小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1715回 男女共同参画を考える


 「男女共同参画推進シンポジウム」での徳倉康之さん(NPO法人ファザーリング・ジャパン理事、株式会社ファミーリエ代表取締役社長)の講演を聞き、少なからず衝撃を受けました。「男女共同参画」の意味をどう考えるかについてです。私は、厚生労働省で仕事をしていたので、それなりに考えているつもりでしたが、理解が不十分、こういう考え方をすべきかと、はっとさせられました。
 徳倉さんは、ある大手日用雑貨メーカーの猛烈営業マンでした。医師である同級生と結婚し、医師である妻が妊娠したとき、徳倉さんが育休をとり、子育てを助けることが、彼女のキャリアアップにも役立つと考えました。そして、2人目、3人目の出産のときも徳倉さんは育休をとりました。  3人のお子さんはすくすく成長しています。もちろんパートナーの方も医師として活躍を続けています。ところが、育休をとった会社の上司の徳倉さんへの評価と態度が一変しました。仕事より家庭を優先する男は会社の戦力にならないと。その大手メーカーは、その後、優秀な人材が次々と去り、倒産しました。つまり、子育ての応援を怠ったり、社員の多様な生き方、価値観を楽しむことを軽視するような会社は、人材を活かすことができず、競争に負けて、撤退を余儀なくされる時代になっているということです。
 徳倉さんは、会社をやめ、NPO法人ファザーリング・ジャパン事務局長に就任します。そして、昨年、子どもの教育やこれから始まるかもしれない両親の介護にも備えて、ふるさとの高松市にUターンしました。今は、ファザーリング・ジャパンの理事として活動するとともに、株式会社ファミーリエを設立して、男女共同参画、男性の育休取得推進などについて、講演、コンサル活動などをされています。


NPO法人ファザーリング・ジャパン理事で
株式会社ファミーリエ代表取締役社長の
徳倉康之さん

 私は、厚生労働省に勤めていましたので、周りにスーパーウーマンとして活躍している女性がたくさんいたし、厚生労働省は男女共同参画を政策として推進していたし、子育てや少子化の対策を考えるとき、男女共同参画の在り方はとても大事なポイントであることを、それなりに理解をしていたつもりでした。
 10年ほど前に、これからの日本という国の在り方を考えていく上で、何が最も政策として大切かをまとめたことがあります。結論は、「地域から日本の再生を」というものでした。つまり、100年ほど東京を中心に、いわば一極集中で日本は発展してきましたが、人口減少と経済成長の鈍化が始まったこれからは、もう一度、地方が元気になっていくことで、日本全体の再生をめざすべきだというものでした。
 そのときに、4つの社会の改革が不可欠だと考えました。ひとつめは、国と地方の役割分担の見直し、地方が国に頼らず、自分の知恵と力で自治を行うことが必要、「地方分権の改革」です。ふたつめは、同じ文脈になりますが、社会保障について、もっと地方が責任を持って、そのあり方を考える、顔の見える「社会保障の改革」です。みっつめは、世代間の負担が公平で、景気の影響の少ない、消費税を重視した税体系にする、「税制の改革」です。よっつめに、「男女共同参画の改革」をあげたのですが、なんとなくそうでないかという程度であげたに過ぎません。


徳倉さんによる男女共同参画講演会

 徳倉さんのお話しを聞いて、それが間違っていなかったと思いました。徳倉さんは、ご自身の実体験から、男女共同参画、男女が性別にかかわりなく、それぞれの人が持つ能力と可能性を活かせない企業、子育てをはじめ人それぞれの価値観を楽しむことを認めないような企業は、これから生き残れないことを、実例、データをあげて話してくれました。
 お聞きしながら、企業だけでなく、地方、地方自治体もそうではないかと思いました。小豆島は、今、急速な人口減少に苦しんでいます。こんなに素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆などがあるにもかかわらずです。
 いつも書いていることですが、人口減少はもう避けられないことだとしても、減り方を少し緩やかにして、人口減少と経済成長が鈍化した時代のあたらしい社会のかたちをつくっていくことが必要です。なんとなく「男女共同参画」の実現がそのひとつではないかと思っていたのですが、徳倉さんの話で、やっぱりそうだと思いました。
 理屈でわかっていても、実際の行動や施策として、「男女共同参画」を実践しなければ意味がありません。小豆島町は、恥ずかしいことながら、「男女共同参画基本計画」をつくっていませんでした。香川県下で、小豆島町だけつくっていませんでした。前の計画の期間が終わった後、次の計画をつくっていなかったのです。


小豆島町いきいきプラン
~第2次 男女共同参画基本計画~
(クリックすると詳細が表示されます)

 そこで、スタッフががんばって、新しく「小豆島町いきいきプラン」をつくりました。プランは、例えば、「男は仕事、女は家庭」という男女の役割についての固定的な考え方を改めていこう、小豆島町職員の女性管理職の割合を倍増以上にするなどの目標を掲げています。
 徳倉さんや井原先生のお話を聞いていると、小豆島町のプランの目標は、決して自慢できるものではないのですが、まずは足元をみながら一歩一歩前進していきたいと思います。ところで、徳倉さんから、町長が「イクボス」宣言をし、実践することが必要と、強く示唆していただきました。
 「イクボス」とは、「職場で共に働く部下・スタッフのワークライフバランス(仕事と生活の両立)を考え、その人のキャリアと人生を応援しながら、組織の業績も結果を出しつつ、自らも仕事と私生活を楽しむことができる上司(経営者・管理職)」のことです。
 私は、自分自身ワークホリックそのものであり、部下・スタッフにも、それを求めているところがあります。どうみても「イクボス」とは真逆のところにいます。そのことを直視しながら、徳倉さんの提案と真剣に向き合ってみようと思います。(平成28年6月30日)



男女共同参画基本計画の策定に
ご尽力いただいている
香川県男女共同参画審議会長の井原理代さん

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第1714回 大忙しの充実した日曜日でした


 大忙しの充実した日曜日でした。心配された天気も、梅雨の合間の快晴でした。朝一番でわんぱく相撲小豆島場所に向かいました。
 小豆島中の小学生のわんぱく力士が出場しました。琴勇輝関は、毎年わんぱく相撲のために帰省してくれています。
 琴勇輝にとっては、わんぱく相撲に出たことが、相撲をはじめるきっかけになり、格別の思いがあるのだと思います。
 本当なら、琴勇輝の子どもたちへの言葉を聞き、子どもたちとの相撲もみたかったのですが、この日は後の行事があるので、挨拶だけで会場を後にしました。
 次に向かったのは、小豆郡手をつなぐ育成会の年に一度の総会です。52回目だそうです。私の厚生労働省での仕事の4分の1くらいは、障がい者福祉でした。にもかかわらず、町長になっているのに、小豆島の障がい者福祉は遅れたままです。
 幸い、育成会の皆さんの尽力で、香川県が小豆島に特別支援学校をつくるべく検討を始めてくれています。特別支援学校をつくるなら、卒業後の暮らしの場、働く場、相談の場が必要です。総合的な支援施設が小豆島に必要です。
 障がい者の総合的な支援施設は、土庄町、小豆島町はもちろん、民間の皆さんと一緒に小豆島をあげて取り組むべきテーマです。もちろん香川県の協力も必要となります。「厚生労働省での経験を活かして実現する」と約束して、この場も挨拶だけで失礼しました。
 中山・一粒の種/中山自然美術館で、苗羽小学校児童による「オオムラサキの研究発表会」がありました。子どもたちに自然環境を残してあげたいと、「中山自然学習村 一粒の種」では、昨年より、苗羽小学校の児童3名がオオムラサキの研究を中山地区で行ってきました。
 オオムラサキは、蝶の一種で日本の国蝶です。中山・一粒の種の亘和彦さんは、小豆島でオオムラサキを飛ばしたいと取り組んできました。私は、生まれてはじめてオオムラサキのサナギと羽化した本物のオオムラサキを見せてもらいました。
 前小豆島町消防団長の笠井忠博さんの瑞宝双光章受章記念祝賀会に出ました。笠井さんは、漁業のかたわら42年間消防団活動を務められました。最後の4年間は、小豆島町消防団の団長として群を抜いたリーダーシップで消防団を率いていただきました。
 東京になくて地方にあるもの、それが消防団です。私は、消防団がある限り、地方は必ず再生する、創生すると思います。消防団活動には、「自分たちのことは自分たちで守る」という自立自助の精神がバックボーンにあります。地方再生と地方創生に必要な根本精神こそ自立自助の精神だからです。
 午後から、男女共同参画推進シンポジウムに参加しました。NPO法人ファザーリング・ジャパン理事徳倉康之さんが「これからの時代に必要な考え方・働き方・育て方」というテーマで基調講演をしていただきました。その後、井原理代さん(香川大学名誉教授・香川県男女共同参画審議会会長)をコーディネイターに、徳倉さん、慈氏佳世子さん(草壁保育園副園長)、山本香織さん(あいいく会会長)と私で、「男女共同参画で、人も町もいきいきと」をテーマにパネルディスカションをしました。
 徳倉さんの基調講演を聞いて、衝撃を受けました。私は男女共同参画について、それなりに考えていたつもりですが、それが全く不十分なものであったことに気づきました。どう考えたかについては、少し整理した上で、またこのブログで書きます。
 日曜日の最後の行事は、「想う壺ツアーin小豆島」のライブイベントを聞きにいきました。「想う壺」とは大阪のラジオ局FM802のDJ土井コマキさんが2004年から不定期で開催しているライブイベントです。
 今回は、土井コマキさんと小豆島で暮らす日常を写真で発信しているグループ小豆島カメラの皆さんがタイアップして、神戸からジャンボフェリーに乗ってきたお客様を、小豆島の魅力的な生産者や場所(碁石山、ヤマロク醤油、醤の郷、中山)に案内し、蔡忠浩さんのライブイベントを坂手港eiでしていただきました。蔡さんのギターとボーカルに大忙しの日曜日の疲れを癒してもらいました。
(追補)小豆島町商工会青年部と移住された皆さんが中心になってつくりあげた池田港での「小豆島日曜市」に顔を出すのを忘れてしまいました。天気に恵まれて大勢の人でにぎわったと聞きました。(平成28年6月29日)

ちびっこ力士たちが奮闘した
わんぱく相撲小豆島場所

小豆郡手をつなぐ育成会総会

中山で飼育されている国蝶オオムラサキ

自立自助の精神を持つ消防団

男女共同参画推進シンポジウムでの
パネルディスカション

「想う壺ツアーin小豆島」のライブイベントでの
蔡忠浩さんによるライブ
(写真提供:小豆島カメラ)

晴天の中、池田港で行われた
小豆島日曜市

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第1713回 琴勇輝の里帰り


 琴勇輝関が里帰りしました。今回は、小豆島だけでなく、小学6年生までを過ごした丸亀市にも里帰りしました。香川県知事にも、香川県議会議長にも挨拶に立ち寄るなど、大忙しでした。
 浜田知事に「頂点」にたどり着くのも、「時間の問題です」と自信をこめて、決意を語りました。知事から「時間はかかってもいいから」と温かい言葉をいただきました。200人分のうどんのプレゼントをもらうと、「うどんを食べて、粘りの相撲をとります」と当意即妙にお礼の言葉を返しました。
 同じ小豆島出身の黒島県議会議長のところでは、県下全域の超党派の県議の皆さんから激励と応援の言葉をいただきました。琴勇輝は、香川県全体の人気者であり、香川県全域からの期待を一身に集めています。その後、琴勇輝は、丸亀市に向かいました。琴勇輝後援会の丸亀支部が誕生し、歓迎会がこの日開かれました。梶正治丸亀市長さんほか200人近くの皆さんが琴勇輝を迎えてくれました。
 琴勇輝も嬉しそうでした。皆さんも、琴勇輝と一緒に記念写真を撮ったり、楽しそうでした。ふるさとはありがたいです。最後に、琴勇輝は自慢の喉を披露し、ふるさとの皆さんに「ありがとう」を心をこめて歌いました。そして「綱を締めてふるさとに帰る」ことを、丸亀の皆さんに誓いました。
 次の日は、朝一番に実家近くの老人ホームを訪問した後、小豆島に向かいました。この日、琴勇輝はお世話になった皆さんを一人ひとり訪問しました。そのひとつは故前坂下一朗小豆島町長のご霊前でした。中学生でたった一人で小豆島にやってきた少年の可能性にいちはやく気づき、町をあげて応援する機運をつくり、少年の大成を願いました。坂下前町長の私への最重要の引き継ぎのひとつが、琴勇輝のことでした。
 夜は、小豆島の東京六大学卒業生の総会で講演をしたり、小豆島相撲連盟の懐かしい皆さんとの懇親会がありました。
 そして翌日は、第28回を迎えたわんぱく相撲小豆島場所に参加しました。土庄町民プール跡に、小豆島青年会議所と小豆島相撲連盟の皆さんが立派な土俵を手造りでつくっていました。未来の琴勇輝を目指して75人の小学生のちびっこ力士たちが元気に土俵にあがりました。
 こうして、2泊3日の里帰りは終わりました。月曜日、名古屋場所の番付が発表され、東小結となりました。名古屋場所でも1日、1日悔いのない相撲をとってほしいと思います。(平成28年6月28日)

県知事表敬訪問のようす

琴勇輝後援会丸亀支部の誕生を
記念しての鏡割りのようす

小豆島に住む東京六大学卒業生の総会での
琴勇輝講演会のようす

今年のわんぱく相撲でも
ちびっ子力士と取組を行いました

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第1712回 壺井栄さんの凄さ


 壺井栄さんの50回忌記念式典のことは、このブログでも紹介しましたが、式典での四国学院大学名誉教授の須浪敏子さんの記念講演を聞いて、改めて栄の凄さを再認識しました。
 そのことは、いつかまた先生から講演の内容をもう一度教えていただいてから、書いてみたいと思いますが、記憶が薄れないうちに、その印象を書き留めておきます。
 当然のことですが、栄の生まれ、育った時代と環境が栄の生き方と文学の意味に大きくかかわっています。
 栄以前の世代は、まだ文字を読めたり、書けたりできる人は限られていました。文字を読めない、書けない祖母や母親、周りの人々から、栄は、人の生き方や知恵をたくさん教えてもらいました。
 栄の時代になって、子どもたちは、義務教育として、学校に行って読み書きを教えてもらえるようになりました。学校は、優しく、厳しい先生がいて、仲良く、助け合い、学び合える、子どもたちにとって幸せなところでした。
 栄は、文字を書いて人を助ける職業につきたいと思うようになります。それは教師になることでした。
 栄は、目立つ子どもではなく、おとなしい子どもでしたが、勉強が好きで、とてもよくできる子どもでした。しかし、家業の失敗で、上の学校に進むことができませんでした。教師への道が閉ざされた栄にとって、文字を書き人を助ける残された仕事は、小説家になることでした。
 しかし、それは遠い夢であり、近所の郵便局に勤めることが、いろいろな相談に乗り、手紙の代筆などができる、夢の一部を叶えることができる道でした。
 栄にとって、文字を書き人を助けるとは、貧しさに苦しむ人々や社会的に弱い立場の女性や子どもたちの暮らし、喜びや悲しみを書き、表現することで、弱きものたちへの社会の共感を広げていくことでした。栄は、黒島伝治を知り、文学への思いを強めていきます。やがて伝治に紹介された繁治と文通をすることになり、ついには繁治を頼り上京し、二人は結婚をすることになります。しかし、すぐ、小説を書くようになったのではなく、獄中の人となった繁治との手紙のやりとりや周囲の文学者から勧められ、小説を書きはじめるようになったのは、30歳代も半ば過ぎになってからです。
 栄の作品のほとんどは、小豆島で栄自身が見聞したり、経験したこと、祖母や母親などから教えられた昔話などを題材としています。
 今月も、「本から生まれる一皿『壺井栄と庚申の夜』」が開かれました。
 今月のテーマは「壺井栄とお母さん」でした。東京で暮らしていたとき、栄は、「壺井のおかあさん」と慕われていました。栄の作品は、「母性愛の文学」とも呼ばれ、母の視点での愛情あふれる物語や、栄の母親についての随筆を数多く書いています。
 栄のお母さんは、自分が生んだ10人の子どもたちのほかに、拾ってきた二人の孤児をあわせて、12人の子どもたちを貧しい中で育てました。
 そのお母さんは、「5人育てりゃ5つの幸せ、7人育てりゃ7つの楽しみ」と言って、苦労をよろこびに変えてしまう、知性と素朴な母性にあふれたお母さんでした。
 栄もまた姪や遠縁の子どもをひきとって育てました。血のつながりだけではなく、困っているすべての人に手を差し伸べる栄のやさしさはお母さん譲りです(「本からうまれる一皿実行委員会『ヒトサラ通信』6月号」。
 今月の一皿も、「焼き鯛と昆布おろし」「高野豆腐のしんじょはさも揚げ」「切干大根のごま酢和え」「いりこのオイルサーディン」「お魚のフライ」「かきまぜ」「サラダ・たまご焼き」「鯛のあら汁素麺」「ごはん」「かんころとそら豆のあんみつ仕立て」という、「小豆島の特色あるものがたくさん使われていて『小豆島』を味わうことができる、小豆島そのものがわかる」ベストの申し分のない、美味しい料理」(瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクター北川フラムさん)でした。(平成28年6月27日)

先日行われた壺井栄50回忌記念式典

四国学院大学名誉教授の
須浪敏子さんによる記念講演

壺井栄

栄が小説を書きはじめるようになったのは、
30歳代も半ば過ぎになってからです

栄の作品のほとんどは、小豆島で栄自身が
見聞したり、経験したこと、祖母や母親などから
教えられた昔話などを題材としています

「本から生まれる一皿 壺井栄と庚申の夜」の
「壺井栄とお母さん」と題した6月のメニュー

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第1711回 今後の地方創生の進め方


 「地方創生」という言葉を聞くようになって数年になります。「地方創生」に違和感を感じたり、異議ありという人もいると思いますが、目指していることは間違いなく正しく、歴史の流れに沿っていると思います。
 「地方創生」について、国は、「まち・ひと・しごと創生法」という法律をつくっています。「地方創生」には、「まち・ひと・しごと」が必要であり、それらをどうつくっていくか、この法律に基づいて、地方自治体は、「まち・ひと・しごと」をよくしていくための、「人口ビジョンと総合戦略」をつくりました。小豆島町でも昨年10月末につくりました。
 「まち・ひと・しごと創生法」を具体的に推進するために国は「地域再生法」を改正しました。総合戦略をもとに、地方自治体において、具体的な「地域再生計画」をつくり、国の承認を受けると、国から地方創生推進交付金(負担率2分の1)の交付や企業版ふるさと納税を活用できるスキームをつくりました。
 実務的な制度でそれがどうしたと思う人が多いはずです。国と地方自治体の財政支援などのあり方こそ、「地方創生」の本質的なことです。国から交付される地方交付税や国庫負担、国庫補助金が地方自治体のかなりの財源を占めています。小豆島町で言えば、小豆島町の財源の7割を占めています。
 私がいくら偉そうなことを言っても、国の地方財政支援が減れば、小豆島町は、ひとたまりもありません。地方自治や「地方創生」のあり方は、地方交付税、国庫負担金、国庫補助金のあり方にかかっています。
 地方財政支援がこれからどうなっていくのか、国は必ずしも明らかにしていません。国の財政状況は、債務が1000兆円を超え、危機的な状況にあります。そのような中で、国は、「地方創生」を重視してくれて、地方自治体への財政支援を、今は手厚くしています。
 しかし、消費税の引上げ延長が決まったように、今後の国の財政状況を考えると、国の地方財政支援のあり方が見直され、財政支援が減らされていくことは不可避です。もしそうなったとき、深刻な影響が地方自治体に出ます。
 国の地方財政支援が手厚い間に、地方自治体は、財政負担の大きな事業をなし終えておくことが必要だと思います。そのことだけでなく、できるだけ速やかに、人口減少を少しでも緩和できる政策を確立し、あたらしい国のかたちや社会のあり方の道筋をつけておくことが必要だと思います。
 今度国がつくった地域再生計画の作成と地方創生推進交付金などのスキームは、実務的なものとしてあまり注目されていないようですが、私はこのスキームが、将来国と地方自治体の間の財政支援のかたちになる可能性があると思っています。
 どちらにせよ、国のあたらしいスキームを最大限活用することが、「地方創生」にとって有用であることは間違いないことです。そこで、小豆島町では、年末までに方向性を決めて、あたらしいスキームを最大限活用し、いろいろな取組みができたらと考えています。
 いくつかの重点分野で、方向性を年末までにまとめ、総合戦略を見直し、地域再生計画としてまとめ、国の地方創生推進交付金や企業版ふるさと納税なども最大限活用して、小豆島の「地方創生」を進めていこうと考えています。
 いくつかの分野とは、「医療福祉」「教育」「産業」「芸術文化」です。 「医療福祉」は、新しい小豆島中央病院を軸にして、土庄町、小豆島町が一体となった地域包括ケアシステム、小学校区単位での小規模多機能施設・子育て支援拠点の整備、障がいを持つ子どもたちの特別支援学校、支援施設の整備などを、「福祉と医療の推進会議」で議論してもらいます。
 「教育」は、幼稚園・保育所、小学校、中学校、高校を通した教育のあり方を原点に戻って議論してもらいます。高校が新しくなります。新しい高校を頂点にして、あたらしい小豆島全体の教育のあり方をつくっていこうと思います。小学校の統合や小豆島高校跡地の活用策も議論してもらいます。小豆島からあたらしい教育がはじまってほしいと思います。「総合教育会議」の場で議論してもらいます。
 「産業」は、休眠状態にあった商工業振興審議会を立ち上げ、商工業振興計画としてまとめようと考えています。醤油、佃煮、素麺、オリーブ、観光など小豆島の地場産業が元気になっていける方策をみんなで考えます。地元商店に元気になってほしいです。新しい産業にも期待しています。地域経済が循環することが必要です。
 「芸術文化」は、まずは瀬戸内国際芸術祭2016を成功させたいと思います。その上で、いろいろな芸術文化をつなぎ、それらを医療、福祉、教育、産業など、地域づくりに活かしていきたいと考えています。
 以上のことを年末までに議論し、方向づけしたいと考えています。年末には、総合戦略を見直し、地域再生計画としてまとめることとしています。(平成28年6月24日)

小豆島町の人口ビジョンと総合戦略
(クリックすると詳細が表示されます)

 国の地方財政支援が手厚い間に、
人口減少を緩和できる政策を確立し、
社会のあり方の道筋をつけることが必要です

「医療福祉」では、小豆島中央病院を
軸にして小豆島が一体となった
地域包括ケアシステムなどを整備します

小豆島町福祉と医療の推進会議

「教育」では、新しい高校を頂点にして、
小豆島全体の教育のあり方をつくっていきます

小豆島町総合教育会議

「産業」では、商工業振興審議会を立ち上げ
小豆島の地場産業活性化の方策を考えます

 「芸術文化」では、瀬戸内国際芸術祭2016を
成功させ、地域づくりに活かしていきます

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第1710回 私たちは壺井栄を忘れません


 今年は壺井栄先生の50回忌の年です。壺井栄さんの業績と偉大さについては、皆さん御存じであり、改めて申し上げる必要はないと思います。
 壺井栄さんがおられて、今の小豆島、私たちがあります。壺井栄さんは、私たちの誇りであり、支えです。壺井栄さんの作品は、優しさと、強さと、たくましさと、平和の大切さを私たちに教えてくれます。
 50回忌の今年、どのようにして壺井栄さんを偲んだらいいのでしょうかと、遺族の加藤公市さんと昨年相談しました。加藤さんは、お手元に保管してあった壺井栄さんと繁治さんの、繁治さんが獄中に拘留されていたときの、箱いっぱいに詰まった二人の往復書簡の手紙を私に見せながら、往復書簡が本になっていないので、本にできないだろうかとの提案をいただきました。
 小豆島に戻って、どうしたら加藤さんの願いを叶えることができるかと思案しました。小豆島に移住されていた出版に明るい平野公子さんにご相談したら、知り合いの本屋さんを奔走されて東京の「編集室屋上」という本屋さんを紹介していただきました。
 その本を、今日皆さんのお手元の封筒に入れております。早速私も、二人の往復書簡を読み始めています。逆境のなかでの、二人の愛情の深さと思いの強さが伝わってきます。
 このほか、50回忌の事業として、今日このあと、記念講演をしていただく小豆島出身の須浪敏子先生に「壺井栄50年の暦」という年譜をつくっていただきました。デザインは、壺井栄さんが大好きな香川県出身のデザイナー樋笠彰子さんがされました。その年譜もお手元の封筒に入れてあります。
 その他に、「壺井栄に学ぶ『平和の島フォーラム』」、劇団道化座による「大根の葉」の公演、壺井栄・黒島伝治・壺井繁治の電子書籍化、壺井栄原作映画上映会などを予定しています。
 苗羽地区の皆さんが中心になって、「壺井栄と庚申の夜」と言う取組みを毎月やってくれています。壺井栄さんの作品のなから、小豆島の「食」を取り出して、小豆島の食材を活かして、一皿に再現してくれています。
 一連の記念事業が、壺井栄さんの作品や足跡を、多様な角度から知っていただき、読んでいただく機会になればと思います。私たちは、これからも、壺井栄さんの作品が読み継がれ、生涯を通して願い続けた平和が実現することを願っています。私たちは、壺井栄さんがこよなく愛した小豆島の良さを守り、磨いていこうと思います。平和にも貢献していこうと思います。
 私たちは、私たちの誇りであり、支えである壺井栄先生をいつまでも忘れません。(壺井栄50回忌記念式典式辞)(平成28年6月23日)

前日の雨の影響で坂手公民館にて
壺井栄50回忌記念式典が行われました

壺井栄と繁治の往復書簡

出版に明るい平野公子さんにご相談し、
東京の「編集室屋上」という出版社に
往復書簡を書籍化していただきました

記念講演を行っていただいた小豆島出身の
須浪敏子四国学院大学名誉教授

須浪先生には「壺井栄50年の暦」という
年譜をつくっていただきました

劇団道化座による「大根の葉」の公演など
様々な記念事業を予定しています

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第1709回 Uターン者の皆さんに期待しています


  Iターン、Jターン、Uターンという言葉を、見たり、聞くようになりました。この分類で言うなら、私はUターン者です。
 この100年くらいは、地方から都会に若者が一方的に向かうばかりでした。その結果、都会は人口が増え、ますます栄え、地方は人口が減り、衰退するばかりだったと言ってもそんなに間違いではないと思います。
 ようやく、ついに、地方から都会への流れだけでなく、都会から地方への流れも出てきました。Iターン、Jターン、Uターンです。
 ある会議が終わった後で、町長は「若い人のIターンのことばかり強調して、Uターンについて触れないのはおかしいのでないか」「Uターンの意味を考えていないのではないか」と指摘されました。
 どうしてそんなことを言われるのか、とっさにその意味を、私は理解できませんでした。私にとって、私自身がUターン者であって、Uターンするかどうかは、それぞれの人生観の問題であって、それは「政策」ではないと考えていたからです。

Uターン者数の推移(年度別)
(クリックすると拡大できます)

 地方自治体は、「政策」によって、地方自治体の魅力を磨き、Iターン、Jターンを増加させ、それらの方々の知恵と力を、さらに地方自治体の魅力増加に活かすことができます。特に若い人たちの人口流入は、過疎が進む地方の人口減少と少子高齢化を抑えることができます。
 Uターンも、Iターンもそのことは同じなのですが、私自身の経験から、例えば、東京小豆島会などの席で、「小豆島に戻って本当に良かった。充実した毎日です。皆さんも是非Uターンして、小豆島を一緒に元気にしましょう」と呼びかけることはあっても、小豆島出身の皆さんは、小豆島のことを知った上で、島を離れ、それぞれに島に戻れない事情があるのだから、それぞれの皆さんが、それぞれの判断で考えることだと考えていました。「人生観」であって、「政策」ではないと考えていました。
 しかし、もう一度よく考えてみました。結論は、Iターン、Jターンの方々には、小豆島のことを知ってもらったり、体験してもらう経験を持っていただくことが有効ですが、小豆島の魅力を高め、小豆島を好きな皆さんに小豆島で暮らしていただき、小豆島を元気にしていくことにIターン者も、Jターン者も、Uターン者の違いはないということでした。
 

年齢階層別のUターン者数
(クリックすると拡大できます)

 そこで、早速、役場のスタッフに、Uターン者についての資料をつくってもらいました。この資料だけでは、Uターン者が増える傾向にあるのかどうか、まだはっきりしませんが、Iターン者と同じように、Uターン者も増加の傾向にあるのではないかと、私は期待もこめて思います。少子化で島を離れる人の数は減っているので、小豆島が人口の社会増の時代に本格的に入っているとすれば、小豆島は、本質的なところで、元気になろうとしている、あたらしい「この国のかたち」をつくろうとしているのかもしれません。
 小豆島の魅力と可能性が広がっているのであれば、小豆島に生まれ育った人たちにとってもそうであるはずです。小豆島には大学などがないので、進学するには、一度は島を離れなければなりません。卒業して、学んだことを活かす職場が小豆島になければ、島に戻ることができません。島以外での経験もとても貴重だし、日本だけでなく、世界での活躍を求める人もいてほしいです。
 その上で、小豆島で活躍したいと思う皆さんに、活躍していただく場を提供できる小豆島でありたいと思います。医療、福祉、教育、農業、産業などの場がレベルアップすればするほど、多くの皆さんの活躍の場が増えます。瀬戸内国際芸術祭をきっかけにして、アーティストやクリエイターなどの皆さんが、小豆島の魅力と可能性を見つけ、伸ばしてくれています。小豆島は楽しくなろうとしています。
 Iターン者、Jターン者、Uターン者のすべての皆さんとともに、小豆島を元気にしていきたいと思います。みんなで、知恵と力をあわせて、あたらしい「この国のかたち」をつくっていきたいと思います。(平成28年6月22日)

小豆島町の人口動態(自然動態・社会動態)
(クリックすると拡大できます)

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第1708回 小豆島町福祉と医療の推進会議


 「小豆島町福祉と医療の推進会議」を1年ぶり以上に開きました。本当は、もっと頻繁に開催すべきだと反省しています。
 この間、さぼっていたわけはなく、小豆島の全体としての方向づけやそれぞれの分野ごとの課題への対応で、この会議を開催することを失念していました。
 昨年、人口ビジョンと総合戦略をつくったことや小豆島中央病院がスタートできたことなど、小豆島も本格的な動きが始まろうとしています。いろいろな動きが始まるにつれて、それぞれの分野が密接につながっていること、それらをつなぎあわせていかないといけないことが明らかになってきています。
 小豆島の最大課題は人口の減少が急速であることです。人口が減ることは避けられないのですが、その減り方を少し緩やかにできれば、下り坂の坂道にも慣れて、新しい社会のあり方をつくっていけると思います。
 新しい社会のあり方が定着すれば、人口減少もそんなに心配することではないし、何も悲観的になることはありません。
 小豆島で、新しい社会のあり方の模索と実践が続いています。明るいニュースは、ここ数年、小豆島に移住される方がたくさんおられることです。小豆島町への移住者の平成27年度の数は、148人、7割が20代、30代の方々です。
 移住者が顕著になったのは、平成23年度からです。その年度から100人を超えるようになりました。いったいどんな社会環境の変化があったのでしょうか。東日本大震災の影響もあると思います。小豆島は、専門家によると、地震、火山、原発などの影響が日本のなかで小さい地域です。
 私は、ここ数年小豆島への移住者が多いのは、瀬戸内国際芸術祭などを契機にして、小豆島の自然、文化、伝統、地場産業、人の絆、やさしさなどが、広く知られるようになったことが大きいと思っています。
 アーティスト、クリエイター、演劇人、音楽家、料理人など、いろいろな皆さんが、小豆島にやってきて、いろいろな取組みをしてくれています。いろいろな刺激を小豆島に与えてくれています。小豆島のあちこちで、化学反応が起きようとしています。小豆島は、いろいろな意味で可能性があって、楽しいところになろうとしているのだと思います。
 このようなことも考えながら、これから小豆島が元気になっていくためにどんな取組みが必要であるか、「福祉と医療の推進会議」の場を通しても、問題意識を共有できたらと思います。
 もともと医療と福祉は密接な関係があるし、つながっています。小豆島中央病院がスタートしたことで小豆島の医療の基盤が整いました。しかし、医療の資源、マンパワーと財源は限られています。福祉と医療の連携と役割分担が必要になります。
 健康づくりや介護予防が大切だし、病院を退院したあとのリハビリ、健康管理も大切です。「住まい」も大切です。健康長寿が大切です。延命治療の在り方も問われています。病院ではなく、住み慣れた家で最期を迎えたいと思う人も多いはずです。
 福祉の分野も、高齢者福祉、障がい者福祉、児童福祉は、それぞれ別のものではなく、つながっています。さらに教育、産業、交通など、すべての政策はつながっています。
 例えば、小豆島では、子どもの数が減っているので、小学校、中学校、高校の校舎の活用を考えていくと、利用しなくなった校舎、教室などを、高齢者福祉、障がい者福祉、児童福祉のすべてに活用することが考えられます。働く場がどうなっているかは、福祉の在り方にかかわります。アートなどの芸術文化も福祉の在り方にかかわっています。
 小豆島に限らず、これまで日本では、医療は医療、福祉は福祉(福祉はさらにそれぞれ分野ごとに)、文化は文化、産業は産業などと、それぞれ別の問題として整理され、議論されることが多かったと思います。「福祉と医療の推進会議」では、これらの分野の壁を超えて、議論していこうと思っています。
 委員の一人である、佐藤小豆島中央病院の院長先生が、とても的確なことをおっしゃってくれました。「福祉と医療のことを論議するなら、ここに土庄町の人にもいてほしい」と。その通りだと思います。町が違うという行政の壁も超えなければいけません。
 「地域包括ケアシステム」の必要性がこのごろ言われています。地域包括ケアとは、住み慣れた地域で、高齢者がいきいきと健康長寿を楽しめるための施策群のことです。医療、介護、健康づくり、社会参加・貢献、住まいなどの施策を一体的に実行していくことが求められています。
 小豆島の地域包括ケアシステムは、小豆島中央病院を軸にして、土庄町と小豆島町の関係する人たちが集まって、一体となって推進していこうと考えています。小豆島中央病院に「小豆医療圏地域包括ケア連絡会議」をおいて、取り組んでいくことにしています。佐藤先生は、「中央病院の会議室に、小豆島中から関係する皆さんに集まってほしいです」とおっしゃいました。
 ところで、この日の会議で、佐藤先生はとても嬉しいことをおっしゃってくれました。「医師の確保に苦労されましたが、小豆島出身の医師の方がいますか」という質問への答えです。
 「小豆島出身の医師が二人加わってくれました。一人は、香川大学の先輩で同じクラブで知っていた医師、もう一人は岡山大学出身ですが、水泳大会が一緒で知った医師です」とのことでした。佐藤先生は、この1年、医師確保に奔走されました。そのとき、大学時代のクラブ活動の縁が活きたそうです。佐藤先生のクラブ活動とは、軽音楽と水泳だそうです。
 人と人のつながりはいいものですね。佐藤先生は、先生の人と人のつながり、ネットワーク、縁を小豆島のためにフルに活かしていただきました。ふるさと小豆島で、医師として活躍できるチャンスを得た医師の方々も、その縁を喜んでおられるはずです。
 人と人はもちろんですが、医療と福祉と教育と産業と、すべての政策もつながっています。政策のネットワークを広げていくことも大切なことです。「福祉と医療の推進会議」がそのための一歩になると思います。(平成28年6月21日)

小豆島町福祉と医療の推進会議


小豆島町人口ビジョンと総合戦略
(クリックすると詳細が表示されます)

今年4月に開院した小豆島中央病院


平成27年度の小豆島町への移住者数は
148人で7割の方が20代、30代です

移住者の増加は、瀬戸内国際芸術祭などを
契機にして、小豆島の魅力が広く知られる
ようになったことが大きな要因と考えています

福祉の分野だけではなく、教育、産業、
交通など、すべての政策はつながっています

例えば利用しなくなった校舎、教室などを
高齢者福祉、障がい者福祉、児童福祉に
活用することが考えられます

 小豆島の地域包括ケアシステムは、小豆島
中央病院を軸にして、土庄町と小豆島町が
一体となって推進していこうと考えています

推進会議では、佐藤先生に医師確保の
経緯についてお話しいただきました

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第1707回 第44回壺井栄賞


 壺井栄賞の入選作品が発表されました。今年で44回目になります。今年は、香川県内の22校、105人の小・中・高校生から応募された作品から、土庄小学校1年(応募当時)の角石悠君の「ぼくは、まけない」が壺井栄賞に選ばれました。
 毎年、入選作品を読ませてもらい、視点や姿勢の良さ、文章力の高さに感心させられています。今年も角石君をはじめ入賞者の皆さんの作品の水準の高さに感心させられました。
 角石君は、卵アレルギーがあるそうです。私事で恐縮ですが、私の1歳の孫の女の子もそうなので、その大変さが少しわかります。
 小学校に入学した角石君を担任の先生があたたかく迎えてくれます。やさしい先生に角石君はいつも励まされ、元気をもらっていました。ところが1月たったころ先生は突然学校に来なくなり、1月後、その先生は亡くなってしまいます。
 先生は、笑顔で角石君を見守る一方で重たい病気と闘っていたのです。角石君は思います。「ぼくは、いつかおいしゃさんになって、ぼくをこまらせるびょうき、大せつな人をうばうびょうき、そのほかのびょうきぜんぶ、やっつけてみせる」角石君には、医師になる夢を叶えてほしいと思います。
 選考委員の作家芦原すなおさんは、角石君の作品について、「重いテーマですが、文章にのびのびしたテーマさえ感じられます。周囲の人たちに寄せる角石君の素直な信頼感からくるものでしょうか。一読、拍手をしたくなるような作品です」と選評されています。
 5人の皆さんの優秀賞の入選作もそれぞれ魅力にみちた作品でした。今年は壺井栄50回忌の年です。命日の6月23日に壺井栄記念碑の前で表彰式が行われます。表彰式の前に行われる50回忌の記念式典では、土庄町出身で、壺井栄の研究者の須浪敏子四国学院大学名誉教授による「壺井栄の童話」の記念講演が予定されています。楽しみです。
 これからも大勢の皆さんに壺井栄の本を読み継いでほしいと思います。人が生きていく上で大切なことがいっぱいに表現されています。壺井栄の作品からいろいろなことを学びたいと思います。(平成28年6月20日)

第44回壺井栄賞受賞者

壺井栄賞
 角石 悠 さん(土庄町立土庄小学校1年)
  作品 ぼくは、まけない

 ・芦原すなおさんによる選評

優秀賞  
 藤本 真己 さん(苗羽小学校3年)
  作品 私とバイオリン
 岡田 獅音 さん(星城小学校3年)
  作品 ぼくのおじいちゃん
 黒川 茉咲 さん(星城小学校4年)
  作品 「二十四のひとみ」を読んで
 中川 塁王 さん(星城小学校4年)
  作品 ぼくのお父さん
 武井 菜々歩 さん(小豆島中学校3年)
  作品 「消える」こと、「生きる」こと
 ※学校・学年は応募当時のものです。

今年で44回目となる
壺井栄賞の入選作品が発表されました

選評を行っていただいた
作家の芦原すなおさん

昨年の壺井栄賞授賞式のようす

今年は壺井栄50回忌の年で、命日の
6月23日に記念碑の前で表彰式が行われます

これからも大勢の皆さんに
壺井栄の本を読み継いでほしいと思います

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第1706回 壺井栄50年の暦


 今年は壺井栄の50回忌の年です。栄は、明治32年(1899年)に小豆島坂手で樽職人の岩井藤吉とアサの五女として生まれました。
 家業の失敗で家が傾き、栄は学問の道が閉ざされてしまいますが、郷里の先輩である黒島伝治や壺井繁治を慕い、いつか東京に出て作家になることを夢見ていました。
 26歳のとき、文通をしていた繁治を頼り、ついに栄は上京します。やがて、繁治と結婚し、30代も後半になって、作家としての人生を歩みはじめます。繁治の投獄など苦労は絶えることがありませんでしたが、名作「二十四の瞳」をはじめ、小豆島を舞台にした数えきれないほどの小説、児童文学、随筆を残してくれました。
 栄ほど小豆島を大勢の皆さんに伝えてくれた恩人はいません。栄の書いた文章を読むたびに、これほどに小豆島のことを深く思い、表現できる人はいないと、私はいつも感動しています。
 栄は、昭和42年(1967年)6月23日に亡くなりました。享年67歳でした。50回忌の今年、記念事業をしたいと遺族の加藤公市さんと相談しました。東京から小豆島に移住され、小豆島町の文化振興アドバイザーをしてもらっている平野公子さんにもいろいろなアドバイスをいただき、ご尽力いただきました。
 加藤公市さんから、繁治と栄の獄中往復書簡を是非本にしてほしいとお願いされました。栄と繁治の作品は、それぞれの作品集にすべて収載されていますが、二人の往復書簡は本になっていないので、実現できないかというものでした。
 今の日本は、本の冬の時代、いいものが本になり、人の思いに応えられる国ではなくなっています。どうしたら加藤さんの願いに応えることができるか、平野公子さんにお話ししたところ、旧知の出版者の方々にいろいろ相談していただき、本屋さんをみつけてきてくれました。東京の「編集室屋上」という本屋さんでした。本好きの林さやかさんという若い編集者の小さな本屋さんでした。
 箱いっぱいの繁治と栄の往復書簡の手紙を加藤さんから預かりました。手紙を文字化したりなど大勢の皆さんに協力してもらい、夢にみた本がつい最近出来上がりました。6月23日の50回忌の式典で皆さんに公表されます。
 その他に、50回忌記念事業として、いろいろな取組みをします。小豆島出身で壺井栄文学を研究されている須浪敏子四国学院大学名誉教授には、栄の年譜「壺井栄50年の暦」をつくっていただきます。デザインは、栄が大好きな香川県出身のデザイナー樋笠彰子さんです。
 栄原作映画「あすの花嫁」「雑居家族」の上映会があります。「壺井栄から学ぶ『平和の島』小豆島フォーラム」が開催されます。小豆島町と包括協力協定を結び、演劇指導などで交流を続けている四国学院大学の末吉高明学長の基調講演などを予定しています。
 中山の農村歌舞伎の舞台で好評だった劇団「道化座」の皆さんには、小豆島町の小学生の皆さんに、栄の処女作「大根の葉」の公演していただきます。「本から生まれる一皿~壺井栄と庚申の夜~」も記念事業のひとつにさせていただきました。
 その他に、栄・伝治・繁治の著作の電子書籍化、「壺井栄の唄」壺井栄の本の新装丁の展覧会などを予定しています。
 50回忌の記念事業が、栄の作品や足跡を様々な角度から知っていただき、学んでいただく機会になればと思います。私も、栄をもっと知り、もっと学びたいと思います。(平成28年6月17日)

今年は壺井栄の50回忌の年です

映画「二十四の瞳」
(C)松竹

50回忌記念事業として
さまざまな取組みを行います
(クリックすると詳細が表示されます)

中山の農村歌舞伎舞台で行われ好評だった
劇団道化座の皆さんによる
「大根の葉~しあわせの記憶~」

毎月一回坂手のeicafeで行われている
「本から生まれる一皿~壺井栄と庚申の夜~」も
記念事業のひとつとなっています

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第1705回 東京小豆島会での「故郷報告」


 112年目を迎えた東京小豆島会おめでとうございます。年に一度の東京小豆島会に出ることは、東京にいるときいつも楽しみでした。記憶では、1年もさぼっていないと思います。小豆島に戻ってからも毎年この会に出ることが楽しみです。今年も楽しみにしてきました。
 小豆島に戻って7年目になります。戻ってよかったと思います。皆さんも、希望がありましたら是非ともUターンされることをお勧めします。
 皆さんが、小豆島高校野球部の活躍のことを喜び、話してくれています。若者の活躍で、小豆島は元気になろうとしています。
 東京小豆島会の皆さんからも、甲子園出場に際して、多額の寄付をいただき、また、たくさんの皆さんに甲子園の応援にも参加していただき、感謝します。寄付金は全体で1億円を超えました。皆さんにお礼をできていませんが、まもなく記念誌がお手元に届くと思います。
 野球部の選手たちは、今一生懸命練習に取り組んでいます。この土曜日には、大阪桐蔭高校との練習試合があります。この夏も是非とも皆さんと一緒に甲子園に応援に行きたいと思っています。
 小豆島は元気になろうとしています。それは「島がひとつ」になろうとしているからです。黒島県議会議長が言われたように、小豆島は、水不足の時など、地域で対立して、それぞれの水を確保しようとするなど、島は決してひとつではなく、仲は悪かったともいえます。しかし、このごろ、仲良くなろうとしています。黒島議長が話されたように、ダムができて島の水不足が解消されました。そのこともひとつだと思いますが、このごろ小豆島は仲良くなろうとしています。島は、ひとつになろうとしていると思います。時代がそれを求めていると思います。甲子園で活躍した小高野球部9人のメンバーは、土庄町4人、小豆島町5人です。
 来年4月には、ふたつの高校がひとつになって「小豆島中央高校」が開校します。小高野球部の活躍はその先駆けです。野球でできたことは、陸上などその他のスポーツ、勉強、文化活動でもできるはずです。
 「小豆島中央病院」がこの4月から開院しました。そのままであれば、島のふたつの病院は医師不足で閉院に追い込まれたはずです。幸い、ふたつの病院を統合することに島民の皆さんが合意してくれました。
 新病院は順調なスタートを切っています。毎日、500人、600人の外来の患者が訪れています。新病院は、小豆島の実力からすると、ちょっと上の病院を目指しています。島民の安心だけでなく、島外からいろいろな方に小豆島で活躍していただき、島がこれから発展するためにそれが必要だと考えるからです。
 お医者さんが確保できないのでないかと皆さんが心配してくれました。おかげで、必要な医師を確保することができています。毎日25人の医師ががんばってくれています。非常勤の医師をいれると毎日30人の医師が新病院で活躍しています。
 バスも変わりました。300円で島内を移動できるようになりました。車を運転しない高齢者も300円で島内どこでもいけるようになりました。観光客の皆さんも300円で小豆島のいろいろなところを移動して楽しんでいただけるようになりました。
 運賃300円は、最初はなかなか理解してもらえませんでした。特に香川県がそうでした。小豆島だけバスが300円だと困るからです。福田から土庄まで25キロくらいあると思いますが、それが300円だと、県内のバランスがとれないというのは、その通りだと思います。しかし、小豆島は小豆島です。小豆島には小豆島のやり方があります。黒島県議にはいろいろ応援していただきました。
 安心できる高い水準の医療があって、教育も良い島に小豆島はなろうとしています。まだ余り知られていないかもしれませんが、小豆島は、子育て支援にも、文化芸術にも力を入れていきます。
 次は、地場産業の活性化です。オリーブは健闘していますが、醤油、佃煮、素麺の地場産業は苦戦しています。地場産業に元気になってほしいと思います。幸い、この会の中川日清食品ホールディング副社長が7月からUターンして、産業振興を手伝ってやろうと言ってくださっています。力強い助っ人です。是非、皆さんもUターンして小豆島が元気になる応援をしてほしいと思います。
 明るい話題があります。小豆島への若い移住者が増えていることです。平成27年度小豆島町への移住者は148人でした。60%が20代、30代の若者です。土庄町でも100人を超える移住者があったと聞いています。若者のUターンも増えようとしています。
 小豆島は、かつて人口6万人でしたが、今は3万人を割っています。これからも人口は減り続けます。しかし、若い移住者がこのまま続けば、人口構成が今と変わらない、小豆島の高齢化が今と同じ程度にとどまることがわかりました。
 このことは、とても幸運なことです。これから全国で人口減少と高齢化が進みますが、自然、文化、伝統、産業、絆の残る小豆島は、人口は減りますが、移住者により高齢化が抑えられ、いろいろな可能性が広がっていくことが期待できます。小豆島は、定住人口は減りますが、いろいろな魅力に支えられて、交流人口や関係人口は増えていくと思います。
 松平頼武東京香川県人会長から、小豆島の魅力を日本だけでなく、世界に発信してほしいというお話しがありましたが、私は、小豆島は、日本と世界の「希望の島」になれると思っています。東京小豆島会の開催おめでとうございます。(平成28年6月16日)

小豆島高校野球部など若者の活躍により
小豆島は元気になろうとしています

甲子園の応援にたくさんの皆さんが
球場に足を運びました

野球部の選手たちは、夏に向けて
一生懸命練習に取り組んでいます

来年4月には、小豆島高校と土庄高校の
ふたつの高校がひとつになって
「小豆島中央高校」が開校します

4月から開院した小豆島中央病院は
順調なスタートを切っています

バスも路線や運賃が大幅に改定し
300円で島内を移動できるようになりました

地場産業の活性化のために
力を入れていきたいと思います

定住人口は減りますが、小豆島の魅力により
交流人口や関係人口は増えていくと思います

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第1704回 112年目の東京小豆島会


 112年目を迎えた東京小豆島会(岡田志郎会長)に出席しました。東京を中心に活躍されている小豆島出身者の会です。今年はどなたかのお孫さんでしょうか、小さいお子さんの姿もありました。150人近くの多士済々の皆さんが出席されました。
 私も、東京に住んでいるときは、毎年出席することを楽しみにしていました。同郷の皆さんに会うとほっとしましたし、郷里の話を町長さんなどから聞くことも楽しみでした。
 私自身が町長として、郷里のことを話す立場になるとは思いもよらないことでしたが、東京小豆島会に出ることは小豆島に戻った後も楽しみです。
 今度は、懐かしい人々に会えるし、小豆島の状況を話せることが、何となく誇らしく感じられるからです。といっても、そのほとんどは、小豆島高校野球部の活躍と大相撲の琴勇輝関の活躍のおかげですが。
 この日は、岩沢正俊小豆島高校校長も出席されていて、岡田史郎東京小豆島会会長から硬式ボール6ダースの記念品が贈呈されました。ボールには、早くも「小豆島中央高校」の名前が、杉吉監督の意向で印字されているそうです。
 琴勇輝関も稽古の合間をぬって参加してくれました。横綱、大関でまだ勝てていない力士が白鵬関のみであること、その白鵬関に勝つ「秘策」を笑顔で語ってくれました。どの力士にも、真っ向勝負で、受けてたつ、横綱相撲のできる「本物の横綱になるのは自分」と「有言実行」を宣言しました。
 先場所は、残念ながらひとつ負け越してしまいました。日馬富士戦で押しだされたとき、左ヒザに違和感を感じたそうです。場所後、お医者さんに診てもらうと、脱臼していたそうですが、今は治療してもらい大丈夫だそうです。「ほぉっ」を止めた本当の経緯もユーモアたっぷりに話してくれました。
 琴勇輝関は、今月の25日、26日、27日と香川県に帰ってきます。県知事と県議会議長への挨拶、丸亀市にできた後援会支部での激励会出席、わんぱく相撲小豆島場所への参加が予定されています。
 今年は、小豆島出身の「勝詩」さんの歌を聞くことができました。勝詩さんのことを私は知りませんでした。とても伸びのある声でした。オリジナルの「ふるさと」や河島英五の「おばあちゃんのひとりごと」の歌を聞きながら、ほろりとしました。
 今年の私の故郷報告は、「小豆島はひとつ」になることで、元気をとり戻そうとしていることでした。新しい病院、新しい高校、300円で島内をどこでも移動できるようになったバスのことなどを話しました。小豆島は、定住人口はこれからも減りますが、交流人口や関係人口が増えて、「小豆島はいつか日本と世界の『希望の島』になる」という話もしました。琴勇輝関に負けない「有言実行」でありたいと思います。(平成28年6月15日)

東京を中心に活躍されている小豆島出身が
集まる東京小豆島会に出席しました
(写真提供:岡田志郎東京小豆島会会長)

琴勇輝関も稽古の合間をぬって参加し
横綱になると力強く宣言しました
(写真提供:岡田志郎東京小豆島会会長)

今月行われるわんぱく相撲には
琴勇輝関が参加予定です
(6月26日9時~土庄町立町民プール跡地)

東京小豆島会では小豆島出身の
「勝詩(かつし)」さんの歌を聞くことができました
(写真提供:岡田志郎東京小豆島会会長)

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第1703回 ヴェネチアにUmaki Campが出現


 2年に一度、世界の建築家が一同に会し、作品を競う建築の祭典がイタリアのヴェネチアで開催されています。「第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」です。その日本館にUmaki Campが展示されています。
 実物大のUmaki Campの一部が再現されただけでなく、ヤギの「庄平」の模型もいるし、馬木から持ちこまれた提灯も吊り下がっています。「バーたくみ」の看板もあります。
 日本館では、選ばれた12組の日本の若手の建築家たちが、「縁」をテーマにした作品を展開しています。その建築家に、瀬戸内国際芸術祭2013の「醤の郷+坂手港プロジェクト」にUmaki Campを出展した関西を中心に活躍しているドットアーキテクツが選ばれました。
 私は、法学を学んだので、建築については素人です。しかし、おもしろいことに、厚生労働省で仕事をしていたとき、ひとつの制度や政策をつくるときに、よく建築に例えて議論をしていました。
 例えば、この制度や政策は、絵として描けるけれども、必要な建材(財源)や人員(マンパワー)を確保できないので、建たないとか、その場しのぎの建て増し(政策の先送り・小手先の改正)を繰り返しているので、制度や政策として時代遅れになっているといった具合です。
 戦後、省庁をつくるとき、住宅政策を建設省(現国土交通省)ではなく、厚生省でという議論がありました。今日、高齢者の医療福祉の政策の焦点が、「住まい」の問題になろうとしていることを考えると、もしそうであったなら、日本の社会保障の在り方も都市づくりも変わったものになっていたかもしれません。どうも、社会保障や社会政策と建築には、近似性と共通性があるように思います。
 建築の世界は、建築としての専門性の上に成り立ち、その専門性がどんどん磨かれ、建築はどんどん向上していっているのだと思いますが、現実の政治経済社会の状況の影響を受けるのも当然だろうと思います。今年の国際建築展の作品に戦災や難民をテーマとしたものが多いと聞きました。日本館のテーマが「縁」なのも、日本社会で失われようとしている「縁」を、建築によって取り戻そうという試みだろうと思います。
 3年前に、我が家の畑にUmaki Campが出現したのも驚きでしたが、3年後にそれがヴェネチアの国際建築展に出現し、しかもUmaki Campを含む日本館が審査員特別賞に選ばれたのですから、卒倒するような出来事です。家成さん、赤代さん、向井君などドットアーキテクツの皆さん「お見事」と、感謝したいと思います。
 ところで、瀬戸内国際芸術祭をきっかけにして、小豆島にいろいろな建築家の皆さんに来ていただいています。建築の視点と専門性を活かして、小豆島のさまざまな課題を克服する取組みにチャレンジしていただいています。空き家や古民家を活かしたまちの再生、芸術やアートと医療と福祉のコラボ、農業者とのコラボなどです。
 先日、建築家の西沢立衛さんが、福武ハウスとして活用されている福田小学校の教室の改修設計の下見のため来島されました。その際、小豆島のいろいろな自然や建物も視察されました。こうじ菌で真っ黒になっている醤油蔵の柱、壁、天井、窓、屋根などをご覧になって、「醤油蔵は未来の建物です」とおっしゃいました。醤油蔵では、人と、微生物と、杉桶と、建物が、何十年、何百年も、一体となって、生きて暮らしています。
 小豆島で、これからいろいろな建築家の皆さんが、どんな活躍をしていただけるか、楽しみです。私も、一緒に知恵を絞っていこうと思います。(平成28年6月14日)

世界の建築家が作品を競う建築の祭典
「第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」
(写真は、インド作家のアシスタントとして春会期に
島に滞在していた 京都造形芸術大学生の
Kenryou Gu(ケンリョウ・グ)さん撮影)

Umaki Campの一部が再現され
展示されています
(Photo by Kenryou Gu)

「バーたくみ」の看板も展示されています
(Photo by Kenryou Gu)

瀬戸芸2013にドットアーキテクツが出展した
馬木地区にあるUmaki Camp

Umaki Campで若い建築家の皆さんにより
行われた建築ミーティング

建築家の西沢立衛さんの作品
福田にある「葺田パヴィリオン」

西沢さんは、「醤油蔵は未来の建物です」と
おっしゃっていました

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第1702回 同志社大学で講義をしました


 同志社大学の文化情報学部で講義をしました。同志社大学の文化遺産情報科学研究センター長の津村宏臣准教授には、小豆島をはじめとする東瀬戸内海圏の石の文化の世界遺産化について指導をいただいています。
 津村先生は、小豆島町の学術専門員の川宿田好見さんと分担して、授業をしています。ジョイント・リサーチ「文化遺産の資源共有(世界遺産)化の方法と技術」という講座です。小豆島でのフィールドワークもあるので、大変人気があって、成績がよくなければ受講できない講座だと聞きました。
 講座は、文化遺産の調査研究、情報化の成果をどのように社会に還元していくか、文化遺産の価値の共有が、地域やそこに住む人々にとってどういう意味をもつか、世界遺産化が持つ意味などについて、講義で学ぶとともに、グループ演習や小豆島をフィールドにして、共同でリサーチをし、具体的な企画立案を行うというものです。
 この日の私の講義は、いよいよ小豆島でのリサーチを始めるにあたって、地元の町長から「小豆島」について学ぼうという趣旨です。人に話しをすることは、話す本人にとっても、自分なりの考えを整理するいい機会になります。
 私がこの日学生の皆さんに話したことは次のようなことです。 今私たちの国は大きな歴史的な転換点にあります。坂道を物凄い勢いで登ってきた私たちの国はこれから下り坂を下ります。このままだと余りの急坂ですが、みんなの知恵と力で、少し緩やかな坂にできれば、そう心配はありません。
 この百年の日本の人口や経済の伸びは例外的なものです。人口の規模なら、社会が安定し、人々が生きることを楽しんでいたといわれる江戸時代の日本の人口は3千万人くらいだし、世界でも、ドイツの人口は8千万人、イギリス、フランス、イタリアは6千万人くらいです。
 登り坂と下り坂では、社会の仕組み、経済、暮らし方は違うはずです。人口や経済が伸びているときは、中央に人と財源を集めて、政策を立案し、実行することが効率的で効果的ですが、人口と経済の伸びが逆方向のときは、地方、地域が自立して、それぞれの地方、地域の魅力を磨くことが大切だと思います。そのひとつが、それぞれの地方、地域にある文化を大切にし、楽しむことです。
 日本の各地に残されている文化、伝統、産業などは、例えば、江戸時代の小豆島が、石の文化や醤油・素麺づくり、農村歌舞伎などを始められたのは、地方、地域が自立していたからです。決して、中央政府の江戸幕府からの応援があったからできたものではありません。
 文化について研究調査し、その価値に気づき、それを守り、磨き、日本と世界に発信していくことは、地方、地域の魅力を守り、磨き、地方、地域を元気にしていくことにつながっています。
 小豆島をはじめとする東瀬戸内圏の石の文化の世界遺産化の取組みも、世界遺産として登録されることの意義もありますが、それに向けた取組みのプロセスのなかに、もっと大切な意義があります。ユネスコの考える世界遺産の考え方も大切なものですが、ユネスコの考え方も変化し、進化しているように、世界遺産の本質は何かを考えることが大事なことだと思います。
 学生の皆さんは、6月中旬に、小豆島に入り、4班に分かれたリサーチを始めます。この日、それぞれの企画の目的、取組みの概要、課題などを話してもらい、私から気づいたことをコメントしました。4つのテーマは、「牛の形をした小豆島での日本各地の名牛を集めた取組み」「オリーブ感謝祭のさらなる魅力アップの取組み」「小豆島の魅力発信のフォトラリーの取組み」「動画による小豆島の魅力発信の取組み」でした。
 学生の皆さんの考え方や発想が、実際に小豆島を訪れて、どのように変化、進化するか楽しみです。新しい時代の社会のあり方や生き方をつくっていくのは、若い世代の皆さんです。若い世代の皆さんの新しい考え方や発想に期待したいと思います。(平成28年6月13日)

同志社大学の文化情報学部で
講義を行いました

同志社大学の文化遺産情報科学
研究センター長の津村宏臣准教授

小豆島町の学術専門員で
地域おこし協力隊員の川宿田好見さん

津村先生と川宿田さんとが行う講座
ジョイント・リサーチ「文化遺産の資源共有
(世界遺産)化の方法と技術」

小豆島をはじめとする東瀬戸内圏の
石の文化の世界遺産化の取組みは
プロセスのなかに、大切な意義があります

学生の考え方や発想が、小豆島を訪れて
どのように変化、進化するか楽しみです

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第1701回 新しい病院の報告です


 4月から池田中学校跡に小豆島中央病院が開院しています。いろいろな課題をかかえていますが、順調なスタートを切ったようで、胸をなでおろしています。
 何もしないでいたら、小豆島の二つの公立病院は、どちらも医師不足などで閉院に追い込まれていたと思います。二次医療がない小豆島がどうなるか想像するだけでぞっとします。
 二つの公立病院を統合することに島民の皆さんに合意していただいたことに感謝します。また全面的に応援していただいた香川県、香川大学医学部はじめご協力をいただいたすべての皆さんに感謝します。
 新しい病院は、島民の安心、安全を守るだけでなく、これから小豆島が元気になっていく上で不可欠となる質の高い医療を提供するものです。新しい病院を成功させることが、これから小豆島が元気になっていく第一歩です。
 小豆島中央病院の日々の外来の患者数は平均すると500人を超えています。月曜日には700人を超える日もあります。ベッド数が200くらいなので外来患者数は、その倍の400人くらいが目安と言われていますので、今の状況は嬉しい悲鳴かもしれません。
 一方で、開院まもなくスタッフも慣れていないので待ち時間が長い、駐車場が足りない、イスが足りないなどの苦情もたくさん寄せられています。開院当初は、新規患者が多いのでどうしても待ち時間が長くなりますが、段々とこれらの課題も解消していくのではないかと思います。
 入院患者数は、200人のベッド数に比べ、今は120人くらいです。7割くらいのベッドが利用されることが、病院経営の目安だと言われているので、その目標は、遠からず達成できるのではないかと思います。
 一番の課題は、必要な医療が提供できるようになったかどうかです。閉院前のふたつの病院には外科医師が不在でした。新病院には外科医師がいますので、手術もできるようになりました。普通の病気の治療はできるようになっています。
 先日、ある方から、新病院のおかげで命を救われたという話をうかがいました。突然の心筋梗塞で、結局は高松の病院に緊急搬送されたのですが、新病院での初期対応が適切であったおかげで大事にいたらず、元気に仕事に復帰しています。
 島内の救急搬送も、二つの病院の譲り合いが解消され、医師も新病院に駐在しているので、今までより改善されたと消防関係者から聞きました。
 以上、待ち時間の短縮、医療スタッフの患者対応の向上など、改善すべきところはたくさんありますが、まずは新病院が順調に歩みをはじめていることで、ほっとしています。
 さて、小豆島中央病院の役割は、安心できる医療を提供することにとどまるものではありません。固い言葉になりますが、新病院は、小豆島の「地域包括ケアシステム」の核になるという大切な役割が期待されています。
 「地域包括ケアシステム」とは、地域住民が住み慣れた地域で、生き生きと暮らせるよう、医療、介護、介護予防、住まい、日常生活の支援を、包括的に確保するシステムのことです。
 小豆島中央病院に、土庄町と小豆島町を統合して、この中軸の役割を担ってほしいと考えています。島がひとつになって、地域包括ケアシステムをつくっていこうと思います。
 来月には、小豆島中央病院企業長と土庄町長と小豆島町長をトップにして、小豆島中の医療、福祉、健康づくりなどのスタッフ、老人クラブ、社会福祉協議会、商工会、婦人会など広範な皆さんが集まった「小豆医療圏地域包括ケア連絡会」を立ち上げて、具体的な取組みをはじめていくことにしています。
 さらには、産科設備、小児科体制も充実した小豆島中央病院の「子育て支援」の役割も、これから大切にしていきたいと考えています。
 7年前、小豆島に戻ったころを思うと、よくここまでこれたものだと思います。一生懸命に取り組んでいただいた佐藤企業長をはじめ、たくさんの皆さんに心から感謝します。小豆島中央病院の取組みから小豆島の未来が確実に始まろうとしています。(平成28年6月10日)

4月に開院した小豆島中央病院

小豆島中央病院の開院前に
「小豆島の地域医療を守り育てる
島民会議」がおこなれました

順番待ちをする外来患者

小豆島中央病院の事業経過について
(クリックすると詳細が表示されます)

小豆島中央病院は小豆島の
「地域包括ケアシステム」の核になる
という大切な役割が期待されています

小豆島中央病院を核とした
地域包括ケアシステムの構築について
(クリックすると詳細が表示されます)

産科設備、小児科体制も充実した
小豆島中央病院の「子育て支援」の役割も
大切にしていきたいと考えています

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第1700回 雨の週末・日曜日


 朝7時から予定されていたリフレッシュ瀬戸内海岸清掃と花の日の活動が雨で延期になりました。前夜の疲れが残っていたので、正直なところほっとしました。関係の皆さんには申し訳なく思います。
 この日は、中山地区の棚田のオーナーによる田植えが予定されていました。雨なので、どうされるかなと思っていたのですが、予定通り行うとの連絡を受けました。
 このくらいの雨で田植えをしなくてどうするという農家の皆さんの心意気でしょう。私も兼業農家に生まれたので、こどものころ田植えの手伝いを何度もしました。雨の日の田植えこそ、田植え日和だという雰囲気だったことを覚えています。
 オーナーの皆さんや中山の皆さんの気持ちを思うと挨拶に行くべきでしたが、自分に甘く、欠席させてもらいました。
 中山の棚田は、700年ほど前に始まったと言われています。山頂あたりに天然の水源があり、南向きの斜面を利用して、小豆島特産の石を積んで棚田をつくりました。300年ほど前からは、豊作を祝っての農村歌舞伎奉納がを始められ、今も続いています。
 中山の棚田農業と農村歌舞伎は、小豆島を代表する産業であり、文化です。これらを守っていくために地元の皆さんが懸命に取り組んでくれています。棚田オーナー制度は、その一助として3年前から始まったものです。この日の田植えには、9組17人のオーナーの皆さんが参加してくれたと聞きました。
 この日は、私事ですが、父と母と長兄の法事でした。父は、丸金醤油に勤め、生涯平工員でした。自由で、好き放題の人生を選びました。年老いて生まれた末っ子の私の成長を楽しみにしていました。母は、「おしん」よりも辛かったという人生を生き抜きました。父と同じく、末っ子の私のことをいつも心配してくれました。父と母は、ともに無学の庶民でしたが、私にとってはかけがえのない父と母でした。兄は、私と違い運動が得意な兄でした。いつも弟の私のことを思ってくれました。
 久しぶりに親戚の叔父、叔母、いとこたちなどに会いました。そのなかで私は年下で、いつも皆さんにかわいがられて成長できたように思います。感謝したいと思います。法事が終わるころには、雨もあがりました。(平成28年6月9日)

棚田が広がる中山の千枚田

雨の中棚田オーナーによる
田植えが行われました

小豆島を代表する伝統文化の
中山農村歌舞伎

醤油の香りが漂う醤の郷

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第1699回 雨の週末・土曜日


 週末は、土曜日の夜から日曜日の午後過ぎまで雨でした。外でのいろいろな行事が予定されていたのですが、いくつかの行事が中止になりました。困ったなと思うと同時に、体が疲れていたので、正直なところ、ほっとしたところもありました。
 土曜日の午前は、休みなのに、役場スタッフに集まってもらい、役場で、これからの医療や福祉について会議をしました。おまけに、スタッフの皆さんに厳しいことばかり言うトップで、申し訳なく思います。
 午後から、日曜日に本番があるデリバリーコンサートの練習風景を、当日その時間帯は法事で行けないので、土庄公民館に見にいきました。コンサートは、小豆島の子どもたちにプロの水準の高い音楽を楽しんでもらう機会をつくろうと、塩田洋介さんらの有志の皆さんが企業などの協賛金を集めて行っているものです。
 今年で10回目になります。今年は、作曲家の宮川彬良さんや関西のオーケストラの首席奏者などでつくる「アンサンブル・ベガ」の皆さんが、ベートベンの交響曲6番「田園」などを聞かせてくれることになっていました。
 苗羽小学校音楽部の38人の児童たちが、ベガのメンバーとベルディの「凱旋行進曲」を一緒に演奏すると聞いたので、練習風景くらいは見ておかなければと思いました。
 苗羽小学校は、私の母校ですが、児童数120人くらいの小さな小学校になった今も、戦後からずっと吹奏楽を続けています。子どもたちの努力にも、家族、地域の皆さんの協力にも頭が下がります。
 離島であるハンディキャップをものともしない皆さんを応援したいと思います。子どもたちには、音楽に限らず、いろいろな一流のものに触れる機会を何としても、これからもつくっていこうと思います。それが、行政の役割だからです。
 夕方は、吉田ホタル祭りに顔を出しました。吉田地区は、牛のかたちをした小豆島の尾っぽのてっぺんあたりにあります。漁港として栄えましたが、今は人口減少に苦しんでいます。
 しかし、自然が残り、天然温泉もあり、オートキャンプもでき、ロッククライミングもできます。猪鹿垣跡もあります。吉田ダムの景色は雄大です。知恵と工夫を集中したら、とても可能性がある地域です。
 その吉田地区あたりは、かってはホタルがたくさん生息していたのですが、その数がめっきり減っていたので、10年ほど前から、地元有志の皆さんがホタルが再び乱舞することをみんなでやらんかいと、「野卵(やらん)会」を立ち上げ、野にホタルが卵から育っていくことを願って、活動を始めました。
 今年は11回目のホタル祭りでした。今にも雨が降り出しそうになる中、祭りは始まりました。もっともっと歓談を楽しみたかったのですが、夜は、消防団OBの皆さんの会があり、そこに出かけるため中座をさせてもらいました。消防団OBの皆さんとは、小豆島高校野球部の甲子園出場を、みんなで心から喜び合いました。(平成28年6月8日)

作曲家の宮川彬良さんや関西のオーケストラの
首席奏者などでつくる「アンサンブル・ベガ」の
皆さんがデリバリーコンサートを行いました

苗羽小学校音楽部の38人の児童たちが
アンサンブル・ベガのメンバーと演奏を行いました

吉田ダムから望む吉田地区

ホタル祭りでは途中から雨が降り出しましたが
多くの皆さんが来場されていました

祭りの最後には、吉田川に
ホタルが放流されました

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第1698回 大きな時代の流れ


 物事を考えるのに時間軸が大切だと思います。普段は、その場で、その瞬間の判断です。日常生活なら数年単位くらいで判断することもあるかもしれません。
 さて、行政の判断はどうでしょうか。私は、長い間、厚生労働省と環境省で仕事をしました。政策の立案に当たって、どのくらい先を見て結論を出すのかという問題です。
 もちろん、その場しのぎの結論を出すことも少なくないのですが、例えば、年金なら100年先くらいまでの人口構成や経済成長などを推計をして、これなら大丈夫というプランをたて、最終的に政治の判断をあおぐというプロセスをとっています。
 5年ごとにこの作業を繰り返して行っているので、年金制度というものは、それなりにしっかりしたものであると言えると思います。年金にとって一番大切なことは制度への信頼と合意形成の手順です。それらがある限り、年金制度が崩壊することはありえません。

本来のかたちである地域社会の
文化や伝統を大切にすることが必要です

 わかりやすく例えると、年金制度は、毎年とれたお米を、現役世代と引退世代でどう分かち合うかという問題です。現役世代が減り、引退世代が増えると、とれるお米は減り、お米の分け前は少なくならざるを得ません。どう辛抱しあうかの問題です。
現役世代が増え続け、しかも働くことが大好きな人が多い時代には、分け前をどんどん大きくできましたが、これからは、現役世代が減りますし、稼ぎもこれまでのようにどんどん大きくできなくなるとすれば、一人ひとりの分け前は小さくならざるを得ません。
 分配のルールは難しくならざるを得ません。この分配だけで生活するのが難しいとすれば、いろいろな助け合いや準備も必要になるかもしれません。分配のルールづくりや助け合いは、納得しあえる間でする方がいいかもしれません。納得しあえる間とは、たくさんの仲間、つまり国ではなく、少ない仲間、つまり地方公共団体がいいかもしれません。
 今、私たちの国は、社会保障をはじめ、いろいろな分野で大きな転換点にあるように思います。消費税率の引上げが再度延長されるように、頭で必要だとわかっていても、なかなか実行できないことが増えそうです。行き先が、とても不透明で、不確かなものになろうとしています。

地域の地場産業も
大切にすることが必要です

 政治の混迷が起きはじめているのには、それなりの訳があると思います。その訳とは、まだ確かに見えていないかもしれませんが、時間軸で言えば、100年、あるいはもっと長い時間軸での、歴史の大きな流れが変わろうとしているからだと思います。 少なくとも私たちの国は、明治以降、物凄い勢いで人口を増やし、経済を大きくしてきました。こんな時代は、日本史でも、世界史でも、稀有なことです。この100年ほどが例外的な時代だったのだとすると、もう一度、本来のかたちを、時間をかけて、取り戻したり、つくっていけばいいのだと思います。
 本来のかたちとは、身近な自然を大切にすること、家族を大切にすること、地域社会を大切にすること、みんなの助け合いを大切にすること、地域社会の文化や伝統を大切にすること、地域の地場産業を大切にすることなどです。昔の古いかたちに戻ることではありません。例えば、国際交流などの新しい流れに沿ったものでなければいけません。アートやデザインなど新しい流れも活かしたいと思います。家族のかたちも多様であっていいと思います。
 「地方創生」や「地方の時代」の意味は、以上のようなことだと思います。(平成28年6月7日)

アートやデザインなど新しい流れも
活かしたいと思います

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第1697回 小豆島高校の思い出


 今年度末を持って小豆島高校が92年の歴史の幕を閉じます。生徒数が減少しているので、小豆島のもうひとつの土庄高校も閉校し、来年度から新しく小豆島中央高校が誕生します。
 私は小豆島高校に学びました。都会であれば、どの高校にいくか迷うかもしれませんが、私は、当たり前のように、家から一番近くにある小豆島高校に通いました。幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、家から一番近い学び舎で学びました。それは、小豆島のこどもたちにとっては、当たり前のことでした。
 小豆島高校に学んだことが、私の人生の誇りであり、そのことで今の私があると思っています。もし、県内の別の高校にいっていたとしたら、希望の大学に行けたかどうかわからないし、東京での仕事が充実したものにならなかったかもしれないし、小豆島に戻ってくることもなかったように思います。それほど小豆島高校は私にとって大切な存在です。
 希望の大学をめざそうと思ったのは、担任の先生がその大学の出身であり、先生のアカデミックな雰囲気にあこがれて、その大学に行きたいと思いました。
 進学指導担当の先生は、いつも私を叱咤激励してくれました。「都会の進学校の連中に負けるはずはない。大きな人物を目指せ。気持ちの持ち方と努力次第で実現するはずだ」と。
 「霞が関」で働いていたころ、小豆島高校の卒業生であるというだけで、難しい問題が解決することが何度もありました。環境省にいたときのことです。鳥獣被害を減らすために鳥獣保護を少し緩やかにする趣旨の法案を国会に提案しようとしていました。
 そのころの環境省はまだ鳥獣被害よりも鳥獣保護の方に重点がありました。法案が、鳥獣被害防止、農家の立場から見て不十分だといって、ある有力国会議員が賛成してくれません。環境省の誰が説明にいっても納得してくれません。
 私が説得にいくことになりました。やはりどう説明しても納得してくれません。別れ際に「君はどこの出身か」と聞かれました。「小豆島です」と答えると、「高校は高松高校か」と聞かれたので、「小豆島高校です」と答えました。
 すると、その先生は、「俺より田舎で育ち、学んだ(鳥獣の被害にあっている農民の悔しさを知っている)君が言うんだから、俺はもういいよ」と言ってくれました。
 小豆島高校3年の同級生の松永佳代子さん(前藤田保健衛生大学副学長)の言葉も印象に残っています。松永さんは、高校3年生のとき、1年間アメリカの高校に留学しました。ホームステイ先のお父さんが言われた言葉です。
 「私は、家から一番近い、小学校、中学校、高校に通ったにすぎない」と言う松永さんにアメリカのお父さんは、こう言いました。「最大の知性とは、与えられた環境でベストを尽くせることだ」と。
 私は、同じ言葉を、甲子園にはじめて出場する小豆島高校野球部の激励会で、選手の皆さんに贈りました。甲子園出場の夢を叶えた小豆島育ちの17人の選手諸君を称えるとともに、主力の選手がけがで苦しみベストでない体調で甲子園の試合に臨むことを聞かされていたので、試合の勝ち負けよりも大切なものがあることを、先輩の言葉で伝えました。選手の甲子園での活躍も、小豆島を愛する皆さんの応援も見事でした。
 新しくできる小豆島中央高校が、進取の気概に満ちた小豆島高校の精神を引き継いでくれるはずです。92年に続く小豆島高校の新しい歴史をつくってくれるはずです。新しい高校の卒業生の皆さんも、私たち小豆島高校の卒業生とともに、小豆島と日本と世界の各地で活躍してくれるはずです。(小豆島高校閉校記念誌のために書いたものです。)(平成28年6月6日)

今年度末を持って小豆島高校が
92年の歴史の幕を閉じます

念願の甲子園出場を果たした
小豆島高校野球部

小豆島高校の活躍は小豆島を愛する
皆さんに感動を与えてくれました

昨年全国大会に出場した
小豆島高校陸上部女子駅伝チーム

小豆島夢応援大使琴勇輝関の
昨年の小豆島高校訪問のようす

平成28年6月6日現在の
小豆島中央高校工事進捗状況

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第1696回 「すくすく子育ち応援会議」で活発な議論がありました


 小豆島町では、子育ち・子育てを応援するため、「すくすく子育ち応援会議」を設けています。高松大学の佐竹勝利先生に座長をお願いし、わははネットの中橋恵美子代表にも参加してもらっています。メンバーは、町内で子育ち・子育てにかかわる皆さんです。
 子ども・子育て支援法は、全国の市町村に、子ども・子育て支援事業計画をつくることを義務づけています。そこで、小豆島町では、「すくすく子育ち応援会議」を設けて、「小豆島町すくすく子育ち応援アクションプラン」を昨年3月につくりました。
 子育ち・子育ての環境をよくすることは、今求められている政策のなかでも、群を抜いて優先度が高い政策です。
 人口減少がこのまま続いたら、先輩たちが残してくれた素晴らしい自然、文化、産業などを守り、磨き、次代につないでいけないかもしれないからです。
 子どもが育っていく環境が大きく変わっています。このままでは、子どもたちが、それぞれの個性に応じて、健やかに育っていくことができなくなることが心配です。
 家族や地域社会の機能が弱くなっています。学校の力も弱くなっているように思います。さまざまな障害や課題をかかえる子どもが増えています。子どもの貧困も問題になっています。女性の社会参加も進んでいます。
 子育ち・子育ての課題は、全国共通のものと、それぞれの地方・地域固有のものがあります。国や他の自治体の取組みも参考にしつつ、小豆島町に相応しい取組みが必要です。
 「小豆島町すくすく子育ち応援アクションプラン」は、自分で評価することは、本当はいけないのですが、我ながら自信作です。
 ひとつめは、役場のスタッフを総動員してつくったことです。子育て担当のスタッフだけでなく、農業、地場産業、医療、福祉など、すべての施策を、子育ち・子育ての視点で考えるとどうなるかを考え、プランにおとしています。
 ふたつめは、島の民間のいろいろな立場の皆さんだけでなく、島外の有識者にも入ってもらってプランをつくったことです。
 みっつめは、プランを固定的なものではなく、いつでもどんどん見直し、手を加え、見直していくことを基本方針にしたことです。
 よっつめは、プランは、文章ではなく、ポンチ絵や写真入りにして、事項ごとに、数値目標もできるだけ入れたことです。誰にもわかりやすくしました。こうするだけで、施策の見直しや追加変更がしやすくなる効果があります。
 この日の会議は、小豆島町役場のこれまでの会議からすると、歴史的で、画期的であったと思います。役場のスタッフが各課から50人くらい参加していました。たくさんの若手の担当が説明し、質疑応答に応じました。委員の皆さんのご意見も、多岐にわたり、具体的で、前向きの提言が相次ぎました。
 役場の会議は、役場の管理職のスタッフが、型に沿った説明をし、委員の皆さんも型に沿った意見を言って、しゃんシャンで終わるのはよくあるパターンです。計画の中身は、一見立派ですが、このような計画は、作ったとたんにお蔵入りしてしまいます。
 「すくすく子育ち応援会議」は、このようなパターンから抜け出しつつあり、これから小豆島町の子育ち・子育ての環境をよくしていくことに貢献するだろうと思います。この日の会議で、今のプランは障害をかかえる子どもたちへの支援や子どもの貧困という視点が十分でないことに気づかされました。また、小豆島町の子育ち・子育ての施策を、SNSなどを通して、もっと広く知ってもらうことが大切であると思いました。
 これからも小豆島町の子育ち・子育ての環境がよくなるよう頑張ろうと思います。(平成28年6月3日)

子育ち・子育てを応援するため、
「すくすく子育ち応援会議」を設けています

人口減少がこのまま続く、と先輩たちが
残してくれた素晴らしい文化などを
次代につないでいけないかもしれません

国や他の自治体の取組みも参考にしつつ、
小豆島町に相応しい取組みが必要です

小豆島町すくすく子育ち応援アクションプラン
(クリックすると詳細が表示されます)

子育てだけでなく、農業、産業、医療、
福祉などの施策を、子育ち・子育ての
視点で考えてプランを作成しています

これからも小豆島町の子育ち・子育ての
環境がよくなるよう頑張ろうと思います

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第1695回 消費税引上げ延期について考えること<続>


 安倍総理が、来年4月から実施予定の消費税率10%への引上げを2019年10月に延期することを正式に表明されました。繰り返しになるかもしれませんが、もう一度私の考え方を整理してみます。
 消費税率の引上げが、消費に悪影響を与え、日本経済や世界経済に悪影響を与えるから消費税の引上げは慎重でなければいけないというのが、今度の決定の考え方です。世論もそうだと思われます。
 この前提は、経済の安定と成長が当面、一番優先されるべきという考え方です。経済がデフレ化したり、縮小したのでは、消費税率は上がっても全体の税収は減るかもしれないし、経済が成長すれば、消費税収以上の税収が得られるかもしれません。人口減少、少子高齢化が進んでも、ITなどの技術革新、規制緩和など経済社会システムの革新、国際交流、女性の社会参加などにより、今後とも、経済は成長し、発展できるといわれています。
 その通りかもしれませんが、現実の社会は、多種多様であり、そう簡単なことではありません。乗り越えていかねばならない課題が山のようにあります。

全国でも物凄いスピードで
高齢化と人口減少が進みます

 私たちの社会は、これから物凄いスピードで高齢化と人口減少が進みます。今のままのシステムでは、医療や介護を必要な人が受けられるようにすることは大変なことであることがわかっています。
 そのために、私たちは、知恵を絞り、消費税率を段階的に引き上げていくことで、なんとか財源は確保できるのではないかと考えました。所得税や法人税の増税では、経済の力を損ねてしまうので、消費税が、世代を超えて広く負担するので公平だし、経済、景気との関係も小さいので、一番よいと考えたのです。世界の先進国も、社会保障の財源を消費税に求めています。
 ここ数年のことだけなら、経済活動が活発になることで、税収増が期待できるので、大きな財政問題は顕在化しないかもしれませんが、人口減少と高齢化は、今後ずっと続くものです。そのことを前提にした経済社会システムを1日も早くつくり上げることが必要です。そのひとつが、消費税率の段階的な引上げでした。
 それが、今度の経緯で、これから消費税率を段階的に引き上げていくことは、かなり難しいことであることが明らかになりました。それなら、そのことを前提にしてどうするか、もう一度、私たちは考え直す必要があります。

長期の人口減少と高齢化を前提にした
経済社会システムをつくり上げることが必要です

 そこで、次のように考えてみました。私たちは、まだ、国の財政が火の車になっている要因の大きなひとつが、医療費や介護費用の増大であることを、自分事として考えていません。自分事なら、すぐに対応するはずです。病気や要介護にならないよう健康づくりに真剣に取り組むはずです。家族や地域の皆さんが一緒になって、どのようにして助け合うか真剣に考え、実行するはずです。
 高齢者の皆さんには、できるだけ長く、家族や地域社会のなかで、健康で活躍してほしいと思います。まもなく前期高齢者の仲間入りをする私も、できるだけ長く、健康で、家族や社会のために、貢献したいと思います。
 このようなことを、私たちが真剣になって取り組むと、もしかすると消費税率はそれほど上げなくてもいいという結論になるかもしれません。一度、政府で試算をしてほしいと思います。
 ここで重要なことが必要になります。本当に私たちが、健康づくりや地域の助け合いを実践するようになるためには、国と地方自治体、そして私たちの役割分担を、根本的に見直すことが必要です。もう何十年と、私たちは、健康づくりや助け合いの大切さについて、いやというくらい、聞かされているはずなのに、実行は遅々としています。なぜでしょうか。
 それは、健康づくりや地域の助け合いを他人事ですまされる仕組みが、国と地方自治体と私たちの役割分担としてあるからです。実務的な話になりますが、国から地方への交付税、負担金、補助金はそのひとつです。それらは、地方自治のためになくてはならない大切なものですが、今の仕組みは、頑張っても、頑張らなくても、ほぼ地方自治体に保障されています。ちゃんと頑張った地方自治体が報われる仕組みが必要です。
 消費税率を引き上げることで、全国あまねく社会保障などの財源を確保することが、かなり難しいことであるならば、それに代わる知恵が必要です。それが、「地方創生」や「地方の時代」ではないかと私は思います。
 私たちは、これまであまりに国というものに頼りすぎたと思います。言いかえると、ここ100年ほどは、人材や財源を国に集め、そこで政策をつくり、全国の地方自治体が公平にそれを実行することが、一番、効果的で効率的で、人々も幸せになれる時代でした。現にそうでした。

医療費や介護費用の増大を
自分事として考えていかなければいけません

  今再び、時代は変わろうとしています。それぞれの地方、地域が、自立して、自分たちのことは自分たちで考え、自分たちで答えを出していく時代が再び訪れようとしています。都会的な価値や文化も大切ですが、それぞれの地方、地域の価値も文化も大切です。
 医療や高齢者福祉、文化、教育、地場産業の在り方は、もっと地方、地域で区々であっていいはずです。国の役割は、ナショナル・ミニマムを示し、そこは保障しなければいけませんが、それを超える部分は、地方、地域が責任を持って考え、実行すべきものです。
 私は、国に勤めていたころ、素晴らしい先輩、仲間に出会いましたが、残念ながら、国では、どんなに頑張っても省庁の縦割りを超える政策を考え、実行することができませんでした。それは、国の宿命、限界だと思います。内閣官房やどんな横割りの新しい省庁をつくっても本質的な限界があるように思います。
 小豆島町の町長になってそのことを実感しました。地方、地域の現場では、医療も、福祉も、子育ても、教育も、産業も、文化も、人権も、すべてつながっています。そこに壁などありません。しかし、その肝心の地方自治体の現場が、国の縦割りの方針で動いていることを知りました。行政の現場だけでなく、私を含め多くの地方自治体の首長、リーダーと言われる皆さんにも、国を頼り、国に何かをしてほしいという姿勢が根強くあります。
 また長くなりました。消費税率の引上げ延期のこの機会に、もう一度原点に返って、厳しくとも、この国と地方、地域社会の本来のあり方を考え、つくりたいものです。(平成28年6月2日)

地方の現場では、医療・福祉・子育て・教育・
産業・文化・人権もすべてつながっています

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第1694回 消費税引上げ延期について考えること


 来年4月から消費税は10%に引き上げられる予定でしたが、2019年10月まで延期されることになりそうです。引上げ延期について、理由は異なるものの、与野党とも大勢は賛成であると報道ではうかがわれます。国民の皆さんも多くはそう考えていると思います。
 私自身も、最も正確で、さまざまな情報を得ることができ、総合的な判断をできる立場の政府が、「世界経済が危機に陥る大きなリスクに直面している」ことなどを理由にして、消費税率引上げの延期が必要だと判断するのであれば、延期することは仕方ないと思います。
 消費税は、所得税や法人税などの所得や収益などに税を課す直接税よりも、物やサービスの購入(消費)に税を課す間接税の方が、幅広く、公平に課税され、景気の影響も小さいので、政府や地方自治体の社会保障などの政策の財源として相応しいという考えから始まりました。
 欧米先進国では、20%、30%台の消費税率の国、地方自治体が一般的であり、その財源で社会保障などの充実が図られているので、日本でもこれにならって導入し、社会保障などの安定した財源にしようというのが消費税でした。

消費税は社会保障などの、
安定した財源確保のために導入されました

 「高福祉高負担」「中福祉中負担」「少福祉少負担」という言葉で議論されることがよくあります。社会保障が充実しているといわれる北欧諸国の消費税率は30%を超えています。さて、日本はどこを目指すかの議論の結論は、異論はありましたが、おおむね「中福祉中負担」であったと思います。
 「中福祉」の内容も議論はありますが、おおむね今の社会保障の水準を守ることと考えるとして、「中負担」について、私が厚生労働省勤務していたころ省内の議論は、少なくとも消費税率15%程度を想定していました。
 ここで私が申し上げたいことは、消費税率引上げの議論は、世界経済、日本経済への影響はもちろん、一人一人の国民の皆さんの生活への影響を考えた上で行わなければいけないのですが、社会保障の水準も消費税率の高さにかなりの程度連動することです。
 今回、消費税率引上げ延期の判断が正しいと考えるとして、私は、このことは、私たちの国と社会のかたちのあり方を考える上での本質的な問題を内包しているように思います。
 私たちは、消費税率を引き上げることを理解し、合意したのに、実行することが大変難しい現実に今直面しています。消費税率を引き上げることは、これからも、針の穴に針を通すように、難しいことだと考えないといけません。
 だとすると、今の社会保障の水準を守っていくことも、とても大変なことだと気がつかなければいけません。どうしたらいいのでしょう。なぜ、北欧諸国であれほど高い消費税率が実現しているでしょうか。それは、納税者が払った税が有効に活用されると政府を信頼しているからです。つまり納税者と政府の距離が近く、信頼関係があるからです。

社会保障の水準は消費税率の高さに
かなりの程度連動します

 長い間、厚生労働省で社会保障の仕事に携わらせてもらった私の結論は、次のようなものです。「顔の見えない社会保障」から「顔の見える社会保障」を重視する社会保障への政策転換が必要だということです。難しいことを言っているのでありません。高齢者の医療や福祉、健康づくり、子育て、障害者福祉などについて、もっと住民に近く、顔の見える関係にある地方自治体、地域社会で、責任をもって、自分たちで考え、解決していこうというだけのことです。
 私は、厚生労働省で仕事をしながら、日本という国は、人口が増えて、経済が成長している間に、世界に誇れる社会保障制度をつくることができて、本当によかったと思いました。しかし、人口が減少し、経済成長が難しい時代になると、この社会保障を守っていくためには、それまでの国と地方の役割分担をもう一度変えないといけないと思うようになりました。私だけでなく、私の仲間もそう考えていたと思います。
 それが「地方創生」であり、「地方の時代」といわれるものです。地方から都会へと人が流れ、富を政府に集中し、政府で政策を立案し、その政策を地方が実施し、富を地方に配分することが最も相応しい時代から、地方が地方ごとに、それぞれ政策を考え、実行することが最も相応しい、そうしなければいけない時代がやってきています。
 少し長くなりました。申しあげたいことは、今度の消費税率の引上げの延期問題は、私たちの国と社会のあり方の本質にかかわっていることです。私は、私の大好きなふるさと小豆島で、島の内外の皆さんの知恵を借りて、どうしたらいいかを考え、その政策をひとつひとつ地道に実行していこうと思います。(続く)(平成28年6月1日)

「顔の見える社会保障」を重視する
社会保障への政策転換が必要です

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