小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1991回 番外編アーカイブ㊷「日本の心、銭湯」


  ちょっといい話32「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 
 平成8年5月号 「日本のこころ、銭湯」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 銭湯の壁画には、雄大な風景の背景画が描かれている。背景画は何年かに一度描きかえられる。この作業は一番ぶろの客が来るまでの数時間に終えなければならない。ペンキ絵師は、体力とスピードと絵の才能が要求される大変な仕事だ。もう日本中の銭湯の絵師は数人になってしまったという。  
 街の銭湯の魅力にスポットをあてた東京都豊島区主催の「としま銭湯博覧会」を見学した。銭湯を古くて新しい街のキーステーションに位置づけようとする意欲的な試みだ。その博覧会で絵師の中島盛雄さんが伊豆から眺めた雄大な富士を描かれるのを拝見させていただいた。目立たないところで、さまざまな人たちが銭湯の魅力、そして日本の文化や伝統を支えてこられたことを改めて感じた。  
 何が日本の文化や伝統であるのか、表現する能力をもちあわせていないが、その本質はきっと人の心をほっとさせるところにあると思う。銭湯の背景画の雄大な富士の姿も間違いなくそのひとつである。思えば、家族、地域、学校、会社、組合など、さまざまな組織にも人の心をほっとさせるようなところがある。組織の一員として、人々は安心を得ることができる。個人主義や競争も必要だが、本当に大切なことは、安心できることである。日本の文化や伝統の本質は、安心であり、それを守り育ててきたものは、さまざまな組織の存在であったに違いない。  
 銭湯は、日本の文化や伝統を凝縮したような場だと思う。銭湯は、江戸時代、浮世風呂と呼ばれ、人々が集い、語り、遊ぶ、町の社交場であった。人々は、そこでほっとし、安心を得た。銭湯を今の時代にもう一度見直し、地域づくりの核のひとつにしようと多くの人たちが考えておられる。  ベネッセ・コーポレーションの福武社長もそのひとりで、高齢者分野に取り組む一環で、現代版浮世風呂を構想されていることをお聞きした。もちろん、我が全浴連も綾部理事長を筆頭にして、銭湯復権に知恵を絞っておられる。銭湯の復権は、日本の文化や伝統を守り、育てる、新しい作業でもある。

 

銭湯の壁画に描かれている
雄大な風景画

 (注釈)  
 銭湯(公衆浴場)は、かつては都市でも、地方でも、小豆島でも、日本中どこにもあって、それぞれ地域社会において、公衆衛生の面だけでなく、地域社会において、なくてはならない役割を果たしていました。  
 このエッセイは、厚生省指導課長として、銭湯(公衆浴場)を現代社会において、どう位置付け、活かしていくかというテーマに取り組んでいたころ書いたものです。  
 そのときの私の問題意識は、ほっとできることや、安心できることが、人にとって一番大切なことではないかというものでした。その視点からすると、そのころから市場原理や競争の重視、規制緩和が政策の流れになろうとしていましたが、それも大事ですが、それより家族、地域、学校、会社、組合など、そのころ否定されはじめようとした組織、団体への愛着、大切さも大事にしなければいけないという思いでした。  
 その思いは今も変わりません。中途半端と批判されそうですが、どちらか一方に偏るのではなく、その中間にあって、なんとかバランスをとっていくことができないものかと思います。  
 それにしても、20年ほど経って、ふるさと小豆島に戻り、地方を元気に、地方から元気にという取組みを始めた途端に、瀬戸国際芸術祭の総合プロューサーでもあるこのエッセイに登場する福武總一郎さんに再会したのは運命的であったかもしれません。  
 福武さんは、瀬戸芸で、直島で、見事に、「現代浮世風呂」を実現しました。私のふるさとでの人のこころをほっとさせる「日本の文化と伝統を守り、育てる新しい作業」の取組みは、福武さんたちの応援をいただきながら、まだまだ道半ば、始まったばかりです。(平成29年8月17日)


直島にある銭湯
「I Love 湯」

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第1990回 2017年お盆<続> 明治大学・関西学院大学バレー部小豆島合同合宿


 今年のお盆、明治大学と関西学院大学の男子バレー部が、小豆島に合同合宿をし、交流試合をし、小豆島の小、中、高校生を指導してくれました。  
 小豆島に住み、いろいろな分野で活躍している両大学のバレー部出身者が骨を折って実現してくれました。とても意義深いことだと実感しました。
 両大学のバレー部とも東西大学リーグの強豪チームです。何よりも嬉しいのは、両大学の選手の皆さんが、小豆島キャンプを楽しみ、実力アップにつながると考えて、真剣にプレイしていたことです。  
 折角、観光地である小豆島に来ているのに、合宿中どこへも行かず、バレーオンリーの毎日でした。次の機会には、是非、小豆島の見どころを楽しんでほしいと思います。  
 小豆島ふるさと村で行われたバーベキューの交流会に出て、話を聞いて驚きました。香川県は、前回の東京オリンピック金メダルに輝いた女子バレーの大松博文監督をはじめ、たくさんのオリンピック代表、全日本監督を輩出したバレー王国で、小豆島も、高校国体に小豆島高校が出たことがあるなど、それなりの島だと思ってはいたのですが、それ以外に大学、実業団の名チームの主力選手や、監督をつとめた小豆島の人が何人もいたことをはじめて知りました。  
 この小さな島からバレーの人材がいっぱい出ていたのです。そういえば、バレーに限らず、数学などの学問、経済の分野などでも、日本をリードする人材がいっぱい小豆島から輩出しています。小豆島が、古くから交通の要衝にあって、さまざまな人が行き交い、貧しいながらも、地域社会で助け合い、切磋琢磨をし、子どもたちの周りに、この人のようになりたいと見習うべき、先輩が、小豆島のあちこちにおり、「その人に続け」と、後押しする先生や地域の人もいました。  
 小豆島の子どもたちに、第一線で活躍する、いろいろな人たちと実際に接する機会をつくりたいと思います。そのような人たちは、決して遠い存在ではなく、努力次第で、そのような人に近づき、そのような人を超えることだってできるのだと、子どもたちに知ってほしいと思います。  
 瀬戸内国際芸術祭で小豆島に来てくれたアーティスト、デザイナー、クリエイター、建築家、演劇家などの皆さんも、そのような人たちです。小豆島の子どもたちに、刺激とヒントを得てほしいと思います。我々大人ももちろんそうです。  
 両大学の皆さんには、是非とも小豆島合宿をこれからも続けてほしいと思います。選手の皆さんのレベルアップはもちろん、小豆島と香川から、バレーを極める人材が育ってほしいと思います。バレーでなくとも、大学で学び、活動することで、それぞれの未来が開かれること、小豆島の未来が開かれることを知ってほしいと思います。  
 今年のお盆も各地で、盆踊りが開かれました。残念ながら、小豆島祭りは、花火業者の火災で中止になりましたが、地域地域で、特色のある盆踊りが行われました。苗羽地区では、22年ぶりに盆踊りが再開されました。盆踊りは、地域の気持ちをひとつにします。いつまでも、盆踊りが続いてほしいものです。(平成29年8月16日)

(追記)
 15日は、毎年小豆島まつりがありますが、今年は文章で書いたように中止でした。
 たまたま、15日の夜、西村の海岸沿いの国道を通った時、西村地区の精霊流しを見ることができました。
 初めて見る色とりどりの御供舟や精霊舟が水面に浮かぶのを見ました。


合宿中の明治大学と関西学院大学の
男子バレー部が島内小・中・高校生を
対象としたバレー教室を行いました

大学生はワンツーマンで
子どもたちの指導にあたっていました

教室後には、交流試合が行われ
迫力あるプレーが見られました

高校国体に出場した
小豆島高校男子バレー部

22年ぶりに再開された
苗羽地区の盆踊り

池田地区の盆踊り

安田地区の盆踊り

福田地区の盆踊り

西村地区の盆踊り

西村地区の精霊流し

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第1989回 2017年お盆


 今年のお盆は、ことのほか暑いように感じます。天気にも恵まれ、例年のように大勢の観光客、帰省客が小豆島を訪れてくれています。こどものころ、お盆には、親戚中のものが実家に集まり、お盆は、にぎやかで楽しみでした。  
 父や母も亡くなり、主のいない、今年のお盆は、もう誰も実家に集まりませんが、父も、母も、兄たちも、そっと、家に戻ってきてくれたに違いありません。
 「夏の分教場」の開校式が、小豆島中学校でありました。小豆島町の教育を考える「21世紀を考える会」の皆さんが、夏休みで帰省中の小豆島出身の大学生が、後輩の小、中学生の勉強を指導する、この取組みをはじめてくれたのですが、今年で6回目になります。  
 小、中学生にとっては、先輩の大学生に勉強を教えてもらうことで、大学生のイメージがつかめるはずです。兄弟の数が少なくなったので、なかなか家庭や地域で、夏休みに帰ってくる大学生に出会うことも難しくなっています。  
 こうして、中学校の教室に、大学生と小、中学生が一同に会することで、こどもたちも先輩の大学生に会って、自分が目指すものが少し見えてくるはずです。  
 大学生にとっても、学生の間に、ふるさとに貢献することができます。ふるさとへの思いが再確認できるはずです。私が、学生のころには、このようなことは考えられないことでした。若い皆さんに、ふるさとに帰り、ふるさとに貢献したいという、新しい風が吹きはじめているように感じます。  
 今年は、参加した小学生28人、中学生31人、大学生25人と、段々と参加者が増えていることを嬉しく思います。大学生の皆さんには、日本と世界に羽ばたいてほしいという思いと、小豆島に戻り、小豆島のために頑張ってほしいと思いが、ともにあります。一人ひとり決めてほしいと思います。  
 いずれにせよ、これから小豆島の魅力を守り、つくっていくのは、この日集まった、小学生、中学生、大学生をはじめとする若い皆さんです。彼らの未来に期待します。それぞれ、自分の力で、何かを成し遂げてほしいと思います。  
 寒霞渓のふもとの別当川の川岸で「川めし」の伝統行事がありました。付近の住民の皆さんが家族単位で川原に集まり、五目めしを炊き、無縁仏(餓鬼)を供養しました。柿の葉に五目めしを盛り、水辺の岩の上に置き、無縁仏にお供えしました。
 私は、大川町議会副議長の御家族の輪に加えていただきました。たくさんのお孫さんも参加されて家族だんらんを楽しんでおられました。家族というものの大切さを改めて感じます。  
 お盆は、先祖や亡くなった人が、浄土(あの世)から戻ってくる期間として、先祖供養のさまざまな伝統行事が各地で行われます。それぞれ意味深いものです。いつまでも、このような伝統行事が引き継がれていってほしいと思います。  
 社会保障制度のような、国や地方自治体による助け合いの「システム」も、もちろん大切ですが、家族や地域社会の助け合いは、「システム」というより、もっと本質的で、絶対的な助け合いです。家族や地域社会を、これからも大切にしていきたいと思います。(平成29年8月15日)

大勢の観光客、帰省客が
小豆島を訪れてくれています
 

帰省中の大学生が、小・中学生の勉強を
指導する「夏の分教場」が行われています

ふるさとに帰り、貢献したいという
新しい風が吹きはじめているように感じます

別当川の川岸で伝統行事の
「川めし」が行われました

家族単位で川原に集まり、五目めしを炊き
無縁仏(餓鬼)を供養しました

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第1988回 台湾桃園市の皆さんが来島しました


 台湾桃園市の皆さん、鄭文燦市長を筆頭になんと100人を超える皆さんが小豆島を訪問してくれました。
 桃園市は、台湾北西部にあって、首都台北市に隣接し、台湾桃園国際空港がある、人口200万人を超える、日本で言えば、伸び盛りの首都圏の県にあたるのでしょうか。
 高松空港からは、2時間ほどで桃園市に着くそうです。昨年7月、香川県と桃園市は、交流協定を結んでいます。小豆島の福田に「福武ハウス」がありますが、アジアのアーティストの活動拠点です。とりわけ、台湾からは、台湾歴史資源経理学会が中心になって、たくさんのアーティストと学生の皆さんが来られています。
 その縁で、福田自治会の皆さんと桃園市新屋区の皆さんが、自発的に、一昨年12月に友好地域協定を結び、交流を深めています。昨年9月、私も、桃園市で開かれている芸術祭視察を兼ねて、桃園市を訪問する予定でしたが、あいにく、台風が近づいて、私だけ台風対応のため、伺うことができず、残念でした。
 今年の6月、桃園市にある国立武陵高級中学の生徒の皆さんが来島し、小豆島中央高校の生徒と交流しました。武陵高級中学は、日本の東京大学にあたる台湾大学に毎年100人以上が合格するほどの、桃園市長曰く、台湾で二番目に良い高校です。私も、彼らの英語能力にびっくりしました。来週には、小豆島中央高校の生徒が、武陵高級中学を訪問することになっています。小豆島の高校生には、いっぱい勉強してきてほしいです。
 桃園市長と一緒に来られたメンバーに驚きました。市の幹部はもちろん、市議の半分、農業関係者あわせて100人を超える数です。日本では考えられない視察団の大きさとメンバー構成です。その視察団が、まる1日の視察先に、小豆島を選んでくれたことは嬉しいことです。  
 桃園市長さんにはじめてお会いし、これからの「政治リーダー」はかくあるべしと、感心してしまいました。何よりも、まだ49歳という若さです。エネルギッシュで、行動的で、前向きで、誰にも、声をかける、きさくな人柄です。アートにも、寺にも、古いものにも、新しいものにも、何にでも関心を示し、何かを学びとろうとしています。私も、あっという間に、桃園市長に、こころを開き、つかまされてしまいました。私も、ああでなければと思いました。
 例えば、オリーブ公園に案内すると、オリーブをただきれいと見るのではなく、桃園市で、オリーブを栽培できるようになるのか、どう活かせるかを考え、次に打つべき対応を考え、早速、さりげなく、スタッフに指示されていました。
 桃園市長にとっては、視察は、単に友好にとどまるのではなく、市政や国政につなげていくものはないかと、知的な可能性が詰まったもののようです。経歴に、台湾大学電気学部と書かれていたので、「大学で工学を学んだのですか」と聞いたら、「途中で社会学に代えました」と言われました。つまり、社会をどう変え、つくっていくかを大学で学び、今、政治リーダーとして、学んだことを実践しています。そして、今も学び続けています。  
 通訳の方に聞いたら、「市長は、次の台湾のトップリーダー(総統)の候補者の一人として期待されている」と教えてくれました。そんな市長さんが、小豆島を視察先に選んでくれ、私たちと意見交換の機会を持ってくれたのです。  
 今度の桃園市長さんたちの訪問を通して、台湾という国の限りない可能性を感じることができました。桃園市の皆さんと小豆島が、いろいろなチャンネルで、これから交流できることも楽しみです。私もはやい機会に、台湾、桃園市を訪ねて、いろいろなことを学びたいと思います。(平成29年8月14日)

鄭文燦市長など台湾桃園市の皆さんが
小豆島を訪れました

アジアのアーティストの活動拠点である
福武ハウス

6月には、桃園市の国立武陵高級中学と
小豆島中央高校が交流しました

福田地区と桃園市新屋区は
地域友好協定を結んでいます

オリーブ公園を視察する桃園市の皆さん

鄭文燦市長にオリーブをお贈りしました

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第1987回 茨木市長訪問・いばらぎフレンドリーキャンプ


 台風一過のこの日、姉妹都市茨木市を訪問しました。本当は、前日から大阪に入る予定でした。毎年、夏に行っている小豆島の旧池田中学校対旧内海中学校の同級生野球の対抗試合を大阪ドームで行うことになっていましたが、残念ながら台風で延期になりました。  
 茨木市と小豆島町が姉妹都市縁組をして、29年になります。昨年4月から茨木市は、若い新進気鋭の弁護士の福岡洋一市長が就任されています。
 福岡市長は、颯爽として、何事にも前向きに取り組んでおられて、私もそうありたいと羨ましく、頼もしく思います。元気をもらえるので、お会いするのが楽しみです。この日は、世界遺産化を目指している、東瀬戸内海圏の石の文化について、お願いに来ました。
 江戸時代のはじめ、小豆島をはじめとする東瀬戸内海の各地の石切丁場から石が切り出され、海を渡って、大坂城の石垣として積み上げられた世紀の大事業、石の文化は、世界遺産の価値があると思います。  
 大坂城のある大阪市に是非中心になって世界遺産化に取り組んでほしいと願っています。小豆島では、この6年間、世界遺産化を目指して、毎年、国内の有識者に集まってもらい、石の文化のシンポジウムを開催してきました。今年、あるいは来年早々予定の7回目のシンポジウムは、いよいよ大坂城近くで開催したいと考えています。  
 そこで、同期の若き弁護士の市長同志でもある吉村洋文大阪市長への橋渡しを、福岡市長にしてもらおうと思い、福岡市長を訪ねたのでした。
 福岡市長と多岐にわたり、歓談、意見交換した後、茨木市を車で案内してもらいながら、郊外にある茨木市の青少年野外活動センターを訪ねました。ここで、小豆島町の4小学校の6年生全員が、この日から2泊3日のキャンプに入るからです。
 姉妹都市になって以降、毎年夏休みに、小豆島と茨木市で、小学生が交流キャンプをしています。29年も続いています。とても凄いことだと思います。小豆島の子どもたちに、このキャンプでいろいろなことを学んでほしいと思います。  
 ところで、今回、茨木市を訪れて、茨木市の可能性と小豆島町との姉妹都市縁組の意義を認識しました。茨木市は、関西では、大阪市、京都市の後を追っている都市です。その一方で、小豆島以上の豊かな自然と農村地域があります。棚田も、小豆島以上の広がりがあります。立命館大学が新規立地するなど大学もたくさんあり、若者が集まっています。研究機関、物流機関、工場群などもあります。  
 小豆島と同じように、隠れキリシタンの遺産など、深い文化も蓄積されています。小豆島に隠遁した高山右近は、茨木市もかつて領主として治めていました。瀬戸内国際芸術祭で作品を展開され、小豆島の新しい可能性のヒントをいただいた現代美術家のヤノベケンジさんは、茨木市の御出身です。つまり、茨木市は、多様な顔を持つ、いろいろな可能性を秘めた都市です。  
 ひとつの都市として多面的な可能性のある茨木市をリードするのは、福岡市長のような次の世代のリーダーでなければいけないと思います。小豆島の創生とはまた違った理念と政策が必要だろうと思います。性格の異なる、小豆島と茨木市の姉妹都市の交流と関係から、次の新しい可能性が生まれるかもしれません。「次なる茨木へ。茨木には、次がある。」が、福岡市長の茨木市のブランドメッセージです。茨木の次が楽しみです。そして小豆島の次も。(平成29年8月10日)

世界遺産化を目指す東瀬戸内海圏の
石の文化について茨木市を訪れました

国内の有識者に参加いただき
開催している石の文化シンポジウム

毎年小豆島町で行っている
茨木市交流キャンプ

毎年茨木市で行われている
いばらきフレンドリーキャンプ

阪急南茨木駅前に設置されている
現代美術家ヤノベケンジさんの作品

小豆島と茨木市の姉妹都市の交流などから
新しい可能性が生まれるかもしれません

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第1986回 8月最初の日曜日後輩たちに会いました


 今年の夏は、いつになく暑く感じます。その暑さのなかをたくさんの皆さんが小豆島を訪ねてくれています。感謝します。  
 その訪問客のなかに、ここ数年、毎年小豆島キャンプをしている京都大学アメリカンフットボール部ギャングスターズの4人がいました。朝、ふるさと村の小豆島町長杯ゲートボール大会の会場で彼らに会うことができました。  
 ギャングスターズが、小豆島キャンプを張るようになったのは、主力の一人の親戚が小豆島にいたことがきっかけでした。ギャングスターズは、適当なキャンプ地を探していました。小豆島にとっては、大学スポーツは、小豆島の魅力をアピールできることになるし、何よりも、小豆島の子どもたちと接してもらい、小豆島の子どもたちに大学の魅力と可能性を知ってほしいと思いました。  
 小豆島キャンプのきっかけをつくり、今は工学部の大学院で研究生活を続ける大学院生と、後輩の工学部と文学部の現役メンバー2人と農学部のマネージャー女子大生が、夏休みを利用して小豆島を訪ねてきてくれていました。  
 若い後輩たちといろいろな話ができました。彼らが共通して、小豆島のことを気にいってくれていることを嬉しく思いました。この日は、寒霞渓に行き、銚子渓のサルを見に行くと聞き、この間、京大のサルの研究者を含む一行が「サル団子」を見に銚子渓に来たことを話しました。  
 すると、彼らは、異口同音に、サル研究は京大が世界をひっぱっていること、サル研究者の第一人者である山極総長は、とても面白い先生だと話し出しました。それを聞いて、私は、私も、山極総長のサル研究の影響を受けていることを話しました。
 山極総長は、次のようなことを言われています。熱帯雨林で住んでいたサルがサバンナに出てヒトとなった。熱帯雨林と違い、サバンナでは、食料の確保が容易でなく、安全の確保も必要だった。そこで、ヒトは、家族をつくり、子育てと食料の分配を、共同体でルールをつくって行うようになったと。
 そこで彼らに言いました。近代という時代は、家族と共同体よりも国が前面に出た時代です。国は、家族や共同体とは異なり、顔の見えない同志の間のルールで動くものです。人口が増加し、経済が成長しているとき、国のルールづくり、例えば富の分配システムである社会保障づくりは容易でした。人口が減り、経済の成長が難しくなったこれからの時代、富の分配は容易ではなくなります。新しい社会保障づくりのヒントは、山極総長のサル学にあると彼らに話しました。  
 家族や共同体、そして国の役割分担をどう考え、どうバランスをとっていくか、このことが、「地方創生」で問われていることだと思います。恰好よくいえば、その実践を、法学部出身者として、社会政策のプロとして、小豆島でトライしていると彼らに話しました。前途有望な若い皆さんとの会話から、大いなるヒントを得ることができるし、先輩の一人として、彼らがつくる新しい時代のヒントになればと思います。小豆島の子どもたちのためにも、そうありたいと思います。(平成29年8月9日)

小豆島でキャンプを行っている京都大学
アメリカンフットボール部のギャングスターズ

小豆島キャンプ中には、スポーツを通して
子どもたちと交流しています

スポーツ以外にも進路相談や
大学の魅力について話してくれました

サル研究は京都大学が
世界をひっぱっています

家族や共同体、そして国の役割分担を
どう考え、どうバランスをとっていくかが
「地方創生」で問われています

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第1985回 苗羽小学校「たそがれコンサート」


 苗羽小学校体育館で46回目の「たそがれコンサート」が開かれました。主催は早苗会です。  
 早苗会は、苗羽小学校音楽部の卒業生の会です。早苗会は、今年70年になるそうです。ということは、まだ日本中が貧しさに苦しんでいる戦後間もないころに、苗羽小学校に音楽部が誕生したことを意味しています。  
 苗羽地区は、400年ほど前から醤油づくりを始め、今もマルキン醤油をはじめ、いくつも醤油蔵があり、「醤の郷」として知られています。  
 この地区の人たちは、醤油づくりで得た富を、地域の文化の充実に充ててきました。そのひとつが、苗羽小学校に、ピアノや金管弦楽器を寄付して、地域ぐるみで音楽活動を行うことでした。  
 この日は、「おかあさんコーラス」の全国大会に香川県代表として参加するコーロ・オリーブ、苗羽小学校音楽部OB,地域の音楽愛好家などでこの日のために新たに結成された「たそがれ隊」、現役の苗羽小学校音楽部の皆さんなどが、次々と見事な合唱と演奏を披露しました。  
 そして、特別ゲストとして、大阪フィルのコントラバス・トップ奏者の新眞二さんと海外でも活躍中の福井在住のチェロ奏者の荒井結子さんが、チェロとコントラバスの「低弦デュオ」の演奏をしてくれました。  
 新さんは、これまでに何度も苗羽小学校のコントラバスの指導にお越しいただいているだけでなく、「宮川彬良&アンサルブル・ベガ」の一員としても小豆島を訪れてくれています。  
 そのご縁で、宮川彬良さんが、今年開校した小豆島中央高校の校歌を作曲してくれました。宮川さんは、NHK朝ドラの「ひよっこ」の音楽を担当されるなど、日本の代表する音楽家です。それほどに、小豆島の新しい高校が、期待されているのだと思います。嬉しいことです。実現に尽力された皆さんに感謝します。9月はじめの小豆島中央高校の初めての文化祭に、宮川さんと新さんが、高校で、生徒の皆さんに校歌の指導を直々していただけることになっています。  
 新さんはおっしゃっています。苗羽小学校の児童が音楽に取り組んでいることにも心を動かされますが、それ以上に、地域の皆さんが、音楽を愛し、一生懸命に小学校の音楽活動を応援し、支え続けていることが、素晴らしい、そのような地域はここしかないと。だからこそ、新さんは、小豆島は何度訪れても楽しいのだと。  
 冷房のない苗羽小学校体育館はうだるような暑さでした。でも、毎年、コンサートに来られる人が増えています。体育館は満席でした。新さんによれば、こんなに汗だくになって、湿気の高い、弦楽器にとっても、演奏者にとっても最悪の環境で、演奏したことはないとおっしゃっていました。申し訳ないことです。  
 最後に演奏した苗羽小学校音楽部の演奏にアンコールがありました。46回の「たそがれコンサート」で初めてのことでした。(平成29年8月8日)

苗羽地区は、400年前から醤油づくりを
始め、「醤の郷」として知られています

「おかあさんコーラス」全国大会に
香川県代表として参加するコーロ・オリーブ

新眞二さん(右、コントラバス)と
荒井結子さん(左、チェロ)の「低弦デュオ」

新さんが所属する
「宮川彬良&アンサルブル・ベガ」

苗羽小学校音楽部の演奏に
コンサート史上初のアンコールがありました

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第1984回 番外編アーカイブ㊶「小さなあかり」


 ちょっといい話31「KASUMIGASEKI 環衛かわら版」 
 平成8年4月号 「小さなあかり」 厚生省生活衛生局指導課長 塩田幸雄  

 国会の合間をぬって栃木県川治温泉を訪れた。栃木県の経営特別相談員の研修会がある。環衛業振興の上で特相員の果たす役割は小さくない。特相員の人達に、じかにお話しできる初めての機会であった。  
 温泉には日本的な雰囲気がある。温泉と周辺の自然のたたずまいやそこに住む人々の営みが一体となって、何とも言えぬ落ち着きを味わうことができる。そんな喜びを提供してくれる舞台の中心が旅館である。最近は旅館が立派になって、旅館の中ですべて機能をまかなうことができるので、温泉街に繰り出すことも少なくなった。便利な一方、温泉を支える街並みがなんとなく寂しく感じられるのは残念である。  
 環衛業の良さは、何といっても地域社会との一体感にある。モータリゼーションの発達で、郊外店など新しい業態が注目されているが、環衛業の分野でも伸びていくだろう。こうしたものは、ある意味では、自然な発展に委ねておけばいいのだろうが、私たちは、日本の発展を支えてきた地域社会の信頼感、一体感をきちんと守り、育てていく大切さを忘れてはならない。  
 これから技術革新も情報化も国際化も格段と進んでいくから、人々は、地域社会とは関係なく、自由に飛び立って、地理的な制約のないライフスタイルを楽しむ時代が来そうである。かつて、人々は、自分の生まれたところで育ち、青春と老いを生き、他のところを知ることもなく人生を終えた。日本中や世界中を飛び回る人生の方が、生まれたところしか知らない人生よりも上等で幸福なのだろうか。  
 研修会では、これからの環衛業の可能性について、日頃考えていることを話させていただいた。旅館の大金さん、八木沢さん、中華料理の高瀬さん、飲食の高見さん、美容の黒須さんなど、環衛業という共通項を通じて集まった人々が懇談されるのを拝聴しながら、何事も冷ややかではなく、何かをやろうと知恵を集めれば、その何かは必ず実現できるのだと、ふと思った。小さなあかりが身近なところで灯っていて、私たちを照らしてくれている。

 

温泉街には温泉と周辺の自然やそこに住む人々の
営みが一体となって日本的な雰囲気があります

 (注釈)
 厚生省指導課長としての経験は、今の町長の仕事につながっています。飲食店、理容店、美容店、公衆浴場など、皆さん小さな営業店は、地域社会を地味に下支えしています。それらのお店が、時代の流れの中で、苦戦しながら、地域社会を守る大切な役割を果たそうと奮闘していました。
 全国各地を訪ねては、地域のリーダーの皆さんと意見交換しました。今とは違って、酒を酌み交わしながら、本音で腹を割って話しをしたものです。このごろ役所の後輩たちは、業界の人と酒を飲むなんぞ以ての外になっています。しかも後輩の多くは、都会育ちのエリートばかりです。 政治家も、都会育ちのスマートなエリートが大勢になろうとしています。彼らは、情報化にも国際化にもたけているはずです。どうしたら地域社会を守っていけるのか、彼らの新しい感性にも期待したいと思います。
 町長の一番大切な仕事は、健全な地域社会をどのようにして守っていけるかです。健全な地域社会とは、みんなで助け合い、支え合う場所です。そこには、いろいろな人が暮らして、時にはお祭りをします。そんな健全な地域社会から健全な人が育っていきました。その健全な循環をどう守っていくかが、町長のつきつめたところの仕事です。大切なものを守っていくためには、変えるべきものは変え、変えてはいけないものは変えてはいけない、その見極め、バランス感覚が町長に求められる資質だと思います。(平成29年8月7日)


健全な地域社会とは
みんなで助け合い、支え合う場所です

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第1983回 国土交通省に陳情に行ってきました


 国土交通省に対する来年度の道路予算確保の香川県の陳情活動に参加してきました。県下の他の首長さん、県庁幹部の皆さんなどの陳情団の一員として同行しました。  
 今時、まだこんなことをやっているのかと驚かれる方もいると思います。民主党が政権をとったとき、このような陳情活動は止めようということになっていたと思います。時計の針が元に戻ったのでしょうか。  
 私は、今回、この陳情に参加してみて、少し時代錯誤の面があることは事実ですが、これはこれでいいのかもしれないと鷹揚な気持ちです。  
 県の方によれば、道路予算の都道府県配分に当たって、首長さんが、どのくらい熱心に本省に陳情したかによって、国土交通省の配分額が違ってくるのだそうです。香川県は、首長さんの陳情実績がよくないこともあって、配分額が少ないのだそうです。  
 にわかに信じがたいことですが、私が担当者でも、予算額に制限があって、どちらの県に配分しないといけないとき、首長の陳情回数の多い方に軍配をあげるかもしれません。

   

国土交通省に対する来年度の道路予算確保の
香川県の陳情活動に参加してきました

 とにかく、国土交通省のロビー、廊下は、私たちと同じように、地方からの陳情者であふれかえっていました。担当者は、陳情者への対応におわれ、といっても、さっと陳情書を受け取り、名刺を交換するだけですが、昼間は、仕事にならないでしょう。非効率そのものです。  
 にもかかわらず、私は、こうした陳情に、同情的であり、理解者でもあります。私も、かつては厚生労働省でこうした陳情を受けていました。陳情は、全く意味がないようですが、ちょっとしたやりとりで、地方の皆さんの気持ちや実情は伝わってくるし、本省側も自分のやっている仕事の意味をそれなりに実感できるからです。  
 かつて、「コンクリートから人へ」というスローガンのもとで、公共事業への否定的な意見が広がったことがありました。私は、あまり共感できませんでした。公共事業とは、道路、ダム、港湾などの、社会の安心、安全の基盤となる事業のことであり、そんな簡単な言葉ですまされるものではないからです。
 公共事業は、「土木」という言葉で表現されることもあります。英語では、「civil engineering」と表現されています。つまり、土や木を使う事業であり、市民ための技術です。言葉は、嘘をつかないと思います。「公共事業」は、私たちが安心して暮らすためになくてはならぬものです。

 

「公共事業」は、私たちが安心して暮らすために
なくてはならないものです

 私は、長い間、中央省庁の仕事、特に環境省の仕事を通し、また、町長の仕事を通しても、公共事業を担当する技術者の皆さんに対して、畏敬の念のようなものを感じてきました。  
 彼らの多くは、現場を愛し、現場が大好きな人たちです。しかも、国土の保全や国土のあり方について、理念や抱負を語ることもできる方も少なからずいました。彼らの仕事は、結果が形として残り、ごまかしたら、逃げたりできないものです。現場の仕事のセンスも、霞が関の仕事のセンスも、学術的センスも、兼ね備える、技術者でもあり、政策マンでもあり、学者でもある、彼らをうらやましく、すごいものだと思ったものでした。  
 香川県の陳情活動に参加する意味は、普段ゆっくり話ができない県の技術者の皆さんと腹を割った話ができることにもあります。今回も、彼らや関係の皆さんと、いろいろ話し合い、いろいろなことを知ることができました。このことも、私にとっては、大きな収穫になりました。(平成29年8月4日)

県の技術者の皆さんと話ができ
いろいろなことを知ることができました

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第1982回 小豆島老人ホーム夏まつり


 土庄町淵崎にある小豆島老人ホームの夏まつりがありました。ホームの中庭に、ホームに住んでいる高齢者と家族、地域の住民の皆さん、ボランティアの方々などが、夏まつりに参加して大いに賑わいました。  
 この老人ホームは、特別養護老人ホームと養護老人ホームです。設置経営しているのは、小豆広域事務組合です。広域事務組合は、地方自治体のひとつで、広域的な仕事をするために、土庄町と小豆島町がつくっている地方自治体のひとつです。  
 広域事務組合のトップ、管理者は、両町の町長が二年ごとに交代し、広域事務組合には、議会もあり、両町の町議会議員のなかから議員が選ばれています。  
 普通、地方自治体と言えば、都道府県と市町村が頭に浮かびますが、広域事務組合もあれば、小豆島中央病院を運営する小豆島中央病院企業団も地方自治体のひとつです。ところで小豆島は、今は、基礎自治体としてあるのは、小豆島町と土庄町です。平成の大合併以前は、池田町と内海町がありました。平成の大合併では、3つの町がひとつになって「小豆島市」を目指しました。実現直前までいったのですが、ぎりぎりのところで実現せず、内海町と池田町が一緒になって小豆島町が誕生しました。  
 「小豆島市」の誕生を期待された人たちにとっては、残念な結果でしたが、小豆島町の誕生も、小豆島が元気になっていく上で画期的だったと思います。なぜなら、「小豆島」の名前を前面に出して、小豆島の魅力のアピールができるようになったからです。  
 小豆島の歴史を振り返ると、小豆島の行政区画は、大きく変遷しています。小豆島は、小豆島としてひとつであることに変わりはないのですが、小豆島の各地域は、海に面していて、島の中で移動するよりも、海を利用して、外に向かって、外との交流によって、それぞれの地域が、特色を持って発展してきました。小豆島の民は、「海人」なのです。
 最も多い時期で、19ほどの行政区画に分かれていたこともあります。天領としてひとつの行政区画であった時期もあります。島のほとんどが、岡山津山藩に属していたときもあります。小豆島は、時代時代で、大胆に、柔軟に、体制を受け入れ、変わってきましたが、大きな歴史の流れでは、小豆島はひとつに向かっていると、私は思っています。
 例えば、香川県の地域医療構想は、香川県を3つの医療圏に分けました。高松市を中心とする人口50万人の医療圏、丸亀市などを中心とする人口40万人の医療圏と、人口3万人ほどの豊島を含む小豆医療圏です。  
 この医療圏は、これからの行政区画を示唆しています。島しょ部である小豆島は、小豆島としてひとつの行政区画にならざるを得ないのです。医療も、教育も、高齢者福祉も、障がい者福祉も、子育ても、小豆島を一つとして、これからのあり方を考えていくことが必要です。  
 小豆広域事務組合で、高齢者福祉の一部門を担当したり、ゴミ処理を担ったり、小豆島中央病院の経営を企業団のかたちで行っているのも、小豆島がひとつになっていくプロセスとしてとらえることができるかもしれません。  
 小豆島町と土庄町の2つの町は、これからも続いていくかもしれませんが、いろいろなことを両町が一緒になって、小豆島はひとつにの視点で取り組んでいくことが不可欠になっています。  
 小豆島老人ホーム夏まつりは、小豆警察署の皆さんのマジックや振り込め詐欺防止のコミカルな演劇や入所されている高齢者のカラオケ、こどもたちのパフォーマンスなど、楽しく、あっという間に過ぎていきました。(平成29年8月3日)

土庄町淵崎にある
小豆島老人ホームおりーぶ

平成の大合併で内海町と池田町が
一緒になって小豆島町が誕生しました

小豆島町の誕生により、「小豆島」を前面に
出して、アピールができるようになりました

小豆島の歴史を振り返ると
小豆島の民は「海人」です

小豆島は一つとして、これからのあり方を
考えていくことが必要です

小豆島老人ホーム夏まつりは
大いに賑わいました

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第1981回 県立養護学校と四国学院大学を訪ねました


 暑い夏のこの日は、高松市と善通寺市に、二つの県立養護学校と四国学院大学を訪問しました。今取り組んでいる「ぬくもりと希望の島づくり」に関連しての訪問です。  
 「ぬくもりと希望の島づくり」は、障がいのある人、ない人が、ともに学び、支え合い、安心して暮らせる小豆島を目指した取組みを総称したものです。  
 小豆島は、自然、文化、伝統、産業、人と人の絆どれも素晴らしい島ですが、障がいのある人が安心して暮らせる島かと言えば、必ずしもそうではありません。  
 厚生労働省で、大切な仕事のひとつである障がい福祉に携わったものとして、自分が関わった政策を、小豆島で実現したいと思います。町長になって、7年になって、やっと、そのことに本格的に取り組めるようになりました。  
 きっかけは、小豆郡手をつなぐ育成会(黒島啓会長)の皆さんが、小豆島に特別支援学校をつくろうと、要望を強く香川県に対して行ってくれ、香川県教育委員会がその要望に応える方向を決めてくれたことです。  
 重い障がいのある子どもたちは、小豆島に特別支援学校がないので、高松市にある特別支援学校に行かざるを得ません。学校だけでなく、重い障がいのある人は、小豆島に働く場、暮らす場などが十分にはないので、小豆島で安心して暮らすことが難しいです。  
 もちろん、二つの通所の働く施設やグループホームがありますが、それらだけでは十分ではありません。重い障がいのある皆さんだけでなく、発達障がいと言われるコミュニケ―ション障がいなど、さまざまな障がいの問題をかかえている児童、生徒が増えています。  
 香川県教育委員会が、小豆島の特別支援学校の設置を検討してくれる、この機会に、小豆島全体で、障がいのある人、ない人をあわせて、教育、医療、福祉、雇用など、すべてをつないで、どうあったらいいか、どうするかを検討し、小豆島で「ぬくもりと希望の島づくり」を実現したいと考えています。  
 ちょうど、小豆島では、小豆島中央高校の誕生をきっかけにして、幼稚園・保育所、小、中、高校の一貫教育のあり方を検討し、目指すことにしています。小豆島町では、内海地区の小学校の統合も進めていくことにしています。小豆島高校の跡地は、小豆島の教育、文化、スポーツの拠点として再活用できればと考えています。  
 特別支援学校は、普通の学校とは離れて、整備、運営されることが一般的ですが、これから小豆島でつくられる特別支援学校が、小学校、中学校、高校に併設され、それらと一体的に運営されるとしたら、障がいのある子どもにとっても、障がいのない子どもにとっても、良い教育ができるのではないかと思います。  
 特別支援学校を小豆島につくるという機会が、香川県によって小豆島に与えられました。障がいのある人たちの、学ぶこと、働くこと、暮らすこと、地域の皆さんと交流することなどを、つなぎあわせて、一体的に構想し、実現していくことを、香川県、土庄町、小豆島町が、一緒になって、この機会にできたらと思います。  
 この日は、高松にある二つの県立養護学校を訪ね、いろいろなことを教えていただきました。四国学院大学では、末吉高明学長をはじめ社会福祉学の金永子学部長、西谷清美教授などの皆さんと意見交換させていただきました。  
 9月から、小豆島町福祉と医療の推進会議、小豆島町総合教育会議など、いろいろな場や機会を通して、これから何年かをかけて、いろいろな皆さんの理解、協力、参加を得て、「ぬくもりと希望の島づくり」に取り組んでいこうと思います。(平成29年8月2日)

「ぬくもりと希望の島づくり」は、障がいの
ある人、ない人が、ともに学び、支え合い、
安心して暮らせる小豆島を目指す取組みです

小豆郡手をつなぐ育成会の
署名活動のようす

特別支援学級を対象とした
演劇ワークショップ

プロジェクトチームによる
香川県立養護学校視察のようす

2年前に四国学院大学と
包括的連携・協力に関する協定を結んでいます

皆さんの理解、協力、参加を得て
「ぬくもりと希望の島づくり」に取り組みます

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第1980回 「小豆島の学びの場を考える」公開ミーティング


 小豆島の馬木「醤の郷」にある醤油会館で、「小豆島の学びの場を考える」公開ミーティングがありました。  
 醤油会館は、昭和の初めに、小豆島中の醤油会社の皆さんの組合の事務所として建てられたものです。バルコニーもある、当時の小豆島にしては、ハイカラな二階建ての近代建築物です。  
 醤油会館が移転してからは、図書館として長く使われ、図書館が移転してからは、町民演劇「二十四の瞳」の稽古場として利用されていましたが、物置場のようになって、人々からも忘れられ、存在感が薄くなっていました。  
 その醤油会館が、2013年に開催された瀬戸内国際芸術祭2013で、コミュニティアートの展示場として蘇り、瀬戸芸2016でも、インド作家ソサさんの作品が展示されました。  
 その醤油会館を会場にして、「小豆島の学びの場を考える」公開ミーティングを開催しました。メンバーは、瀬戸芸の「醤の郷+坂手港プロジェクト」、「小豆島町未来プロジェクト」のディレクターをしていただいた椿昇京都造形芸術大学教授、両プロジェクトで山吉邸で「小豆島カタチラボ」を手掛けたクリエイティブ・ディレクター服部滋樹graf代表、「醤の郷+坂手港プロジェクト-観光から関係へ-」の企画運営を担当した編集者・MUESUM代表の多田智美さんです。小豆島側からも、地域づくりに取り組む皆さん、素麺組合の人、醤油会社の若手研究員、教育関係者、観光に携わる人など、多彩な皆さんに参加していただき、積極的な意見を言っていただきました。  
 さて、どうして、今、「小豆島の学びの場」を考えることをテーマにしたのでしょう。今、時代は、大きく変わろうとしているように思います。地球規模でも、日本規模でも、小豆島という地域でも、一人ひとりの生き方でも。何が大切なことか、何を目指していくべきなのか、何を守って、何を変えていくべきなのか、どんな産業が地域にとって必要なのか・・・。いろいろなことが問われています。新しい時代、次の100年のビジョンと理念が問われています。  
 私は、小豆島で生まれ育ち、京都の大学を出て、東京の中央省庁で仕事をしました。中央で、国全体のあり方を考える仕事をさせてもらいました。仕事は、とても充実した、やりがいのあるものでした。その仕事を終え、今度は、ふるさとを元気にできる仕事をしたいと思い立ちました。  
 というのも、このままでは、小豆島だけでなく、日本を支えてきた地方というものが、本来持っていた力を失ってしまうのではないか、そのことで日本全体から魅力が消えてしまう、地方が本来持っている力を取り戻せる取組みを、小豆島に戻ってしてみたいと思ったのです。  
 なかなか妙案は浮かびませんでした。ヒントは、たまたま戻った年に開催された瀬戸内国際芸術祭にありました。アーティストやクリエイターの皆さんと接することで、工夫次第で、努力次第で、小豆島の魅力と可能性をカタチにできると思うことができるようになりました。  
 すごく基本的なことですが、随分長い間、人々は、それぞれの地域の本来持っている魅力と可能性を、自分たち自身の知恵と力で、知恵と力をあわせて、磨いて、高めていくことを忘れていたように思います。田舎よりも都会が、地方よりも中央が、優れていると考え、都会と中央の考え方に従うことに慣れてしまっていたように思います。  
 自分たちで考え、自分たちで行動するという、基本的なことを、取り戻すことが、私たちにとって、今、一番、必要なことだと思います。そのために、必要なことは、それぞれの皆さんにとっての「学ぶ場」があることです。  
 もちろん、大学のようなものがあれば、その一助になります。大学でなくても、学び方、学ぶ場は、さまざまです。どんな学び方、学びの場が小豆島で生まれて、できていけるか、つくっていけるか、これから、何度か、今回のような、公開ミーティング、公開講座を開催して、みんなで模索していこうと思います。  
 焦らず、一歩ずつ、楽しみながら、信頼を築きながら、小豆島らしく、小豆島でしかできない、しかし、全国のモデルになるような、「学びの場」について考え、実現を目指していけたらと思います。(平成29年8月1日)

「小豆島の学びの場を考える」
公開ミーティングが行われました

醤油会社の組合事務所として
昭和の初めに建てられた醤油会館

町民演劇「二十四の瞳」の
稽古場として利用されていました

瀬戸内国際芸術祭では
作品の展示場として利用されました

ミーティングでは、多彩な皆さんが参加し
積極的な意見が交わされました

アーティストやクリエイターの皆さんと
接することで、魅力と可能性をカタチに
できると思うことができるようになりました

全国のモデルになるような「学びの場」の
実現を目指していけたらと思います

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