小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第1734回 「福武ハウス」アジア・アート・ミーティングでのスピーチ


 今年の瀬戸内国際芸術祭2016「福武ハウス」のプロジェクトにもアジア6か国のアーティストが参加してくれました。感謝します。
 福武總一郎瀬戸芸総合プロデューサー、北川フラム総合ディレクター、福武財団のスタッフの皆さん、地元福田地区の皆さんのすべてにも感謝します。
 1回目の瀬戸芸が終わった次の年。2011年の秋でしたが、私は、直島に福田地区の皆さんと直島に福武總一郎さんを訪ねました。「福武ハウス」をこの福田小学校校舎跡につくってほしいというお願いに行きました。
 その願いは、2013年の瀬戸芸で叶いました。今年、「福武ハウス」は、2度目の瀬戸芸を迎えました。
 小豆島のことを話します。小豆島は、1400万年前の瀬戸内海の火山活動によって誕生しました。ところで、もともと日本列島は、ユーラシア大陸の一部でした。1500万年ほど前に、日本海ができ、日本列島がユーラシア大陸から分離しました。そして1400万年前に小豆島が誕生しました。
 瀬戸内海は、世界中で最も美しい多島美の海です。瀬戸内海は、日本で最初に国立公園に指定されています。その美しい自然景観の島の上に、私たちの先達たちは、小豆島の素晴らしい文化と伝統、産業を築いてきました。
 私たちの先達たちは、「海人」です。海が交通の要衝であったころに、大阪、京都などの日本の中心に近いという地の利を活かして、文化と伝統、産業を築いてきました。「海人」は、高い技術と進取の気概を持っていました。ここ福田の先達たちは、今から400年も前に、山から数十トンもの大きな石を正確に四方形にして切り出し、海の上を遠く大阪まで運び、大坂城の石垣としました。今の科学技術をもってしても、なぜそんなことがその時代に可能であったのか解明できていません。それほどに、ここの地区の先達たちは、高い石工の技術と操船の技術と進取の気概を持っていました。
 小豆島の別の地域の先達たちは、同じころ醤油づくりと素麺づくりを始めています。そして、上方歌舞伎に習い、自分たちだけで農村歌舞伎を始めました。今も島内の2か所で農村歌舞伎は続けられています。最盛期は島の中に31か所の歌舞伎舞台がありました。
 その小豆島がこの100年ほどの間の日本全体の高度経済成長の下で苦しんでいます。地方よりも都会、都市が優れているという時代が続いたからです。地方は、ある意味では、切り捨てられてしまい、その価値を忘れられました。小豆島を含む多くの地方が、人口減少に苦しみ、存亡の危機を迎えています。そこに転機が訪れようとしています。2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭がそのきっかけです。世界中のアーティストが、小豆島をはじめ瀬戸内海の島々に訪れ、アートを通して、瀬戸内海の島々の魅力と可能性に気づかせてくれました。大勢の皆さんが島々を訪れてくれています。小豆島では、若い移住者が増えています。小豆島は、再び、元気になろうとしています。今、人口減少時代の「あたらしい社会のあり方」を小豆島から提案したいと考えています。アート・文化を通した、人口減少時代の福祉、医療、教育、子育ち、産業、観光、 暮らしなどのあり方を小豆島から提案したいと思います。それを「小豆島モデル」と、私は呼びたいと思います。
 「小豆島モデル」のひとつに、新しい国際交流のあり方があります。そのあり方とは、国と国ではなく、地域と地域が直接つながる、人と人が直接つながるという、国際交流のあり方です。
 「福武ハウス」では、海外のアーティストと地元福田の皆さんが協力して作品をつくりあげました。各国の自慢の食をつくりあって交流しています。おとといは、久しぶりに福田地区の運動会が、海外のアーティストも参加して復活しました。
 20万年前にアフリカで最初の人間が誕生しました。そして3万年前に、人間は日本列島にたどり着きました。北の海から、南の海から、朝鮮半島から、途方もない時間をかけて、人間は日本列島にたどりついたのです。
 私たち人間は、共通の先祖を持っています。この「福武ハウス」が、世界中から、アジア中から、アーティストと、人々が集まり、交流する拠点になってほしいと思います。
 私たちは、交流することで、異なる文化と伝統、産業の違いを知り、それぞれの文化と伝統、産業の魅力と可能性を知ることができます。そのことが、それぞれの文化と伝統、産業を守り、磨いていくことにつながるのだと思います。
 今日の「福武ハウス」アジア・アート・ミーティングも、そのことに貢献すると思います。(平成28年7月28日)

福武ハウス アジア・アート・プラットフォーム2016
(クリックすると詳細が表示されます)

福武ハウス アジア・アート・ミーティング

瀬戸内国際芸術祭2013に登場した
「福武ハウス」

瀬戸内海は、美しい多島美の海で、
日本で最初に国立公園に指定されています

福田地区の先達たちは、高い石工の技術と
操船の技術と進取の気概を持っていました

「福武ハウス」では、海外のアーティストと
地元福田の皆さんが各国の自慢の食を
通して交流しています

福田地区の運動会が
海外のアーティストも参加して復活しました

6か国のキュレーターによる
ミーティングのようす

インドネシアのパフォーマーによる
音楽パフォーマンス

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第1733回 じっくり行こう琴勇輝


 名古屋場所の琴勇輝の成績は2勝13敗でした。場所前の稽古も順調で、香川県、小豆島に里帰りしたときも、体調も良さそうだったので、今場所もきっと好成績をあげられると私は思っていました。
 負けが込んで、土俵にあがるのがつらかったかもしれません。最後の最後まで、土俵にあがったことを評価したいと思います。
 初日の横綱鶴竜戦をはじめ、立ち合いもいいし、押しもよく、もうちょっとのところで負けていたので、いつのように今場所も段々と力を発揮していくはずと思っていました。
 ところが、今場所はそうはいきませんでした。最後まで、調子をつかむことができないまま場所を終えました。どの力士も上位にあがったとき、一度や二度大敗を経験します。相撲界では、そのことを、「家賃が高い」というそうです。琴勇輝も今高い家賃を払っているのかもしれません。琴勇輝は、決してここまで順風漫歩であったわけではありません。とりわけ2年前の左ヒザの大ケガは、相撲取りとしてだけでなく、一般人としても元の体に戻ることが危ぶまれるほどのケガでした。
 その大ケガを不屈の闘志と努力で琴勇輝は克服しました。ケガからの復帰後の活躍は奇跡ともいえるものでした。先場所、関脇に上がったとき、今度こそ、大負けするはずと思っていたら7勝8敗という大健闘でした。
 「人生山あり谷あり」とはよく言ったものです。谷にあるとき、どうするかで、人生は決まります。琴勇輝のことです。歯を食いしばって谷から抜け出してくれるはずです。
 琴勇輝の相撲人生は、まだまだこれからです。横綱・大関を目指すという夢への挑戦はこれからです。まだ25歳になったばかりです。じっくり体を調整して、万全の状態に近づけていくことがまず必要です。
 左ヒザのケガからの回復もまだ途上であると思います。左ひざをかばう相撲になると、別の個所に悪影響がでます。相撲は、体全体のバランスがとれていることが不可欠です。琴勇輝のような押し相撲は、ちょっとしたバランスの崩れがあるだけで、押しに力が入らなくなります。とにかく体調管理、健康管理に万全を期すことが一番です。
 昇進を焦ること、急ぐ必要はありません。しっかりと、じっくりと力をつけていけばいいと思います。琴勇輝の相撲人生は、まだまだこれから、じっくり行けばいいと思います。(平成28年7月27日)

名古屋場所の琴勇輝は、最後まで
調子をつかむことができませんでした

先月、琴勇輝が小豆島に里帰りし
わんぱく相撲にゲスト出演しました

琴勇輝は左ヒザの大ケガを
不屈の闘志と努力で克服しました

琴勇輝の相撲人生はまだまだこれからです

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第1732回 ヤノベケンジ シネマタイズ<続>


 高松市美術館で開催されている「ヤノベケンジ シネマタイズ」展は、現代アーティストヤノベケンジさんが歩んできた軌跡の全容を知ることができます。
 私は、小豆島に展示されている作品をはじめいくつかを知っていましたが、今回の個展で、ヤノベさんの作品を、その歩みに沿って鑑賞することで、改めてヤノベさんが根源的に訴えようとしていること、ヤノベさんの凄みに触れることができたように思います。
 今回の個展が凄いのは、ヤノベさんの作品を知ることができるだけでなく、この展覧会の会場そのもので、会期中に、ヤノベさんの作品によって、映画がつくられることです。「シネマタイズ」とは「映画化」という意味です。
 映画監督は林海象さんです。俳優が永瀬正敏さんです。巨大地震後に原子力発電所から漏れた高濃度放射性物質に汚染された冷却水を作業員たちが決死の覚悟で止めにいくというストーリーです。その作業員役を永瀬正敏さんが演じられます。
 今回の個展では、永瀬さんも写真作品を展示されています。永瀬さんは、俳優だけでなく、写真家です。東日本大震災後、被災地をめぐり、その風景を写真に収めています。その写真が会場に展示されていますが、心の奥深くにまで、悲しみと希望が届いてくるような写真作品です。もうひとつ、ヤノベさんの「ATOM HELMET」の顔の部分に、心の中に巡っていた永瀬さんの思いをオブジェに置き換えた作品を展示しています。
 ヤノベさんの初期の作品には、「怒り」や「絶望」を感じさせる「気魄」があります。こどものころを過ごした大阪万博の廃墟のイメージが原点としてあり、最初の原発事故であるチェルノブイリ探訪で出会った廃墟の現実がそれに重なり合います。
 しかし、瀬戸芸で出会った頃のヤノベさんの作品は、「Anger」という表題はあっても、どこかにユーモアと希望が感じられるものです。「トらやん」もそうだし、作品に登場するのは、「太陽」であり、未来を見つめる「こどもたち」です。
 ヤノベさんの作品の変化から、社会や人間が、段々と賢明でいい方向に向かっているかと言えば、決してそうではないように思います。そうであってほしいと願い、そうであると信じたいというヤノベさんの思いが、作品の変化として表現されているのだと思います。
 うまく表現できないのですが、今回の個展の作品をみせていただくなかで、私自身、私は何をすべきなのかと、ビビッと、感じるものがありました。ひとつのアートの作品をみて、このように感じたことは、初めてのことです。
 「バルカソラーレ」に乗って久しぶりに小豆島に来られたヤノベさんと初めて小豆島を訪れた永瀬さんを坂手の「んごんごクラブ」の皆さんが小さな大歓迎をしてくれました。醤の郷では、アートトイレや醤油蔵などを地元の長老が説明し、案内してくれました。醤油会館などの作品を見て回っていただきました。
 ヤノベさんとビートたけしさんの作品「Anger from the Bottom」は、今では地元の皆さんが「美井戸神社」として保存しているのですが、ヤノベさん自身もびっくりされていました。
 高松市美術館での記者会見で、永瀬さんは、「小豆島では、地元の高齢者の方々が、黙々と、アート作品を大切に守り、地場産業をきちんと守っていることを、誇らしげに、楽しそうに話してくれました。このようなことが、各地にどんどん広がってほしいです」と話してくれました。
 数々の心打つ映画に出演されるだけでなく、写真家としても繊細な美意識と感性をお持ちの永瀬さんの、目線の確かさと優しさを感じることができました。瀬戸芸の福武總一郎総合プロデュサーと北川フラム総合ディレクターがいつも、「瀬戸芸の神髄は、お年寄りの笑顔の復活にある」とおっしゃっておられる意味を、改めて深く感じることができました。(平成28年7月26日)

 高松市美術館で開催されている
「ヤノベケンジ シネマタイズ」展
(クリックすると詳細が表示されます)

映画に使用されるヤノベさんの作品を
鑑賞することができます

永瀬さんの被災地をめぐった
写真作品も展示されています

ヤノベさんの「ATOM HELMET」の顔の部分に
心の中に巡っていた永瀬さんの思いを
オブジェに置き換えた作品

高さ6mほどのサンチャイルドも
展示されています

ヤノベさんと永瀬さんを歓迎した
坂手の「んごんごクラブ」の皆さん

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第1731回 ヤノベケンジ シネマタイズ


 ヤノベケンジさんは、日本を代表する現代アーティストです。私は、小豆島に戻るまで、アートや文化とは縁遠い生活を送っていたので、ヤノベさんのお名前すら聞いたことがありませんでした。
 ところが、3年前の瀬戸内国際芸術祭をきっかけに、小豆島にとっても、私にとってもヤノベさんは、忘れることができないアーティスト、恩人となりました。
 初めて、ヤノベさんのお名前を聞いたのは、4年前、瀬戸芸の総合ディレクターの北川フラムさんを小豆島の坂手港に案内したときのことです。坂手港での瀬戸芸の展開の可能性について北川さんのご意見をうかがうためでした。
 坂手港のまわりの山と海の風景をぐるりとみて、北川さんは、ぽつりと言われました。「こんな素晴らしい自然の景観のなかでは、現代アートの出番などない。あるとすればヤノベケンジのみだ」と。そのとき、初めて、ヤノベケンジさんという現代アーティストがおられることを知りました。
 その後、奇跡のようなことが次々と起きて、実際に、ヤノベさんの作品が何作も坂手港に登場することになりました。最高の奇跡は、ヤノベさんがビートたけしさんと東京現代美術館に展示されていた「アンガー・フロム・ザ・ボトム」という作品が、坂手に移設され、瀬戸芸の正式作品になり、しかも、ヤノベさんとビートたけしさんが、ヤノベさんのデザインでジャンボフェリーがつくった「バルカソラーレ(太陽の船)」と名付けられた高速艇に乗って、さっそうと小豆島に来られたことでした。
 ついには、神戸と坂手港を結ぶジャンボフェリーの甲板には、ヤノベさんの作品の「トらやん」が設置され、ジャンボフェリーの航海の安全を見守ってくれるようになりました。ヤノベさんが脚本を書かれ、「トらやん」の衣装の池乃めだかさんが登場する吉本新喜劇までが小豆島で上演され、大人気を博しました。
 おまけに、ヤノベさんは、小豆島町の姉妹都市である大阪府茨木市のご出身でした。阪急電車の南茨木駅前には、ヤノベケンジさんの「サンチャイルド」が恒久設置されています。ヤノベさんの作品が姉妹都市をつないでいます。
 そのヤノベさんが、高松市美術館で「ヤノベケンジ シネマタイズ」という個展をされることになりました。高松市美術館はこの3月新築されました。その美術館が瀬戸芸の夏会期にあわせて行う目玉の展覧会です。高松市にとっても、小豆島を含む瀬戸内海にとっても、もちろんヤノベさんご自身にとっても、大きな意味のある展覧会です。
 明日から個展が始まり、午後から記者会見と内覧会がある、あわただしい日の午前に、あの「バルカソラーレ」に、俳優の永瀬正敏さんと一緒に、小豆島を訪ねて来られました。そのお二人の小豆島訪問と記者会見・内覧会で、ビビッという衝撃と震えるような感動を私が受けることになるとは、その時は思いもよらないことでした。(続く)(平成28年7月25日)

当時東京現代美術館に展示されていた
ヤノケンジさんとビートたけしさんの共同作品の
「アンガー・フロム・ザ・ボトム」が坂手に
移設され、瀬戸芸の正式作品になりました

ヤノベさんのデザインでジャンボフェリーがつくった
「バルカソラーレ(太陽の船)」

ジャンボフェリーの甲板には
ヤノベさんの作品「トらやん」が設置されています

ヤノベさんは、俳優の永瀬正敏さんと一緒に
小豆島を訪ねて来られました

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第1730回 小豆島高校野球部のみんなへ


 小豆島高校は、夏の高校野球香川県大会準々決勝戦で尽誠学園に敗れました。試合は、1回、2回と1点ずつ小豆島高校が先取し、幸先は良かったのですが、相手チームが次第に自力を発揮し、8回表までには7対2とリードされてしまいました。
 8回裏に阪倉君がレフトスタンドに入るツーランホームランを打ち、一矢報いました。でも7対4で敗れてしまいました。
 善戦でした。小豆島高校も強いチームですが、相手チームは、小豆島高校のメンバーと同様に、あるいはそれ以上に才能に恵まれ、練習も積んできたもっと強いチームでした。それでも、中盤の死球など長谷川君の疲れに乗じた相手チームの2点本塁打がなかったり、初回の攻撃でもう1点とれていたら勝てたかもという思いもありますが、頭ひとつ強かった尽誠学園に「あっぱれ」です。
 私が一番好きな言葉は、「最高の知性とは、与えられた環境でベストを尽くせること」です。野球はスポーツで「知性」には無関係だと思う人がいるかもしれませんが、野球は「知性」のかたまりのスポーツです。
 小豆島高校野球部のみんな、全員が、小豆島に生まれ、育ち、小学生の学童野球、中学生の軟式野球など、小豆島の与えられた環境で、厳しい練習を積み重ね、ベストを尽くしました。全員が「最高の知性」を実践しました。指導していただいた杉吉監督をはじめ応援していただいたすべての皆さんに感謝します。
 甲子園に出場するという夢を、小豆島の選手には遠い夢だと最初からあきらめるのではなく、与えられた環境の下で、全員の最高の知恵と力を結集すれば、必ず実現すると固く信じて、厳しく、楽しい練習と試合を実践し、君たちは実現しました。君たちは、「最高の知性」を実践しました。
 今日の試合で、新チームの秋の大会はありますが、小豆島高校としての夏の大会は、92年の歴史の幕を閉じます。来年4月からは、小豆島中央高校としての新しい歴史の歩みが始まります。今日で終わりではなく、歴史は引き継がれ、つながっていきます。
 島民の皆さんが夢のように待望していた甲子園出場を叶えてくれてありがとう。みんなのおかげで島はひとつになれました。何よりも、いつも笑顔の「エンジョイ・ベースボール」から、感動と勇気を君たちからもらいました。本当にありがとう。
 みんなの次の夢を実現しよう。僕も、「小豆島が元気になる」という夢の実現を目指してベストを尽くそう。(平成28年7月22日)

初回、先制のホームを踏む長谷川君


ツーランホームランを放った阪倉君(左)と
ハイタッチを交わす石川君(右)

甲子園に出場するという夢を
必ず実現すると固く信じ、実現しました

来年4月からは、小豆島中央高校としての
新しい歴史の歩みが始まります

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第1729回 内海湾に水上ホテルが出現 いろいろなお客さまが訪れてくれています


 暑い7月の三連休、ゆっくり体を休ませることができればいいのですが、大忙しの日程が待っていました。
 瀬戸内国際芸術祭の夏会期が最後の休みの「海の日」に始まります。アーティストや役場のスタッフは最後の準備でおおわらわです。
 小豆島高校野球部としての最後の甲子園出場に向けたチャレンジの試合も予定されています。次の相手校は多度津工業高校です。既に2勝して勝ち進んできたチームです。選手たちも、応援の私たちも、ベストを尽くして臨みます。
 夏は、小豆島に大勢の、いろいろなお客様が訪れてくれます。私たちは、嬉しい悲鳴をあげています。
 三連休の初めの日、台湾の桃園市新屋区からのお客さまが小豆島の福田に来られました。瀬戸内国際芸術祭2013で、旧福田小学校を活用した「福武ハウス」に、台湾のアーティストが参加してくれました。
 このことが縁になって、台湾桃園市新屋区の皆さんと小豆島福田地区の皆さんが、交流の友好協定を結びました。福田地区の皆さんが、昨年末に新屋区を訪ね、大歓迎を受けました。今回は、その返礼として新屋区の皆さんが福田を訪ねてくれたものです。
 アートが、国と国の関係としてではなく、地域と人を直接結びつけてくれています。これから、新しい国際交流のかたちから、いろいろなことが生まれてくると思います。とても楽しみです。
 朝起きて見ると、内海湾に美しい水上のホテルがありました。長さが200メートルもある、日本で2番目に大きくて、美しい客船「ぱしふいっくびいなす」が、内海湾の奥深くまで入って停泊してくれました。
 ここ数年、観光関係者の皆さんの尽力で、「飛鳥Ⅱ」「にっぽん丸」などの大型クルーズが、何度も小豆島を訪れてくれています。小豆島の港に、大型クルーズは停泊できないので、沖合に停泊し、ボートに乗り換えて、お客さまには小豆島に上陸していただいています。
 沖合に見る大型クルーズも見ごたえがありますが、何とかもっと近くで、きれいな船体をみたいものだと思っていました。今回、その願いをキャプテンが叶えてくれました。
 今回も草壁保育園の園児をはじめ、島のいろいろな皆さんがお客さまを出迎えてくれました。ありがとうございます。神戸港から来られた500人を超えるお客さまに、二十四の瞳映画村、オリーブ公園、寒霞渓など、小豆島の魅力を楽しんでいただいたと思います。
 坂手港では、「みなとまつり」が、地元の皆さんの主催で開かれていました。坂手港は、京阪神と小豆島を結ぶ玄関港として栄えてきました。長い間、京阪神との定期航路が途絶えていたのですが。5年前にジャンボフェリーが就航し、元気を取り戻そうとしています。
 「みなとまつり」は、その感謝の気持ちを込めて、地元の皆さんが始めたものです。たくさんの出店が出て賑わっていました。主催者からお願いするのではなく、出店を申し出てくれたそうです。嬉しいことに、島外のいろいろな人が参加してくれています。外国の人の姿も珍しくなくなっています。まつりの最中に、神戸から大勢のお客さまを乗せたジャンボフェリーが入港してきました。ジャンボフェリーもなんだか嬉しそうです。
 瀬戸芸の小豆島町未来プロジェクト・ディレクターの椿昇京都造形芸術大学教授が東京六本木にある森美術館のチーフ・キュレーターの片岡真美さんらと醤油会館などを訪れてくれました。醤油会館には、インド作家のソサ・ジョセフさんの作品が展示されています。
 インドの作家は、世界で注目されているそうです。ソサさんもそのひとりです。はじめての小豆島で、ひとり黙々と、静かに作品を描いてくれました。片岡さんは、ソサさんの友人だそうです。「ソサさんが小豆島でサバイブできてよかった」と言われたのが印象的でした。ソサさんにとって、小豆島での滞在が人間としても、アーティストとしてもよき体験であったことを願っています。(平成28年7月21日)

福田地区と交流の友好協定を結んだ
台湾の桃園市新屋区の皆さんが
福田を訪れました

日本で2番目に大きい客船
「ぱしふいっくびいなす」が小豆島に寄港しました

乗船客を出迎える
草壁保育園の園児の皆さん

「坂手みなとまつり」が坂手港で
地元の皆さんの主催で行われました

まつりの最中には、神戸から
ジャンボフェリーが入港してきました

インドの作家ソサ・ジョセフさんの作品が
馬木の醤油会館で展示されています

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第1728回 「遊児老館」がリニューアルしました


 小豆島の坂手地区に「遊児老館」はあります。「児童と老人がともに遊ぶ館」という名前がしゃれています。
 元々は幼稚園だったのですが、地域のこどもの数が減って閉鎖された後、坂手公民館の分館として利用されています。
 坂手地区は、小豆島の京阪神との玄関港です。しかし、16年もの間、神戸との定期航路がなくなっていました。5年前、ジャンボフェリーの加藤琢二会長が決断されて、神戸と坂手の定期航路の就航を決断されました。
 ジャンボフェリーの就航後、瀬戸内国際芸術祭が開かれ、大勢のアーティスト、クリエイターの皆さんが坂手港を中心に活躍され、坂手と小豆島は元気を取り戻そうとしています。海の道がつながることは、島にとってそれほど大切なことです。
 私は、「遊児老館」を中心にして、もう一度、この地域は元気になっていけるのではないかと考えました。
 この国の制度やシステムは縦割りです。人口が増え、経済が成長しているとき、縦割りの政策は、効果的で効率的でした。しかし、人口が減り、経済の成長が難しくなったとき、必要な政策は、縦割りの政策ではなく地域にあった横割りの政策です。
 新しい遊児老館は横割りの政策の試みです。福祉、それも高齢者福祉、児童福祉、障がい者福祉を一緒に、そこに教育と文化・アートも一緒になった取組みです。
 地元坂手の人たちだけでなく、島外のアーティストや演劇人や大学の関係者その他いろいろな人に、活用し、利用してほしいと思います。
 秋には、隣に高齢者のための小規模多機能施設ができます。この施設では、高齢者が健康づくりやレクリエーション、いざというときは入所してケアサービスを受けることができます。
 小規模多機能施設と遊児老館は、運営主体と役割に違いがありますが、一体的な運営をしたいと考えています。ふたつをあわせて、私は、新しい遊児老館だと考えています。
 新しい遊児老館は、地域が元気になっていくための拠点です。ある意味では、前例のない新しいタイプの地域の拠点施設です。
 新しい遊児館を地元坂手の皆さんに大いに利用し、活用してほしいと思います。また島の内外の皆さんにも大いに利用していただきたいと思います。(平成28年7月20日)


坂手地区にある「遊児老館」が
リニューアルしました

苗羽幼稚園児による
オープニングセレモニーが行われました

ジャンボフェリーと瀬戸内国際芸術祭によって
坂手と小豆島は元気を取り戻そうとしています

遊児老館と小規模多機能施設の模型を
見ながら施設の説明を受ける住民の方々

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第1727回 小豆島高校ベスト8進出


 夏らしい炎天下での昨日の試合。小豆島高校野球部は見事、多度津高校を破り、ベスト8進出を決めてくれました。本当に強いチームになったものです。
 この日も長谷川投手は、9安打を打たれ、毎回走者を出しながらも、要所をぴしゃりと抑える丁寧な投球でした。2試合連続で相手チームを完封しました。
 打線も11安打、3得点と、まずまずの出来でした。守備はエラーもありましたが、好守備もたくさんありました。
 この日の試合も、3番の長谷川君の三塁打、4番の植松君の3点目のタイムリーヒットと、バッテリーの二人が、投打にわたってチームをひっぱってくれました。他の選手たちも、1番の樋本君、5番の石川君も好球必打、7番の宝来君3安打など、それぞれ力を出して活躍しました。
 生徒を中心とする応援団も、祝日ということもあって、島から来た大勢の皆さんでスタンドをいっぱいにし、高校生の応援リーダーにあわせて、声をからして応援をしました。
 相手チームの多度津高校も長谷川君の投球をジャストミートしたヒットを打つ、見事な打撃でした。最終回の長谷川君のヒット性の当たりをダイビングキャッチしたレフトの守備も素晴らしいものでした。多度津高校の生徒の皆さんの応援も、声が大きく、良く揃っていて気持ちのよいものでした。
 これから、甲子園を目指してもっと厳しい戦いが始まります。相手チームも甲子園をめざして勝ち進んできたチーム。これからのチームに勝つのは至難のことです。
 それでも、どうか、勝利の女神が小豆島高校に微笑んでくれますよう。勝利の女神は、笑顔と積極さがあるチームに微笑むといわれています。もちろん、「エンジョイ・ベースボール」をモットーとし、実践する小豆島高校野球部は、有資格です。
 今度の試合は、21日(木)12時30分から予定されています。今日現在まだ相手チームはまだ決まっていません。丸亀城西高校と尽誠学園の勝者が相手です。どのチームであれ強豪、相手がどこであれ、当たって砕けろ、選手も、応援団も、ベストを尽くします。(平成28年7月19日)

えんじ色のポロシャツを着た大勢の
皆さんで選手を応援しました

ヒットを放つ主将の樋本君

ホームに生還したランナーを迎えるチームメイト

「エンジョイ・ベースボール」の小豆島高校に
勝利の女神が微笑みますよう応援しています

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第1726回 「小豆医療圏地域包括ケア連絡会」が発足しました


 「小豆医療圏地域包括ケア連絡会」が発足しました。 といっても、「小豆医療圏」という言葉の意味も、「地域包括ケア」も「連絡会」も、 福祉や医療の行政の仕事をしたものでない限り、何のこと かわからない方がほとんどだと思います。
 「小豆医療圏地域包括ケア連絡会」の発足は、地道なことなので、メディア的にはとりあげにくい のですが、小豆島のこれからを決める とても重要な一歩だと思います。町長になって7年目ですが、ようやくここまでたどりつけた、 いよいよこれから目的に向けての本格的な歩みが始まると、感慨深く思います。
 「小豆医療圏」の意味です。香川県では、県内の医療の在り方をどうするかについて、検討 していました。その結果、香川県内を3つの医療圏に区分して、医療のあり方を今後整備 していくことを決めました。
 今までは、5つだった医療圏を3つの医療圏にまとめました。香川県の東部、西部そして、 小豆医療圏です。それがどうしたと思われるでしょうが、医療圏は、とても大事 なものです。専門性の高い医療は、香川県全体で整備していくことになりますが、2次医療という 日常生活に不可欠な医療を、医療圏単位で整備していくことになります。
 医療は、暮らしの基本です。医療を基本において、福祉、教育、子育てなどの政策は広がって いきます。つまり、医療圏は、これから地域がどのような広がりで発展を目指すかという、 方向性を示すものだと、私は考えています。
 これから小豆島がどのような方向に進むか、小豆島は、小豆島としてこれからも発展を目指していくのか 香川県としては、小豆島を中心とする小豆医療圏という地域の広がりで、これから いろいろな政策の在り方を考えていくことを決めたことを意味しています。
 「地域包括ケア」の意味です。随分難しい言葉ですが、目指すことは、とても簡単なことです。 つまり、高齢者が、住み慣れた地域で、できるだけ長く、健康で、地域社会に参加し、貢献し、 生きがいを持って暮らしていける政策を実現しようという意味の言葉です。
 専門的に言えば、「医療」「介護」「介護予防」「健康づくり」「社会参加・社会貢献」「住まい」 の政策をばらばらに行うのではなく、一体的なものとして立案し、実行しようとするものです。実は、当たり前のことが、行政の現場では、縦割りになっていて、一体的には決して行われて いません。国から都道府県、市町村を通してそうです。現場に近い行政の方が、縦割りかも しれないというのが、すべての行政を経験した私の実感です。
 厚生労働省は、実は、「地域包括ケア」という政策を掲げることで、最終的には、医療費と介護費用の増高を抑えたいと考えています。例えば、終末医療の在り方をどう考えるかによって、医療費は大きく変わり ます。高齢者が活躍できれば、社会も元気になります。医療費や介護費用をできるだけ抑えることで、若い世代や 次の世代が活躍できる社会をつくっていくことができます。その実現は、国ではなく、住民に一番近い市町村が 本気で取り組むことが不可欠です。
 「連絡会」は、単なる連絡会ではありません。「連絡会」の中心にいるのは、小豆島中央病院です。 そこに土庄町と小豆島町が参加します。小豆島中央病院の佐藤企業長、土庄町の三枝町長、そして 小豆島町長の私が、3本の矢をひとつにして、「小豆医療圏」の「地域包括ケア」の在り方を考え、 実現していくために「連絡会」はあります。
 「連絡会」には、小豆郡医師会をはじめすべての医療、福祉の関係者、両町の老人クラブ、社会福祉 協議会、婦人会などが参加します。小豆島をあげての連絡会です。両町の保健師、栄養士、 社会福祉士など現場の専門スタッフも参加します。
 「小豆医療圏地域包括ケア連絡会」は、小豆島がひとつになって、医療福祉の充実に 取り組む一歩です。その一歩は、医療福祉に限らない取組みにつながっていくはずです。 私もこれまでの経験を活かしていきたいと思います。

小豆医療圏地域包括ケア連絡会が
発足しました

「連絡会」の中心となる
小豆島中央病院

医療を基本において、福祉、教育、
子育てなどの政策は広がって いきます

「地域包括ケア」の目指すことは、高齢者が
住み慣れた地域で、できるだけ長く、健康で、
地域社会に参加し、貢献し、 生きがいを持って
暮らしていける政策を実現することです

「地域包括ケア」を専門的に言えば
さまざまな政策をばらばらに行うのではなく
一体的なものとして実行しようとするものです

厚生労働省は、「地域包括ケア」という政策を
掲げることで、医療費と介護費用の増高を
抑えたいと考えています

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第1725回 二十四の瞳ミロス島友好使節団


 小豆島とギリシャ・エーゲ海のミロス島が姉妹都市提携を結んで四半世紀以上になります。今年3月に小豆島の高校生4人と中学生9人からなる「二十四の瞳」友好使節団がミロス島を訪問しました。
 この日、小豆島国際友好協会主催の使節団の報告会がありました。団長をされた土庄町の元教育長の上田行雄さんほか、皆さんから、ミロス島の皆さんから受けた大歓迎ぶりや団員の生徒の皆さんの奮闘と感動を聞くことができました。
 中学生や高校生の皆さんにとっては、ほとんどの皆さんがはじめての海外経験でした。しかも、公式行事もあれば、ひとりでのホームステイもありました。不安でいっぱいだったと思いますが、オリーブの唄やギリシア国歌を歌ったり、感謝の言葉を毛筆で書いたり、ホームステイ先の皆さんとの心温まる交流などを聞かせてもらい、友好使節団としての使命を十二分に果たしてくれただけでなく、ひとりひとりの生徒にとっても、得難い、本当に良い経験になったと嬉しく思いました。
 私自身は、ミロス島にも、ギリシアにも、地中海にも行ったことがありません。是非一度いつかミロス島を訪問してみたいと思います。来年にはミロス島の皆さんが小豆島を訪れます。ミロス島の皆さんを心から歓迎をしたいと思います。
 小豆島とミロス島の間の友好関係は、両方にとって、かけがえのないものとして、これからも大切にしていきたいと思いますが、国際化についてどう考えたらいいのでしょうか。
 これからの時代、国際化は避けて通れない課題です。否応なしに押し寄せてきます。結論的に言えば、国際化のマイナス面をできる限り小さくし、プラス面を最大にすることです。
 マイナス面の最大のものは、政治や経済の面での摩擦、紛争、対立、果ては戦争の危険性です。これらについては、国政の場において、最高の英知と見識を発揮して解決してほしいと思います。
 国際化の最大のプラスは、それぞれ違う文化や伝統、価値観の多様さに気づき、相互に尊重し合うこと、違う文化や伝統、価値観を相互に認め合うことで、それぞれが一層磨かれていくことにあると思います。
 瀬戸内国際芸術祭の意味も、「国際」に大きな意味があるのだと思います。世界各国のアーティストが、瀬戸内に集まり、アートを通して、瀬戸内の自然、文化、伝統、産業の持つ価値を私たちに気づかせてくれ、世界に発信してくれています。アーティストの皆さんにも瀬戸内の自然、文化、伝統、産業から何かを学んでいただいていると思います。
 小豆島でも、海外からやってきた方々が活躍されるときが来るはずです。そのとき、多様な価値観を受け入れ、共存していくことが必要になります。逆に、小豆島で生まれ育った子どもたちから、世界に勇躍して活躍する人材も出てくるはずです。
 どの文明や文化が上で、下だということはありません。それぞれの地域、人々の個性、多様性はずっと守られるべきだと思います。
 友好使節団の生徒たちは、みんなミロス島に行ってよかったという顔をして、自信に満ちた顔で報告をしてくれました。小豆島の国際化が着実に始まっています。
 今年の夏の芸術祭でも、たくさんの海外アーティストが素晴らしい作品を残し、地域の皆さんと交流していただけることが楽しみです。世界考古学会議のプレツアーが8月下旬に小豆島で行われます。100名近くの海外の考古学者が小豆島を訪れてきます。国際経験の乏しい私たちには、身の丈以上の取組みですが、力をあわせて、小豆島の魅力を世界中の考古学者に知ってもらいたいと思います。(平成28年7月14日)
 
姉妹都市のミロス島を訪問した
「二十四の瞳」友好使節団の皆さん

滞在のようすを写真を用いて
報告されました

参加した生徒の皆さんからも
感想などを聞くことができました

ミロス島との友好の証として建設された
オリーブ公園のギリシャ風車

小豆島を訪れる外国人が増えています

小豆島の地場産業を体験する
外国人留学生

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第1724回 香川銀行と地域振興の包括連携の協定を結びました


 「流れ」というものがあるように思います。したいと思ってもなかなかできないことが、「流れ」があると、自然に、簡単に実現するものです。
 香川県の「地方銀行」の代表のひとつである香川銀行と土庄町、小豆島町が、同時に小豆島の地域振興の包括連携協定を結びました。4月の百十四銀行に続くものです。地方自治体と地方銀行の連携協力もそのひとつかもしれません。両者が地域経済の発展のために、手をつなぐことは当たり前のこととも言えるのですが、これまでは、そのための協定がありませんでした。地方自治体の立場からは「地方創生」を進める上で、地元銀行の参加と協力が不可欠であることに、地方銀行の立場からも、地域経済が元気になることに貢献することが地方銀行の本来の役割であることに、地域社会や地域経済が人口減少などで厳しい状況に到って、ようやく、きちんとしたかたちで、気づいたと言っても差し支えないと思います。
 それほどに、地方自治体は、地方自らが自分たちの知恵と力をあわせて、地方の課題を解決していかねばならないことを忘れていたとも言えるし、地方銀行の方は、それほどに不良債権処理などの金融危機の対応に追われていたとも言えます。  香川県を代表する地方銀行の2行と小豆島の2町が、包括連携協定を同時に結ぶことができたことは、小豆島が元気になっていく上で、とても良いことです。調印式で次のようなコメントをさせていただきました。
 日本が元気になるには、もう一度地方が元気になるしかありません。それが「地方創生」と呼ばれるものです。
 小豆島は、素晴らしい自然、文化、伝統、地場産業、絆を持っています。小豆島「地方創生」の条件を備えています。小豆島は、必ず「地方創生」に成功すると思います。
 小豆島は、「地方創生」の基盤を着実につくりつつあります。小豆島中央病院のスタートがそのひとつです。幸い順調なスタートを切っています。新しい病院は、小豆島に住む人にとって安心の基盤になるだけでなく、これからの小豆島発展の基盤です。高松にある3次医療を行う高度医療機関にはかないませんが、2次医療ではどこにも負けない病院を目指したいと思います。
 来年4月には新しい高校もスタートします。島のどこへも公共バスで300円で移動できるようになりました。小豆島は着実に変わろうとしています。小豆島を元気にする取組みに、香川県の地方銀行の雄のひとつである香川銀行が参画してくれることほど、力強い援軍はありません。小豆島は、「地方創生」の勝ち組に必ずなれると私は確信しています。
 ところで、先日、ファーザリング・ジャパンの徳倉康之さんの話を聞く機会がありました。男女共同参画推進シンポジウムでのことでした。徳倉さんは、香川県を代表する企業の皆さんの前で、男女共同参画を実現した企業が勝ち組になることや男女共同の育児の大切さを理解し、行動する「イクボス」の意義などについて話されました。
 その話を聞いて、いの一番にどの企業よりも早く、「イクボス宣言」をし、動き、変わったのが香川銀行だったと聞きました。そのように感度が高く、行動力のある香川銀行と連携協定を結ぶことができました。私たちは、香川銀行さんと一緒に大いに勉強させてもらい、小豆島が元気になるよう頑張りたいと思います。(平成28年7月13日)

土庄町と小豆島町の小豆郡2町が香川銀行と
包括連携協力協定書を交わしました

小豆島中央病院のは幸い
順調なスタートを切っています

来年4月には新しい高校が開校します

公共バスの改変が行われ、島のどこへでも
最大300円で移動できるようになりました

徳倉康之さんから、香川銀行が
どの企業よりも早く「イクボス宣言」を
行ったこということを伺いました

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第1723回 長命草入り素麺「べジタル君」の給食をいただきました


 長命草入り素麺「べジタル君」の給食を小豆島中学校1年A組の中学生と一緒にいただきました。  長命草は、沖縄などで古くから健康に良い野菜として利用されている薬草です。なぜ小豆島で長命草と思われることでしょう。
 私も最初はそう思いました。小豆島は、醤油、佃煮、素麺、最近はオリーブに代表されるように、さまざまな食材を活かして、食品産業を地場産業にして発展してきた島です。
 小さな島であって、これだけ多様な食品産業を何百年も続けて今に至っていることは、実は、驚くべきことであり、誇るべきことです。醤油も、佃煮も、素麺も、オリーブも、すべての条件が小豆島にもともとあったのではなく、小豆島にあった条件を活かして、外にあった条件を補強し、組み合わせることで、小豆島の地場産業に高めたものです。長命草を活かした新食品の創出は、小豆島の進取の気概の現れ、そのものです。
 小豆島産の長命草を活かした新食品の開発に、小豆島の食品産業メーカーなどで構成する小豆島食材開発会議(片山俊朗会長)は、数年前から取り組んできました。
 小豆島食材開発会議では、農商工連携を目指し、産学官が連携して、醤油・佃煮・製麺などに加えて、小豆島の食品産業における高付加価値商品の開発に資する食材や地域資源を掘り起こし、探求しています。
 長命草は、オリーブオイルよりさらに多くのポリフェノールを含み、消化器系の健康に欠かせない食物繊維を多く含み、多様なビタミン・ミネラル類もバランスよく含まれています。野菜摂取不足の私たちの健康づくりに長命草は効果的です。
 長命草の栽培は、「小豆島長命草の会」という小豆島町室生地区の農家の皆さん(5件)が 取り組んでくれています。農薬や化学肥料を使わず、肥料として小豆島でできる醤油滓や農産堆肥を使い、循環や食品連鎖にも配慮しています。長命草栽培は、農家の収入増(反当り米作の2倍以上)につながり、露地栽培ができ、加重な農作業もないので、耕作放棄地の有効利用にもなります。商工業と農業分野の就労機会の増加にもつながります。
 長命草入り素麺の商品名は「べジタル君」です。野菜不足の私たちにはぴったりのネーミングです。
 「べジタル君」の商品化に当たっては、小豆島にある香川県発酵食品研究所の研究員と小豆島食材開発会議のメンバー企業があたりました。原料は国産小麦粉、瀬戸内の塩、小豆島産の長命草粉末のみです。長命草粉末の製造過程では、熱処理を最小限に抑え、生野菜本来の持つ良さをフルに活用しています。もちろん添加物は使っていません。
 いろいろな魅力にあふれた「小豆島産」こそ、最大のブランドです。「小豆島産」を長命草プロジェクトはフルに活かしています。長命草を利用した青汁、茶、ドレッシング、素麺、うどん、チョコレートなど新商品がどんどん生まれ、多くの消費者に愛されて、健康になり、小豆島の地場産業、小豆島全体も元気になるという、一石二鳥も三鳥もが実現してほしいと思います。
 中学生の皆さんはおいしそうに「べジタル君」を食べていました。もちろん私もそうでした。(平成28年7月12日)

長命草入り素麺の給食を小豆島中学校
1年A組の皆さんと一緒にいただきました

長命草入り素麺「べジタル君」


小豆島食材開発会議の片山俊朗会長


スクリーンを用いて中学生に
長命草の説明をする片山会長

室生地区の「小豆島長命草の会」の農家の
皆さんが長命草の栽培をが行っています

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第1722回 小豆島高校野球部見事初戦突破


 暑い夏が始まりした。でも梅雨明け宣言はまだ出されていません。今日は、夏の高校野球香川県大会の小豆島高校野球部初戦の日です。
 毎年、夏が来ると、わくわくどきどきします。高校野球があるからです。子どものころから、小豆島高校が勝ち進んで、甲子園に出場することをずっと夢見ていました。
 しかし、その夢は毎年叶いませんでした。ところが、ついに今年春の選抜高校野球大会で、21世紀枠出場で甲子園出場の夢を後輩たちが叶えてくれました。
 贅沢なものです。今年は、もう一度甲子園に行って、今度は校歌を歌う夢を見ています。今年の香川県大会、小豆島高校は第2シード校です。甲子園出場が期待されるチームとして出場します。そうなったらなったで、期待に応えて勝つことができるのかと、違った意味でわくわくどきどきします。
 選手たちはどうなんだろかと、グランドに立った姿を見ると、意外にも落ち着いて、堂々しています。若者たちは大したものです。
 初戦の対戦相手は、藤井高校です。名前は知っている高校だけれども、野球は強いのかどうか私にはわかりません。いろいろな人に聞くと、今年の藤井高校はバッテリーが強力で侮れないチームだと聞きました。おまけにある私立強豪チームの監督は2対1で藤井高校が勝つと予想していると聞きました。
 試合が始まりました。初回、長谷川・植松君のバッテリーは、サイン違いか始めて見るパスボール、おまけに植松君が球の行方を見失って、1塁ランナーが3塁まで進む大ピンチを迎えました。しかし、その後長谷川君が踏ん張って無得点に終わりました。  
 予想通り、相手のピッチャーは、140キロを超え、常時130キロ代後半の直球に、変化球を織り交ぜての好投手で、打ちあぐみました。植松君が、粘って、追い込まれてからの速球を、三塁ベース横を鋭く抜く二塁打でつくったチャンスに、6番阪倉君の内野ゴロの間に、1点をもぎとりました。この1点を、長谷川君が最後まで、丁寧な投球で守り切って、1対0の完封で勝利することができました。
 藤井高校野球部の皆さんは、素晴らしいチームでした。今日はたまたま小豆島高校が、勝ちました。藤井高校の皆さんの分も、これから小豆島高校野球部の皆さんが頑張ってくれると思います。
 次の試合は、雨での順延が今後なければ17日の日曜日です。少し合間が空きます。シード校になると見えないところで配慮がなされていることを始めて知りました。次の相手は2試合を勝ち抜いてきたチームです。弱いチームであるはずがありません。
 どんどん強いチームに当たっていきます。そのすべてのチームに勝ってはじめて甲子園に出場することができます。高校野球は、厳しい練習を続けて、実力をしっかりつけて、しかも自分たちのチームよりも素質に恵まれ、もしかすると練習も自分たちよりもしっかり積んだかもしれない相手チームに、最後の最後まで勝ち続けて、その先に甲子園があります。
 甲子園に出場するということは、やっぱり大きな夢が叶うことに違いありません。後輩の選手たちには、今年の暑い夏が悔いのないものであってほしいと思います。(平成28年7月11日)

小豆島高校野球部の
夏の高校野球香川県大会が始まりました

今年の夏は、もう一度甲子園に行って
校歌を歌う夢を見ています

粘り強い投球で完封勝利を収めた
ピッチャーの長谷川君

先制の足掛かりとなる三塁線を破る
二塁打を放った植松君

先制点を喜ぶ小豆島高校の生徒の皆さん

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第1721回 ジャンボフェリー就航5周年


 ジャンボフェリーが坂手港と神戸港に就航して5年になります。この日、神戸三宮フェリーターミナル緑地で「小豆島・神戸交流記念、小豆島航路就航5周年記念植樹式」が神戸市の主催で開かれました。
 久元喜造神戸市長、池田りんたろう神戸市議会議長、ジャンボフェリー加藤琢二会長ほか、大勢の関係者の皆さんに5周年を祝っていただきました。本当に嬉しいことでした。
 久元市長からは、航路だけでなく、オリーブがつなぐ神戸と小豆島の縁、小豆島高校野球部の甲子園での活躍を紹介していただくなど、こころ温まるご挨拶をいただきました。池田市議会議長からも、子どものころの丸金醤油のうちわの思い出を話していただき、神戸と小豆島が産業、暮らし、観光でつながることへの期待を述べていただきました。
 私は、ジャンボフェリー就航5周年を心から感謝した上で、次のようなことを話させてもらいました。  神戸は、私たち小豆島で暮らすものにとって、人生と、日本と、世界の玄関港です。そして、あこがれの都市です。
 私は、子どものころ、夏休みごとに、親に神戸につれてきてもらうことが楽しみでした。甲子園で、阪神タイガースや高校野球を見るのが楽しみでした。
 18歳になり、高校を卒業したとき、高校とは春の選抜野球で活躍した小豆島高校です。坂手港を出て、神戸港に降り立って、私の第二の人生をスタートさせました。
 その小豆島坂手港と神戸港を結ぶ定期航路が16年もの間なくなっていました。5年前、ジャンボフェリーの加藤会長が英断を下してくれて、神戸と小豆島をつなぐ定期航路が再び就航しました。それからの展開は皆さんのご存じのとおりです。
 海の道でつながった小豆島、瀬戸内海は再びキラリと輝こうとしています。瀬戸内国際芸術祭で、小豆島と瀬戸内海へ、大勢の皆さんが訪れ、賑わっています。全国、世界の皆さんが小豆島と瀬戸内海に注目してくれようとしています。
 選抜高校野球で、長田高校と同じく、21世紀枠で選ばれた小豆島高校野球部の17人の選手は、ジャンボフェリーに乗って、神戸から甲子園に向かい、大活躍をしました。
 今年の夏こそ、甲子園で校歌を歌いたいと、選手たちは、一生懸命練習しています。皆さんとともに、この夏、甲子園で校歌を歌いたいものです。
 今回、ジャンボフェリー5周年を祈念して、小豆島の8年物のオリーブの木を寄贈させてもらいました。久元市長から、オリーブが結ぶ神戸と小豆島の縁のお話しがありました。皆さんは、小豆島が日本のオリーブの発祥地であり、日本でオリーブの実が初めてなったのは、小豆島だと思っていられると思います。
 実は、日本のオリーブの発祥地は神戸です。日本で育った一番古いオリーブの木は湊川神社のあるオリーブの木です。日本で最初のオリーブ園は、神戸にありました。小豆島に先立つこと20年くらい、明治のはじめのころ、ここからちょっといったところに日本最初のオリーブ園がありました。神戸大学名誉教授の中西テツさんが最近研究し、発表されています。
 日本のオリーブの発祥地は小豆島ではなく神戸です。どちらにしても、久元市長からおっしゃっていただいたように、オリーブを縁にして、神戸と小豆島はつながっています。この縁も大切にしたいと思います。
 瀬戸内国際芸術祭のテーマは、「海の復権」です。海は、私たち生命体が誕生したふるさとです。古来、私たちは、海を通して、交流し、文化をつくり、文明をつくり、産業をつくってきました。「海の復権」は、神戸にとっても、小豆島にとっても、未来を拓く鍵です。
 ともに手をとりあって、「海の復権」を目指したいと思います。神戸とジャンボフェリーの発展を祈念してお祝いの言葉とします。(平成28年7月8日)

ジャンボフェリー小豆島航路が
就航して5年になります

神戸市主催の
小豆島航路就航5周年記念植樹式

小豆島の8年物のオリーブの木を寄贈しました

3月ジャンボフェリーで
甲子園に向かう小豆島高校野球部

左から池田りんたろう神戸市議会議長、
久元喜造神戸市長、私、
ジャンボフェリー加藤琢二会長

瀬戸内国際芸術祭のテーマである「海の復権」は
神戸や小豆島にとっての未来を拓く鍵です

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第1720回 甲子園出場の記念碑ができました


 春の選抜高校野球の小豆島高校野球部甲子園出場の記念碑が小豆島高校の校門をくぐってすぐの、野球部グランド横に出来あがりました。この日、岩澤校長、杉吉野球部監督、樋本主将らの皆さんが参加して除幕式がありました。
 ボールのかたちをした石碑には、部長、監督、選手、マネージャーの名前と樋本主将の選手宣誓の全文が刻まれています。岡田小高後援会長ほか皆さんが尽力していただきつくられました。
 前日に、野球部保護者会主催の夏の大会に向けた恒例の選手激励会がありました。17人ではなく1年生も加わり、総勢27人となった選手と部長、副部長、監督、マネージャーの全員が抱負と決意を語ってくれました。
 選手の皆さんからは、甲子園でみんなで校歌を歌う強い決意が次々と聞くことができました。その一方、まずは初戦に勝ち、一戦一戦、ベストを尽くして、勝ち進んでいくことの大切さも聞くことができました。力が着いた上で、自信も持ち、しかも、謙虚さもあって、選手たちは一段と逞しくなっています。
 先輩琴勇輝関のメッセージも岩澤校長から伝えられました。琴勇輝からは、後輩の野球部の面々から元気をもらっていることへの感謝とともに、やるべき練習をちゃんとやったことに自信を持って、普段どおりに実力を出せば、結果は必ず出るので頑張ってほしい旨のメッセージが伝えられました。
 杉吉監督も「変化」から「進化」し、「開花」のときを迎えようとしていると力強く、語ってくれました。
 選抜大会では、校歌を歌えず悔しさが込みあげてきたそうです。選抜大会後、夏の大会を勝ち切れる自分たちを想像しながら、夏の大会で力を発揮できるために必要なことは何かを、自分たちで考え、創意工夫をしながらもがき続けてきました。
 「変化」することに挑戦し、試合で通用するレベルにまで磨きをかけ、「進化」してきました。今、「変化」から「進化」を遂げ、そして「開花」のときを迎えようとしていると、杉吉監督は力強く宣言しました。
 選抜大会後の試合を何試合か見せてもらいました。全国の強豪とも対等以上の試合をできるチームに間違いなく成長したことを感じることができました。甲子園で校歌を歌える実力のあるチームに成長したことを頼もしく思います。
 しかし、実際に勝ち進んでそれを実現することは容易なことではありません。強豪高松商業をはじめ、他のチームも同じように、力をつけて、全力で向かってきます。すべてのチームに可能性があります。小高野球部の面々には悔いのないようベストを尽くしてほしいと思います。私たちも応援にベストを尽くします。
 記念碑の除幕式に参加して、記念碑を残すだけではなく、小高野球部のこのグランドそのものをいつまでも「野球の聖地」として活用し続けたいと思いました。そして「小高」の全体を、「小高」の歴史を引き継いで、新たに小豆島の未来をつくり、小豆島の魅力を発信する場にしたいと思いました。
 今年の夏は、瀬戸内国際芸術祭2016夏会期もあります。琴勇輝関の横綱・大関を目指した挑戦もあります。小豆島を元気にするいろいろな取組みもあります。小豆島の未来につながる暑い夏になりそうです。(平成28年7月7日)

小豆島高校野球部甲子園出場記念碑
除幕式のようす

激励会では、樋本主将をはじめ
選手全員が夏の大会の抱負を述べました

「変化」から「進化」し、「開花」のときを
迎えようとしていると、力強く語った杉吉監督

グラウンドに掲示されている
トレーニングテーマ「変化・進化→開花」

小高野球部のこのグラウンドをいつまでも
「野球の聖地」として活用し続けたいと思いました

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第1719回 浅田審議官の講演に学ぶ教育のあり方


 小豆島町総合教育会議で、これからの教育のあり方について論議をしています。その一環で、文部科学省の浅田和伸審議官(高大接続及び初等中等教育局担当)の話を聞きました。
 浅田さんは、小豆島の隣の豊島の出身です。豊島の小学校、中学校を卒業して、高校はできたばかりの高松西高に進学しました。東京大学で心理学を学び、文部省にキャリア官僚として入省しました。
 私が、浅田さんに注目するのは、私以上に離島の豊島の出身だということ、大学で学んだのが法学ではなく、心理学ということは、公務員試験に必要な法律、経済などは独学であること、文部科学省でのキャリアが、大臣秘書官、官房総務課長、内閣参事官など、中枢のエリートコースを経験する一方、志願して、品川区の公立中学校校長になるなど、教育現場も知り抜いている方だということです。


豊島出身で文部科学省の浅田和伸審議官

 正直なところ、町長になるまで、教育の大切さということに余り思いが到りませんでした。私自身は恵まれた教育を受けたこともあってか、教育は結局、教える側にとっても、教えられる側にとっても自己責任の問題であり、行政のあり方はそれほど重要ではないと思っていました。
 ところが、町長になって思うことは、それどころか、教育のあり方はひとりひとりの人生の在り方を決める重要なことであるばかりでなく、地域社会のあり方、国全体のあり方を決める最大の政策テーマであると思うようになりました。
 私自身の人生を思い返して、それは健全な家族と地域社会と学校があったからこそ、今の私があるのだと思います。しかし、今の子どもたちがそのような環境にいないとしたら、何としても、その環境を変えてあげないといけないと思います。
 さらに、人口減少も始まり、社会のあり方が大きく変わろうとし、国際化や科学技術の進歩も否応なしに進むとすれば、大きな変化に対応できる教育がなければ、子どもたちの未来は大変です。教育のあり方は、自己責任の問題であるどころか、行政が取り組むべき最大の政策テーマだと思います。


小豆島町総合教育会議のようす

 浅田さんは、参考になることをたくさん話してくれました。そのいくつかを書き留めておきます。
 ひとつは、今の子どもたちはどんな未来を生きるかを考えて、教育のあり方を考えなければいけないことを言われました。教育は、「現在」ではなく20年後、30年後の「生きる力」を育てなければいけない、大人の「過去」の常識を押し付けてはいけないと言われました。
 私は、はっとさせられました。小豆島の教育のあり方を考えるとき、「過去」の教育はこうだったから、どうしたらそれを取り戻せるかを考えていました。確かに、どんな時代にも変わらない普遍的なことがありますが、子どもたちの生きる時代の先を見据えて、教育のあり方を考えなければいけません。
 日本の子どもたちは、学力では、今も世界のトップレベルを維持したり、回復したりしているのに、「数学、理科の勉強は楽しい」、「数学、理科を使うことが含まれる職業につきたい」といった学習への動機づけや実社会との関連、「自分には人並みの能力がある」という自尊心、自己肯定感を持っている割合が米中韓より低いのだそうです。
 香川県、小豆島の子どもたちは、その全国平均よりも、自尊心、自己肯定感が低いと聞いています。どうしてそんなことになっているのでしょうか。何かをなしえたり、生きていることをよかったと思えるためには、自尊心、自己肯定感が必要だと思います。自尊心、自己肯定感はどうしたら育むことができるでしょうか。


浅田さんは今の子どもたちはどんな未来を
生きるかを考えて、教育のあり方を
考えなければいけないと言われました

 今後の社会において求められる能力について、次のように言われました。これまで、教育や勉強と言えば、できるだけたくさんの知識や情報を身に着けることだったと思います。ところが、これからはIT、AIが人間以上の能力を発揮するようになったり、国際交流が今以上に進む社会では、「答えのない課題に最善解を導く能力」や「分野横断的な幅広い知識・俯瞰力」などの能力が、今後一層求められることです。創造性、思いやり、感性は、AIにはできず、できるのは人間のみです。
 教育・学校と地域コミュ二ティは密接な関係にあることも言われました。地域コミュニティは、深い結びつきを持つ共同体であり、志を同じくするものの集まりです。学校は、地域コミュニティの核です。レジメにこう書かれていました。中教審の答申です。そのまま引用します。
  「誰かが何とかしてくれる、のではなく、自分たちが『当事者』として、自分たちの力で学校や地域をつくり上げていく。子どもたちのために学校を良くしたい、元気な地域をつくりたい、そんな「志」が集まる学校、地域がつくられ、そこから、子どもたちが自己実現や地域貢献など、志を果たしていける未来こそ、これからの未来の姿」
 「教育とは何か」と聞かれて、「一人一人の居場所はまちまちであり、教育は、一人一人の居場所づくりの応援であり、手段だと思います」と答えられたのが印象に残りました。(平成28年7月6日)

人間が持つことのできる創造性、思いやり、
感性などの能力が、今後一層求められます

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第1718回 7月になりました


 7月になりました。今月は、いよいよ夏の高校野球が始まります。小豆島高校の1回戦の相手校(11日10時~Cスタ丸亀で藤井高校)も決まりました。8月に甲子園で校歌を歌いたいものです。梅雨の合間(明け?)の猛暑の週末、小高野球部の面々は高知県に遠征試合に行ったそうです。
 2日土曜日の朝、坂手自治会の皆さんが、ジャンボフェリー就航5周年の記念セレモニーを坂手港で行ってくれました。神戸から着いたジャンボフェリーから降りてくるお客様をジャンボフェリーの唄を歌いながら、皆で出迎えました。
 私たち、島に住むものにとっては、海の道・航路がなければ生きていくことができません。坂手港は、小豆島と京阪神を結ぶ玄関港です。その定期航路が長い間なくなっていました。5年前、ジャンボフェリーの加藤琢二会長が英断を下してくれて、神戸との定期航路を復活してくれました。
 そのことをきっかけにして、瀬戸内国際芸術祭のにぎわいが生まれ、人と人の行き来が始まり、小豆島は元気を取り戻そうとしています。私は、この航路を守り、新造船が実現するよう努力したいと考えています。
 夕方には、中山地区で「虫送り」がありました。1万年前、中山地区で大きな地滑りがあり、南向きの日当たりのよい斜面ができました。山の頂上一体に天然の水源があり、粘土質の土壌だったので、島の特産の石を積み上げて、700年ほど前に棚田をつくりあげ、米づくりをはじめました。
 そして300年ほど前から、豊作を感謝しての農村歌舞伎もはじめました。「虫送り」も、害虫を追い払う神事として、同じころに始まったと言われています。「虫送り」は人手不足で中断していましたが、映画「八日目の蝉」の撮影のために、地元の皆さんが5年前に復活してくれ、以降毎年行われています。
 今年の「虫送り」は天候に恵まれたこともあり、全国各地から大勢の皆さんが参加して行われました。火手(ほて)350本を地元の皆さんが用意してくれました。今年は、祈祷が例年にないくらい力強く感じられたので、地元の方に聞いたら、「その通りです。イベントではなく、悪霊を追い払う伝統行事としての性格を強めました。」と言われました。流石です。
 秋の奉納歌舞伎も是非大勢の皆さんに見ていただきたいと思います。「棚田、農村歌舞伎、虫送り」という小豆島の誇る農業と文化、伝統を地元の皆さんと一緒に守っていこうと思います。
 「虫送り」の帰りに、小豆島ふるさと村広場で開かれていた地元の室生地区の夏祭りに立ち寄りました。地域の大勢の老若男女で賑わっていました。室生の皆さんの暑いエネルギーを感じることができました。熱気にあおられて、久しぶりに下手な歌を2曲歌いました。
 日曜日には、オリーブビーチの海開きがありました。小豆島には、かつては島のあちこちに海水浴場がありましたが、今では、数は少なくなりました。そのなかで、オリーブビーチは、景観も、水質も素晴らしい砂浜です。この日も、はや大勢の若者たちが、オリーブビーチを楽しんでいました。今年も無事故で大勢の皆さんに小豆島の海を楽しんでいただきたいと思います。(平成28年7月5日)

いよいよ小豆島高校野球部の
夏の大会が始まります

坂手自治会の皆さんが、ジャンボフェリー
就航5周年記念セレモニーを行いました

今年は天候に恵まれ、全国各地から
大勢の方が中山の虫送りに参加されました

虫送りの前に力強い祈祷が行われました

オリーブビーチでは海開きが行われ、
早速大勢の若者たちが小豆島の
海を楽しんでいました

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第1717回 平田オリザさんが小豆島に来られました


 劇作家の平田オリザさんが書かれた新書「下り坂をそろそろと下る」が5万部を超えたそうです。わがことのように嬉しく思います。
 この本で、平田さんは、この国は下り坂だけれども、そろりそろりと、この長い坂を、夕暮れの寂しさに歯をくいしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、この坂を下りていければ、下り坂も、決して悪いものではないと、日本各地のいろいろな取組みを紹介しています。
 そのひとつとして小豆島の取組みが紹介されています。小豆島では、アートや文化をきっかけにして、大勢の若い皆さんが小豆島に移住したり、いったりきたりしてくれるようになっていること、演劇ワークショップの取組みなど地道な活動も行われ、少しずつ島が元気になりだしていること、選抜高校野球での小豆島高校野球部の活躍の秘密などが紹介されています。
 少し褒め過ぎていただいていますが、もしかしたらそのとおりで、人口減少や過疎化の克服の鍵は、アートや文化がきっかけになって、本来持っているその地域、地域の良さに人々が気づいて、自信を持って、ともに楽しみながら、助け合って、支えあっていける社会をつくっていくことにあり、そんな坂道が小豆島に生まれようとしているならいいなと思います。
 平田さんは、超多忙のなかを、今年も小豆島に来てくれました。小豆島中学校2年生全員に演劇の授業をしていただきました。前日の夜、最終便の飛行機で高松に着き、朝一番の船で小豆島に入っていただき、つくやいなや、昼過ぎまで通しの授業をしてもらいました。
 午後も、役場と学校の若手のスタッフと教師の皆さんにワークショップを夕方までしていただき、夜は夜で、私や学校の先生方と、どうしたら小豆島の子どもたちの力を伸ばしていけるかなどについて、楽しく意見交換しました。
 次の日も、朝から昼過ぎまで、残りの小豆島中学2年生に演劇ワークショップをしていただき、終わるやいなや、岡山県の瀬戸内市に向かわれました。その次の日は、兵庫県豊岡市に行かれるのだそうです。このように全国と世界をかけまわりながら、新しい作品を書かれたり、劇の演出もされているのですから、驚くばかりです。
 子どもたちにとっての演劇の授業の意味を、私は次のように考えています。
 授業では、生徒がグループになって、限られた時間で、全員で相談して、短いストーリーの劇の台本をつくり、役割分担を決め、練習をして、みんなの前で実際に演じます。
 この授業は、全員が参加します。ひとりで決めるのではなく、全員が相談して決めます。役割分担はいろいろです。ひとりひとりに役割があります。大きな声で話せる人もあれば、小さな声の人もいます。演技を上手にできない人もいます。そんなときは誰かが助けないといけません。時間は限られています。いいストーリーができても、演技の練習が足らないと、肝心の発表がうまくいきません。
 授業をみていると、最初はどうしていいのか迷っていますが、段々とコツがわかってくると、楽しそうにやっています。きっと、普通の授業では、目立たず、活躍できない生徒も、転入生が教室にやってきたときのやりとりをつくり、演じるというとても簡単で、身近なテーマなので、どんどん発言でき、演じられるので、きっとおもしろい授業になるのだと思います。
 この授業のなかに、子どもたちが大人になったとき、実際の社会で求められることが凝縮されています。私たちの世代は、貧しくて、子だくさんで、いろいろな人々が地域で活躍している姿を目にできたので、私たちは、家族や地域社会や学校で、生きていく上で必要な、いろいろな能力を自然に身につけていくことができました。
 ところが、今はそうではありません。家族や地域社会の力が弱くなっています。社会も複雑になっています。IT、AIなどの科学技術は、ある面では人間の力を超えようとしています。国際化に対応できる力も求められようとしています。子どもたちには、未来を担い、生きる力を身につけてほしいと思います。
 アートや文化には、地域の人たちに、地域の魅力を再発見させてくれる力があるように思います。地域で暮らすことが、誇りであって、楽しいことであってほしいと思います。濃くすぎなくて、ほどよいつながりがある地域であればいいと思います。お祭り、盆踊り、農村歌舞伎などがあって、それに参加することが楽しくあればいいと思います。
 平田さんの行動と発想から、いろいろなことを楽しみながら学んでいます。(平成28年7月4日)

平田オリザさんの著書
「下り坂をそろそろと下る」

劇作家の平田オリザさん

ご多忙の中、今年も中学生を対象とした
演劇の授業を実施していただきました

この授業のなかには、子どもたちが
大人になったとき、実際の社会で
求められることが凝縮されています

授業の最後には、グループで練習した
演劇をクラスごとに発表しました

若手の役場職員や学校教師を対象とした
ワークショップも行っていただきました

アートや文化には、地域の魅力を
再発見させてくれる力があるように思います

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第1716回 思い出の女性たち


 先日サンオリーブで開催された「男女共同参画推進シンポジウム」でパネラーとして参加しました。そのシンポジウムで、私が出会い、あるいは私に大きな影響を与えてくれた女性たちのことを話しました。
 皆さんに知ってもらうほどの内容ではありませんが、記録のひとつとして書き留めておきます。読み流してください。一人目は母です。私にとって最も大切な存在です。母は大正生まれで、その世代の小豆島の女性としては、ごく普通の女性の生き方とも言えます。母は、早朝起きると、まず畑にでかけます。そのあとは家族のための朝食を準備します。昼間も畑仕事、私が小学生高学年になってからは佃煮会社に勤めていました。夜は、食事の準備のほかもろもろの家事と佃煮の袋詰めの内職を遅くまでしていました。
 母は、たまの旅行をのぞいて小豆島を離れることなく、子どものことを案じて、一生を終えました。
 二人目はおなご先生です。私の小学校時代の担任の先生です。私は、小学生のころ、引っ込み思案で、人前で話したり、教室で手をあげて発表することができませんでした。運動会も、学芸会も逃げ回っていました。そんな私でしたが、先生は、「塩田君は塩田君でいい」と、温かく見守ってくれました。先生が信頼してくれていることを感じることができました。そのことが今の私につながっています。
 三人目は霞が関のスーパーウーマンたちです。私は、昭和50年に厚生省に入りました。そのとき厚生省のキャリア官僚と呼ばれる女性はたった3人でした。毎年平均10人のキャリアが採用されていたので、30年、300人にいるキャリアのうちの3人、たった1%でした。しかも、そのうちの一人は、人事担当の上司から「女性には期待していない」趣旨のことを言われ、厚生省を離れ、ニューヨークに旅立っていきました。彼女は、ニューヨークで日本人女性初のインベストメント・バンカーなりました。
 今、霞が関でたくさんの女性キャリアが活躍していると感じられていると思います。私がいたころに比べればそうですが、まだ、たかだか2,3割くらいです。世界の趨勢からすれば低い割合です。
 四人目は壺井栄です。今年は、栄の50回忌の年です。栄の夢は文字で人を助ける仕事につくことでした。家が貧しくて進学できず、教師になる夢は捨てざるを得ませんでした。そこで、郵便局につとめました。当時の郵便局は手紙の代筆など、いろいろな面で人の助けになる仕事をしました。
 栄が、上京し、壺井繁治と結婚し、小説を書くようになったのは、30代も後半に入ってからです。栄は、実にさまざまな女性の生き方を小説にしています。その多くは、小豆島で体験し、見聞し、祖母や母から教えられたことを題材にしたものです。人の生き方は、さまざまです。どの生き方がよくて、どの生き方がよくないと、簡単には判断できません。生まれ育った時代や環境に人の生き方は影響を受けます。努力でなんとかなることもあれば、そうでないこともあります。夢を叶えることができた人生もあれば、そうでない人生もあります。夢を持つことすら許されない人生もあります。「二十四の瞳」の12人の子どもたちの人生もそうでした。
 亡くなるときに、「よい人生だった」と思って死ぬことができたらいいと思います。私は、母がそう思って亡くなったのか、自信がありません。いろいろな事情で、最後の最後に、私は母に心配をかけてしまったので悔いがあります。せめて母が生きていたらほめてもらえる小豆島町長でありたいと思います。(平成28年7月1日)

男女共同参画推進シンポジウムでの
パネルディスカッション

生まれ育った馬木地区

母は私にとって最も大切な存在です

小学校時代の担任の先生は
「塩田君は塩田君でいい」と
温かく見守ってくれました

小豆島を代表する壺井栄

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