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現在の場所: トップページ → 町長の「八日目の蝉」記 |
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映画「八日目の蝉」の撮影風景 |
(C)2011映画「八日目の蝉」製作委員会 2011年4月29日全国ロードショー |
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放送大学副学長の来生新先生が、京都に来られたついでに小豆島に立ち寄られました。来生先生とは、私が厚生省に勤めているころから、もう30年になりますが、親しくさせていただいています。 先生は、主に経済法がご専門で、独禁法をはじめ経済活動、消費者保護などのあり方を研究されています。市場を通した公正な競争が大切と考えるだけでなく、行き過ぎた競争を是正する公的な役割、公的セクターの役割もきちんと評価する、まさに今の日本に必要な視点に立った研究をされてきています。 今回、小豆島に立ち寄っていただいたのは、これからの海洋政策をどう進めていくかいうことに関連して、小豆島に関心を寄せていただいたからです。 先生は、今、国土交通省の総合政策局のこれからの海洋政策の基本的な方向を考える研究会で座長をされているとお聞きしました。また財団法人海洋政策研究財団のお手伝いもされています。先生の紹介で昨年、前記財団の研究広報誌に拙稿を掲載していただきました。 海洋国家日本の将来を考えたとき、これまで国は海を重視した政策を講じてこなかったと言わざるを得ません。高速道路や橋に、あれほどの投資をしておきながら、例えば海の航路の整備については、ほとんど投資をしてこなかったと言えます。 香川県についても、例えば、瀬戸大橋の運営に毎年25億円の出資をしていますが、島々の航路にいったいどれほどの出資をしているのでしょうか。 瀬戸内国際芸術祭でわかったことは、瀬戸内の海の島々にはかけがえのない価値があるということでした。困難をかかえる日本の処方箋のひとつは、かつては日本の交通の大動脈であり、深い文化や伝統を積上げてきた島々の再生からも見えてくるはずです。 四方を海に囲まれた日本は、本質的に海洋国家です。海洋国家が海洋国家たるためには、広い裾野が必要です。瀬戸内海の内航海運は有力な裾野です。 島々にとって、海運、フェリーは道路です。海の道路なくして、島々の発展も、海運国家の発展もありえません。この国は、これから海の道路についても、陸の道路と均しい政策を講じることが求められています。 先生にいろいろな思いをぶつけました。昨年神戸とのジャンボフェリー航路の就航が実現しました。今日は、芸術祭の北川フラム先生、福武財団のスタッフの皆さんに、来年の芸術祭に向けて、小豆島を見て回っていただきました。友来たる。神様がいつも応援してくれているようです。今日は亡き母の3回忌でした。(平成24年2月19日) |
瀬戸内海の多島美
国民宿舎から望む瀬戸内海 |
広島県三原市 竜王山から見た瀬戸内海 |
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夜明けの瀬戸内海 |
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夕暮れに染まる瀬戸内海 |
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1637年島原の乱がおきました。圧政に苦しむ農民が領主に対抗し決起しましたが、幕府軍は武力で農民を徹底的に壊滅させました。 島原半島に農民がいなくなりました。農民の多くは、キリシタンでした。幕府は、この地の農業を立て直すために、天領の農民らに移住のお触れを出しました。 各地から農民が集められました。天領の小豆島からも大勢のニ男、三男が島原半島に移住しました。 小豆島の田ノ浦地区からの移住者は、お伊勢まいりの船中から見えるようにと、小高い丘に一本の松を植えてふるさとを離れました。 この松が30年ほど前に松くい虫に食われて枯れてしまいました。数年前この地を訪ねた移住者の末裔の茂(しげ)和夫さんらは、もう一度松を植えようと思いました。そして、茂さんらの思いが今日実現しました。 岬の分教場・二十四の瞳映画村にニ代目の松が植えられました。式典は、南串山町松の植樹推進委員会会長松本安男さんほか委員会の皆さん、雲仙市副市長町田義博さん、地元田ノ浦の皆さんらが参加して行われました。 5人の南串山町の小学生の元気のいいメッセージ、地元苗羽(のうま)小学校音楽部のオリーブの歌、二十四の瞳などの演奏と歌が涙を誘いました。 小豆島からの移住者はなかば強制であったと考えられています。しかし、一昨年亡くなられた長崎県諫早市出身の脚本家市川森一さんは、そうではなかったのではないかと考えています。 小豆島は、高山右近が一時隠れ住んだように、キリスト教の布教が広がり、禁制後も隠れキリシタンが多く存在した地です。小豆島の人々は禁制後も隠れキリシタンを温かく包み込んだと言われています。市川さんは、小豆島と島原半島の史実を丹念に検証して、小豆島からの移住者は、キリスト教の聖地、島原半島を復活・再生するため意を決して、移住したのではないかと推論しています。 先日のブログでも紹介しましたが、小豆島出身の日清食品中川社長は、小豆島の発展のため「物語」が必要だと提言されました。キリスト教をめぐる小豆島と島原半島の絆こそ、「物語」です。市川さんが存命ならこの「物語」を完成させてくれただろうと、残念に思います。 南串山町を訪ねて驚きました。そこに故郷田ノ浦の風景がそのまま広がっていたからです。遠くにあればあるほど、故郷は忘じ難いものなのです。 370年続いた小豆島と島原半島の絆を、二代目の松の植樹を機会に、また百年、二百年と絆を続けていこうと思います。小豆島と島原半島の壮大な浪漫の「物語」を続けて、完成しようと思います。(平成24年2月18日) |
二十四の瞳映画村での式典の様子 |
松の木の記念植樹の様子 |
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記念碑の除幕の様子 |
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メッセージを読み上げる 南串山町の小学生の皆さん |
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苗羽小学校音楽部の演奏の様子 |
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植樹された松の木を見て さらなる交流を誓う皆さん |
30年前に枯れてしまった旧松の木跡 |
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小豆島では人口減少が続いています。こんなに自然、人情、文化、伝統どれをとっても、日本でも世界でも有数のものがあるにもかかわらず。 私自身も島を離れ、都会に出たので、偉そうなことは言えませんが。これからも、都会を目指す若者が大勢いるのは当然ですが、一度は都会を経験してUターンしたり、ふるさとを守り、ふるさとで暮らそうという島の若者がもっといてほしいと思います。 嬉しいことに、このごろ、都会的価値でない、地方の落ち着いた生活や文化、人間性を実感できる、スローで自然豊かな地方の生活の価値を選択する若者が増えているように思います。 小豆島に戻っての楽しみのひとつは、小豆島の外から島に移ってきて、小豆島の持つ本来的な価値を見つけ、磨き、発信してくれている若者たちに会って話すことです。 先日も、ある青年がやってきて、小豆島の自然の素材などを活かした、小豆島の魅力を全国と世界に発信する、新しい地域おこしをやってみたいと言ってきました。 彼は、グローバルな金融の会社を疑問を感じて辞め、地域の持つ価値を活かし、磨き、束ね、高めることで、地域の人々の暮らしを支える、新しいビジネスを構想しています。 名字が一緒で、どこかでお会いしたことがあるように感じたので、もしかして、何々さんのお子さんですかと聞いたら、そうですと言われ、人と人は、思わぬ糸でつながっていると改めて思いました。 小豆島の東海岸に「さきやま」という地区があります。ほとんど人が住んでおらず、地元の人も釣り好きな人以外はいかないところです。手つかずの自然が残り、小鳥のさえずりが絶えません。坂下前町長から聞いた話ですが、ここを訪ねたあるヨーロッパ人が、ここは世界一のバード・アイランドだと言ったそうです。 とにかく遠いので、その直前の「徳本」という地区までは、こどものころ自転車でいったことがあるのですが、先日はじめて訪ねました。 島外から来られた方が、小豆島の海水を使って古来伝統の方式で塩を作っていると聞いて、見にいくことにしたのです。 海水を、2週間、網を通しながら干して水分を蒸発させ、濃くした上で、手作りの釜で、また2週間煮詰めて、塩を作っています。釜の火は24時間、365日炊きっぱなしです。燃料はまき・廃材です。 できあがるのは、瀬戸内の天然の塩です。地産地消、まずは小豆島の人に食べてほしいと言われました。 工房の名前は「塩屋波花堂」。岐阜県からやってきた蒲敏樹さんと京都からやってきた奥さんと二人でやっています。 となりでは、「小豆島自然工房」の天達慶隆さんがオリーブの木で、スプーンを作っていました。広島県の、小豆島よりずっと小さな島の出身で、炭焼きから、伐採、小屋作り、自然遊びまで、なんでもできるそうです。 このブログで何度か紹介している旧診療所の雰囲気を活かした苗羽(のうま)の小さなレストラン「EAT」、内海(うちのみ)湾を望む小高い丘にある本格イタリアン・レストラン「フリュウ」などなど、みんな島外の若者たちが、小豆島の魅力を発見し、新しい魅力を作ってくれています。 こうした小豆島の新しい力が、もっともっと小豆島を元気にしてくれるよう、こちらも負けないよう、どうしたらいいか、いつも考えをめぐらしています。(平成24年2月17日) |
蒲敏樹さんの作った塩 |
365日炊きっぱなしの釜 |
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天達慶隆さんの作ったスプーン |
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スプーンに使ったオリーブの木 |
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苗羽地区にあるレストラン「EAT」 |
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草壁地区にある イタリアン・レストラン「フリュウ」 |
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日清食品株式会社中川晋代表取締役社長が小豆島に帰島されました。中川さんは小豆島の出身です。 小豆島の木庄(きのしょう)というところで生まれ、幼稚園、小、中、高とすべて家の近くの学校を卒業しました。東京の大学を出て、日清食品に入社、社長というトップになりました。 私よりも5年先輩ですが、町長になってから東京で何度もお会いし、仕事のこと、小豆島への思い、期待など、いろいろ話を伺ってきました。 いつか小豆島で講演の機会をと考えていましたが、香川県が進める稀少糖の研究セミナーで、特別講演を高松でされる機会に、小豆島まで足を伸ばしていただき今日実現しました。 日清食品は日本を代表する食品企業であるだけでなく、世界各国にインスタントラーメンを輸出する世界でも有数の食品企業です。 日清食品は、安藤百福さんが50年ほど前にチキンラーメンを発明され、そこから発展した典型的な同族企業です。中川さんは、安藤さんの絶対的信頼を得て、はじめて同族以外から社長に登用されました。 これほどの企業トップに、小豆島出身の、失礼ですが、名もなく一見地味な方が就任され、世界中で厳しい過酷な競争を日々行っている世界企業をリードしておられることに驚きを覚えるとともに、このような闘志を胸に潜め、質実剛健な人を生んだ小豆島の風土と教育を誇りに思います。 どんな形で中川さんのお話を伺うことにしたらと迷ったのですが、一方的に講演をしてもらうより、私がインタビュワーの役をして、中川さんの魅力を引き出した方が、中川さんにも来ている地元の人にもいいのではと思って、対話方式にしました。 当日は、会場になったサン・オリーブ・ホールに、まもなく96歳になるお父さま、地元の皆さん、同級生、企業の方々など、300人を超える方々が会場いっぱいに来られました。 日清食品での苦労話や小豆島の食品産業への期待、小豆島の夢などを大いに語っていただきました。いつか中川さんが話されたことを反芻した上でこのブログで紹介したいと思いますが、子どものころの松茸採りの経験から、成功するには、掘って掘って掘りぬくことが必要だとおっしゃったのが印象的でした。松茸は、1個見つかると、近くを掘れば、次から次から松茸が見つかるのだそうです。 仕事や人生の課題を克服するには、松茸採りと同じように、考えに考え考え抜くことが必要で、それで問題解決の糸口が必ず見えてくる。9年近く、5人の総理大臣を官邸で支えた元内閣官房副長官の厚生省の先輩の古川貞ニ郎さんから教えられたことです。古川さんもまた、中川さんと同じように、佐賀出身の名もなく一見地味な方で、東大ではなく、九州大学を卒業して長崎県庁に入って仕事をしていたのですが、自治省から出向していた上司から国家公務員になることを奨められ、そこではじめて東京に行った中途入省者でした。 中川さんの光景が浮かぶような楽しい話、集まった人には喜んでいただいたことと思います。後の懇親会でも、同級生や地元の人などに囲まれ、謙虚な人柄に多くの人が魅了されました。 最後に「社長をお辞めになってからの夢は」とお聞きしたら、「600冊以上たまった本を読んでみたい。小豆島に戻って。」とおっしゃいました。日本の産業界にとっては、中川さんにまだまだ活躍してもらわないといけませんが、お父さまや小豆島にとっては、その日が早く来ることが楽しみです。(平成24年2月14日) |
中川社長、塩田町長の対談 |
300人を超える人が集まりました |
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私がインタビュワーとして、 対話形式で行われました |
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参加者から熱心な質問がでていました |
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懇談会であいさつする中川社長 |
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懇談会は和気あいあいとした 雰囲気の中で行われました |
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思いがけないプレゼントがありました。宇宙飛行士の山崎直子さんが内海(うちのみ)中学校に来られて生徒や住民に講演をしていただいたのです。 山崎さんとは、小豆島出身の石田義一さんと山崎さんのお父さんが知人である縁から、昨年生まれた二番目のお子さんの子育てが落ち着いたら、小豆島に来て、小豆島の子どもたちに話をしていただく約束をしていました。 ところが、香川県主催のイベントで香川県に来られると聞いて、急なことですが帰りに小豆島に立ち寄っていただけたらと、石田さんを通して、無理を承知でお願いしました。 というのも、読書感想文コンクールで内海中学校3年の篠田陽色さんの山崎さんが書かれた本「夢をつなぐ 山崎直子の4088日」の感想文「宇宙へ-未来へのメッセージ」が香川県で最優秀賞を受賞したので、是非彼女に会って激励してほしいと思ったのです。 はじめてお会いした山崎さんは、本当に素敵な人でした。中学生だけでなく、朝礼での山崎さんの話を聞きに集まった住民の方々を魅了しました。 天は人に何物でも与えることがあるのだと改めて思いました。しかし、山崎さんが夢を実現し、人を魅了できるのも努力の賜物、日ごろの地道な努力を積み重ねがあるからです。 生徒への講演のなかでも、華々しい宇宙船での活動の前に、その何百倍、何千倍もの期間の、地道な息の長い訓練と準備があることを話されました。 もうひとつは、ものの見方について、宇宙では上下がなく、地球での常識が通用しないことを話されました。宇宙では、無重力なので、足が手の役割を、手が足の役割を果たすのだそうです。宇宙にいったのだから、上から地球を見下ろす感じだと思っていたのですが、どうも下から地球を見上げる感じだそうです。物事は見る角度によって違って見えます。幅広い視野、視点を子どもたちは育んでほしいと思います。 内海中学校では、特別に宇宙実験にもっていった山崎さんのご出身の松戸市の名産である「かぼちゃ」の種130個中の6個を贈っていただきました。とても貴重なものです。町内の小中学校でこの種を育てて、理科の勉強に活かしていこうと思います。 内海中学校での講演のあと、元島バス観光ガイドの今川早苗さんの名調子の「二十四の瞳」の語りとガイドを聞きながら、岬の文教場、オリーブ公園、ふるさと村、西の滝、中山千枚田を駆け足で案内しました。今回は、急な来島で、多くの小中学生らに話を聞いてもらうことができませんでした。嬉しいことに、山崎さんは、11月にもう一度小豆島に来ていただくことを約束してくれています。ゆっくり秋の小豆島の魅力も楽しんでいただこうと思います。小豆島の子どもたちに、また大きな夢をプレゼントしてもらおうと思っています。(平成24年2月13日) |
講演する山崎直子さん |
生徒の皆さんからも熱心な質問 が寄せられました |
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カボチャの種贈呈の様子 |
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篠田陽色さんと山崎直子さん |
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贈呈されたカボチャの種 |
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小豆島の福祉と医療をよくする島民会議の2回目が開催されました。小豆島に二つある公立病院を統合することについて、小豆島町と土庄(とのしょう)町の中心的な立場にある皆さんから御意見をいただき、コンセンサスを得ていくことが、この会の主たる役割です。 座長には森下香川県医師会長、副座長には福祉を専攻されている村田四国学院教授になっていただいています。また、香川県健康福祉部の東原医務・国保課長にも毎回出席いただいています。 新しい病院をつくることについて、異論や問題点を指摘される方々もいましたが、大多数の方々が肯定的・積極的な立場から意見を言われました。 心配される意見の最大のものは、本当に医師が確保されるのか、経営・財政面は大丈夫かということでした。 医師が確保されるには、新しい病院が医療スタッフにとって働きがい、やりがいのある魅力ある病院であることができるかどうかにかかっています。 このためには、どんな病院をつくっていくか、どんな病院であることができるか、新しい病院の医療を担っていく皆さんと構想段階から綿密に議論をしておくことが不可欠です。 幸い、新しい病院の医師派遣の中軸になるはずの香川大学の長尾学長をはじめ付属病院長など多くの皆さんが新しい病院の動きに期待し、応援してくれています。自治医科大学の高久学長も、自治医科大学出身の医師たちに、小豆島の新しい病院への協力と成功を呼びかけてくれていて、そのビデオメッセージが今日の会で、同大学OBの久保内海(うちのみ)病院長から紹介されました。来月には、香川大学の先生をはじめとして新しい病院の医療スタッフ確保に係わる有識者の皆さんとの意見交換・懇談会がスタートする予定です。 新しい病院の経営は、今のように、なかば素人である役場のスタッフが行うのではなく、医療経営の専門知識と経験のあるスタッフに担ってもらうことにしています。この4月には、新しい病院の準備室を作りますが、この室長として、香川県が専門スタッフを派遣してくれることになっています。両町からもスタッフを出して、新しい病院づくりに向けて本格的に取り組むことにしています。 小豆島がひとつになって元気になるためには、医療と福祉の水準を高めることが不可欠です。新しい病院は、小豆島で必要な医療を提供できるようになるはずです。新しい病院づくりに合わせて、福祉のあり方も抜本的に見直すことができます。在宅の医療や福祉の充実、健康づくりや介護予防をしっかりできる体制を整備しようと思っています。 国や香川県、香川大学や自治医科大学など、小豆島の外の皆さんが、小豆島の医療や福祉をよくするために、地域医療再生基金や地域活性化総合特区など、これ以上はない環境整備をしてくれ、応援を約束していただいている今、島の私たちがそれに応える番です。小豆島の医療と福祉をよくし、小豆島を元気にすることができる、最後のチャンスです。(平成24年2月11日) |
第2回小豆島の福祉と医療を よくする島民会議の様子 |
医療現場の様子
手術の様子 |
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検査の様子 |
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採血風景 |
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毎月開催されている健康教室 |
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私の母校である苗羽(のうま)小学校で、「苗っ子フェスティバル」があると聞いて見に行きました。 苗羽地区は、400年前から醤油づくりが行われ、産業の発展とあわせて、文化の面でも発展してきた地区です。戦後直後から地域が元気にと始まった音楽部の活動は、児童数が120人になった今も、器楽合奏などで全国的にも高い水準を維持しています。 「苗っ子フェスティバル」は、学芸会に相当するもののようですが、午前中は、総合学習などの時間で勉強したことを、ちょっとした演劇仕立てなどにして、各学年ごとに発表し、午後は、各学年ごとの合唱、合奏、和楽器クラブの筝・三味線合奏、音楽部のさよならコンサートなどが披露され、学芸会よりも、ずっと現代風なのに感心させられました。 午前中の発表は、ふるさとの自慢の味、小豆島の醤油のことを調べたり、オリーブについて再発見・新発見したものを発表したり、壺井栄の「二十四の瞳」から学んだことを発表したりしました。 どの発表も、大きな声を出して、元気よく、楽しくできていました。とりわけ女子が活発なことに感動しました。 私は、小学生のころ内気で、今日のような機会のとき、後ろの方に隠れて、人から見えないよう、目立たないようにする、ふがいない児童でしたので、今日の児童の姿をうらやましく、頼もしく思いました。 石井校長に、そんな私のそのような態度を個性として温かく包み込んでくれ、別の面での力を伸ばしてくれた先生と教育が今の私につながっていると話しました。小学生で受ける教育のあり方は、一人ひとりの人生にとって、とても大切なものなのだと思います。 地域社会が地域社会であるために、小学校は大切であり、児童の成長にとっても、地域社会とともにある小学校が大切です。 嬉しいことに、醤油づくりで栄えた苗羽地区が、「醤(ひしお)の郷」として全国的に注目されはじめています。来年開かれる瀬戸内国際芸術祭では、醤の郷での作品展開が予定されていて、楽しみです。 醤油の消費量が減少し、かって400軒もあった醤油屋は今では19軒ほどになっていますが、地域の魅力ブランド力を高め、新しいかたちの醤油の利用や新商品開発などで、醤油づくりの伝統がこれからも地域で引き継がれていってほしいと思います。 苗羽小学校も、醤油づくりも、人口減少などの向かい風に打ち勝って、もっともっと魅力ある小学校、地域、産業を目指さなければなりません。(平成24年2月11日) |
自分の生まれたときからの成長の 記録を振り返る成長レポート発表 |
総合学習 ~高齢者との交流を通して~ の発表 |
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総合学習 ~オリーブについて~の発表 |
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クラブ・音楽活動の発表 |
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学年ごとに練習の成果を発揮して 一生懸命発表していました |
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福祉と医療の推進会議において議論していただいたもうひとつは、子育ち支援をどう進めていくかです。 小豆島の最大課題は、人口減少と急速な少子高齢化の進行です。高齢者福祉をどう築くかということだけでなく、未来を担う子どもたちが健やかに、逞しく育つようにすることも、同じように大切なことです。 小豆島で1年間に生まれる子どもの数は、200人を割っています。このままでは、未来を担う人々の数としては不十分です。大勢の子どもたちが健やかに、逞しく育つことができる小豆島を取り戻すことが必要です。 ところで、私は、「子育て」ではなく、「子育ち」という言葉をあえて使っています。「子育て」は主語が親、教師、社会ですが、「子育ち」は主語が、子ども自身です。 「子育ち」は「子育て」も包含した考え方です。行政としては、「子育ち」支援という視点で取り組んだほうが、子どもの成長の視点に立っていていいのではないかと考えています。 保育所と幼稚園の一元化の議論があります。本来的には両者は役割が違いますが、子どもが、心の面、知的な面、身体的な面でも能力を伸ばしていける基盤を、この時期に育むことが、保育所にも、幼稚園にも必要です。 小豆島町では、24年度からは教育委員会に「子育ち共育課(仮称)」を設置して、教育と福祉の垣根を払って、子育ち支援に取り組みたいと考えています。「共育」には親、教師、社会がともに教育に参加し、子どもたちを含めて共に育っていくという意味をこめています。 子育ち支援のメニューが小豆島にはいっぱいあって、子育ちには小豆島が日本一と言われるくらい、帰りたい島、住みたくなる島を目指したいと思っています。 出会いから妊娠、出産・誕生、乳幼児期、義務教育期、高等教育期、大学・専門学校、就職と、一人ひとりのライフサイクルに応じた、さまざまな応援策が必要となります。具体的に考えている施策については会議資料(リンク)のとおりです。次の機会に紹介したいと思います。日本一の子育ち支援の島・小豆島を目指す気持ちで取り組んでいこうと思っています。(平成24年2月6日) |
保育所・幼稚園の元気なこども達を ご紹介します 親子で餅つき |
運動会で元気にかけっこ |
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秋の稲刈り体験 |
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節分の豆まき |
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第8回の福祉と医療の推進会議が開かれました。今回は、次期(平成24年度から平成26年度)の介護保険の65歳以上の高齢者が負担する保険料の考え方を説明しました。あわせて、小豆島にとって大切な子育て、子育ちをどう進めていくかについての提案をしました。 介護保険は、日本全体の高齢者福祉にとっても、小豆島のそれにとっても、サービスを充実する上で、大きな意味を持つ制度です。仮に介護保険がなかったらどうであったかを考えればよくわかります。 介護保険は、高齢者が地域で安心して暮らせることを目指して、①地域を所管する市町村が運営を行う②サービスは、行政が決める(行政処分)のではなく、契約で利用者が選択する③サービス提供の中心は民間である④財源は、国、都道府県、市町村がそれぞれ負担するだけでなく、当該市町村の高齢者と全国の40歳以上の人が保険料を負担するなど、よく考えられた制度です。 今日議論したのは、小豆島町の65歳以上の高齢者が負担する保険料のあり方です。高齢者に保険料を負担していただくのは、サービスを充実するには財源が必要であり、高齢者にも負担していただくことで、サービスの量や質と負担のバランスが考えられることで、介護保険が制度として安定し、持続可能なものになるという考え方によるものです。 サービスの量や質を高めようとすれば高齢者の負担も高くしなければなりません。両者をどのような水準にし、どのようにバランスをとるかは、それぞれの市町村の判断だという考え方です。 小豆島町の保険料の現在の水準は、月額、3,440円(基準額で所得に応じて増減されます。)です。次期の試算結果は月額4,560円です。この水準は、香川県全体の次期の水準は月額5,200円なので、必ずしも高いものではなく、むしろ低い水準と言えます。 だから小豆島町の介護保険はよいということにはなりません。保険料の水準が低いというのは、サービスの水準も低いとも言えるからです。サービスの質や量と保険料の水準は連動しています。保険料は、最終的には条例で決めることが必要なので、3月の町議会でも議論していただきます。 ここで大切なことは、介護保険という仕組みで、必要となる高齢者福祉サービスがすべて提供できるかどうかです。私の考え方は次のとおりです。 まず、全国共通の介護保険は、国、都道府県、全国の40歳以上の方々の財源負担があり、基盤の制度として、これを最大限活用すべきものと考えます。 一方介護保険には限界もあります。ひとつは保険料水準の壁です。例えば、1万円もの保険料水準は、高齢者にとっては重いでしょう。国の社会保障改革の流れから予想すると、将来国などの負担割合が変わることがあるかもしれません。自治体負担が過大になると制度の運営が難しくなります。介護保険は全国共通の制度であるため、地域の実状に応じた運用ができにくいという制約もあります。 結論は、介護保険を基盤としつつ、自助と共助を組み合わせた小豆島の実状に合った高齢者福祉のあり方を築くことが必要だということです。8回にわたり、推進会議で論議していただいているのも、小豆島の高齢者福祉の未来像を描き、今から準備するためです。 もう20年もすると高齢化率が50%を超える小豆島では、介護保険だけであるべき高齢者福祉を築くことはできません。今から大丈夫なように準備しておかねばなりません。それが小豆島がいつまでも元気であるために必要です。(平成24年2月6日) |
高齢者福祉活動をご紹介します
いきいき百歳体操を練習する 高齢者の皆さん |
地元の幼稚園園児と 老人クラブとの交流 |
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老人スポーツ大会 |
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毎日のラジオ体操と週1回のミニゲーム を楽しむ神懸通地区ラジタイクラブ |
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地元の高齢者の方を招いて食事会を開く 小坪地区秋葉会 |
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老人クラブと小豆島芸術家村 の芸術家との交流 |
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200名を超える市町村長が参加したB&G全国サミットがありました。私もその一人として参加しました。 B&Gとは、ブルーシー・アンド・グリーン財団の略称です。競艇の収益金の一部で、こどもから高齢者までを対象に、海のスポーツを通した健康・人づくりを全国で展開している財団です。日本財団の関連の財団のひとつです。 全国各地に500近くの海洋センターがあります。小豆島にもひとつあります。幼児から高齢者までが、プールや体育館を利用して”こころ”と”からだ”の健康づくりを行っています。海では、カヌーやカヤックなどのマリン・スポーツの教室なども開催しています。小豆島の海洋センターは、取組みが評価されて、今日は表彰状までいただきました。 今年のサミットには、東日本大震災で大きな被害を受けた自治体の首長さんも大勢参加されていました。その一人に岩手県大槌町の碇川(いかりがわ)豊町長がおられました。 大槌町には、小豆島(しょうずしま)さんという、先祖が小豆島出身の方々が住んでおられます。そんな縁もあって小豆島町はささやかですが、大槌町の復旧・復興の応援をしています。今も小豆島町の技術系のスタッフが大槌町役場で復興のお手伝いをしています。 大槌町では、現職町長も犠牲になり、新しく碇川町長が選ばれるまでに半年以上の空白がありました。首長の不在が、町の復旧・復興の妨げになったと聞きました。基礎自治体のトップの責任は想像以上に重たいものです。復旧・復興という重たい責任を担っているのに、碇川町長の表情に力強さが感じられました。「是非大槌町においでください」と、逆にこちらが心配りをいただいてしまいました。 B&G財団をはじめ日本財団などは民間の団体です。東日本大震災支援などの動きを見ていると、政府や公的な団体よりも、こうした純粋な民間団体の皆さんのほうが、動きが迅速で、本当に必要な現場のニーズに応えているように感じられます。 B&G財団の活動も、スポーツを通して、こどもから高齢者までの、こころと体の健康づくり・地域づくりという、地味ですが、私たちが最も大事にしなければいけない、基本的なことがらを実践しています。こうした基本的なことがらは、本来、公的な仕事であるはずなのですが、これを地道に一貫して追い続けている財団の存在が多くの自治体の強力な応援団になっています。民間団体から学ぶことがたくさんあります。(平成24年2月7日) |
毎年ふるさと村で開催されている B&Gマリンスポーツ大会 |
ヨット競技の様子 |
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B&Gで毎年行われている海洋教室 |
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頂いた表彰状 |
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放っておけば死に到る病気に日本はかかっていると言えます。病気の原因のひとつが、人口減少と少子高齢化の急速な進展であることに異論はないでしょう。 日本の病は重篤ですが、今なら適切な手術を行うことで、もう一度健康になれるはずです。しかし、どうも医師たる政治家は、体全体の状況や術後の展望などについて、きちんと患者に説明することもなく、ただ手術をしようと言うばかりです。 大きな手術は、経験豊かな医師の存在が不可欠であり、患者と医師の信頼関係のもと、与えられた環境下でのベストの医療チームが行う必要があります。 消費税率引上げなどの論議を聞いていると、インフォームド・コンセント(事前の説明と合意)が十分でなく、医療チームもベストとは言えないように感じられます。 私は、厚生労働省に勤務したので、社会保障のことを多少なりともかじりましたが、65歳になれば国民全員に月7万円の最低保障年金を支給するという政策が本当に実現可能なものであるとも思えないし、かつこの国が健康になるために適切な政策であるとは思えません。日本が再生するために必要なことは、自立・自助の精神を取り戻し、新しい共助の社会をつくりあげることです。 最低保障年金の創設を政策の看板として政権を獲得したのですから、その政策がどのように実現できるのか、それによってこの国のかたちがどのように変わるのか、具体的に説明されなければ、インフォームド・コンセントに反していると思います。 政治家の方々が、バイブルのようにしている本に、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」があります。この本のなかで、マックス・ウェーバーは、政治家にとっては、情熱、責任感、判断力の三つの資質が特に重要だと指摘しています。 情熱は、主観的な興奮・意欲ではなく、責任性と結びついたものでなければならず、精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめ、事物と人間に距離を置いて見て判断する能力が政治家に求められています。社会保障と税の一体改革を実現するには、政治家に、本物の情熱と責任感と判断力がなければいけないと思います。 少し長いのですが、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」の最後の文章です。 |
マックス・ウェーバーの「職業としての政治」 |
| 政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。…人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志で今すぐ武装する必要がある。そうでないと、今、可能なことの貫徹もできないであろう。自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。 (平成24年2月4日) |
| 香川県オリーブ品評会が開かれました。香川県内のオリーブ製造業者を対象に、オイルの品質向上や技術開発を通したオリーブ産業の振興を目的として開催されています。 平成20年度に「オリーブ植栽100周年記念事業」の一環として初めて開催されましたが、この取組みを一過性のものにしないため、翌年度からは小豆島オリーブ協会が開催しています。 小豆島がこれから発展していく上で、オリーブ振興は欠かせないものです。オリーブが健康によいことや平和のイメージが、海と山と自然に恵まれた平和の島小豆島のイメージに重なりあいます。 100年ちょっと前、日本でのオリーブの植栽試験が、小豆島でのみ成功したのは偶然ではないと思います。小豆島の気候がオリーブの生育の適した地中海気候であっただけでなく、植栽を成功に導いたのは、小豆島の先達たちの研究熱心さとまめさ、根気強さがあったからです。 オリーブの歴史で、本場のイタリア、スペインなどに私たちは敵うはずがありませんが、少しでも追いつく努力が必要です。さらに、本場のオリーブにはない、小豆島ならではの独特の香りや味覚を世界に発信していくことも必要です。 オリーブオイル界のミシュランといわれる「FLOS OREI フロス・オレイ(最高のオリーブオイルの意味)」というガイドブックがあります。2012年版で初めて、小豆島の六社のオリーブオイルが掲載されました。このガイドブックに掲載されることは、そのオリーブオイルがグローバル・スタンダートで最高水準の品質であることを意味します。 今日の審査会では、化学審査を通過した14点のエキストラ・バージン・オイルについて、審査員8人が香りをかいだり、口に含んで味わったりして、フルーティさ、味覚(苦味・辛味)、バランスの4項目を5段階評価で採点しました。 オリーブで小豆島の振興を図る意味はいろいろです。高品質のオリーブオイル製品が大勢の消費者に購買されることによる経済効果が大きいのは言うまでもありません。オリーブ畑の風景は、小豆島の海や山の魅力をさらに魅力あるものにしてくれています。オリーブの観光への貢献にもとても大きいものがあります。 私がオリーブについて思うのは、オリーブが健康によいという事実です。日本の最大課題は、人口減少と少子高齢化であり、医療費や介護費の増加をどう抑えていくかです。オリーブを活かした健康長寿を実現することこそ、オリーブトップワンの小豆島の役割だと思います。日本人は科学的な分野で秀でています。科学的なエビデンス(根拠)で、オリーブが健康に効果的であることを小豆島で実践してみようと思います。科学的な要素とあわせたら、小豆島のオリーブは、世界一になれると思います。 神様は、風光明媚な景観など、小豆島にいろいろな恵みを授けてくれました。オリーブはその最たるものです。オリーブの恵みに応えたいと思います。(平成24年2月2日) |
オリーブオイル品評会審査の様子 |
香りや味覚を確認する官能検査 |
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色を隠すために濃い青色のグラスに 入れられ、出品者が特定できないよう 番号で表示されています |
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化学審査を通過した14点の エキストラ・バージン・オイル |
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小豆島のオリーブ畑 奥に内海湾が広がっています |
| 横浜市民ギャラリーあざみ野を訪ねました。ここで「あざみ野コンテンポラリー」が開催され、小豆島の三都(みと)半島芸術家村滞在作家の吉田夏奈さんの小豆島についての作品が26日(日)まで展示されています。 「あざみ野コンテンポラリー」は、「美術という枠や社会的評価にとらわれず、さまざまなジャンルのアーティストが行っている表現活動に目を向けた、まさに現代進行形のアートを紹介するシリーズ展」です。コンテンポラリーというのは、同時代の人という意味でしょうか。 このような展覧会を開催できるのも横浜市に、芸術文化を大切にする土壌と大都市としての底力があるからです。そのことをうらやむとともに、小豆島のような朴訥な自然のなかでのアートの営みもなかなかのものです。その両方を楽しめるのが最高の贅沢かもしれません。 吉田さんほか4人の若手のアーティストの作品が展示されていました。4人とも独創的、個性的で、アートの可能性とそれにかけるアーティストの姿勢も新鮮でした。 霞ヶ関というところで、現実まみれ、政治まみれのドロドロした仕事にどっぷりつかっていた私にとって、アートの世界は遠い世界のことでした。小豆島に戻って、小豆島の自然、伝統、文化、人情などに触れ、その島に来て、独自の世界を作り出そうしているアーティストと接することで、本当に大切なもの、本当に美しいものとはと、少しは本質的なことを考えるようになりました。 さて吉田さんの作品。広い展示室の部屋いっぱいに、吉田さんの小豆島の世界が広がっています。吉田さんは、小豆島の山々を駆け巡り、その印象を、クレヨンで立体的に表現されました。吉田さんが作り出したもうひとつの小豆島です。 吉田さんの小豆島観を聞いていると、成る程そうだと思うことが多くあります。例えば、今回のコンテンポラリーのインタビューで 「岩と植物と日光と、いろいろな要素が奇跡的に織り合って、底面積に対して非常に高い高度を保っている。だからこそちょっとした大雨とか台風がくるとそこら中が土砂崩れになってりするのですが、それでもまたさらに積み上がって高度を保っている感じがおもしろいし、真上から見たかたちも、牛というか動物のかたちで、非常に複雑な形体をしている。とにかくどこから見ても違う景色なのです。ということは、南側と北側、東側と西側で全く状況が違って、植物だけでなく岩とか地形自体も全く違う状況になっているんです。」 「特にこれは小豆島に行って気づき始めたことですが、いわゆる奇形、つまりちょっと気持ちが悪いというか変な地形の場所には、そこに住んでいる何者かがいる気がするようになっています。例えば地質学的に見て解明できないけれども、ぽかっとある場所にだけ水が湧いていたとか。つまり地質学的には理解できないような場所とそこに住むものとの関係性が非常におもしろいなと思っています。それは動物だけでなく、妖怪だったり、目には見えない気配だったり、とにかく変な場所に住む何者かと風景との関わり合いみたいなものを考え始めています。」 といった具合です。 吉田さんのこの印象は、映画「八日目の蝉」の成島出監督が「小豆島では、自然と人々と神様、幽霊までもが、同じ地平で一緒に暮らしている」と感じた印象にもつながります。古くは、空海が小豆島を修行の場所とし、それが島88ヶ所霊場につながったのも同じだと思います。吉田さんが、この次、小豆島のどんな新しい魅力を描き出してくれるかが楽しみです。 一連の「小豆島」の作品について、吉田さんは、「小豆島のアイデンティティやDNAのかけらと言ったら、島に住む妖怪に怒られるかな」と言われています。きっと妖怪も喜んで、作品を楽しんでますよ。皆さん是非、横浜市民ギャラリーあざみ野を訪ねてみてください。そこに「小豆島」があります。(平成24年2月4日) |
2月4日から26日まで開催されています |
あざみ野コンテンポラリーの パンフレット |
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吉田夏奈さんの作品をご紹介します
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日本中の消えゆく民話を全国に発信する藤井和子さんを紹介する記事が「女性自身」2月14日号に掲載されています。 藤井さんは、小豆島出身で、実家が私のうちの近く、私より一回り上の世代の方です。地元の小豆島高校を卒業、奈良女子大学を経て、講談社で活躍されていました。 時折小豆島に帰っては、畑仕事をしていた私の母によく声をかけてくれました。東京で、高校の同窓会で会ったとき、よく母の様子を話してくれました。 講談社で新書の編集者などとして活躍され退職後、「妖怪通信」とやらを出していると聞いて、変わったことをしてるんだなあと思いつつ、特に気をとめることはありませんでした。 昨年11月6日の日経新聞朝刊の文化面で藤井さんの活動を紹介する記事がでて、藤井さんが日本から消えゆく、口承の民話を収集して歩き、全国に発信していることを詳細に知りました。そして、今回の「女性自身」の記事です。 日本各地の昔話は、人々の口から口へ「口承」で伝えられてきました。しかし、その多くは「語り部」を失い、消えていこうとしています。 「女性自身」の記事でも紹介されていますが、幼いころ藤井さんは、毎晩寝床に入ると、おばあさんから昔話を聞くのが楽しみだったそうです。おばあさんは、5つしか民話を知らなかったそうですが、おばあさんの話す民話から、「嘘は嘘」で、もっともいけないことだと学んだそうです。全国を駆け巡り、民話を収集し続ける藤井さん、取材旅行はすべて手弁当です。 今度の記事で、藤井さんの「妖怪通信」の意味をしっかり理解することができました。妖怪とは、民話のなかで跋扈(ばっこ)する化け物や怪物のことです。そういえば、映画「八日目の蝉」では、成島監督が、小豆島では人々が幽霊をおそれず一緒に楽しく住んでいる島のように感じ、角田光代さんの原作にはない、可愛い幽霊の話を地元のこどもたちがするシーンが加えられています。まさに、藤井さんがおばあさんから聞いた小豆島の口承の民話です。 どうしたらこの国が人口減少や少子高齢化などの困難を克服していけるだろうかといつも考えています。どうもそのひとつは、失われつつある大切なものを取り戻すことにあるのだろうと思います。大切なものとは、例えば、地域の連帯感とか絆、都会にはない地方の持つゆったりした生活の価値などです。ふるさとの小豆島でこうしたものを取り戻さなければという思いは、藤井さんの消えゆく民話を伝えていく取組みにも重なっています。 民話が体のなかに入っている子は、悪さしないとさ。 とっぴんぱらりのぷ~ (平成24年2月3日) |
女性自身で紹介された藤井和子さん |
取材先の秋田県東成瀬村で |
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写真左から、さぬき錦楓会 会長八代田次郎さん、元㈱佐伯建設常務 大森一茂さん、琴勇輝、藤井和子さん (東京錦楓会の会場にて) |
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藤井さんの実家のある馬木地区 |
| 醤(ひしお)の郷検討会(武部一成会長)がありました。この検討会は、昨年制定された醤の郷条例により設けられた醤油と佃煮産業のある苗羽(のうま)、馬木(うまき)、安田などの地域の醤油蔵などの町並みを守り、活かし、さらに魅力あるものにしていくことを目指した、地域の関係者を中心にした検討会です。 その検討会に、京都造形芸術大学の椿昇教授をゲストにお招きしました。椿教授は、小豆島町商工会の依頼に応じて、さきほど「醤の郷未来構想」をまとめられました。 構想はつぎのような書き出しではじまります。 美しい海と山、雄大な自然景観に恵まれた小豆島。健康産業としても成立する醤産業、瀬戸内の新鮮で豊富な魚介類が魅力。ここには、長い時間を積み重ねることで生成された「本物」の食がある。なにより着目すべきは、この土地にいる「本物」を守り続ける人々の存在。 「醤の郷未来構想」においては、現在の素晴らしい仕組みや環境を壊すことなく、伝えていくこと、それら持続可能な仕組みへと成熟させることを重視する。本構想では、これまでどおりの「食品産業」、また従来「観光」に代わる21世紀型の「絆」という二つのキーワードを軸とする。 具体的な提案は、醤油組合(旧図書館)跡地を活用したコミュニティセンターの設置、元醤油蔵を活用したギャラリーの設置、アート作品の誘致、醤油蔵横の倉庫を利用したカフェレストランの設置、電気自動車の普及、キー・ビジュアルのアイコンを小豆島桶(こが)とするなど、斬新かつ多彩です。 これらの提案は、決して夢物語ではありません。来年の瀬戸内国際芸術祭では、醤の郷での作品展開が決まっています。芸術祭の北川フラム総合ディレクターも、醤の郷を次回の芸術祭の大きなポイントとして考えてくれています。地域の皆さんとともに、これから知恵と力を集めて、醤の郷の魅力を高めていかねばなりません。(平成24年2月2日) |
苗羽地区の醤の郷の街並み |
馬木地区の醤の郷の風景 |
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安田地区のヤマロクさんが 自ら手作りした新桶 |
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桶の内側 |
馬木地区の正金醤油さんの もろみ蔵の桶(120年以上前 に作られた登録有形文化財です) |