中小企業のいろいろな取組みを応援するために香川県がつくった組織です。
 その財団が、1年前に、「よろず支援拠点」を小豆島町につくってくれました。月に1回程度、専門の経営コンサルタントに役場に来ていただき、いろいろな企業の経営上の悩みについて、相談にのってくれています。
 地味な取組みですが、とても意味のあることだと思います。相談件数、内容とも予想を超えています。今度の瀬戸内国際芸術祭2016で、草壁港に小豆島の柑橘類などを食材にした、しゃれたジェラートのお店が、芸術祭の作品としても参加していますが、「よろず支援拠点」での相談から始まったプロジェクトです。
 ところで、私は、かがわ産業支援財団のことを、東京で仕事をしているときから知っていました。確か、希少糖の研究開発のことで、厚生省の観点からアドバイスを財団のどなたかから求められたのが最初の出会いでした。
 その後は、私が小豆島に戻り、財団の理事長がたまたま、豊島の産廃問題の解決に一緒に奔走した横井理事長、中山理事長と続いたので、何でも気楽に相談にのってもらい、ついには「よろず支援拠点」を小豆島町においてもらいました。人生の縁やつながりはありがたいものだと思います。
 さて、この日のセミナーも、財団に無理を言ってお願いし、実現したものです。「おもてなし(ホスピタリティ)」について、この分野のトップと思われる人に講師に来てもらい、話を聞きたいとお願いしました。
 小豆島は、気候、景色、文化、食など、観光に必要な条件をすべて満たしています。その上に、船に少しだけの時間に乗るだけで、いつもと違う空間を楽しむことができます。東京や、神戸や、高松や、岡山や、姫路から、意外にもそんなに時間もかかりません。おまけに、人口も3万人という、それなりの塊があります。小豆島は、いろいろな産業をつくり、独自の文化を育み、自立できる力のある島です。
 そんな小豆島ですが、「もっともっと、自らを磨き、自信を持って魅力を発信できるのに、現状に甘えている、もっともっとしっかりしようではないか」というのが、私の思いです。そのことは、いろいろな分野の最高のトップの人に触れ、考えを聞くことから始まります。
 今回の講師は、グランドハイアット東京で、コンシェルジュをされている阿部佳さんでした。期待に違わぬお話しをうかがうことができました。例えば、次のとおりです。お客様に喜んでもらうには次のことが必要だと。
 まずは、小豆島なら小豆島のことについて、自慢できることを、自分の言葉で説明できなければいけません。自分自身が、小豆島の素晴らしさを感じとり、好きでなければいけません。小豆島の何をお客様に楽しんでもらうか、具体的なことをいくつも持っていなければいけません。
 気持ちは、自分のためにではなく、「あなたのために」なくてはいけません。相手の気持ちに寄り添う「柔軟さ」、相手と同じイメージを追う「想像力」、相手と同じ方向を見る「共感力」、何をさせていただきますかという「先を読む力」が必要です。
 よく考えてみると、阿部さんがおっしゃっていることは、ある意味、「当たり前」のことばかりです。でも日常生活で実践できているでしょうか。小豆島高校野球部の樋本主将が、甲子園の選手宣誓で「当たり前の、日常のあり難さを胸に僕たちはグランドに立ちます」と言ったことが思い出されました。「当たり前」のことをきちんと実践したいと思います。(平成28年4月19日)

月に1回程度、専門の経営コンサルタントが
企業の経営上の悩みについて
相談を行っています

瀬戸内国際芸術祭2016にあわせて
草壁港の近くにオープンした
ジェラートの専門店

グランドハイアットコンシェルジュの
阿部佳さんによる講演会のようす


小豆島は観光に必要な条件を満たし、
その上に、船に少しだけの時間に乗るだけで
いつもと違う空間を楽しむことができます

小豆島はいろいろな産業をつくり、
独自の文化を育み、自立できる力のある島です

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第1666回 苗羽小学校入学式


 26人の新入生の皆さん入学おめでとうございます。ワクワクしている人もいれば、心配な人もいると思います。
 町長の私も皆さんと同じ苗羽小学校に入学しました。入学式は、もうずいぶん前のことなので覚えていませんが、僕は、子どものころ弱虫だったので、きっと心配組です。
 先日叔父から言われました。「お前は、いつも、学校へ行くのが嫌だといやだと言って、だだをこねて母親をこまらせていた」と。
 入学式の日もきっと、「入学式には行かない」と、泣いて母親を困らせたはずです。
 でも、今は苗羽小学校が大好きです。苗羽小学校で学んだことが、人生の支えになっています。小学校の6年間は、人生においてとても大事な時期です。6年間の友達は、一生の友達です。6年間の先生は一生の先生です。
 僕の苗羽小学校の友達は、今も友だちです。先生は今も先生です。友だちも先生も、今も僕を支えてくれています。
 皆さんの生まれ育つ、馬木、坂手、堀越、田浦を含めて、苗羽は素晴らしいところです。醤油の匂いがします。木桶でつくる醤油の産地としては、日本一、世界一です。オリーブがいっぱいあります。海も山もとてもきれいです。苗羽小学校は、壺井栄さんの「二十四の瞳」の本校です。音楽部の活動は戦後、子どもの数が減っても、ずっと立派に続けられています。ジャンボフェリーが出入りする坂手港は素晴らしい港まちです。苗羽小学校の6年間、いっぱい勉強してください。いっぱい楽しんでください。
 入学おめでとうございます。(平成28年4月18日)

苗羽小学校入学式

26人の新入生の皆さん

入場曲や校歌などの演奏を
音楽部の皆さんが行いました

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第1665回 小豆島中学校入学式


 80人の新入生の皆さん入学おめでとうございます。期待で胸がいっぱいのことと思います。皆さんには、中学生としての3年間、それぞれ目標を決めて、切磋琢磨して頑張ってほしいと思います。
 皆さんが生まれ育った小豆島のことを話してみます。小豆島は人口が最大であったとき6万人でした。今は、人口は3万人を少し割ってしまいました。人口は今も減っているし、これからも人口は減ります。
 しかし、このごろ小豆島は少し元気になりはじめています。平成24年度から小豆島町への移住者が毎年度100人を超えています。この3月閉じた平成27年度は、移住者の数が148人を数えました。
 何よりも、皆さんの先輩の小豆島高校野球部が甲子園で大活躍しました。島民の1割、島外に住む島出身者の1割の皆さんが、甲子園に集まり、大応援をしました。応援団の最優秀賞を受賞しました。
 この中学校で3年間を過ごした大相撲の琴勇輝は、先場所東前頭筆頭という難しい地位で12勝3敗と成績をあげ、殊勲賞を獲得しました。このように、小豆島の若者たちが、このごろがんばりを見せてくれています。
 3月20日から3回目の瀬戸内国際芸術祭が開かれています。大勢の皆さんに小豆島を訪れ、小豆島の魅力を感じとっていただいています。
 この4月には、新しい病院がスタートしました。来年4月には、皆さんが入学する新しい高校がスタートします。小豆島は、今新しい歩みを始めようとしています。
 小豆島の歴史を振り返ってみます。小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動により誕生しました。その後1000万年の浸食により、寒霞渓ができました。
 神話である古事記の国生みの記に、神様が10番目の小豆島をつくったと記されています。9世紀になると空海という偉いお坊さんが小豆島で修行し、今の八十八ヶ所霊場につながりました。16世紀には、ヨーロッパのキリスト教宣教師が小豆島に来て、神の島にしようと考えました。
 江戸時代になって小豆島は栄えました。今も続く、醤油づくり、素麺づくり、農村歌舞伎は江戸時代に始まっています。この時代、小豆島から大きな石が、江戸城と大阪城に運ばれています。
 過去をつくることはできませんが、未来はつくることができます。皆さんの未来を、皆さんの力でつくってください。
 小豆島中学校での3年間、小豆島中央高校での3年間、その後多くの皆さんが大学に行かれます、皆さんが大学を卒業する10年後の小豆島はどうなっているでしょうか。私は10年後の小豆島が楽しみです。
 小豆島の未来をつくるのは、皆さんです。(平成28年4月15日)

小豆島中学校入学式が
小豆島中学校の体育館で行われました

点呼で起立する新入生


新入生代表が誓いの言葉を述べました


10年後の小豆島はどうなっているでしょうか。
小豆島の未来をつくるのは皆さんです。と
言葉を贈りました

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第1664回 小豆島中央病院辞令交付式・入職式でのあいさつ


 小豆島中央病院の開院を皆さんと一緒に喜びたいと思います。皆さんにおかれては、小豆島中央病院への奉職おめでとうございます。また新病院を仕事の場として選んでいただいたことを感謝申し上げます。
 新しい病院が誕生したことにより、小豆島に住む皆さんの地域医療が守られ、確保されるだけでなく、この病院を核にして、これから小豆島全体の福祉、介護、健康づくり、高齢者の活躍の場づくりなどが進められていきます。
 この病院は、小豆島の未来を築く拠点になります。佐藤院長先生を筆頭に、皆さんと一緒になって、私も全力投球するつもりです。「地域包括ケアシステム」の小豆島モデルを、この病院を核にして、つくっていきましょう。
 病院管理学の権威である国際医療福祉大学の高橋泰先生が、1月に新病院を視察に来られました。高橋先生は、全国の代表的な病院のほとんどを視察されている方です。高橋先生から、新病院は、ハイスペックであるとの評価をいただきました。皆さんが仕事をされる小豆島中央病院は、そのような病院です。誇りと自信を持って、仕事に取り組んでいただきたいと思います。
 今、瀬戸内国際芸術祭が開かれています。今回の芸術祭における最大で、最高の作品が何かご存知ですか。その作品は、ガイドブックには掲載されていません。
 その作品とは、この新しい病院です。この病院は、ハードも立派ですが、ソフトも立派です。そのソフトは、これから佐藤先生を筆頭に皆さんと島民がつくっていくものです。
 芸術祭の目指すものは、「海の復権」です。つまり、小豆島が元気になることです。新しい病院は、小豆島を元気にするために、島の皆さんがひとつになって作り、これから作っていくものです。新病院は、「海の復権」に大いに貢献し、小豆島の未来をつくっていきます。
 小児科の外来の壁に、絵本作家の荒井良二さんが、壁画を描いてくれました。荒井さんは、世界的な絵本作家です。その荒井さんが、新病院のために、未来をイメージした、楽しい絵を描いてくれました。機会をつくってくれた小豆島東ライオンズクラブの皆さんに感謝します。
 戦後まもなく開院した内海病院の開院式で、頓宮初代先生は、「この病院ができたことで、小豆島の人は、病気の苦労から解放されるだろう」と言いました。これを聞いたスタッフが「そうなると、病院の経営はどうなるのですか」と。先生は答えました。「そんな素晴らしい病院なら、世界中から患者さんが集まってくるはずだ」と。小豆島中央病院はそのような病院になるはずです。みなさん頑張りましょう。(平成28年4月14日)

小豆島中央病院入職式のようす


小豆島中央病院を核に、福祉、介護、
健康づくり、高齢者の活躍の場づくり
などが進められていきます

新病院は、芸術祭の目指す「海の復権」に
貢献し、小豆島の未来をつくっていきます

小児科外来の壁に絵を描く
絵本作家の荒井良二さん

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第1663回 小豆島高校と土庄高校へ感謝状を贈りました


 第88回全国選抜高校野球大会で、これ以上はないという感動を私たちにくれた小豆島高校と土庄高校の皆さんに、小豆島町長と土庄町長の連名で感謝状を贈りました。
 甲子園での小豆島高校野球部の活躍は見事でした。プレーも、ベストを尽くし、見事でした。樋本主将の選手宣誓も、心を打ち、見事でした。応援も、アルプススタンドを背番号18のえんじのジャンバー1色に染め、見事でした。応援団は最優秀賞を獲得しました。
 その応援は、「島がひとつ」になることで、実現しました。小豆島高校の吹奏楽部だけでなく、土庄高校の吹奏楽部の皆さんも参加してくれました。小高だけでは、迫力が足らなかったはずです。ふたつの高校は、来年4月には、一緒になって小豆島中央高校に生まれ変わります。統合を先取りしたものになりました。甲子園の感動は、ふたつの高校が力をあわせてくれたおかげです。そこで両町長名で両校に感謝状を贈ることとしました。
 私は、今度の小高野球部の活躍と島がひとつになった応援を、野球だけのことではなく、小豆島のこれからの在り方を若者たちが示してくれたと考えています。
 つまり、「小豆島はひとつ」になることで、かなりのことができる、可能性を大きく広げることができることを、高校生の皆さんが実証してくれました。
 今、瀬戸内国際芸術祭が開催中です。小豆島を訪れる皆さんは、小豆島をひとつの島としてとらえて、アートや小豆島の魅力を楽しんでくれています。
 4月から小豆島中央病院がスタートしました。新しい病院は、小豆島の医療をひとつにまとめるだけでなく、福祉、介護、健康づくり、高齢者の社会参加・貢献なども小豆島中央病院を軸にして、小豆島全体で考えていかねばならないと思います。
 来年4月には、小豆島中央高校が開校します。高校がひとつになることは、小豆島の教育の在り方を革命的に変えていかねばならないことを意味しています。つまり、島の最高学府である小豆島中央高校を頂にして、島全体の小学校、中学校をどんな学校にしていくのか、小豆島の教育の在り方をどうするかが大事です。
 甲子園のグランドとスタンド、そして島の内外が、一体となって、選手の活躍を応援した姿こそ、これからの小豆島の在り方を示唆していると思います。「島はひとつ」になった取組みが、小豆島の未来のために求められている、そのことを小豆島高校と土庄高校の皆さんに教えてもらいました。(平成28年4月13日)

第88回全国選抜高校野球大会における
野球部や応援団の活躍を賞して
小豆島高校と土庄高校に感謝状を贈りました

右から小豆島高校野球部主将の樋本くん、
応援団団長の高木くん、吹奏楽部部長の
久松さん、土庄高校吹奏楽部部長の吉岡さん

感謝状贈呈式にもえんじ色の18番の
ジャンバー姿が見られました

来年4月に開校する小豆島中央高校の
正面からのイメージ図

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第1662回 本から生まれる一皿 壺井栄と庚申の夜


 小豆島には八十八ヶ所の霊場があります。九番札所は、醤(ひしお)の郷である苗羽(のうま)地区にある庚甲堂です。
 庚申堂は、庚申信仰の皆さんが建てた庵です。小豆島にでは、各地で、大正時代ごろまで、庚申信仰の風習がありました。庚申の夜に、お腹の中にいる三匹の虫が出てきて、神様に悪事を報告するので、その日は、寝ずの番をして、虫が出てこないようにしました。
 庚申信仰から、苗羽地区の人々は、月に一度、庚申堂に集まって夜通し語り合う風習ができあがりました。ところで、苗羽の庵ができたのは、島の産業としての醤油づくりが始まった文化元年(1804年)から3年後のことだそうです。明治20年(1887年)にも初代苗羽村長たちの寄進がありました。このころは、お醤油屋さんがひとつにまとまったり、発酵食品の研究所をつくったりと、醤油づくりが飛躍的に発展した時期です。つまり、庚申信仰や庚申堂は、小豆島の基盤産業である醤油づくりと深くつながっています。
 壺井栄は醤油の樽職人の長女として生まれました。暮らしの豊かなお醤油屋さんとそこで働く貧しい庶民の暮らしを作品のなかで書いています。壺井栄の作品の舞台は、ほとんどが小豆島であり、小豆島で生まれ育った日のさまざまな思い出、風俗習慣、郷土料理や伝統料理が作品の中に登場します。
 今回の瀬戸内国際芸術祭2016では、瀬戸内の食材や食文化を世界に発信することが目的のひとつに加わっています。地域の文化は「食」に凝縮されています。地域の食文化の大切さに気づき、広めていくことが、瀬戸内の島々の再生につながると考えました。
 そこで、総合ディレクターの北川フラムさんは、「食」で地域活性化を支える人材を育成するために「瀬戸内『食』のフラム塾」を開講しました。小豆島の佃煮食品産業に勤める岸本等さんは、フラム塾に参加しました。
 その岸本さんが、企画したのが「本からうまれる一皿~壺井栄と庚申の夜~」という食プロジェクトです。壺井栄の作品から「食」にまつわる記述を、町立図書館「むとす館」で30年以上続く月1回の読書会の12名の皆さんに書き出していただき、塩、素麺、醤油、佃煮、オリーブ、魚、野菜、柑橘類などの小豆島の食材で、一皿の料理にして、庚申信仰と同じように、月1回の夜会を開くプロジェクトです。
 その第1回の夜会が、坂手港eiカフェで開かれました。この日は、3月に相応しく、「ひなまつり」と題した献立でした。メニューは、天ぷら素麺、五目ずし、よもぎ豆腐、アサリの佃煮、くばり餅、母の手際の大根なます、メバルのレモン蒸し、たま焼きとサラダのオリーブオイル和えなどです。すべての料理が、壺井栄の童話、小説、随筆などに登場してくるそうです。食材は、もちろん、とりたてのものです。まれにしか釣れない魚は、メンバーのひとりが冷凍保存して、この日に備えたものだと聞きました。
 「壺井栄と庚申の夜」は、10月まで毎月1回、最終土曜日、4時から坂手港のeiカフェ(8月は別会場予定)で開催されます。今年は、壺井栄の50回忌の年です。小豆島をこよなく愛した壺井栄の作品を思い浮かべ、小豆島の新鮮な食を活用した美味しい料理を味わいながら、毎月1度の庚申の夜を楽しみましょう。小豆島と私たちのこれからを神様が見守ってくれるように。(平成28年4月12日)

苗羽地区にある
九番札所「庚申堂」

島の産業としての醤油づくりが
文化元年(1804年)から始まりました

壺井栄さん


第1回の夜会のメニューは
「ひなまつり」と題した献立でした

「壺井栄と庚申の夜」は、10月まで毎月1回、
最終土曜日、4時から坂手港のeiカフェ
(8月は別会場予定)で開催されます

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第1661回 「愛のボラード」


 瀬戸内国際芸術祭2016の作品として、小豆島田ノ浦の二十四の瞳映画村の海岸に、清水久和さんが「愛のボラード」という作品を制作展示しています。「ボラード」とは、岸壁に設置して船を係留する丸みのある柱のことです。
 清水久和さんは、日本を代表するプロダクトデザイナーです。3年前の前回の芸術祭において、馬木の醤の郷で「オリーブのリーゼント」という作品を展示しました。前回の芸術祭で、最も評判になり、地域の人々と訪問客に親しまれた作品のひとつでした。
 そこで、今回の芸術祭でも是非作品をと、お願いしたとこところ快諾していただきました。展示場所は、二十四の瞳映画村をお願いしました。映画村は、田中裕子さんが大石先生を演じたときの映画撮影のロケセットをそのまま保存公開し、大勢の観光客の皆さんに楽しんでいただいています。芸術祭に訪れた皆さんにも、是非足を伸ばしてほしいと思い、映画村での作品をお願いしました。
 ところで、清水さんは、前回の芸術祭の後、数えきれないほど、小豆島に来ていただいています。清水さんは、「愛のバッドデザイン」を提唱されています。「愛のバッドデザイン」とは、私たちの身の回りにある、ありふれたデザインで、人々がその存在を忘れるようなデザインのなかに、人々の心に届く、ユーモラスで素晴らしいものがあること、そこから新しいデザインが生まれると考え、ご本人も実践されています。
 清水さんは、「愛のバッドデザイン」のワークショップと実践を小豆島の小学生や若者たちと、この2年近く続けてくれています。参加している若者たちは、小豆島青年会議所と小豆島のふたつの町の商工会の青年部のメンバーです。
 彼らは、これからの小豆島の商工業と小豆島の発展を担っていかねばならない若者たちです。小豆島は行政区画が二つに分かれていて、なかなか「島はひとつ」の取組みが進まないなかで、島をあげての若者たちと清水さんとのコラボは画期的です。
 作品のお披露目の会で、清水さんの仕事のパートナーであるデザインディレクターの岡田栄造さんが興味深い話をしてくれました。二十四の瞳映画村の海岸にボラードの作品がある意味です。岡田さんは、清水さんが作品の構想を練るときの話し相手です。清水さんは、ご自身に浮かんだイメージやアイデアを岡田さんと話すことで、デザインをカタチにしていくのだそうです。
 今度の作品、清水さんは、二十四の瞳の作品とのかかわりを考えて、今度のボラードの作品を構想したのではなく、映画村の海岸に実際に立ったとき浮かんだイメージがボラードでした。
 そこで、岡田さんは、今回、現地に来るに当たって、二十四の瞳とのかかわりがどこかにないものか、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のDVDをつぶさに御覧になったそうです。
 そして、ついに見つけました。大石先生の旦那さまは船乗りです。子どもたちが、大好きな大石先生の旦那様を迎えに、港の桟橋にかけつけます。そこにたくさんにボラードがありました。ボラードは、船を係留するので、島の人たちが、島の外の人を出迎えるのになくてはならないものです。つまり、島の人にとって、ボラードは、島と外をつなぐ「希望」を象徴するものだと岡田さんは考えました。「愛のボラード」は、島の人の「希望」をいっぱいに膨らませたものだと考えました。
 ところで、今度の作品は、小豆島の町工場で制作されました。世界でも希となった手造りのヨットをつくっている小豆島の大部にある創業85年の老舗岡崎造船です。少人数の匠たちが、気持ちを込めて、樹脂(繊維強化プラスチック【FRP】)の表面を磨き、カタチにしていきました。見事としかいいようのない、ぴかぴかの仕上がりです。
 澄み切った海と空の色、背後の山、そして真っ白で、ぴかぴか光る高さ3メートルの巨大な「愛のボラード」を見ると、どこからか「希望」が湧いてくるようです。(平成28年4月11日)

瀬戸内国際芸術祭2016での
清水久和さんの作品「愛のボラード」

日本を代表するプロダクトデザイナーの
清水久和さん

瀬戸内国際芸術祭2013で好評を博した
「オリーブのリーゼント」

壺井栄の名作「二十四の瞳」
(C)松竹

小豆島青年会議所と小豆島のふたつの町の
商工会青年部のメンバーは、2年ほど
清水さんと「愛のバッドデザイン」の
ワークショップを行いました

小豆島の小学生や若者たちの
「愛のバッドデザイン」の作品は
オリーブナビなどに展示されています

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第1660回 王さんの「オリーブの夢」


 棚田に囲まれた中山地区に、今回の瀬戸内国際芸術祭でも、台湾のアーティスト王文志さんが「オリーブの夢」という作品を作ってくれました。
 作品は、地元中山の皆さんが地元の竹林から切り出した5000本の竹を編んだものです。高さが15メートル、オリーブの実と種をイメージした大小ふたつのオブジェです。内部の床は棚田の景観をイメージした段差になっています。
 外観は、中山の棚田の景観にマッチした楕円形の勇壮なかたちですが、中に入ると、清水の流れの音が聞こえ、静寂さが漂っています。王さんは、「大地の声や自分の心の声が聞こえる空間」と話していました。
 中山自治会の武田総代がおっしゃっていたように、かつては、生活のあちらこちらに竹が活かされていました。竹馬、竹とんぼ、竹竿、竹笊などあげると切りがありません。ところが、山の手入れが行き届かなくなって竹林が広がって、竹は少しやっかいものにされたり、竹のすばらしさを人々は忘れようとしています。
 台湾の王さんをリーダーとする台湾の竹の匠たちが、竹の本来の魅力を活かして、珠玉の芸術作品を仕上げてくれました。
 ところで、王さんをはじめ台湾から来られた制作チームの皆さんは、大変な親日家です。驚いたことに、打ち上げ会で、王さんが一曲だけ歌える日本の歌があると、突然口ずさんだのが、城卓矢さんの「骨まで愛して」という曲でした。
 この曲が、日本で流行ったのは、もう50年も前のことです。「どうしてこの曲を知っているのですか」と聞いたら、ラジオからその歌が流れ、お兄さんがよく口ずさんでいたというのです。
 実は、高校生だった私も、高校生には相応しくない、この歌が大好きで、よく歌っていました。王さんと二人で、何度も、大きな声を出して歌い、皆さんに聞いてもらいました。
 どうして台湾の皆さんに日本に親近感を感じる皆さんが多いのでしょう。それは、きっと私たち日本人は、アフリカをスタートして、台湾まで来た人たちのうち、さらに日本列島にまでたどりついた人たちである、つまり、私たちと台湾の人たちはつながっているからだと私は推測しています。
 二十四の瞳映画村では、毎月入場者を都道府県別に集計しているのですが、先月、ついに東京都や大阪府を抜いて台湾がトップになりました。映画村のロケセットの昭和の懐かしい街並みが台湾の皆さんに好評なのだそうです。
 台湾でも、瀬戸内国際芸術祭のように、各地でアートによる地域づくりが行われているそうです。そのことを、瀬戸芸の総合ディレクターの北川フラムさんからも、瀬戸芸「小豆島町未来プロジェクト」ディレクターの椿昇さんからも、福田の福武ハウスに来られている台湾のアーティストからも聞きました。小豆島や瀬戸内海への関心もとても高まっているとも。
 はやく機会を見つけて、台湾を訪問したいです。王さんらにも会いたいし、王さんのふるさとの高地も訪ねてみたいです。(平成28年4月8日)

台湾のアーティスト王文志さん制作の
「オリーブの夢」

内部は「大地の声や自分の心の声が
聞こえる空間」をイメージして作られています

制作チームは竹の本来の魅力を活かして
珠玉の芸術作品を仕上げました

王文志さんと城卓矢さんの
「骨まで愛して」を熱唱しました

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第1659回 地域の防災力 島はひとつ


 小豆島の消防本部の指令センターと消防救急デジタル無線システムが完成しました。新しい二つの消防庁舎も土庄と内海に同時に完成しました。
 「島はひとつ」と言われて久しいのですが、消防を含む防災については、いち早く昭和47年に小豆島消防組合ができ、昭和55年には小豆広域事務組合として島全体の取り組みが行われてきました。つまり「防災」に行政の境界はなく、島がひとつになって取り組むことが必要でした。
 小豆島では、島全体で消火活動をした大火事を経験しています。昭和49年、昭和51年には集中豪雨、平成16年には高潮災害の深刻な災害も経験しています。
 火災をはじめ災害を予防し、被害を最小限度にしなければいけません。そのために大切なのが「地域の防災力」です。
 「地域の防災力」は、プロの消防署だけでなく、日頃は別の仕事についていていざというとき活動に参加する地域の消防団、さらには自治消防団、そして地域住民の皆さんのすべての力を合わせた総合力です。
 基本となるプロの消防署については、今回の指令センターと消防無線の一新、新庁舎の完成で体積が整いました。これに医療スタッフがより充実した新病院がスタートすることを合わせると小豆島全体の「地域の防災力」をより充実させることができたと思います。
 しかし、課題は山積しています。これからも不断の努力、改善をしていかなければいけません。人口減少で、消防団員の確保が難しくなっています。自治消防の維持も難しくなっています。「地域の防災力」を高めるさまざまな努力を続けていかなければいけません。
 ところで小豆島の行政区画は、時代によってまちまちでした。20近くの区画に分かれていた時代もあれば、島全体が一人の大名により管理された時代もあります。平成の大合併で、みっつあった町が今のふたつの町になりました。
 人口減少が続くなかで、島民の安心と安全を守り、島を活性化することは難しくなる一方です。今のふたつの町で地域の良さを活かしながら取り組むことも必要ですが、防災のように島全体で取り組むことがたくさんあり、増えています。
 新しい病院、新しい高校づくり、公共バスの料金、路線の見直しなども、そのひとつです。新しい病院は、島全体の地域包括ケアの中心の役割を果たしてくれるはずです。地域包括ケアは、医療だけでなく、福祉、介護、健康づくり、住まい、社会参加などを一体として取り組むものです。
 こうして、これから、いろいろ分野で、「島はひとつ」の取組みを広げていきたいと思います。そうすることで、小豆島は、その魅力を守り、元気になっていけると思います。(平成28年4月7日)

小豆地区消防本部落成式での
テープカットのようす

消防署では、指令センターと
消防無線が一新されました

防災訓練に取り組む
小豆島町消防団の団員の皆さん

平成28年度に消防団に入団した
新規団員の皆さん

土庄にある
小豆島西消防署

安田にある
小豆島東消防署

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第1658回 国保地域医療推進協議会の論議から「地方創生」を考える<続>


 私たち人間が生きている意味とは何でしょうか。人それぞれの考え方があると思いますが、私がまず浮かぶことは、命の大切さです。そして、その命を世代から世代へと引き継いでいくことだと思います。
 命をつないでいきながら、私たちは、価値あるものを文化として積みあげてきました。私は、文化もとても大切なものであり、文化をつくり、楽しむことも、生きる意味であると思います。
 私が生きていてよかったと思うときは、人と人の信頼を感じることができるとき、何かをなしえたとき、誇りを感じることができるとき、ほっとできるとき、何かに感動したときなどです。
 以上のようなことが、人間が人間であるために本質的に大切な「理念」であると、とりあえず整理しておきます。
 

命をつないでいきながら、私たちは
価値あるものを文化として積みあげてきました

 人間が人間であるために本質的に大切な「理念」を実現するために、なくてはならないものが「家族」であり、「共同体(地域社会)」であると考えられます。ゴリラ学者である京都大学の山極寿一総長は、サルから人間になった人間がつくったのが「家族」と「共同体(地域社会)」であると考えておられます。その両方が、人間が人間であるために必要であり、その両方が弱体化して、人間社会がサル社会化していることに警鐘を鳴らしています。
 「家族」は、絶対的な信頼関係であり、「共同体(地域社会)」は、顔の見える間の相互の助け合いの関係です。人間は、「家族」と「共同体(地域社会)」の両方があって、命を守り、つなぎ、助け合い、文化をつくってきました。つまり、「家族」と「共同体(地域社会)」の両方があることで、人間社会として「理念」を実現できました。
 私たちは、「家族」と「共同体(地域社会)」を前提としながら、「家族」や「共同体(地域社会)」よりも、大きなまとまり、「自治体」「国」などをつくることで、さらに発展してきました。科学技術を進歩させ、農業などの一次産業以外のさまざま産業を発展させ、都市を繁栄させ、さまざまな社会政策をつくってきました。その最たる社会政策が「社会保障」です。
 それらはすべて人間社会の「進歩」です。そのことにより、私たちは「理念」をこれまで以上に実現することができたからです。これからもそうであってほしいと思います。しかし、少なくとも私たちの国、日本では、これまでと違う変化、「進歩」だけでは「理念」は、必ずしも実現できないのではないかという変化が私たちの周りで起きています。私たちも変わっていかないと、私たちが最も大切にすべき「理念」を実現できなくなっていくのではないかという変化が起きています。
 

人間は、「家族」と「共同体(地域社会)」があり
命を守り、つなぎ、助け合い、文化をつくってきました

 本質的な変化は、人間が人間であるための前提である「家族」と「共同体(地域社会)」の機能と役割が弱体化していること、あるいは変わろうとしていることです。「自治体」や「国」など、「家族」や「共同体(地域社会)」以外の機能や役割が大きくなりすぎて、相互間のバランスが崩れようとしています。
 日本では、その上に、「自治体」や「国」の機能や役割を大きくでき、効率的に果たすことを可能にしてきた人口増加と経済成長というふたつの前提条件が、逆に人口減少と経済成長の鈍化という逆風になろうとしています。しかもこの逆風は一時的なものではなく、この先、ずっとそうなるかもしれない歴史的な変化です。
 以上のことから、「自治体」や「国」の機能や役割について、抜本的に変えることが必要だと思います。その最大のものが「社会保障」です。「家族」や「共同体(地域社会)」の機能や役割の弱体化も、「社会保障」の影響が大きいと考えられます。
 もう一度、「家族」と「共同体(地域社会)」と社会保障の機能と役割分担、バランスについて、原点に立ち返って、再構築しなければ、本質的な問題解決にならないと思います。
 一次産業の衰退も、「家族」や「共同体(地域社会)」の機能と役割の弱体化にかかわっています。「社会保障」の充実は、「自治体」の強化につながった面よりも、本質的に「自治体」の機能と役割を弱体化したかもしれないと私は考えています。なぜなら「自治体」は、「国」の政策と財源に依存するようになってしまっています。

一次産業の衰退も、「家族」や「共同体(地域社会)」の
機能と役割の弱体化にかかわっています

 こうした文脈で考えると、厚生労働省の「地域包括ケアシステム」の提案の本質が見えてきます。「地域包括ケアシステム」は、「家族」と「共同体(地域社会)」と「社会保障」の機能と役割、バランスについて、もう一度根本から再構築すること、農業をはじめとする一次産業の再生を地域で、「自治体」ごとで考え直すことなどによって実現するのだと、私は思います。つまり「地域包括システム」は、「地方創生」を、「社会保障」の政策の観点から表現したものです。
 人間が人間であるための「理念」を守り、実現するために、「家族」と「共同体(地域社会)」を強くできるよう、「社会保障」、産業振興、教育、国と地方の関係、国際化などすべての政策の在り方をパッケージで考え、提示し、実行することが、今求めれられています。そのことを一言で表現せよと言われたら、今なら、それは「地方創生」だろうと私は思います。(平成28年4月6日)

「地域包括ケアシステム」は、「家族」と「共同体(地域社会)」と
「社会保障」の機能と役割、バランスについて
もう一度根本から再構築することだと思います

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第1657回 国保地域医療推進協議会の論議から「地方創生」を考える


 日本では医療について皆保険が制度として実現しており、いつでも、どこでも、だれでも、医療を受けられるようになっています。私たち日本人にはあたり前のことになっていて、それが不十分だと批判を受けていますが、実は、これほど医療が充実している国は世界でも希で、日本の医療制度は、特筆すべきものです。この制度をこれからも続けていけるようにしなければいけません。
 そのことを前提にしながら、制度がさまざまな課題をかかえていることも、まぎれのない事実です。課題の一つは、医療費が膨大になり過ぎて、制度を支える負担が限界に達しようとしていることです。もうひとつは、医師が偏在して、過疎地域で医師確保が難しくなり、地域医療が各地で崩壊の危機を迎えていることです。
 

医療費や医師確保の課題により
地域医療が危機を迎えています

 こうした医療制度の課題を克服するために、厚生労働省では、さまざまな取組みをしています。医療保険の保険料や本人の窓口負担を引き上げたり、病院や診療所の診療報酬を引き下げたり、医師の養成数を増やしたり、健康増進対策を充実したりなど、考えられることはすべて実施しています。介護保険を医療保険から分離してつくったのも、介護を医療ではなく、介護予防などと一体で市町村が進めることで、医療費の伸びを抑えられると考えたこともきっかけになっています。
  このように、できる政策は厚生労働省がほとんどすべて実施しているのですが、医療をめぐる課題は、深刻になる一方です。厚生労働省が、真剣に課題克服に努めているのに、問題が一向に解決できないのは、厚生労働省の政策の範囲だけでは問題を解決できず、もっと本質的な政策が必要だからだと思います。
 厚生労働省が、最近提起している「地域包括ケアシステム」は、こうした医療を取り巻く課題を解決するため、厚生労働省が渾身の力で提案した政策パッケージです。しかし、政策提起を厚生労働省の範囲でせざるを得ないので、とても窮屈なものになっているし、言葉も専門的過ぎて、国民や住民の皆さんの心に届くものとは言いがたいように思います。

医療制度の課題を克服するために
健康増進対策などさまざまな
取組みが行われています

 香川県の国保地域医療推進協議会がありました。県内で、国民健康保険を運営し、その立場で病院や診療所を経営している県内の市町長と病院トップの先生方が集まっての研究会です。今回は、厚生労働省の吉田学審議官から「医療介護連携をめぐる動きー地域包括ケアシステムの具体化に向けた国保直診への期待―」という講演と、大分県国東市民病院の籾井真二院長の「地域医療構想、公立病院改革プランと国保直診~広域連携型地域包括ケアの推進と健全経営~」という講演を聞くことができました。お二人の率直で、実践的で、中味の濃い、素晴らしい話を聞き、いろいろ考えさせられました。
 「地域包括ケアシステム」という厚生労働省が提案する「社会保障」の政策は、実は、国民健康保険の関係者にとって何ら新しいことではなく、そもそも国保が目指してきたもの、その現場において国保の病院や診療所の現場スタッフが目指してきたことそのものであること、また、地域から、地方がもう一度元気になることで、日本全体も元気になれるという「地方創生」が目指すものと同じものです。
 つまり、私たちが今ぶつかっている壁の本質は、実は同じものから起きていると私は思います。それが何であり、どうしたらそれが解決できるか、大きな理念と大きな政策パッケージで語られ、提示されることが求められています。大きな理念と大きな政策パッケージについて、現時点で、ざっくりと考えていることを、次回、私の備忘録として書きますので、ご批判をいただきたいと思います。(続く)(平成28年4月5日)

「地域包括ケアシステム」という社会保障が
目指すものは「地方創生」と同じものです

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第1656回 海外記者の取材を受けました


 今年伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)に先立って4月に高松で情報通信大臣会合が開催されますが、香川県が国内駐在の海外メディアを招いたプレスツアーを小豆島で実施してくれました。
 中国、台湾、香港、フランス、米国の5か国の新聞や放送などの記者13人が小豆島に来られました。小豆島町での取材のテーマは、情報通信技術(ICT)を活用した振興策、瀬戸内国際芸術祭の取組み、移住者についてでした。
 小豆島町では、高齢者が公民館に設置されたテレビ電話で保健師と健康相談を受けられる「オリーブヘルスケアシステム」を実施しています。このシステムは、高齢者の皆さんに楽しみながら、健康づくりをしてもらい、医療費や介護費用の伸びを抑えようとするものです。
 私は、海外記者の鋭い質問に驚いてしまいました。この取組みについて、私自身この日の海外記者の皆さんのように考えてみたことがあまりなかったからです。そのいくつかを紹介すると、「何故いいシステムなのに、全国で3市町村でしか導入されていないのか」「参加者はどのくらいか。参加者が少ないのはなぜか」「健康づくりの成果はどうか。医療費の削減はどのくらいか」「利用者のプライバシー保護はなされているか」「システムのコストはどのくらいか」「なぜ在宅でこのシステムを使えないのか」などやむことがないくらい質問が続きました。こうしたやりとりを、本当なら私たちは、日々しておかなければいけないのにと思います。
 私は、海外記者はどうせ観光気分だろうと思っていたのに、全くそういうことはなく、ICTに対する専門知識の高さだけでなく、どんな問題にも本質をきちんとつかもうとする姿勢に驚きました。
 海外記者とのやりとりを通して、私自身は、改めて、ICTという最新の技術の可能性と留意点などに気づかされました。日頃の仕事に慣れてしまい、それをどうしたら一歩も、二歩も前進できるのに、みすみすその可能性を逃していると改めて、海外記者から教えられました。
 ここに、わたしたちの社会を、私たちの努力次第で、いくらでもよくできるヒントがあります。また、情報通信大臣会議など、関係ないと思っていたのですが、ICTをどのようにして、地域づくりに活かしていけるかも、会議の立派なテーマであることに気づかせてくれました。
 レストラン「フリュウ」で、小豆島への移住者を交えて、食事をしながら、海外記者の皆さんと談笑しました。このレストランは移住者のシェフの方が、小豆島の食材を活かして始めた本格的なイタリア料理のレストランです。海外記者の皆さんと小豆島の魅力と可能性について、ざっくばらんに話すことができました。小豆島も変わったものです。
 「なぜ東京を離れ、小豆島に戻ったのか」「なぜ、もう一度、日本は地方が元気になることで全体が元気になれると考えているのか」「霞が関をどう思っているのか」「なぜ今瀬戸内国際芸術祭が大切だと考えているのか」「数ある芸術祭のなかで、なぜ瀬戸芸は成功していると考えているのか」など、ここでも、海外記者からの質問は、鋭く、本質を突いたものでした。
 きれいな瀬戸内・内海湾の景色をみながら、おいしい料理を食べながら、知的刺激にあふれた楽しいひと時でした。海外記者の皆さんとの対話から、小豆島は必ず魅力を高め、元気になっていけるだろうと改めて感じることができました。
 私たちは、すっかり忘れているのですが、この小豆島は、有史以来、たくさんの海外の皆さんが訪れた、国を超えたつながりを経験してきた島です。小豆島は、瀬戸内海という、この国の中心であった大阪、京都などと、中国、朝鮮半島、さらには欧米との交流の大動脈のど真ん中に位置しています。静かな内海があります。ここに、海外からの皆さんは、しばし船を停泊させ、島を探索したはずです。
 食事のあと、海外記者の皆さんは、中山地区の棚田で瀬戸芸作品として、5000本の竹でつくる作品「オリーブの夢」を制作中の台湾のアーティスト王文志さんの取材に向かいました。台湾の記者の皆さんは、食事のときから、台湾でも著名なアーティストである王さんに会えることを楽しみにされていました。「国際化」というテーマに、小豆島がどのようにかかわっていけるかも、小豆島が元気になっていく上で大切なことだと思います。(平成28年4月4日)

伊勢志摩サミットに先立って
今月に高松で開催される情報通信大臣会合

オリーブヘルスケアシステムを
利用する高齢者の方々

情報通信技術(ICT)を熱心に取材する
海外記者の皆さん

レストラン「フリュウ」で、小豆島への
移住者を交えて小豆島の魅力と
可能性について話しました

中山の「オリーブの夢」の作品の前で
アーティストの王文志さんを取材する
海外記者の皆さん

農村歌舞伎の舞台も取材されていました

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第1655回 石倉三郎さんの初主演映画「つむぐもの」


 小豆島出身の石倉三郎さんの初主演映画「つむぐもの」が、東京有楽町のスバル座で上映されていると聞き、観賞してきました。
 驚いたことに、その日のその上映時間に限って、石倉三郎さんと犬童一利監督が映画館に来られていて、舞台挨拶をされました。偶然ですが、本当にびっくりしました。神様が引き合わせてくれたのだと思います。
 この映画は、とても重たい三つのテーマをとりあげています。ひとつ目は、高齢者の介護の問題、ふたつ目は、日本と韓国の間に横たわる問題、みっつ目は、廃れていく伝統産業の問題です。
 石倉さんは、福井の伝統産業である和紙職人の役です。へんこつで無口な人付き合いの苦手な和紙職人です。奥さんを亡くして一人で和紙をすいていましたが、脳腫瘍で体が不自由になります。
 そこに韓国から気ままに育った若い女性が、在日韓国人を頼って、やってきます。和紙づくりの手伝いのはずが、気難しい老人の介護が仕事でした。最初、二人は反発しあいますが、徐々に、心を開いていきます。
 彼女は、真正面から、お年寄りの介護に立ち向かいます。専門の介護スタッフと衝突します。どちらの介護がいいというものではなく、介護は本質的に難しいものだと思います。
 和紙職人が亡くなり、彼女は韓国に戻ります。もとの奔放で、きままな若い女性に戻るのですが、何かの拍子で、店先に出て、店の手伝いを始めたところで映画は終わります。
 犬童監督は、弱冠30歳です。入念に構想し、準備したはずですが、撮影はたった2週間だったそうです。その後長い時間をかけて編集したそうです。作品のテーマもさることながら、主演に石倉さんを抜擢されたことは凄いと思います。もう一人の主演の韓国からやってきた娘役のキム・コッピさんもいいです。その他のわき役陣も充実しています。何よりも、今までの映画では見られない石倉さんの真骨頂を見ることができました。
 主題歌の城南海(きずきみなみ)さんの「月の砂漠」も素晴らしいです。城さんは、テレビドラマ「八日目の蝉」の主題歌「童神」を歌っています。城さんは、小豆島が大好きで、毎年のように「島フェス」に出られて歌ってくれています。いろいろな小豆島とのつながりを感じます。
 とても素晴らしい作品ですが、東京での上映会でどれだけの皆さんがご覧になるかで、これからの全国展開が決まると聞きました。本物が評価されるのが難しい時代はつらいです。スバル座での公開は4月8日までです。是非ともたくさんの方々に観てほしいと思います。
 今年は、小豆島町が誕生して10年にあたる年です。10周年記念のひとつとして、この映画を小豆島で上映する予定です。そのときには、石倉さんと犬童監督を小豆島にお呼びしたいものです。
 映画を見た後、久しぶりに門前中町にある石倉さんの奥さんがやっておられる「花菱」という小料理屋さんを訪ね、奥様とも歓談できました。「映画とはいいものだ」とつくづく感じました。(平成28年4月1日)

石倉三郎さんと犬童一利監督による
舞台挨拶

映画「つむぐもの」のパンフレット

パンフレットに掲載されている
映画のワンシーン

城南海は小豆島で数多く歌われています

石倉三郎さんと犬童一利監督と

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第1654回 新年度の抱負


 年度はじめなので、新年度の抱負を書きます。今年度は、町長になって7年目の年です。まだまだ若いと本人は思っていたのですが、今年9月には前期高齢者の仲間入りです。
 仲間の多くは、現役を退こうとしています。私も、そろそろ、悠々自適、スローライフに入ってもなんらおかしくありません。
 私という人間は、いったいどこから来て、どこに行こうとしているのかと、ふと考えることがあります。小豆島に生まれ育ち、京都の大学に行き、東京の霞が関で、夢中になって仕事をし、再び小豆島に戻ってきました。
 それらのすべての経験が、私にとって、充実した、かけがえのないものでした。
 ふるさとに戻ったのは、もう一度、この国が元気になっていくには、ふるさと、地域を元気にすることから始めるしかないという思いからでした。
 大勢の皆さんに支えられて、小豆島は、少し元気を取り戻しつつあるように思います。しかし、それか確かなものになっているかと言えば、決してそうではありません。一過性のものになる可能性もあります。どうしたら確かな歩みにできるでしょうか。
 今年度は、いくつか取り組んでみたいテーマがあります。瀬戸内国際芸術祭の年ですので、まずは芸術祭を島の内外の皆さんに楽しんでもらい、小豆島と瀬戸内海の未来につなげたいと思います。小豆島中央病院を核にして、小豆島全体の医療、福祉、健康づくり、高齢者の社会参加・貢献を進めたいと思います。
 教育の在り方を抜本的につくり直したいと思います。地域と学校の関係をしっかりとしたものしたいと思います。地域の皆さんや島内外の専門家の皆さんの応援を得て、学校と地域で、子どもたちの教育をしっかりしたものにしたいと思います。
 地場産業の活性化にも本格的に取り組もうと思います。醤油、佃煮、素麺、オリーブなどの地場産業はそれぞれ頑張っていますが、明治の終わりに醤油産業が飛躍的に伸びたように、もう一度「百年の計」の戦略を考え、実行しなければいけません。一次産業の復活も是非やってみたいテーマです。
 「島がひとつ」になるために、どうしたらいいかについても、真剣に考えたいと思います。小豆島高校の甲子園での活躍は見事でした。甲子園の応援で小豆島高校の応援が最優秀賞を得たことは小さいことではありません。「島はひとつ」になることで、「島の未来」が見えてきます。
 人はそれぞれの道を歩いていきます。どの道が立派で、どの道がそうではないということはありません。私は、たくさんの人に支えられて、自分の信じた道をこれからも歩いていけたらと思います。(平成28年4月1日)

芸術祭を小豆島と瀬戸内海の
未来につなげたいと思います


小豆島中央病院を核にして
小豆島全体の医療、福祉、健康づくり、
高齢者の社会参加・貢献を進めたいと思います


地場産業の活性化のため
戦略を考え、実行しなければいけません


島がひとつとなった小豆島高校の応援が
最優秀賞を受賞しました

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