小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1895回 アサリのすめる里海再生に向けたセミナー


 私がこどものころ小豆島の海辺では、1時間も貝堀をするとバケツいっぱいのアサリをとることができました。ところが、今、小豆島でアサリがとれる海辺はわずか、しかも、とれるのは少しです。  
 海の環境にどんな変化があったのでしょうか。私がこどものころと言えば、高度経済成長期、公害が顕在化していったころです。工場排水だけでなく、生活用水も、垂れ流しといっていい状況でした。
 海はどんどん汚れていっていました。私は、昭和50年に厚生省に入り、昭和52年に環境庁に出向しました。環境庁での仕事は、瀬戸内海の環境保全と水質汚濁の改善でした。  
 「ふるさとの海をきれいに戻したい」という一途な気持ちで、役所に泊まり込んで仕事に熱中しました。そのとき、瀬戸内海環境保全特別措置法がつくられ、瀬戸内海をきれいにするための水質総量規制が導入されました。  
 あれから40年。みんなの努力で、瀬戸内海の海は、随分きれいになりました。ところが、海はきれいになったのに、魚介類は減ってしまいました。アサリは海辺から消えてしまいました。  
 海がきれいになったのに、どうしてこんなことになったのでしょうか。その間にあったことと言えば、海はきれいになりましたが、山と田畑は荒れる一方です。私は、こどものころ父に連れられ、我が家の山の手入れを手伝わされました。田んぼも畑も手入れが行き届き、し尿が肥料として撒かれていました。ところが、私の代、山は放置され荒れ放題、田んぼと畑は休耕地となりました。  
 小豆島の生活排水は浄化槽で処理されるようになり、瀬戸内海沿岸の都市の排水は下水道で処理されるようになりました。小豆島では、豪雨災害の後、砂防ダムが造られ、おかげで豪雨災害を近年経験していません。水不足もダムが造られたことで解消されています。  
 その一方、川を通して、栄養分に満ちた水や土砂が海に流れこまなくなっています。公共事業のために瀬戸内海の土砂が使われ、海底には、穴ぼこがあちこちにあるとも聞きました。汚水処理のために使う塩素などの影響を指摘する人もいます。地球温暖化で水温が2度、3度上昇したことも指摘されています。  
 海の環境変化で、藻場とプランクトンと魚介類が減り、生息する魚種も変わってきています。海の環境変化は、藻場、プランクトン、魚介類への影響にとどまらず、いつかは、人にも影響する事態になるに違いありません。  
 瀬戸内国際芸術祭は、小豆島をはじめ瀬戸内の島々に、賑わいを取り戻そうとしています。アーティストの皆さんは、アートの魅力だけでなく、瀬戸内海と島々の魅力と可能性を私たちに示してくれました。  
 瀬戸芸の目的は、「アートの振興」ではなく、「海の復権」です。アートは、海の魅力と可能性を気づかせてくれるきっかけです。そこに住む私たちが、瀬戸内海の魅力と可能性に気づき、「海の復権」に取り組むことを目指すものです。  
 高知大学の佐藤周之准教授に初めてお会いしたのは、何年か前に小豆島で開かれた「石の文化シンポジウム」でした。佐藤さんは、環境の視点から、小豆島に関心を持たれていました。その視点に共感し、佐藤さんを中心にした高知大学の皆さんに、アサリのすめる小豆島の里海再生に向けた研究をお願いしました。この日は、この1年間の取組みの成果の発表の日でした。  
 瀬戸芸の開催された今年度を閉めるにふさわしい「海の復権」を目指すセミナーとなりました。セミナーでの各先生方の発表は、とても興味深く、熱のこもったものでした。学際的な研究をして、知恵を絞り、やるべきことをやっていけば、時間はかかっても、アサリは小豆島の里海に戻ってくるはずです。(続く)(平成29年3月29日)

現在、小豆島の海辺では
潮干狩りをする姿が見られなくなっています

瀬戸内海の海はきれいになりましたが
魚介類の数が減少しています

アートを通して瀬戸内海と島々の
海の復権を目指す瀬戸内国際芸術祭

高知大学の佐藤周之准教授

吉田湾でのアサリの調査のようす

セミナーでは1年間の取組みの
成果が発表されました

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第1894回 番外編アーカイブ㉙「八人委員会」


 ちょっといい話20「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年5月号
 「八人委員会」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 初代の南極越冬隊長であった西堀栄三郎さんは、事にあたり、まず実行することを決め、次にそのためにどうすればよいかを考えた。当時、南極越冬は想像を絶することであった。できない理由をあげると無数にある。しかし、まず越冬実行を決めた。どうすれば越冬できるか。そのことに専念し、見事目標を達成した。翻って、何でもできないと思えば、何もできないのである。石橋も、大丈夫かと心配し叩きだすと、怖くて渡れなくなる。  
 阿部さんは、四国松山の理容美容学校のきっぷのいい副校長。伊藤さんは、卒業以来、母校での後進理容師の育成にあたっている。内堀さんは、化学の専門家。日本初の美容芸術短期大学の運営に奔走している。大野さんは、慶應ボーイの理容師。大学在学中に免許を取得。80数名の理容師を抱えるオーナー。古武さんは、大学で化学を学んだが、理容美容専門学校を継がれ、発展させている。斎藤さんは、横浜にある高校専科で、30年余に渡り、理容師、美容師の教育にあたってきた。林さんは、高校長もした教育者。理容師、美容師だけではなくさまざまな技術者を育ててきた。これをまとめるのが、公衆衛生の行政経験豊かな医師でもある日本理容美容教育センターの山本学務会長。  
 以上の方々は、この2月に発足した理容師、美容師養成施設教科課目検討会の委員の面々。理容師や美容師の資格は、これまで幾度か制度改正がなされてきた。江戸時代から戦後まで、その養成は徒弟制度により行われた。戦後、昭和22年に理容師法が制定され、厚生大臣の養成施設での養成が始まった。26年の改正で、養成施設卒業後1年の実地習練を経た後、都道府県知事の行う試験を合格した者に都道府県知事の免許が与えられることになった。この枠組みが基本的に現在に引き継がれている。  
 

理・美容師の資格の専門性を高め、
社会的な地位の向上を目指す
理・美容師法改正を実現しました

 人々は、従来に増して健康や美しさに価値を置くようになった。理容師や美容師に専門家として求められる知識や技術も高度のものとなった。理容師や美容師の資質の向上はどうすれば図れるのか。自由な発想や独創性を持つ理容師や美容師を育てるための養成はどうあるべきか。そして、理容・美容界の将来は…。こうしたテーマについて、今、8人の人たちと一緒に考えている。石橋は叩けば渡れない。

 (注釈)  
 最初の南極越冬隊長の西堀榮三郎さんの「石橋は叩けば渡れない」という言葉は、私が心がけ、いつも鼓舞されている言葉です。「まず実行することを決め、次にどうしたら実現できるか考え抜く」ことを西堀さんは、実践されました。
 指導課長としての最大の思い出は、理・美容師の免許を、都道府県知事から厚生大臣の免許にすること、履修期間を1年間から2年にするなど、理・美容師の資格の専門性を高め、社会的な地位の向上を目指す理・美容師法改正を実現したことでした。
 このエッセイで書いているのは、法改正の前提として設けた、2年間の履修カリキュラムづくりの検討委員会のことです。このように、地道な、基盤となることをきちんと準備した上で、法改正にチャレンジしました。
 理・美容師の皆さん、国民の皆さんに、喜んでもらえ、評価してもらえる法改正になったとすれば、嬉しいです。(平成29年3月28日)


理・美容師の皆さんなどに評価してもらえる
法改正になったとすれば嬉しいです

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第1893回 大相撲大阪春場所 健闘した琴勇輝


 大相撲大阪春場所は、新横綱稀勢の里がケガをもろともせず優勝するという感動で幕を閉じました。  
 12連勝のあとの13日目、稀勢の里は、横綱日馬富士の闘志にあふれ、スピードに満ちた相撲に敗れ、左肩付近を負傷しました。休場かと思ったのですが、次の日も出場しました。力を出せる状態ではなく破れました。  
 千秋楽は、絶好調の大関照ノ富士、とても勝てないと思いました。私は、この日、大阪で開かれる千秋楽恒例の佐渡ヶ嶽部屋の祝賀会会場のホテルのロビーのテレビで、この相撲を観戦しました。
 神様がついているように、稀勢の里は本割の一番、優勝決定戦で照ノ富士を破りました。勝った瞬間、ホテルのロビーは拍手でいっぱいとなりました。稀勢の里は見事な横綱になりました。  
 琴勇輝は、今場所5勝10敗という成績でした。勝ち星だけを見ると残念な成績です。相撲内容も、琴勇輝らしい相撲がとれたのは数番でした。それでも、私は、琴勇輝は、稀勢の里と同じように、よく健闘したとほめてあげたいと思います。  
 体調がベストであれば、もっと星を残すことができたに違いありません。人生は、いつも好調であることができればいいのですが、そうはいきません。  
 琴勇輝は、今、一番苦しいトンネルを通っています。結婚をして気が緩んでいると思う人もいるかもしれませんが、厳しいときを一緒にのりこえようと、結婚の選択を琴勇輝は選びました。二人で困難な時期をなんとか乗り切ってほしいと思います。  
 場所後は、体の疲れと痛みを癒し、整えることを最優先してほしいと思います。小豆島は、琴勇輝の困難を乗り越える戦いを、どんなことがあっても応援し続けます。(平成29年3月27日)

佐渡ヶ嶽部屋千秋楽祝賀会


取組に臨む琴勇輝

 

子どもたちとふれあう琴優輝

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第1892回 番外編アーカイブ㉘「石倉三郎さんの夢」


 ちょっといい話16「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成7年1月号
 「石倉三郎さんの夢」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 石倉三郎さんは郷里(小豆島)の先輩である。貧しい家に生まれ育ち、悪童として名を馳せたが、島を出て、苦労に苦労を重ねて、NHKの連続ドラマ「ひらり」に出演して俳優としての地位を確立した。味わい深い、いい役者さんになった。  
 こんな石倉さんを下積みのころから支えてきた奥さんが営む東京の門前仲町の小さな料理屋で、石倉さんにお会いした。石倉さんは実に礼儀正しい人で、我々 (故郷の町長さんたちと一緒)に深々と頭を下げて迎えてくれた。最近、石倉さんは、東宝映画「四十七人の刺客」に出演し、大石内蔵助の愛妾を守るため、内蔵助に懇願され、討入りを断念する瀬尾孫左衛門を好演している。  
 その映画の舞台挨拶で石倉さんは広島に行った。その時、郷里で映画館を営んでいたTさんに、数十年ぶりに出会ったという。わが故郷の町にも映画館が2館あったが、今はもうない。Tさんの映画館はそのひとつで、私も子供のころ父によく連れていってもらった。高田浩吉が三度笠をかぶり、街道を颯爽と去っていく姿が今も目に焼き付いている。Tさんの映画はテレビの普及と人口減少などもあって、経営が悪化し、一家は逃げるようにして島を去っていった。  
 今、日本の映画界は必ずしも順調ではない。たまにヒット作はあるが、映画館の観客動員数は依然として減少傾向にある。理由はいろいろあろうが、テレビやビデオの普及、娯楽の多様化が大きいに違いない。だから、映画館の将来は期待できないかと言えば、決してそうではない。嗜好やレジャーが多様化する中で、映画館は、映画館でしか味わえない付加価値をこれからも私たちに提供し続けてくれるだろう。マルチプレックスやミニシアターなど、新しい芽も出始めてきた。マルチメディア時代の到来が言われているが、映画館も、新しい時代に相応しい役割を担っていくに違いない。  
 わが故郷は松竹映画「二十四の瞳」の舞台として知られているように、映画との関わりが少なくない。石倉さんの夢は、故郷の町に、もう一度映画館をつくることである。


小豆島町出身の俳優
石倉三郎さん

 (注釈)  
 指導課長をしていたころ初めて石倉三郎さんにお会いしました。東京の門前仲町で奥様が、小料理屋をされていますが、そのお店でお会いしました。指導課は映画館の振興も担当していました。おかげで、映画関係者とたくさん知り合うことができました。
 小豆島は、木下恵介監督の映画「二十四の瞳」のおかげで全国に知られるようになりました。私がこどものころ小豆島にもたくさんの映画館がありました。そのひとつに石倉三郎さんのご両親が勤めておられ、石倉さんはその映画館に行っては、映画を見て、いつか映画俳優になることを夢見ていました。映画「二十四の瞳」の助監督だった松山善三さんと大石先生を演じた高峰秀子さんは、小豆島でのロケをきっかけにして結ばれました。
 小豆島は、「二十四の瞳」の後も、何本もの壺井栄の原作とする映画の舞台になり、最近も「八日目の蝉」をはじめ数々の映画の舞台になっています。今年も映画のロケが行われます。映画とのつながりを小豆島はこれからも大切にしていきます。(平成29年3月24日)


松山善三さんが助監督で
高峰秀子さんが大石先生を演じた
映画「二十四の瞳」(C)松竹

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第1891回 番外編アーカイブ㉗「青い空・青い海」


 ちょっといい話15「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成6年12月号
 「青い空・青い海」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 ねんりんピックというイベントがある。指導課に来る前、この仕事に携わっていて、何とも言えない愛着を感じている。ねんりんピックは高齢者の国体とも言えるが、スポーツに限らず作品展、福祉機器展など文化・福祉イベントなどもある高齢社会を睨んだ総合的なイベントである。各都道府県持ち回りで開催されていて、今年は故郷である香川県で開催された。  
 理容師や美容師の資格の見直しが懸案になっており、帰郷の折には、飾りのないありのままの養成施設の姿を見たいと思っていた。開会式の前日、今夏水不足に悩まされた香川県にとっては嬉しくもあり、明日が心配となる強い雨。そんな中を坂出理美容専修学校を訪問。木造の古びたこじんまりとした校舎。生徒の数は少ないが、全員姿勢を整え先生の話に聞き入っている。決して楽とは言えない諸条件の下で、岡田伍司理事長の理美容への情熱がそれを支えている。
 その足で高松市の香川県美容学校へ。ここも建物はやはりかなりの年月を経ている。白井岩太理事長から、苦労を重ねて美容学校をここまでもりたててこられた話を伺う。実績に裏付けられた自信がある。となりの理容学校。校長は北地秀之理事長。岐阜市の理容技術選手権でお会いしているが、人柄のにじみでているお顔がとても懐かしい。  


ねんりんぴっく’94香川で坂手地区を
会場に行われた三世代交流マラソンのようす
(広報うちのみ平成6年11月号)

 香川理容学校の生徒に、東京のある私立大学の水産学科を出て、結婚相手の家業を継ぐため、今は故郷で理容師を目指している人がいる。同じ小豆島の出身というので話を聞いていると、遠い親戚にあたることがわかる。人の人生はさまざまで、どの人生が優れ、どの人生が劣るわけでもない。私は島を去り、母は一人で実家に住んでいる。母の住む島を支えているのは、彼のようなやさしく、そして働く人たちである。  
 いよいよねんりんピックの開会式。前日とは打って変わった青空。これで、事務方の苦労もむくわれる。色とりどりのユニフォームに身を飾った選手たちが入場してくる。超高齢社会がやってくるが、そのとき高齢者である私はどんなユニフォームをまとっているのだろうか。明日は久し振りに島で母のつくる卵焼きと味噌汁を食べることができる。青い空、青い海。そこに母は待っている。

 (注釈)  
 生活衛生局指導課長になって初めてのふるさと出張について書いたものです。ふるさとの理美容業の関係者と、いつものように母のことを書いています。
 このころ、厚生省マンとして、心身とも充実し、わくわくして仕事に励んでいました。次の日、小豆島で行われた高齢者の「マラソン」を視察しました。ゲストランナーは、岡山県出身の有森裕子さんでした。同じ車に乗って会場に行きました。


ゲストランナーの有森裕子さん
(広報うちのみ平成6年11月号)

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第1890回 番外編アーカイブ㉖「銭湯の風景」


 ちょっといい話-13「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成6年10月号
 「銭湯の風景」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 銭湯は心のふるさとのようだ。町中の銭湯には人と人とのふれあいがある。そんな銭湯だが、自家風呂の普及などもあって経営は容易なことでなくなってきている。銭湯は、数ある環衛業の中でも環衛業らしく、そして時代の変化の波をもろにかぶっている。  
 先日、東京の高田馬場にある全浴連綾部理事長の経営する「世界湯」に立ち寄った。家の裏で、息子さんらしき青年と年配の方が古材を切っている。表に回ると、理事長がステテコ姿で出て来られた。昼間の1時すぎだが、もうすっかり開店の準備も整ったようだ。時代が変わるからこそ営業者の意欲や工夫が必要だと公衆浴場の課題やこれからの展望を熱っぽく語ってくれる。
 川崎市にある「燕湯」。ここでは、2年前からデイ銭湯をやっている。近所の虚弱な高齢者が月に2度やってきて、健康体操やレクリエーションのあと、入浴を楽しんでいる。地域の自治会やボランティア、特養の指導員や看護婦さんらがお手伝いをしている。同じ地区の銭湯の経営者も男の高齢者の介添え役としてやってくる。高齢者の方々も、お世話する人たちも、その顔が実に生き生きしている。  
 案内をしていただいた全浴連の高橋副理事長、神奈川県の安田理事長、今宮副理事長から、活性化の取組み、後継者や税制のことなどをうかがう。今宮さんのところでは、露天風呂などの工夫をこらして、思いきって全面改築された。これまでにない利用客の掘り起こしにつながったという。  
 川崎市は比較的恵まれた環境にあるのかもしれないが、ここには難問に果敢に挑戦する「企業家精神」がある。公衆浴場の時代のニーズに合った発展のため行政の果たす役割も大きい。行政にも負けないだけの「行政家精神」が必要だ。


入浴介助のようす

 (注釈)
 指導課長としての仕事で一番悩んだのは、時代の変化の波で苦しんでいた公衆浴場をどうしたら、この先も守っていけるだろうかということでした。
 かつては、公衆浴場は、人々が集い、一日の疲れを癒し、歓談し、明日への意欲をかきたてることができる地域の一番の拠点でした。それが、家庭での風呂が普及して、公衆浴場を利用する人が激減し、公衆浴場は廃業に追い込まれていました。そのこと自体は、時代の流れでどうすることもできないのですが、新しい時代の公衆浴場のあり方があるはずだと思いました。
 実際、デイ銭湯など、各地で意欲的な取組みをされていて、それらの皆さんを訪ねることで、いろいろなことを学ばせていただきました。
 このエッセイでは書いていませんが、公衆浴場の経営者の皆さんは、地域のリーダーであることが一般的です。なぜなら公衆浴場の大きな建物とお風呂を維持していくことは、大変な資産家であり、日々の営業をずっと続けるのは、並大抵の根気強さではできないことで、必然的に地域社会のリーダーになっている方が多いのもうなづけることです。もしかすると、「生活衛生関係営業(私が課長のころは、環境衛生関係営業、略して、環営業と総称されていました)」と呼ばれる仕事に共通することかもしれません。皆さんは、地域の歴史や地域の云われ、文化などについても、驚くくらいご存知で、関心をお持ちで、いろいろ教えてもらう機会を楽しむことができました。
 皆さんとのおつきあいを通して、いろいろなことを教えていただきました。その経験が、今の町長の仕事にもつながり、役にも立っているのだと、改めて思います。(平成29年3月22日)


温浴教室の取り組み

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第1889回 3月20日という日


 去年の3月20日は、私にとっても、小豆島にとっても、忘れられない1日でした。  
 去年の3月20日、3回目の瀬戸内国際芸術祭2016が開幕しました。1回目の瀬戸芸が始まった2010年に、私は小豆島に戻ってきました。どうしたら小豆島が元気になれるか、途方にくれていたのですが、はじめて触れる芸術祭に光と可能性を感じました。  
 2回目の瀬戸芸2013は、アーティストの皆さん、スタッフなどたくさんの皆さんの力で、小豆島の魅力と可能性に気づかせてくれました。素晴らしい素材が身の回りにあるのに、肝心の島に住む私たちが、それに気づかず、活かせていませんでした。  
 3回目となる昨年の瀬戸芸では、はじめてインドからもアーティストが参加し、ほんの少しかもしれませんが、島の暮らしや産業、福祉や教育の分野など、さまざまな分野で、いい変化が起きつつあるように思います。  
 芸術祭をきっかけに、大勢の皆さんが小豆島を訪れてくれるようになり、アーティストの皆さんだけでなく、さまざまな分野の、いろいろな皆さんから、いろいろなことを教えていただいています。作品の素晴らしさだけでなく、アーティストをはじめいろいろな島の外の皆さんとの「つながり」「交流」「関係」が、小豆島が元気になっていくことにつながろうとしています。  
 去年の3月20日は、甲子園の春の選抜の開会式もありました。初出場した小豆島高校野球部の面々は、はつらつと、堂々と、胸を張って、甲子園のグランドを入場行進しました。樋本尚也キャプテンの選手宣誓は見事なものでした。
 「当たり前にあった景色がなくなるその重みを僕たちは忘れたくありません。当たり前にある日常のありがたさを胸に僕たちはグラウンドに立ちます」「当たり前のあった景色」のひとつは、小豆島高校です。まもなく小豆島高校は閉校し、新しく土庄高校と一緒になり小豆島中央高校が誕生します。東日本大震災で失われた命や暮らしも、そのひとつです。
 小豆島高校の甲子園出場は、小豆島の野球の裾野の広さ、選手の努力、優れた指導者が揃ったから実現したものですが、芸術祭の存在も影響しているように思います。はじめて芸術祭の北川ディレクターにお会いしたとき、私が野球好きだと申し上げたら、「越後妻有の芸術祭の高校は甲子園に行った。瀬戸芸の地域の高校も甲子園に行けるよ」と、冗談のように云われました。3回目の芸術祭の開幕の日に、その夢は叶いました。
 さらにもうひとつ、去年の3月20日は、島内の公共バスの料金、路線の大幅見直しが始まった日です。小豆島の公共バスは、人口が減り、車が普及して、利用客が激減し、料金値上げ、本数削減の悪循環に陥っていました。  
 瀬戸芸の開幕、小豆島中央病院の4月からの開院、今年4月の小豆島中央高校の開校を見据えて、思い切ってバスの料金と路線を見直すこととしました。その結果、島の内外の大勢の皆さんが、バスを利用してくれるようになりました。  
 もちろん、まだまだ課題は山積していますが、バスの利用者数は、1,5倍になりました。料金を下げても、それだけでは、バスの利用者は増えないと、専門の方から聞きました。小豆島の場合は、島の医療や教育の在り方などと関連付けられたことが、利用者増につながりました。  
 この4月からは、小豆島中央高校が開校するので、高校生のバス利用も増加します。島の皆さんにも、観光客の皆さんにも、もっともっと便利で、乗りやすい、安心、安全なバスを目指したいと思います。  
 今年の3月20日は、東京で過ごしました。小豆島は、3連休の最後の1日、お天気にも恵まれ、大勢の皆さんに小豆島を楽しんでいただいたと思います。 私は、東京の松山善三さん、高峰秀子さんの養女の作家の斎藤(松山)明美さんをご自宅に訪ね、お二人の功績をこれからどう引き継いでいけるか相談しました。  
 午後からは、一橋にある学士会館に、島外の有識者の皆さんに集まっていただき、小豆島のこれからについて、自由闊達に話し合っていただきました。とても貴重な、刺激に満ちた、参考になるご意見をたくさんいただきました。  
 3月20日、去年も、今年も、いろいろなことに気づかせてもらいました。人の気持ちを大切に、思いやりを忘れず、いろいろな皆さんの知恵と力をお借りし、小豆島が元気になっていけるよう、努力していこうと思います。(平成29年3月21日)

去年の3月20日、3回目の
瀬戸内国際芸術祭2016が開幕しました

いろいろな島の外の皆さんとの
「つながり」「交流」「関係」が、小豆島が
元気になっていくことにつながろうとしています

去年の3月20日は、甲子園の
春の選抜の開会式もありました

4月に開校する小豆島中央高校

去年の3月20日は、島内の公共バスの
料金、路線の大幅見直しが始まった日です

二十四の瞳映画村のブックカフェに
併設されている「高峰秀子ギャラりー」

島外の有識者の方々に小豆島これからに
ついての意見をたくさんいただきました

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第1888回 星城小学校卒業式挨拶


 31人の皆さん卒業おめでとうございます。
 どんな六年間でしたか。いろいろな思い出でいっぱいのことと思います。  
 楽しい思い出もたくさんあると思いますが、悲しいことやつらいことがあったかもしれませんが、みんないい思い出になるはずです。  
 私は、苗羽小学校の卒業生ですが、今も、小学校のときの思い出がいっぱいあります。校長先生が「今日できることは今日するように。明日はあると思うな」と話されたことが昨日のことのようです。皆さんも、今日の校長先生の言葉を、いつまでも忘れないでください。
 小学校のときの同級生と先生は、一番の友達であり、一番の恩師です。  
 きっと、皆さんにとっても、そうなるはずです。いつまでも、小学校での体験 や経験を忘れないで、大切にしてください。  
 ところで、皆さんは、小豆島のことをどう思っていますか。小豆島は、どこにも負けない素晴らしいところです。寒霞渓、 醤油づくり、素麺づくり、農村歌舞伎、秋祭り、オリーブ、石の文化など、どれをとっても、小豆島はどこにも負けない素晴らしいものをいっぱい持っています。  
 昨年、世界中の考古学者が小豆島を訪れました。ある国の考古学者がおっしゃいました。「小豆島は魅力にあふれている。島全体がひとつの博物館のようだ。」 と
 昨年は、瀬戸内国際芸術祭で小豆島がにぎわいました。訪れた皆さんは、アートだけでなく、小豆島の魅力と可能性に気づきました。高校生は、甲子園にはじめて出場したり、都大路を香川県代表として 男女揃って駆け抜けてくれました。皆さんも、中学生や高校生になって、先輩に負けないよう がんばってほしいと思います。  
 小豆島は、人口は減っていますが、若い皆さんが頑張って、輝こうとしています。  
 小豆島中学校にいくと、小豆島町中の中学生と一緒になります。みんなで、大いに勉強し、スポーツや文化活動、地域活動にも頑張ってください。  未来は皆さんがつくるものです。目標を決めて、目標が実現することを信じ、一生懸命 がんばってほしいと思います。  
 卒業おめでとうございます。 (平成29年3月17日)

星城小学校の卒業式

卒業生による門出の言葉

運動会でのふれあい班対抗の綱引き

茨木市との交流キャンプ

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第1887回 「飛鳥Ⅱ」が小豆島と姫路をつないでくれました


 日本を代表するクルーズ船「飛鳥Ⅱ」が、坂手港沖に停泊して、700人を超えるお客様が小豆島に上陸して小豆島を楽しんでいただきました。  
 飛鳥Ⅱの小豆島来島はこれで4回目となりました。クルーズを楽しむ人が国の内外で増えて全国各地の港で、クルーズ誘致が盛んになっています。
 その中で、小豆島へは、飛鳥Ⅱだけでなく、にっぽん丸、ぱしふいっくびいなすをはじめ、日本を代表するクルーズ船が何度も訪れてくれています。関係される皆さんに感謝し、クルーズ船誘致に努力されている小豆島の観光関係者の皆さんにも感謝します。  
 今回は、名古屋方面からのお客様で、名古屋港を出て、小豆島に立ち寄り、その後は、姫路に向かう旅でした。私も、今回、はじめて飛鳥Ⅱに乗船させていただき、姫路までの船旅を楽しませていただきました。  
 姫路は、世界遺産である姫路城がある国際的な観光都市です。小豆島の福田港と姫路港を結ぶフェリー航路は、私が中学生のころからあり、私もこの航路を利用することが多いのですが、なぜかこれまで姫路市長さんにお会いしたことがありませんでした。  
 意外なことに、飛鳥Ⅱが姫路港に入港するのも初めてだそうです。姫路市長が姫路港での歓迎式典に出られると聞き、いい機会なので、飛鳥Ⅱに乗せていただき、姫路市長に是非ともご挨拶したいと思いました。  
 船上で、はじめて飛鳥Ⅱの操舵室を見せていただきました。船長をはじめスタッフの皆さんのきりっとし、自信に満ちた表情、眺望が開け、コンピューターなどの設備も完備し、緊張感が漂う一方、ゆとりも感じられる、落ち着いた雰囲気に感激しました。  
 あっという間に、船は姫路港に入港しました。ちょうど福田港からの定期航路が港に入る時間と重なったのですが、飛鳥Ⅱが接岸するまで、定期フェリーは、長い間待ってくれました。  
 初めてお会いする石見姫路市長は、同じ大学の10年先輩です。理学部を卒業し、東京の大学で、さらに建築や都市づくりを勉強され、建設省建築研究所勤務などを経て、立命館大学政策科学部長などを経て、姫路市長となり、4期目を勤めておられます。  
 キャリアを見て、気難しい方だったらどうしようと思っていたら、お会いした石見市長は、ざっくばらんで、気さくで、見識にあふれた方でした。早速、姫路と小豆島がいろいろな縁と糸でつながっているのに、意外なほどに、これまで、一部の民間の方々を除いて、交流がよくできていない現状をお話ししました。  
 例えば、小豆島を代表する大坂城の石切丁場は、福岡黒田家のものです。黒田家の丁場である天狗岩丁場の天狗岩は、名前のとおり1700トンもの巨石が、当時のまま、今にも切り出されたばかりの状態で保存されています。  
 福岡黒田家は、姫路城を築いた黒田官兵衛が興したものです。黒田家の当主である黒田長高さんが、小豆島に何度か訪問されていることなどを姫路市長にお話ししました。小豆島と姫路市は、目と鼻の先にあり、深いつながりがあるにもかかわらず、今まで、香川県と兵庫県という県が違うという壁などがあって、折角のつながりを、もったいないことに、活かしきれていませんでした。  
 今回、飛鳥Ⅱが、小豆島と姫路市をつないでくれました。瀬戸内海という素晴らしい海を囲む私たちが、つながれば、いろいろな可能性がこれから広がるはずです。つないでくれた飛鳥Ⅱに感謝します。(平成29年3月16日)

日本を代表するクルーズ船「飛鳥Ⅱ」

、落ち着いた雰囲気の船内

船内に設けられた観光案内所

寄港した坂手港では草壁保育園の
園児たちが乗客を出迎えました

世界遺産である姫路城

天狗岩丁場の天狗岩

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第1886回 小豆島中学校卒業式挨拶


 卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。3年間の思い出でいっぱいのことと思います。 皆さんは、3年前、新しくできた小豆島中学校最初の新入生でした。皆さんは、小豆島町中の中学生が一堂に会した小豆島中学校で、池田中学校と内海中学校の伝統を引き継ぎ、小豆島中学校の新しい伝統の第一歩をつくりあげてくれました。  
 私は、皆さんの活躍ぶりを、遠くから、近くから、日々見させてもらいました。素晴らしい3年間を見せてくれました。「繋、未来に向けた第一歩」を記してくれました。ありがとう。  
 卒業生のほとんどの皆さんは、今度は、新しくできる小豆島中央高校に進学します。小豆島中央高校は、小豆島中(じゅう)の高校生が集う新しい高校です。今度は、島中の高校生の皆さんと切磋琢磨して、新しい小豆島中央高校の伝統をつくってください。  
 小豆島では、小豆島中央高校を頂点にして、幼稚園・保育所、小学校、中学校、高校として、島がひとつになった一貫した教育がこれから進んでいきます。そこから小豆島の未来の担い手が育っていきます。担い手の中心は皆さんです。  
 小豆島中央高校以外の高校に進まれる皆さんもおられると聞きました。社会人になる卒業生もおられると聞きました。それぞれ選んだ道を信じて、それぞれの夢を実現してください。社会人になる人は、一早く立派な社会人になってください。
 皆さんに小豆島のことを話したいと思います。  
 小豆島は、人口が一番多いとき6万人の人が住んでいました。今は、3万人を割っています。小豆島に限らず、全国のどこでも人口が急速に減少しています。このまま急速な人口減少が続いたら、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆を守っていくことができなくなるかもしれません。  
 小豆島町は、今高齢化率が42,1%で県内で一番、人口の減少率も県内で一番です。小豆島町の現在、高齢層の人口比率が高いからです。しかし、小豆島は、これからも人口は減少しますが、小豆島は、最大の危機的な状況を脱しつつあると思っています。  
 そのことのひとつを、昨年の瀬戸内国際芸術祭での賑わいに感じました。アーティストの皆さんが、小豆島の魅力をかたちにしてくれました。多くの訪問者の方々は、アートだけでなく、小豆島の魅力と可能性を感じてくれました。小豆島への若い方々の移住が増えていることも、そのひとつです。
 何よりも、小豆島の若者たちの活躍に、小豆島のこれからの可能性を感じています。皆さんの先輩の小豆島高校の皆さんが、昨年甲子園に初めて出場し、都大路を男女そろって駆け抜けたのは、決して偶然ではなく、小豆島の未来の可能性を示すものだと思います。
 時代は、大きく変わろうとしています。これまでは、都会に人が集中し、都市の魅力が地方の魅力にまさり、中央に人材と財源が集中し、中央が地方を引っ張っていく時代が、ここ100年ほど続きました。そういう時代が変わろうとしています。地方と地域が輝く時代が再び来ようとしています。  
 小豆島の魅力である醤油づくり、素麺づくり、農村歌舞伎、石の文化、それらの全てが、江戸時代に誕生し、今に引き継がれています。江戸時代がどんな時代であったかと言えば、地方がそれぞれの立場、自分の知恵と力でがんばった時代です。江戸時代は、地方の時代です。100年、200年の単位での時代が変わろうとしている、新しい地方の時代が今、始まろうとしています。  
 そのとき、小豆島が輝こうとしている、その担い手は、皆さんの世代の人たちです。小豆島は、地方の時代のフロントランナーになることができると思います。  
 国際化が進んでいます。国際化は、国と国の間ではなく、ローカルとローカル、人と人の間のものです。瀬戸内国際芸術祭の国際は、国と国ではなく、ローカルとローカル、人と人の間のものです。
 福田小学校跡の福武ハウスは、ローカルとローカル、人と人の国際化を目指しています。国際化に必要なことは、その地方と地域が個性豊かで輝いていることです。  
 昨年、世界考古学会議があり、世界中の21か国、約80人の考古学者が小豆島を訪れました。中山の千枚田、農村歌舞伎、素麺づくり、醤油蔵、地引き網、石切丁場などを案内しました。そのなかの一人が、「小豆島は、多様で輝いている。島全体が、博物館のようだ」と言われました。  これからの時代は、地方が、それぞれの個性を活かして、輝いていく時代です。そんな地方の時代を、小豆島はリードしていく役割を担っていると私は考えています。その担い手になるのが皆さんです。  
 皆さんには、高校生になっても、社会人になっても、これからがんばってほしいと思います。卒業おめでとう。(平成29年3月15日)

小豆島中学校卒業式

小豆島中学校が開校した年の
新入生が卒業しました

卒業式の最後には
卒業生による合唱が行われました

小豆島中学校体育祭
島(アイランド)カップ

演劇ワークショップ授業のようす

各クラスで合唱を行う潮(うしお)会

人権集会では3年生が人権劇を行います

京大アメフト部との交流

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第1885回 施政方針⑦ おわりに


(おわりに)
 瀬戸内国際芸術祭で生まれた豊島美術館や旧福田小学校にある葺田パヴィリオンの設計者である建築家の西沢立衛さんが、最近、建築専門誌に書かれた「家の建築」という論文の中で「小豆島にある醤油蔵は未来の建築だ」と指摘されています。
 「小豆島にある醤油蔵は、まるで大きな生き物で、そこに働く人間は、生態系の一部として活躍する小生命体のような存在に見える。多数の生物、新旧の建築部材が集合したその建築は、人間中心の建築計画の時代の終わり、また空間的建築の次の時代を予言しているようで、来たるべき未来の建築のひとつのイメージを示している。」
(「新建築 住宅特集」2017年1月号 巻頭論文 家の建築)
 この西沢さんの論文に小豆島のこれからのあり方のヒントがあります。小豆島の醤油づくりは、江戸時代に始まりました。小豆島にあったのは塩でした。大豆と小麦は、外から船で運びこまれました。
 醤油蔵におかれた杉桶の中で、醤油蔵に宿るこうぼ菌と、外から運ばれた大豆、小麦、そして地元の塩が、小豆島の自然と気候、醤油職人の匠の力も加わって、混ざり合うことで、醤油が創り出されたのです。この醤油づくりに小豆島のこれからのヒントがあります。
 地場のものと島外のものが融合することで、新しいイメージとカタチが創り出される可能性があります。醤油づくりと同じように、例えば、瀬戸内国際芸術祭でも、外のアーティストなどとの交流の中から、小豆島の新しい魅力と可能性が創り出されました。
 小豆島は小豆島として、これからも小豆島で培われてきた素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆を守り、磨くとともに、さまざまな内外の皆さんとの交流などを通して、これまでにない新しい魅力と可能性を創り出していきたいと思います。
 島内外の皆さんとともに、人口減少の課題を克服し、「ぬくもりと希望の島」として、人口減少時代のモデルとなる社会のあり方を、小豆島から日本と世界に発信していきたいと考えています。
 議員各位、町民のみなさまにご理解とご協力をお願い申しあげて所信とします。(平成29年3月14日)

葺田パヴィリオンの設計者である
建築家の西沢立衛さん

西沢さんは、醤油蔵を来たるべき未来の
建築のひとつのイメージを示していると
論文に記されています

醤油づくりをヒントに、小豆島の新しい魅力と
可能性を島内外の力で創り出していきます。

島内外の皆さんとともに
「ぬくもりと希望の島」を目指します

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第1884回 施政方針⑥文化・アートの取組み・住まい・暮らしの取組み


(文化・アートの取組み)
 瀬戸内国際芸術祭は、小豆島にとって大きな財産となりました。アートの持つ魅力はもちろんですが、アートが小豆島の魅力と可能性を明らかにしてくれました。
 文化やアートには、そのものの魅力だけでなく、地域の持つ魅力と可能性を引き出し、創り出す力があるように思います。
 小豆島の素晴らしい宝物を守っていくとともに、文化やアートによって小豆島の新しい魅力づくりを目指します。
 文化やアートによって、新しい産業・教育・子育ち・医療・福祉・住まいのカタチと魅力をつくりだすことを目指します。
 文化やアートに関わる人たちは多様です。島内外の多彩な皆さんと多様な交流をし、小豆島文化を保存し、継承し、磨いていきます。
 主な新規事業は次のとおりです。
 小豆島文化を保存・継承するため、小豆島農村歌舞伎の重要無形民俗文化財指定に向けた調査を行います。
 子育て支援が充実していることで知られる岡山県奈義町との農村歌舞伎の交流を始めたいと思います。
 寒霞渓などの自然遺産や農村歌舞伎などの文化遺産の保存を推進するため、企業版ふるさと納税を活用し、小豆島遺産保存継承事業を行いたいと考えています。
 醤油会館をコミュニティセンターとし、瀬戸内国際芸術祭に関わったアーティスト・クリエイターや様々な分野の専門家を講師に招き、レクチャーやワークショップなどを定期的に開催し、小豆島未来大学を展望していきます。
 遊児老館などで、演劇やアートを介して、障がいや年齢の垣根を越えた交流を展開します。
  このほか、福武ハウスのアジア・アート・プラットフォーム構想の展開、三都半島アートプロジェクトの推進、石の文化の世界遺産化の取組み、貴重な歴史資料である古文書の調査保存、壺井栄、黒島伝治、壺井繁治再発見プロジェクトなども引き続き進めていきます。

(住まい・暮らしの取組み)
 住まいの問題も重要です。
 小豆島町でも空き家が増えています。危険な空き家は除去していく必要がありますが、空き家を移住者の方の住まいとしての利用を含め、社会資源として有効に活用していくことが大切になっています。
 小豆島町では、空家等対策の推進に関する特別措置法に基づき、空き家等対策計画を策定しました。この計画に基づき、空き家、空き地の活用に取り組んでいきます。
 改良住宅や公営住宅、雇用促進住宅などについて、それぞれの趣旨を踏まえて、時代のニーズにあった対応ができるよう、必要な調査、研究、見直しを進めていきます。
 平成29年度では、雇用促進住宅30戸を購入し、今後は町営住宅として運営していきます。
 廃業旅館を活用し、就業者向けのシェアハウスを整備します。運営は、NPO法人トティエが担います。
 このほか、空き地・空き家再生プロジェクト、空き家バンクの充実、強化も進めます。
 公共交通は、暮らしを支え、小豆島の発展に不可欠です。
 いろいろな課題を抱えていますが、昨年3月から実施した小豆島オリーブバスの運賃、路線の見直しは、一定の成果をあげています。
 4月からは、小豆島中央高校が開校し、高校生のバス利用が始まります。保護者の負担が月額5千円までになるよう「通学定期助成制度」を創設し、バス利用を促進していきます。
 今後、島民の皆さんには、一層の公共交通の利用をお願いしたいと思います。
 住まい・地域の安心安全づくりも進めていきます。
 大雨時の馬木川越水対策の調査に着手するほか、庁舎統合に伴い防災行政無線や非常電源などを老健うちのみに集約します。
 万が一の災害発生に備えて、町の業務継続計画を策定します。
 内海庁舎の再利用の可能性を判断するための耐震診断も行います。
 新しい一般廃棄物最終処分場の整備を行うため、次期最終処分場の測量、基本設計、環境アセスメントなどを進めます。
 水道事業については、平成30年度から県全体の広域化が計画され、県内で準備が進められています。小豆島町でも、簡易水道の上水道化などの必要な準備を進めていきます。
 このほか、道路・橋梁・漁港・港湾施設については、適正な管理に向けて、改良工事や維持修繕を行い、長寿命化に取り組んでいきます。国道・県道の改良工事や土砂災害を防ぐ砂防ダムの整備などについては、引き続き香川県へ働きかけるなど、住民生活と係わりの深い社会資本整備も確実に行っていきます。(平成29年3月13日)

これからの「文化・アート」の取り組み
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文化やアートには、その魅力だけでなく、
地域の持つ魅力と可能性を引き出し、
創り出す力があるように思います

小豆島農村歌舞伎調査事業
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小豆島未来プロジェクト2017(案)
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これからの「住まい・暮らし」の取り組み
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廃棄旅館等の有効活用による
「住まい」の確保と「雇用」の促進(案)
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小豆島オリーブバスの運賃、路線の見直しは
一定の成果をあげています

小豆島の公共交通再編による
現状と新たな取組み等
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第1883回 施政方針⑤ 産業づくりの取組み


(産業づくりの取組み)
 小豆島が元気になるためには、産業が元気になることが不可欠です。小豆島町商工業振興審議会でその具体策を議論してもらっています。年度末には、商工業振興の新しい計画がまとまります。
 商工業振興審議会では、農業、漁業など一次産業も含め、商工業の範囲を幅広くとらまえ、議論してもらっています。
 地域が元気になるためには、地域がつくりだす資源を活かすことが不可欠だと考えるからです。
 暮らしや産業の基盤となり、食の魅力を創造する農業や漁業の一次産業の再生と食の復権を図ることが不可欠です。
 そのうえで、一次産業の産物を付加価値のある製品に変える二次産業、製品やサービスを売る三次産業、新たな魅力・物語を創る六次産業へと発展させ、多面的で重層的な産業構造であることが必要です。
 審議会では六つのテーマをあげました。
 地場産業の再生は、自立的な創意工夫と交流による斬新なアイデアをもとに食品産業や商工業の再生を目指します。
 オリーブの振興は、平和の象徴、小豆島の象徴であるオリーブを多面的に活用し、産業づくり、健康づくりを進めます。
 国際化・観光の推進は、インバウンドへの対応や発信力の強化などにより、国内外の観光客に選ばれる観光地を目指します。
 医療・福祉・教育・子育ちでは、雇用や居場所の創造や人づくりの視点を大切にし、誰もが役割や仕事をもって暮らせる基盤をつくっていきます。
 アート等による新たな魅力づくりでは、アーティストや有識者などの知恵や発想力を活かして、新たな起業や地場産業の魅力をつくっていきたいと思います。とりわけ、瀬戸内国際芸術祭を通して培われた関西のアーティスト等とのつながりを活かします。
 主な新規事業は次のとおりです。
 一次産業の再生と食の復権については、新たに漁協と連携した協議会をつくり、地元水産物の物流改革や漁業の生き残り策を研究します。
 香川大学、高知大学の協力を得て、アサリの住める里海の研究、ノリの色落ち対策の研究などを進め、高齢者の活躍等による里海再生事業を行います。
 中山地区の簡易水道統合後においても、名水百選「湯船の水」の有効活用を図るため、取組みの具体化を進め、平成29年度の補正予算により、湯船の名水活用事業を行うこととしています。
 古民家等を活用した集落再生事業により、堀越地区に滞在型宿泊施設が民間の力で整備されます。地元農産物、海産物の加工、商品開発等の拠点を国土交通省の「社会資本整備総合交付金の空き家活用型」を利用して整備し、民間事業者と地域の協働により地域の活性化を目指します。
 地場産業の再生については、空き店舗バンクの開設や専門家による経営相談の強化、地元商店主催のイベントなどを支援し、商工会の強化を応援します。
 かがわ産業支援財団へ職員を派遣することで、財団との連携を強化し、さまざまな支援事業の活用を推進します。
 小豆島手延素麺組合との連携を強化し、港でのお接待によるPR、宿泊施設でのメニュー化などを進めます。
 小豆島食材開発会議と連携し、長命草など新たな食材の開発を平成29年度の補正予算により支援したいと考えています。
 日清食品顧問の中川氏と若手企業家による地場産業の魅力づくり・人材育成も進めていきます。
 オリーブの振興については、オリーブトップワンプロジェクトの第三期3か年戦略を策定し、県をはじめとする関係機関とともに新品種開発、炭疽病対策等を強化します。
 2018年度のオリーブサミットの開催、2020東京オリンピック・パラリンピックでのオリーブ冠の贈呈の実現に向けて取り組んでいきます。
 国際化・観光の推進については、情報基盤を強化するため、寒霞渓山頂にWi‐Fi環境を整備するほか、農村・漁村の体験型民泊を研究する一村一泊プロジェクトの展開、ふるさと村を拠点とした体験ツアーの創造、官民連携による本格的な大型クルーズ船の誘致、神戸港開港150周年記念事業の開催、インバウンドに対応したSNSの活用、小豆島観光協会のホームページの多言語化、観光商談会などによる情報発信などを行うことにしています。
 医療・福祉・教育・子育ちについては、内海病院跡地に特別養護老人ホームと小規模老人保健施設を整備するほか、子育ちについても、アクションプランに基づき、さまざまな取組みを展開していきます。これらの取組みも、産業を強くし、産業づくりの基盤となります。
 アート等の持つ斬新な発想やさまざまな取組みについても、新しく独創的な産業づくりを応援するものです。
 鳥獣被害が深刻になっています。イノシシの捕獲が年間千頭を超えました。予算を増額し、個人でできること、地区で取り組むこと、行政で取り組むことを一体にして対策を講じていきます。(平成29年3月10日)

農業、漁業など一次産業も含め
商工業を議論する商工業振興審議会

これからの「産業づくり」の取り組み
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平成29年度海と漁業の再生事業の取り組み
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町内の園児たちによる稚魚放流


古民家等の活用による集落再生プロジェクト
-宿がつなぎ、嶋をつなぐ-
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小豆島オリーブトップワンプロジェクトの
新たな展開に向けて
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2020東京オリンピック・パラリンピックでの
オリーブ冠の贈呈の実現に向けて取り組みます

寒霞渓山頂のWiFi環境整備
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第1882回 施政方針④ 地域の福祉の取組み・教育・子育ちの取組み


(地域の福祉の取組み)
 高齢者福祉に限らず、障がい者福祉、子育ちなどの地域の福祉の取組みが盛んになることが必要です。
 障がいのある人もない人も充実して過ごせる、ぬくもりと希望の島づくりの実現に向けた取組みをします。
 障がいのある人の「学びの場」、「働く場」、「暮らしの場」、「ふれあう場」の充実が求められています。
 香川県教育委員会が、小豆島での特別支援学校の設置に向けた検討を始めてくれることになりました。とても画期的なことです。特別支援学校ができれば、重い障がいがあっても、小豆島で学ぶことが可能になります。
 教育の現場では、ハンディキャップをかかえる児童、生徒が増えています。
 特別支援学校設置に向けた検討を、県教委とともに小豆島でも行うとともに、中学校などでの通級指導員を新しく配置するほか、研修による教員のスキルアップを図り、特別支援教育の裾野を充実します。
 特別支援学校の設置は、小豆島の障がい福祉を大きく変えるきっかけになります。「学びの場」とあわせて「働く場」、「暮らしの場」、「ふれあう場」の充実も必要です。
 平成29年度では、平成30年度から6年間の障がい者計画と3年間の障がい福祉計画を策定します。
 この計画づくりの中で、教育・生活・仕事・交流の4つの柱の充実を図り、障がい者支援施設設置に向けた検討、働く場のあり方について、現地視察、調査研究、障がい者や家族との意見交換、講演会などを実施し、具体化を進めていきます。
 障がいのある人たちへの支援は、小豆島町だけでなく、土庄町と一緒に、島全体として行うことが必要です。障がい福祉計画づくりを含め、土庄町と連携しながら進めていきたいと考えています。
 このほか、劇団ままごとによる特別支援学級児童を対象とした演劇ワークショップ、アーティストによる小学校での障がいのある児童とのワークショップ、交流会の開催など、交流の場を充実していきます。

(教育・子育ちの取組み)
 教育と子育ちは、小豆島の未来を担う子どもたちを育てる何よりも重要な政策テーマです。
 今、小豆島町総合教育会議において、小豆島町教育大綱について議論をしています。
 総合教育会議は、地方自治体の長と教育委員会で構成する組織ですが、高校、中学校、小学校、幼稚園・保育所の校長・園長・所長、町議会議員に参加していただき、ご意見を伺っています。
 今年度末には、教育大綱をとりまとめることとしていますが、「幼・保、小、中、高の一貫教育の推進」、「子育ち応援の充実」、「生涯学習と文化・芸術の推進」、「ぬくもりと希望の島づくりの推進」で構成されています。
 若者たちの活躍が目立っています。頼もしい限りです。今年は、いよいよ4月に小豆島中央高校が開校します。統合ではなく、新しい高校の誕生です。小豆島らしい、小豆島に相応しい、小豆島でしかできない高校になってほしいと思います。
 そのためには、新しい高校を島がひとつになって応援し、支えなければなりません。
 小豆島中央高校を頂点にして、幼・保、小、中、高の一貫教育を目指します。どのような分野で一貫教育を行うか、小豆島中央高校と両町の教育委員会が一体となって取り組んでいく必要があります。
 新しい高校が誕生することも踏まえ、小学校の再編、小豆島中学校の小高跡地への移転なども、順次計画的に進めていくこととしています。
 とりわけ小高跡地については、中学校の移転、体育館などの活用など、小豆島町の教育・文化・スポーツ活動の総合的な拠点として活用すべく、準備を進めていきます。
 今後、香川県とも協議を進め、順次、予算化し、計画的に整備を進めていきます。
 平成29年度の新しい取組みは次のとおりです。
 幼・保、小、中、高の一貫教育の推進については、小豆島中学校に吹奏楽部を設置し、活動のための楽器を購入します。
 学習支援を要する生徒のため、中学校に通級指導員を新たに配置します。
 中学校の建設事業着手まで、小豆島高校跡地を適正に管理するために必要な予算については、香川県との協議を進め、平成29年度の補正予算で対応したいと思います。
 子育ち応援については、「すくすく子育ち応援アクションプラン」に基づき、着実に、多様な施策を進めていきます。
 公立認定こども園の整備が遅れることに対応するため、当面利用していく内海保育所の耐震診断を行い、安全確保に万全を期します。
 生涯学習と文化芸術については、三都公民館の新築工事を進めるほか、土庄町と共同で、小豆島農村歌舞伎の国の重要無形民俗文化財指定に向けて、記録作成をします。
 こどもたちの多様なコミュ二ケーション能力の育成を図るため、全ての小学校で、演劇ワークショップ、芸術鑑賞を実施します。
 小豆地区特別支援学校設置に向けた取組みを行うとともに、教育部局と福祉部局が一緒になって、障がい者支援施設の新設、働く場の充実、多世代交流拠点の拡充に向けた取組みをします。
 小豆島町奨学資金貸付金の返還免除期間を8年間から5年間に改正します。(平成29年3月9日)

―ぬくもりと希望の島―
障がいをもった人もそうでない人も
充実して過ごせる島づくりの実現へ
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ぬくもりと希望の島づくりスケジュール(案)
(クリックすると拡大できます)

劇団ままごとによる特別支援学級児童を
対象とした演劇ワークショップ

教育と子育ちは、小豆島の未来を担う
子どもたちを育てる重要な政策テーマです

教育・子育ちの取り組み
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小豆島中央高校を頂点にして
幼・保、小、中、高の一貫教育を目指します

コミュニケーション教育の取組
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平田オリザ氏による
演劇ワークショップ授業

特別支援教育の充実
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第1881回 施政方針③ 健康づくりの取組み


(健康づくりの取組み)
 健康づくりは、一人ひとりの皆さんの幸せにつながるだけでなく、町全体の幸せにつながります。
 小豆島中央病院が開院したことは、小豆島の地域医療を守る上で、とても大きな意味を持つだけでなく、小豆島が元気になっていく基盤となるはずです。
 小豆島中央病院の運営にあたっておられる佐藤企業長をはじめとする医療スタッフに感謝するとともに、島民をあげて、この病院を守り、育てていかなければならないと考えています。
 小豆島中央病院が、健全に経営されていくためには、医師をはじめとする必要な医療スタッフが確保されていなければいけません。島民の皆さんにも、この病院を自分たちの病院として活用していただきたいと思います。
 小豆島中央病院は、初年度開院時の混乱などの問題もありましたが、順調に推移しています。
 課題をひとつひとつ解決し、大勢の島民の皆さんに利用していただきたいと思います。
 小豆島は、土庄町、小豆島町が一緒になって、小豆島中央病院を核とした地域包括ケアシステムによる地域づくりを進めていくことが必要です。
 このため、医師会、介護事業者など地域の関係する皆さんが参加した小豆医療圏地域包括ケア連絡会を中心にして、さまざまな取組みを進めていくことにしています。
 小豆島中央病院に地域包括ケア病床を導入し、地域包括ケアの充実と経営改善に努めたいと思います。
 「小豆島の地域医療を守り育てる島民運動」を進める皆さんと一緒になって、小豆島中央病院への島民の皆さんの理解を深めていきたいと思います。
 小豆島中央病院の運営を支えるため、国の制度を活用しながら、救急対応など公立病院としての役割を果たすための財政支援を行います。医師等の人材を確保するための寄付講座や定住促進を強化するほか、職員のスキルアップ支援、産科医・救急勤務医の支援等を進め、財源として、国の地域医療介護総合確保基金を活用していきます。
 小豆島中央病院の経営基盤を強化するため、将来ビジョンを策定し、収支の見通しを明らかにしていきたいと考えています。
 将来に向けた人材を確保するため、保健医療福祉関係職修学資金貸付事業を充実します。
 対象職種を現行の17職種から歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士を加えて20職種とするとともに、地域包括ケアシステムの実現に向けた優秀な人材を育成するため、月額5万円の修学資金に加えて、月額3万円の特別修学資金を設けます。
 介護は、多職種の連携強化を進めるとともに、高齢者の暮らしに必要な生活支援コーディネーターの設置や介護人材を確保するための研修の実施、バス利用での通院が困難な要介護認定者等ハンディキャップを持つ方へのタクシーチケットの交付などを行います。
 内海病院跡地で、新たに特別養護老人ホームと小規模老人保健施設の運営を開始します。
 これからの介護サービスの在り方を示すため、平成30年度から3年間の新しい介護保険事業計画を策定します。
 健康づくりは、健康ポイント事業の対象者を国保の被保険者に限らず、町民全体へ広げていきます。また、健康づくりの効果を測定するエビデンスの検証を進めます。
 このほか、アート・演劇等による健康づくりやオリーブを用いた健康長寿の島づくりも引き続き実施します。
 昨年11月に、小豆島オリーブ公園が、国土交通大臣により住民サービス部門の「モデル道の駅」として、全国1,107箇所ある道の駅から6箇所のモデル施設のひとつとして認証されました。オリーブ公園のサン・オリーブにおいて、新しく更新したトレーニング機器を用い、運動を行うとともに、オリーブを日常的に食す習慣をつけることで健康増進を図る健康プログラムを新たに始めます。
 高齢者の皆さんには、出来る限り長く元気な高齢者として社会で活躍していただきたいと思います。シルバー人材センターやナースサポートセンターを活用します。高齢者が、農業や漁業などの分野で活躍することは、一次産業の再生につながり、高齢者の健康づくりにもつながります。
 国民健康保険制度は、小豆島町の医療・保健を支える基盤となるものです。小豆島中央病院も国保の直営の病院として位置づけられています。国保は、医療財政のシステムとしてだけでなく、本質的には、小豆島町民の医療・保健を支え、守る、総合的なシステムです。
 その国保が、財政赤字に苦しみ、30年度からは、県単位の広域的な制度になります。30年度以降は、香川県の要請に基づき、市町毎に、保険料率を定めることになります。
 平成29年度の1年をかけて、国保運営協議会や福祉と医療の推進会議の場などを通して、国保の広域化への対応、保険料率の改定等による財政基盤の強化、医療費の分析・研究、健康づくりによる医療費の抑制について議論し、結論を得て、対応したいと考えています。(平成29年3月8日)

小豆島が元気になる基盤となる
小豆島中央病院

小豆島中央病院を核とした地域包括
ケアシステムによる地域づくり(デザイン)
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保健医療福祉関係職修学資金貸付事業
(クリックすると拡大できます)

保健医療福祉関係職特別修学資金貸付事業
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将来に向けた人材を確保するための
さまざまな取り組みを行います

特別養護老人ホーム及び介護老人保健施設
の開設について(内海病院跡地利用)
(クリックすると拡大できます)

平成29年度における
国民健康保険の取り組みについて
(クリックすると拡大できます)

昨年小豆島オリーブ公園が
「モデル道の駅」に選ばれました

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第1880回 施政方針② 当初予算案の基本的な考え方・当初予算案の全体像・当初予算案のコンセプト


(当初予算案の基本的な考え方)
 平成29年度予算案は、ここ7年間私が進めてきた、小豆島を元気にするという物語の総括編です。
 小豆島を元気にする物語は、小豆島の自然、文化、伝統、産業、絆といった小豆島の素晴らしい「宝物」を、このまま急速な人口減少が続けば、守っていけなくなる、それを何としても、人口減少を少し緩げ、素晴らしい宝物を守り、磨いて、次の世代に引き継いでいく、そこに新しい魅力と可能性をつくりあげていく道筋をつくる物語です。
 この物語の主人公は、行政ではなく、小豆島に住むすべての人たちと小豆島を愛するすべての人たちです。私が行うべき役割は、すべての皆さんが活躍できる場をつくり、応援することです。
 社会資本という言葉があります。小豆島を元気にしていく上で必要な社会資本を、ここでは、大きく三つに分けて考えてみました。もちろん、実際は、そんなに簡単に分けられるものではなく、あくまで考え方を整理するためのものです。
 社会資本とは、ここでは、みんなで考えてつくる必要がある、みんなで考えてつくることが適当である、共通の財産や施策の意味です。
 一番目の社会資本は、「ハードの共通的な社会資本」です。道路、港、交通、ダム、水道、住宅、防災施設など、一般に「公共事業」と言われるものです。
 二番目の社会資本は、「ソフトの共通的な社会資本」です。医療、福祉、子育ち、教育など、私たちの暮らしや生活のサービスに関わるものです。
 三番目の社会資本は、「民間主導の社会資本」です。農業、漁業、地場産業、観光など、もろもろの産業分野です。
 このそれぞれの分野の社会資本がバランスよく整備されることが、小豆島が元気になるために必要になります。
 実際の社会資本は、もっと複雑な関係性があり、このように簡単に整理できるものではありませんが、国や県、近隣の自治体、その他の自治体などの協力を得ながら、全体のバランスをよく考えて、かたちづくっていく必要があると考えています。

(当初予算案の全体像)
 平成29年度の一般会計歳入歳出予算の規模は、 98億1千2百万円です。対前年度6億5千7百万円の減、6.3%の減です。対前年度比の減は、内海病院跡地の整備費、公立認定こども園の整備費の減によるものですが、平成29年度予算の規模も、これまでで二番目に大きなものです。
 積極型の予算編成をする理由は、国の地方自治体への財政支援がしっかりしている間、また、小豆島町の財政状態が、国の地方財政支援を前提にして健全であるうちに、必要な社会資本の整備をしておくことが必要だと考えるからです。
 財源の内訳は、自主財源が33億9千9百万円、率にして、34.6%、依存財源が64億1千3百万円、65.4%となっています。
 自主財源比率が、前年度に比べ高くなっていますが、老健施設の残債について、減債基金を活用して繰上げ償還することに伴い、基金からの繰入金が大きくなったためです。
 小豆島町の財政が国によって支えられている「3割自治」であることに変わりはありません。
 平成29年度予算の新規発行の町債は、11億7千百万円で、前年度に比べ減少し、プライマリーバランスは、2億8千万円の黒字になっています。
 平成29年度末の町債残高は、124億7千2百万円の見込みです。
 合併時の町債残高は、83億5千2百万円なので、町債残高は増加していますが、必要な社会資本を整備した結果であり、やむを得ないものと考えています。今後、減債基金を活用しながら計画的に償還していくこととしています。
 平成29年度末の基金残高見込みは、55億3千7百万円です。
 合併時の基金残高は、34億7千2百万円であり、今後の財政調整や町債返済など、基金の目的を達成するに必要な資金は有していると考えています。

(当初予算案のコンセプト)
 平成29年度の予算案のコンセプトは「ぬくもりと希望の島をめざして」です。
  「ぬくもり」は、人と人がつながり、支え合うことで生まれます。人と人のつながり、支え合いがあって、はじめて誰もが安心して「希望」をもって暮らすことができるようになると思います。
 私は、長い間、厚生労働省において、社会保障の企画立案に携わってきました。社会保障の充実は、国民生活を豊かにし、安心できるものにしました。一方、社会保障の課題も明らかになってきました。
 国全体の人口が減少し、少子高齢化が急速に進み、これまでのような経済成長が難しくなる中では、今までのように、国の制度としての社会保障を充実するには、さまざまな制約があることが明らかになってきています。
 中央に財源を集中し、中央が国全体の政策や施策を立案し、それに沿って各地方自治体が政策や施策を実行することが、国全体にとっても、地方にとっても良かった時代が終わろうとしています。
 地方がそれぞれの地方に相応しい政策や施策を立案し、実行することが、国全体にとっても、地方にとっても良い時代が始まろうとしています。それが「地方創生」の本質です。
 「地方創生」だからと言って、すべてを地方で行うことではありません。引き続き、国の役割は大きく、自治体間の財政調整を国は行わなければいけません。国のしっかりとした財政調整の仕組みの中で、それぞれの地方と地域が、それぞれに相応しい政策と施策を立案し、実行することが不可欠です。
 小豆島が、「ぬくもりと希望の島」となるための政策と施策を、平成29年度予算案では、「健康づくり」、「地域の福祉」、「教育・子育ち」、「産業づくり」、「文化・アート」、「住まい・暮らし」に区分して、整理してみました。(平成29年3月7日)

平成29年度予算案は小豆島を
元気にするという物語の総括編です

小豆島の自然、文化、伝統、産業、絆と
いった小豆島の素晴らしい「宝物」

「健全な地域社会システム」のデッサン
(クリックすると拡大できます)

一般に「公共事業」と言われる
「ハードの共通的な社会資本」

暮らしや生活のサービスに関わる
「ソフトの共通的な社会資本」

農業、漁業、地場産業、観光などの産業分野
「民間主導の社会資本」

平成29年度予算編成のコンセプト
(クリックすると拡大できます)

 平成29年度の予算案のコンセプトは
「ぬくもりと希望の島をめざして」です

地方がそれぞれの地方に相応しい
政策や施策を立案し、実行することが
「地方創生」の本質です

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第1879回 施政方針① はじめに・小豆島の歩み


(はじめに)
 平成29年度は、私が町長になって8年目となる年です。
 「小豆島を元気にしたい」という思いでふるさとに戻ってきた、私の思いは、叶ったのか、叶おうとしているのでしょうか。
 平成28年の人口の状況を香川県が発表しました。小豆島町の人口の高齢化率は42.1%、人口の自然減は172人、社会減は115人でした。高齢化率は香川県内最高です。人口の自然減も、社会減も大きな数値でした。
 この数値を見る限り、「小豆島町は元気を取り戻そうとしている」というのは難しそうに思えます。人口の自然減を政策や努力によって変えることは難しいことですが、社会減は、政策や努力で変えることができます。平成28年の数値を見る限り、小豆島を元気にしようとするさまざまな施策や取組みは、人口減少には効果をもたらすことができていないように思えます。
 一方、平成25年の人口の社会減は41人、26年は121人、27年は13人でした。これらの数値を見る限り、社会減は、年によって変動が大きく、その評価は、単年度ではなく、また、もう少し内容を精査し、中長期的な視点で見る必要があることもわかります。
 ここ数年、100人を超える皆さんが小豆島町に移住されています。しかも大半は、20代、30代の方です。
 高校生をはじめ若い世代の皆さんの活躍が目立ってきています。瀬戸内国際芸術祭の賑わいで見られるように、小豆島への期待感は内外で高まっているように感じます。
 間違いなく、小豆島は今、変わろうとしている、変わらなければいけないと思います。小豆島に限らず、私たちの国全体は、これから人口減少という大きな課題を克服し、人口減少を前提にして、私たちの社会の新しいあり方をつくっていくことが必要です。
 小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆など地域の宝物を、人口が減少する中で、どう守り、どう磨き、どう次代に引き継いでいくことができるでしょうか。その答えを出し、そのための道筋をつくることが、私の町長としての使命、ミッションです。
 町長として8年目を迎える平成29年度も、小豆島を元気にする取組みに全力投球します。そして、その取組みについて、町民、島民の皆さんから率直な評価を受けたいと思います。

(小豆島の歩み)
 この数年、小豆島にとっては、画期的なことがいくつもありました。
 若い皆さんの活躍が目立ちました。特に、小豆島高校の生徒の皆さんは、野球部の甲子園出場や陸上部の男女揃っての全国駅伝大会出場など素晴らしい活躍を見せてくれました。
 小豆島中央病院が昨年4月に開院し、いろいろな課題を抱えているものの順調な歩みを見せてくれています。佐藤企業長をはじめ医療スタッフ、苦労された皆さんに感謝します。
 新しい病院は、小豆島のこれからを引っ張って、変えていくはずです。地域包括ケアシステムという、地域で高齢者が安心して暮らしていくシステムづくりが、土庄町と小豆島町が一緒になった取組みになろうとしています。
 子育てについても、「小豆島町すくすく子育ち応援アクションプラン」がスタートして、意欲的な動きが少しずつですが、活発になってきていると思います。男女共同参画社会の実現などの取組みも少しずつ活発になっています。
 何よりも、瀬戸内国際芸術祭2016では、たくさんの皆さんが小豆島を訪れていただき、賑わいました。アーティストの皆さんが、小豆島の魅力と可能性をかたちにして表現してくれました。
 住民の皆さんも、ウエルカムサポーターとしての英語案内ボランティアなど、海外のお客様を含めて「おもてなし」に果敢に挑戦していただきました。海外21か国、71人の考古学者を招いた世界考古学会議小豆島プレツアーの開催も大きな自信になりました。ある国の学者が「小豆島は多様な魅力が詰まっている。島全体が博物館のようだ。」とおっしゃってくれたことが忘れられません。
 小豆島は、間違いなく、少しずつですが、変わろうとしていると思います。平成29年度にどう臨むか、私の考えを述べます。(平成29年3月6日)

小豆島の人口の状況
(クリックすると拡大できます)

瀬戸内国際芸術祭2016の賑わい


小豆島には素晴らしい自然、文化、
伝統、産業、絆などがあります

小豆島高校の生徒の活躍など
若い皆さんの活躍が目立っています

地域包括ケアシステムが土庄町と小豆島町が
一緒になった取組みになろうとしています

小豆島町すくすく子育ち応援
アクションプランが活発になっています

ウエルカムサポーターの方々の英語案内
ボランティアなど国際化が進んでいます

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第1878回 番外編アーカイブ㉕「北の湖の頬叩き」


 ちょっといい話-14「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成6年11月号
 「北の湖の頬叩き」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 全国クリーニング環境衛生同業組合連合会主催のクリーンライフ運動キャンペーンで、池袋のサンシャイン・シティに行った。小川会長ほか全ク連の方々と揃いの白のジャケットを着て挨拶をする。不思議なことに、白のジャケットを着ていると、この運動のねらいである「健康」「美しさ」「楽しさ」に包まれた気分になってくる。  
 若いころ身なりや格好に無頓着だった。学生の時は下駄履きに長髪。銭湯もたまにだけ。「初めて会った貴方の靴はほこりだらけ」と今も女房は言う。「塩田君のズボンには折り目がなく、小銭の音がする」と結婚式での上司の言葉。  
 今は、髪の長さや形、ワイシャツのしわ、ネクタイの色、もちろんズボンの折り目も気になる。どうしてこんなに変わってしまったのだろうか。女房の功績が最大の理由であることは言うまでもない。年をとるにつれ、自分のことだけでなく、自分が外からどのように評価され、また、どのような振舞いが期待されているかを考えるゆとりができてきたのか。  
 横綱北の湖が頬を叩いてから土俵に上がっていたのを覚えている。決して美しい振舞いとは言えないかもしれないが、これによって彼は勝負前の自分を鼓舞させていたに違いない。私は、自分が身なりや格好が気になるようになったのは、「北の湖の頬叩き」のようなものだと思っている。  
 全ク連のクリーンライフ運動の一環として、関東ブロックでは、文化放送とタイアップして、1年間店頭に“クリーンライフみのりの箱”を置いて募金活動を行っている。今年でもう9年になる。毎年1000万円近くの額になる。今年の募金贈呈式では、井出厚生大臣も白のジャケットを着て、障害者の共同作業所の代表者に寄付目録を渡した。“クリーンライフみのりの箱”募金は、塵も積もって山となるのが、中小企業が主体である環衛業に似合っている。オゾン層保護のためのドライクリーニング溶剤転換、消費者ニーズに対応した経営やサービス提供の在り方の検討など、クリーニング業を取り巻く課題も少なくないが、この募金活動のように知恵と力が集まれば、山をも動かすことができる。


小豆島町出身力士の琴勇輝も取組前に
「ほうっ」というかけ声で自分を鼓舞していました

 (注釈)  
 北の湖は、嫌われるほど強い大横綱でした。北の湖は、土俵に上がるときに、頬を叩いて気合を集中していました。
 今の大相撲力士も、いろいろかたちで気合を集中する動作をしていますが、北の湖の動作ほど、わかりやすいいものではありません。
 身なりや恰好をあまり気にしないという点については、もしかすると、今も十分ではないかもしれません。
 このエッセイで書いてあるように、身なりや恰好をよくすることは、北の湖の頬叩きと同じく、本人にとって、気合を入れるものであることに、気づいたのは卓見かもしれません。
 身なりや恰好をよくすることが、本人にとっての意味以上に、まわりの人にとっての意味の方が大きいのはいうまでもありません。町長ともなればなおさらです。だいぶ良くなっているはずですが、ときどき、まだ昔のぼくのままかもしれませんね。
 いずれにしても、全ク連の皆さんは、とても逞しく、行動力のある皆さんでした。いろいろなことを教えてもらいましたが、このエッセイで書いた「身なりや恰好の大切さ」が一番のことでした。日常生活を送る上での、大切なものを守ることを、理容店、美容店、クリーニング屋さんなどの「生活衛生関係業」の皆さんは、仕事そのものにしていることに気づかされました。(平成29年3月3日)


理容店、美容店、クリーニング屋さんなどは
「身なりや恰好の大切さ」を仕事そのものにされています

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第1877回 小高卒業式式辞


 卒業生の皆さん卒業おめでとうございます。  
 皆さんは、小豆島高校最後の卒業生です。この3年間の皆さんの活躍は、小豆島高校の最後に相応しいものだったと思います。皆さんのこの3年間の活躍に、私たちは、大きな感動と感激をもらいました。  
 初めての甲子園出場、素晴らしい選手宣誓も、プレイも、応援も、みんな見事なものでした。陸上部も、男女とも都大路を香川県代表として駆け抜けました。島がひとつになりました。他のさまざまな文化活動、スポーツ活動、学校活動だけでなく地域活動などでも皆さんは素晴らしい成果を上げました。  
 高校を卒業することは、人生の最も大きな転機のひとつです。高校を卒業して、何を目指すか、どこを目指すかを、自分が決めなければいけません。どう生きるかを自分自身が決め、自分自身が責任を持たなければいけません。  
 私の場合、卒業の年に、希望の大学に合格できませんでした。くじけそうになったとき、助けてくれたのは、家族であり、友人であり、先生でした。何としても自分の夢を実現するために、もう1年頑張ると、強い気持ちを持つことができました。  
 皆さんのなかには、希望が叶った人もいると思いますが、叶わなかった人もいると思います。人生は長いです。1年や2年、遅れたからといって、何も心配はありません。厳しい経験が、後々の人生で活きてくるはずです。今年希望が叶わなかった人は、神さまがくれた試練と考えて、夢の実現に向けて頑張ってほしいと思います。  
 皆さんに、話したいのは、私たちの小豆島のこれからです。私は、私たちの島は、歴史や時代が変わるときに、一定の役割を果たすことが運命づけられた島ではないかと、考えることがあります。
 京都や大阪などの中心地に近く、瀬戸内海のど真ん中にある小豆島の地政学的な役割なのかもしれません。小豆島は、1400万年前の瀬戸内地域の火山活動により誕生しました。その後1000万年の浸食などにより、寒霞渓が誕生し、ほぼ今のかたちになりました。8世紀はじめに書かれた古事記の「国生み神話」に10番目に生まれた島として小豆島が登場します。このことは、その時点、もう小豆島は国政の要地であったことを意味します。空海が、9世紀に小豆島で修行をします。後の小豆島八十八ヶ所霊場につながります。16世紀にはヨーロッパの宣教師が小豆島にも来て、小豆島を「神の島」にしようとします。小豆島には、隠れキリシタンの遺産がたくさん残されています。江戸時代、小豆島は、醤油、農村歌舞伎、石、素麺など、今も続く、素晴らしい産業と文化を築きます。近代になり、明治、大正、昭和、平成と、小豆島を含め、日本は、経済、産業、文化など、大いに繁栄します。  
 江戸時代を、地方がそれぞれ地域の魅力を築いた「地方の時代」とするならば、明治以降は、「中央の時代」です。地方よりも中央が優れていると考えた時代です。  
 大都市に人口が集中し、科学技術は発展し、経済が成長し、中央に人材と財源を集中し、中央で国全体の政策を考え、地方がそれに従い、実行することが、国全体にとっても、地方にとっても良かった時代です。  
 私は、今、その「中央の時代」が終わろうとしている、変わろうとしていると考えています。歴史、時代が今大きく変わろうとしていると考えています。長く続いた「中央の時代」が終わろうとし、再び「地方の時代」が来ようとしています。もとの「地方の時代」に戻るのではなく、新しい「地方の時代」です。  
 地方の魅力を守り、磨き、新しい魅力と可能性をつくる「地方の時代」です。すべての地方が輝くのではなく、自分たちの魅力と可能性に気づき、自分たちの知恵と力、外の人の知恵と力をあわせて、良きものを守りつつ、新しい可能性にチャレンジしようとする「地方」が輝く時代です。  
 私は、瀬戸内国際芸術祭での島内外の人が一緒になった取組みや、皆さんの甲子園での活躍、都大路での頑張りに、小豆島で、新しい「地方の時代」の息吹を感じています。  
 私の小豆島高校入学式で、もう半世紀前のことですが、当時の湯川明夫校長が、「君たちは、これから島の最高学府で学ぶことを誇りにして勉学に励んでほしい」と言われたことが、昨日のことのようです。「島の最高学府」は、小豆島中央高校」に引き継がれます。小豆島高校の伝統と精神は、小豆島中央高校が、引き継いで、発展させてくれます。小豆島高校の97年の歴史は幕を閉じますが、この学び舎は、これから、小豆島の教育、文化、スポーツの拠点として、活かされていきます。何年か後には、この地で、小豆島中学の皆さんが学んでいることでしょう。小豆島高校の精神と魂は、この場所と新しい小豆島中央高校に、永遠に生き続けていきます。  
 小豆島の未来、日本の未来、世界の未来のために、皆さん輝いてください。卒業おめでとうございます。(平成29年3月2日)

小豆島高校としのて最後の卒業式


小豆島高校の卒業生として
最後の卒業証書を授与しました

小豆島高校定時制の卒業式

在校生と卒業生は、応援団の指揮のもと
最後の校歌を歌いました

選抜高等学校野球大会に出場した
野球部

男女揃って都大路を駆けた
陸上競技部

「島の最高学府」を引き継ぐ
小豆島中央高校

小豆島高校はこれから小豆島の教育、文化、
スポーツの拠点として活かされていきます

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第1876回 番外編アーカイブ㉔「ふるさとの風景」


 ちょっといい話-12「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 平成6年9月号
 「ふるさとの風景」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 私のふるさとは「二十四の瞳」で知られる瀬戸内海の小豆島。指導課長になるとは、思ってもいなかった6月のある日、父の3回忌でふるさとに帰った。  
 岡山港から今にも出港しそうな船に飛びのったら、どこか見覚えのある美女。お互いに顔を見合わせると、高校時代の同級生。20数年ぶりに会った彼女は家業をついで旅館の女将。テレビでもよく取り上げられる花形の職業だから、さぞかし優雅な生活だろうと思っていたら、いろいろ苦労話を聞かされる。  
 その日は、久しぶりに小学校時代の友人がやっている理容店にいく。驚いたことに、昼間クリーニング屋さんに働きに出て、夕方の6時から理容店をやっているという。ふるさとは過疎化が進んでいて、この方が仕事も効率的だという。さんぱつをしてもらいながら、年金の不安やらいろいろ聞かされる。  
 そして、7月15日。尊敬する先輩の鈴木さんが急に辞められ、ショートリリーフの高尾課長のあとを受けて、思いがけなく指導課長の辞令を受ける。思えば、今度の異動は何かの糸で繋がっていたのかもしれない。ふるさとは観光の島。沢山の旅館と飲食店。そうめんに醤油。美容院、クリーニング、銭湯……。生活が息づく色とりどりの環境関係営業は、ふるさとの風景に似つかわしく、ふるさとの香りがする。  


素麺の箸分け作業のようす

 この数年、高齢化に関する仕事、なかでも、民間セクターの知恵と力をどうしたら高齢社会づくりに生かせるかというテーマに取り組んできた。その仕事の中で、いろいろな人に出会い、お話を伺うことができた。指導課長になって1ヶ月。これまで以上に、いろいろな立場で苦労され、活躍されているバラエティに富んだ方々にお会いできそうだ。知恵を絞り、汗を流している皆さんと、これから、ともに考え、歩いていきたい。

 (注釈)  
 平成6年7月に、厚生省生活衛生局指導課長に就任しました。はじめての本省の課長です。仕事は、理容業、美容業、公衆浴場、クリーニング業、飲食店、旅館業などの振興でした。どのお店、営業も、まちになくてはならない、人々の暮らしにかかわる大切な仕事です。 課長に就任してから毎月、業界の皆さんとの出会いをエッセイにすることになりました。このエッセイは、記念すべき第一回目のもので、ふるさとの同級生たちをとりあげています。
 旅館の女将の同級生の彼女は、残念なことに、その後、病気で早逝しました。旅館も廃業になりました。どうしたら、その旅館を再生できるかと、苦労をしただろう彼女のことを思いながら考えることがあります。理容店の彼は、今も元気ですが、理容店はもう閉めています。  
 このころ書いたものを読みかえすと、当時のことが懐かしく思いだされますが、20年経って、僕は、ふるさとに戻ってきて、再び、いろいろな立場で苦労され、活躍されているバラエティに富んだ人たちに、再び毎日会っています。知恵を絞り、汗を流している皆さんと、ともに考え、歩いています。(平成29年3月1日)


小豆島町の地元商店

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