小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1848回 番外編アーカイブ⑫「新しい社会保障のデッサン<下>人と人との連帯と絆を再構築する社会保障


 日本を変える力は地方から  

 地方の時代がやってきたといわれる。地方分権や地方主権についても本格的な政策論議が始まろうとしている。地方分権は、社会保障のあり方を考える上でも本質的に大事なことである。なぜなら、地域再生と社会保障の再構築は、失われつつある連帯感と絆を取り戻し、再確認する点で相通じるものがあるからである。  
 今、日本のかかえる本質的な課題は、人口減少と少子高齢化の進展、そのなかでの地域社会の衰退と活力の衰退である。それが、もっとも顕著に表れているのは、地方である。地方が、もう一度元気を取り戻さない限り、日本全体の復活はない。どうすれば地方は元気を取り戻せるのであろうか。  
 地方復活の鍵は、連帯感と絆を取り戻すことである。かつて、日本社会の連帯感と絆は、田植えや稲刈りなど、四季折々の農作業を地域ぐるみで行うことで培われてきたのだと思う。農業を再生することにより、地域社会の連帯感と絆を取り戻すことも不可能ではないが、これからの時代に、もっとも現実的な方法は、高齢者介護、障害者福祉、子育て支援など、福祉分野の取り組みを地域ぐるみで行うことで、連帯感と絆を取り戻すことが可能であると思う。健全な地域社会が再生されていくなかで、人間味豊かな人材が育まれていく。地域社会での福祉の取り組みを通じて、地域社会が再生し、次代を担う健全な人材が育っていく。社会保障の充実は、健全な地域 社会と人づくりに貢献するはずである。

 

福祉分野の取り組みを地域ぐるみで行うことで
連帯感と絆を取り戻すことが可能であると思います

 社会保障とは、連帯感と絆を社会のシステムとしたものである。社会保障はよく社会のセーフティネットだと言われる。人は一人では生きることはできず、他者とのかかわりで生き、社会を形成する。社会保障のセーフティネットとは、落ちた人を救うのではなく、落ちないようにするためのネットである。人と人とをつなぐ懸け橋としてのネットが社会保障のセーフティネットとしての本質である。だとすれば、様々な課題をかかえる今こそ、本来の意味での社会保障の充実が図られるべきである。  
 自助の本質が他者とのかかわりであるならば、助け合いである共助は自助の重なりあったものであり、公助である社会保障は、自助と共助を発展させて、助け合いをみんなのルールとしたものである。自助、共助、公助は、相対立するものではなく、重なりあうものである。その担い手が、自助なら一人一人の個人、共助ならボランティア、 NPOなどの組織、公助なら、地方と中央の政府ということであって、そのすべてが必要である。  
 広義の社会保障は、自助、共助、公助の総体であり、個人、NPOなどの組織、政府がそれぞれの役割を果たすことで成り立つ。そこには、みんなで問題解決に向け参加し、信頼し合うことが不可欠である。少子高齢化、人口減少、経済成長が鈍化するときだからこそ、本来の意味での社会保障の出番であると思う。  
 自助、共助、公助は相対立するものではなく、「助けあい」の精神においてつながっている。自助、共助、公助をあわせて同時に大きく強くできる政策のあり方、社会の実現が求められている。


図)社会保障の総体
(クリックすると拡大できます)

 (注釈)  
 社会保障の再構築が、地方と地域の再生によって実現することを書いたものです。今行われている「社会保障改革」と「地方創生」の論議と政策は、必ずしも、そのようなものになっていないように思います。例えば、厚生労働省が提起している「地域包括ケアシステムの構築」は、実は、「社会保障改革」と「地方創生」の政策そのものなのですが、残念ながら、厚生労働省の医療福祉の政策にとどまり、「社会保障改革」と「地方創生」の全体政策になっていないように思います。
 小豆島での「地域包括ケアシステムの構築」の取組みを、「社会保障改革」と「地方創生」の全体政策の実践にしたいと思います。  
 この論文のなかで、「社会保障のセーフティネットとは、落ちた人を救うのではなく、落ちないようにするためのネットである。人と人をつなぐ架け橋としてのネットが社会保障のセーフティネットとしての本質である」と書いています。その頃、誰かから、そういう考え方を聞いたか、教えてもらって書いたのだと思います。  
 社会保障だけでなく、地域社会も、落ちないようにするための、人と人をつなぐ架け橋としてのネットです。人と人との連帯と絆を再構築することが「社会保障改革」と「地方創生」の本質だと思います。(平成29年1月20日)


「地域包括ケアシステムの構築」は、
「社会保障改革」と「地方創生」の政策そのものです

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第1847回 番外編アーカイブ⑪「新しい社会保障のデッサン<上>人と人との連帯と絆を再構築する社会保障


  新しい社会保障のデッサン 12「日本シニアリビング新聞」 平成21年7月20日
 「人と人との連帯と絆を再構築する社会保障」 
 (独)福祉医療機構理事 塩田幸雄(元厚生労働省政策統括官)  

 社会保障のあり方を考えることは、私たちの社会のあり方そのものを考えることである。人口が増大し、経済成長も順調に進むなかで、個々人の社会生活のさまざまなリスクをみんなで分担する社会全体の仕組みとして、社会保障は発展してきた。  
 公的年金制度が未整備であったころ、引退世代の経済保障や生活保障は、個々の親子関係で対応するしかなかった。しかし、経済が発展し、必ずしも生まれ育ったところで人生を送るのではなく、多くの若者たちが都会に集中し、核家族化が進むなかで、世代間の助け合いを社会全体のシステムとしたのが公的年金制度である。これによって、親と子は離ればなれで生活していても、それぞれ安心して社会生活を送ることができる。  
 今、少子高齢化が進み、経済発展が鈍化するなかで、公的年金の崩壊が指摘される。確かに、これまでのような高い水準の年金を維持することはできなくなった。しかし、公的年金制度とは、ざっくりと言えば、毎年々々の富の世代間の分配をどうするかという問題である。富の生産がないのであれば、ことは年金制度の崩壊にとどまらず、国と社会の崩壊を意味するが、富の生産がある限り、それは世代間の分配をどうするのかというテーマであり、そこには何らかの解決の知恵があるはずである。  
 富の生産が小さく、引退世代の人口が多くなるのであれば、みんなで知恵を出すべきことは、いかに富の生産を増やすのか、どうすれば長く働くことができる社会とすることが可能となるかを考えたり、どうすれば子供の数を増やせたり、子育てをしやすくできるかを、みんなで考えることがまず必要である。その上で、どの程度の年金水準を確保できるかということをみんなで考え、納得しあうのが、本来あるべき論議の展開であると思う。  
 

子育てをしやすい環境づくりを
みんなで考えることが必要です

 このように社会保障のあり方を論じる場合、どうすれば社会保障本来の機能を守っていける政策を実現できるかという論議が不可欠である。年金制度の崩壊の危機を強調することではなく、どんな政策が年金制度の本来の役割を維持するために必要かということを論議の中心にしていくことが必要である。  
 社会保障は、人と人との連帯と絆を社会全体のシステムとしたものであり、社会保障の充実を図るという作業は、人と人との連帯と絆を再確認する作業である。今、日本は経済不況の克服という政策課題以上に、歴史的にも、文明論的にも、本質的な転換点にさしかかっている。何百年、何千年にもわたって継承されてきた伝統、文化、慣習、環境、絆、共同体が、音もなく静かに崩れようとしている。そういうなかで、少子高齢化、人口減少、経済成長の鈍化という逆風が社会保障に向けて吹き荒れている。こういうときにこそ、社会保障を建て直す作業が、この国を崩壊の危機から救うのだと思う。  
 そのためには、これからは、これまでの社会保障改革のように、単に自助努力を強調し、公助を小さくしようとする論理とは異なる発想が求められると思う。社会保障のあり方を強くしようとするとき、もう一度、自助、共助、公助とは何かという原点に立ちかえってみる必要がある。  
 図のように、自助と共助と公助は、実は対立するものではなく、相互に作用しあって、それぞれを大きくできるものだと思う。一見、公助を大きくすると自助や共助が小さくなることが考えられるが、公助そのものの由来が、人と人との連帯と絆を社会全体の仕組みとしてものを考えると、公助の理念が国民に理解を得られるのであれば、自助も共助も大きくできるはずである。


図)社会保障の総体
(クリックすると拡大できます)

 (注釈)  
 厚生労働省を退官した後に、これからの社会保障のあり方全般について、「日本シニアリビング新聞」に連載したものです。厚生労働省と環境省でいろいろな分野の仕事をさせてもらいましたが、最後のポストが政策統括官でした。  
 そのポストに着くことで、社会保障全体のあり方を俯瞰することができました。この論文は、その総決算です。「自助」「共助」「公助」をどう捉えるか、それらが相互に対立するものではなく、重なり合い、包み込み合い、同時に大きくできることを書いたものです。  
 当たり前のことのようですが、私たちの意識や行動、国や地方公共団体の政策は、必ずしもそうなっていないように思います。人口が減り、経済成長が鈍化している今、時代環境の変化に応じて、社会保障をはじめ政策全体を一体のものとして総点検し、時間をかけて見直していけば、人口減少時代の新しい国や社会のかたちを構築できると思います。その一環である「地方創生」も、「自助」を核にして、「共助」と「公助」も大きくできるかどうかが問われているのだと思います。
 連載は、この回は、12回となっています。それまでとその後にどんなことを書いたのか、読んでみたいのですが、手元に資料が残っていないのが、残念です。(平成29年1月19日)


社会保障をはじめ政策全体を一体のものとして
見直していけば、人口減少時代の新しい国や
社会のかたちを構築できると思います

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第1846回 田の浦半島の二つのとんど


 今年も、お正月の門松やしめ飾りや書初めなどを持ち寄って燃やし、1年間の無病息災を願うとんどが各地でありました。私は、そのうち、堀越、田の浦の田の浦半島の二つのとんどに参加しました。  
 堀越は、田の浦半島を進むと最初に出くわす集落です。かつては醤油蔵もあり、漁業も、農業も盛んな豊かな集落でした。壺井栄の夫の詩人壺井繁治の生地です。  
 栄は、一時この生家に繁治とともに暮らし、そばの分教場を生家の窓から見ながら、「二十四の瞳」の構想を練ったとも言われています。この堀越地区が、長い間、人口減少に苦しんでいました。  
 4年前になりますが、当時早稲田大学建築学科の古谷研究室にいた鉄川ななみさんが、卒論で堀越をとりあげ、堀越で、移住者が増えていることと空き家活用の可能性があることを教えてくれました。  
 それ以来、堀越の住民の皆さんと早稲田大学古谷研究室と小豆島町で、堀越での「空き家活用プロジェクト」が始まりました。昨年の瀬戸内国際芸術祭2016では、堀越を見下ろす「竹のシシ垣」をつくり、堀越の暮らしを伝える古写真展を荒神社と旧教員住宅で行い、浜道に、集落を結び、彩る傘布の「のぼり」をあげました。  
 堀越のとんどは、このプロジェクトが進む中で、地元の住民の皆さんが復活させたものです。この日のとんどには、古くから堀越に住む皆さんだけでなく、小さなお子さんと一緒の移住者の家族、そして古谷先生と卒業生である鉄川さん、早稲田の学生さんなど、多彩な皆さんが参加して、寒中を、おでんやぜんざいなどを食べて体を温かくして、みんなでとんどを楽しみました。  
 堀越の「地域活性化プロジェクト」は、これからも続きます。旧教員住宅を、移住者が堀越や小豆島を訪れる入口たる滞在拠点にしたり、地域のこどもたちからお年寄りまでが集う拠点に再生し、堀越がかつての元気を取り戻す日が来ることを目指しています。  
 田の浦半島の突端、「二十四の瞳」映画村のある海岸でも、映画村と田の浦自治会主催のとんどがありました。山伏も登場し、ほら貝を吹いての練り、法弓作法、法斧作法文などの儀式も行われた本格的なとんどでした。地元の皆さんと観光客の大勢の皆さんがとんど見た後、焼いた餅やみかんのふるまいを受け、おいしそうに頬張りました。  
 昨年は、栄の50回忌の年、小豆島町と映画村は、栄を偲ぶさまざまな取組みをしました。瀬戸内国際芸術祭2016でも賑わいました。高校生も甲子園で活躍し、都大路を駆け抜けました。  
 酉年の今年、映画村が生まれて30年の節目の年です。映画村では、30年を記念して、いろいろ取組みをし、魅力をアップしたいと思います。大勢の皆さんに「二十四の瞳」映画村を楽しんでほしいと思います。(平成29年1月18日)

早稲田大学建築学科の古谷研究室にいた
鉄川ななみさん卒業研究論文のため
堀越地区でフィールド研究を行いました

瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品であった
堀越地区を見下ろす竹のシシ垣

二十四の瞳映画村の海岸で、田の浦自治会
との共同のとんどが行われました

山伏の皆さんなどが儀式を行うなど
本格的なとんどでした

とんどの火で焼いた餅やみかんが
見物客に振る舞われました

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第1845回 「醤油とオリーブと日本料理」


 新しい年になっても相変わらず週末は、いろいろな行事が待っています。新年早々今年も島外からゲストを迎えることができました。島外のいろいろな分野の一級の皆さんが小豆島に関心を寄せてくれていることに感謝の気持ちでいっぱいです。  
 小豆島には、宝物がたくさんあります。オリーブ、醤油、素麺、佃煮、寒霞渓、二十四の瞳、八十八ヶ所霊場・・・と挙げると切りがないくらいです。小豆島は本当に恵まれています。  
 この日は、「オリーブを用いての健康長寿の島づくり」の一環の講演会がサンオリーブでありました。全国各地でオリーブ栽培が広がっているので、小豆島では、全国のリーダーたらんと、平成22年度から「オリーブトップワンプロジェクト」を始めています。平成24年度からは、家庭、学校、病院、レストランなどで、島民みんなでオリーブを美味しく食べて、健康長寿を実現するという、楽しい取組みをしています。講演会はその一環です。毎年、オリーブ料理の専門家に講演してもらっています。  
 今年のゲストは、日本料理・和食を研究している柳原尚之さんです。柳原さんは、江戸時代から続くという日本料理、茶懐石の近茶流宗家に生まれ、今は柳原料理教室副主宰をされています。NHKの「今日の料理」などテレビ番組に出演されたり、大河ドラマの料理シーンの監修をされるほか、文化庁の委嘱を受けて、日本文化を海外に発信する仕事もされています。まだ30代の新進気鋭の方です。  
 驚いたことに、柳原さんは、大学で発酵学の勉強をされた後、丸金醤油の研究所の研究員として1年間、小豆島で暮らされています。お爺さんの代に、丸金醤油との縁ができ、当時の丸金のトップであった木下光三さんが1年間柳原さんを研究所に預かったのだそうです。  
 柳原さんの話はとても興味深いものでした。世界無形文化遺産になった日本料理・和食の定義は、次のとおりだそうです。  
 一番目は、食材が多様であることです。日本列島は縦に長く、温度差があるので、多様な食材に恵まれています。海に囲まれて、暖流と寒流がぶつかるので魚が豊富です。70%が山で、急峻で多雨なので、川は急流で、水が濁りません。水がきれいなので、日本料理は「水の料理」です。だから油は日本料理ではわき役です。  
 二番目は健康的であること、三番目は季節感があることです。四番目は、年中行事とのかかわりをもつ食文化であることです。季節ごとに食べる料理が決まっています。すべての食材に願いが込められています。例えば、お節料理の「三つ肴」の数の子は子孫繁栄、黒豆は健康、ごまめは豊作の願いを込めたものです。  
 日本文化には、考え方のひとつに、完璧なものは壊れる、未完成であること、完璧でないことをめでる考えがあるとも聞きました。例えば,五重箱の一番上の箱を空にするのは、そうした考え方によるのだそうです。  
 醤油は、日本料理に欠かせない調味料です。醤油があることで、誰もが料理にあった微妙な味付けができます。日本料理の調味料は、醤油、味噌、味醂などシンプルですが、洋食や中華料理では、何十、何百もの香辛料、調味料を使うことで、味の変化をつくります。  
 オリーブオイルも、日本料理に合う調味料だと柳原さんは言われました。醤油とオリーブオイルの相性もとても良いそうです。山菜や魚などに醤油をかけ、オリーブオイルをかけることで、健康にもよくて、美味しい日本料理を楽しむことができます。  
 小豆島は、オリーブと醤油という、日本料理に相応しい最高の調味料二つの産地です。食材も、海の幸、山の幸とも豊富です。この恵まれた条件を小豆島が活かさない手はありません。  
 ところで、柳原さんに最近お子さんが誕生しました。最初の離乳食は、柳原さんが腕をふるい、昆布、鰹などでとったダシだったそうです。羊羹の虎屋の親友も、こどものころから羊羹を食べ、羊羹の美味しさを自然に身につけ、お茶の老舗の親友も、お子さんの最初の離乳食は、日本茶だそうです。「三つ子の魂百まで」ですね。  
 だからこそ、文化、伝統が守られています。地域社会の良さをつなぎ、発展させる営みも同じだと思います。柳原さんの日本料理を通しての本質を追求する話に、感激し、目から鱗が落ちました。(平成29年1月17日)

小豆島には数えきれないほど
宝物がたくさんあります

小豆島町では、平成22年度から
「オリーブトップワンプロジェクト」を始動しています

平成24年度からは「オリーブで健康長寿の
島づくり」の取り組みを行っています

柳原料理教室副主宰の
柳原尚之さん

「オリーブオイルと合う和食」と題した
講演会を行っていただきました

日本料理に欠かせない醤油

小豆島産のオリーブオイル

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第1844回 岡山県奈義町を訪問しました


 岡山県奈義町を役場のスタッフと一緒に訪問しました。岡山県の中山間地の自治体を訪問してみたいとずっと思っていました。これまで一度も訪問したことがないこともありますが、そのあたりの地域で、地域活性化や地方創生のおもしろい動きが、いくつも始まっているように感じていたからです。
 特に、奈義町は、平成26年に合計特殊出生率2.81を達成し、その子育て支援施策が全国的に注目されています。また、脚本家で、小豆島町でも、演劇やコミュニケーション教育などで、お知恵をお借りしている、平田オリザさんが、奈義町の「教育・文化のまちづくり監」をされています。  
 平田さんからも、奈義町の取組みについて、子育てだけでなく、文化活動などの興味深いお話しをうかがっていました。今回の訪問も平田さんがつないでくれた縁でした。昨年2月には、奈義町の副町長と総務課長さんが小豆島町に来ていただいてるので、その返礼の訪問の意味もありました。  
 ところで、小豆島は、今は香川県に属していますが、歴史的には、むしろ岡山県との縁の方が強い面があります。江戸時代のはじめ、幕府が国の重要地域の地図を作成しているのですが、そのひとつとして小豆島が選ばれています。今も小豆島に残るその地図は上下が逆さまです。つまり、その地図は、岡山側、備前の国側から見た地図です。そのころ小豆島が備前の国に属していたことを示しています。  
 奈義町と小豆島は、つながりがないと思っていたのですが、今回の訪問で、いろいろな縁があることを知りました。奈義町でも江戸時代から途絶えることなく農村歌舞伎が継承されています。小豆島と同じように、往時には10数か所の歌舞伎舞台があったそうですが、今はただ一つ、松神神社に江戸時代末期に建てられた歌舞伎舞台が保存され、今も歌舞伎が上演されています。  
 驚いたのは、奈義町の歌舞伎保存に大きな役割を果たされたという高森源一さんが、何度も小豆島を訪れ、小豆島の農村歌舞伎の役者などの指導をしていただき、そのおかげもあって、小豆島の農村歌舞伎が続けられていることを知りました。  
 高森さんの実家の庭先に、小豆島の皆さんも協力して建てられた大きな石碑が立っていました。「大高家山下梅調師之碑」と刻まれ、その石は小豆島から運ばれたものだということでした。「山下梅調」とは高森さんの役者名です。石碑の裏側に、「小豆島梅好会」の名前がありました。  
 農村歌舞伎を守っていけるよう、奈義町では、「こども歌舞伎教室」の開講や町役場に2人の「歌舞伎専門員」を配置したり、いろいろな知恵を絞っています。これからも、小豆島と奈義町の農村歌舞伎交流を深めて、農村歌舞伎をともに未來に継承していきたいものです。  
 驚いたことに、奈義町にある中国山地秀峰の「那岐山」から、見晴らしのよいときには、遠く、小豆島の「星が城」の山頂が見えるそうです。そう言えば、江戸時代、小豆島が情報伝達の拠点だったと聞いたことがあります。星が城のてっぺんで、狼煙をあげることが、各地に情報を伝達する一番早い方法だったというのです。奈義町からも星が城が見えると知り、それは事実だと思いました。
 肝心の奈義町の子育て支援施策です。派手なことをやっているのではなく、考えられる子育ての施策をすべてちゃんとやっています。奈義町の出生率の回復は、町の最大課題は、人口減少・少子高齢化であるとし、平成24年に「子育て応援宣言」をし、定住促進のための「住宅施策」「就労の場の確保施策」「子育て支援施策」の三本柱の施策を、きちんと、地道に推進されている成果だと思いました。奈義町が、子育てを安心してできる「町」であることを、シンプルに、わかりやすく、政策の体系にして、地道に、実行して、発信しています。
 奈義町は、とても、落ちついた、自然の残された、文化も豊かな、農業を中心にして、人びとが代々暮らし続けてきた、日本の各地にある、誰もがほっとできる、いい「まち」のひとつです。そんな町が、子育て支援だけでなく、教育や文化、農業などに力を入れて、「地方創生」を目指しています。私たちの小豆島と相通じるものをたくさん感じ、見つけることができました。  
 今、奈義町や兵庫県豊岡市など、全国各地で、同じように、教育や文化などを通して、地域の本来の力を取り戻す取組みをする自治体が集まって、知恵を合わせて、「地方創生」のあり方を考え、行動してはどうかという提案が奈義町を中心に出されています。小豆島町も是非この提案に参加したいと思います。奈義町訪問は、私にとって、期待どおりの、久しぶりに、ほっとする小旅行となりました。(平成29年1月16日)

子育て支援施策全国的に注目されている
岡山県奈義町を訪問しました

小豆島町で演劇やコミュニケーション教育を
行っていただいている脚本家の平田オリザさん

江戸時代に作られた地図では
小豆島が上下逆さまで描かれています

奈義町に残っている江戸時代末期に
建てられた歌舞伎舞台

「大高家山下梅調師之碑」が
高森さんの実家の庭先に建てられています

石碑の裏側には「小豆島梅好会」の
名前が刻まれています

「地方創生」のあり方を考え、
行動してはどうかという提案に
小豆島町も是非参加したいと思います

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第1843回 平成29年成人式式辞+琴勇輝メッセージ


 平成二十九年の新春を迎え、これからの時代を担っていく皆さんが健やかに成長され、立派な成人となられましたことを、心からお祝い申します。
 本日は、皆さんのすばらしい門出の日でありますとともに、一人の成人としての責任を自覚しなければならない、人生の節目となる大切な日です。ご家族の皆様、恩師の方々におかれましては、成長した皆さんの立派な姿を見て、感無量のことと思います。成人になられた皆さんに、重ねてお祝いを申し上げますとともに、今日まで慈しみ育てていただいたご家族の皆様、恩師の方々に、心から感謝を申し上げます。
 今、小豆島に新しい風が吹いています。若ものたちの活躍です。昨年3月、皆さんの後輩の小豆島高校の野球部の皆さんが、甲子園に出場しました。島民、島外に出られた皆さんを含めて、島がひとつになって応援しました。  
 年末には、陸上部の皆さんが、香川県初の男女そろって全国駅伝大会に出場しました。しかも男子チームは、25位と大健闘をしました。  
 今年4月には、新たに小豆島中央高校がスタートします。小豆島は、間違いなく、次の世代の皆さんが、小豆島の新しい歴史を刻もうとしています。その担い手の中軸になるのは、皆さんです。  
 小豆島は、長い間、人口減少に苦しんできました。しかし、今や、人口減少は、小豆島などの地方の問題だけではなく、東京も含めた全国の課題になっています。これからも人口減少は避けられないものです。そのようななかで、私たちの島、小豆島は、人口減少を克服する、新しい社会のあり方を、少しずつですが、全国に先駆けて示すことができるし、示さなければいけないと、私は考えています。  
 小豆島へのIターン者の増加は、そのひとつです。若い人の移住が続いています。移住される方は、小豆島に魅力と可能性を感じとっているのだと思います。  
 今、大きな数百年単位ともいえる時代の変化が始まろうとしているように思います。ここ100年ほどは、地方よりも都会が良い、優れているという時代が続きました。今、再び、小豆島の代表される、地方各地の、個性豊かな自然、文化、伝統、産業、人と人の絆の大切さに、人々は気づこうとしています。  
 国際化やグローバリゼーションが言われるなかで、一見、こうした動きは、矛盾するようですが、そうではありません。地方、地域が本来の力を取り戻し、それぞれの大切な価値を守り、磨くことが、本当の意味での国際化やグローバリゼーションに必要なことなのです。  
 昨年、3度目となる瀬戸内国際芸術祭2016がありました。小豆島にも、これまで以上の皆さんが訪れてくれました。アーティストの皆さんが、島民の皆さんと一緒になって、アートの素晴らしさだけでなく、小豆島の魅力と可能性をかたちにしてくれました。今回は、海外の皆さんも想像以上に来島されました。  
 瀬戸芸の期間中に、日本ではじめて京都で開催された世界考古学会議のプレツアーを小豆島で行いました。21か国80人の世界の考古学者が小豆島に集まってくれました。寒霞渓に案内し、小豆島を鳥瞰してもらい、その後は、中山の千枚田、そうめんづくり、農村歌舞伎、醤の郷の醤油蔵、三都半島では地引網、岩ケ谷の石切丁場などを見てもらいました。夜は、福田で、島の食を味わってもらい、民家に分宿してもらいました。  
 プレツアーの終わりに、ある国の考古学者から言われました。「小豆島は島全体が博物館のようだ。私たち考古学者としてアドバイスすることは何もない」。私たちに求めらていることは、小豆島の、先達たちが、難百年にもわたり、築き上げてきた、素晴らしい宝物を守り、磨き、さらに広げて、価値あるものにして、次の世代に引き継いでいくことです。
 成人を迎えた皆さんには、これから大いなる未来が待っています。どんな未来になるか、未来をつくるのは皆さんです。やってみたいことを「どうせ無理」と、あきらめないで、まず出来ると信じなければ、出来ることも出来ません。やってみたいことを目標として決め、それをやると決め、どうしたらそれができるか、考えるではなく、考え抜き、そして一生懸命に、頑張るではなく、頑張り抜いてほしいと思います。  
 私は、「小豆島を元気にする」ことを目標と決めています。「小豆島を人口減少時代の社会のあり方のモデルとなる島にする」ことを目標にしています。どうしたら、それが実現できるか、考え抜き、頑張り抜きます。成人を迎えた皆さんも、それぞれやってみたいことを目標として決め、考え抜き、頑張り抜いてほしいと思います。  
 新成人の皆さんの洋々たる未来に心からの祝福を寄せるとともに、お集まりの皆さんのご健勝とご多幸を祈念し、私の式辞とします。 (平成29年1月13日)

(琴勇輝のメッセージ)
 新成人の皆さん、まずは、御成人おめでとうございます。 私 琴勇輝から、新しい一歩を踏み出す皆さんへ、先輩としてメッセージとエールを送りたいと思います。  
 人生とは、途中下車の出来ない急行列車です。しかし、走りだしてからでも変えられるものがあります。それは、自分の進むべきレールです。終点の駅にたどり着くまでの道のりには、険しい道も、緩やかな道もあります。大切な事は、過去に囚われない、現実から目を背けない、そして未来をしっかり見据える事だと思います。  
 世の中には、天才と呼ばれる人も確かにいます。しかし私は、努力に勝る天才はないと思います。天才も陰では努力をしている。だから、努力できる事こそが、本当の素質であり、努力できる事こそが本当の天才なのです。つまり、世の中にいる天才とは、努力の天才なのです。  
 【努力の分だけ花は咲く!】と信じて、まだ見ぬ素晴らしい未来を自らの手で、切り開いて行って下さい。
 最後になりましたが、ここまで育ててくれた、お父さん、お母さん、家族、友達、そして、自分を支えてくれる全ての方に『ありがとう』という感謝の心を忘れず、まっすぐで素直な人であって下さい。
  新成人諸君、【Never too Late】【Never give up】 今からでも遅くない、だから決して諦めない! 自分の未来は、自分自身が切り開くもの!どうか信じてあげて下さい。皆さんの中に秘めた無限の可能性を!そして感じて下さい。1つ1つの小さな積み重ねで出来た奇跡。それが僕らの生きる今だから。
 小豆島夢応援大使 佐渡ヶ嶽部屋 琴勇輝 一巖

平成29年の成人式が
サン・オリーブで行われました

成人証書を受け取る新成人

誓いの言葉を読み上げる新成人

成人の抱負を発表する新成人

式後には、久しぶりに会う同級生と
写真撮影などが行われていました

琴勇輝関のほかにもたくさんの
お祝いのメッセージが届きました

星城小学校区の新成人の皆さん

安田小学校区の新成人の皆さん

池田小学校区の新成人の皆さん

苗羽小学校区の新成人の皆さん

福田小学校区の新成人の皆さん

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第1842回 番外編アーカイブ⑩「ふるさとの映画館」


 「日本興行ニュース」(広報誌『ねんきん』から転載) 平成8年5月15日
 「ふるさとの映画館」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄

 お宮のある小高い森のふもとに、ふるさとの映画館はあった。テレビが普及していなかった頃だから、映画館はいつも結構にぎわっていた。父に連れていってもらって見た、三度笠をまとった高田浩吉の颯爽とした姿を、時折、なぜか、思い出すことがある。
 石倉三郎という味のある俳優がいる。この俳優は同郷の先輩である。彼の親は、この映画館に勤めていて、映画館に紛れ込んでは、俳優になることを夢見ていた。中学の時、家の事情で、ふるさとを去った。大阪や東京を転々として何十年かの後、彼は、俳優になる夢を実現した。
 私の故郷は小豆島である。作家壺井栄は、小豆島を「瀬戸内海の島々の中で、淡路島に次ぐ二番目に大きな島」と簡潔に紹介している。ふるさとの映画館はもうなくなり、「二十四の瞳」の撮影セットをそのまま活かした映画村に観光客用の映画小屋があるのみである。
 「二十四の瞳」は、今、ビデオ化され家庭でも楽しむことができる。数年前、このビデオを買ってきて、ある場面を何度も静止画像で見たことがある。実は、この映画に祖母が出演している。その場面で、祖母は小さな男の子を背中におんぶしている。男の子の後頭部が一瞬画面に映る。私は、その男の子は、私に相違いないと思っている。そのことを確認しようと思ったとき、祖母はもう帰らぬ人となっていた。  


昭和29年公開の
映画「二十四の瞳」(C)松竹

 今年の正月も、いつもの年のように「男はつらいよ」を見に映画館に行った。いつもは、それほど感じたことはないのに、映画館の大きな画面に映し出される景色がとてもきれいだと思った。それは日本のどこにでもある町並みや人々の生活の景色に過ぎない。そしてこの映画がこれほどまでに愛されているのは、渥美清演じる寅さんの人間的魅力だけでなく、この映画が、日本の各地の何気ない風情や人情をきれいに映しだしているからだと思った。  
 私は、今、厚生省で、日常生活の環境衛生に係わりの深い産業の振興という仕事を担当させてもらっている。興行場法という法律があり、映画館は、この法律で規制されている。この法律の担当者として、映画館の経営者の方々と一緒に、どうしたら、映画館をもう一度蘇らせるかを考えることがある。  
 ある有名な映画製作会社の社長が、映画館の経営者の前で、これからはマルチメディアの時代、家庭でボタンひとつで、好きなときに好きな映画を見ることができる、映画に未来はあっても、映画館に未来はないと、逆説的に発破をかけたことがある。情報化時代の旗手ビル・ゲイツはその著書「未来を見る」の中で、このような近未来を予想しつつ、映画館は絶対になくならないと断言している。  
 石倉三郎さんには、一度だけお会いしたことがある。そのとき、彼は、「ふるさとにもう一度映画館をつくりたいですね」と言った。ふるさとのあの映画は、今も私たちの心のなかにある。減少の一途をたどってきた映画館の数が、昨年、少しだけ増えた。


小豆島町長になってからも石倉さんの
舞台を拝見させていいただいています

(注釈)  
 指導課長というポストは、広く社会を知るいい機会となりました。この課長をすることで、はじめて、なんとか東京でやっていける自信を得ることができたように思いました。  
 指導課は、どこにもある飲食店、お寿司屋、蕎麦屋、理容店、美容店、バー、キャバレー、公衆浴場、クリー二ング屋さんなどの衛生面を指導する課でした。衛生を確保するには、経営がしっかりすることは必要という観点から、金融支援などさまざまな施策を立案し、実行することが私の仕事でした。いろいろな分野の苦労をされた人生の先輩の方々から、実にたくさんのことを教えていただき、学ぶ機会になりました。  
 指導課の仕事のひとつに「映画館」がありました。映画館の主管省庁が厚生省であることに驚かれる方が多いと思います。この時、さまざまな映画関係者にお会いできるという幸運を得ました。小豆島は、「二十四の瞳」をはじめ映画とのかかわりが多く、映画のこと、映画界のことを知る貴重な経験をさせてもらいました。  
 このエッセイは、映画館の関係者が読まれる業界向けの新聞に書いたものです。そのころ初めてお会いした石倉三郎さんとこどものころ、ふるさとにあった映画館の思い出を書きました。


たくさんの人が集まり賑わいを見せていた
ふるさとの映画館「八幡座」

 このエッセイが公表された後、ふるさとの映画館、すなわち「八幡座」の経営者だった方から心あたたまるお手紙をいただき、胸を打たれました。  
 石倉さんのご両親が映画館で働いておられたこと、お母さんに映画館によく連れられたきていた当時小学生だった石倉さんが、「ターザン」や「ゴジラ」の映画を見て、いつか俳優になるのだと決意されていたことなどがしたためられていました。  
 その方は、テレビが普及する時代の流れのなかで、「八幡座」を閉めざるを得ず、小豆島を離れることになったのですが、今は、広島で劇場支配人をされているとのことでした。  
 二年前に、石倉さんとの再会を果たし、その方の劇場の舞台を踏むことを石倉さんが約束してくれていることが書かれていました。数年前に、同窓会で40年ぶりに小豆島に帰られ、お宮のある小高い森のふもとにあって、ふるさと小豆島の人びとに夢をあたえてくれた「ふるさとの映画館」、つまり「八幡座」のあった場所に立って、涙を流したと書かれてありました。  
 小豆島は、「二十四の瞳」をはじめ、壺井栄原作の数々の映画、最近では「八日目の蝉」など、映画によって、小豆島のことを、全国と世界に知ってもらうことができています。映画のことも、今は、二十四の瞳映画村の小さな「松竹座」だけしかない映画館のことも、小豆島はいつまでも大切にしたいと思います。 (平成29年1月12日)

小豆島が舞台となった映画や二十四の瞳映画村にある
小さな映画館「松竹座」をいつまでも大切にしたいと思います

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第1841回 町役場スタッフへの新年メッセージ<下>


 「産業活性化」は今年の大きなテーマです。人々が暮らしていける産業がなければ、小豆島の未来は持続できません。まもなく、小豆島町商工業振興審議会での議論が中間的にまとめられますが、その視点について話します。  
 1つ目は、地場産業の活性化、新しい産業の創出、観光の振興、どれをとっても、農業や漁業などの一次産業を大切にしたいことです。一次産業が元気であることは、地方、地域が元気にあるための、基本であり、本質であると思うからです。  
 一次産業を大切にするためには、国の政策のあり方も大きく影響しますが、地方自治体の取組みのあり方も、それ以上に重要です。  
 一次産業の担い手、後継者を得ることが難しくなっています。若者、移住者、高齢者など、ケースバイケースで、一次産業に就業していただく方策が求められています。「環境」のあり方も重要です。海は、例えば、今は、富栄養化ではなく、貧栄養化で苦しんでいます。環境政策のあり方を改め、「海の再生」を重点にした政策に取り組んでいく必要があります。  
 海の幸、山の幸、畑の幸が活かされていく仕組み、循環をつくっていかなければいけません。六次産業化です。小豆島で採れた宝物の食材を保存し、流通し、小豆島でしかできない美味しい「食」として提供できる仕組み、循環をつくっていかなければいけません。  
 瀬戸内国際芸術祭2016において、「食」がテーマにされたのは、「食」にこそ、瀬戸内海の魅力と可能性が凝縮されており、「食」の復権なくして、島々の復権はないと考えられたからです。瀬戸芸で行われた、小豆島のかんきつ類などを活かしたジェラート屋さんや壺井栄の作品に出てくるの「食」を再現した「本から生まれる一皿」の取組みにヒントがあります。

一次産業が元気であることは
地域が元気であるための本質です

 視点の2つ目は、瀬戸芸などをきっかけにして培われた島内外のアーティスト、クリエイター、建築家、有識者などの皆さんとの「つながり」を大切にしたいことです。そのことは、産業活性化にかかわらず、教育、福祉、子育てなどの分野でも必要なことなのですが、とりわけ産業の分野で、皆さんのアイデアや発想力にヒントを得て、新しい産業を起こしたり、醤油、佃煮、素麺などの地場産業に新しい魅力を加える、さまざまな「新しい企業家」が生まれてほしいと思います。  
 ところで、これらの皆さんに小豆島にどうしたらこれからも関わっていただけるのか、新しく関わっていただけるのかと、考えた時思うのは、私たちが、小豆島の自然、文化、伝統、絆などの宝物をきちんと守り磨いていく姿勢と行動を持続することの大切さです。全国や世界で、可能性を求める皆さんにとって、小豆島が魅力あるフィールドであり続けるよう努力したいと思います。  
 小豆島は、有史以来、いろいろな人が移住をしてきたり、外との交流を通して、文化、産業などを築いてきました。そのことはこれからも変わるものではありません。

島内外のアーティスト、クリエイター、建築家などの
皆さんとの「つながり」を大切にしていきます

 視点の3つ目は、国際化についてです。小豆島にとって、「国際化」は関係ないことと考えていた人も少なくないかもしれません。しかし、瀬戸芸は、国際芸術祭です。なぜ国際なのでしょうか。もともと、人類はアフリカで誕生し、何十万年もかけて世界中に大移動し、それぞれ定住したところで、独自の文化を築きあげました。瀬戸内海は、日本が世界と交流するときの交通の要衝でした。小豆島の先達は「海の民」であり、私たちには、国際交流のDNAがあるはずです。  
 瀬戸芸によって、小豆島は、再び、国際交流を経験しようとしています。国際交流は、どこかが上だとか下だとかではなく、お互いの自然、文化、伝統、産業、絆を尊重しあうことです。小豆島の自然、文化、伝統、産業、絆の良さを守って磨いていくことが、国際交流には必要です。  
 瀬戸芸では、海外からのアーティストと交流だけでなく、海外からのお客様をおもてなしをしてくれた、ボランティア島民の皆さんのウエルカムサポーターとしての活躍に勇気をもらいました。世界の21か国、80人の世界中の考古学者をもてなした世界考古学会議小豆島プレツアーで、私たちは「出来る」という自信を得ることができました。アジアのアーティストのプラットフォームである「福武ハウス」は、新しい国際交流のモデルになるはずです。  
 これから海外から小豆島を訪れるお客さまも増えるはずです。小豆島の素晴らしさを海外からのお客さんに楽しんでもらいたいと思います。小豆島の「食」も海外の皆さんに喜んでもらえると思います。そこに新しい産業の可能性があると思います。

国際交流は、お互いの自然、文化、伝統、
産業、絆を尊重しあうことです

 4つ目の視点は、前述の教育、医療、福祉の分野の充実が、産業づくりそのものでもあることです。教育、医療、福祉の充実は、そのものが新しい雇用を創り出すだけでなく、小豆島の魅力を高め、I、U、Jターンの増加にもつながり、さまざまな人材が、さまざまな活躍を小豆島でされる基盤となるはずです。  
 今年は、私が町長になって8年目となります。2期目最後の年です。8年も町長を務めて、お役にたてたのかどうか、今年1年の取組みを、自分なりに評価し、また町民、島民の皆さんに評価していただきたいと思います。  
 「ぬくもりと希望の島」を目指したいと思います。「ぬくもり」は、「人」と「人」が「つながり」ことで得られるものだと思います。小豆島で、人と人とのどんな「つながり」をつくっていけるでしょうか。どんな「つながり」をつくるべきでしょうか。みなさんとともに、考え、実践していきたいと思います。障がいがあっても、なくても、男性であれ、女性であれ、高齢者であれ、若者であれ、すべての多様な人々が安心して「希望」を持てる島を目指したいと思います。  
 今年は、地道に頑張る年です。皆さんも各分野で、それぞれベストを尽くしてほしいと思います。皆さんのひとつひとつの仕事も、実は、すべてつながっています。それぞれの仕事をどうつないでいくことができるか、どうつなげばいいか、時折考えてみてください。今年は、小豆島にとって、とても良い年になると思います。(平成29年1月11日)

教育、医療、福祉の分野の充実が、
産業づくりにつながっていきます

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第1840回 町役場スタッフへの新年メッセージ<上>


 明けましておめでとうございます。
 皆さんはどんな正月を過ごされたでしょうか。
 私は、三賀日を東京で過ごしました。3日とも、温かく、雲ひとつない快晴でした。基本的に寝正月、テレビも箱根駅伝を少し見ただけです。4人の孫が、おかげですくすく育っているので感謝しています。  
 正月に2冊の本を読みました。どちらも東京大学文学部教授の加藤陽子さんという方が書かれた本です。  
 なぜ、日本が太平洋戦争を決断し、敗戦に到ったかを分析したものです。私は、米国から開戦せざるを得ない最後通牒の提案が米国からあったことで、やむを得ず、為政者たちが開戦を決断したものと思っていました。  
 ところが、加藤さんの本を読むと、どうもそんな簡単なことではなく、日本は、世界から何度か、日本として選択が可能な提案を受けているのに、相手の提案の主張を聞き、それに対する日本の考え方を主張する、きちんとしたやりとりをすることを怠っていたことを知りました。そして、国民に状況を開示し、説明し、議論をすることもなく、放っておけば事態が悪くなるという、それだけの判断で、ただただ楽観的な予想を積み重ねて、開戦を決断したことを知りました。  
 同じ過ちを私たちの国がしないと言えるでしょうか。事は、戦争にかかわることに限りません。人口減少、少子高齢化への対応、社会保障の改革、地方創生すべての事に通じることです。今年は「酉年」です。夜明け一番の鶏の「こけこっこー」の鳴き声は、洋の東西を問わず、夜の闇を払い、朝の到来を告げる、太陽を導く「めでたさ」のシンボルです。「酉年」の今年は、小豆島の未来に向けた一歩を刻む「夜明けの年」になると思います。  

「酉年」の今年は、小豆島の未来に向けた一歩を刻む
「夜明けの年」になると思います

 オリーブ大使をしていただいている増田明美さん、40回を迎える今年のオリーブマラソンではゲストランナーを務めていただきますが、ある新聞のエッセイでこう書かれていました。「酉年、鳥のように、羽ばたいて、俯瞰して、鋭い眼で見つめたい」と。  
 今年、小豆島では、昨年の瀬戸内国際芸術祭や甲子園出場のような華やかな舞台はないかもしれません。地味ですが、島内外の皆さんの知恵と力を合わせて、未来に向けて、着実で、確実な一歩を刻みたいと思います。  
 増田さんが書かれたように、羽ばたいて、俯瞰して、鋭い「鳥の眼」で、5年先、10年先、100年先を見つめ、小豆島の進む目的と目標を見定め、その一歩を刻みたいと思います。  
 そして、その時、「鳥の眼」だけでなく、足元を見つめる「虫の眼」、流れを見つめる「魚の眼」も、大切にしたいと思います。  
 実は、小豆島の未来への基盤づくりは、瀬戸芸などを通したこれまでの取組み、小豆島中央病院のスタート、高校生の若者の活躍など、既に始まっています。今年は、それらを基盤にして、これからの取組みを、総合的、包括的なビジョンや構想にして、着実で、確実な一歩を刻みたいと思います。

今年のオリーブマラソンではオリーブ大使の
増田明美さんにゲストランナーを務めていただきます

 いくつかのことについてお話しします。今年は、小豆島の「教育元年」、「教育創生」の年です。小豆島の未来のあり方を決め、担うのは、これからの世代の人たちです。どんなこどもたちが育ち、育っていくか、小豆島の未来にとって一番大切なことです。  
 4月スタートする小豆島中央高校をどんな高校にできるか、これをきっかけにして、小豆島全体の教育のあり方をどう変えていけるか、どうつくっていけるかに、小豆島の未来はかかっています。  
 小豆島中央高校をより良き高校にすべく、香川県教育委員会をはじめ島の内外の知恵と力をあわせ、ベストを尽くしたいものです。小豆島中央高校を頂点として、小豆島全体の幼・保、小学校、中学校、高校の一貫教育を実現したいと思います。
 どの分野で、どのようにそれを実現するか、いろいろな意見があると思いますが、私は、まずはコミュ二ケーション教育、英語教育などの分野での一貫教育を考えたいと思います。  
 勉強で日本一、スポーツで日本一を目指すこともありますが、人の痛みがわかる人間として育つことが一番大切なことだと思います。  
 高校とともに、幼保・小・中学校のあり方について議論し、見直しを進めていきます。内海地区の小学校について、できるだけ多くの児童・生徒、多くの優れた先生方のもとで、いろいろなことを学び、切磋琢磨できるよう、時間をかけて、内外の関係者の知恵と力も借りて、準備を進めていきます。  

コミュ二ケーション教育、英語教育などの
分野での一貫教育を実現したいと思います

 ハードも大切ですが、教育の内容をどうするかは、もっと大切なことです。あわせて、ハンディキャップや課題を抱えるこどもたち、人々が、小豆島ですくすくと育ち、学び、暮らしていける取組みを本格的に始めたいと思います。  
 幸い、香川県教育委員会が、小豆島での特別支援学校が必要だとし、設置に向けての検討を開始してくれています。これに合わせて、小豆島の側でも、小中学校での特別支援学級の充実、ハンディキャップを抱えるこどもたちが、小豆島で安心して、暮らし、そして働ける場づくりを進めることが必要です。  
 小豆島は、ハンディキャップや課題をかかえるこどもたちや人々への施策が十分ではないと思います。島外に頼っています。壺井栄の小説を読むと、栄がふるさと小豆島を愛しつつ、小豆 島の現状を厳しい眼でも見ています。すべてのこどもたち、人々が、すくすくと育ち、暮らしていける小豆島を目指し、つくっていこうと思います。多様な人々にとって、「ぬくもりと希望の小豆島」であってほしいのです。  
 「健康」も小豆島の未来のためのキーワードのひとつです。小豆島中央病院は、おかげさまで順調なスタートを切っています。今年は、小豆島中央病院の活動を本格軌道に乗せる年です。できるだけたくさんの島民の皆さんに利用してほしいと思います。  
 「健康」であることは、一人一人の人生の可能性を広げるだけでなく、医療費や介護費用の増加を抑制し、削減された財源で小豆島を元気にするさまざまな取組みが可能になります。水準の高い地域医療があることは、子育て、福祉、健康づくりはもちろん、教育や産業づくりなど、小豆島が元気になるすべてのことにつながるものです。  
 小豆島中央病院を軸にして、小豆島の地域医療を守り、健康づくりを進める取組み、すなわち「地域包括ケア・システム」の実現に向けて、土庄町、小豆島町の垣根を超えて、島がひとつになって、今年も進めていこうではありませんか。 (続く)(平成29年1月10日)

特別支援学級の充実や働ける場づくりなど
安心して暮らせる小豆島を目指します

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第1839回 新年を迎えて<下>


 その他にも小豆島を元気にするいろいろな取組みが待っています。
 ひとつは、地場産業の活性化です。醤油、佃煮、素麺などは、日本食に欠かせない食材であり、工夫次第で、これからも消費者のニーズが期待できます。島の内外の英知を結集し、地場産業の活性化に取り組みたいと思います。商工業振興審議会の場で、活発な意見交換をしています。早急に具体策をまとめ、取り組んでいきます。
 観光は、厳しい環境のなか、瀬戸芸などで小豆島の魅力が発信されたことで健闘しています。外国人観光客が増加しています。外国人のおもてなしに、英語が好きであったり、関心のある島の皆さんが、「ウエルカム・サポーター」のボランティア役をしてくれました。
 世界中で、特にアジア各国の皆さんの小豆島への関心の高さは、私たちが想像する以上です。案内表示、民泊などの宿泊先など、私たち小豆島の受け入れ体制を整えたいと思います。
 「国際化」は避けて通れないテーマです。国際化とは、どこかの特定の文化や考え方を広めていくことではありません。それぞれの国と地域の独自の文化、伝統、暮らし、食などを、ともに貴重なものとして認め合うことです。
 小豆島は、長い歴史を持つ島です。美しい風土の上に、瀬戸内海という海の要衝に位置し、かつ進取の気概を持つ先達たちが多かったことから、素晴らしい文化、伝統、産業などが凝縮した島です。国際的な観光地としての条件を有しています。その可能性を磨きたいと思います。
 21世紀は「人権の世紀」です。私たちの社会には、同和問題を始め、男女共同参画の実現、障がい福祉など、さまざまな課題があります。小豆島は、やさしく、あたたかな人がいっぱいの島だと思います。
 しかし、私たちの島は、もっと人権感覚を磨きたいと思います。例えば、障がいを持つこどもたちが、これからも生まれ育った小豆島で安心して暮らしていける島を目指したいものです。
 香川県教育委員会が、特別支援学校を小豆島につくることを検討してくれています。支援の必要なこどもたちの小学校などでの応援も充実するとともに、こどもたちが、小豆島の地域社会で、働いたり、暮らしていける応援も充実していきたいものです。
 時代は、100年単位、数百年単位で変わろうとしています。この100年ほどは、地方、田舎より都会、都市がよい、家族、地域社会、組織より個人が大切、人と人のつながりより、経済成長が大事、国の政策や施策が大事とする時代が続きました。
 時代が変わろうとしています。小豆島が守ってきたような、地域の自然、文化、伝統、産業、絆を大切にする時代がやってきています。時代の大きな流れに沿った取組みを地道に、ひとつ、ひとつしていこうと思います。2017年がいい年になってほしいと思います。

小豆島を元気にする取組みの
ひとつである地場産業の活性化

外国人のおもてなしなどを行う
「ウエルカム・サポーター」が誕生しました

小豆島は瀬戸内海という海の要衝に位置し
素晴らしい文化、伝統などが凝縮した島です

特別支援学校設立に向けて
有志たちによる署名活動も行われました

21世紀は「人権の世紀」であり、小豆島では
もっと人権感覚を磨いていきたいと思います

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第1838回 新年を迎えて<中>


 若い皆さんの活躍も目立っています。昨年、小豆島高校野球部が、春の選抜高校野球大会で甲子園に出場しました。9人のレギュラー選手のうち、5人が小豆島町出身、4人が土庄町出身、まさに小豆島代表チームでした。
 小高陸上部の男女アベックでの全国高校駅伝大会出場の快挙も小豆島をあげての小豆島駅伝大会という裾野があったからできたことです。
 今年4月、小豆島中央高校がスタートします。小豆島中央高校の誕生は、小豆島の教育をよりよいものにするはずです。小豆島中央高校を頂点にして、小豆島らしく、小豆島でしかできない、幼保・小・中・高を通した一貫教育をつくりあげていきたいものです。
 野球でも、陸上でも、音楽でも、演劇でも、コミュニケーション教育でも、英語でも、どの分野でもいいし、すべての分野でもいいと思います。小豆島をあげて、島外の皆さんの力も借りて、教育・子育ち日本一の小豆島を目指したいものです。
 オリーブバスの運賃、路線の見直しは、小豆島を元気にするはずです。なぜなら、公共交通は、人間の体で言えば、血液の循環にあたるものだからです。公共バスを利用して、高齢者の皆さんをはじめ、島民の皆さん、島の外から訪れる皆さんに、小豆島の暮らし、交流、魅力を楽しんでほしいと思います。
 昨年の瀬戸内国際芸術祭では、大勢の皆さんに小豆島を訪れていただきました。作品も島全体に散りばめられました。たくさんの皆さんがおもてなしに参加してくれました。
 瀬戸芸は、アートをきっかけにして、私たちが自信を取り戻し、元気な小豆島をつくっていくことを目的とするものです。
 瀬戸芸に参加されたアーティストやクリエイター、デザイナー、建築家などの皆さんは、それぞれ斬新な視点や創造性、アイデアなどをお持ちです。皆さんと一緒に、小豆島の魅力を再発見し、具体的なかたちにしたいと思います。
 例えば、劇団「ままごと」の皆さんは、高齢者の地域サロン活動に参加したり、特別支援学級の皆さんと演劇の実践の勉強を通して、こどもたちの可能性を引き出してくれました。
 クリエイター集団のgrafの皆さんは、小豆島にある食材、石、オリーブ廃材など、どこにでもある素材から新しい魅力的な商品づくりが可能であることを具体的な「かたち」にして示してくれました。移住者のシェフは、皆さんと協働して、小豆島のどこにでもある柑橘類などからつくったジェラートのお店も生まれました。(平成29年1月5日)

小豆島高校陸上部が男女アベックでの
全国大会出場の快挙を成し遂げました

小豆島中央高校を頂点にして、幼保・小・
中・高を通した一貫教育を行っていきます

昨年公共交通であるオリーブバスの運賃、
路線の見直しが行われました

劇団「ままごと」の皆さんによる
特別支援学級の皆さんとの演劇ワークショップ

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第1837回 新年を迎えて<上>


 明けましておめでとうございます。
 酉年の2017年が、「にわとり」のように朝一番に鳴き、縁起のよい年であってほしいと思います。
 
 昨年は、池田町と内海町が合併し、小豆島町が誕生して10年を経過した年でした。小豆島町が誕生して本当によかったと思います。お互いの町の足らざるところを補い合い、よいところを活かし合って、小豆島町という名前の自治体から小豆島の魅力と可能性を日本と世界に発信できるようになりました。
 昨年8月、日本で初めて京都で開催された世界考古学会議のプレツアーを小豆島町で開催したところ、21か国、約80人の海外の考古学者が小豆島を訪れました。
 寒霞渓山頂から島の全体を見ていただき、中山の棚田、農村歌舞伎、素麺づくり、三都半島の地引網と皇子神社の社叢と海岸、醤の郷の醤油蔵とまちなみ、岩谷の天狗岩丁場などを案内しました。各所でおもてなしをしていただき、福武ハウスでは食事会、福田の民家に分宿をしてもらいました。
 ある国の考古学者から、「小豆島は素晴らしい。考古学者としてアドバイスすることは何もない。島全体が博物館のようだ。」とのコメントをいただきました。
 瀬戸内国際芸術祭では、日本と世界のアーティストの皆さんが、私たちが忘れたり、気づかないでいた小豆島の魅力と可能性に気づかせてくれました。アートの魅力と小豆島の魅力が合わさることで、小豆島の可能性が二倍にも、三倍にもなりました。
 島の人口が3万人を割った今、二つの病院をひとつにし、医師などの医療スタッフを集中することが不可欠でした。医療は、小豆島に住む人の安心とこれからの発展になくてはならないものです。島が一つになって小豆島中央病院が実現しました。
 心配された医師も、まだ完璧ではありませんが、確保されました。嬉しいことに、小豆島出身の医師が3人、島に戻ってくれました。
 病院は、まだいろいろな課題をかかえています。幸い、島民の皆さんが、「小豆島の地域医療を守り、育てる運動」をしてくれています。島民みんなで、新しい病院を利用し、盛り立てて、小豆島の地域医療を守り、育てていこうではありませんか。
 新しい病院の誕生によって、健康づくり、介護予防などの「地域包括ケア」を、土庄町と小豆島町が一体となって取り組むことが可能になりました。
 保健師、介護福祉士、ケアマネージャー、薬剤師、警察官、自治会など、小豆島の多職種の皆さんが一堂に会して、高齢者の介護、ケア、見守りなどについての議論や対応が始まっています。
 小豆島中央病院を核にして、住み慣れた地域で安心して暮らせる、医療と福祉をつなぐモデルをつくりあげたいものです。(続く)(平成29年1月4日)

東海岸からの日の出

昨年は、池田町と内海町が合併し、
小豆島町が誕生して10周年を迎えた年でした

世界考古学会議のプレツアーに、21か国、
約80人の考古学者が小豆島を訪れました

瀬戸内国際芸術祭で、アーティストの皆さんが
小豆島の魅力と可能性に気づかせてくれました

小豆島中央病院を核にして、住み慣れた
地域で安心して暮らせる、医療と福祉をつなぐ
モデルをつくりあげていきたいと思います

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