小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1933回 「課長になった皆さんに期待すること」<下>


 これからは、「地方の時代」です。そのことのポイントとして、市町の課長の皆さんに心がけ、考えてほしいことはいろいろありますが、今日は、次の四つのことをあげたいと思います。  
 一番目は、繰り返しになりますが、国に頼らないことです。自分たちの課題の解決策は、自分たちで考え、自分たちの力で解決することです。  
 二番目は、前例はないことです。もちろん参考になること、ヒントはあります。前例を、自分たちでつくらなければいけません。  
 三番目は、医療も、福祉も、教育も、文化・アートも、農業・漁業、地場産業もみんなつながった政策であることです。  
 例えば、高齢者福祉課長は、医療や介護サービスのことだけでなく、地域の高齢者の皆さんが、健康で、地域の一員として、山や田んぼ、畑の世話、子育ての応援、文化活動などいろいろな分野で活躍できることを考えてほしいと思います。国の政策、施策を忠実に実行するだけでは、その責任を果たしたとは言えません。  
 同じ意味ですが、四番目は、国は本質的に縦割りの政策であり、それをそのまま忠実に実行するだけでは、地方としては不十分であり、地方は、横軸、横割りでみんなで政策を考え、実行することが求められています。  

「地方の時代」のポイント
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 「地方の時代」の意義を、私は次のように考えています。  
 かつて、例えば、江戸時代、私たちの先達たちは、地方、地域で、知恵をしぼり、力をあわせて、地元の独自の産業・文化をつくりあげてきました。私たちの小豆島でも、醤油、そうめん、農村歌舞伎、石の文化など、江戸時代に始まった産業と文化が今も続けられ、小豆島の魅力に なっています。  
 江戸時代の終わりに日本を訪れた何人もの欧米人が、「この国では、貧しくても、山や田んぼ、畑の手入れが行き届き、人々は幸せそうに、陽気にいつも笑顔、こどもたちの目がきらきら輝いている」と書き記しています。そのような日本でありたいと思います。地方、地域が輝いていなければいけません。 京都大学総長のサル学者の山極寿一さんは、次のようなことをおっしゃっています。サルが人間に進化するときに、人間には、「家族」と「共同体(地域社会)」の二つの存在が必要であった。サルは、熱帯雨林に住んでいました。熱帯雨林は、いつでも食料を得ることができ、安全でした。熱帯雨林を出て、サバンナ(草原)に住むようになって、サルは人間に進化しました。サバンナ(草原)では、熱帯雨林とは違って、食料を得るために遠くに出かけ、食料を蓄え、分配することが必要になりました。敵に襲われる危険もありました。安全を守り、子育ても共同で行うことが必要でした。絶対的な信頼関係の「家族」と、ルールを決めた「共同体(地域社会)」が必要でした。  

「地方の時代」の意義
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 人間は、段々進歩して、やがて「国家」という大きな集団をつくりました。国家は、どんどん大きな存在となり、社会保障という国の制度をつくりました。国の制度としての社会保障は、「顔」の見えない助け合いの仕組みです。  
 「顔」の見えない助け合いが、持続可能なものであれば、それほど、問題が顕在化しなかったかもしれませんが、人口が減少し、経済成長が難しくなると、「顔」の見えない助け合いは、持続させることが難しくなります。一方で、人間として本質的に必要な存在である「家族」や「共同体(地域社会)」が弱体化しています。  
 何事も健全なバランスが必要です。健全な「家族」や「共同体(地域社会)」とはどういうものか、そんなに簡単な答えはありませんし、もちろん、かつての「家族」や「共同体(地域社会)」に戻ることでもありません。  
 これから、どんな「家族」や「共同体(地域社会)」をつくっていくのか、人口減少時代の新しい社会のあり方は、どうあったらいいのか、それぞれの地域で、みんなで考え、実践していくことが、「地方の時代」の意義だと思います。
 それぞれの市町で、新しく課長になられた皆さんに、大いに期待しています。ご清聴ありがとうございました。(平成29年5月25日)

健全な地域社会システムのイメージ
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第1932回 「課長になった皆さんに期待すること」<中>


 私の霞が関での仕事は、とても充実したものでした。時代が、とてもよかったのです。それぞれの中央省庁が、それぞれの分野で、生き生きと仕事ができた時代だったのです。  
 人口が増加し、経済が順調に成長している時代、中央に人材と財源を集中し、専門的縦割りの政策を国が立案し、それに従って地方が施策を実行することが効果的でした。  
 私は、厚生労働省と環境省で仕事をしました。厚生労働省では、児童福祉、高齢者福祉、障がい者福祉などを専門分野別に整備し、医療も、年金も、それぞれ充実していくことができました。  
 環境省では、経済成長の負の側面をどのように減らし、国土の保全と環境の保全をどのように調整するかという、政策として、ある意味、わかりやすく、やりがいのあるものでした。  
 ところが、日本全体として、人口が減少し、経済成長も鈍化するようになってから、社会保障の分野も、環境政策の分野も、専門分野別に対応しただけでは答えを出せない難しい状況になっていきました。  
 社会のあり方、政策形成の在り方を、国が中心になった縦割りの対応ではなく、地方、地域ごとに、問題を横軸、横割りにして、考えていくことが必要な時代になろうとしています。「地方」が主体的に考える「地方の時代」が来ようとしています。  
 しかし、実際の地方、地域は、どんどん力を失おうとしています。このままではいけない、ふるさとの小豆島に戻り、元気を取り戻さなければ、小豆島で「地方の時代」を実践したいと思いました。平成22年3月、私は、小豆島に戻りました。  
 (以下、「小豆島の魅力」、「小豆島が歴史的に果たした役割」、「小豆島の課題と可能性」、「瀬戸内国際芸術祭の意義」、「何故I・Uターンが増えたのか、I・Uターンが持続するために何が必要なのか?」、「健全な地域システムのイメージ・健全な地域社会システムであるために必要なこと」、「小豆島町の総合戦略・小豆島の基盤をつくる施策」、「小豆島町の総合戦略の基本施策」について話しましたが、それぞれこのブログでも紹介していますので、省略します)  
 江戸時代は、「地方の時代」でした。江戸幕府という中央政府はありましたが、江戸時代の中央政府は、地方に重税を課し、任務を課すのみで、地方は、それぞれ創意工夫をして、それぞれの地域の独自の文化と産業をつくりあげました。  
 そして、近代が始まり、明治以降の日本は、中央に人材と財源を集め、中央が政策をリードする「中央の時代」となりました。人口が増加し、経済も成長し、日本は大いに発展しました。しかし、今、日本全体の人口が減少し、経済の成長が難しい時代を迎えています。  
 近代という時代が終わり、新しい時代が始まろうとしています。新しい時代は、再び、「地方の時代」です。それが「地方創生」が求められる理由です。
 小豆島町の「地方創生」の総合戦略では、基本理念を次のように整理しています。
〇小豆島の豊かな自然、文化、伝統、産業、人と人の絆などを守り、その魅力を磨き、新しい価値を加えて、次の世代につなげていく
〇日本や世界の人々との関係をつくり、お互いに交流し、みんなで助け合いながら、島の魅力を 高める
〇地域の連帯感や助け合いの心で、自分たちの地域に誇りと自信をもって地域をつくっていく
〇自分たちのことは、自分たちで考え、行動し、変えていくという、本来の姿を取り戻す 
 これらが、次の時代、「地方の時代」に必要な理念になると思います。(続く)(平成29年5月24日)

霞が関での経験
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豊かな自然・文化・伝統・産業などが残る
小豆島の魅力

大坂城の石垣用の巨石を切り出した
大阪城石垣石切丁場跡「大天狗岩」

瀬戸内国際芸術祭

移住者によるジェラートショップ

小豆島町の人口ビジョンと総合戦略
【基本理念】
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第1931回 香川県市町新任課長研修会での講話「課長になった皆さんに期待すること」<上>


 市町などで新しく課長になった皆さんに、話す機会をいただいたことを感謝します。「課長になった皆さんに期待すること」というテーマで話します。
 四つのことを話します。一番目に「マイ・ヒストリー」、私は、「どこから来て、どこへ行こうとしているのか」。次に、「課長の仕事は何か」、今日の結論の話です。  
 二番目は、私は、7年前Uターンして小豆島に戻ってきたのですが、「何故私はふるさとに戻ってきたのか、ふるさとで何を目指しているのか」を話します。  
 三番目は、小豆島町、小豆島の政策と目指すものです。 四番目は、「地方の時代」が再びやってきていることについて話します。「地方の時代」に必要なことを話します。 
 まず、「マイ・ヒストリー」です。 (以下、省略)

 

香川県市町新任課長研修会のようす

 「課長の仕事」について話します。  
 一番目に、課長は、市なら市、町なら町の、その分野のたった一人の責任者です。例えば、高齢者福祉課長は、市町では一人しかいません。課長次第で、その市町の高齢者福祉が決まってしまいます。  
 民間企業の課長なら、他社にライバルの課長がいます。競争をして、出来の悪い課長の企業が撤退することになっても、勝った企業が生き残っています。行政の分野では、競争相手はいません。課長は、その分野のたった一人の責任者です。その責任の重さが、行政の課長にはあります。そのことを忘れないでほしいと思います。  
 二番目に、課長の任期は、通常二年か三年しかないことです。その短い期間に成果をあげなければいけません。「2年くらいなら無難に過ごせばいいではないか」と考える課長が続くと、その市町のその分野は、あっという間に、停滞してしまいます。  
 私は、厚生労働省、環境省、北九州市、財団法人長寿社会開発センター、福祉医療機構で10を超える課長などのポストを経験しました。どのポストも、大変おもしろく、それぞれ一定の仕事をできたと思っています。  
 最初の半年ほどは、関係する皆さんからよく話を聞き、現場をまわって、その分野にどんな課題があるかを把握し、自分の課長の時代に、何に取り組み、どう解決するかを決め、2年目には、それを実行する、そう心がけました。  
 三番目は、私が課長をしていたころには、あまり意識することが少なくてすんだのですが、これからの課長に求められている視点です。それは、縦割りであってはならない、横割りで、他の分野との連携が、これからの課長には求められています。  
 行政の仕事は、通常縦割りです。人口が増え、経済が成長していたこれまでは、縦割りで、それぞれの専門分野ごとに、政策を立案し、進めることが、最も効果的でした。  
 しかし、それぞれの分野が成熟化し、人口が減り、経済の成長が難しくなっている時代には、それぞれの分野のことを縦割りで進めるだけでは、問題の解決が困難になっています。  
 例えば、高齢者福祉課長が、介護対策を考えるとき、要介護の人へのサービスだけでなく、介護予防がより重要であり、健康づくりのひとつとして、例えば、農業分野で高齢者パワーをどう活かすかというテーマについても考えることが求められています。  
 これからの課長は、縦割りの与えられた仕事をこなすだけでは不十分です。他の分野の課長と一緒になって、共通のテーマで、目標を決めて、仕事に取り組むことが求められています。  
 四番目は、国に頼らないことです。地方・地域のことは、地方・地域で考え、地方・地域で答えを出さなければいけないことです。  
 

課長の仕事
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 これまでの市町の課長は、ほとんど、国や県の方針、施策に沿って、市町の仕事をすればよかったと思います。国や県の方針を、きちんと実行することが、課長の仕事の大事な部分でした。
 今までは、国や県の方針に沿って仕事を忠実にこなすことが、国全体のためにも、地方のためにも効果的でした。時代は変わりました。私は、7年前、町長になったとき、福祉分野の課長さんに言いました。「厚生労働省を信じるなかれ。厚生労働省は、必ずハシゴをはずすので、自分たちで解決策を考えること」。  
 決して、厚生労働省を批判したのではありません。政策の展開が必然的にそうなることを言ったものです。高齢化が急速に進もうとしているのに、そのスピードに市町村の対応が追い付いていませんでした。  
 そこで、国は、全国のすべての市町村で、急いで介護支援体制をつくりあげるために、介護保険を導入しました。したがって、介護保険を全国のすべての市町村がフルに活用して、サービス支援体制を築きあげることが最大の課題でした。その結果、全国の市町村で、一定水準の介護支援体制が整えられました。  
 今、国は全体の人口が減少し、経済の成長が一層難しくなっています。介護保険は新しいステージを迎えています。それぞれの市町村ごとに、状況に応じたサービスの展開を考えることが求められる段階となっています。介護保険は、全国共通の基盤となる重度の要介護者対策に特化したものとして持続させ、きめ細かな介護予防などの対策は、地方自治体が独自に行うことが求められています。  
 これからの高齢者福祉課長は、国の方針を、忠実に実行するだけでなく、それぞれの市町に相応しい高齢者福祉のあり方を考え、実行することが一番大切な仕事になっています。(続く)(平成29年5月23日)

厚生労働省

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第1930回 「小豆島への思いと期待」④再び地方の時代へ


 時代は、100年ほど続いた「中央の時代」から再び「地方の時代」になろうとしています。  
 江戸時代、今のように豊かでなかったかもしれませんが、全国各地の地方が、独自の産業と文化を築き、輝いていました。小豆島も、醤油、そうめん、農村歌舞伎、石の文化など、今も続く産業と文化を産みました。江戸幕府に頼らず、自分たちの知恵と力で築いた産業と文化でした。  
 明治以降、人口が増加し、経済が成長し、都市に人材と財源が集まる、「中央の時代」となり、私たちは「豊かさ」を得ました。しかし、時代は再び変わろうとしています。人口が減り、経済の成長が難しくなりました。  
 再び「地方の時代」がやって来ようとしていると思います。地方が、元気になることによって、私たちは、課題を克服していけると思います。「中央」でできることには、制約があります。例えば、国中心の社会保障をこのままのかたちで、持続することは困難です。地域で支え合うことを基本にして、もう一度持続可能な社会保障の再構築が求められています。  
 地方が元気になっていくためには、国の縦割りの政策ではなく、地方ごとに、地域に応じた横割りの政策を大胆に行っていくことが必要です。医療も、福祉も、教育も、農業も、産業も、みんなつながったテーマです。地方、地域ごとに、答えを探さないといけないのです。  
 小豆島町の総合戦略の基本理念にそのことが書かれています。
〇小豆島の豊かな自然、文化、伝統、産業、人と人の絆などを守り、その魅力を磨き、新しい価値を加えて、次の世代につなげていく
〇日本や世界の人々との関係をつくり、お互いに交流し、みんなで助け合いながら、島の魅力を高める
〇地域の連帯感や助け合いの心で、自分たちの地域に誇りと自信をもって地域をつくっていく
〇自分たちのことは、自分たちで考え、行動し、変えていくという、本来の姿を取り戻す  
 私は、10年ほど前、小豆島に戻ろうと思いはじめたとき、次のように考えました。「地方からの日本再生」を実現しようと。人と人の絆、地域の絆を大切にし、「人」の力を生かし、「地域」の力を高めることから、「日本再生」は始まると。  
 必要なことは、「人口減少時代の社会保障の改革」「消費税を含む税体系の抜本改革」「地方の復権の改革」「本物の男女参画社会の改革」を国を主軸にして行うこと、「身近な自然・環境の再生」「『人』をつくる教育の再建」「農林水産業など地域密着の産業の復活」「NPOなど新しい『公』の担い手の創造」を地方自治体を主軸に実行することだと。  
 小豆島に戻って7年。それらが、着実に、少しづつですが、小豆島で実現しようとしています。皆さんとともに、これからの社会のあり方を、この小豆島で実現したいと思います。  
 ご清聴ありがとうございました。(平成29年5月22日)

再び地方の時代へ
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小豆島町の人口ビジョンと総合戦略
【基本理念】
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豊かな自然、文化、伝統などを守り、磨き、
次の世代につなげていくことが必要です

日本や世界の人々との関係をつくり
助け合いながら、島の魅力を高めていきます

地域からの日本再生
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第1929回 「小豆島への思いと期待」③-Ⅱ小豆島(町)の政策とめざすもの<小豆島町の総合戦略の基本施策>


 小豆島町の総合戦略では、今後進めるべき基本施策を8つのグループに分類して整理しています。他の整理の仕方もあると思いますが、できるだけ政策の目標が分かりやすいように整理したつもりです。  
 まず「健康づくり」です。健康であることは、一人ひとりが生きがいを持って小豆島で暮らしていく上で、大切なことです。一人ひとりにとってでなく、一人ひとりが健康であればあるほど、医療費、介護費用を抑制できて、その財源で、教育や文化活動など、いろいろなことが可能になります。  
 社会保障費の増大にどう立ち向かうかというテーマは、国だけでなく、むしろ地方自治体にとって、より重要なテーマです。そのことが国民、町民の皆さんに浸透していないように思います。  
 それだけに、健康づくりに、地方自治体の私たちが本気で取り組めば、国全体の大きな課題を克服できると思います。  
 小豆島中央病院を核として、両町が一緒になって、地域包括ケアシステムづくり、健康づくりなどを進めていきます。  
 オリーブを用いた健康長寿の島づくりの取組みも小豆島ならではの取組みです。  
 障がい福祉の取組みも掲げました。小豆島の障がい者福祉の取組みは遅れています。幸い、香川県教委が、小豆島に特別支援学校の設置の検討を始めてくれています。これに合わせて、障がい者の暮らしの場、働く場、交流の場を、土庄町と一緒になって進めます。  
 国民健康保険は、県単位の運営に移行しますが、小豆島中央病院の活用、健康づくりなどの取組みと連携して、小豆島町の医療費を抑えていくことが、今後とも不可欠です。  
 二番目は、「子育ち・人づくり」です。  
 小豆島町では、「子育て」よりも「子育ち」をよく使っています。こどもが持っている自分の力で「育つ」を応援しようという思いからです。  
 28年3月につくった「すくすく子育ち応援アクションプラン」に基づいて、子育ちを応援しています。プランは、「小豆島の魅力アップ」「子育ちの環境づくり」「地域による応援」「働きやすい職場・やりがいのある仕事の創出」「男女共同参画の実現」ごとに、取組みを掲げています。プランは、とても意欲的なものです。常に見直し、新しい取組みをどんどん行っています。  
 小豆島中央高校を頂点にして、小豆島でしかできない幼・保・小・中・高の一貫教育を実践します。そのひとつは、アート、演劇、音楽などを通して、こどもたちのコミュニケーション能力の向上をめざすことです。  
 小豆島高校跡地は、小豆島町の新しい教育、スポーツ、文化活動の拠点として整備します。  
 三番目は、「産業づくり」です。  
 新しくつくった「商工業振興計画」に基づいて、醤油、つくだ煮、そうめんなど、地場産業の活性化を目指します。木桶の醤油づくりをアピールするなど、「小豆島」というブランドを活かしていきます。  
 医療、福祉、教育、子育て、アート、文化なども新しい産業づくりに活かしていきます。島の魅力を高め、関係人口(ファン)を増やし、観光産業を活性化します。  
 商店を守る商工会の活性化も大切です。  
 四番目は、「一次産業の再生と復権」です。改定前は、「農業の再生と復権」でしたが、漁業を加え、「一次産業の再生と復権」に改めました。農業、漁業などの一次産業の再生と復権こそ、「地方創生」に不可欠であり、本質的なことだと考えます。
 オリーブを始め、地場の産物を活かした六次産業化は言うに及ばず、医療、福祉、教育などと連携した12次産業化、∞無限産業化が求められています。  
 瀬戸内海の海の復権、里海の再生を、高知大学、香川大学などと連携して目指します。  
 五番目は、「文化・アート総合戦略」です。  
 瀬戸内国際芸術祭2019の準備を進めます。農村歌舞伎、88か所霊場などをどう守っていくか、これから取り組んでいきます。壷井栄・黒島伝治・壷井繁治再発見プロジェクトを進めます。東瀬戸内文化圏の「石の文化」の「世界遺産化」を目指します。  
 六番目は、「交通の復権」です。
 バスの運賃、路線の見直しは、小豆島の好循環をつくろうとしています。フェリーボートなど、航路を守る取組みを続けます。通学、通院が安心してできるよう国道などの整備を進めます。  
 七番目は、「自然・環境」です。
 寒霞渓や皇子神社社叢など小豆島の貴重な自然を守る取組みをします。大学、漁協、住民の皆さんと、里海を取り戻す調査、研究を進めます。ごみの減量化を進めるとともに、新しい最終処分場を整備します。  
 八番目は、「国際交流・移住者」です。  
 小豆島や瀬戸内海の魅力を日本と世界に発信します。移住者のさまざまな知恵と力で、小豆島の魅力と可能性を広げていきます。NPO法人と連携し、移住定住を進めます。「福武ハウス」の取組みなどを通して、海外との地域と地域、人と人の交流を広げます。(続く)(平成29年5月19日)

小豆島町の総合戦略の基本施策
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健康づくり
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子育ち・人づくり
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産業づくり
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1次産業の再生と復権
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文化・アート総合戦略
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交通の復権
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自然・環境
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国際交流・移住者
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第1928回 「小豆島への思いと期待」③-Ⅰ小豆島(町)の政策とめざすもの


 小豆島町でも、他の自治体と同じように、まち・ひと・しごと創生法に基づき、「地方創生」に向けた小豆島町の人口ビジョンと総合戦略を、一昨年10月につくりました。人口ビジョンについては、前述のとおりです。  
 総合戦略では、小豆島の基盤をつくるために、速やかに実行することとして、「小豆島中央病院を核とした地域医療の充実」「新しい高校を活かした文武両道の人づくり」「利用者の視点に立った公共交通の再生」「瀬戸内国際芸術祭2016の取組み」を掲げ、向う5年間に取り組む政策・施策として、「健康づくり」「子育ち・人づくり」「産業づくり」「農業の再生と復権」「文化・アート総合戦略」「交通の復権」「自然・環境」「国際交流・移住者」の8つの分野の施策を整理しました。  
 戦略の策定から1年半が経過し、その成果も踏まえ、今年3月、戦略を見直しました。その内容を紹介します。幸いなことに、この1年半で、小豆島の基盤をつくるために直ちに行うべき4つの事項は、おおむね実現できました。そこで、今回は、4つの事項に加えて、新たに「地域の資源を活かした地場産業や一次産業の再生と復権」を掲げました。以下が、新たな5つの目標です。  
 一番目は、「小豆島中央病院を核とした地域包括ケアシステムによる地域づくり」です。  
 昨年4月オープンした小豆島中央病院は、課題はいくつもありますが、概ね順調に運営されています。小豆島が元気になるために、地域医療の充実が必要ですが、その基盤はおおむね整いました。小豆島中央病院を核として、小豆島全体の地域包括ケアシステムをつくることが次の課題です。土庄町と小豆島町がひとつになって、健康づくり、介護予防、高齢者の社会参加などを進めていくことが必要です。子育て、障がい者福祉の取組みも、両町の壁を越えた取組みとして行うことが必要です。  
 香川県地域医療構想で、小豆島と豊島を合わせて小豆医療圏が設定されたことの意義は大きいです。医療圏は、二次医療の範囲としてだけでなく、福祉、教育など、地域づくりの範囲としての意味を持っています。その意味で、小豆2町が一体となったさまざまな取組みが必要不可欠になっています。  
 二番目は、「小豆島中央高校を頂点に土庄町と小豆島町が一体となった一貫教育の推進」です。
 この4月、小豆島中央高校が開校しました。その意味は、二つの高校が一つになったこと以上に大きいです。新高校を頂点にして、小豆島ならでは、小豆島でしかできない教育を、幼・保、小、中、高校を通した一貫教育として実現したいものです。
 そのため、小豆島中央高校長、両町の教育長、両町の小学校、中学校、幼稚園・保育所の校長、園長からなる小豆島教育会議がスタートしました。英語教育、体力・運動能力向上、コミュニケーション教育、ふるさと教育などの分野での一貫教育を目指します。  
 三番目は、「人々の暮らしと小豆島の発展を支える公共交通の充実」です。昨年3月のバス料金、路線の見直しにより、バスの利用者は1.6倍に増加しました。この4月から、高校生の利用が始まりました。朝、内海地区から3台の臨時バスが出ていますが、満員です。私も、その時間帯のバスで池田庁舎に通っていますが、高校生が、病院通いの高齢者に席を譲っているのをよくみかけます。
 公共バスは、人の体でいえば、血液の循環にあたります。高齢者をはじめ、たくさんの方に利用していただき、島の好循環がますます進めば、小豆島はどんどん元気になっていくはずです。  
 交通政策の専門家によれば、バス料金を下げて、利用者が増加した事例はないそうです。小豆島のケースが初めてのようです。それが実現したのは、新病院の開院、新高校の開校、瀬戸内芸術祭をはじめ観光政策とセットで、公共バスのあり方を見直したからと、その専門家は評価してくれています。  
 残された課題は、フェリーボートの航路の維持と料金のあり方です。16年間も休止していた坂手港と神戸を結ぶフェリー航路が復活したのは嬉しいニュースでした。6つの港から、定期航路が出ている島は、小豆島の他にありません。航路の維持と料金のあり方について、国や関係者との協議を進めていきたいと思います。  
 四番目は、「瀬戸内国際芸術祭をはじめ文化を大切にする地域づくり」です。  
 瀬戸内国際芸術祭2016も無事終えることができました。瀬戸芸が小豆島にもたらした意味は、とても大きいと思います。何よりも小豆島の魅力と可能性に、内外の皆さんが気づくことができました。  
 小豆島には、農村歌舞伎、秋祭り、盆踊りなど、たくさんの文化があります。こどもから高齢者まで、地域や学校で、さまざまな文化活動が盛んに行われています。  
 文化を通して、島内外の交流を深め、人と人、地域と地域がつながり、絆や連帯感を高めて、新しい魅力をつくっていきたいと思います。  
 今年の夏か、秋には、「地方創生」の取組みとして、文化や教育を通して、地域活性化に取り組む先駆的な数自治体(人口10万人以下の市町村)による自治体連合が発足する予定です。小豆島町もこれに参加し、先駆的な自治体との連携した取組みを進めたいと思います。  
 五番目は、新たに加えた「地域の資源を活かした地場産業や一次産業の再生と復権」です。なんといっても、地域の産業が元気であることが、地域が元気であるために必要不可欠です。医療、福祉、教育などについて、少し進むべき道筋が見えてきたので、いよいよ、産業を元気にする取組みに取り組みたいと考えています。  
 小豆島ほど、小さな島でありながら、一次から三次までのいろいろな産業のある島はありません。特に、食品産業がこれほど発展した島は、小豆島をおいてありません。  
 醤油、つくだ煮、そうめんなどの食品産業の活性化だけでなく、農業、漁業などの一次産業が元気になることが、島が元気であるために不可欠です。ホテル、レストランなどで、小豆島の食材を生かした六次産業化が必要です。  
 さらに、医療、福祉、教育、子育てなどを含めて、12次産業化、∞無限産業化が、小豆島では可能です。  
 この4月、小豆島町としてはじめての「商工業振興計画」をつくりました。狭い意味の商工業だけでなく、農業、漁業、医療、福祉、教育など、すべての分野を対象とした計画です。この計画に基づいて、いろいろな取組みを官民をあげて実行していきたいと考えています。(続く)(平成29年5月18日)

小豆島町の総合戦略の
「小豆島の基盤をつくる」施策
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小豆島町の総合戦略の基本施策
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開院して1年が経った小豆島中央病院

小豆島全体の地域包括ケアシステムを
つくることが課題です

4月に開校した小豆島中央高校

小豆島でしかできない教育を
一貫教育として実現していきます

オリーブバスで登校する
小豆島中央高校の生徒

坂手と神戸を結ぶジャンボフェリー

瀬戸内国際芸術祭をきっかけに
小豆島の魅力と可能性に気づきました

地域の産業が元気であることが
地域が元気であるために不可欠です

小豆島では、福祉や教育などを含めた
12次産業化などが可能です

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第1927回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅵ小豆島の魅力・課題・可能性<健全な地域社会システムのイメージ>


 人口減少を少しでも、緩和するために必要なことは、「健全な地域社会」を築くことだというのが、私の結論です。とてもシンプルな「真実」です。健全な地域社会に、健全な人材が育ちます。そのことを、代々引き継いでいくことだと思います。  
 それでは、「健全な社会」とはどんな社会でしょうか。いろいろな考え方があると思いますが、私は、次のように、そのイメージを、概念として整理してみました。  
 「健全な地域社会」は、三つの「共通的社会資本」で構成されています。「共通的社会資本」とは、「地域社会のみんなでつくりあげる共有の社会としての財産や社会の仕組み」のことです。
 「ハードの共通的社会資本」は、防災、道路、水道、交通など、いわゆる公共事業としてつくりあげられるものです。  
 「ソフトの共通的社会的資本」は、医療、福祉、子育て、教育など、厚生労働省、文部科学省などが所管する分野です。  
 「民間の共通的社会資本」は、地場産業、一次産業、観光、諸産業など、民間が主として担う 分野です。  
 実際は、これほど簡単に分類できるものではなく、錯綜し、重なり、つながっています。この三つの分野を、「自然・伝統・文化・学術・絆」がおおっていて、「健全な地域社会」ができあがります。  
 「健全な地域社会システム」であるために、次のことが必要だと思います。
 まず最初に、それぞれの要素がバランスよく保たれていることが必要です。どれかひとつが突出しているだけでは、一時的によくても、持続しません。全体として、バランスよく、それぞれすべての要素を向上させていくことが不可欠です。  
 二番目は、多様性が保たれていることです。老若男女が活躍できる社会でなければいけません。 障がいのある人もない人も活躍できる社会です。外国人もいます。アーティスト、医師、先生、商店主、福祉関係者、農業者、漁業者、いろいろな仕事の人がいます。  
 三番目は、地域内で循環し、持続できることです。地産地消が基本になければいけません。その意味で、一次産業がもっともっと大切にされなければいけません。  
 四番目は、他の健全な地域社会とつながることが必要です。ひとつの地域社会が健全であっても意味がありません。他にも、たくさんの健全な地域社会があって、互いにつながることが必要です。無数の星が輝くことで、きれいな夜空になるかのように、全国各地に、健全な地域社会が無数に、輝き、交流し、切磋琢磨することが必要です。(続く)(平成29年5月17日)

健全な地域社会システムのイメージ
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防災、道路、水道、交通などの
「ハードの共通的社会資本」

医療、福祉、子育て、教育など
「ソフトの共通的社会的資本」

地場産業、一次産業、観光、諸産業など
「民間の共通的社会資本」

健全な地域社会システムで
あるために必要なこと
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第1926回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅴ小豆島の魅力・課題・可能性<新しい人口予測>


 この数年の移住者の数が、今後も続くとしたら、どんな人口予測になるのか、試算しました。前提は、今後とも100人程度の人口移住があり、そのうち50%は定住するという仮定です。合計特殊出生率は、国が目標にしている1.8に回復するという仮定です。  
 これからも、ずっと移住者が毎年100人は、持続するのが難しいかもしれませんが、後で述べる小豆島の魅力を守り、磨いていくことができれば、Uターンの増加も期待できると思います。  
 もうひとつは、定住人口だけでなく、これからは、関係人口、交流人口の増加も重要です。定住はしなくても、定期的、非定期的に小豆島を訪れる人たちの存在です。現に、瀬戸芸などをきっかけとして、さまざまな分野の皆さんや小豆島が大好きな皆さんが小豆島に訪れてくれています。  
 地域と地域、人と人の交流やつながりが盛んになり、強くなることが、これからの時代のポイントのひとつです。都会と地方の2か所居住なども増えるに違いありません。  
 試算の結果です。人口の総数は、社人研の予測で2060年5,903人が、2060年9,304人となりました。高齢化率は、今、42.1%が2060年49.5%になると予測されているのが、逆に、2025年42%をピークにして若返り、2060年37.7%に改善することがわかりました。  
 0歳から19歳の子どもたちの数も、2010年2,230人、2060年533人と社人研が予測しているのが、2060年1,569人となります。  
 では、何故、ここ数年、移住者が増えたのでしょうか。Uターン者を含め、移住者数をこれからも持続するために何が必要なのでしょうか。  
 毎年、瀬戸芸のようなイベントをすれば、これからも移住者が増えるのでしょうか。そうではないと思います。瀬戸芸や「八日目の蝉」の意味は、小豆島の魅力と可能性を、私たち小豆島に住む人とともに、島外の皆さんに示してくれたことにあります。  
 大切なことは、小豆島の魅力と可能性を、守り、磨き、広げ、全国と世界に発信していくことです。「健全な地域社会」をつくり、その魅力と可能性を、内外に発信していくことです。それでは、次回、「健全な地域社会」について考えてみましょう。(続く)(平成29年5月16日)

小豆島町移住者数の推移(年度別)
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小豆島町の人口ビジョン(改訂版)
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3区分別の人口割合の変化
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2060年の人口構成
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小豆島町の人口ビジョン
【高齢化率の推移】(改訂版)②
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小豆島町の子どもたちの推移
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第1925回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅳ小豆島の魅力・課題・可能性<人口の予測>


 「小豆島を元気にしたい」との思いで、小豆島に戻ったものの、何から始めてよいのやら、どうしたらよいか、わからずにいました。つきつけられた現実と将来予測は、厳しいものでした。  
 小豆島町の人口の予測は、国立社会保障・人口問題研究所によれば、2010年の16,152人から2060年には5,903人に、50年で半分以下になると予測していました。この予測は、このまま何も変わらなければ、間違いなくそうなるという重たい数字です。  
 高齢化率は、今の県下最高の41.3%から、2060年には49.5%に上昇します。2060年の人口構成は、やせ細った逆ピラミッドになってしまいます。もしその通りになれば、小豆島の魅力を守っていけるはずがありません。手入れの行き届いた自然も、豊かな文化も、多様な地場産業も、すべて消えてなくなってしまうでしょう。  
 なんとしても、人口減少を少しでも緩やかにしたい、そのためにはどうしたらいいのか、途方にくれるばかりでした。  
 そこに小さい光が差し込みました。2010年、初めての瀬戸内国際芸術祭が小豆島でも開催されました。小豆島を舞台にした角田光代さんの「八日目の蟬」のテレビドラマの撮影が始まっていました。瀬戸内国際芸術祭は、その後、2013年、2016年と開催されました。2011年には、「八日目の蟬」は、映画化されました。  
 瀬戸内国際芸術祭には、世界中、日本中のアーティスト、クリエイターなどが参加してくれました。京都造形芸術大学の椿昇教授は、2013年の芸術祭から参加し、2013年は「醤の郷+坂手港プロジェクト」、2016年は「小豆島町未来プロジェクト」のディレクターをしていただき、関西を中心に、インドを含め、全国のアーティスト、クリエイター、建築家などが参加して、小豆島の魅力をカタチにしてくれました。  
 小豆島の素材・食材をもとにしたジェラート屋などを含め、斬新なデザインのプロダクトの提案、小豆島の石をちりばめたアートトイレなど、さまざまな展開をしてくれました。  
 福田では、福武財団によって「福武ハウス」が旧福田小学校に作られ、地元の皆さんとアジアのアーティストなどの皆さんとの、国と国ではなく、ローカルとローカル、人と人の交流が始まりました。  
 三都半島では、広島市立大学の皆さんと地元の皆さんによって、海とのかかわりのある作品などがいくつもつくられ、地元の皆さんのおもてなしも大人気でした。  
 映画「八日目の蝉」では、小豆島の「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」が紹介され、中山地区の棚田での伝統行事の「虫送り」が、この映画撮影のために復活しました。  
 瀬戸芸などが始まってから3年目の年に、ちょっとした変化が始まりました。小豆島への移住者が増加したのです。2012年度、小豆島町への移住者数が100人を超えるようになりました。その後も毎年度100人を超えています。28年度も139人の方々が小豆島町に移住しました。特筆すべきことに、20代、30代の皆さんが、過半を占めています。  
 そこで、仮に、この移住者の数がこれからも続いたら、小豆島町の人口予測はどう変わるのか、試算してみました。その結果を次回に説明します。本当に私は少しだけほっとしました。(続く)(平成29年5月15日)

社人研による小豆島町の人口の推移
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3区分別の人口割合の変化
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社人研による2060年の人口構成
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映画「八日目の蟬」
(C)2011映画「八日目の蟬」製作委員会

2010年に初めて開催された
瀬戸内国際芸術祭

三都半島では、広島市立大学と
地元の皆さんによる作品がつくられました

小豆島の素材・食材を使ったジェラート屋を
移住者の方がオープンしています

各地区で行っていただいたおせったいは
観光客に大人気でした

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第1924回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅲ小豆島の魅力・課題・可能性<人口の推移予測>


 小豆島に戻ろうと考えはじめたとき、どうしたら小豆島を元気にできるかと、何枚かのポンチ絵をつくりました。10年ほど前につくったものです。そのうちの2枚を紹介します。  
 1枚目のポンチ絵は、小豆島と全国の人口の推移を比較したものです。二つの山があります。左の山は小豆島の、右の山は全国の人口の推移です。小豆島の人口は、明治以降増加し、戦後まもなくピークを迎え、その後は、一貫して人口は急速に減少しています。  
 一方、全国の人口は、明治以降増加し続けますが、2008年をピークに減少に転じています。
 小豆島は、人口の変化において、全国の50年先をいっています。つまり、小豆島で人口減少を克服する道筋をつくることができれば、それが全国のモデルになると考えました。  
 2枚目のポンチ絵は、人口減少・少子高齢化を克服するための視点を整理したものです。  
 これまで、とりわけ、この100年ほどの日本は、地方に生まれ育った若者たちが、都会に向かい、切磋琢磨し、政治経済を引っ張っていった時代でした。人材と財源が、都市に集中し、中央で政策が作られ、中央で得られた財源を、交付税、補助金などのかたちで、地方に配分されることで、全国のすべての地方が、安心して暮らせる仕組みが実現されました。  
 社会保障も、例えば、年金は、都会に出た若者が作り出した富を、年金というカタチで、ふるさとに住む両親への仕送りとして、制度化したものでした。  
 人口が増加し、経済が順調に成長しているとき、人材と富を中央に集中することで、都会も、地方も、ともに繁栄することができました。しかし、人口減少が始まり、経済成長が難しくなったとき、社会のあり方、仕組みは変わらなければいけないのではないか、もう変わろうしているのではないかと考えました。  
 「地方に都会にない魅力と可能性がある」と考える若者が出始めているのではないか。あるいは、「地方でゆったりとした人生を過ごしたい」と考えるシニアが増えているのでないか。東京のような大都会で、高齢者人口の激増に対応できない、いろいろな制約が顕在化しようとしているのではないか。地方にこそ、これからの日本を救う可能性があるのではないか。  
 これから、人の流れは、「地方から都会へ」という流れだけでなく、「都会から地方へ」という新しい流れが始まるのではないかと考えました。  
 では、どういう地方に人の流れが始まるのでしょうか。それは、人をひきつける魅力のある地方です。そのために地方が行うべきことは、農業再生、山の手入れ、福祉ボランティア、文化活動、地場産業再生、子育て支援活動などです。  
 目覚めた地方が、良い意味で競い合い、つながり、全国と世界に向けて魅力を発信する、そのようなことを、10年ほど前、考え、ふるさとの小豆島で実践したいと考えました。  
 しかし、7年前、ふるさとに戻ったとき、小豆島が直面している現実は、考えた以上に厳しいものでした。(続く)(平成29年5月12日)

小豆島と全国の人口推移
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人口減少・少子高齢化を克服するために
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人をひきつける魅力のある地方となるため
農業の再生が必要です

地場産業の再生も不可欠です


全国と世界に向けて魅力を発信することを
ふるさとの小豆島で実践したいと考えました

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第1923回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅱ小豆島の魅力・課題・可能性<小豆島が歴史的に果たした役割>


 小豆島のいろいろな魅力を見てきました。それらを、歴史の歩みとして整理してみましょう。  
 小豆島が、歴史の節目、転換点で登場し、一定の役割を果たしてきたことがわかります。それは、瀬戸内海の日本の中心に近くにあって、海の交通の要衝であり、高い山もある比較的大きな島で、人々の交流が盛んな島であったことが、大きな要因になっています。  
 1400万年前の瀬戸内海の火山活動で小豆島は誕生しました。その後の1000万年の浸食を経て、ほぼ今のかたちの小豆島ができあがりました。
 712年に編纂された古事記の国生み神話で、神様は10番目に小豆島を生んだと記されています。このことで、その当時の中央政府が、小豆島を重要な島として位置づけていたことがわかります。  
 800年ごろ、空海が小豆島の山岳で修業しました。このことが江戸時代の小豆島八十八ヶ所霊場につながっています。  
 1500年代には、ヨーロッパのキリスト教宣教師が、来島し、小豆島を「神の島」にしようと試みます。キリシタン大名の高山右近が、小豆島に潜伏します。  
 江戸時代、小豆島の人口は、2万人から3万人です。江戸時代に、小豆島に今も続く、醤油づくり、そうめん、農村歌舞伎、石の文化などが始まっています。  
 江戸時代は、江戸幕府という中央政府はありましたが、中央政府は、年貢をとりたて、各藩に命令を下すことはあっても、今の中央政府のように、交付税、負担金、補助金を与えてくれるような、やさしい中央政府ではありませんでした。  
 地方は、それぞれが、それぞれの課題の克服策、解決策を、自分たちで考え、自分たちの力で実行するしかありませんでした。その意味で、江戸時代は、「地方の時代」でした。「地方の時代」に、小豆島だけでなく、全国各地で、さまざまな独自の文化と産業が興って、今に到っています。  
 小豆島に、100キロを超える猪鹿垣跡が残っています。江戸時代に小豆島の先達たちが、自分たちで考え、自分たちの財源と自分たちの力で造ったものです。江戸幕府に、「自分たちで造るので邪魔をしないでくれ」という要望を出しました。これを「自普請」と言います。今なら、町長は、国土交通省に、「技術と財源をよろしく、国で造ってほしい」と要望するでしょう。  
 江戸時代が終わり、明治、大正、昭和、平成と、「近代」が始まります。人口が増加し、経済が成長し、都市が発展し、科学技術が進歩した時代です。
 小豆島も、この時代、順調に発展をしました。戦後は、人口が都市に流れ、一貫して人口が減っているとはいえ、豊かさを維持しました。中央政府が、地方自治体を政策づくりや財政面で支援をしてくれたことが大きいと思います。  
 では、今はどういう時代でしょうか。順調に発展してきた「近代」が終わろうとしている、変わろうとしている、大きな歴史の転換点にあると、私は考えています。日本全体として、人口が減り、経済の成長が難しくなろうとしています。国際的な関係も大きく動こうとしています。100年、200年、あるいは、もっと大きな単位で、歴史が変わろうとしている、そう思います。この大きな歴史の転換点、変化するときに、小豆島は、一定の役割を担うことになる、担わないといけないのではないか、それが私の問題意識です。(続く)(平成29年5月11日)

小豆島と日本の歴史を人口の推移から振りかえる
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小豆島は1400万年前の瀬戸内海の
火山活動で誕生しました

小豆島八十八ヶ所霊場

キリシタン大名の高山右近像

江戸時代から続く醤油づくり

自普請の精神で作り上げた
小豆島の猪鹿垣

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第1922回 「小豆島への思いと期待」②-Ⅰ小豆島の魅力・課題・可能性<小豆島の魅力>


 40年ぶりに戻った小豆島には、魅力がいっぱい残っていました。ひとつひとつ見てみましょう。  
 寒霞渓です。寒霞渓は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動で誕生し、その後1000万年もの間の地球の浸食活動により、今のカタチ、渓谷美ができあがりました。日本三大渓谷のひとつです。  
 西の瀧です。美しい瀬戸内海の眺望が広がる、この山岳のお寺を訪問したのは、7年前、町長になってからが初めてでした。旧内海町に住む者にとって、室生峠を越えることは大変なことでした。ひとつの島でありながら、二つの町の間には、それだけの距離があったのです。  
 小学生のころ、自転車で、室生峠を越え、旧池田町を抜けて土庄町まで行くことが、男の子にとって、最大の冒険のひとつでした。  
 8世紀、空海は、小豆島で修業しました。この寺の洞窟のなかで、空海が修行したと伝えられています。そのことが、江戸時代の小豆島88か所霊場につながりました。  
 中山の棚田です。この美しい中山間地の棚田の風景を見たのも、7年前、町長になってから初めてでした。旧内海町の多くの皆さんも、実際に中山の棚田を見たことがある人は少なかったはずです。  
 素麺づくりです。島のあちこちで、今も続けられていますが、始まったのは江戸時代です。400年も続いています。小豆島は、乾燥し、晴れの日が多く、農家にとって、素麺づくりは、冬の農閑期の仕事にふさわしいものでした。  
 農村歌舞伎です。かつては、島の30数か所で歌舞伎舞台がありました。今も続いているのは、肥土山と中山の2か所のみです。300年ほど前、江戸時代に始まりました。  
 3年前、中山の農村歌舞伎に出演させてもらいました。白波5人男の南郷力丸を演じました。当時の矢田中山農村歌舞伎保存会長は知恵を絞りました。町長の私は、セリフで、「中山の棚田と農村歌舞伎を守る」ことを表明しました。このシーンがテレビのニュースで流されました。中山の農村歌舞伎は、地元中山の皆さんの熱意とこれを応援する皆さんで支えられています。みんなで棚田と農村歌舞伎を守っていきます。  
 高山右近の潜伏地の碑です。中山の奥地です。16世紀、ヨーロッパの宣教師たちが日本にやってきました。彼らは、小豆島に立ち寄り、小豆島を「神の島」にしようと、布教活動をしました。小豆島には、キリスト教、隠れキリシタンの遺産があちこちに残されています。  
 ひとつの島に、神道、仏教、キリスト教が、融合し、調和して息づいているところは、世界でも、珍しいことだと思います。  
 高山右近は、キリスト教禁制令が出た後、小豆島で1年間隠遁しました。今年、高山右近は、「列福」しましたが、その推薦文のひとつを小豆島町が出しています。  
 マルキン醤油の工場です。木桶の醤油づくりが、小豆島では、今も盛んに行われています。全国に、2000本の木桶が残されていますが、そのうち1000本は、小豆島にあります。そのうちの半分は、マルキン醤油にあります。  
 木桶の醤油づくりを守ろうと、自分たちで木桶づくりを始めたお醤油屋さんがいます。会社としてはなくなっていた、マルキン醤油株式会社が、今年4月復活するという嬉しいニュースがありました。  
 オリーブです。オリーブといえば小豆島、小豆島といえばオリーブです。  
 壺井栄なくして小豆島は語れません。壺井栄は、名作「二十四の瞳」のほかに、小豆島を舞台にしたたくさんの作品を残していますが、栄は、オリーブが大好きで、オリーブのことを書いた作品がたくさんあります。  
 オリーブの可憐な小さな花、銀色の葉っぱ、ほのかな匂いなど、そのすべて、オリーブが平和の象徴とされる所以だと書いています。  
 「二十四の瞳」の舞台になった岬の分教場です。私の母は、この教室で学びました。岬の分教場は、「教育の原点」として、今も教師をはじめたくさんの皆さんが訪れています。  
 天狗岩です。江戸時代の初め、小豆島の石切丁場から、何トンもの大きな石が、四方形に正確に切りだされ、遠く、海を渡って、大坂城の石垣として積み上げられました。  
 今の科学技術をもってしても、どうして江戸時代のはじめに、そのようなことができたのか解明できずにいます。間違いないことは、その当時、小豆島に、それだけの石工の技術と操船の技術があったことです。(続く)(平成29年5月10日)

日本三大渓谷のひとつ寒霞渓

第42番札所「西の瀧」

中山地区の千枚田

約400年続く素麺づくり

3年前、白波5人男の南郷力丸を演じた
中山農村歌舞伎

中山にある高山右近潜伏の地碑

マルキン醤油の工場

小豆島を代表するオリーブ

壺井栄

「二十四の瞳」の舞台になった岬の分教場


小豆島の石切丁場から、何トンもの石が
大坂城の石垣として積み上げられました

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第1921回 「小豆島への思いと期待」①-Ⅱ何故小豆島に戻ったのか


 厚生省で働くことができたことで、私の人生が決まったように思います。昭和50年に入省したのですが、ちょうど社会保障の充実にエンジンをかけようとしていたときで、厚生省は、たくさんの人材を求めていました。  
 公務員試験に合格はしたものの、成績はビリに近く、大蔵省や自治省などには入れそうもなく、一番性格にあっているだろうと厚生省に決めたのですが、この選択は、その後の経験を考えると大正解でした。  
 厚生省では、児童福祉、障がい者福祉、高齢者福祉、医療、年金、環境など、幅広い分野の、いろいろなテーマの仕事に携わることができました。環境庁、環境省にも出向しました。  
 20代の後半のとき、瀬戸内海環境保全措置法の仕事に、連日役所に泊まり込みで夢中になって取り組みました。15年ほど前には、豊島の産廃問題の解決に奔走しました。  
 中央省庁の仕事は、充実した、やりがいのあるものでした。人口が増え、経済が成長しているとき、中央に人材と財源を集中し、縦割りの専門分野ごとに政策を立て、それに基づき、全国の地方自治体が施策を実行することが、国全体として、効率的で、効果的な時代でした。  
 ところが、私が、中央省庁を卒業するころ、こうした時代が変わろうとしていました。国全体としての人口が減少し、経済成長が難しい時代になりました。  
 小豆島をはじめ地方は、人口が急速に減少し、弱体化が進んでいました。東京もまた、高齢者人口が激増し、問題が顕在化しようとしていました。政策のあり方を変えず、このまま続けると、国全体が衰退してしまうと思いました。  
 地方がもう一度、元気にならねばならない、地方が元気になることでしか、日本再生はないと思いました。ふるさとの小豆島に帰ろう。小豆島が元気になることで、これからの社会のあり方のモデルになると思いました。  
 7年前の平成22年3月に小豆島に帰りました。18歳の時、島を離れるときは、坂手港から出発したのですが、その時は、坂手港と神戸を結ぶ航路はなくなっていました。(続く)(平成29年5月9日)

厚生労働省

国会議事堂

小豆島が元気になることで、これからの
社会のあり方のモデルになると思いました

坂手と神戸を結ぶジャンボフェリー

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第1920回 「地方創生」に向けた職員への講話「小豆島への思いと期待」①-Ⅰ何故小豆島に戻ったのか


 「小豆島への思いと期待」について話します。次の4つのことを話します。最初に、私はなぜ小豆島に戻ってきたか、私の生い立ちと東京での経験を話します。マイ・ヒストリーです。二番目に、小豆島の魅力・課題・可能性について話します。三番目に、小豆島(町)の政策とめざすものについて話します。最後に、時代は再び「地方の時代」に向かっていること、そのために必要なことについて話します。  
 まずは、「マイ・ヒストリー」です。私は、昭和26年小豆島町馬木に生まれました。馬木は、400年ほど前に、播磨赤穂の塩職人たちが小豆島に移住してつくった地域です。私の実家あたりは当時、浜辺でした。  
 彼らは、そこに塩田をつくり、やがて醤油づくりを始めました。馬木には、今も醤油蔵がいくつも残り、「醤(ひしお)の郷」と呼ばれています。  
 私の実家には、今、瀬戸内国際芸術祭の作品であるウマキキャンプが立っています。そこには、私がこどものころ、ニワトリ小屋が立っていました。ニワトリとヤギと羊とウサギとハトが住んでいました。  
 私は、男ばかりの4人兄弟の末っ子として生まれました。父は丸金醤油、母は安田食品に勤め、二人とも生涯、平の工員でした。  
 実家の裏の丘の上に真光寺があります。そこの境内でいつも、兄弟や近所のお兄ちゃんたちの後を追って遊び、よく三角ベースボールをして遊びました。月に一度くらい、窓ガラスを割ったのですが、一度も住職に怒られたことがありませんでした。おおらかな時代でした。  
 先日、初めて兵庫県赤穂市を訪ねました。そこに同じ名前の真光寺がありました。「いつごろできましたか」と聞いたら、500年ほど前との答えでした。馬木の先達たちは、ふるさとと同じ名前のお寺をつくったのです。  
 私は、皆さんと同じように、家から一番近い、幼稚園、小学校、中学校、高校に通いました。この写真は、苗羽小学校の卒業記念写真です。先生は、鳥居先生です。今もお元気で、片城で、大正琴の先生をしています。  
 この児童が私です。この児童が信頼する後藤教育長です。私は、小学生のころ、おとなしく、内気で、田舎言葉の「へげたれ」で、手をあげて発表した記憶がありません。運動会、学芸会も、いやで逃げ回っていました。後藤教育長がガキ大将でした。  
 もうひとり、この児童は、小西郁生君です。京都大学医学部を出て、京都大学教授、日本産婦人科学会理事長を経て、現在は、京都医療センター院長をしています。  
 中学校は内海中学校、高校は小豆島高校に通いました。高校3年生の同級生に松永佳世子さんがいます。松永さんは、苗羽にあった「炭山」の下駄屋のお嬢さんです。松永さんは、一つ上の学年ですが、3年生の時、1年間、AFS(アメリカン・フィールド・サービス)で、アメリカの高校に留学しました。8月に帰国して、半年受験勉強をして、見事、現役で名古屋大学医学部に合格し、藤田保健衛生大学の副学長などを務めた皮膚科医です。
 私は、彼女から聞かされた、アメリカ留学の際の、ホームステイ先のお父さんの言葉を、「座右の銘」にしています。その言葉とは、「最大の知性とは、与えられた環境でベストを尽くせることだ」です。
 松永さんは、私や皆さんと同じように、家から一番近い、小、中、高校に通ったのですが、そのことを「私には何も誇るものがない」と、アメリカ人のお父さんに話したところ、「最大の知性とは、与えられた環境でベストを尽くせることだよ」と言ってくれたのだそうです。  
 小豆島高校の担任の池田先生は、京都大学理学部数学科を出た先生でした。その先生にあこがれ、京大に行こうと決め、一浪の上、京都大学に入学しました。大学を卒業して、運よく、国家公務員試験に合格し、厚生省に入りました。(続く)(平成29年5月8日)

私は、昭和26年馬木に生まれました

今も醤油蔵が残る
「醤(ひしお)の郷」

瀬戸内国際芸術祭2013の作品である
ウマキキャンプ

子どもの頃よく遊んだ
真光寺の境内

苗羽小学校の卒業記念写真

赤穂市で視察した真光寺

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第1919回 クラブオリーブ・アドバイザー会議


 クラブオリーブ・アドバイザー会議を東京で開きました。年に一度になり ますが、小豆島の外で活躍される小豆島出者の方々に集まっていただきご意見をうかがっています。  
 大学教授、医師、歯科医師、中央省庁高官、様々な分野の企業人など多士済々のメンバーです。東京香川県人会会長・旧高松藩主当主の松平頼武さんに名誉会長になっていただき、スポーツジャーナリストでオリーブ大使の増田明美さんにも参加していただいています。姉妹都市の茨木市国際親善都市協会長の若林三雄さんもアドバイザーです。  
 今年は、小豆島のもうひとつの町、土庄町長の三枝町長、浜中町議会議長にも参加していただきました。初参加で、懸案の「島はひとつ」に、一歩一歩近づいています。  
 この会は、小豆島でのオリーブ植栽100年を記念して、前小豆島町長の故坂下町長が始めました。当時、東京に住んでいた私も、メンバーの一人として参加していました。  
 小豆島を離れた者は、誰もがふるさと小豆島のことを忘れることはありません。ふるさとがどうなろうとしているのか、どうしたらふるさとの役に立てるのだろうかと 考えています。私も、そのひとりでした。  
 7年前に、ふるさとに戻り、ふるさとを元気にしていく取組みの最前線に立つことになったことは、私の本望であり、運命だったようにも思います。
 しかし、正直なところ、自信はありませんでした。何から始めたらいいのか、どのように進めたらいいのか、不安でいっぱいでした。 
 東京中心、中央主導の時代は、これからもまだ続くかもしれませんが、どうも、大きな流れの変化、歴史の変化が始まろうとしていると、国家公務員の仕事を終えようとするころ、私は思いはじめていました。地方、地域が、もう一度元気を取り戻し、新しい道筋をつくっていかないと、 日本全体がいつか行き詰まるだろうと思いはじめていました。
 何よりも、そのことを待たずに、このままでは、ふるさと小豆島をはじめ、全国各地の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆が失われてしまうだろうと思いました。何とかそれを食い止めることができないものだろうか、小豆島でそれをやってみようと思い、ふるさとに戻る決心をしました。  
 幸いなことに、ふるさとは、あたたかく迎えてくれました。私が、戻った年に、偶然、瀬戸内国際芸術祭が始まりました。角田光代さんの小説「八日目の蝉」のテレビドラマ化のロケも始まっていました。  
 はじめは、瀬戸芸を何だろうと、怪訝に見ていました。「八日目の蝉」も、無理筋の展開の小説だと思いました。ところが、しばらくして、私は、それらに小豆島が変わるきっかけになるヒントがあると気づきました。そこで、ブログの表題を 「八日目の蝉」記と名づけ、小豆島が変わっていく様子を、日記として記し始めました。  
 この日のクラブオリーブ・アドバイザー会議で、小豆島の医療、福祉、教育、交通について、なんとか「島がひとつ」になった取組みができるところまで、たどりつけたことを報告することができました。まだ、入り口の段階に過ぎませんが、縦割りの中央省庁ではできないことであり、 国の縦割りの政策を受け入れるだけの、これまでの県と町でもできないことでした。  
 小豆島の人たちが、自分たちのことを、自分たちで考え、決断したからできたことです。小豆島を元気にする取組みは、始まったばかりです。本番はこれからです。  
 小豆島にある醤油、そうめん、つくだ煮、オリーブ、農村歌舞伎、石の文化、八十八ヶ所霊場など、それらのすべてが、国に言われたり、応援を受けたりして、始まったものでも、つくりあげられたものでありません。すべて、島の先達たちが、自分たちの知恵と力で、島外の皆さんの応援も得て、 つくりあげたものです。すべて「自普請」です。自分たちのことを、自分たちで決め、自分たちの知恵と力でやり遂げたものです。  
 魅力のある地域、地方が、全国各地にきら星のごとくあって、それぞれが交流して、輝きました。 「地方の時代」に、それぞれの地方が独自の文化と産業をつくりあげました。やがて、時代は、中央に、知恵と力を結集する「中央の時代」となり、日本全体が輝きました。  
 そういう「中央の時代」が終わりを告げ、再び「地方の時代」が来ようとしています。 「地方創生」の時代です。この日のクラブオリーブ・アドバイザー会議で、皆さんから、はっとするようなことを、いくつも教えていただきました。 松平名誉会長は、「意義のある、楽しい異業種交流会のようでした」と言われました。 小豆島を出て、いろいろな分野で活躍する皆さんから、いろいろなヒントをいただきました。その意見も参考にして取り組み、これからも、小豆島が元気になっていく様子を、このブログで 紹介していきます。(平成29年5月2日)


クラブオリーブ・アドバイザー会議を
東京で開催しました

東京香川県人会会長・旧高松藩主当主で
名誉会長の松平頼武さん

スポーツジャーナリストでオリーブ大使の
増田明美さん

今年は土庄町の三枝町長、
浜中町議会議長にも参加していただきました

地方が元気を取り戻さないと
自然、文化、伝統、産業、絆などが
失われてしまうだろうと思いました

新たな魅力や小豆島の魅力を再発見する
きっかけとなった瀬戸内国際芸術祭

角田光代さん小説の映画
「八日目の蝉」

小豆島の素晴らしい文化・伝統などは
自普請の精神で作り上げられました

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第1918回 小豆島に地ビール「まめまめび-る」が誕生しました


 小豆島に待望の地ビールが誕生しました。産みの親は、昨年から小豆島に移住している中田雅也さん。阪神との玄関港である坂手港を望む古民家に醸造所をオープンしました。  
 中田さんは京都の大学を出た後、広告代理店の営業職をしていましたが、学生時代留学したアメリカで飲んだ地ビールの美味しさが忘れられず、会社を辞め、岡山の吉備土手下麦酒の永原敬さんに弟子入りしました。  
 そして、昨年から奥様と家族とご一緒に小豆島に移住、「小豆島でつくり、小豆島で飲む小豆島初めての地ビール」に取り組んでくれました。ビールのブランド名は、「まめまめびーる」。小豆島の「まめ(豆)」と、丹念、忠実に「まめまめしく」ビールづくりに取組む意味を込めた命名です。  
 真面目で、やさしく、ひたむきな中田さんを、小豆島の地元の皆さん、多彩な移住者の皆さんをはじめいろいろな皆さん総出で、中田さんのチャレンジを応援しています。  
 お店のしゃれたテントやカウンターの設計は、瀬戸内国際芸術祭に参加したドット・アーキテクツがしました。ドット主宰者の家成俊勝さんの京都造形芸術大学の学生たちも施工を手伝いました。グラフィックデザインは、UMA/design farmの原田祐馬さんがしました。  
 中田さんの初搾りのビールは、小豆島の名産のもろみと蜜柑皮を副材料にしたビールでした。私には、とてもフレッシュで、さわやかな美味しいビールでしたが、師匠の評価は、30点と60点。ビールを美味しくするのは、中田さんの努力とともに、飲み手側の厳しさも必要と弟子を叱咤激励しました。  
 中田さんは、これから小豆島の米、こうじ、柑橘類などだけでなく、水も、ホップも、大麦も、こうぼ菌も、すべて小豆島産にしたいと張り切っています。もっと美味しく、もっと楽しく、可能性を無限大に広げたいと張り切っています。  
 中田さんだけでなく、移住者の方々が、小豆島の魅力と可能性を広げてくれています。小豆島の柑橘類をふんだんに活かしたジェラートづくりのミノリジェラート、中山の棚田米で地酒を醸造する森国酒造など、多士済々の皆さんです。  
 師匠が言われたように、小豆島に訪れる皆さんだけでなく、小豆島に住む私たちもみんなで、 「もっとおいしく、もっとたのしく」まめまめびーるを飲んで、中田さん一家の小豆島の地ビール造りに参加、応援します。がんばれ中田さん。(平成29年5月1日)

坂手港を望む古民家に醸造所
「まめまめびーる」がオープンしました

小豆島に移住され
地ビールづくりに取り組む中田雅也さん

テントなどの設計をドット・アーキテクツ、
グラフィックデザインは、UMA/design farmの
原田祐馬さんが行いました

小豆島に訪れる皆さんだけでなく、
小豆島に住む私たちもみんなで
小豆島の地ビール造りを応援します

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