小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1688回 同級生が勲章を受けました


 苗羽小学校で隣のクラスだった岸本辰美さんが、春の叙勲で社会福祉功労で瑞宝双光章を受章しました。
 うかつなことに、こんないいニュースを見過ごしていて、先日高松行きのフェリーで一緒になって、「今日は何のようで」と聞いたら、「今日は叙勲の伝達です」と言われ、はじめて知った次第です。
 私は、公務員を長くしていたので、叙勲の意味や大切さを良く理解しているつもりなので、岸本さんの勲章受章は本当に凄いことです。岸本さんが、介護の道に入ったのは、32歳のときです。育児の真っ最中で、先輩の指導を受けて必死に介護を覚えました。介護福祉士の資格も通信教育でとりました。介護一筋の30年でした。
 介護は重要な仕事です。岸本さんの歩みは、ちょうど厚生労働省が高齢者福祉に強力に取り組んだ時期に重なります。介護保険法、介護福祉士の制度化などがそれです。制度作りも大切ですが、実際に介護にあたる現場の皆さんが気持ちよく活躍できることがもっと大切です。その意味では、高齢者福祉は、再び制度の見直しが必要になろうとしているようにも思います。
 岸本さんは、ご本人の功績が評価されたのはもちろんですが、介護の現場の代表者として、勲章を受章されました。凄いことであり、名誉なことです。
 私は、厚生労働省で仕事をしていたとき、いろいろな皆さんの「叙勲」のお手伝いをしたことがあります。勲章というと、偉い政治家や高名な経済人、学者などが思い浮かびますが、実は、身近な仕事の分野の皆さんも、きちんと勲章を受けています。私は、理容師や美容師、お寿司屋さん、お蕎麦屋さん、公衆浴場の経営者など、まちなかでがんばっている皆さんが、できるだけ上位の勲章を受けられるよう、有力な政治家の力を借りたり、担当官庁の皆さんにお願いをしたり、奔走した経験があります。
 こんな思い出もあります。社交業の経営者の方が、偏見なく勲章を受けられるよう、いろいろ働きかけた結果、その方が勲章を受章できたとき、自分のことのように嬉しくなりました。
 ところで、行政の分野も勲章の対象になるのですが、私が勤めた厚生省の先輩たちは、もう10年以上にわたって誰も受賞していません。年金問題をはじめ、国民の皆さんに安心でき、信頼でき、持続する社会保障制度をつくれない限り、受賞すべきではないと考えているのだと思います。
 厚生分野の現場で活躍した皆さんには、岸本さんのように、大勢の皆さんに勲章を受章してほしいと思います。ご本人やご家族の名誉であるだけでなく、「叙勲」が、それぞれの分野に関わるすべての皆さんにとっての名誉となり、それぞれの分野の発展につながっていくものだからです。
 岸本さんおめでとうございます。小豆島で高齢者福祉の現場で活躍しているすべての皆さんにもおめでとうございます。(平成28年5月23日)

社会福祉功労で瑞宝双光章を受章された
同級生の岸本辰美さん
(4月29日付四国新聞
クリックすると拡大できます)

岸本さんが30年介護職員として
勤務された老人ホーム

実際に介護にあたる現場の皆さんが
活躍できるためにも、高齢者福祉制度の
見直しが必要になろうとしているように思います

岸本さんをはじめ、小豆島で高齢者福祉で
活躍している皆さんにもおめでとうございます

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第1687回 三重苦を克服した琴勇輝


 大相撲5月場所が終わりました。今場所琴勇輝の成績は7勝8敗で負け越しですが、見事な成績だと思います。なぜなら今場所の琴勇輝は、東関脇という初めての地位とともに、三重苦と戦っていたからです。
 第一は、場所前ぜんそくになり、10日間ほど稽古ができず、体調が不十分でした。二番目は、立ち合い前の「ほおっ」の掛け声を止めたことです。三番目は、立ち合いの手をグウにしてつくことを徹底したことです。
 健康管理、体調維持は、先場所の好成績の祝賀会などの疲れもあったと思いますが、ケガの防止も含めて、これから一番大切なことです。本人はもちろんですが、私たちも、琴勇輝の健康管理、体調維持を一番に考えて応援していきたいと思います。
 立ち合いの「ほおっ」は、これから大関、横綱を目指す琴勇輝にとっては、止めるいいタイミングでした。今場所の最初の三番くらいは、リズムがとれず苦しい相撲でしたが、ようやく、まわしをぽんとたたく新しい動作を取り入れることで、その後の相撲はリズムに乗るようになりました。流石の天性です。
 「ほおっ」は、テレビ放送で聞こえませんでしたが、国技館のなかでは、琴勇輝の代わりにお客さんが、「ほおっ」と掛け声を千秋楽の日までもかけていたそうです。
 立ち合いにきちんと手をつくことは、相撲界全体の課題です。立ち合いは、押し相撲の琴勇輝にとって、立ち合いでほとんど勝ち負けが決まるくらい重要なものです。立ち合いを変えた今場所は、大変だったはずです。他の力士もまだきちんと徹底しているとは言いがたい状況ですが、今場所の琴勇輝の立ち合いはよかったと思います。
 このようななかでの7勝8敗です。もうちょっとで勝てたという一番も何番かありました。一横綱、二大関も倒しました。横綱白鵬戦では、横綱が張り手をつかい、肩からぶちかまし、さらには横に飛ぶという、横綱らしくない相撲でした。琴勇輝は、この一番について「横綱が突然消えた」とうまい表現をしました。白鵬にとって、琴勇輝がそのような相撲をとらないと勝てない力士になっているということです。場所後の抱負でも「2人の横綱に勝った。来場所は、もうひとりの横綱に勝ちたい」と力強く語りました。
 日馬富士戦も印象に残っています。先場所、琴勇輝は日馬富士を押し出して勝ち、初の金星に土俵上で涙しました。今場所、日馬富士は先場所負けた悔しさからか、横綱の底力を闘志満々に出しました。ものすごい速さで琴勇輝の前まわしをつかむや、一機に土俵外に琴勇輝を突き出してしまいました。余りの勢いで突き放され、琴勇輝は、大ケガをした左ヒザを痛打しました。大事には至らなかったようですが、相撲は、いつもケガとの戦いでもあり、ケガなきよう心から祈るばかりです。
 はじめての東関脇という地位で、三重苦との戦いがなければ、10勝以上も勝てたかもしれませんが、7勝8敗という成績は見事です。今場所、三役、幕内上位で勝ち越した力士は、小結の一力士しかおらず、来場所の番付は、小結は間違いないとして、運がよければ西関脇にとどまるかもしれません。
 来月26日に開かれる「わんぱく相撲小豆島場所」には小豆島に戻ってきます。小豆島の子どもたちに夢と勇気をまた与えてくれるはずです。琴勇輝には、ケガと健康管理に注意をして、大関、横綱になるという目標を叶えてほしいと思います。私たちも小豆島をあげての応援を続けていきます。(平成28年5月23日)

大相撲5月場所が終わり
琴勇輝の成績は7勝8敗でした

今場所から立ち合い前の
「ほおっ」の掛け声を止めました

千秋楽祝賀会のようす

「来場所は、もうひとりの横綱に勝ちたい」と
来場所の抱負を力強く語りました

昨年のわんぱく相撲で
子ども力士と取組みを行う琴優輝

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第1686回 広島市長訪問


 松井一實広島市長を広島市役所に訪ねました。瀬戸内国際芸術祭2016で、小豆島の三都半島において、広島市立大学芸術学部の皆さんに、素晴らしいアート作品を大学をあげて出展していただいていることのお礼と、是非とも夏会期にでも小豆島を訪ねてほしいことをお願いするためです。
 松井広島市長は厚生労働省の同僚であり、大学の同窓です。しかし、お互いを知るようになったのは、厚生省と労働省が一緒になって厚生労働省が誕生してからです。
 松井市長は旧労働省、私は旧厚生省でしたが、厚生労働省ができるまでは、お互いの接点はありませんでした。知り合うようになったのは、松井市長が厚生労働省の官房総務課長、私が出向先の環境省の官房総務課長になってからのことです。
 二人はよく気が合いました。大学時代も知りませんでしたが、共通の友人がいたので、すぐに親しくなりました。労働省も、厚生省も共に、今は国政の重要な省庁ですが、もともとは地味な役所です。

瀬戸内国際芸術祭2016のお礼のため
松井一實広島市長を訪ねました

 うまく表現できませんが、財務省や経済産業省などと同じように、国の在り方にかかわるので、高い目標、志が求められる一方で、目線の低さも求められる省庁です。松井市長は、いろいろな点で共感しあえる官僚のひとりでした。
 厚生労働省を卒業した後、何を目指すのだろうかと思っていたら、すぱっと退官して、広島市長に立候補され、見事に当選されました。政治家や首長になる希望があるとは聞いていなかったので、驚いたのですが、松井市長の人柄や経験、見識は、「平和」都市・広島市のトップに相応しいと思います。
 短い時間でしたが、会話は弾みました。広島市でも島しょ部の活性化の課題があるそうです。環瀬戸内海の都市の広島市、松山市、岡山市、高松市が連携して瀬戸内海をつなぐプロジェクトを検討中と聞きました。
 それなら瀬戸芸の視察をかねて、是非小豆島に来ていただくだけでなく、環瀬戸内海都市間連携の取組みについて、小豆島もお手伝いできることはお手伝いしたいと話しておきました。

三都半島には、広島市立大学芸術学部の
関係者の作品が様々な場所に展示されています

 被爆都市の広島市は、「平和」を考え、実現する上で、大きな役割を担っています。小豆島も、「オリーブの島」であり、壺井栄の「二十四の瞳」の舞台の島として、「平和」を考え、実現していく役割を担っている島です。瀬戸芸の広島市立大学の皆さんとのつながりをきっかけにして、「平和」についても、広島市とのつながりを大切にしたいと思います。
 ところで、二人とも、東京で、政治とのかかわりのある仕事をしてきました。社会保障や労働政策について、厚生労働省の後輩の頑張りと苦労を思いやりながらも、もう少し、政治中枢につなげていくことができないものかと話しました。労働政策は安倍総理の尊敬する岸内閣のときに大いに進んだそうです。安倍内閣の時代にも、是非、社会保障や労働政策のあたらしい、いいかたちづくりが進んでほしいと思います。
 今度は、小豆島で松井市長とお会いできることが楽しみです。(平成28年5月20日)


小豆島は「オリーブの島」であり、
「平和」を考え、実現していく役割を担っている島です

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第1685回 蔦監督の一度切りの見事な人生


 池田高校野球部の甲子園での活躍をご存じの方が多いと思います。「さわやかイレブン」「やまびこ打線」と呼ばれ、誰もがこれまでにないその野球に感動しました。私もそのひとりです。
 池田高校は、徳島県の山あいの小さな町の県立高校です。その野球部を率いた名監督が蔦文也さんです。誰もが、池田高校野球部の栄光は、蔦監督あってのことだと思っています。
 蔦監督を描いた映画の上演会が、小豆島のサンオリーブで開かれると聞いて、大阪の出張を短縮して、楽しみにして会場にでかけました。私は、根っから野球好きです。蔦監督の野球も大好きです。現役時代の感動的なシーンをもう一度見ることができることを楽しみにしてでかけました。
 期待どおりに池田高校野球部の甲子園の活躍ぶりを見ることができました。しかし、驚いたのは、私が知っている蔦監督は、蔦監督の人生のほんの一部の栄光のシーンであって、蔦監督の人生そのものは、苦労と挫折の連続であったことです。そして、もうひとつ、この映画の本当の「主役」は、蔦監督を支え通した奥様のキミ子さんであることでした。
  蔦監督は、野球三昧の自由奔放の人でした。毎晩大酒を飲んでは、夜遅くになっても帰宅せず、キミ子さんが探し回ることも度々ありました。毎年、何十人もの野球部の選手の食事の世話から親代わりの日々が何十年と続きました。
 キミ子さんは、男勝りの性格でした。思ったことは、何でもずけずけと言いました。どんな苦難にもへこたれない肝っ玉母さんでした。キミ子さんがあっての蔦監督でした。晩年、認知症気味になってこの映画のためのインタビューに答えました。
 「文也先生はいい人でね。すぐに人に騙される。今度生まれるときは男に生まれたい」。でも、キミ子さんは、蔦監督が大好きで、高校野球も大好き、「我が人生に悔いなし」のいい表情をされていました。
 蔦監督は、大学に入るまでは順調な野球人生を歩んでいました。しかし、同志社大学生のとき学徒動員されました海軍の特攻隊員でした。乗るべき飛行機が故障し、かろうじて命永らえて帰省し、池田高校の教員となり、野球部監督になりました。
 茶道の千玄室氏は、大学と特攻隊を通じて友人でした。命永らえたことについて、千氏は、目に涙を浮かべながら、「世の中が二人が必要だとして命を永らえさせてもらった。私は茶道に、蔦君は高校野球に命をかけた」と話しました。
 池田高校野球部の監督になってからは、決して順風満帆ではありませんでした。はじめて、甲子園に出たのは、監督就任から20年たっていました。甲子園では、大活躍しますが、今一歩で優勝を逃し続けました。
 金属バットの登場は、高校野球を変えました。そして、金属バットの登場は、黙々と攻撃野球を貫いていた蔦監督の野球に花を咲かせました。ようやく時代が蔦監督を応援したのです。そこに畠山、水野という天才的な選手が加わり、池田高校は、夏、春と圧倒的な力で全国優勝を飾ります。その池田高校もPL学園の桑田・清原という強力なチームに負け、3大会連続全国優勝は叶いませんでした。
 蔦監督の野球人生を振り返ってみると、私の印象に残っているように、ずっと快進撃を続けていたわけではないことがわかります。山あり、谷あり、苦労と挫折の連続です。勝ち続けるということは、ありえないことなのだと知りました。
 凄いことは、蔦監督が半世紀に及ぶ長い野球人生を、ひとつの信念のもとに、どんな逆境にあってもくじけることなく、信念を貫き続けたということです。そのなかで、蔦野球は、何度か花を咲かせたのです。  
 この映画を作ったのは、蔦監督のお孫さんの蔦哲一朗さんです。スポーツは、野球ではなく、サッカーをしていたそうです。進路として選んだのは、映画監督でした。映画監督として、いつの日か、おじいさんである蔦監督のことを知りたい、撮ってみたいと思うようになりました。蔦監督が亡くなって10年がたっていたころのことです。それから、蔦監督を知る様々な人に会い、カメラを回しました。そのうちに、おばあさんである蔦監督の奥様であるキミ子さんの存在の大きさに気づきました。気がついたら映画の「主役」は、キミ子さんになっていました。
 ところで、この映画の中に高校野球の公式フイルムも使われているので、入場料をとれないということで、無料のボランタリーで、各地を回って上演会を開催しています。小豆島での上演会は、小豆島の子どもたちに野球を指導している中川剛臣さんらが実現してくれました。
 「山あいの町の子どもたちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんや」。そのための蔦監督の一度切りの見事な人生でした。(平成28年5月19日)

サンオリーブで映画「蔦監督」の
上映会が行われました

多くの島の野球ファンなどが
会場に集まりました

蔦文也監督のユニフォームを着て登場した
映画監督で孫の蔦哲一朗さん

阿波池田商工会議所のまちおこしキャラクター
「つたはーん」も特別ゲストで出演し、
会場を盛り上げました

幸運を呼ぶといわれる
「つたはーん」のけつバットを受けました

映画を通して、蔦監督の一度切りの
見事な人生を知ることができました

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第1684回 「小豆島のアートと社会政策の協働」再考


 劇作家の平田オリザさんが書かれた新著「下り坂をそろそろと下る」(講談社現代新書)において小豆島のアート・文化を通した取組みについて過分な評価をいただきました。
 その本のなかで、私が、3年前にある本に書いた拙稿「小豆島のアートと社会政策の協働」から次のような引用をしてくれています。
 塩田町長は、芸術祭への関わりの結論として以下のようにまとめている。
 第一に、アーティスト、クリエイターのみなさんが、地域の人たちが忘れかけていた、あるいは 気がつかないでいた小豆島の魅力を掘り起こし、見つけ、形にしてくれた。これによって人々は、再び自信と誇りを取り戻そうとしている。
 第二に、小豆島を訪れる人たちと地元の人たちの交流、人と人の交流、地域と地域の交流がはじまろうとしている。
 第三に、小豆島は、アーティスト、クリエイターだけでなく、本当の価値を求めようとしている人たちにとって、可能性のある場所になろうとしている。
 第四に、人口減少と少子高齢化を克服する新たな取組みがアートをきっかけにして小豆島でははじまろうとしている。(椿昇、原田裕馬、多田智美編著「小豆島にみる日本の未来のつくりかた」(誠文堂新光社))
 この文章は、3年前の瀬戸内国際芸術祭2013が終わった直後に書いたものです。芸術祭の余韻のまださめやらぬときに書いたものです。その思いは、今も変わりませんが、あれから3年、その思いがどうなっているかが大事です。
 「人々は再び自信と誇りを取り戻そうとしている」と書きましたが、その流れはその後も少しずつですが、着実にそうなっていると思います。少し飛躍だと言われそうですが、小豆島高校野球部の選手たちの活躍や小豆島の人々の見事な応援は、瀬戸内国際芸術祭で自信と誇りを取り戻したことが、隠し味のベースになっていると思います。
 人と人の交流、地域と地域の交流も少しずつですが、広がっています。芸術祭以降、小豆島町への移住者は毎年100人を超えています。27年度は148人でした。半数は若い世代の皆さんです。芸術祭参加のアーティスト、クリエイターの皆さんとの交流は、芸術祭後も続いています。
 小豆島で新しい起業を始める人も出ています。小豆島の柑橘類などを活かして、しゃれたジェラートのお店をはじめた移住者の方がいます。小豆島の新しい「食」の可能性を、何人もの方が切り開いてくれています。小豆島高校野球部を甲子園に連れっていってくれたのも、高校野球の新しい在り方を模索する島外出身の青年監督の先生でした。これからいろいろな分野で何人もの皆さんが小豆島から可能性を切り拓いてくれると思います。
 人口減少と少子高齢化を克服する取組みは、まだ始まったばかりです。新しい病院がスタートしました。新しい病院は、医療だけでなく、健康づくり、介護予防などで、これから小豆島の医療と福祉の核になっていくはずです。土庄町と小豆島町の枠を超えた健康づくりなどに取り組みたいと考えています。旧坂手小学校の跡地にある旧幼稚園を活用した公民館「遊児老館」と、同じ敷地に建設される高齢者のための小規模多機能施設を合わせて、子どもから、子育てをする人、高齢者、障がいを持つ人まで、すべての皆さんが集い、活動できる地域の拠点にするなど、いろいろな取組みをしていこうと考えています。
 3年前に書いた拙稿「アートと社会政策の協働」に、はっとすることが書かれていて驚きます。そのころ、いろいろ考えに考えぬいていたのだと思います。その後の成長がなく、その頃の方が感性が研ぎ澄まされていたようです。「初心忘るるべからず」です。また機会を改めて、他の論点について再考します。(続く)(平成28年5月18日)

劇作家の平田オリザさん


「下り坂をそろそろと下る」
(講談社現代新書)


椿昇、原田裕馬、多田智美編著
「小豆島にみる日本の未来のつくりかた」
(誠文堂新光社)

芸術祭後もアーティスト、クリエイターの
皆さんとの交流は続いています


坂手にある「遊児老館」と同じ敷地に
建設される小規模多機能施設を合わせ、
様々な方が活動できる拠点づくりを行います

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第1683回 ミノリジェラート


 小豆島の草壁港近くのコメ倉庫跡に、ジェラートのお店ができました。連日お客さんの列ができています。
 レモン、八朔、スウィートスプリングなどの柑橘類、オリーブ、生姜、いちご、キウイなどの食材のすべては小豆島産です。酒粕まであります。この酒粕は、小豆島唯一の酒蔵森國酒造のものです。
 ミノリジェラートは、瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品です。何がアートと考えられたのでしょうか。ミノリジェラートのすべてが「アート」だと私は考えています。
 そもそも瀬戸内国際芸術祭の目的は、「海の復権」です。瀬戸内海という「海の復権」とは、そこにある島々の復権であり、そこに住む人々の暮らし、文化、伝統、産業などの復権です。
 それらの復権とは、そこに住む人々が、そこにある資源を活かして、産業を起こし、暮らしを営み、文化を築き、磨いて、世代をつないでいけるようにすることです。
 小豆島の歴史を振り返ると、先人たちは見事に、それを実現してきました。農業、漁業などの一次産業だけでなく、海の交通の要衝にあることを活かして、醤油、佃煮、素麺づくりなどで富をつくり、歌舞伎、盆踊り、秋祭りなどの文化を楽しんできました。
 今、小豆島は、急速な人口減少に苦しみ、このままでは先達たちが築いてきた素晴らしいものを次の世代に引き継いでいくことが困難になろうとしています。それは、小豆島だけでなく、瀬戸内海のほかの島々、全国各地の地方と呼ばれるところに共通することです。
 どうしてそうなったのか、このままこれが続いたらどうなるのか、どうしたら改善できるのでしょうか。
 どうしてそうなったかと言えば、例えば、都市の暮らしや文化、産業の方が地方のそれらよりいいものだと人々が考えるようになったからです。このままこれが続いたら、この国の素晴らしいものが消えてしまうでしょう。地方の多様性がなくなり、地方が衰退すれば、やがて都市も衰退するに違いありません。両者はつながっているからです。
 どうしたら改善できるのでしょうか。そのヒントがミノリジェラートの取組みにあります。
 一つ目は、地元でとれる食材を活かしていることです。ジェラートの売上げが伸びれば伸びるほど、柑橘類などの栽培を拡大しなければいけません。担い手は、高齢者、若者、障がいのある人などさまざまでしょう。荒れた山や畑がよみがえるはずです。
 二つ目は、ジェラートのお店を始めたのは、移住者の渋谷さん。お店のきりもりも、東京のホテルなどで活躍し、わざわざこの店のために移住してきた市川ご夫妻です。小豆島の新戦力の皆さんがフロンティアを切り開いてくれています。
 三つ目は、アート・デザインと一次産業、「食」がコラボをして、新しい可能性を創りだしたことです。クリエイター集団grafがお店の空間設計をしました。瀬戸内国際芸術祭がこのコラボを可能にしました。
 四つ目は、このお店には、健康志向、エコ重視、ICTの活用など、時代を先取りするコンセプトがあることです。
 どのコンセプトも小豆島をはじめ地方と呼ばれる地域が、課題を克服する上で必要なことがらばかりです。小豆島町未来プロジェクトのディレクタ―の椿昇京都造形芸術大学教授がヒントをくださいました。
 ミノリジェラートの取組みはまだ始まったばかりです。これから、第二、第三の新しい取組みが、いろいろなところで、いろいろな人によって始まってほしいと思います。どうしたらそれが可能になるか、行政の役割について、私も考えてみようと思っています。
 まずは皆さん。ミノリジェラートを訪ねて、美味しいジェラートを味わってみてください。(平成28年5月17日)

草壁港近くのコメ倉庫跡にできた
ミノリジェラート

柑橘類、オリーブ、生姜、いちご、キウイなど
すべて小豆島産のものが使われています

「ミノリジェラート」は
瀬戸内国際芸術祭2016の参加作品です

町内でレストランも営む渋谷さん

ミノリジェラート出店の為に
移住してこられた市川ご夫妻

ミノリジェラートの取組みは始まったばかりで、
今後の広がりがどうしたら可能になるか
行政の役割について考えてみようと思います

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第1682回 オリーブロータリークラブで「これからの小豆島」について話しました


 毎年この時期に話す機会をいただきありがとうございます。小豆島に戻り6年がたちました。戻ってよかったです。
 町長としての任期はあと2年です。お許しいただけるのであればもう1期務めを果たしたいと思っています。幸い、いくつかの分野で政策の道筋がつきつつあります。この2年間で、残された課題についても道筋をつけたいと思います。
 今年になって小豆島はいいニュースが続いています。小豆島高校野球部が甲子園で大活躍しました。琴勇輝は東関脇になりました。瀬戸内国際芸術祭2016にも大勢の皆さんが来られています。移住者も引き続き大勢の皆さんが来られています。27年度も小豆島町に148名の人が移住しました。若い皆さんが大半です。
 「町長は運がいいですね」とよく言われます。運もあるかもしれませんが、小高野球部は、7年前に杉吉先生が赴任して以来、「甲子園に行こう。行ける」と、OBはじめたくさんの人が、同じ目標に向けて頑張り、選手の皆さんが練習を積み重ねてきたから甲子園出場が実現しました。
 琴勇輝も8年前、横綱になることを目指して、小豆島を離れ、一心不乱に稽古を続け、大ケガも死にもの狂いで克服して、ついに関脇の地位にたどりつきました。彼らは、信念と実力で目標を達成したのであり、運がよかったからではありません。小豆島も大きく変わろうとしています。いくつかの政策テーマについて話します。

琴勇輝は大ケガを死にもの狂いで克服して
ついに関脇の地位にたどりつきました

 新しい病院がスタートしてほぼ1月になります。順調です。1日の外来患者が600人を超える日もあるようです。ただ、会計システムなどの不具合で待ち時間が長いなどご迷惑をかけています。段々改善していくはずです。
 新しい病院は、放っておいたら閉院になったであろう二つの病院を救っただけではありません。今年の2月、病院管理の日本を代表する学者から、新しい病院はハイスペックとの評価をいただきました。
 新しい病院は、小豆島の実力からすると、一段上の病院を目指しています。そのことが小豆島のこれからの発展に不可欠だと思うからです。医師確保について、香川県と香川大学が全面的に協力してくれました。何よりも佐藤院長が奔走されました。これから小豆島中央病院はどんどんよくなっていくだろうと思います。
 それ以上に、これから小豆島中央病院を軸にして、小豆島全体の視点で健康づくり、介護、高齢者福祉の取組みが始まることの意味の方が大きいかもしれません。難しい言葉では、「地域包括ケア」と言います。
 これから小豆島中央病院を軸にして、土庄町と小豆島町、医師会などの皆さんが一体となった健康づくり、介護、高齢者福祉の取組みが始まります。

小豆島中央病院を軸にして、島がひとつとなった
健康づくり、介護、高齢者福祉の取組みが始まります

 来年の新しい高校のスタートは、小豆島の教育を変えるチャンスになるはずです。二つの高校が統合するのではなく、新しい高校が誕生するのです。香川県教育委員会は、新しい高校をいい高校にしようと真剣に考えてくれています。
 香川県全域からの受験が認められます。寄宿舎もできます。県内全域から受験できる県立高校は、高松工芸と小豆島中央高校だけです。
 新しい高校を頂点にして、小豆島で、どんな子どもに育ってもらうのか、育てるのか、高校とあわせて、中学校、小学校、幼稚園、保育所の在り方を考える必要があります。
 小豆島町では、昨年から「総合教育会議」を開いています。これまで教育と言えば、教育委員会任せでしたが、「総合教育会議」は、私が議長になって、教育委員会、幼稚園から高校までのすべての校長、園長、町議会の関係者で議論をはじめています。
 小豆島町の教育を抜本的に見直したいと考えています。3つの内海地区の小学校をどうするか、地域住民が学校運営に参加する「コミュニティスクール」、6・3制について、自由に変えることができる「義務教育学校」などの新しい制度を文部科学省はつくっています。こうした新しい制度についても真剣に議論したいと考えています。
 小豆島高校跡地の活用を含めて、小豆島町、小豆島の教育の在り方をきちんと整理して、いいものにしていこうと考えています。

小豆島高校跡地の活用を含めて
小豆島町の教育を抜本的に見直したいと考えています

 3月20日から、公共バスで、島内どこへも300円以内で行けるようになりました。小豆島オリーブバスの運賃、路線を大幅に見直しました。直接的には、新しい病院と高校を島内の皆さんに利用してもらうことを目的にしたものです。
 まだ1月しか経っておらず、詳細なデータがでていないので、はっきりしたことはまだわかりませんが、ざっとしたデータで見る限り順調です。乗客数は、2割から3割増えています。一方、バス会社の収入減は、4割程度を予想していたのですが、2割程度にとどまっています。
 バス会社の赤字については、国、県、町の財政補てんの制度があります。公費の助成は、運賃見直し前後でほぼ同じ程度を想定しています。利用者がこれから増えることで、バス会社の経営は改善されていくはずです。
 いずれにしても、まだはっきりしたことは言えませんが、島民の皆さんのバスの安さ、快適さの理解が深まれば、どんどん利用が増えるはずです。土庄の人は内海へ、内海の人は土庄へ、バスを利用して相互に行き来、交流し、買い物や小豆島の良さを楽しんでほしいと思います。バスの運賃、路線の見直しは、小豆島がひとつになり、元気になるために必要不可欠なことです。段々とその意味を理解する人が増えるはずです。このように、医療、福祉など、いろいろな分野の道筋がつきつつあります。いよいよ産業活性化について、本格的に今年度から取り組もうと思っています。

バスの運賃、路線の見直しは、小豆島がひとつになり、
元気になるために必要不可欠なことです

 地場産業は、これまで優れた民間リーダーがひっぱってきてくれました。行政はその後をついていくだけでした。そのため役場に産業政策のノウハウの蓄積がありません。しかし、今の時代、民間任せではなく、行政も立ち上がる必要があります。
 小豆島町には、商工業振興条例があり、商工業振興審議会で、商工業振興計画をつくることになっています。しかし、申し訳ないことに、商工業振興審議会も動いていないし、商工業振興計画もつくれていません。
 この7月には、商工業振興審議会を立ち上げ、本格的に議論し、地場産業の活性化に取り組みます。幸い、日清食品ホールディングの中川副社長がまもなく顧問になり、時間のゆとりができるので、島に戻り、一人暮らしのお父さんと暮らしながら、地場産業活性化のお手伝いもしましょうと言ってくれています。香川JETROやかがわ産業支援財団、金融機関など、いろいろな人の知恵をかりようと思います。
 ところで、瀬戸内国際芸術祭2016で注目すべき作品があります。それは、草壁港のコメ倉庫跡にできた「ミノリジェラート」です。小豆島のレモン、八朔などの柑橘類、しょうが、オリーブ、いちごなどの食材でつくられたジェラートを製造販売しています。
 お店の内装設計、メニューなどのデザインは、大阪のクリエイティブ集団grafが行いました。お店は山形から小豆島に移住して、レストランテ「フリュウ」のシェフ渋谷さんが企画構想しました。

瀬戸内国際芸術祭2016を機会にオープンした
草壁港のコメ倉庫跡にある「ミノリジェラート」

 このお店には、これから小豆島の地場産業が目指すべきヒントがあります。ひとつは、小豆島のどこにもある食材をフルに活かしています。戦後間もないころ、武部吉次さんが、島にあったお醤油とサツマイモのツルから佃煮を生みだしたのと同じです。
 もうひとつは、アーティストの協力参加などを得て、瀬戸内国際芸術祭の成果をビジネスにつなげています。小豆島のすがすがしいイメージとアート・デザインがコラボしています。お店の店員さんは、東京のホテルで活躍していた市川ご夫妻が小豆島に移住して、取り組んでくれています。渋谷さんの「ミノリジェラート」の取組みに、小豆島の農業、漁業の再生、地場産業 活性化のヒントがあるように思います。
  小豆島はひとつの方向に向かっています。人口が3万人を割ったのですから、このくらいの人口規模では、島はひとつになって、いろいろな取組みをすることが、小豆島を元気にするために不可欠です。
 島はひとつは、両方の町長が合意するだけでできることではありません。島民の皆さんが本気でそう思い、賛同し、行動しなければ実現できないことです。小豆島高校野球部の活躍がそのことを教えてくれています。(平成28年5月16日)

小豆島高校野球部の活躍から見えるように
小豆島はひとつの方向に向かっています

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第1681回 「壺井栄と庚申の夜」続


 二回目の「壺井栄と庚申の夜」が開かれました。4月8日は、お釈迦さまの誕生日、小豆島でも各地、各お寺で「花まつり」が行われました。
 壺井栄は「花」が大好きでした。「花」好きは生涯続きました。「花」を題材にしたたくさんの小説と随筆があります。「花」への壺井栄のこどものころからの思いと願いが込められています。
 「壺井栄と庚申の夜」は、天の神様に悪事を報告する虫がでてこないよう人々が集まって夜通し語り合うという「庚申信仰」と「花」と同じように、壺井栄の作品に登場する小豆島の「食」が結びついたものです。
 この取組みは、小豆島町立図書館「むとす館」の壺井栄作品の読書会の皆さんと苗羽地区の皆さんが中心になって、壺井栄の作品に登場する「食」をヒントに、「本から生まれる一皿」を毎月1度、坂手港のei2階で、提供するものです。「食」をテーマとする瀬戸内国際芸術祭2016の取組みのひとつです。「瀬戸内『食』のフラム塾」の塾生の岸本等さんが企画提案し、中心になって進めています。 今月(4月)は、「花まつり」にちなんで、「花」にまつわる「食」が「一皿」になっていました。
 「壺井栄と庚申の夜」では、小豆島の食材を活かしてどんな一皿になるかも楽しみですが、「本からうまれる一皿実行委員会」の皆さんが毎月書いている「ヒトサラ通信」という小さな新聞を読むのも楽しみです。
 今月号でも、壺井栄が「花」を大好きなのはお母さん譲りだったこと、幼い頃、「花」の咲く美しい庭のある家で育ちますが、家計が傾いてからは庭のない家に移り住むことになり、それでも小さな日の当たらない空き地に野の「花」を植えていたことなどが紹介されています。
 壺井栄は、オリーブが大好きでした。オリーブが平和のシンボルであることについて、次のようなことを書いています。少し長いですが、引用します。
 「灰色がかかった緑のやわらかい葉の色が盛り上がっているオリーブ畑は、小規模ながらも海べりから山のふもとまで続いていて、そこからはオリーブ色の風が吹いてくるかと思うほど、年がら年中おだやかな色をしています。この木が平和のシンボルといわれるのも、一つはこのやわらかな葉の色からではないかしらと思うほどです。雨でもふってごらんなさい。オリーブの葉の色は一そうやわらかく、ぬれて深い色になります。そいてまた、この雨にぬれがちの6月ごろ、木犀に似た白い花を、木犀と同じように、こまかくつけるのです。その匂いのよいこと。匂いもまた木犀に似ています。花のさかりには、わたしの村はその匂いにつつまれ心の憂いも一 とき忘れるほどなのです。まったくまったくオリーブは平和のシンボルというほかありません。」
 そう書きながら、平和のシンボルオリーブとは異なって進む世の中を厳しく批判しています。戦争中小豆島のオリーブ畑も荒れ果ててかぼちゃの葉が繁っていました。「オリーブ畑が再び荒れませんように、このオリーブが子を生んで日本の隅ずみまでひろがってゆきますように・・・」と書いています。
 壺井栄が亡くなって50年の今年。壺井栄が大切にしていた家族、地域社会、平和などの意味について、もう一度考える取組みをしようと思っています。(平成28年5月13日)

馬木の真光寺で行われた「花まつり」


「食」をテーマとする瀬戸内国際芸術祭2016の
取組みのひとつで坂手のei2階で毎月1度
行われている「本から生まれる一皿」

花まつりと題した4月のメニュー


献立や読書会のことが掲載されている
「ヒトサラ通信」

壺井栄が愛したオリーブ

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第1680回 「醤の郷まつり」


 今年も「醤(ひしお)の郷まつり」が開催されました。今年で5回目になります。準備の年も含めると6回目になります。企画運営に携わった小豆島町商工会の塩田洋介会長ほか皆さんのご苦労に感謝します。
 小豆島は、江戸時代から醤油づくりを始め、今も続けています。大阪、京都などの大消費地に近く、瀬戸内海の交通の要衝にあり、もともと塩づくりが盛んであったことから、原材料の大豆を船で九州などから運び、できあがった醤油をまた船で京阪神へ運びました。
 小豆島の先達たちは、こつこつ真面目であると同時に、海人として進取の気概に充ちていました。醤油づくりで富をつくり、その富で、歌舞伎などの文化を築いてきました。
 「醤の郷まつり」の行われた苗羽、馬木地区には、今も木桶のある醤油蔵の街並みが残されています。この街並みの魅力に、瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、アートの魅力が加わり、大勢の皆さんが「醤の郷」を訪ねてくれるようになりました。
 今年の「醤の郷まつり」にも、地元のお醤油屋さん、佃煮屋さん、ホテル、香川県の発酵食品研究所の皆さんなどが、顕微鏡で土のなかの生き物観察などをして、研究のいったんをわかりやすく見せてくれたり、餅つきをして、自慢のお醤油さんごとの醤油をつけて味比べをしてもらったりして、さまざまな取組みをしていました。
 400点を超える小豆島町の小学生の皆さんが描いた醤油蔵などの絵葉書きコンテストの作品も展示されていました。どの作品も気持ちがこもっていました。嬉しいなぁ。
 「醤の郷まつり」がこれからもずっと続くことを願っています。そのためには、何よりも醤油、佃煮、素麺などの地場産業が、産業として持続することが必要です。しかし、食生活の多様化、健康志向、原材料の高騰など環境の変化で苦戦しています。どうしたら、課題を克服していけるか、これからみんなで真剣に考え、具体策を講じなければいけません。
 これまで、地場産業は、地元の先見性のあるリーダーが強力なリーダシップを発揮して時代を切り開いてきました。明治の終わりのお醤油屋さんの大統合、発酵食品験研究所の創設、戦後の食糧難のときには、サツマイモのツルを醤油で煮込むことで、佃煮という画期的商品を開発しました。
 今度もまた、先駆者が登場して、小豆島に新しい地場産業を創りだしてほしいと願っています。もしかすると、瀬戸内国際芸術祭での取組みなどから、もうその芽が出始めているのかもしれませんが、まずは全員参加で知恵をしぼってみたいと考えています。小豆島町では、7月から商工業振興審議会を立ち上げ、総力を結集して、具体策をつくりあげます。
 それからもうひとつ、「醤の郷」の街並みを守っていくためには、醤油蔵などを文化財の価値があるものとして保存、改修していける助成などの制度的枠組みも必要になります。街並みの風景を守るためには建築規制なども必要になります。
 何よりも、地元の皆さんが、この町の醤油づくりや街並みに誇りを感じていなければいけません。恥ずかしいことに、私がそうでした。「醤の郷」の魅力を一生懸命伝えていた塩田洋介さんや醤油ソムリエの黒島慶子さんに出会って、「醤の郷」の魅力に気づきました。瀬戸内国際芸術祭で、椿昇京都造形芸術大学教授をはじめ大勢のアーティストから、「醤の郷」の可能性を教えてもらいました。
 これからも「醤の郷まつり」はずっと続きます。(平成28年5月12日)

醤の郷まつり開会セレモニーのようす

発酵食品研究所では研究のいったんを
分かりやすく説明、展示していました

お醤油屋さんでは、その場でついた餅を
自慢の醤油をつけて来場者に
味比べをしてもらっていました

小学生の皆さんが描いた400点を超える
醤油蔵などの絵葉書きも展示されていました

地場産業や文化財としての観点から
醤の郷を守っていかなければいけません

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第1679回 小豆島町自治連総会での挨拶


 自治会の総代、会長の皆さんには、日頃から各地域でのいろいろな課題の解決にご尽力いただいていることを心から感謝申し上げます。
 小豆島が元気な島になるためには、それぞれの地域社会が元気で、いろいろな活動が活発に行われていることが不可欠です。
 私も、私の人生を振り返ってみて、馬木という地域社会で、いろいろな先輩の皆さんに囲まれて育ったことが、大きな財産になっています。
 今、若者たちの活躍が小豆島を元気にしてくれています。小豆島高校野球部の皆さんが、悲願だった甲子園出場を実現してくれました。琴勇輝が来場所の番付で東関脇になりました。これからいよいよ横綱を目指す琴勇輝の挑戦が始まります。
 若者たちの活躍は、偶然ではなく、彼らが明確な目標を掲げ、それが実現できると信じ、すぐれた指導者のもとで、誰にも負けない練習と稽古を一生懸命に行ったからできたことです。
 杉吉監督という優れた指導者が小高に赴任し、甲子園に行こう、行けると目標を決めて、選手たちが練習、努力を重ね、7年目に夢を実現させました。
 琴勇輝は、横綱になるという目標を決めて、小豆島を離れました。あれから8年。死にもの狂いの稽古をして、関脇の地位までたどりつきました。
 「小豆島を元気にする」という私たちの目標もまた、彼らと同じように、島民が一丸となって、正しい政策、施策を実行、努力することで、実現できるものです。
 今年は、小豆島町が誕生して10年になる節目の年です。私は、小豆島町が誕生し、この10年の歩みをよかったと思っています。旧池田町と旧内海町のよいところを、小豆島町として内外に発信できるようになりました。小豆島の魅力と可能性の発信ができるようになりました。土庄町を含めて、これから名実とも小豆島の魅力と可能性を磨き、発信していかなければいけないと、私は考えています。
 ここ数年、小豆島への内外の期待が高まっています。瀬戸内国際芸術祭は、小豆島町の誕生とは直接関係はしていないかもしれませんが、アートを通して、小豆島全体の魅力を発信できたことが成功の理由のひとつです。「小豆島はひとつ」という考え方に立って、いろいろなことに取り組むことが、時代の要請です。
 いくつかの政策についてお話しします。
 新しい病院ができました。放っておいたら二つの病院が閉院に追い込まれるのを防いだだけでなく、新しい病院は、これまでよりも水準の高い医療の提供を目指しています。高い医療の水準を確保できることが、小豆島が元気になる上で必要不可欠だからです。
 香川県と香川大学が全面的に協力してくれて一番心配だった医師も確保することができました。開院してまだ1月足らずですが、幸い毎日500人を超える皆さん、日によっては600人を超える皆さんが外来で利用しています。会計システムの不具合などで、待ち時間が長くなったり、御迷惑をかけていますが、段々改善されていくと思います。ご理解をいただきたいと思います。
 新しい病院の誕生は、医療について島がひとつになるだけでなく、健康づくり、介護、高齢者の社会参加などこれから、いろいろなことについて、小豆島中央病院を軸にして、小豆島町と土庄町が一緒になって取り組むことで、いろいろな課題についても、島はひとつで取り組むことを意味しています。
 先日、小豆島中央病院に、両方の町の町長、担当課長、病院からも佐藤院長ほかの皆さんが集まって医療だけでなく、健康づくり、介護予防などについて、島はひとつで取り組んでいくことを確認しました。
 来年新しい高校がスタートします。小豆島中央高校の誕生は、教育でも、島がひとつになることを意味します。小豆島中央高校は、小豆島だけでなく県内の誰もが受験できます。そんな高校は高松工芸と小豆島中央高校だけです。県教委は、小豆島中央高校を特色のあるいい高校にしようとしてくれています。
 新しい高校を頂点にして、中学校、小学校、幼稚園、保育所を通じて、島全体として、どんな教育を行い、どんな子どもたちに育ってもらうのか、みんなで考えることが必要です。
 小豆島町では、昨年から総合教育会議が設けられています。教育を教育委員会に任せきりにするのではなく、町長、教育委員会、町議会正副議長、常任委員会正副委員長、高校長、中学校長、小学校長、幼稚園、保育園長に集まってもらい、小豆島町の教育の在り方を、根本に立ち返って議論することにしています。
 この議論のなかで、小豆島高校の跡地の活用についても、結論を得たいと考えています。
 小豆島オリーブバスの運賃と路線が見直されました。300円で島内を移動できるようになりました。この見直しは、直接的には、島内の皆さんに新しい病院を利用してもらったり、新しい高校にバスで通学してもらうことをねらったものですが、それだけでなく、島民の皆さんに買い物など、活発に島内を移動し、交流していただくことを願ったものです。島内のアート作品もバスで移動して楽しんでほしいと思います。バスの見直しも、島はひとつにつながっています。 
 今年度は、醤油、佃煮、素麺などの地場産業、地元商店の活性化について本格的に取り組みます。医療、福祉については、道筋がついたので、ようやく産業活性化に取り組めることになりました。今年度、休眠していた商工業振興審議会を立ち上げて議論をして、小豆島の地域経済が元気になる取組みをしたいと考えています。
 町長になり6年が過ぎました。7年目の今年、小高野球部や琴勇輝に負けないよう、小豆島を元気にするという私の目標が実現するよう、がんばります。皆さんのご理解とご協力をお願いします。(平成28年5月11日)

悲願だった甲子園出場を実現した
小豆島高校野球部

五月場所で東関脇に昇進した琴勇輝

今年は小豆島町が誕生して
10年になる節目の年です

瀬戸内国際芸術祭はアートを通して、
小豆島の魅力を発信できました

4月に開院した小豆島中央病院

小豆島中央高校校舎棟の
建設現場のようす

昨年から総合教育会議を
定期的に開催しています

運賃と路線の再編が行われた
小豆島オリーブバス

今年度は地場産業、地元商店の
活性化について本格的に取り組みます

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第1678回 高峰秀子さんが小豆島におられるようです


 小豆島の田浦半島先端に「二十四の瞳映画村」があります。田中裕子さんが大石先生役を演じたときの映画ロケセットがそのまま保存され、「二十四の瞳」や映画に関連するいろいろなことを楽しみながら学べる場所です。
 昭和のはじめの小豆島の街並みがそこにあります。壺井栄さんの原稿などを展示した壺井栄文学館もあります。「二十四の瞳」の映画を鑑賞できる映画館もあります。
 松竹座という映画館で鑑賞できる「二十四の瞳」は、田中裕子さんではなく、高峰秀子さんが大石先生を演じた木下惠介監督の作品です。この映画館の2階に「書肆海風堂」というブックカフェがこの4月誕生しました。
 映画に関連した書籍やDVDがたくさん並んでいます。劇団☆新感線の戯曲本とDVDもあります。これほどの品ぞろえは東京にもないかもしれません。オリジナルコーヒーを飲みながら、のんびり、ゆっくりした時間を楽しむことができます。
 そのブックカフェに、高峰秀子ギャラリーが併設されています。まるで、そこに高峰秀子さんがおられるようです。高峰秀子さんが愛用していたコーヒーカップ、メガネ、はさみ、ルーペなどの品々や写真、26冊の高峰さんが書かれたすべての著書が展示、販売されています。高峰さんが描かれたスケッチや少女時代の自画像、木下惠介監督に宛てた「私だけの弔辞」の自筆の原稿、愛用のバックなども展示されています。
 高峰秀子さんを最期まであたたかく、見守り、支えたのは脚本家、監督の松山善三さんです。お二人の仲睦ましい写真の数々が展示されています。松山さんは、「二十四の瞳」の撮影のとき、無名の助監督でした。一方、高峰さんはすでに大女優。釣り合いがとれないことを承知の上で、小豆島の宿舎で松山さんは、高峰さんに思いを伝えました。
 今年は、高峰秀子さんが亡くなられて7年、壺井栄さんが亡くなられて50年になります。そのことを記念して、いろいろな取組みを1年を通して行うことを計画しています。大切なものが見失われつつある今日、小豆島という共通の舞台で、人が生きていく上で大切なものを、私たちに考えさせてくれた二人の作品や生き方に触れてみたいと思います。
 「二十四の瞳映画村」の「書肆海風堂」のブックカフェに高峰秀子さんを是非訪ねてみてください。(平成28年5月10日)

映画のロケセットがそのまま保存されている
「二十四の瞳映画村」

二十四の瞳映画村内の松竹座の2階に
オープンしたブックカフェ「書肆海風堂」

ブックカフェには高峰秀子ギャラリーが
併設されています

是非ブックカフェ「書肆海風堂」に
高峰秀子さんを訪ねてみてください
(C)松竹

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第1677回 「下り坂をそろそろと下る」


 「下り坂をそろそろと下る」とは、劇作家の平田オリザさんが最近出された新書のタイトルです。私も、日本がそういう状況にあると思います。この本の中で、小豆島の取組みが紹介されていますので、この本の感想も兼ね、今考えていることを頭の整理の意味で書いてみます。批判や意見をいただければと思います。
 私のふるさと小豆島は、もうかなり前から「下り坂」を下っています。「そろそろと」ではなく、かなりな「急坂」なので、「おそるおそる」という感じかもしれません。でもここ数年、移住者の方が増えて、少し「下り坂」は緩やかになっています。27年度には148名もの方が移住されました。
 何をもって「下り坂」と言うか、簡単ではありませんが、人口減少はその目安のひとつです。小豆島では戦後まもないころ6万人でピークを迎え、その後はずっと人口減少が続いていて、今では3万人を割っています。
 人口が減少すると、経済の強さや生活の豊かさがすぐに失われるかと言えば、必ずしもそうではありません。小豆島の場合も、人口が減り始めてからも、経済もそれなりに頑張り、生活も便利に、豊かになっていたと言えます。しかし、「急坂」だったので、小豆島らしさ、小豆島としての素晴らしさは、徐々に失われていっていたように思います。

平田オリザさん著の
「下り坂をそろそろと下る」

  何を「下り坂」と考え、どんな「下り方」をしたらいいのか、「下り坂」の先に何があるのか、どれも簡単に答えは出ません。これからも「登り坂」を目指すべきだという人もいるかもしれませんが、人口減少が確実なのだから、「下り坂」であることから目をそらしてはいけないと思います。
 数年前から日本の国全体の人口減少も始まっています。これからも減り続けます。人口が減少しても技術革新などで克服できることがたくさんあるので、経済の拡大は可能だと考える人もいます。そうかもしれませんが、それは大変難しいのでないかと私は思います。
 社会政策の在り方としては、人口減少を前提に考えることが必要です。少なくとも、社会保障の政策はそうでなければいけません。
 なぜ地方、地域が衰退しているのでしょうか、地方、地域が衰退することの何が問題なのでしょうか、どうしたら地方、地域の衰退をくいとどめることができるのでしょうか。
 地方、地域の衰退している理由は、この100年ほど、都市の魅力に地方、地域の魅力がかなわないと考える人が多かったこと、経済が成長し、その富を中央に集め、中央政府がその富を地方に分配するシステムが余りにもうまく機能したので、地方自治体、地方、地域の自立自助の精神が衰退したことなどにあると思います。社会保障の政策も結果として、地方、地域の衰退につなるものがあったのではないかと思います。
 

劇作家の平田オリザさん

 地方、地域が衰退することの何が問題かと言えば、それは、日本らしさ、日本の素晴らしさを構成する、日本の各地の地方、地域らしさが失われることです。それらが失われたとき、国全体のそれも失われてしまうように思います。都市は、都市だけで生き抜くことはできないし、地方、地域が力を失ったとき、都市もいつか力を失っていくように思います。なぜなら都市の魅力をつくるうえで、地方、地域で健全に、逞しく育った人材が大きな貢献をしており、地方、地域でそういう人材が育たなくなれば、都市も遅れて危機を迎えるように思います。
 どうしたら地方、地域の衰退をくいとどめることができるのでしょうか。答えは簡単ではありませんが、地方、地域に住む人たちが、そこに魅力がいっぱいあることに気づき、そのことを誇りに思うことがまず必要です。そして、そのことが大切だと考える人たちが、地方、地域の魅力を守り、磨いていける環境と仕組みをつくらないといけないと思います。
 小豆島らしさ、小豆島の素晴らしさは、自分たちのことは自分たちで考え、解決するという自立の精神があること、家族と地域で助け合うこと、地域の独自の産業や文化を積みあげてきたことなどにあると、私は考えます。

地方の衰退をくいとめるためには、まず、
地方に住む人たちが、魅力に気づき、
そのことを誇りに思うことが必要です

 小豆島の人たちは、海の時代に、交通の便利な島であることを活かして、海人として外と交流し、醤油、素麺などの産業を起こし、その富で、農村歌舞伎などの文化をつくりあげ、楽しんできました。
 戦後、人口が減りだしても、なんとかその魅力を保ってきましたが、人口の減少が一定の水準を超えたとき、小豆島はその魅力を守り、磨くことが難しくなってきています。少なくとも人口減少を少し緩和して、少し緩やかな坂にしなければいけないと思います。
 日本全体の人口減少の予測も、このままでは「急坂」過ぎるので、少し緩やかにしなければいけません。そのために必要なことは何でしょう。「登り坂」のときとは違う生き方、暮らし方、家族と地域社会の在り方、国と地方の役割分担・政策の在り方を考えて、実行しなければいけません。
 どうしたら「下り坂」を少しでも緩やかにでき、どうしたら「下り坂」を「そろそろと」下ることができるのでしょうか。「登る」のにかかったと同じだけの時間が「下る」のにもかかるはずです。時間がかかると覚悟しましょう。
 人口減少を緩やかにするには、子どもを産みたい、育てたい、楽しみたいと考える人が増えるようにしなければいけません。外からそうしたいと思う人に来てもらえるようにしなければいけません。そのための環境と仕組みを考えなければいけません。

小豆島の人たちは、海の時代に交通の便利な島で
あることを活かして、海人として外と交流し、
醤油などの産業をはじめました

 「そろそろと」のイメージは、人によってまちまちかもしれません。「下る」といっても、「急坂」ではなく、「緩やかな坂」なら危なくありません。下った先でも、大切なものが守られ、磨かれているのであれば、何も心配することもありません。
 小豆島の取組みは、もう一度、島に住む私たちやこどもたちが、自分の島の魅力を知り、自信と誇りをもって、自分たちの力で島づくりをできるようにすることです。
 まだ道なかばです。平田さんが書かれているように、瀬戸内国際芸術祭を機会に小豆島にやって来たアーティストの皆さんからヒントをいただいています。アートを文化と言いかえてもいいように思いますが、アートや文化には、人に何かを感じさせ、考えるきっかけをつくる力があるように思います。地場産業はどうしたら元気になれるのでしょうか。小豆島の未来を支える子どもたちの教育はどうあったらいいのでしょうか。医療や福祉はどうしたらいいのでしょうか。すべてのことは間違いなくつながっています。しかし、これまで、これらのすべてを一体の政策として取り組まれた例は、国や地方自治体でまだそうはないのではないかと思います。これから、いろいろな人の知恵と力を借りて、小豆島でどこまでできるか、みんなで考え、実行していこうと思います。(平成28年5月9日)

アートや文化には、人に何かを感じさせ、考える
きっかけをつくる力があるように思います

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第1676回 がんばれ!琴勇輝関激励祝賀会


 琴勇輝が5月東京場所の番付で東の関脇になりました。関脇は香川県出身力士としては、56年ぶりのことです。大ケガを乗りこえて、よくぞここまで来たものです。
 本人はもちろん、いつも琴勇輝を見守ってきたお母さん、家族の皆さん、佐渡ヶ嶽親方皆さん感無量のことだと思います。いよいよ大関、横綱を目指して、これまでよりも次元の高い琴勇輝のチャレンジがこれから始まります。みんなで応援したいものです。
 この日、琴勇輝は、後援会主催の高松のホテルで開かれた激励祝賀会に臨みました。浜田香川県知事、梶丸亀市長など、1000人を超える皆さんが、琴勇輝を激励し、昇進を祝いました。小豆島はもちろん香川県全体の琴勇輝への期待の高さがわかります。浜田知事からは、香川県「21世紀応援大賞」も授与されました。
 琴勇輝は小学3年生のころから相撲を始めました。中学生になると相撲の先生だった田中先生を慕って一人で小豆島の内海中学校に入り、小豆島高校を1年で中退し、大相撲に入門しました。「相撲の世界で生きていくなら早くプロになった方がいい」と一人で決断しました。
 琴勇輝は、相撲が何よりも大好きです。しかし、「相撲に全力を尽くし、尽くせるのは、お母さんのため、お母さんを1日もはやく楽にしてあげたい一心から」と、いつも話してくれます。琴勇輝は、いつもお母さんと家族のことを一番大切に思っています。
 弟さんも強い兄を慕っています。理学療法士を目指して猛勉強中です。大ケガをした琴勇輝のリハビリ訓練を見て、兄を支えることができる理学療法士になることを決意しました。兄専属か、部屋付きで力士をサポートできる日も遠くありません。
 今年になって、琴勇輝は一段と力強くなったと私は感じています。春場所で兄弟子の琴奨菊が優勝しましたが、優勝直後のインタビューで、「今度は僕がパレードの主役になる」と宣言しました。
 春場所後、小豆島夢応援大使に就任したときのインタビューでも「横綱になりたいではなく、なります」と力強く宣言しました。
 先日、来場所はどうかと聞いたら、1番、1番を大切にとか、勝ち越しを目指すと答えるのではなく、「10番は勝ちたい」と答えました。
 上位の先輩力士に勝てそうかと聞いたら、「白鵬関を除いて、勝つイメージを持てている」と答えました。白鵬は、オーラがあって、実際よりも大きく見えるのだそうです。それでも、白鵬が、初対決の琴勇輝に対して、張り手とかち上げという、横綱らしくない相撲をとったのは、「琴勇輝おそるべし」と横綱が考えているからだと聞かされて、今から「来場所こそ勝つ」とファイトを燃やしています。次の日本人横綱横は誰かとだ聞いたら「僕です」と答えました。
 琴勇輝は自信満々です。常に高い目標を掲げ、それが実現できると自分に言い聞かせています。その自信がどこから来るかといえば、誰にも負けない四股、腕立て伏せ、鉄砲などの基本稽古をしていること、誰にも負けない相撲を研究していること、誰にも負けない体のケアをしているという自信があるからです。
 いつも自分を奮い立たせています。できると信じなければ何事もできません。分野を問わず成功をした人はみな同じことをおっしゃっています。できないとあきらめていたら何もできないのです。
 左ヒザの大ケガをしてから、左ヒザの負担が増えないよう足の運びを変えたそうです。野球で言えば、右投げの投手が左投げに変えるくらい大変なことです。また、ケガをしないよう、突きと押しの相撲に徹することにしました。立ち合いも素人が見ると、いつも同じ立ち合いに見えますが、15日間、相手に応じて、立ち合いは毎日微妙に変えているそうです。「超スローのビデオで見ればわかりますよ」と笑顔で話してくれました。
 心配なのはケガですが、神様が、笑顔と積極さを忘れない琴勇輝を、きっと見守ってくれるはずです。がんばれ!琴勇輝関。(平成28年5月6日)

(付記)
 来場所から立ち合い前に行っていた「ほおっ」の動作を止めることになりました。このことを、琴勇輝は、「失うものがあれば得るもある」と前向きにとられえています。私も、関脇という地位につき、さらに上を目指すこのタイミングは、とてもいいと感じます。琴勇輝の益々の活躍を期待したいと思います。

琴勇輝関激励祝賀会での鏡開きのようす


激励会には1000人を超える
皆さんが参加されていました

中学校時代の琴勇輝


小豆島夢応援大使就任インタビューでは
「横綱になりたいではなく、なります」と
力強く宣言されていました

琴勇輝は常に高い目標を掲げ
それが実現できると自分に言い聞かせています

「ほおっ」の動作を止めることになりましたが
益々の活躍を期待したいと思います。

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第1675回 地域おこし協力隊員の結婚パーティでの祝辞


 M君、Mさんご結婚おめでとうございます。ご両家の皆さんおめでとうございます。
 3年前ある若者が小豆島にやってきました。それからというもの私はこの若者と毎日のように会うはめになりました。なぜならこの若者は、私の家の畑で何やら建物を建て始めたからです。
  建物がついに出来上がりました。なんとヤギまでそこで住むようになりました。やがて建物をたくさんの人が訪ねてくるようになりました。その建物とは、瀬戸内国際芸術祭2013参加作品Umaki Campです。そこに、ついには映画界の世界の巨匠北野武監督までが来られて、ご近所映画クラブが開かれました。その夏のある日、道を歩いていると、滋賀から来たという、きれいな若い女性に会いました。彼女は若者の恋人でした。あれから3年。お二人は、こうして、今日、小豆島で、晴れの日を迎えました。ご結婚おめでとうございます。
 瀬戸内国際芸術祭が今年開かれています。今回で3回目です。芸術祭の意味をどう考えたらいいのでしょうか。お二人は、芸術祭があって結ばれました。お二人にとって、芸術祭は縁結びの神です。
 それぞれの立場での芸術祭の意味を考えてみると、私にとっては、アートが小豆島が元気になるきっかけをつくることに気づく機会になりました。小豆島の人たちにとっては、小豆島の魅力について自信を取り戻すことができました。アーティストにとっては、それぞれの立場で、小豆島は、可能性を見つけ、伸ばせる場となりました。
 日本全体にとっては、まだ未知数です。でも劇作家の平田オリザさんは、最近出された講談社現代新書「下り坂をそろそろと下る」のなかで、小豆島のアートの取組みから、この国のあたらしいかたちが生まれるかもしれないことを示唆してくれています。是非そうなることを願います。
 M君は、NPO法人Totie(トティエ)を立ち上げました。小豆島へ移住される方々の住まいとして空き家を活用するNPO法人です。空き家の活用は、小豆島の未来のための重要なプロジェクトです。是非とも成功させてほしいです。その上でM君には、そこにとどまらず、もっと大きな夢と可能性に挑戦してほしいと思います。
 Mさんには、まずはM君を支えてほしいと思います。その上でMさん自身の目標を決めて、その目標が実現するよう頑張ってほしいと思います。
 小豆島は、平田さんが書いてくれたように、この国のあたらしいかたちを示せると私は思います。小豆島は「希望の島」になりたいと思います。それを実現するには、今日集まっておられる皆さんの協力と参加が必要です。M君とMさんにも、その担い手になってほしいと思います。
 M君、Mさん、ご結婚おめでとうございます。(平成28年5月2日)

瀬戸内国際芸術祭2013参加作品の
「Umaki Camp」

映画界の巨匠北野武監督が来られて
ご近所映画クラブが開かれました

平田オリザさんは、小豆島のアートの
取組みからこの国のあたらしいかたちが
生まれるかもしれないと示唆しています

NPO法人Totie(トティエ)が管理する
短期滞在施設

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