小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1773回 壺井栄原作映画上映会


 今年は、壺井栄50回忌の年です。私たちは、今年、栄を偲び、栄の作品と功績から学ぼうと、いろいろな取り組みをしています。
 ひとつは、栄と繁治の獄中書簡を単行本にして発刊しました。小豆島に移住されている平野公子さんをはじめ、大勢のみなさんの協力を得て実現しました。
 繁治投獄中の二人の手紙のやりとりからは、作家になるまえの栄と繁治のこまやかな」愛情を感じることができます。栄の全集にも、手紙のやりとりのすべては収められておらず、二人のやりとり全体を書籍化したいと加藤さんは思っておられました。その願いを大勢のみなさんの尽力で叶えることができました。
 栄の年譜の作成など取組みは多彩ですが、もうひとつだけあげると、「本からうまれる一皿壺井栄と庚申の夜」という取組みがあります。町立図書館「むとす館」の栄の作品を読む読書会のメンバーなどが毎月一度、坂手港のei(旧JA坂手)で行っています。栄の作品に出てくる小豆島のさまざまな「食」を一皿の料理に再現して提供してくれる、とても斬新で、美味しい取組みです。
 そして、今度の栄原作の作品の映画の上映会です。栄原作の映画といえば、「二十四の瞳」があまりに有名です。この映画によって、今日の小豆島があるといってもよいほど、大きな影響を持ちました。
 栄原作の映画は、「二十四の瞳」をいれて、なんと16作品もあります。そのすべての映画の上映会をしたいところですが、それは事実上不可能なことでした。フィルムが散在していたり、見つからないものもあります。
 平野さんや二十四の瞳映画村の有本専務などと相談しながら、2つの作品に絞りました。ひとつは「あすの花嫁」です。この作品は、昭和30年代の小豆島が画面にフルに登場します。10代の吉永小百合さんと浜田光夫さんが主演した、はつらつとした青春純愛映画です。
 もうひとつは、「雑居家族」です。あまり知られていない作品ですが、東京での栄と繁治の生活、お二人の優しい人柄がしのばれる作品です。
 「あすの花嫁」は、DVD化されているので、家庭でも見ることができますが、「雑居家族」は、一本のフィルムが東京国立近代美術館フィルムセンターに保管されているのみです。有本さんが、八方手を尽くしてフィルムを借りることができました。さらには、「あすの花嫁」主演の浜田光夫さんまで、上映会のトークに参加していただくことができました。
 上映会は大好評でした。事前配布の入場券はあっという間にはけてしまいました。当日も台風接近の悪天候であったにもかかわらず会場は満員になりました。
 映画の内容は期待以上のものでした。「あすの花嫁」では、戦後の昭和という時代、そして小豆島も、いかに伸びやかで、はつらつとしていたか、ひしひしと伝わってきました。ほとんど全部が、小豆島オールロケで撮影されたので、当時の小豆島のいろいろな風景を見ることができました。会場からは、驚きと感動の声があがりました。
 この映画の撮影のとき、私は、小学5年生でした。近くの旅館に映画のスタッフの皆さんが泊まっていました。祖母を含め、近所の皆さんが総出で、映画にエキストラ出演しました。その画面、盆踊りのシーンです。祖母ら馬木の人が三味線を弾いています。馬木踊りです。
  「雑居家族」は、栄と繁治の東京生活がモデルです。身寄りのない子どもたちも次々と養子として受け入れていく人の良い、小説家と詩人の小豆島出身の夫婦が朗らかに描かれていました。
 浜田光夫さんのトークも、映画撮影のエピソードを楽しく話していただきました。おまけに、44作も共演した吉永小百合さんの「寒い朝」を歌っていただきました。さすが、人の気持ちを、あっという間に掴んでいます。
 改めて思うのは、壺井栄さんが、いかにふるさと小豆島のことを愛し、また人の喜びと悲しみをともにしていたかです。壺井栄さんに感謝し、彼女を生み育てた小豆島の風土にも感謝します。(平成28年9月26日)

壺井栄原作映画の「あすの花嫁」、
「雑居家族」の上映と浜田光夫さんの
トークショーが行われました
(クリックすると詳細が表示されます)

壺井栄と繁治の往復書簡

往復書簡を書籍化していただきました

栄50回忌の記念として、の年譜の作成など
多彩な取組みを行っています

毎月一度、坂手港のeiで行われている
「本からうまれる一皿~壺井栄と庚申の夜~」

「あすの花嫁」主演の浜田光夫さんによる
トークショーのようす

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第1772回 自然災害の教訓 災害を忘れない


 台風16号が日本列島を襲いました。小豆島直撃の可能性もありました。幸い直撃はなく、小豆島は大きな被害はありませんでした。収穫間近いオリーブの実が、風雨でいくらか落下し、傷ついたことが心配です。傷は炭疽病の原因になるからです。
 実は、この日、台湾に向けて関西空港から出発する予定でした。香川県と空路でつながる台湾桃園市、アジアのアートプラットフォーム「福武ハウス」のある小豆島福田地区と桃園市新屋区は、最近それぞれ交流協定を結びました。
 アートがつないだ縁です。桃園市は、瀬戸内国際芸術祭と同じように、アートによる地域づくりに取り組んでおり、今週、「桃園地景藝術節」が開催されています。その芸術祭への招待を受け、初めて台湾に伺うことにしていました。
 町長になってはじめて行く海外です。「海外との関係づくり」も大切なことなので、楽しみにしていたのですが、あいにく台風接近です。町長としての一番の仕事は危機管理、町民の安心・安全を守ることです。台湾行きは次の機会に期待し、台風対応に専念することとしました。
 先日、「昭和51年台風17号災害40周年講演会」がサン・オリーブホールでありました。そのなかで、香川大学四国危機管理教育・研究・地域連携推進機構の松尾裕治特命教授が、はっとすることを話されました。
 それは、「防災は忘却との戦い」だということです。「人は忘れる」という大原則があります。
○個人は、「3年」もするとだんだん忘れていく。
○組織は、個人より記憶は長続きするが、それでも30年もすると忘れ去られていく。
○地域は過去の記憶がかなり維持される。それでも人間には寿命があるので、人間が入れ替わる中でだいたい60年もすれば、地域から記憶が消えていく。
○たいてい300年もすると、そのことは社会としてなかったこととして扱われるようになる。
 小豆島は、昭和51年台風で39人もの命が失われる大災害を経験しました。40年経過した今、まさに地域から記憶が消えていくかもしれない頃です。講演会では、昭和51年大災害に、当時の池田町と内海町の担当者として、災害に立ち向かった二人の役場スタッフが当時の模様を話してくれました。想像を超えた大災害の凄まじさと復興の大変さを話してくれました。
 防災の取組みは、役場の最大の任務のひとつです。役場の現役スタッフのなかに、もう51年災害対応の経験者はいません。「私たちは決して災害を忘れてはいけない」と改めて感じました。
 講演会では、いつもお世話になっている香川大学工学部長谷川修一教授からも貴重な話をうかがうことができました。
 小豆島という大地は、約1400万前の瀬戸内火山活動によって誕生したものです。小豆島の美しい大地は、その後の長い間の自然の活動、ある意味では土砂災害の結果生まれたものです。
 寒霞渓は、山体崩壊の跡地が1000万年の浸食によって彫刻された自然の造形美です。中山の千枚田は、1万年前の地すべりによって形成された緩斜面を棚田に利用したものです。オリーブ公園のある西村の山麗緩斜面は、土石流堆積物による扇状地です。土石流扇状地はオリーブ栽培の適地です。苗羽の醤油の郷は、土石流によって砂が堆積した大地の上にあります。白砂の砂地は塩田に適しています。
 大地の成り立ちから地域を理解することが、地域の持続的な発展に不可欠です。大地の強みを知り、強みを地域振興に活かし、大地の弱みを知り、防災に活かす、弱みを逆手に取って強みに変えることが重要です。私たちの先達たちは、そのことを実践してきました。私たちの世代も実践しなければいけません。
 小豆島の最高峰である星ケ城山は標高816.7mで、山頂から海岸まで約4.3kmしかありません。小豆島の河川は滝のように急流で、土石流などが発生しやすい地形条件です。しかも、大地のほとんどの表面が、花崗岩が風化してできた、雨を含むと表層崩壊しやすいマサ土で覆われています。また、山頂を取り囲むように急崖が形成されており、眺望の良い天然の眺望になっている一方、地震の時に崩壊や落石が発生しやすい斜面になっています。また、山が高く、急峻で、山に湿った風が当たると、局地的な大雨を引き起こす斜面になっています。
 まさに、昭和49年と昭和51年の豪雨災害は、小豆島の大地の特性によって引き起こされたものでした。幸い、その後、関係者の努力によって、防災ダムなどの予防措置が講じられ、その後大災害はありません。しかし、それだけで盤石ではありません。いつか、また災害が起きることを覚悟しておかねばなりません。
 私たちは、昔から多くの自然災害を受けてきました。地域の防災力の向上には、過去の災害の歴史(教訓)に学び、自分のまち、身近な弱点を知り、それらの災害を教訓に、被害の回避、軽減、最小化するための知恵が、行政、事業所、学校、各家庭、個人に求められています。私たちは、決して災害を忘れません。(平成28年9月23日)

台風16号は収穫間近のオリーブに
影響を与えました

福田地区と桃園市新屋区は、
今年に交流協定を結びました

香川大学松尾裕治特命教授による
講演のようす

昭和51年災害の被害状況

香川大学工学部長谷川修一教授による
「土砂災害との共生」と題した講演

小豆島の河川は滝のように急流で、
土石流などが発生しやすい地形条件です

災害後に建設された砂防ダム

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第1771回 瀬戸内くらしフェア


 東京有楽町にある交通会館で「瀬戸内くらしフェア」がありました。瀬戸内海を囲む10県が大集合しました。
 主催したのは、「NPO法人ふるさと回帰センター」です。「海暮らし」「山暮らし」「島暮らし」「街くらし」を求める皆さんの相談に応じられるよう、各県、各市町村の担当者が大集合しました、小豆島町も、土庄町と一緒にブースを出して参加しました。
 主催者の「ふるさと回帰センター」の代表の高橋公さんは、私が厚生省に勤めていたころから存じあげています。高橋さんは、当時、自治労本部におられ、福祉や環境分野の政府の政策について、自治労の代表として、国の審議会や委員会の委員などをされており、よく議論をしたり、酒を酌み交わしました。
 厚生省などが、社会保障や環境分野の政策を立案するとき、その政策が、自治体の現場で対応できるものなのかどうか、どんな影響があり、どんな配慮が必要なのか、国民の暮らしをどうしたらよくすることができるか、国民の家計の状況から負担が可能かどうかなど、中央省庁と自治労のスタッフは、口角泡を飛ばして議論して、政策を決めたものです。高橋さんは、その意味では、同志であり、盟友であり、戦友でした。
 数年前再会して驚いたのは、ともに「ふるさと」を思い、大切にする仕事についていることでした。高橋さんは、私より少し年上の、いわゆる「団塊の世代」の方です。「団塊の世代」は、若い頃は、社会の変革を求めて、学生運動を起こし、壮年の頃には、企業戦士として、日本の高度経済成長を担いました。そして、「団塊の世代は高齢期にどう生きるべきか」、高橋さんの答えは、「それぞれの『ふるさと』に『回帰』し、『ふるさと回帰』の再生の担い手になる」ことでした。それが、高橋さんのつくられた「NPO法人ふるさと回帰センター」の原点だと、私は理解しています。
 半年ほど前に、高橋さんから電話があり、「この日あけておいてほしい」と言われました。それが、この日のイベントでした。「瀬戸内くらしフェア」で、瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターの北川フラムさんともう一人の方と私と高橋さんとでシンポジウムのようなものをできないかと考えての依頼であったようです。
 残念ながら企画は実現しませんでしたが、私は、予定どおりこの日のフェアに参加させていただき、高橋さんと二人でトークをさせていただきました。厚生労働省の勤務を終え、これからは「地方の時代」と考え、ふるさとへUターンしたものの、どうしていいか右往左往していたころ、そこに光明の光とヒントを与えてくれたのが瀬戸内国際芸術祭でした。瀬戸芸によって、私は、もう一度小豆島は輝きを取り戻せると思うことできました。瀬戸芸に情熱を注いでおられる北川さんと高橋さんが学生運動以来の旧友であることを知り、驚くとともに、「そうなのだ」と思いました。「思いの糸はこうしてつながっている、つながっていくのだ」と思いました。
 かつては、「思い」を持った若者が、東京に集まり、東京から新しい価値、文化、政策を発信しました。それに相応しい時代環境でした。しかし、人間の歴史を振り返ると、一極だけで輝く、そんなことは一瞬のことに過ぎません。私たちは、それぞれの地域が、個性豊かな文化や産業を創り、相互に交流して、この国全体が豊かに発展してきたのです。
 東京には、これからも日本の中心としての役割を果たしていってほしいですが、それと同時に、それ以上にそれぞれの地域、地方が、個性豊かに、それぞれの魅力と可能性を活かしていくことが必要です。それが「地方創生」であり「ふるさと回帰」であると思います。
 「瀬戸内くらしフェア」は、大勢の人でにぎわっていました。東京で、こんなフェアを開催でき、その会場で、高橋さんとまた一緒に仕事をできたことを嬉しく思います。「地方の時代」が、再び、一歩、一歩、歩みを進めています。(平成28年9月21日)

NPO法人ふるさと回帰センターが主催する
「瀬戸内くらしフェア」が東京で開催されました

小豆島町と土庄町の合同ブース

NPO法人ふるさと回帰センターの代表の
高橋公さんとトークをさせていただきました

参加した各県のご当地トークも行われました

「地方の時代」と考えていた時にヒントを
与えてくれたのが瀬戸内国際芸術祭でした

地域、地方が、個性豊かに、それぞれの
魅力と可能性を活かしていくことが必要です

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第1770回 幸せのオリーブ色のポスト


 手紙を書き、手紙をもらうことほど、こころがときめくことは、そうはないと思います。とりわけ、ラブレターを書くときは、そうだし、郵便ポストの前で、「出そうか出すまいか」と迷い、「いいや、やめよう」と、後で後悔したことが思い出されます。
 そのように、手紙には、人生の喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、いろいろなことがいっぱい詰まっているのに、私も含めて、手紙を書いたり、もらうことが、随分と減ってしまいました。
 そんななか、小豆島のオリーブ公園に、オリーブ色の昔なつかしい円筒型の郵便ポストが登場しました。正式な名前ではありませんが、「幸せのオリーブ色のポスト」です。郵便ポストと言えば、赤色と決まっているようです。その形もこのごろは四角いものです。全国統一でわかりやすくていいのですが、何となく味けないです。
 今回のオリーブ色のポストは、特殊ポストと言って、例外的に許されたものだそうです。オリーブ公園のスタッフが、「平和の象徴」のオリーブは、手紙の心の優しさに通じており、旅先のオリーブ公園で、ハートの形の葉っぱを見つけ、愛する人に手紙を書いて、オリーブ色のポストに投函したら、手紙を書いた人も、もらった人も、幸せを感じることができる、手紙の復権にもつながるだろうと「オリーブ色のポスト」の設置を提案したら、土庄郵便局さんが、そのアイデアを実現してくれました。この日、「幸せのオリーブ色のポスト」にはじめて手紙を投函したのは、草壁保育園の園児たちです。大好きなおじいちゃん、おばあちゃんに「おやつをいつもつくってくれてありがとう」などと書いた手紙を、園児たちは、並んで順番に投函しました。
 ところで、オリーブ公園は、全国に1000以上ある「道の駅」のひとつです。オリーブ公園は、「道の駅」としても、毎年30万人を超える来訪者で賑わっています。
 今、「道の駅」について、来訪者の数や地産品の売上げ額を競うことも重要ですが、地元や地域の皆さんに役立ち、貢献することも「道の駅」の重要な役割だと、「道の駅」のあり方について国土交通省は考えています。今後、全国の地方整備局ごとにひとつの「道の駅」をモデル駅に指定して福祉をはじめ地域貢献のいろいろな取組みをしようと考えています。
 来月になると思いますが、全国の6つか7つのモデル駅のひとつとして、オリーブ公園が指定されることになりました。オリーブ公園では、健康づくりや介護予防、オリーブ料理教室など、いろいろな取組みをしていますが、今後、小豆島中央病院とタイアップした健康づくりやリハビリ、オリーブを用いた子どもたちの創作活動など、いろいろな取組みをしていこうと思いますが、「幸せのオリーブ色のポスト」の設置は、こうした「道の駅」の新しい展開にぴったりです。
 それから、もうひとつ。今年は、壺井栄の50回忌の年です。栄は、オリーブの葉っぱも、花も、実も、木も、香りも、そのすべてが大好きでした。そして、栄は、手紙を書くことが大好きで、東京に出る前、地元の郵便局に勤めていました。今度のオリーブ公園にできた「幸せのオリーブ色のポスト」を一番喜んでいるのは栄かもしれません。
 私も、今度、手紙を書いて、オリーブ公園に行って、「幸せのオリーブ色のポスト」に投函してみようと思います。(平成28年9月20日)

「幸せのオリーブ色のポスト」が
オリーブ公園に設置されました

オープニングセレモニーで演奏を行った
草壁保育園の園児たちが早速、大好きな
祖父母に宛てた手紙を投函しました

オリーブ公園内では、毎年ワークショップを
行っている絵本作家の荒井良二さんの
ポストカードや切手を販売しています

オリーブ公園では今後、健康づくりや
オリーブを用いた子どもたちの創作活動など
いろいろな取組みを行っていこうと思います

「幸せのオリーブ色のポスト」の設置に
壺井栄が喜んでいるかもしれません

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第1769回 1.「地方の時代のあり方」


 香川県のそれぞれの市や町などで新たに課長の立場に立った皆さんに話す機会をいただいたことを感謝します。
 私は、厚生労働省、環境省で5つ、北九州市役所で2つ、計7回課長のポストの経験をしました。課長になったとき、課長になれてよかったという気持ち、できるかなという不安もありましたが、それ以上に、一人前として評価された、自分の力を発揮するのは、いよいよこれからと思いました。
 課長は、国なら国、地方自治体なら地方自治体で、その分野のたったひとりの課長です。課長が、どうがんばるかで、国と地方公共団体のその分野のあり方が決まります。他にその分野の責任者はいないのですから、課長の責任は誠に重要です。
 おまけに、課長である期間は2年です。長くて3年です。その間に、やるべきことをやりとげなければいけません。1年目のなるべく早い時期に、前任者たちが残したことを把握し、その分野の課題をつかみ、任期中にやることを決めることが求められます。2年目に、そのことを実現しなければいけません。
 私は、幸せなことに、7回も課長をすることができました。どの課長時代も思い出でいっぱいです。それぞれ、とてもおもしろくて、勉強になりました。それぞれの分野で、私にしかできない足跡を残す仕事をできたと自負しています。
 皆さんも、それぞれの市や町のそれぞれの分野のたった一人の課長です。皆さんが頑張らなければ、それぞれの市や町のそれぞれの分野の政策の前進や充実はありません。プロフェッショナルとして全力を尽くしてほしいと思います。それほどに、課長の責任は重い、そのことをまず申し上げておきます。
 

香川県内の市町の課長の方々に
講話をさせていただきました

 今日は、「地方の時代のあり方」について話します。その前提として、私が勤務していたときの国がどうであったか、そして今国がどうで、国はこれからどうなるか、私の思っていることを率直に話します。
 一言でいうと、私の中央省庁での仕事は、楽しくて、やりがいがあって、充実したものでした。社会保障の仕事は、前半は社会保障をどう充実するか、後半戦は、社会保障をどう見直すか、一見真逆な仕事ですが、前半も、後半も、楽しくて、やりがいがあって、充実したものでした。
 どうして、国の仕事が、そんなに楽しくて、やりがいがあって、充実したものだったのでしょうか。今日のテーマの「地方の時代のあり方」に深くかかわっています。
 一言で言えば、私が中央省庁に勤務していた時代は、国が中心になって、国全体の政策を立案し、その決まった政策を地方自治体が実行するのが最も相応しい時代だったからです。
 国に財源と人材を集め、専門分野ごとに、言い換えれば、縦割りで、政策を立案し、実行することで、効果的、効率的に政策が立案、実行され、日本全体が発展できました。
 それが可能であり、かつ、適切だったのは、日本全体の人口が増加し、経済が成長していたからです。その時代の社会保障の政策づくりは、国民からも期待され、評価されました。
 私の前半の厚生省の仕事が楽しく、やりがいがあり、充実していたのは、社会保障をどんどん充実していった時期だからだし、人口が減少しはじめ、経済の成長が鈍化した転換期の政策の道筋をつくる後半の仕事も、楽しく、やりがいがあり、充実していました。
 しかし、厚生労働省での仕事を終えるころの、私の結論は簡単なものでした。「国の時代」は終わった、これからは「地方の時代」だ。ふるさとに帰ろう。ふるさとに帰り、「地方の時代のあり方」を考え、実践してみようと。それしか、日本の再生はないと。(続)(平成28年9月16日)

厚生労働省での仕事を終えるころには
「地方の時代のあり方」を考え、
実践してみようと考えていました

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第1768回 「石の島の石」中山さんの「こだわり/ちょっといい話」


 建築家中山英之さんが設計し、草壁港にできた公共アートトイレ「石の島の石」は、小豆島の石を最大限に活かし、小豆島の工務店の皆さんがつくりあげました。先日完成披露会がありましたが、この日、最後の仕上げを地元の皆さんにしてもらおうと、地元の皆さんのワークショップがありました。
  「小叩き」と呼ばれる、壁の中の小豆島の石が見えるように、コンクリート表面をハンマーでたたくと、中の小豆島の石が見えてくる作業と、ツルが伸びて、涼しい風を送り、視線を和らげる「緑のスクリーン」をつくる苗を植える作業のふたつのワークショップでした。住民の皆さんが参加したワークショップを行うことに、中山さんの強い「こだわり」がありました。「このワークショップがなければ、作品は作品にならない」と中山さんは考えました。その「こだわり」は、「建築は何を目指しているのか」という本質的なテーマにもつながっていると思います。
 建物、建築物、建造物といってもさまざまです。個人の家、集合住宅、歴史的建造物、商店、工場、高層建築物、城・・・あげるときりがありません。かかわる人も、発注する人、設計する人、強度を考える人、建設する人、内回り・外回りを整える人、財源を負担する人、利用する人、観賞する人、評論する人・・・こちらもあげるときりがありません。
 中山さんの作品「石の島の石」の性格は、次のように整理することができます。
 建物は、地方自治体が発注した公共事業としてつくられるものです。住民と小豆島を訪れる人たちが利用する公共トイレです。費用負担の財源は、税金で、小豆島町が負担します。公共事業は、事業の立案、実施、経過、見直しについて、町議会、町民のチェックを受けます。そして、今回の公共トイレは、瀬戸内国際芸術祭2016の公式作品として、国際的な評価に耐えるアートの水準であることも求められます。
 公共事業ですから、予算の制約もあれば、事業者の選定にも透明性、手続きの公正さが求められます。住民など利用者の皆さんが利用しやすいトイレ、利用しやすい場所につくられねばなりません。瀬戸芸のアートとしてのクォリティは、それに応えられる建築家として中山さんが、芸術祭の北川フラムさん、椿昇さんの二人のアートディレクターによって選ばれ、二人のディレクターが作品の出来をチェックしてくれます。
 以上の条件をすべてをクリアーするだけでも大変なことですが、中山さんから、いくつもの「こだわり/ちょっといい話」を聞くことができました。「小豆島でしかできないものをつくり、小豆島の工務店の手でつくりあげる」と最初に決めたことだけでも、「大変なこだわり」ですが、以下「こだわり/ちょっといい話」です。
 一つ目は、「緑のスクリーン」のつる草を子どもたちに植えてもらうことだけでも凄いのですが、それだけでなく、多品種のつる草を用意されたことです。つる草の種類は、なんとハゴロモジャスミンとアイビー4種類(スイートハート、ゴールドチャイルド、アイバレース、グレーシャー)。様々な種類の植物を用意した理由は、どのツルが「緑のスクリーン」にぴったりの緑になるのか、育ってみないとわからないこと、いろいろなかたちをした葉っぱのスクリーンにしたかったこと、花を咲かせるつる草も入れたかったことなどからです。例えば、アルメリアはつる草ではないのですが、乾燥や塩分に強く、春には白やピンクの可愛らしい花が咲きます。これからのつる草の成長が楽しみですね。さて、どんな「緑のスクリーン」が出来上がるのでしょう。 植えた苗のそばには、子どもたちに、自分の名前を書いた名札を埋めてもらいました。子どもたちに、苗がちゃんと育つように、ときどきは、手入れにきてほしいという、中山さんとスタッフの思いです。さらに、まだ苗を植えていない部分も残していて、今回の苗が根付いたら、残りの部分に地域のみなさんが自由に花やつる草を植えてもらえたらとのことでした。
 二つ目は、トイレの清掃やつる草の世話をする道具など裏方の道具を表側に出して、素のままにしていることです。訪れた人に、「今日はトイレをきれいにしたい」、晴れた日が続いたので「つる草に水をやりたい」と思って、トイレをきれいにしたり、つる草のお世話をしてほしいからです。
 配管の一部が露出しているのも同じです。トイレの配置、コンクリートの強度維持から、あのような配管に自然になったのだそうですが、排水処理などトイレのメカニズムなどを知ってもらうためです。「裏方さんを大切にしたい」という中山さんとスタッフの細やかな思いが伝わってきます。
 三つ目は、コンクリートに混ぜる石の大きさへのこだわりです。石は、美しさの観点から一定の大きさにする必要がありますが、一方で大きすぎると壁の強度を弱くします。石はすべて小豆島産の石です。公共事業ですから、予算の制約もあります。このトリレンマを、地元の石材店と工務店の全面協力で解決しました。中山さんらスタッフの熱意が石材店と工務店を動かしました。これまで経験したこともない技術的に難しい工法に、ひるむことなく地元の工務店と石材店の匠たちが立ち向かえたのも、中山さんらスタッフの熱意と支えがあったからです。スタッフの若手建築家松本巨志さんは、日焼けし真っ黒になって、小豆島の匠たちと一緒に工事に取り組みました。
 四つ目は、便器などの設備の提供を株式会社LIXILの全面協力を得たことです。LIXILの協力がなければ、トイレは予算不足でとん挫していたはずです。「新しいトイレのあり方、新しいトイレの作り方を実現したい」と中山さんは考えました。それは、地元の人とともに、地元の人の参加を得てトイレを作ることです。「住民参加のトイレづくり」について、LIXILのデザイナーに、中山さんは語りました。その熱意がLIXILの協力につながりました。
 その他にも、いっぱい「こだわり/ちょっといい話」がありますが、今回は、この程度とします。こうして、中山さんとスタッフのいろいろな「こだわり」が、小豆島のいろいろな皆さんだけでなく、島外の皆さんも動かし、アートトイレ「石の島の石」は、誕生しました。私たちは、大勢の人の「愛」によって誕生した「石の島の石」をいつまでも、大切に利用し、育てていきます。(平成28年9月15日)

草壁港にできた公共アートトイレ「石の島の石」

設計を行った建築家中山英之さん

「小叩き」と呼ばれる、コンクリートの表面を
ハンマーでたたき、壁の中の小豆島の石が
見えるように作業をするワークショップ

「緑のスクリーン」をつくるための
つる草の苗を植える作業のワークショップ

中山さんのこだわりのひとつとして
小豆島でしかできないものをつくり、
小豆島の工務店の手でつくりあげました

「緑のスクリーン」のワークショップでは
多品種のつる草が用意されました

トイレの清掃やつる草の世話をする
道具などが面に出ています

トイレ壁面のコンクリートに混ぜる
石の大きさにもこだわりが見られます

便器などの設備の提供を
株式会社LIXILから全面協力いただきました

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第1767回 9月2週の週末<続>


 日曜日、朝まず、小豆島高校としての最後の文化祭に行きました。67回目の文化祭でした。私が小高生だったときは、20数回だったことになりますが、私のころの文化祭とは比べようがないほどに、力の入った、賑わいのある文化祭でした。
 小高生が、文化祭に、全員参加で、心を込めて取り組んできたことが伝わってきました。何とも言えない感動を味わうことができました。
 最後の文化祭であることもあるのだと思いますが、クラスの皆さんが一丸となって、楽しんでいるから、この雰囲気になるのだと思います。この雰囲気が、小高野球部が甲子園出場の夢を叶え、全国に感動を呼んだ背景にあるように思いました。
 この雰囲気の良さを小豆島中央高校に引き継いでほしいと思います。来年の文化祭が今から楽しみです。若者のたちの未来が楽しみです。
 小高の文化祭のあとは、各地の敬老会を、順番に、駆け足で、回らせていただきました。この日は、5か所の敬老会に顔を出したのですが、どの敬老会も、地域の皆さんが丁寧に準備していました。幼稚園児や地域の皆さんが、歌、踊り、楽器演奏などを披露してくれていました。
 敬老会に行くと、いつも母のことを思い出します。一人暮らしをしていたころの母は、敬老会を楽しみにしていました。会の面白さだけでなく、お菓子、お饅頭、果物などのたくさんのおみやげを楽しみにしていました。
 敬老会のあり方について、少し変えたらとの意見もあると思いますが、母の嬉しそうな表情を思い出すと、このままでもいいのではと思います。私自身が、参加者の年齢になっても、きっと、そうだと思います。ほっとできたり、ゆったりできることは、どんな時代でも、そう変わるはずはないからです。
 午後から、草壁港の公共アートトイレ「石の島の石」で、地元のこどもたち、お年寄りなど幅広い人が参加したワークショップがありました。わざわざ東京から設計した中山英之さんをはじめスタッフの皆さんも来島してくれました。
 公共アートトイレ「石の島の石」は、小豆島の石を素材として活かし、小豆島の工務店の皆さんがつくりあげ、先日完成披露会がありましたが、実は、最後の仕上げを地元の皆さんにしても らおうと、「龍の目を入れる」作業を、中山さんは、ワークショップにとってありました。
 ワークショップは、コンクリート表面をハンマーでたたいて、中の小豆島の石が見えるようにする作業(こたたき)と、ツルが伸びて、涼しい風を送り、視線を和らげる「緑のスクリー ン」になるよう、苗を植える作業でした。
 中山さんが、「石の島の石」の完成に当たり、なぜワークショップにこだわったのか、回を改めて、ブログで紹介できればと思います。
 この日は、大相撲秋場所の初日でした。琴勇輝は、新しい化粧回しで、気持ちを新たに土俵入りをし、本割でも、本来の押しで、快勝しました。本場所、久しぶりの勝ちに、ほっとしました。場所前、「初日が大事。絶対勝ちます」と力強く言っていた琴勇輝、今場所はきっと活躍してくれるはずです。(平成28年9月14日)

小豆島高校としての最後の
文化祭が行われました

各地区で特色のある
敬老会が行われました

「石の島の石」のコンクリートの表面を
ハンマーでこたたきし、中の小豆島の石が
見えるようにするワークショップ

涼しい風を送り、トイレの内部を見えにくくする
「緑のスクリー ン」を作成するワークショップ

大相撲秋場所の初日、琴勇輝は快勝しました

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第1766回 9月2週の週末


 9月になり、暑さもだいぶしのぎやすくなってきました。心配された台風は、小豆島にとっては慈雨となりました。ありがたいことです。
 東京出張からの帰りの足で、そのまま「昭和51年台風17号災害40年講演会」の会場に向かいました。小豆島では、40年前、台風17号の豪雨で、死者39人、家屋の全壊215戸の大災害がありました。昭和49年の台風8号による集中豪雨の死者29人に続くものでした。
 小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動により誕生しました。その後1000万年の浸食により出来上がった寒霞渓に代表される風光明媚な大地に、醤油、素麺、農村歌舞伎などの素晴らしい文化、伝統、産業を築いてきました。一方、花崗岩で基盤が成り立ち、花崗岩が風化した「まさ」と呼ばれ土壌は、雨に脆弱で、土砂災害を起こしやすいという弱みがあります。
 昭和51年の災害以降、砂防ダムがつくられ、その後は大きな土砂崩れ災害は起きていませんが、再び、また土砂崩れ災害がいつあってもおかしくない状況にあります。万全の準備、体制づくりが必要です。その意味で、今回の専門家などによる講演会と現地視察は大変意義のあることです。
 今度の講演会は、香川大学などの各方面の災害の専門家の皆さんの全面協力をいただいて実現したものです。とりわけ香川大学工学部教授・日本応用地質学会前会長の長谷川修一さんのご尽力で実現しました。長谷川先生には、ジオパークや東瀬戸内圏の石の文化の世界遺産化構想、世界考古学会議小豆島プレツアーなど、いろいろな面でお世話になっています。
 とにかく参考になる話をいっぱい聞くことができました。その内容は、小豆島だけでなく、私たち人類がこれからどう災害に立ち向かい、地球と共生していくかという根源的なテーマにもかかわっているものでした。少し頭の整理の時間をいただいて、別途このブログで紹介できたらと思います。
 小豆島ふるさと村の、はじめての「ふるさと村まつり」が開かれました。小豆島ふるさと村は、池田町時代につくられました。小豆島ふるさと村は、農業や漁業の振興も目指し、いちごづくり・素麺・海体験もでき、瀬戸内海の素晴らしい景色の眺望と魅力を満喫できる、国民宿舎もある滞在型の観光施設です。
 小豆島ふるさと村は、経営的に健闘しています。しかし、その素晴らしい条件を考えると、もっともっと飛躍できる可能性があります。そこで、小豆島出身で銀行員として産業振興の経験も豊富な藤井孝博さんに小豆島町の地域振興アドバイザーになっていただき、ふるさと村のスタッフと勉強会を続けてもらっています。今回の「ふるさと村まつり」は、その勉強会の若手スタッフから出たアイデアを実践するものです。
 ふるさと村のスタッフだけでなく、地元の皆さんにもバザーを出していただき、小豆島の音楽好きの皆さんの太鼓、尺八、バンド演奏など、多彩な催しでした。この日は、残念ながら、次の予定があり、その音楽を聞くことができませんでした。小豆島ふるさと村の飛躍を、皆さんとともに期待し、私は理事長でもあるので、私も頑張ります。
 この日、最後に行ったのは、「馬木キャンプ」です。この日、「馬木ひしお会」による「ご近所映画クラブ」の新作発表会がありました。「馬木ひしお会」は、馬木地区の壮年、若者の集まりです。馬木を愛して止まないメンバーは、さまざまな地域活動をしています。そのひとつが、地域の皆さんと、地域をテーマにした映画を手造りでつくり、地域の皆さんとともに鑑賞するというものです。
 3年前の瀬戸内国際芸術祭2013で、「喜劇 望郷編『思いやり』」を、たった1日で撮影、制作し、発表しました。その作品は、あの巨匠北野武監督に「馬木キャンプ」に来て、観賞していただきました。次の年も、「せ・な・か」という作品を制作発表しました。
 ところが、「馬木ひしお会」のリーダーであり、映画づくりも脚本・監督もしていた宮谷巧さんが昨年急逝されました。「宮谷さんが心血を注いだ映画づくりはすべきでない、できるはずもない」と、「馬木ひしお会」のメンバーは考えていました。  しかし、御子息である健太郎君から「どうしてもつくりたい」という申し出がありました。そこで、脚本は健太郎君が担当し、監督は全員が分担することで、映画づくりをすることになりました。
 この日、その三作目「『今』その先へ」の発表会が、「馬木キャンプ」で、大勢の地元馬木の皆さんが集まってありました。正直なところ、宮谷巧さんなくして、出来上がりは大丈夫かと思っていました。結果は心配無用。「素直」で、「純」で、素晴らしいものでした。宮谷さんの後任の「馬木ひしお会」会長の照下博之さんもおっしゃっていました。「この映画は、私たちの活動のドキュメンタリーのようなものです」と。
 世界でいろいろな映画づくりが盛んです。「映画こそが総合芸術の結晶だ」といろいろな人から聞かされました。芸術と縁のなかった私も、少し芸術ともかかわりを持つようになり、「そうかもしれない」と思うようになっています。
 「ご近所映画クラブ」は、その域ではないかもしれませんが、「地域づくり」においては、相当な「総合地域づくりの結晶」だと思います。健太郎君、「馬木ひしお会」の皆さん、ありがとう。お父さん、前会長の宮谷巧さんが、天国で、喜んで拍手してくれています。(続く)(平成28年9月13日)

昭和51年台風17号災害40周年
講演会が行われました

昭和51年災害の様子

長谷川修一香川大学工学部教授による
「土砂災害との共生」と題した講演

昭和51年災害を体験された方の
体験談も聞くことができました

若手スタッフのアイデアから第1回目となる
「ふるさと村まつり」が開催されました

小豆島町地域振興アドバイザーの
藤井孝博さん

馬木キャンプでは「ご近所映画クラブ」による
自主映画の上映会が行われました

「素直」で、「純」で、素晴らしい映画が
出来上がっていました

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第1765回 守るな!攻めろ!琴勇輝


 期待された先場所、琴勇輝は、2勝13敗で場所を終えました。ヒザがしっくりいかず、そのうちに、体全体のバランスも崩れ、立ち合いも、これまでの場所のように、相手の動きを見定めて立つのではなく、辛抱できずに立っているように見えました。健闘するものの、最後に力尽きてしまう相撲の連続でした。
 今、琴勇輝は、ヒザの大ケガの時に次いで、試練の最中です。何としても、試練を乗りこえてほしいものです。
 この日、佐渡ヶ嶽部屋を訪ね、場所入り直前の朝稽古を見せてもらい、その後、琴勇輝にとって4つ目となる化粧回しの贈呈式をしました。新しい化粧回しで、心機一転、試練を乗り越えてほしいという琴勇輝後援会(平井卓也衆議院議員会長)の皆さんの心意気です。
 琴勇輝の最初の化粧回しは、瀬戸内海とオリーブの実をデザインした、どちらかと言えば優しいものでした。今度の化粧回しは、高原利雄東京琴勇輝後援会長の肝いりで、勝負師に相応しい、気高く、荘重なデザインです。
 青色を基調に、富士山を飛び越えていく鳳凰が描かれ、勝ち星を意味する15個のスワロフスキー(クリスタル・ガラス)が散りばめられています。青色は、琴勇輝の好きな色で、本人が希望しました。青色基調の化粧回しは、相撲界でもはじめてかもしれません。
 琴勇輝は、今場所、「守るな!攻めろ!」をモットーに闘志を燃やしています。次は、琴勇輝が書いた今場所の決意です。
 「やりたい事や目指したい事があっても、いつの間に優先順位が『失敗をしないように』という意識でくくられているうちは、覚悟も変わらないし、ゴールにもたどりつけない。そもそも目指すのは未体験の世界。感覚の飛躍が絶対に必要!そのためには失敗するのは当然の事。常識的にまともな事を言う人の事ばかり聞いていたら、何も変わらないし、何も変えられない!
 非常識で不可解な事を言う人に近づくほど、根本から変わるような(変えざるを得ないよう)すごい事が起きる。
 ついつい『そんなの無理だよ』と思う時ほど、ストッパーを外して感覚が飛躍するチャンスなのだ!」  私にも、小豆島にも言える言葉です。今場所の琴勇輝の活躍を祈りたいです。(平成28年9月12日)

期待された先場所、琴勇輝は
2勝13敗という結果に終わりました

佐渡ヶ嶽部屋を訪ね、場所入り直前の
朝稽古を見学させていただきました

琴勇輝後援会から青色を基調とした
新しい化粧回しが贈られました

今場所の琴勇輝の活躍を期待しています

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第1764回 野球の思い出


 レクザムスタジアムで開かれた四国アイランドリーグの公式戦香川オリーブガイナーズと徳島インディゴソックスの試合の始球式をさせてもらいました。
 オリーブガイナーズの西田真二監督には、親しくさせてもらい、独特の野球哲学をいつも楽しく聞かせてもらっています。その縁で、始球式をさせてもらいました。西田監督は野球界のスーパースターです。高校野球でも、大学野球でも、プロ野球でも、トップを極め、ここぞというときに必ず結果を出す勝負強い選手でした。
 そして、今は、野球の指導者として、プロを目指す若者たちを指導し、可能性のある若者を何人もメジャーに送り出しています。凄いと思うのは、残念ながら夢を叶えることができなかった多くの若者にも、悔いのない野球人生を終えることに心を配っていることです。
 私は、野球が大好きです。私は運動が苦手で、水泳も、器械体操も、すべて嫌い、体育の時間はいつも逃げ出したいと思っていました。ところが、野球だけは、子どものころから大好きでした。
 小さいとき、裏のお寺の境内で、近所のお兄ちゃんたちと三角ベースの野球で鍛えられたからだと思います。ボールが当たってお寺の窓ガラスを割って、よく怒られました。しかし、野球をするなとは言われませんでした。おおらかな和尚さん、おおらかな地域社会でした。
 6年生のとき、苗羽小学校の二軍チームの選手で試合に出ましたが、肝心なところで凡フライを落としてしまいました。前の日に買ってもらったばかりのグローブが硬かったのです。
 中学生のころ、僕は、クラブ活動もしない「帰宅部員」だったので、一人ぼっちで、ただひたすらに壁にボールをぶつけて楽しんでいました。おかげで、大学、社会人になってから、下手ながら、たまの草野球では、ピッチャー役を楽しむことができました。そして、この年になっても、始球式でも、ただ投げるのではなく、フォームにこだわる自分をおかしく思います。
 ところで、私は、このほど65歳となりました。前期高齢者の仲間入りです。もちろん実感はないのですが、介護保険や年金の通知が届くという事実に驚いてしまいます。
 「老いる」ことはいいことです。年齢を重ねて、経験をつみ、知恵をつみ、賢者となり、やがて、家族などみんなに囲まれて、人生を終え、次の世代につないでいくということだと思います。
 私は、当然ながら、そんな心境ではなく、正直なところ、父と母があって私がある、父と母の子という思いが強く、父と母の思いに答えているのだろうかと、今も子のままの感覚です。
 父と母は、無学の、名もない、真面目な庶民でした。いつも、自分たちのことより、子どものことを考えていました。それに引き換え私はと思います。まったく「老いる」の境地どころではありません。
 私の人生は、双六みたいで、振出しに戻ることを繰り返しています。ぐるぐる回っています。これからもどこに向かうのやらと思います。小豆島のことは、しっかりした、舵取りを心掛けます。
 子どものころの最大の楽しみは、夏休みに、父と母に、甲子園に連れていってもらい、野球の試合を見ることでした。今年の春は、小豆島高校野球部の面々に、甲子園に連れていってもらいました。感激で、胸がいっぱいになりました。野球は面白く、感動を生み、みんな元気にする、僕は、野球が大好きです。(平成28年9月9日)
 
 レクザムスタジアムで開かれた香川オリーブガイナーズと徳島インディゴソックスの試合

フォームにこだわりながら
始球式をさせていただきました

オリーブガイナーズの西田真二監督

子どものころの最大の楽しみは父と母に
甲子園に連れていってもらい、
野球の試合を見ることでした

今年の春は、小豆島高校野球部に、
甲子園に連れていってもらいました

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第1763回 「小豆島の宝物」小豆島中央病院の課題


 今年4月小豆島に新病院が誕生しました。土庄町立土庄中央病院と小豆島町立内海病院を統合してできた小豆島中央病院です。
 小豆島に住む人々の安心・安全のためと、これから小豆島が人口減少を克服し、その素晴らしい自然、文化、伝統、産業を守り、磨いて発展していくためには、質の高い医療が確保されることが不可欠です。
 人口が6万人から3万人を割った小豆島で、ふたつの公立病院を維持することは不可能といってもいいことでした。病院をひとつにして、医療スタッフを集中して、質の高い医療を確保することが、小豆島のこれからのための至上命令でした。
 幸い島民の皆さんの理解を得て、新病院がこの4月スタートしました。何よりも佐藤清人小豆島中央病院・企業長・院長のご尽力で、一番心配された医師がしっかり確保されました。常勤医師25名、非常勤医師を含めると、昼間の診察時間には、30人の医師の皆さんが新病院で活躍されています。
 人口3万人くらいの地域で、医師30人の総合病院があるのは、全国でも希だと思います。それほどに、小豆島は恵まれた医療を実現できる基盤を持つことができました。小豆島中央病院は、小豆島の未来をつくる、私たちの「宝物」です。その「宝物」を、島民みんなで大切にしていきたいものです。
 ところで、「宝物」である小豆島中央病院は、放っておいても経営は大丈夫かと言えば、そんなことは決してありません。新病院は課題満載です。課題は、住民の努力で解決できること、病院スタッフで解決できること、行政の政策で解決すべきことなどいろいろです。先日、「小豆島の地域医療を守り育てる島民運動」の皆さんが小豆島中央病院に集まり、病院見学と、「どうしたら良い病院にみんなの力でできるか」について意見交換をしました。
 いろいろな意見が出されました。佐藤企業長からは「一番大切なのは、患者・スタッフの双方が相手を思いやること、ともに頑張りましょう」、三木座長からは「意見があるということは、利用したいということと同義語です。みんなで病院を大切に守り育てていきましょう」との発言がありました。医療スタッフと島民の皆さんが新病院を盛り立てる努力をしていただいていることに深く感謝します。
 病院の皆さんや島民の皆さんの努力ではどうすることもできないこともあります。今度、香川県では、県内の医療の確保について、3つの圏域を設定しようとしています。このうちのひとつが小豆医療圏域です。小豆島と豊島については、小豆島中央病院で必要な医療を提供するという考え方に立つものです。この県の方針は、とてもありがたいことであると同時に、私たち、小豆2町の行政の責任は重大です。
 小豆島と豊島の二次医療を担う医療機関である以上、小豆島中央病院は、一定以上の病床のある病院である必要があります。現に、病床数は200を超えています。人口規模からすると多いのではないかという意見もあります。一般病床、療養病床などを合わせると必要な病床数だと考えていますが、これから地域包括ケア病床への転換など、小豆医療圏のニーズにあった病床の見直しが必要だと思います。
 ところで、国が決める病院の診療報酬のあり方は、都会であれ、島しょ部であれ、全国一律の考え方で設定されています。島しょ部の小豆島中央病院は、さまざまな機能を、福祉部門と連携して担うことが求められています。地域包括ケア病床の導入は、その一例ですが、現行制度にはいろいろな制約もあります。
 したがって、場合によっては、都市部の病院とは異なる島しょ部の事情に即した診療報酬のあり方も厚生労働省に考えてもらわないと、島しょ部の病院の健全経営が、医療スタッフの努力だけで実現するのが難しいことがあり得ます。そのようなことについては、政策上の特別な配慮を厚生労働省にお願いしたいと考えています。どうしたらそれが実現できるか、知恵の絞りどころです。
 もうひとつは、医療と福祉の連携が大事なことです。医療の必要な人は病院が対応し、福祉の必要な人は福祉が対応する必要があります。医療が必要でない人に病院で対応すると、医療が必要な人が医療を受けられなくなるし、病院の経営上も良いことではありません。質の高い医療を持続して確保するためには、病院経営が健全であることが大前提です。これまでの二つの町立病院は、大きな赤字構造にありました。新病院も同じ赤字構造が続けば、新病院もいつか閉鎖に追い込まれてしまいます。あってはならないことです。
 良いお医者さんがしっかりした医療を行ってくれ、島民の皆さんが健康づくりにつとめ、必要なとき、高松ではなく、小豆島の医療機関を利用し、行政がもうひと踏ん張りし、福祉の受け皿をつくり、高齢者が地域で暮らせる住まいなどの基盤があれば、新病院が健全経営にならないはずがありません。医療スタッフの皆さんも、島民の皆さんも、行政も、力をあわせ、全力を尽くせば、健全な病院は必ず実現します。その取組みが、小豆島の未来をつくる営みそのものになるはずです。(平成28年9月8日)

土庄中央病院と内海病院を
統合してできた小豆島中央病院

小豆島病院は今年の4月にスタートしました

昼間の診察時間には、30人の医師の
皆さんが小豆島中央病院で活躍されています

小豆島中央病院はさまざまな課題が満載です

「小豆島の地域医療を守り育てる島民運動」の
皆さんによる病院見学

見学後には、「どうしたら良い病院にみんなの
力でできるか」について意見交換を行いました

各グループで出た意見を全体で発表しました

病院経営が健全であるために
医療と福祉の連携が大事になります

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第1762回 「石の島の石」完成


 「石の島の石」は公共トイレです。瀬戸内国際芸術祭2016の公式作品です。夏会期の最終日の9月4日に完成披露会がありました。
 設計したのは建築家の中山英之さんです。後でも書きますが、いろいろな点で小豆島の未来を拓くはずのこのトイレ、地元の皆さんや小豆島を訪れる皆さんにとって待望のトイレです。
 トイレは、私たちにとって必要不可欠な施設です。トイレはどの家庭にもあります。かつては、汲み取り式で、私たちのし尿は、自然循環の一環で、農業と漁業を支えてきました。
 下水道や浄化槽の普及で衛生的な処理が進んだことは、とてもよかったのですが、海の貧栄養化という新しい課題が生まれているように思います。それはそれとして、小豆島の課題のひとつは島内の公共トイレの少なさです。
 車だけでなく、自転車や歩いて小豆島を楽しむ方が増えています。島民の皆さんにもウォ―キングやジョギングを楽しむ方が増えています。公共トイレは、ライフスタイルの変化に伴い、大切な社会資本になっているにもかかわらず、なかなか政策テーマになりにくいものでした。
 それを変えるきっかけになったのが瀬戸芸2013でした。馬木・醤(ひしお)の郷に建築家島田陽さん設計の「おおきな曲面のある小屋」というアート作品の公共トイレが、芸術祭の参加作品になり、多くの皆さんから評価されました。
 瀬戸芸2013の「醤の郷+坂手港プロジェクト」ディレクターの椿昇京都造形芸術大学教授の提案でした。公共トイレをつくるだけでなく、新進気鋭の建築家に、アートでもあるトイレを設計してもらうことにより、利用者の利便だけでなく、小豆島の魅力を新たに創りだしていけるはずとのお考えでした。
 草壁港は、小豆島の高松への玄関港のひとつです。フェリー会社の建物のなかにトイレはありますが、外にはトイレがありません。フェリーの時間外はトイレが利用できず、多くの人が困っていました。公共トイレをつくるべきではないかと町議会で質問されたのですが、私は、なかなか決断できずにいました。
 そのとき2016年の瀬戸芸をどうするかの議論が始まっていました。そこで、再び椿さんのお知恵を拝借しました。草壁港でのアートの展開をどうするかでした。地元の皆さんとも相談し、草壁港の港湾設備としての公共トイレを整備し、あわせてアート作品として、2016年の芸術祭に間に合うように整備することが決まりました。
 建築家として推薦されたのが、中山さんでした。中山さんは、つくるなら、小豆島でしかつくれないもの、つくるのも小豆島の工務店の人と決めました。中山さんは、小豆島の名産の石を活かすことを決めました。
 小豆島には、江戸時代のはじめに大坂城の石垣の巨石を切り出し、海を渡って運んだ、優れた石と技術の蓄積があります。しかし、石づくりのトイレを小豆島町のような小さな自治体の財力と小さな工務店の職人たちがつくることは、途方もない、できっこない無謀なことと私には思えました。
 大丈夫だろうかと思いました。ところが、地元の石材店などの皆さんが知恵を出して協力してくれました。工務店の皆さんは、曲線カーブの屋根、コンクリートと石の混合によりできた壁など、経験したことのない難しい工法を、歯をくいしばって、やりとげてくれました。便器などは、ありがたいことに中山さんの期待に応えて株式会社LIXILなどが提供してくれました。
 中山さんの「石の島の石」がいろいろなことを教えてくれます。まずは、地域の人たちの思いと絆の大切さです。地元の皆さんの理解と熱心な取組みがあって、はじめてトイレは実現しました。ふたつめは、公共的な役割の施設が、アートとのコラボで、町と地域の魅力を高めることができることです。みっつめは、困難と思われることも、いろいろな人が知恵を出し合い、助け合うことで、乗り越えることができることです。よっつめは、小豆島の石を活かした中山さんの作品が、小豆島の「石」をはじめとする可能性の扉を開くかもしれないことです。椿さんも、石か、コンクリートかの、二者択一で、一方的にコンクリートを否定するのではなく、コンクリートがつくった私たちの文明の価値も認めつつ、石とコンクリートの融合を図った中山さんの作品の斬新さと可能性を評価されていました。
 今日は、台風の接近も考慮して来週に延期になりましたが、コンクリート表面を叩くことで、中に混ぜられた小豆島の花こう岩を掘り出すワークショップと、地面から軒先に向けたワイヤーに、広場の隅に植えた苗が上に向かって伸びていくことで、風を通す「緑のスクリーン」をつくるワークショップが、地元のこどもたちが参加して行われる予定です。
 アート公共トイレ「石の島の石」は、地元の人たちにも、小豆島を訪れる多くの皆さんに愛されるトイレになり、小豆島の新しい魅力と可能性を拓くトイレになるはずです。ご協力、ご尽力いただいたすべての皆さんに感謝します。(平成28年9月7日)

「石の島の石」という公共トイレが
草壁港に完成しました

設計を行った建築家の中山英之さん

馬木・醤の郷にある建築家島田陽さん設計の
「おおきな曲面のある小屋」というアートトイレ

椿昇京都造形芸術大学教授

ありがたいことに、内部の設備は
株式会社LIXILなどが提供してくれました

「石の島の石」完成披露会のようす

「石の島の石」製作関係者による
テープカット

9月11日(日)14時から16時まで
建物の広場側、地面から軒先へ張られた
ワイヤーの足下に、つる草や花の苗を
植えるワークショップを行います

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第1761回 世界考古学会議小豆島プレシンポジウムあいさつ


 世界の研究者のみなさん、ようこそ日本へ、ようこそ小豆島へ。
 小豆島の島民を代表して、みなさんを心から歓迎します。
 そして、東アジアでは初めての開催となる、第8回世界考古学会議京都大会のオープニングを飾るプレシンポジウムを、ここ小豆島で開催すことができて、とても光栄です。
 本大会の実行委員会の皆さんをはじめ、世界各国からお越しいただいた研究者の皆さん、世界考古学会議に関わっている全ての皆さんに感謝します。
 2日間にわたる小豆島のプレツアーは如何でしたか。研究者の皆さんの目には、小豆島がどのように映ったでしょうか。
 小豆島のことを話します。
 昨日、寒霞渓で神戸大学の巽先生、香川大学の長谷川先生が話されたように、小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動によって誕生しました。ところで、もともと日本列島は、ユーラシア大陸の一部でした。1500万年ほど前に、日本海ができ、日本列島がユーラシア大陸から分離しました。そして1400万年前に小豆島が誕生しました。
 瀬戸内海は、世界中で最も美しい多島美の海です。瀬戸内海は、日本で最初に国立公園に指定されています。その美しい自然景観の島の上に、私たちの先達たちは、小豆島の素晴らしい文化と伝統、産業を築いてきました。
 私たちの先達たちは、「海人」です。海が交通の要衝であったころに、大阪、京都などの日本の中心に近いという地の利を活かして、文化と伝統、産業を築いてきました。「海人」は、高い技術と進取の気概を持っていました。小豆島の先達たちは、今から400年も前に、山から数十トンもの大きな石を正確に四方形にして切り出し、海の上を遠く大阪まで運び、大坂城の石垣としました。今の科学技術をもってしても、なぜそんなことがその時代に可能であったのか解明できていません。それほどに、小豆島の先達たちは、高い石工の技術と操船の技術、そして進取の気概を持っていました。
 小豆島の先達たちは、同じころ、醤油づくりと素麺づくりを始めています。瀬戸内海の穏やかな気候と風土、古くから営んできた塩づくり、原料と製品を大量に運べる海運、そして新しいことにチャレンジする進取の気概、島の先達たちは、島にあるモノと強みを考えながら、自分たちの力で素晴らしい産業と文化を育みました。
 そして、上方歌舞伎に習い、自分たちだけで農村歌舞伎を始めました。今も島内の2か所で農村歌舞伎は続けられています。最盛期は島の中に31か所の歌舞伎舞台がありました。
 その小豆島がこの100年ほどの間の日本全体の高度経済成長の下で苦しんでいます。地方よりも都会、都市が優れているという時代が続いたからです。地方は、ある意味では、切り捨てられてしまい、その価値を忘れられました。小豆島を含む多くの地方が、人口減少に苦しみ、存亡の危機を迎えています。
 そこに転機が訪れようとしています。2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭がそのきっかけです。世界中のアーティストが、小豆島をはじめ瀬戸内海の島々に訪れ、アートや文化を通して、瀬戸内海の島々の魅力と可能性を気づかせてくれました。大勢の皆さんが島々を訪れてくれています。小豆島では、若い移住者が増えています。小豆島は、再び、元気になろうとしています。今、人口減少時代の「あたらしい社会のあり方」を小豆島から提案したいと考えています。アート・文化を通した、人口減少時代の福祉、医療、教育、子育ち、産業、観光、暮らしなどのあり方を小豆島から提案したいと思います。それを「小豆島モデル」と、私は呼びたいと思います。
 「小豆島モデル」のひとつに、新しい国際交流のあり方があります。そのあり方とは、国と国ではなく、地域と地域が直接つながる、人と人が直接つながるという、国際交流のあり方です。その意味で世界考古学会議は、新しい国際交流の舞台になると私は考えています。
 20万年前にアフリカで最初の人間が誕生しました。そして3万年前に、人間は日本列島にたどり着きました。北の海から、南の海から、朝鮮半島から、途方もない時間をかけて、人間は日本列島にたどりついたのです。
 私たちは、交流することで、異なる文化と伝統、産業の違いを知り、それぞれの文化と伝統、産業の魅力と可能性を知ることができます。そのことが、それぞれの文化と伝統、産業を守り、磨いていくことにつながるのだと思います。
 日本には温故知新という諺があります。その意味は、昔のコトをたずね求めて、そこから新しい知識や見解を導くことです。私たちは、もう一度、小豆島の素晴らしい自然、文化、伝統、産業、人びとの絆などの歴史を振り返り、その意味を考え、その魅力を自分たちの手で磨いて、次の世代につなげていかなければなりません。
 世界考古学会議は、そして今日のシンポジウムは、その大きなきっかけになり、瀬戸内海と小豆島、日本、世界の未来に貢献すると考えています。
 これからはじまる約3時間のシンポジウム、とても楽しみにしています。
 本日は、ありがとうございます。


小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の
火山活動によって誕生しました

瀬戸内海は、世界中で最も美しい
多島美の海です

小豆島の先達は、高い石工の技術と操船の
技術、そして進取の気概を持っていました

小豆島の石が使われている大坂城の石垣

先達たちは島にあるモノと強みを考えながら、
自分たちの力で産業と文化を育みました

農村歌舞伎の最盛期は島の中に
31か所の歌舞伎舞台がありました

瀬戸内国際芸術祭はアートや文化を通して、
瀬戸内海の島々の魅力と可能性を
気づかせてくれました

大勢の皆さんが小豆島を訪れ、
若い移住者が増えています

国と国ではなく、地域と地域が直接つながる、
人と人が直接つながる国際交流

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第1760回 <続々>世界考古学会議小豆島プレツアー


 世界考古学会議京都大会の小豆島プレシンポジウムがいよいよ始まりました。最初に、ロンドン大学のティムウイリアムズ博士の「地域社会と文化遺産マネジメント」と題した基調講演がありました。
 それに先立って、私から歓迎のスピーチをしました。折角の機会なので、小豆島の成り立ちと取組みについて、包括的に紹介させていただきました。すべてを英語でスピーチしようと、最初は意気込んだのですが、最後は分相応にと、冒頭のみ英語としました。担当者が力をこめてまとめてくれたテキストは別途このブログで紹介することとします。
 わざわざ、超多忙のなか、瀬戸内国際芸術祭総合ディレクターの北川フラムさんがかけつけて、アートと文化、地域づくり、瀬戸内海の島々の可能性について、コメントをいただきました。ティム先生には、基調講演で次のようなことを話していただきました。
 文化遺産は、かつては、建物などの有形のものが中心だったが、近年は、無形のものが重要になっている。場所の雰囲気、言語、食、人間とのかかわりなど、人間の側面である無形のものが文化遺産として重要である。
 文化遺産をどう管理していくか。人々がどんな風に価値を描くか、我々がどんな風に考えるか、地元の人々が文化遺産の保護、管理の決定、管理にどう参加していくかが重要である。文化ツーリズムはコミュ二ティが能力をつけ、地域の発展につなげることが重要である。文化ツーリズムは、地域の人材育成、雇用や教育につながっていく。
 小豆島の豊かで素晴らしい棚田、お寺、食、おもてなしなどの文化資源について、観光客に長期滞在してもらい、多方面から、考えてもらい、体験してもらうには、綿密な戦略が必要である。
 次に、校区に国史跡の天狗岩の岩ケ谷石切丁場のある安田小学校6年生が、「石三昧 小豆島の石の文化」と題して、石の文化について研究発表してくれました。石とコンクリ‐トを比較して、石が優れていることを上手に説明したのが印象に残りました。
 続いてのシンポジウムでは、四つのグループを代表して、アメリカ、オーストラリア、フランスなどいろいろな国の考古学者がさまざまな意見を発表してくれました。次のような意見でした。
 小豆島には多様性と季節性がある。自然と伝統と人の結びつきがある。海と山の自然、風景、文化、伝統、産業がうまくつながっている。ビーチがよい。安全なコミュ二ティがある。ハイキングによい。伝統的な建物と醤油蔵がつながり、地場産業を守る人々に情熱と誇りが感じられる。伝統産業に技術の蓄積がある。職人、匠がいる。小豆島には、spiritualなもの、霊的なもの、精神的なものが感じられる。伝統的な漁法が残されている。小豆島は、伝統の産業、文化、精神性、伝統食、風景をつなぐ文化ツーリズムに相応しい。商業的な開発やツーリズムで失ってはいけないものがある。文化資源を守っていくには、コミュ二ティとのつながりが大事である。経済性とのバランスもとる必要がある。素晴らしい文化資源をどう守り、どう発信するか、地元の人々が文化資源の価値をどう考えるにかかっている。小豆島は大きからず、小さからず、ちょうどいいサイズ。お遍路、巡礼によい。人々が謙虚でよい。知識を持つことが大事。文化遺産を継続的に未来に渡していくには、一人一人の力、親が子に伝えていくことも大事。伝統を残すことに若い人がかかわっていくことが必要。小豆島としてターゲットを絞り、プロモーションをかけることが必要だ。小豆島の声をはっきりさせていくことが必要だ。
 意見のすべてが、私たちにとっては、貴重なものでした。海外の考古学者の皆さんにも絶賛していただいた小豆島の素晴らしい文化資源、文化遺産を、私たちは、どうしたら守り、磨き、発信していけるでしょうか。知恵を絞り、ひとつひとつ実行していきたいと思います。
 世界考古学会議小豆島プレツアーは、想像以上の成果を私たちに残してくれました。参加された考古学者の皆さんに感謝するとともに、本当に頑張っていただいたスタッフの皆さん、ご協力、ご尽力いただいた小豆島のすべての皆さんに感謝します。(平成28年9月5日)

世界考古学会議京都大会の
小豆島プレシンポジウムの前に
歓迎のスピーチをさせていただきました

多忙のなか、瀬戸内国際芸術祭総合
ディレクターの北川フラムさんから
コメントをいただきました

ティムウイリアムズ博士の「地域社会と
文化遺産マネジメント」と題した基調講演

安田小学校の6年生による「石三昧 
小豆島の石の文化」と題した研究発表

四つの各グループの代表の方々などで
フリーディスカッションを行いました

パネリスト以外にも参加者から
様々な意見が発表されました

参加された考古学者の皆さんをはじめ、
スタッフの皆さん、ご協力、ご尽力いただいた
小豆島のすべての皆さんに感謝します

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第1759回 <続>世界考古学会議小豆島プレツアー


 世界考古学会議プレツアーの一行が船から降りてきました。最初に降り立ったのは、シンポジウムで基調講演をしていただく一行のリーダー格のロンドン大学のティムウィリアムズ博士でした。
 私は、緊張して迎えたのですが、ティム先生は、とても気さくな学者先生でした。あっと言う間に打ち解けました。ティム先生だけでなく、どの先生も気さくで、政治学や経済学の先生ならこうはいかなかったでしょう。さすが現場第一の考古学者だと思いました。
 最初に向かったのは、オリーブ公園のサンオリーブの和室。食生活改善推進協議会の皆さんが腕をふるって、素麺、おにぎり、サラダなどを準備してくれました。ベジタリアンなどにも配慮されていました。みなさん初めての素麺を美味しそうにほおばっていました。
 次に向かったのは寒霞渓山頂。世界トップのマグマ学者の巽好幸神戸大学教授が、小豆島が1400万年の瀬戸内海の火山活動で誕生したことなど、流暢な英語で説明していただきました。巽先生は、京都大学在学中に小豆島中をくまなく散策し、後年、三都半島神浦で、地球のマグマが直接地上に噴出してできたマントル直結安山岩を発見しました。その巽先生がわざわざプレツアーのために小豆島に来ていただきました。光栄なことです。
 次に一行は、四つのグループに分かれて小豆島を視察しました。ひとつめは、棚田、素麺づくり、農村歌舞伎を視察するグループ、ふたつめは、醤油づくりの蔵、醤(ひしお)の郷の街並みを視察するグループ、みっつめは、石切丁場跡などを視察するグループ、よっつめは、マントル直結安山岩の岩肌視察と地引網体験のグループです。
 私は、棚田と素麺づくりのグループに同行しました。そこでは、素麺の箸分け体験をし、ジオパークなどで指導していただいている長谷川修一香川大学教授に棚田の誕生の経緯などを話していただきました。小豆島では、もう1か月以上も雨が降っていませんが、棚田では湧水がなみなみと流れていました。その湧水と豊富な石を活かしてつくられた棚田での稲作が今も、ここ中山では今も脈々と続けれています。そして、豊作に感謝する奉納農村歌舞伎を300年ほど前に始め、今も毎年秋に演じています。
 夜は、旧福田小学校、今はアジアのアーティストが集まる「福武ハウス」として利用されている体育館に集まって、地元福田の皆さんが用意してくれたバーベキューなどに舌鼓みを打っていただき、その後は、自治会長の民家などに分宿していただきました。次の日は、いよいよティム先生の基調講演と視察を踏まえての世界の考古学者によるシンポジウムです。(続く)(平成28年9月2日)

シンポジウムで基調講演を行っていただく
ロンドン大学のティムウィリアムズ先生は
とても気さくな方でした

昼食は食生活改善推進協議会の皆さんによる
素麺などがふるまわれました

マグマ学者の巽好幸神戸大学教授に
流暢な英語で寒霞渓などの成り立ちを
説明していただきました

棚田、素麺づくり、農村歌舞伎を
視察するグループ

醤油づくりの蔵、醤(ひしお)の郷の街並みを
視察するグループ

石切丁場跡などを視察するグループ


マントル直結安山岩の岩肌視察と
地引網を体験するグループ

夕食は地元福田の皆さんが用意してくれた
バーベキューなどに舌鼓を打ちました

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第1758回 世界考古学会議小豆島プレツアー


 世界中の考古学者が一同に会する世界考古学会議が京都で開催されることになりました。会議は8回目で、日本で初めて、東アジアでも初めての開催です。
 会議開催を中心になって進められたのは、同志社大学文化遺産情報科学研究センター長津村宏臣准教授でした。津村先生には、小豆島町の東瀬戸内圏の石の文化の世界遺産化の取組みを指導していただいています。
 その津村先生から、世界考古学会議のプレツアーを小豆島で開催してほしいと提案されました。世界何十か国もの考古学者が小豆島を訪ねて来られるというものでした。
 津村先生は、日本の自然と文化、文化遺産を守る取組み、フィールドとして、世界の考古学者に知ってもらうには、小豆島が一番と言われるのです。光栄なことですが、小豆島町には、対応できる専門スタッフは一人きりだし、語学に堪能なスタッフもほとんどいません。国際会議の経験もありません。とても重責を担えないと思いましたが、「小豆島の未来を開くにはやるしかない、どうか」と担当の職員に聞くと、「町長がやると言うならやります」と頼もしい答えが返ってきました。そこで、腹を括って引き受けることにしました。
 外国の方々を接遇できるスタッフ、宿泊先、宗教に配慮した食事の確保など、すべて大変なのは言うまでもありませんが、何よりも、小豆島には、どこにも負けない自然、文化、伝統、地場産業、人々の心優しさなど、世界に誇れるものがいっぱいあります。きちんと準備し、自信を持ってプレゼンテーションを行えば、いいのだと思っていました。
 これほど、小豆島の魅力と可能性を世界にアピールできる機会はありません。このプレツアーをやり遂げることで、私たち小豆島は、かけがえのない経験をでき、未来に向けての確かなものをつかめるだろうと思いました。スタッフや協力をいただいた小豆島の人々、島外のさまざまな方々のご尽力で準備は万端、心配は天候のみで、いよいよ当日を迎えました。
 当日は快晴。小豆島にやってくるのは、世界21か国から約70人の考古学者です。神戸港からジャンボフェリー株式会社のご配慮でチャーターした高速艇「かぜ号」が、いよいよ内海湾に入り、草壁港に着岸しました。(続く)(平成28年9月1日)

同志社大学文化遺産情報科学
研究センター長 津村宏臣准教授

津村先生には、世界の考古学者に知ってもらう
には小豆島が一番と言っていただきました

小豆島には、どこにも負けない自然、文化、
伝統など世界に誇れるものがたくさんあります

チャーター船で入港される
世界の考古学者の皆さん

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