小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1955回 第45回壺井栄賞授賞式


 6月23日は壺井栄の命日です。亡くなって51年になりますが、壺井栄の大きさを、ますます、ひしひしと、感じる今日このごろです。この日、坂手港を望む丘にある壺井栄記念碑の前で、45回目の壺井栄賞受賞式がありました。  
 毎年、香川県下の高校生、中学生、小学生に、400字詰め原稿用紙5枚の作文を書いてもらい、優秀な作品を、壺井栄賞として表彰しています。
 毎年、どんな作品が選ばれたのか、私は、楽しみにしていますが、今年の入賞作品には、素直な気持ちで心を打たれました。入賞作品は、すべて小学生が書かれたものでした。1人は高松市の児童でしたが、残りの5人は、小豆島の小学生でした。  
 どの作品も、日常生活で体験したことを、思いのままに、素直に表現しています。光景が絵のように目に浮かびます。文章がうまいとか、難しい言葉が使われているというのではなく、皆さんの気持ちや思いが、ここちよく表現されています。  
 最優秀の壺井栄賞は、苗羽小学校5年(応募当時)の藤田実優さんの「一人っ子じゃない」です。藤田さんは、三つ子の一人として生まれたのですが、二人のお兄さんたちは、生まれてすぐ亡くなりました。藤田さんも、未熟児で生まれ、左目が不自由ですが、6年生の今、元気に、水泳や陸上の練習を続けています。  
 しんどい時、亡くなったお兄さんたちのことを思い出し、「私は一人っ子じゃない」、お兄さんたちのおかげで、私はがんばる、お兄さんたちの分まで、私はがんばると考えています。  
 優秀賞の梅本藍さんは、家族みんなで作るあなご弁当のおいしさを書きました。このあなご弁当は、福田港で売られていますが、日本一おいしい弁当だと私も思います。  
 中㙒三笠君は、音楽の素晴らしさを、本当に音と声が聞こえてくるように、書きました。中埜君は、日記を毎日書いているそうで、そのノートがもう51冊にもなっているそうです。  
 藤本陽翔君は、お母さんが不自由な手で直してくれたベストのことを通して、お母さんの優しさを書きました。藤本君は、お母さんが大好きですが、もちろんお父さんも大好きです。  
 本田愛香さんは、いとこの女の子が、蝶を見て、「はだかのチョウチョだ」と言ったのに対して、「チョウチョに服やベストを着せた絵をかいてみよう」と考えました。兄弟のいない本田さんは、いとこの女の子が大好きです。  
 笠井一咲君は、亡くなったおじいちゃんの思い出を、まるでおじいちゃんが声をかけてくれるように生き生きと書きました。こわそうで、それでいて、やさしい自慢のおじいちゃんでした。  
 入賞作品を読んで、私は、まるで、壺井栄の文章を読んでいるように感じました。壺井栄は、どこにでもいる人々の日常生活の喜怒哀楽を書いて、人が生きることの意味を考えさせてくれました。今年の入賞作品は、日常生活で見つけたこと、感じたことを書いて、人が生きることの意味を考えさせてくれる素晴らしい作品ばかりでした。(平成29年6月26日)

 第45回壺井栄賞受賞者
 壺井栄賞
  藤田 実優 さん(苗羽小学校5年)
   作品 一人っ子じゃない
 優秀賞
  梅本 藍 さん(安田小学校1年)
   作品 日本一のあなごべんとう
  中㙒 三笠 さん(苗羽小学校2年)
   作品 音楽っておもしろいよ!
  藤本 陽翔 さん(池田小学校4年)
   作品 お母さんの手とベスト
  本田 愛香 さん(高松市立川添小学校6年)
   作品 裸のチョウチョ
  笠井 一咲 さん(安田小学校6年)
   作品 思い出づくり
  ※学校・学年は応募当時のものです。

  ・芦原すなおさんによる選評

6月23日は壺井栄の命日です


45回目となる壺井栄賞受賞式が
壺井栄記念碑の前で行われました

最優秀の壺井栄賞を受賞した
藤田実優さん

受賞者と保護者の方を囲んで


日本一おいしいと思う
あなご弁当

入賞作品を読んで、まるで、壺井栄の
文章を読んでいるように感じました

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第1954回 番外編アーカイブ㊱「讃岐男に阿波女」


 ちょっといい話26「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年11月号
  「讃岐男に阿波女」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 「雨降ったんか。水あるんか。」小豆島に住む母への電話の第一声はこの言葉で始まる。讃岐の国には水がない。そこで、弘法大師をはじめ先達が沢山の溜め池を作った。お隣の阿波の国には、「坂東太郎」と謳われた吉野川という名川がある。今、香川県は、香川用水をつくり、徳島県から水をいただいている。  
 全国すし連徳島大会で徳島にうかがった。すしは、世界中どこに出しても自慢できる日本の誇る伝統的な食文化。健康志向の中、欧米の愛好家も増えている。伝統を守りつつ、独創を加えていく。江戸っ子で、江戸文化の生き字引のような、全国すし組合の森会長は、21世紀を見据えた「すしビジョン」づくりを宣言された。大いに期待したい。  
 徳島県の指導センター理事長の住友さんは、旅館を経営されている。10年前に徳島に来たときにはなかった都市型ホテルが駅前にある。JRの経営で立派なホテルだが、徳島らしさはどこにもない。我が故郷の旅館も苦戦しているが、住友さんにも、国籍不明のようなシティホテルに負けず、個性豊かな旅館の代表として頑張ってほしい。  
 徳島県では、県庁の森本補佐のはからいで、理容の将来を理詰めで考える理容の槙山理事長、若さと前向きの社交の炭谷理事長、阿波一の美女と紹介された美容の鎌田理事長、堅実着実のクリーニングの谷口理事長たちとお話ができた。指導センターも統率力がおありとみた喜田事務局長、両親の面倒のため帰郷し、業界の信頼厚い経営指導員長尾さんなど、多士済々だ。


徳島駅前のようす

 昔から「讃岐男に阿波女」と言われた。讃岐男は働き者だが、それ以上に働き者で力持ちでしっかり者なのが阿波女。だから、讃岐男と阿波女のペアは最強だ。残念ながら我が家は讃岐男に讃岐女だが、徳島県と香川県は隣同士だから何かと関係が深い。一昨年の国体も両県の開催だった。開会式は徳島県だったが、天皇杯は香川県がとった。環衛の分野でもきっとこうした関係があるに違いない。  
 香川用水は瀬戸内海の島々までは繋がっていない。地球規模の水不足が懸念されているから、徳島の水瓶もかつてのようにはいかないが、香川用水が島々に繋がれば、母とも電話で別の話ができるようになるかもしれない。

 (注釈)  
 今年の梅雨は、今のところ、雨が降らず、水不足にならないか心配です。小豆島は、雨が少なく、こどものころから、私は、強度の「水不足恐怖症」です。  
 島を離れてから、週に一回、母に電話をしていました。会話の第一声は、決まって「元気か。雨降っじょんか」でした。何十年も、この会話を続けました。  
 小豆島では、今は、ダムなどが整備されて、水不足が最近はなくなっていますが、いくらダムがあっても長期間雨が降らなければ、水不足になります。異常気象が続かないことを祈るばかりです。(平成29年6月21日)


内海ダム

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第1953回 漁業の再生


 内海漁協の皆さんが、苗羽幼稚園と内海保育所の園児35人とクロメバルの稚魚約1000匹を内海湾に放流しました。  
 内海漁協の森勝典組合長は、園児たちに、「稚魚は、大きくなるのに7,8年かかります。大きな魚に食われたり、カワウに襲われたり、釣り人に釣られたりしないで、大きくなって、またこの海に帰って来てと願いながら、放流してください。みんなもいじめをせず、仲良く、強い人になってほしい。」と話しました。  
 この稚魚放流は、高齢者と子どもたちが一緒になって、漁業が再生できるよう、「地方創生」のための事業として、国の補助を受けて行うものです。この日の園児たちの稚魚放流だけでなく、池田漁協と内海漁協合わせて、2万匹のクロメバルの稚魚を瀬戸内海に放流しました。  
 私たちの小豆島は海に囲まれています。私たちの小豆島は、海とともに暮らし、発展をしてきました。私たちは「海人」です。漁業は、「海人」にとって、かけがえのない、必要不可欠な産業の営みです。  
 その漁業が、大きな危機に直面しています。何よりも、魚介類が減ってしまいました。工場排水、生活排水で水質汚濁が進みました。さまざまな対策で水質汚濁は、かなり改善したのに、魚介類は減り続けています。魚介類が減っている原因として、森の手入れ不足などによる水質の貧栄養化、地球温暖化による水温の上昇、低質のヘドロ化など、いろいろな要因が指摘されています。  
 漁業者の高齢化も進み、後継者の確保も難しくなっています。食の多様化が進み、家庭で、魚を食べることも少なくなっています。  
 漁業が直面するさまざまな困難を克服しなければいけません。瀬戸内国際芸術祭の目的は、アートの振興ではなく、「海の復権」です。4回目の瀬戸芸2019の開催を決めた瀬戸芸実行委員会で、北川フラム総合デイレクターが、冒頭一番に「私の最大の関心は、瀬戸内海の漁業と農業を復活させることにあります」と、極めて、率直に、話されたのが印象的でした。  
 小豆島でもいろいろな取組みが始まろうしています。お隣の土庄町四海漁協の皆さんは、ハモを「小豆島島鱧」として関西方面に売り出そうとしています。  
 吉田湾では、地域の高齢者と高知大学の研究者の皆さんが、コラボでアサリの再生に取り組んでいます。  
 嬉しいのは、高知大学の取組みが、病原体調査、低質(ヘドロ)の改善、水質の確認、流向・流速の確認、植物プランクトンの同定、人工海岸でのアサリ養殖実験など、学際的、総合的なことであることです。  
 高知大学の皆さんと吉田地区の高齢者の皆さんの、小さなコラボ、小さな取組みから、「海の復権」につながる大きな成果が生まれてほしいと思います。  
 内海、池田の漁協の皆さんと行政との勉強会も始まっています。山形から小豆島に移住されて、小豆島近海の魚介類を活かしたイタリアン リストランテ・フリュウの渋谷信人オーナーシェフも参加しています。  
 これから、みんなで、「瀬戸内海の環境を守る漁業、瀬戸内海の食文化を伝える漁業、瀬戸内海から未来へつなぐ漁業」を目指すビジョンをつくり、みんなで共有し、小豆島の漁業の再生に取り組んでいきます。(平成29年6月22日)

苗羽幼稚園と内海保育所の園児による
クロメバルの稚魚放流が行われました

内海湾以外にも小豆島近海に放流された
クロメバルの稚魚

2019年に4回目が開催される
瀬戸内国際芸術祭の目的は「海の復権」です

四海漁協から大阪に出荷されている
「小豆島島鱧」

吉田地区では高齢者と高知大学の皆さんが
アサリの養殖実験を行っています

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第1952回 「教養としての社会保障」と「地方創生としての社会保障」<続>


 「社会保障」と言われて、思いおこすのは、医療、介護、年金、子育て支援、障がい福祉、生活保護、地域福祉、健康づくり、雇用保障など、さまざまです。「社会保障」は、いろいろな制度や施策で成り立っている、私たちの暮らしを支える制度や施策の全体像を指す言葉です。  
 教育なども、広い意味では、「社会保障」といってもよさそうですが、教育は、「社会保障」とは別の専門分野として一般的に考えられています。私は、「社会保障」と教育は、つながっているテーマだと思います。
 私たちは、日本の社会で生まれ、育ち、生きていく中で、どんな人であれ、人生のさまざまな場面で必ず何らかのカタチで「社会保障」との関わりを持ちます。立場によって、「社会保障」への関わり方は違います。現場で提供する立場、提供を受ける立場、負担をする立場、政策を立案、決める立場など、さまざまです。しかも、制度、施策によって立場も違ってきます。  
 「社会保障」が、一人ひとりにとっても、社会全体にとっても、大切なものであることには、誰も異論がないはずです。でも、「社会保障」がどのような考えに基づき組み立てられ、どんな仕組みになっていて、具体的に自分たちの人生や生活にどんな関わりがあって、どんな影響を与えているのか、さらにこの国の経済や財政にどんな影響を与えているのか、その全体像を理解している人は、実はそうはいません。

 

「社会保障」と教育は
つながっているテーマだと考えます

 「社会保障」を専門的な仕事としている厚生労働省のスタッフでも、個別分野と全体像をきちんと把握している人は、限られています。ほとんどのスタッフは、それぞれ一部の分野のスペシャリストでしかありません。専門家と言われる人たちでも、医療や介護の現場にいる人や社会保障の学者は、どうしても給付を中心に考え、財政は二の次になりがちだし、経済学者や財政の専門家は、逆に負担や効率性の面を優先して考えがちです。  
 「社会保障」の全体像を理解することは、決して容易なことではないし、視点によって理解が違ってきます。そして、どんな「社会保障」をつくるかによって、私たちの社会のあり方や一人ひとりの生き方も変わってきます。理想論は言えても、実際にどんな「社会保障」をつくることができるかという問題もあります。持続できない制度は、混乱を招くだけの結果に終わります。  
 「社会保障」は、近代産業社会の誕生とともに生まれ、その発展とともに拡充されてきました。近代産業社会とはどんな社会でしょうか。なぜ近代産業社会で「社会保障」ができたのでしょうか。どういう機能を持って、「社会保障」は、誕生し、発展してきたのでしょうか。  
 近代産業社会は、今、どんな状況にあるのでしょうか。どんな課題を抱えているのでしょうか。その課題を克服できるのでしょうか。近代産業社会が、変わろうとしている、終わろうとしているなら、これから私たちは、どんな社会を目指したらいいのでしょうか。経済社会のあり方が、変わろうしている中で、私たち一人ひとりはどんな生き方を目指したらいいのでしょうか。


「社会保障」は、近代産業社会の誕生とともに生まれ
その発展とともに拡充されてきました

 今、私たちは、老後や介護、結婚、子育てなど、さまざまな場面で不安を覚え、不確実性が高くなっています。「社会保障」の役割と期待は、ますます高まっているとも言えます。「社会保障」に何ができるでしょうか。「社会保障」は充実できるでしょうか。どのような役割と見直しが必要なのでしょうか。
 「日本の『社会保障』は、大きな曲がり角に差し掛かっています。安心社会の基盤となり、社会経済の変化に柔軟に対応し、社会の発展・経済の成長に貢献できる『社会保障』の構築は、これからの日本にとって必須の改革」と、香取さんは考えています、私も、その通りだと考えます。
 香取さんはこう書いています。
 「私たちの社会を構成しているのは一人ひとりの市民です。社会の進歩・発展の原動力は、構成員である一人ひとりの力にあります。市民一人ひとりが、自分の持っているいろいろな可能性・能力をどうやって発揮・実現するか、できるかそれを可能にする社会をどうつくるか、この国の未来はそれにかかっています。  
 社会全体の活力が自己実現を目指す一人ひとりの市民の営為によってもたらされるものだとすれば、個人の自由な人生選択と、リスクを恐れずに持てる能力を最大限に発揮する機会を公平に保障する社会こそ、我々が目指すべき社会の姿です。  
 大げさに言えば、人類がその歴史において、個人の自由と選択を基本とする市民社会=資本主義社会を選択した理由は、まさにここにあるのだろうと思います。  
 そして、年金制度や医療制度を始めとする『社会保障』の諸制度は、市民一人ひとりの自立と自己実現を支えるための制度です。現代社会にあって、個人の自己実現を通じた経済に発展と社会の活力、そして市民生活の安定を同時に保障するサブシステムとして、人類が考え出したもっとも知的かつ合理的な仕組みであり、社会にとっても個人にとってもなくてはならない制度です。」


老後や介護、結婚、子育てなどさまざまな場面で
「社会保障」の役割と期待は高まっています

 香取さんは、「社会保障」を「市民一人の自立と自己実現を支える仕組み」であり、健全な社会の原動力と考えています。私も香取さんの考え方に共感を覚えます。  
 このブログで何度も書いてきましたが、「社会保障」のこれからを考えるとき、地方や地域社会のあり方についても、考える必要があると私は考えています。近代産業社会は、産業経済が発展し、都市が広がり、社会全体が豊かになった、いい時代であったと思いますが、近代産業社会の進展とともに、日本では、地方、地域社会が、本来の力を失っていったように私は思います。近代産業社会は、「地方よりも中央、田舎より都市」という考え方の時代でした。  
 これからの「社会保障」のあり方は、これからの地方、地域社会のあり方と重なるテーマです。今、なぜ「地方創生」が必要なのか。大げさに言うと、近代産業社会の次の時代をつくり、支えるのは、地方、地域社会であり、一人ひとりの自立と自己実現ではないでしょうか。香取さんの「教養としての社会保障」の論考を紹介しながら、「地方創生としての社会保障」について私の考え方を整理できたらと思います。(続く)(平成29年6月21日)


近代産業社会の次の時代をつくり、支えるのは
地方、地域社会であり、一人ひとりの
自立と自己実現ではないでしょうか

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第1951回 番外編アーカイブ㉟「大きく叩けば大きくなる」


 ちょっといい話25「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年10月号
 「大きく叩けば大きくなる」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄

 西郷隆盛は、明治維新の英傑として、日本国中の人たちからあまねく尊敬されている。いわんや出身地鹿児島においてをやである。
 北九州市役所に勤務し、九州に住んでいたが、なぜか鹿児島と縁がなかった。鹿児島での全飲連全国大会も、国会で急に行けなくなったが、先日、ついに鹿児島を訪問することができた。鹿児島と言えば、なんといっても西郷隆盛の印象が強烈だ。  
 いたるところに西郷ゆかりの建物、墓碑、記念碑がある。城山公園の銅像、西南戦争犠牲者の南洲墓地、最期をとげた洞窟跡…。国をあげた西郷への思慕の気持ちが伝わってくる。  
 暑い夏の日。澄み切った青空の下、錦江湾の静かな海をフェリーが行きかっている。その向こうに、小さな白煙を出してそびえ立つ桜島がくっきりと見える。このおだやかな地に、台風が襲い、桜島が大爆発するように、日本全土を揺るがす明治維新のエネルギーが生まれた。  
 環衛業界にも鹿児島ゆかりの人が多い。最強の環衛軍団、全理連を率いるリーダー岩崎さん、環衛業の発展とともに歩んできた中央会の井上さん、全美環連副会長のダンディーな三根さん…。環衛振興の志士たちがいる。
 鹿児島で忘れてはならない人物は大久保利通である。大久保は、“西南の役”において、畏友西郷と相交えたこともあってか、鹿児島では全くの不人気である。人々はなぜ西郷を愛し、大久保を排斥するのか。  
 

西郷隆盛像

  歴史の歯車に逆らい、臣下との大義を優先し悲劇の最期を迎えた西郷。不人気を覚悟で近代国家日本の基盤を作った大久保。西郷は釣鐘のごとし。大きく叩けば大きく鳴り、小さく叩けば小さく鳴る。西郷の人間的な魅力は理屈抜きに人をひきつける。しかし、近代国家日本を創りあげたのは大久保の冷徹とも言える合理主義であった。  
 鹿児島でも数年前に大久保の業績を称える銅像が建てられたというが、環衛振興の志士たちは、西郷を目指すのか大久保を目指すのか。

 (注釈)  
 厚生省指導課長のとき、理容業、美容業、飲食店などの経営者の皆さんにお会いするため、全国各地を訪ねました。このエッセイは、鹿児島訪問のときの感想です。  
 業界のリーダーのなかには、たくさんの鹿児島県出身の方がいました。明治維新の功労者のなかに多くの薩摩藩出身がいたように、鹿児島には、人材輩出の土壌があるのかもしれません。  
 魅力的な人物ぞろいですが、なかでも傑物は西郷隆盛です。西郷はいろいろな名言を残していますが、「鐘は大きく叩けば大きくなり、小さく叩けば小さくなる」という言葉が私は好きです。  
 なぜ薩摩藩に人材が輩出したかについて、それは、健全な地域社会があり、健全な地域社会のなかで、雑木が切磋琢磨されることで、逞しい人材に育ったのだという、至極当たり前のことを聞きました。  
 健全な地域社会において健全な人材が育つのは、時代がいつでも変わらないことだと思います。(平成29年6月20日)

健全な地域社会において、健全な人材が育つのは
いつの時代でも変わらないことだと思います

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第1950回 「教養としての社会保障」と「地方創生としての社会保障」


 厚生労働省で長い間、「社会保障」の政策立案の中心で活躍され、一昨年退官され、今は、在アゼルバイシジャン共和国大使をされている香取照幸さんが、「教養としての社会保障」という本を書かれました。その本を、いつも行く、東京駅前の丸善で見つけ、早速、読ませてもらいました。  
 香取さんは、私の厚生労働省の5年後輩の官僚でした。霞が関でその名を知らない人がいないほどの「俊英」です。介護保険の創設、年金改革など、常に「社会保障」の政策の企画立案の中心にいて、リードし、担ってきた人です。  
 自分の意見をきちんと主張し、相手が大臣であっても、大物の政治家であっても、誰であっても、議論をおそれず、逃げない官僚でした。そんな彼の姿勢をみながら、彼のような官僚たちが、議論を重ねて、政策がつくられている限り、「社会保障」にしろ、何にしろ、課題のすべては解決できないかもしれませんが、国民は安心できる道筋を歩むことができるはずと、私はいつも思っていました。  
 そんな彼でも、いつかは、退官のときがきます。彼が持つ、官僚としての神髄やスピリットが、後輩たちに引き継がれていってほしいと願うばかりです。


「教養としての社会保障」
香取照幸著

 この本には、そんな彼の思いが綴られています。「社会保障」については、参考になる本もたくさんありますが、「社会保障」の政策の企画立案の最前線にいて、リードし、担ってきた彼が書いた本のタイトルが、「政策としての社会保障」などではなく、「教養としての社会保障」であることに、驚かされました。 
 今、それほどに、「社会保障」が難しい段階にあること、第一線を引いた立場からの意見であり、謙虚さを意味しているのか、それとも、「教養として」の立場から考えることで、異なる次元で「社会保障」の本来の在るべき姿が見えてくると考えてのことでしょうか。  
 私も、長い間、厚生労働省で、「社会保障」の政策にかかわりました。ただ、香取さんとは、キャリアを異にします。私は、田舎育ちだし、厚生省に入ったのは、志あってのことではなく、当時入りやすかったからに過ぎません。入省後も、「傍流」ばかり歩んできました。


厚生労働省

 「社会保障」について、真剣に考えられるようになったのは、退官間際ごろからです。いろいろな「傍流」の分野の経験をし、最後のポストで、はじめて、「社会保障」全体を鳥瞰する機会を得ました。そのことで、はじめて、自分なりに「社会保障」について考えることができるようになりました。  
 そして、今は、ふるさとに戻り、町長となり、「人口減少で苦しむ地方をどうしたら元気にできるだろうか」という仕事の最大のテーマのひとつとして、「社会保障」を考えています。「地方創生として」「社会保障」を実践する立場です。  
 敬愛する香取さんが、「教養としての社会保障」を書いたのなら、私は、「地方創生としての社会保障」を書かなければいけないし、小豆島で「地方創生」として、「社会保障」を実践してみようと思います。これから、このブログで、香取さんの「教養としての社会保障」を紹介しながら、「地方創生としての社会保障」について書いていこうと思います。(続く)(平成29年6月19日)


小豆島では、「地方創生」として
「社会保障」を実践してみようと思います

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第1949回 番外編アーカイブ㉞「さくらんぼの里」


 ちょっといい話24「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年9月号
 『「さくらんぼ」の里』 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 「さくらんぼ」は、木の実か草の実かすら、瀬戸内海育ちの私には想像がつかなかった。理容界の発展に貢献された富樫富太郎さんの叙勲祝賀会出席のため、山形県を初めて訪れたが、いろいろな発見をすることとなった。  
 会場の鶴岡市から山形市まで、山形県食肉組合高橋理事長の運転する車で送っていただいた。高橋さんは、牧場を経営される一方、食肉の直営店を経営されている。蔵王のふもとの牧場には1500頭の肥育牛が飼育されている。今でも、500キロもある牛を乗せて、自らトラックを運転されることがある。その日は、山形牛ならぬ私を乗せて見事なハンドルさばきを見せていただいた。  
 少し雪を残した月山をはじめとする山並み。満々と水をたくわえた寒河江ダム。一面に広がる田園。大きな構えの家々。車窓から見る景色は、初めて知る日本の「故郷」の風景だった。  
 次の日、会議の前に、少しでも山形を見ようということになり、早朝から再び高橋さんの運転で、山寺まで案内してもらう。うかつにも、そこが、芭蕉の俳句、奥の細道に詠まれた地であることを知らなかった。


寒河江ダム
(出典:国土交通省)

 山寺のあと、高橋さんの知り合いの農家に案内してもらう。牛が寝そべる牛舎のとなりでご夫妻が、「さくらんぼ」の箱づめをしている。その前に、ものの見事に実った「さくらんぼ」の木がある。そこで、生まれて初めて、「さくらんぼ」をもいで食べる。  
 お昼は、山形県の環衛指導センター鈴木理事長の経営する「寿ずき」総本店で、惣九郎そばをいただく。鈴木さんは、3代目惣九郎さん。太くこしのある麺は、野川中央会会長の「薮伊豆」の北海道江丹別産の麺とはまた違う味がある。  
 環衛業に携わる大勢の人々に、行く先々でお会いできるのは実に楽しい。「さくらんぼ」の里も、私にとって忘れられないところとなった。

 (注釈)
 はじめて山形に出張でいきました。指導課長のカバーする範囲は、実に幅広でした。全国各地を訪ねて、いろいろな方にお会いし、貴重なお話しをうかがいました。生まれてはじめて見る「さくらんぼ」の木の風情も、木からもぎとって食べる「さくらんぼ」の美味しさも忘れることができません。各地に、素晴らしい人がいて、素晴らしいものがあります。その素晴らしいものを守っていくことが、「地方創生」の原点だと思います。(平成29年6月16日)


さくらんぼ

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第1948回 番外編アーカイブ㉝「国会を駆け回る」


 ちょっといい話23「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年8月号
 「国会を駆け回る」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 連休明けでのんびりしていたら、理容師法と美容師法改正の動きがにわかに速まって、国会を駆け回ることになった。法改正は、21世紀の理容・美容界の在り方を方向づける大変重要なもの。いろいろ研究していたし、時間の制約があるが、国会の理解を得ることは、そんなに難しくはあるまいと思っていた。ところが、思いがけなく、いろいろな立場から、さまざまな意見が出されることとなった。その意見には、啓発されるものが多く、殻に閉じこもらず、視野を広く求めていかなければと、改めて感じさせられた。  
 理・美容師法の改正では、各党のいろいろな立場の先生にお会いし、話をする機会を得た。各党内のとりまとめをする立場、国会全体の舵取りをする立場、現代的な感覚で理念を重視する立場、現実的な解決策を模索する立場、障害者福祉を推進する立場、地方分権を推進する立場、生涯学習や教育改革を進める立場、環衛業の振興を全面に出す立場もある。いろいろな立場からの多様な意見が、党の意見として、国会の意見として、ひとつの結論に集約されていった。  
 論点となったのは、中学校卒業者や高等学校中退者の就業機会が狭められるのではないか、学歴によって受験資格を制限することは学歴偏重を助長するのではないのかという点であった。政策論としてのこれらの意見は傾聴に値するものであったし、レベルアップを図りたいという関係者の声も当然であった。  


国会議事堂

 最終的には、ひとつの党を除き、賛成にまとまったが、そこに至るまでの論議に学ぶべき点も少なくなかった。熱心に要望をされた関係の方々が、最大の功労者だが、たくさんの人々に助けられ、支えられた法改正だった。  
 環衛業に関連した法律は、その多くが議員立法。今回も精力的に根回しをされたが、全国環境衛生同業組合中央会の井上さんは、そのほとんどに関与されてきた。井上さんから一つひとつの逸話を聞かせていただくが、どの時も大変な苦労をされている。今回の法改正は、どんな語り草を残しただろうか。21世紀に向けた理容師と美容師養成の新制度づくりはこれからが本番である。

(注釈)
 理容師法と美容師法の議員立法のときの思い出をつづったものです。当時、理・美容師は、法律で中卒でよいと書かれている数少ない、あともうひとつあるのみの公的な資格でした。
 これを原則高卒にし、2年間のカリキュラム、厚生大臣免許に改めたいと関係者の皆さんは考えていましたが、なかなか実現できずにいました。「それならやってみましょう」と立ち上がったのですが、思った以上に大変でした。途中で挫折しかけたのですが、なんとか最後までやり抜くことができました。
 初めての議員立法の経験でした。この経験がきっかけになり、その後、いくつもの議員立法のお手伝いをすることができました。
 議員立法は、何よりも、法律ができることで、助かる人、喜んでくれる人がいて、その都度、苦労の連続でしたが、やりがいがありました。かけがいのないことでした。(平成29年6月15日)


理容師法と美容師法の議員立法が
初めての議員立法の経験でした

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第1947回 113回東京小豆島会


 今年も東京小豆島会が、明治神宮参集殿で開かれました。東京を中心に関東地方で活躍する小豆島出身者が、年1回集まります。今年で113回になります。  
 私は、東京で仕事をしていたとき、ふるさとの人に会い、ふるさとの話が聞きたくて、毎年のように参加していました。113回のうち30数回、東京在住の一会員として参加しました。  
 8年前に小豆島にUターンしてからも、今度は、ふるさとの報告をする逆の立場で毎年参加していますが、この会に出るたびに、東京のもうひとつのふるさと小豆島に戻ったような不思議な気分を味わっています。  
 今年の東京小豆島会にも、なつかしい小豆島の関係者の皆さんがたくさん集まりました。開校したばかりの小豆島中央高校の泉谷校長も初参加されていました。  
 折角の機会なのに、泉谷校長のスピーチの機会がなかったので、私が、代わりに新高校が小豆島の新しい息吹になっていることを紹介しました。特に、泉谷校長が、開校式で、新しい学校の校訓、学校目標として、「自立・真心・小豆島」を決められたことを紹介しました。  
 「自立」とは、自分たちのことは、自分たちで考え、自分たちで解決すること、「真心」とは、心を込めて事に立ち向かうこと、「小豆島」とは、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆など、小豆島の大切なものを守り、磨くことです。  
 素晴らしい学校目標を泉谷校長が決めてくれました。三つの言葉は、生徒だけでなく、島民のすべてが心がけたいことです。何人もの方が、三つの言葉に共感すると話してくれました。「自立、真心、小豆島」を目指し、実践したいと思います。  
 今年は、壺井栄が亡くなられて満50年の年です。これを記念して、東京小豆島会の会員の皆さんが、手作りの朗読劇「二十四の瞳」を特別に披露されました。  
 元教師の岡田瑠美さんが、脚本・演出・効果音楽の演奏をされ、俳優座女優の太田亜希さんが朗読と大石先生を、岡田磯吉を劇中テノールソロありで東京芸大出身の神尾昇さんが、香川マスノを岬の分教場で学んだ鈴木展子さんが劇中ソプラノありで演じられました。  
 玄人はだしの見事なオンステージでした。是非とも、小豆島の皆さんにも、いつか披露していただきたいものです。  
 昨日、結婚披露宴をしたばかりの琴勇輝も、新婦の留美さんを伴って会場を訪れました。「厳しいケガを二人で乗り越えて、『てっぺん』を目指す夢を叶えたい」と力強く決意を語りました。全員が立ち上がって、激励のエールを送りました。
 私も、「小豆島を元気にする夢を叶えたい」と決意を新たにすることができました。(平成29年6月14日)

今年も明治神宮参集殿で
東京小豆島会が開催されました
挨拶する岡田志郎会長

小豆島中央高校の校訓・目標として
「自立・真心・小豆島」を掲げられました

東京小豆島会の皆さんが、手作りの朗読劇
「二十四の瞳」を披露されました

新婚の琴勇輝も留美さんと
会場を訪れました

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第1946回 琴勇輝結婚式


 琴勇輝の結婚式が東京のホテル・ニューオータニでありました。お相手は、岐阜県の方で、保育士をされていた女性です。
 お父様が、相撲好きの方で、佐渡ヶ嶽部屋の支援者のお一人でした。佐渡ヶ嶽部屋は、毎年名古屋場所、岐阜に近い愛知県一宮市に陣を張っています。お嫁さんになられた留美さんは、お父さんの縁で、琴勇輝と知り合うことになったようです。
 琴勇輝は、子どものころから、やんちゃで元気な男の子でしたが、留美さんは、おとなしく、控えめの女の子で、いつもご両親のそばを離れないお子さんだったようで、対極の二人が夫婦になりました。
 留美さんは、幼稚園の先生になったお姉さんにあこがれて、保育園の保育士になりました。子どもたちにとても好かれた、やさしい先生だったようです。その保育園を、琴勇輝も訪問したことがあるそうです。園長先生は、琴勇輝と目を合わせる留美さんを見て、「もしかして」と思ったそうです。
 琴勇輝のひたむきで、一途な人柄については、もう紹介する必要はないと思いますが、結婚式での来賓の方のスピーチで改めて、彼の「原点」を再認識しました。
 佐渡ヶ嶽部屋後援会長の二藤部洋さんは、佐渡ヶ嶽親方のふるさとでもあり、二藤部さんのふるさとでもある山形県尾花沢市に琴勇輝が来た折り、琴勇輝がお皿に書いた二つの言葉を紹介しました。
 ひとつは、「明日の自分は、今日の自分より強く」、もうひとつは、「夢が叶うまで挑戦」です。二藤部さんは、二つの言葉を紹介し、「てっぺん」を目指してほしいと言って、スピーチを終えました。
 恩師である田中栄一郎元小豆島高校相撲部監督は、12歳で、たった一人で、相撲で強くなるため、ふるさと丸亀市を離れ、内海中学校に入学し、田中先生の家に下宿することになった、まだあどけない榎本勇輝少年が、「おすもうさんになるため来ました」と田中先生に挨拶したことを話してくれました。
 なでしこジャパンの前監督の佐々木則夫さんは、はじめての相撲部屋稽古見学で、先輩力士から厳しく鍛えられ、倒れても、倒れても、立ち向かう、琴勇輝を見て、感動を覚えたそうです。
 琴勇輝は、2年前の九州場所で左ひざの大けがをしました。「歩くことさえ難しいかも」と医師から言われたほどの大けがでした。血みどろの努力をして、琴勇輝は見事に、奇跡的に復活しました。そして、横綱、大関からの金星、銀星も得、関脇も経験しました。
 今、琴勇輝は、再び、厳しい状況と格闘しています。左ひざの調子が思わしくないのです。肘の調子ももうひとつです。ここ数場所勝ち越すことができずにいます。体調がベストの状態で相撲をとれていないのです。
 他のスポーツなら、思い切って休んだり、手術をすることでしょう。公傷制度のなくなった相撲の世界では、厳しい状況のなかで、事態を打開するしかありません。
 琴勇輝と留美さんを、厳しい現実が待っていますが、二人で力を合わせて、困難を乗り越えてほしいと思います。三人の来賓の方が話された「原点」を大切にしてほしいと思います。
 「明日の自分は、今日の自分より強く」「夢が叶うまで挑戦」し続け、「てっぺん」を、お二人で目指してほしいと思います。小豆島も、私も、お二人を応援し続けます。(平成29年6月13日)

琴勇輝の結婚式が東京で行われました

琴勇輝と留美さんの二人で力を合わせて
困難を乗り越えてほしいと思います

 佐渡ヶ嶽部屋後援会長の
二藤部洋さん

恩師である田中栄一郎
元小豆島高校相撲部監督

小豆島も、私も、琴勇輝と留美さんの
お二人を応援し続けます

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第1945回 東京オリンピック・パラリンピック委員会訪問


 「町長は、月の半分くらい、東京にいるのですか」と聞かれて、驚いたことがあります。東京に行くのは、月に1回か2回に過ぎません。  
 この週は、例外的に週に2回上京しました。1回目は、高峰秀子さん、松山善三さんご夫妻の遺産を、養女の作家斎藤明美さんから寄贈を受け、お二人の遺産を日本映画の振興にどう活かしていくかという検討会出席のため上京しました。  
 2回目の今回は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックで金メダリストの皆さんに小豆島を中心とする香川のオリーブ冠を授与するという提案を、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会森喜朗会長にお願いするためでした。  
 香川県知事、県議会議長のほか、県選出の国会議員の皆さんまで、駆けつけてくれました。国際マラソン大会などで、優勝者が、オリーブ冠を頭にかけているのをご覧になったことがあると思いますが、例えば、今年2月に行われた東京マラソン2017では、小豆島オリーブ公園のオリーブ冠が、優勝者に授与されています。  
 オリンピック金メダリストにもオリーブ冠を授与できたらと思っているのですが、実は、そう簡単なことではありません。集団競技もあるので、1000個以上の大変な数のオリーブ冠が必要です。それだけのオリーブ冠をつくるとなると、オリーブの枝葉を提供してもらう農園の、その年のオリーブ収穫にも影響は避けられないことだし、たくさんのボランティアの皆さんの協力も必要だし、現場のオリンピック事務局のマネジメントの課題など、やるとなると大変な覚悟と周到な準備のいることです。
 何よりも、オリンピックの公式プログラムに組み込まれることになるので、大会の前例になるため、IOC(国際オリンピック委員会)の承認も必要になるでしょう。今までオリーブ冠が授与されたのは、発祥地のアテネ大会だけなので、如何に大変なのかがわかります。  
 このように、オリンピックの金メダリストにオリーブ冠を授与するという提案の実現は、容易なことではありません。その難しい取組みに理解をいただいた香川県知事はじめ皆さんに感謝します。
 オリーブの栽培が小豆島以外の全国各地に広がっています。北は宮城県石巻市、南は鹿児島県日置町まで全国各地に広がっています。オリーブは、東日本大震災からの復興のシンボルとして栽培されたり、健康づくり、地域おこしの一環として、広がりを見せています。  
 2019年2月には、オリーブ栽培地の全国オリーブサミットを、香川県の協力も得て、小豆島で開催したいと考えています。小豆島は、日本のオリーブ栽培地のリーダーに相応しい活動を、全国各地の栽培地の皆さんとともに、これからも地道に続けていこうと思います。(平成29年6月12日)

小豆島を代表するオリーブ

小豆島のオリーブで作ったオリーブ冠

今年2月に行われた東京マラソン2017では
小豆島オリーブ公園のオリーブ冠が
優勝者に授与されています

日本のオリーブ栽培地のリーダーに
相応しい活動を地道に続けていこうと思います

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第1944回 「イクボス宣言」をしました


 私を含め、小豆島町役場の課長以上の面々が、「イクボス宣言」をしました。  
 「イクボス」とは、「職場で共に働く部下・スタッフのワ-クライフバランス(仕事と生活の両立)を考え、その人のキャリアと人生を応援しながら、組織の業績も結果を出しつつ、自らも仕事と私生活を楽しむことができる上司(経営者・管理職)のこと」と定義されています。  
 この定義によると、「イクボス」には三つの要素があります。一つは、職場の部下・スタッフのワークライフバランス(仕事と生活の両立)を考える上司(経営者・管理職)であることです。二つ目は、「イクボス」がいることが、部下・スタッフのキャリアアップと人生の応援になり、組織の業績アップにつながることです。三つ目は、「イクボス」自らも仕事と私生活を楽しむことができることです。  
 私自身は、育児や介護を、熱心にしたことがありません。育児は、妻に任せっきりだったし、親の介護も他人任せだったし、職場の上司としても、仕事優先を求めてばかりいるので、「イクボス」には、ほど遠い人間です。  
 しかし、いつのころか、男女共同参画の実現など、個人・地域・組織も変わり、新しい価値観を取り入れることがなければ、これまで大切にしてきたものを、私たちが大切なものを守っていくことも、磨いていくことも、次の世代に引き継いでいくことができないと思うようになっていました。  
 「イクボス」という言葉を、真剣に聞いたのは、昨年6月の男女共同参画推進シンポジウムで、NPO法人ファザーリング・ジャパン理事の徳倉康之さんの話でした。徳倉さんの話で、「イクボス」がなぜ必要で、そのことで何が変わり、何が実現できるか、ストーンと落ちました。その日以来、小豆島町役場も私以下管理職が「イクボス宣言」をし、「イクボス」を実践しなければならないと考えていました。1年かかって、ようやく実現にたどりつきました。  
 この日も、「イクボス宣言」の前に、徳倉さんの話をうかがいました。次のような話でした。  
 これからの時代、新しいマネジメントが求められています。  
 従来は、企業などの組織は、主に男性、正社員、終身雇用、時間制約なしで構成されるピラミッド型でした。現在そして今後は、多様な雇用形態・働き方社員が参加するフラット型です。  
 これまでは、正社員が、組織の業務命令によって「いつでも、どこでも、どんな仕事でも」働く無制約社員を前提とするのに対し、これからはさまざまな非正規社員に加え、正社員でも、育児や介護、高齢、病気といったさまざまな事情により働き方が限定される社員が増えていきます。  
 組織のボスには、新しいマネジメントが求められています。これからは、スタッフ・部下の能力レベル、制約条件、部下の価値観を総合的に勘案して、的確な業務分担の指示をしなければいけません。  
 労働力人口が減少し、賃金ベースだけでなく、「やりがい」「はたらきやすさ」を重視する人が増えています。女性が働いたり、男性が家のことをすることに若い世代は抵抗がなくなっています。都市部に限らず、地方でも、若い核家族は「共働き共育て」でないとやっていけません。  
 しかし、その上司の固定化した価値観・仕事のやり方や男女の役割意識は、ワークライフバランスつまり男性の育児休業取得、女性の活躍推進、長時間労働の是正の妨げになっています。  
 子育て世代の出産育児時の離職や40,50代の介護での離職者をいかに防ぐかは、企業の喫緊の課題です。「男女問わず全て」の労働者の「育児、介護、その他の私生活」などのスタッフの生活事情全般への理解を示す「イクボス」の存在が大切になっています。  
 社員のワークライフバランス推進にとどまらず、企業にとっては従業員の満足度、健康度、ロイヤルティを上げ、生産性向上と利益拡大にもつながっています。  
 これから生き残る組織・地域とは、「男が働く」から「男女が働く」へ、「長時間働く」から「短時間で働く」へ、「同じ条件の人が働く」から「様々な条件の人で働く」へ、シフトできた組織・地域です。  
 夫婦で仕事と家庭を両立させる時代に、今もこれからもなっていきます。共働きが当たり前になっています。家事も、育児も、介護も、夫婦で分担し合うのが主流になっています。男性でも仕事以外の家庭に時間を費やす必要性が高まっています。
 男女共同参画が広がり、イクメンの増殖時代、イマドキ子育て世代の登場は、彼らが中学、高校生時代に、男女とも技術・家庭科が必須化された影響もあります。  
 先進諸国のデータを見ると、男性が育児参加するほど、出生率が上がっています。出産後も女性が就労するほど、出生率は上がっています。  
 そのほか、徳倉さんから、「父親が変われば、家庭が変わる、地域が変わる、企業が変わる、そして社会が変わる」など素晴らしいメッセージや興味深い話をたくさんうかがうことができました。
 
 以下、私の「イクボス宣言」です。
 私は、共に働く職員のワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)を応援しながら、仕事の成果を出し、自らも仕事と生活を楽しむイクボスとなることを宣言します。
1 部下が育児・家事・介護・地域貢献などの家庭生活と仕事が両立できるよう、職場環境づくりに努めます。
2 自らもワーク・ライフ・バランスを実践し、充実した島ぐらしを満喫します。
3 働き方を通じて、チーム力の向上、業務効率化を図り、選ばれる島を目指します。
(私の取組み)
4 〇「子育て・介護は小豆島が一番」と評価される小豆島を目指します。
〇子育て・介護につながる組織と働き方を考え、実現を目指します。
〇指示は明確、資料は簡潔を旨とするなど、的確な業務分担の指示をします。
〇よき夫、よき父、よきおじいちゃんを、少しは実行します。 (平成29年6月9日)

小豆島町役場の課長以上の職員が
「小豆島町イクボス宣言」を行いました

NPO法人ファザーリング・ジャパン理事の
徳倉康之さん

昨年6月に開催した
「男女共同参画推進シンポジウム」

今回もイクボス宣言を行う前に
研修会を行っていただきました

新しいマネジメントが求められている
(クリックすると拡大できます)
研修会配布資料より

これから生き残る組織・地域
(クリックすると拡大できます)
研修会配布資料より

課長以上の職員は宣言書に
「私の取組み」を書き加えました

私の「イクボス宣言」
(クリックすると拡大できます)

小豆島町役場の課長以上職員による
イクボス宣言での私の取組み
(クリックすると詳細が表示されます)

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第1943回 映像作品の素晴らしさを発信する検討会


 第1回の「映像作品の素晴らしさを発信する検討会」を東京で開催しました。この検討会は、今年3月、小豆島町議会で議決していただいた「小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する条例」に基づき設置された、小豆島町の付属機関として位置づけられるものです。  
 小豆島が全国に知られるようになったのは、小豆島出身の作家壺井栄の原作「二十四の瞳」が木下惠介監督により映画化されたことがきっかけです。その映画で、岬の分教場の12人の生徒の先生の大石先生を演じたのが高峰秀子さん、助監督が松山善三さんでした。  
 当時、高峰さんは、既に日本を代表する女優であり、一方、松山さんは、貧乏な一人の若手の助監督に過ぎませんでした。松山さんは、無謀にも、ロケ地の小豆島で、大女優の高峰さんに交際を申し出ました。  
 高峰さんは、著名な女優として幸せを謳歌していると思われていましたが、継母のもとで、学校に通うこともできず、実は、天涯孤独という状態でした。高峰さんは、松山さんという、純粋無垢一途な青年と出会うことで、生涯の幸せを得ることができました。松山さんも、高峰さんを、約束どおり自分が支えようと、見事な脚本家、監督として、昨年、生涯を終えました。  
 お二人の養女として、お二人の最期を見守り、今もお二人の功績を著作として発表したり、映画の上映会などを続けておられる斎藤明美さんから、お二人からの相続財産を、お二人が結ばれるきっかけの地となった小豆島町に寄贈したいという申し入れをいただきました。  
 小豆島町では、寄贈されたお二人の財産をどう活かしたら、お二人の思いに応えられるかを考え、冒頭の条例をつくり、寄贈された財産を活かして、小豆島から映像作品の素晴らしさを発信することにしました。  
 小豆島には、田中裕子さんが大石先生を演じられたときの、映画セットが今も残され、それを活かした「二十四の瞳映画村」で、映像作品の素晴らしさを、さまざまなかたちで、既に発信しています。この活動に加えて、これからは、東京麻生永坂町のお二人の住まいを活かして置かれた「松山善三・高峰秀子記念事業準備室」の室長をしていただく斎藤さんの活動も加わり、これから、さまざまな映像作品の素晴らしさを発信したいと考えています。
 検討会のメンバーは、お二人とも親しくされた著述業の方などの有識者で構成されています。これから、映画づくりに功績のあった裏方さんの表彰、お二人の映画作品の上映会の開催、お二人の関係資料などの収集保管など、さまざまな取組みについて、議論していただき、その方針に沿って、小豆島から映像作品の素晴らしさの発信をしていこうと考えています。  
 そのことで、お二人の気持ちに応えることにもなり、小豆島が元気でいられることにもなり、日本映画の素晴らしさを守っていけることにつながればと思います。(平成29年6月8日)

東京で第1回の「映像作品の素晴らしさを
発信する検討会」を開催しました

高峰秀子さん主演の映画
「二十四の瞳」 (C)松竹

4月に東京で行われた
「松山善三さんを偲ぶ会」

養女の斎藤明美さんから
二人の財産を寄贈いただきました

映像作品の素晴らしさをさまざまなかたちで
発信している「二十四の瞳映画村」

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第1942回 小豆島中央高校開校記念式典での挨拶


 小豆島中央高校の開校を心から喜び、これからに期待しています。  
 開校に向けて、ご尽力をいただいた浜田香川県知事をはじめ香川県、県議会、教育委員会、地元、地域の皆さん他、すべての協力をいただいた皆さんに感謝します。  
 小豆島中央高校の誕生は、小豆島の未来をつくるはずです。普通であれば、人口減少、生徒数の減少による二つの高校の統合として対応されることが、小豆島中央高校は、小豆島の新しい高校の創設のカタチにしていただいたことに大きな意味があります。  
 英断をしていただいた香川県、県議会に感謝します。小豆島は、この英断に応えたいと考えています。小豆島中央高校から小豆島の未来を担う人材が育っていくはずです。  
 小豆島中央高校の泉谷校長は、開校式で学校目標として、「自立・真心・小豆島」を掲げました。感動を覚えました。  
 「自立」とは、自分たちのことは、自分たちで考え、行動し、解決することです。生徒の皆さんだけでなく、すべての島民に求められている考え方、精神です。  
 「真心」とは、真剣に、心をこめて、物事に立ち向かっていくことです。物事の本質に迫る精神です。  
 「小豆島」は、素晴らしい小豆島の自然、文化、伝統、産業、絆を守り、磨いていくことを、象徴する言葉です。  
 小豆島は、小豆島中央高校の学校目標の「自立、真心、小豆島」を、生徒だけでなく、島民一丸となって大切にし、「地方創生」のモデルでありたいと考えます。  
 先日、台湾桃園市にある国立武陵高等中学の生徒の皆さんが来校し、生徒会の皆さんと交流する様子を見せていただきました。武陵高等中学は、台湾有数のトップレベルの高校と聞きました。彼らに負けないよう、少したどたどしかったのですが、懸命に英語を使い、交流する生徒の皆さんを見て、可能性を感じました。  
 開校と同時に、大勢の生徒の皆さんが、バス通学を始めています。4台の臨時バスが増発しています。どのバスも満員です。小豆島中央病院に通院する高齢者がいると、生徒の皆さんが席を譲る光景を毎朝見させてもらっています。生徒の皆さんがいろいろなことを学ぶ機会になっています。小豆島の新しい循環が始まろうとしています。  
 小豆島中央高校の開校によって、小豆島全体の教育の在り方も変わろうとしています。小豆島中央高校を頂点にして、小豆島の幼稚園・保育所、小学校、中学校、高校を通して、どんな教育を実現していくか、どんな一貫教育を実現するか、小豆島中央高校長と両町の教育長、それぞれの町の幼・保、小、中学校の校長の代表が参加する小豆島教育会議で、新しい小豆島の教育の在り方を考え、つくる取組みが始まっています。  
 障がいのある皆さんが、生まれ育った小豆島で、安心して生活できる、教育、暮らす場、働く場、交流する場づくりも始まろうとしています。  
 小豆島中央高校は、これから小豆島を元気にしていく基盤となるはずです。泉谷校長先生をはじめ先生方、生徒の皆さん、一緒に頑張りましょう。小豆島町も、土庄町も、全力で応援します。(平成29年6月7日)

4月に開校した小豆島中央高校

小豆島中央高校開校記念式典のようす

泉谷校長先生は、校訓・目標として
「自立・真心・小豆島」を掲げました

生徒の皆さんは台湾桃園市にある
国立武陵高等中学の生徒と交流しました

バス通学をする生徒の皆さん

小豆島中央高校を頂点にして
幼・保、小、中、高の一貫教育を実現します

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第1941回 「イベントをハシゴ」の日曜日


 梅雨入り前の日曜日、さわやかな青空の一日でした。この日は、朝からたくさんのイベントがあって大忙しでした。  
 朝一番は、田の浦、二十四の瞳映画村の海岸でもある汐江海岸で、「リフレシュ瀬戸内」の海岸清掃がありました。田浦自治会、映画村のスタッフなど大勢の皆さんが参加してくれました。  
 この運動も今年で25年になります。瀬戸内海は、今では、貧栄養化が心配なくらい水質はきれいになっていますが、海に捨てられるゴミの量は相変わらずです。毎年、海岸に集まるゴミをこうしてみんなで撤去して、海岸をきれいにしています。
 今年は、二十四の瞳映画村も、30周年の節目の年です。いろいろな企画が行われます。今は、俳優永瀬正敏さんの写真展「flow」が行われています。6日には、東京で故高峰秀子さん、松山善三さんの相続財産贈呈式があります。お二人の養女の作家斎藤明美さんから、お二人が収集された絵画、骨とう品を含め貴重な相続財産を小豆島町に寄贈していただきます。  
 この日は、内海地区で一斉に「花いっぱい運動」も行われました。この運動も、今年で30年になります。こんなに長い間、地元の皆さんが、地道に、町中に花を植え、手入れをしています。  
 7年前小豆島にUターンして驚いたことのひとつは、町中で花が育っていて、とても町が華やいで感じられたことです。4年前、オリーブ植栽と花いっぱい運動が評価されて、緑化運動の総理大臣賞をいただきました。授賞式で、天皇陛下と安倍総理大臣と話す機会を得たことは、私の忘れられない経験となりました。  
 花いっぱい運動が始ったのは、大野芳子さんをはじめ旧内海町の婦人会の皆さんが、「花戦士」を名乗り、花で町をきれいにしようと取り組んだことがきっかけでした。この日も、大勢の婦人会の皆さんが、花いっぱい運動に参加されていました。
 中山の千枚田の棚田では、棚田オーナーによる4回目の田植えが行われました。中山の棚田は、1万年前の大地震でできた斜面を利用して、700年ほど前から棚田にして、稲作を始めました。
 斜面は、南向きで日当たりがよく、てっぺんに湧水の湧く水源があり、土壌が粘土質という、稲作にぴったりで、小豆島名産の石を積み重ねて、棚田をつくりました。300年ほど前からは、豊作を感謝する農村歌舞伎を始めました。  
 地元の中山の皆さんは、棚田と農村歌舞伎をしっかり守っています。地元の皆さんの活動を応援してもらおうと、島の内外の皆さんに呼び掛けて、棚田の稲づくりを体験したり、農村歌舞伎なども楽しんでもらう趣旨で、始まったのが、この棚田オーナーです。今年も、全国からたくさんの皆さんに参加してもらいました。第1回から家族総出で参加されている皆さんもいます。  
 池田のイマージュセンターで、小豆郡歯科医師会の皆さんが、歯と口の健康週間の行事として、「歯の健康祭り」をされていました。  
 大勢の親子が、この日を待ちわびていたかのように、歯みがき指導やフッ素塗布などを、歯科医師、歯科衛生士も皆さんから受けていました。食生活改善推進協議会の皆さんや保育士の皆さんも協力して、野菜を食べることの大切さを学んだり、ゲームなどを親子で楽しんでいました。  
 地道な活動ですが、今年で27回目になります。行政として、歯科医師会の活動をもっと応援しなければいけないと思いました。  
 国民宿舎では、お子様が自衛隊に勤務されている自衛隊家族会小豆地区総会が開かれていました。昭和49年、昭和51年の豪雨災害では、自衛隊の皆さんに小豆島は救われました。私が町長になってすぐあった池田の山火事でも、自衛隊に空中から消火活動をしていただきました。  
 自衛隊は、私たちの生活の安心、安全を守ってくれています。防災だけでなく、防衛も、もちろん自衛隊の大切な役割です。憲法において、どう自衛隊を位置づけるか、私たちはきちんと議論し、結論を得なければいけません。  
 今年も、7月に防災訓練をしますが、毎年、善通寺の陸上自衛隊の皆さんに参加していただいています。南海トラフの大地震は、起こるかもしれないではなく、必ず起こるとされています。減災、防災に努めたいと思います。  
 夕方は、久しぶりに、吉田温泉の湯につかり、疲れをいやすことができました。週末の土曜日、「吉田蛍祭り」がありますが、その日は、東京で琴勇輝の結婚披露宴があり、出席できないのが残念です。(平成29年6月6日)

汐江海岸で「リフレシュ瀬戸内」の
海岸清掃が行われました

本日(6月6日)、東京で故高峰秀子さん、
松山善三さんの相続財産贈呈式が行われます

4年前、花いっぱい運動などが評価され
緑化運動の総理大臣賞を受賞しました

今年も棚田オーナーによる
田植えが行われました

小豆郡歯科医師会による
歯の健康祭りのようす

防災訓練には、善通寺の陸上自衛隊の
皆さんに参加していただいています

6月10日(土)開催予定のホタル祭り
(クリックすると拡大できます)

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第1940回 小豆島中央高校生が台湾の高校生と交流しました


 台湾桃園市の国立武陵高級中学(日本の高校にあたる)の高校生が、小豆島中央高校を訪問し、交流しました。  
 桃園市は、首都台北市に隣接し、香川県との交流のある都市(日本の県にあたる)です。香川県と同じように、ため池が多いそうで、瀬戸内国際芸術祭と同じように、ため池を活かした、アートの祭典も行われていると聞いています。  
 瀬戸芸2013のとき、小豆島の旧福田小学校に、アジアのアーティストの拠点である「福武ハウス」がオープンしました。この「福武ハウス」には、アジア各国のアーティストが集まり、とりわけ台湾から台湾歴史資源経理学会を窓口にして、たくさんのアーティストたちが集結し、アートをつながりにして、福田の住民の皆さんとの交流を始めました。  
 福田の住民の皆さんは、一昨年、台湾を訪問し、桃園市新屋地区の皆さんと地域友好協定を結び、国境を越えた地域と地域の間の直接の交流を深めています。  
 香川県県教育委員会では、桃園市との交流の一環として、高校生同志の交流を通して、生徒の国際性やコミュニケーション能力を涵養したいと考えていました。その高校として、香川県教委は、新しくできた小豆島中央高校を指名してくれました。
 国立武陵高級中学は、日本の東大にあたる台湾大学に毎年150人くらいが入学するという、台湾のトップクラスの高校です。全校生徒数は、2500人を超え、台湾一の管弦楽団のある「音楽科」のほか、「科学科」「特別数理科」「特別英語科」があります。「特別数理科」は、数学オリンピックの金メダル受賞者を輩出するほど水準の高い高校です。  
 そんなハイレベルの台湾の高校生22人が、小豆島中央高校を訪問し、小豆島の高校生と交流し、夜は、ホームステイをしました。  
 小豆島の高校生が、台湾の高校生と、どんな交流をするのか、私は楽しみで、小豆島中央高校を訪れました。高校生たちは、すぐに打ち解けて、英語で懸命になってしゃべっていましたが、台湾の高校生のほとんどナチュラルの英語力には、さすがと思いました。書道の授業では、「夢」「愛」「虹」などの文字を、うちわに筆でしたためて、ホームステイ先のお土産にしました。  
 小豆島中央高校の生徒会が企画した交流行事では、両校の混成チームで、「あさりのつくだ煮」など、日本語の伝言ゲームに挑戦しました。  
 嬉しいのは、香川県教委がつくってくれたこのチャンスを、生徒の皆さんが堂々とおそれることなく、活かしてくれたことです。小豆島中央高校のこれからに、限りない可能性を感じることができました。  
 武陵高級中学の皆さんには、さすが世界のトップレベルの高校生は違うと思いました。ある男子生徒が、「私は、美しい景色を見にきたのではなく、人々の心に触れたくて小豆島に来ました」と話すのを聞いて感心してしまいました。  
 小豆島で、新しい高校が誕生し、新しい胎動が始まっています。(平成29年6月5日)

台湾桃園市の国立武陵高級中学の生徒が
小豆島中央高校を訪問し、交流しました

福田地区の皆さんは、桃園市新屋地区と
地域友好協定を結びました

小豆島中央高校の生徒は英語を話し
台湾の高校生と打ち解けていました

小豆島中央高校の生徒の指導のもと
うちわに筆で漢字をしたためました

生徒会が企画した交流行事では
日本語の伝言ゲームを行いました

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第1939回 国民健康保険の改革


 日本は、「国民皆保険」の国です。国民は、何かの公的な医療保険に加入することができます。
 日本では、国民は、いつでも、どこでも、必要な医療を受けることができる制度が整っています。世界各国の社会保障の在り方は、さまざまですが、誰でも、いつでも、どこでも、必要な医療が受けられる点で、日本の公的な医療保険は優れたものだと言えます。  
 しかし、日本が誇るべき、医療保険が、少子高齢化の進展や人口の減少、医療技術、医薬品の高度化、経済成長の鈍化など、さまざまな要因によって、制度を持続することが難しくなっています。医療費が増大し、保険料が増嵩し、制度を持続させることが難しくなっています。日本の医療保険は、企業に勤める人たちのための組合立の健康保険と、自営業の人などが加入する市町村ごとの国民健康保険に、大きく分かれていますが、とりわけ市町村ごとの国保を維持することが難しくなっています。  
 市町村ごとの国保は、もともと高齢者の加入者が多いので医療費が高くなる一方、自営業者のほか、所得水準の高くない加入者が多数を占めているので、国の負担金を多くするなどの措置が講じられているとはいえ、経営は容易ではなく、さまざまな課題をかかえています。  
 その国保が、地方圏を中心に、市町村が人口減少などで力を失う中で、ますます制度の持続が難しくなっています。そこで、国は、国保を改革し、来年度から市町村単位ではなく、都道府県単位の国保にして再出発することにしました。

 

市町村が人口減少などで力を失う中で
国民健康保険制度の持続が難しくなっています

 どんな改革になるのか、この日、香川県知事と県内の市町長との意見交換会がありました。新しい国保は、県が運営責任を持ちます。県内の国保医療費を県が管理し、市町の人口構成や数、医療費の水準、所得水準など、いろいろな観点で調整し、市町ごとに負担する医療費総額を按分し、市町は按分された医療費をベースに、加入者の保険料の水準を、市町ごとに決める、少し複雑な仕組みです。  
 その基本的な考え方を知事が説明し、市町長がそれぞれ意見を表明しました。それぞれの市町長からは、なるほどという意見が次々と出されました。市町長が心配されるのも、それぞれ、もっともという意見でした。それらを聞きながら、私は、次のようなことを言わせてもらいました。私は、国保の担当をしたことはありませんが、長い間、厚生労働省で、社会保障の仕事をさせてもらいました。この7年間は、町長の仕事をさせてもらっています。県の立場もそれなりに理解できる立場にあると思います。  
 国保運営を市町村から都道府県にして広域化するという、今回の国の改革は、運営が難しくなっている国保の市町村運営を、都道府県経営にするもので、市町村にとってはありがたい改革です。
 その上で、そもそも国保は何を目指すものであったのか、市町村にとって国保はどういう意味をもつものか、そのことを話したいと思います。

 

市町村の役割と国保は、密接なものであり、
国保経営は、市町村経営そのものです

 国保は、元来、市町村にとって、住民の医療、保健、福祉を確保し、提供するため、基盤となる制度として始まったものです。財源確保の保険制度であるだけでなく、国保直営の病院や診療所をつくり、医療サービスを提供する市町村もありました。市町村の役割と国保は、密接不可分なものであり、国保経営は、市町村経営そのものと言ってよいものです。  
 その国保が、少子高齢化などが進み、市町村にとって経営が難しくなりました。そこで、国は、医療費の伸びを抑えるため、高齢者の介護を介護保険として独立させ、同じく市町村経営としました。
 これにより、課題は山積しているとはいえ、介護は大きく前進しました。しかし、期待された医療費の伸びは抑えられることなく、伸び続け、市町村の国保経営は難しくなる一方でした。  
 そこで、今回、国は、国保の経営を市町村から都道府県単位に広域化することにしました。国保の財布を市町村の「小さい財布」から、市町村からお金を集めた「大きな財布」に代えることにしました。大きな財布にすることで、いろいろな負担の工夫や調整を県内の市町村間でできるようになると考えました。  
 実際、所得の状況、医療費の水準、加入者の数などを考慮して、市町村の負担額を決めるので、よく考えられた仕組みです。  
 しかし、実は、医療費、介護費の最大のテーマは、財源の負担も大切ですが、それ以上に、住民の皆さんが健康であり、医療費と介護費の伸びをどれだけ抑えていくかの方がもっと大切なことです。高齢者の皆さんが健康で、それぞれの地域で、どれだけ活躍できるかによって、医療費や介護費の伸びを抑えられるだけでなく、地域が元気になっていくかが決まるほど、重要なことです。  
 高齢者の皆さんが、農業、漁業、林業、地場産業、教育、子育てなどに活躍できれば、医療費と介護費の伸びを抑え、地域を元気にします。  
 そのことが国保の改革の一番大事なテーマのはずです。今回の改革でも、市町村のそうした努力を評価することになっていますが、改革は一歩を踏み出したものでしかありません。


高齢者の皆さんが活躍できれば
医療費と介護費の伸びを抑え、地域を元気にします

 改革の内容として、こうあってほしいということはたくさんあると思います。今回の改革で、市町村の国保は、制度としては都道府県の経営になりますが、国保の持続可能性を高めるものであると思います。そういう意味で、どう説明したら住民に理解してもらえるか、考えなければいけませんが、まずは、香川県の方針に沿って、私たちは、覚悟を決めて、準備を進めることが必要だと思います。といったようなことを皆さんに話しました。本当に言いたいことは、健康づくり、高齢者の社会参加、貢献、医療、保健、介護は、すべてが一体のものであり、市町村の本来の役割として、市町村が取り組むべきことです。国保は、そもそも、そのための総合システムとして構想されたものであり、問われているのは、市町村の役割は何かという、本質的なことです。  
 厚生労働省が提唱している「地域包括ケアシステム」の考え方は、何も新しいものではなく、国保の本来の精神を、現代風に表現したものです。
 豊島を含む小豆島を、香川県は、ひとつの小豆医療圏にしてくれています。昨年4月オープンした小豆島中央病院は、小豆医療圏の地域医療を守るだけでなく、小豆医療圏の地域包括ケアシステムの核になろうとしています。健康づくり、介護予防、介護、住まい、高齢者の社会参加などの政策テーマが、土庄町と小豆島町の枠を超えて小豆医療圏で一体的に行われようとしています。内閣府の総合特区にも、この3月に、小豆医療圏を念頭にして、「かがわ医療福祉総合特区」が認定されています。  
 さらに、香川県は、特別支援学校を小豆島に設置することを検討してくれています。これから小豆2町で、障がいのある人の暮らしの場、働く場、交流の場づくりを進めたいと思います。この4月には、小豆島中央高校が開校しました。これを機会に、小豆島中央高校を頂点とした小豆島の幼、保、小、中、高校の一貫教育の取組みが始ろうとしています。  
 今度の国保の改革を、これらの取組みとあわせて、小豆島が元気になる契機、小豆島の「地方創生」につながるものにしていきたいと思います。(平成29年6月2日)


小豆島全体で、障がいのある人の暮らしの場、
働く場、交流の場づくりを進めたいと思います

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第1938回 介護保険施設が内海病院跡にできました


 内海病院跡の建物の3階から6階に、特別養護老人ホームと介護老人保健施設ができました。小豆島町の高齢化率は、42.1%で、県下で最も高く、これからも高齢化が進むので、二つの施設は、高齢者のニーズに応えることでしょう。構想の実現に努力し、貢献していただいたすべての皆さんに感謝します。  
 医療と福祉の基盤がしっかりしていることは、小豆島がこれから元気になっていく上で不可欠なことです。ところが、私が小豆島に戻ったころ、医師不足で、小豆島の二つの公立病院は、経営が大きな赤字で、このままでは小豆島の地域医療がなくなってしまうおそれがありました。  
 二つの病院をひとつにして、医療スタッフを集中して、地域医療を確保することが必要でした。幸い、島民の皆さんの理解を得て、昨年4月、小豆島中央病院がスタートしました。  
 心配された医師も確保されて、もちろん課題はたくさんありますが、小豆島中央病院は、順調な歩みを始めています。何よりも、小豆島中央病院には、地域医療を守るだけでなく、小豆島の「地域包括ケアシステム」を実現する核となる重要な役割があります。  
 「地域包括ケアシステム」とは、高齢者が、住み慣れた地域社会で、その能力に応じて自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防、住まい、日常生活の支援が包括的に確保される体制のことです。  
 一言で言うと、医療と福祉が役割分担、連携することで、高齢者が地域社会で安心して暮らせるシステムのことです。  
 内海病院跡にできた二つの介護保険施設と小豆島中央病院が役割分担し、連携することが必要です。医療の必要な人は小豆島中央病院で医療サービスを受け、その後は介護保険施設か在宅の福祉サービスを受けることになります。この役割分担と連携によって、病院は、本来の役割に徹することができるので、病院の経営の改善にもつながります。  
 大切なことは、豊島を含む小豆島全体の医療と福祉の在り方を、どう考え、実現するかです。幸いなことに、香川県は、豊島を含む小豆島を、小豆医療圏としてくれました。県内の医療圏は、三つしかありません。後の二つは、香川東医療圏、香川西医療圏で、ともに人口50万人の大きな医療圏です。  
 この医療圏はとても意味のあることです。小豆島を一つの医療圏と考え、小豆島中央病院で二次医療を確保し、小豆島中央病院を核として、「地域包括ケアシステム」を、小豆島全体でつくっていくことを目指すものです。新しく内海病院跡にできた、二つの介護保険施設は、そのシステムに位置づけられるものです。  
 香川県は、さらに、小豆医療圏で、「地域包括ケアシステム」を実現するために、内閣府の「かがわ医療福祉総合特区」に指定してくれました。例えば、小豆島中央病院に地域包括ケア病床をつくるには、現行の制度では、200床を超える病床のある小豆島中央病院の場合、病棟単位にしなければいけないのですが、小さな小豆島では、無理なことです。小豆島のような離島では、小豆島中央病院が唯一の総合病院であり、病棟単位ではなく、病床単位でしか、地域包括病床は実現のしようがありません。総合特区として、特例を認めてもらうことが必要です。  
 さらに、「地域包括ケアシステム」は、より大切なことが、中央省庁の役割分担の制約から、明確に打ち出されていません。それは、何よりも、高齢者が健康で、地域社会でさまざまな形で活躍できることこそが、一番だというシンプルなことです。そのことが、一番の医療費や介護費の抑制策でもあり、地域社会を元気する道、「地方創生」の道なのに、縦割りの中央省庁では、そんなシンプルなことができないのです。  
 例えば、小豆島なら、畑や田んぼの休耕田、休耕地が目立っています。田畑や山の手入れが不十分なために、イノシシなどが住宅地にまで出てくるようになっています。足が弱って買い物にでかけられない高齢者も増えています。一人暮らしの方も増えています。子育てに困っている若い人もいます。元気な高齢者の活躍できることは、いっぱいあります。しかし、そのパワーを活かすシステムがうまくできていません。  
 「地域包括ケアシステム」は、本来なら、元気高齢者のパワーを、厚生労働省の分野のことだけでなく、農林水産省、文部科学省、経済産業省、国土交通省など、すべての省庁の分野のことを含めたものとして、立案し、提唱するものでなければいけないものです。  
 そこで、小豆島では、元気高齢者のパワーを活かすことを含めた、「地域包括ケアシステム」を目指したいと思います。そのために「かがわ医療福祉総合特区」を活用したいと考えています。  
 ところで、今度できた新しい介護保険施設には課題があります。それは、新施設が町立であることです。本来なら、介護保険施設は民間立が望ましいと思います。民間では、数多くの施設を運営されており、人材活用などの点で、優れているという実績があります。  
 国の補助金でつくられた町営の建物に立つこと、町営の老人保健施設を引き継ぐという、さまざまな事情から、町立運営でスタートしますが、経営の効率化に努め、今後望ましい経営形態の在り方を考えたいと思います。国の医療、福祉の政策も今後、変わることも予想されます。小豆島の望ましい、あるべき医療と福祉の姿に相応しい形態のものにすべく、常に、見直していくことが不可欠であると考えています。  
 いずれにしても、新しい特別養護老人ホームと介護老人保健施設が、本来の役割を担って、小豆島の医療と福祉の向上に役立ってほしいと思います。(平成29年6月1日)

旧内海病院の3階から6階に特別養護老人
ホームと介護老人保健施設が竣工しました

介護保険施設竣工式のようす


竣工式終了後には町民の方々に向けた
内覧会が行われました

小豆島中央病院には、小豆島の
「地域包括ケアシステム」を実現する
核となる重要な役割があります

小豆島中央病院を核として、小豆島全体で
「地域包括ケアシステム」を目指します

田畑や山の手入れなど元気な高齢者の
活躍できる場所はたくさんあります

元気高齢者のパワーを活かすことを含めた
「地域包括ケアシステム」を目指します

介護保険施設は経営の効率化に努め
望ましい経営形態の在り方を考えていきます

介護保健施設が本来の役割を担い
医療と福祉の向上に役立ってほしいと思います

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