小豆島町長の「八日目の蝉」記 

 私は小豆島に生まれ育ちました。18歳のときこの島を離れ、40年ぶりに島に帰ってきました。島に帰ってから新しい発見の日々です。この島には、今私たちが失いつつあり、探し求めている何か、宝物がいっぱいあります。
 平成22年の3月と4月に、NHKが「八日目の蝉」というドラマを放映しました。小豆島が舞台のドラマです。その後、映画化され、平成23年4月29日に全国ロードショーされました。蝉の地上での命は普通7日です。ですから、8日目の蝉は、普通の蝉が見ることができないものを見ることができます。作者の角田光代さんは、原作で、小豆島のことを「海と、空と、雲と、光と、木と、花と、きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」と表現しています。そして、主人公である若い女性に、おなかの中の子に、この景色を見せる義務が私にはあると、語らせています。
 そこで、私は小豆島の「きれいなものぜんぶ入った、広くて、大きな景色」を、これから町長の日々の仕事を通して訪ねてみようと思います。

第2031回 小豆島で「秋祭り」が続いています


 小豆島は、今、秋祭りが続いています。11日の小豆島町福田の葺田八幡神社を皮切りに15日の内海八幡神社、16日の池田亀山八幡宮、22日の土庄町豊島唐櫃八幡神社まで、連日、総計8つの神社で秋祭りが続きます。
 秋祭りは、五穀豊穣を感謝して地域の人が集まって行うものです。小豆島の秋祭りは、「太鼓まつり」です。太鼓台の上に、大きな赤い布団が何層も乗っています。
 小さい布団が三枚の太鼓台が小太鼓、大きな布団5枚が大太鼓です。太鼓を叩くのは小学生です。かつては男の子に限られていますが、このごろは、子どもの数が減って女の子もいます。太鼓をかつぐのは地元の男たちです。
 太鼓台のかたちや装飾はそう変わらないのですが、かき方は地区によってさまざまです。けんかのようなかき方のところも、アクロバットのようなかき方のところも、荘重なかき方のところもあります。  太鼓台に獅子舞、幟指し、長刀踊りなど、地区によってさまざまな芸能が加わって行われています。ひとつの島のなかで、ここまで多士済々の秋祭りが、10日間にわたって続く、小豆島の文化と伝統の多様さに驚くばかりです。
 太鼓まつりだけでなく、先日は、中山地区で農村歌舞伎の奉納がありました。農村歌舞伎も五穀豊穣を感謝して行われています。今でこそ、農村歌舞伎は、小豆島で2か所しか残っていませんが、かつては30を超える地区で行われていました。
 このように小豆島で秋祭りが盛んなのはなぜでしょうか。きっと秋祭りは、江戸時代に始まったのだと思いますが、小豆島が今の基準では豊かでなかったかもしれませんが、当時の基準では、どこにも負けないほどに、産業や文化の面で豊かであったからだと思います。
 そして、進取の気概に満ち、上方などにある素晴らしいものを、直ちに自分たちのものにするなど、好奇心の強さが、秋祭りの隆盛につながっています。稲作も、醤油づくりも、素麺づくりも地域の人たちが力をあわせて行ったに違いありませんが、秋祭りには、その地域の連帯感、団結力が凝縮されています。
 さて、小豆島はずっと人口減少に苦しんでいます。戦後間もないころ6万人を超えた人口は3万人を割り、2万8千人ほどになっています。このままでは、40年後に1万人くらいになると推計されています。
 このような中で、秋祭りは、大勢のかき手が参加して、今も続いて行われています。もちろんかき手不足で、他地域とかき手を融通し合ったり、この日だけUターンしてくる若者たちもいます。嬉しいことに、瀬戸内国際芸術祭などで、小豆島につながりのできた大勢のアーティスト、クリエイター、デザイナー、建築家、学生など、島の外から、たくさんの皆さんも応援に馳せ参じてくれています。
 こうして、「秋祭り」が賑やかに続けられている小豆島は、このエネルギーと集中力、団結力、島の外の人々をひきつけるものがあるのだから、きっと、人口減少を克服する道筋を見つけることをできるはずと、ぼくは心のなかで、思うことができました。(平成29年10月16日)

小豆島の秋祭りには
「太鼓まつり」が行われます

太鼓以外にも獅子舞などの
各地区の芸能が行われます

10月は太鼓祭りだけでなく
中山地区で農村歌舞伎が行われます
 
内海八幡神社例大祭では、11年ぶりに
馬木地区の太鼓が石段奉納されました
 
小豆島につながりのある方などが島外から
かき手の応援に駆けつけました

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第2030回 「福祉と医療の推進会議」


 「福祉と医療の推進会議」がありました。介護の計画と障がい者福祉の計画をつくるための議論をしてもらっています。この日は、障がい者福祉の計画で、重要なポイントである障がいのあるこどもたちの「学ぶ場」について議論をしてもらいました。
 障がいのある人もない人も「学ぶ場」はなくてはならぬことです。小学校などには、特別支援学級があります。重たい障がいのある人は、特別支援学校に行くことになりますが、小豆島にはないので、高松の学校に行くことになります。
 香川県教育委員会は、昨年12月、小豆島に特別支援学校をつくる方向性を打ちだしてくれました。どこに、どんな学校がつくられるか、県教委が決めることですが、小豆島の側でもよく考えて、県教委に希望を伝えたいと思います。
 「学ぶ場」は、特別支援学校だけでなく、特別支援学級のあり方も大事です。「働く場」「暮らす場」「ふれあう場」も「学ぶ場」です。「学ぶ場」と、「働く場」「暮らす場」「ふれあう場」は、相互に関係し、一体のものとして、構想し、実現していくことが必要です。「福祉と医療の推進会議」で、これから議論してもらいます。
 この日の会議では、障がいのある人の教育の現状と課題、特別支援学校視察の報告を教育委員会、役場の「ぬくもりと希望の島づくり」チームがしました。その後、県教委の小豆島での特別支援学校設置に向けた検討委員会の委員長をされた香川大学の坂井聡教授からご意見を頂戴し、議論をしていただきました。
 先日、私も兵庫県三田市の小学校と中学校に併設された特別支援学校を視察しました。そこでは、障がいのあるこどもとないこどもが、共に学び、交流していました。いろいろ努力を重ねられ、課題もあると感じましたが、新しい教育のあり方の可能性を感じました。
 小豆島で、障がいのある人とない人の新しい「学ぶ場」ができたらと思います。「働く場」「暮らす場」「ふれあう場」もあわせてつくれたらと思います。そのための一歩を着実に重ねていけたらと思います。この日の会議もその一歩になったと思います。(平成29年10月13日)

今年度3回目となる「小豆島町の福祉と
医療の推進会議」を行いました

ぬくもりと希望の島づくり
(クリックすると詳細が表示されます)

小豆島での特別支援学校設置に向けた
検討委員会の委員長を務められた
香川大学坂井聡教授
 
先月、兵庫県三田市の
特別支援学校を視察しました

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第2029回 小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する記念事業


 小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する記念事業の第1回を小豆島のオリーブ公園のサンオリーブホールで開催することができました。
 松山善三さんと高峰秀子さんと言えば、日本を代表する脚本家・映画監督であり、女優です。お二人は、おしどり夫婦としても知られていました。
 お二人は、壺井栄原作の木下惠介監督の映画「二十四の瞳」の助監督と大石先生を演じた主演女優でした。お二人は、この映画の小豆島ロケをきっかけに交際をすることになり、ともに生涯を支える伴侶となりました。
 当時、高峰さんは、既に日本を代表するトップ女優であり、ロケのあった昭和28年の時点で年収は2000万円を超えていたのに、助監督の松山さんは、無名であり、年収20万円ほどで、経済面では、まったくつり合いのとれない二人でした。
 しかし、高峰さんは、お金をせびる家族に悩まされており、女優という仕事が好きではありませんでした。5歳から女優をはじめ、学校に通うことができず、小学校に1月通っただけで、辞書の使い方すら知らずに育ちました。
 高峰さんは、辞書の使い方を夫の松山さんに学び、「わたしの渡世日記」をはじめ数十冊の名著を残しました。素晴らしい映像作品を残したことは言うまでもありません。
 松山さんは、高峰さんを自分の力で養うことを目指し、ついに日本を代表する脚本家、監督となり、「名もなく貧しく美しく」など素晴らしい映像作品を残しました。
 高峰さんは、7年前の12月に亡くなりました。松山さんは、昨年8月に亡くなりました。斎藤明美さんは、週刊文春の記者として、お二人と取材を通して知り合い、お子さんのいないお二人の養女となり、お二人の引退後の老後をともに暮らしました。
 その斎藤さんから、お二人の残された遺産の一部を小豆島に寄贈したいとの申し出を受けました。お二人が結ばれるきっかけになった小豆島に、お二人の残された財産を寄贈し、お二人の希望に沿って活かしたいとお考えになりました。小豆島町では、町議会と相談し、「小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する条例」をつくり、いただいた財産を活かして、映画づくりに功績のあった裏方さんの表彰、お二人の映画作品の上映会の開催、お二人の関係資料などの収集保管など、映像作品の素晴らしさを小豆島から発信する事業を行うことにしました。
 斎藤さんには、お二人の東京の自宅で、「松山善三・高峰秀子記念事業準備室長」をしていただいています。お二人と交流のあった文化人の皆さんで構成する「小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する検討会」を設けて、どんな事業をしたらいいか、いろいろなご意見をいただいています。
 この日の第1回の記念事業は、この検討会の皆さんの提案です。斎藤さんとお二人の委員が、この日の事業のため、わざわざ小豆島に来ていただきました。この日は、私と斎藤さんの斎藤さんを紹介するトーク、86年ぶりに見つかった高峰秀子さんの子役時代の無声映画「私のパパさんママが好き」の活動弁士片岡一郎さんの活弁による全国で初めての上映、そして斎藤さんに「亡き父と母を語る」という演題で講演をしていただきました。
 会場は、全国各地から来られた方を含め、300人の皆さんでぎっしり埋まりました。斎藤さんの講演に聞き入りました。講演の後で、斎藤さんの本などの即売会があったのですが、なんと100冊以上の本を購買していただきました。
 こうして、はじめての記念事業を無事終えることができました。小豆島には、田中裕子さんが大石先生を演じたロケセットを活かした「二十四の瞳映画村」があり、今年30周年を迎えます。「二十四の瞳映画村」と合わせて、お二人、斎藤さんからいただいた財産を活かして、映像作品の素晴らしさを小豆島から発信していきます。松山さん、高峰さんのお二人のお気持ちに沿うだけでなく、小豆島が元気になることにもつながり、日本映画の素晴らしさを守っていくことにもつなげていきたいと思います。(平成29年10月12日)

第1回小豆島から映像作品の素晴らしさを
発信する記念事業をサン・オリーブで行いました

高峰秀子さん主演の映画「二十四の瞳」
(C)松竹

松山さん、高峰さんの養女斎藤明美さんから
遺産の一部を寄贈していただきました
 
小豆島から映像作品の素晴らしさを発信する
検討会を開催し、ご意見をいただいています

活動弁士片岡一郎さんの活弁による無声映画
「私のパパさんママが好き」の全国初上映

斎藤さんに「亡き父と母を語る」という演題で
講演をしていただきました
 
講演終了後の即売会とサイン会には
多くの方が参加しました

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第2028回 奉納中山農村歌舞伎


 今年も小豆島中山地区の江戸時代から続く奉納歌舞伎がありましたもう300年以上も続いています。
 稲の豊作を神様に感謝して、地区の皆さんが手作りの農村歌舞伎を春日神社に奉納します。
 江戸時代、伊勢参りの帰りに大阪上方で観た歌舞伎を、自分たちでやってみようと、上方から指導者を呼び、自分たちのものとしました。
 現存する歌舞伎の舞台は、150年ほど前に建てられてもので、琴平の金丸座よりも古い建物で、国の重要有形民俗文化財に指定されています。歌舞伎も今、国の重要無形民俗文化財の指定に向けて、隣の肥土山地区と合わせて、文化庁の調査が進んでいます。
 奉納歌舞伎は、中山自治会(武田政昭会長)と今年で設立50周年を迎えた中山農村歌舞伎保存会(久保政会長)の主催で、毎年、このごろに行われています。今年も郷土料理を詰め込んだ「わりご弁当」を持参した地元の皆さんと大勢の観光客が、歌舞伎の熱演を満喫しました。
 今年の演目は、踊りの「三番叟」、子ども歌舞伎の「白浪五人男」、58年ぶりに上演される「伊賀越道中双六 六段目 沼津」、「仮名手本忠臣蔵 三段目 松の間刃傷の場」でした。
 私は、今年、「三段目」に出させていただきました。町長として農村歌舞伎に出るのは3回目です。この演目は、忠臣蔵の浅野匠が殿中で吉良上野介を切りつけるシーンを歌舞伎にしたものです。
 私が演じたのは、桃井若狭之助という、怒りっぽい単純な侍です。演目の冒頭に、花道から登場し、派手な動きの、わかりやすい、役者としては、やり得の役回りです。
 稽古で、しっかり教えてもらい、自信満々、満を持して、この日、登場しました。花道の演技もうまくいき、見せ場の長ゼリフも最初は順調にと進んだのですが、最高潮の肝心のセリフが出てきません。
 緊張して忘れたのではなく、あまりに役者になりきって、大きな声、大きな動きにとらわれ過ぎ、熱烈演技が嵩じて、肝心のセリフが飛びました。どのセリフを飛ばしたかすら覚えていません。大失敗の巻でした。
 しかし、不思議なことに、私自身は、若狭之助を演じきったという満足感でいっぱいです。月末には、琴平にある金丸座で、この演目を披露することになっています。人生最大の大舞台です。このような身分不相応の機会をいただいた久保中山歌舞伎保存会長ほか、地元の皆さんに感謝します。今度こそ、共演の皆さんに迷惑をかけないようにしなければと思います。(平成29年10月11日)

「三番叟」

「青砥稿花紅彩画 稲瀬川勢揃いの場」
(白浪五人男、子ども歌舞伎)

私も桃井若狭之助を演じさせていただいた
「仮名手本忠臣蔵 三段目 松の間刃傷の場」
 
58年ぶりに上演された
「伊賀越道中双六 六段目 沼津」

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第2027回 「道の駅」のシンポジウムに出ました


 鳥取県倉吉市で開かれた「道の駅」の全国シンポジウムにパネラーとして参加しました。「道の駅」とは、安全で快適な道路を利用するための道路交通環境の提供、地域のにぎわい創出を目的とした施設で、「地域とともにつくるにぎわいの場」が基本コンセプトです。
 国土交通省が25年前から、道路の整備、普及の一環として、「休憩施設」「情報発信施設」「地域振興施設」を一体として整備されたものを「道の駅」として登録しています。今では、全国で1,117の「道の駅」が登録されています。小豆島でも、オリーブ公園、ふるさと村、大阪城残石記念公園が登録されています。
 昨年、オリーブ公園が、住民サービス部門のモデル「道の駅」として、全国の6つのひとつとして、国土交通大臣から指定されました。
 私は、それまで、オリーブ公園に高齢者健康生きがい施設として整備された「サン・オリーブ」は「道の駅」とは別のものと考え、その維持管理の費用が、オリーブ公園全体の経営にマイナスになっているととらえていました。
 国土交通省の考え方は、全く逆に、休憩施設やおみやげ販売の利益を、住民の健康づくりなど住民サービスに充てている、住民サービスのモデルの「道の駅」というものでした。
 この国土交通省の見方に、目から鱗が落ちました。その通りです。「道の駅」であるオリーブ公園は、小豆島を代表する観光の拠点です。2,000本を超えるオリーブの樹木が栽培され、たくさんの観光客の皆さんが集う場所です。
 小豆島で最もきれいな場所であるオリーブ公園にあるサン・オリーブに、小豆島の地元の皆さんが集って、温浴健康教室、介護予防教室、オリーブオイルの摂取と運動を組み合わせた健康の取組みなどを、積極的に行い、楽しんでいます。
 オリーブ公園は、「道の駅」にこれから求められる、「拠点性を高める取り組み」と「多様な連携のあり方」を実践しています。オリーブ公園は、小豆島を訪れる人と小豆島に住む人が、共に、楽しみ、交流し、それぞれの目的を実現できる拠点になっています。
 この日、鳥取県倉吉市の会場に、全国から1,000人を超える「道の駅」の関係者が集まって、「道の駅」のあり方を考えるシンポジウムが開かれました。そのパネリストの事例発表として、オリーブ公園が選ばれ、私がパネラーとして参加しました。
 このシンポジウム参加を通して学んだこと、印象に残ったことがいくつもあります。
 鳥取県は、通ったことはあるのですが、滞在したのは初めてです。全国で、一番人口の少ない県です。電車の車窓から風景をずっと眺めていました。田園と山並みの風景が続きます。
 鳥取県から素晴らしい人材がたくさん出ています。私も何人もの鳥取県出身の素晴らしい人に会いました。この風土からこうした人材が育ったのです。
 この風土を守っていくことが、「地方創生」の本質だと思います。農林水産業の一次産業をどう守り、どう育てていくかが、政策のどまん中にあるべきと思います。「道路」は、人と物が行き交う「街道」であり、個性豊かな地方と地方をつなぎ、「道の駅」は、街道にある「拠点」といえます。
 平井鳥取県知事の歓迎の挨拶は、さすがでした。無原稿なのはもちろん、ご自身の言葉で、ユーモアをまじえ、鳥取県の魅力を紹介し、「道の駅」への期待を話しました。小さな県をひっぱっていくのに、相応しいリーダーだと思いました。
 シンポジウムのコーディネイターは、かねてからお会いしたいと思っていた藤山浩先生でした。藤山さんは、「田園回帰1%説」を提唱されています。人口の1%の移住者がいる人口減少の課題を克服し、地域が持続するというものです。小豆島は、今、人口のほぼ1%の移住者が来てくれています。
 先生は、ダンディで、若々しく、溌剌とした方でした。今は、島根県益田市で(一社)持続可能な地域社会総合研究所の理事長として、地域の活性化のテーマに取り組んでおられます。また、今度、小豆島の元気になる方策について、ご意見をいただこうと思います。
 隠岐島海士町の山内町長がパネラーの予定でしたが、体調が悪く、海士町の地産地商課長が出席されました。町長でなくて残念と思ったのですが、この課長さんの熱意にあふれた話を聞いて、海士町の地域づくりが本物であることを実感しました。
 海士町が元気になっているのは、もちろん山内町長の功績ですが、山内町長の考え方がスタッフに浸透するだけでなく、町長以上のものになっています。課長さんが「地域が元気になるためには、ひとりひとりの役場スタッフが本気でなければいけない、問われるのは、本気であることは当然で、本気度の高さだ」と発言したのを、「海士町は本物だ」と思いました。
 このように、「道の駅」シンポジウムを通して、いろいろなことを知り、学ぶことができた、収穫の多い一日になりました。(平成29年10月10日)

 鳥取県倉吉市で開かれた
全国「道の駅」シンポジウムに参加しました

小豆島の「道の駅」のひとつ
オリーブ公園

昨年、オリーブ公園が住民サービス部門の
モデル「道の駅」として指定されました
 
オリーブ公園は、「道の駅」にこれから
求められる、「拠点性を高める取り組み」と
「多様な連携のあり方」を実践しています

健康生きがい中核施設
サン・オリーブ
 
サン・オリーブでは、温浴健康教室や
介護予防教室などの取り組みが行われています

シンポジウムのコーディネイターを務められた
藤山浩先生
 
「道の駅」シンポジウムを通して
いろいろなことを知り、学ぶことができました

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第2026回 豊かな海の再生を目指した取組み


 瀬戸内海は、たくさんの魚介類が生息する豊かな海です。瀬戸内海は、1千万年以上も前の火山活動で生まれました。おそらく海底には変化に富んだ岩礁と藻場があるはずです。中国山地と四国山地から川を通して滋養に満ちた水が流れこんでいます。  
 瀬戸内海は、閉鎖性水域で湖のようでもあり、川のようでもありますが、海流は変化に富み、外洋の水も流入しているそうです。温暖気候の水温は、さまざまな魚介類にとって快適なものであるに違いありません。
 このような瀬戸内海で採れる魚介類は、色も、形も、味覚も多様なもので、古来から人々は、それらを美味しい料理にして楽しみ、生活の糧にしてきました。
 こうした瀬戸内海の特質は、何も変わらないはずですが、今微妙な変化が起きているように思います。どうも、このごろとれる魚介類が少なくなり、種類に変化の兆しがあるからです。
 こうした環境変化のなかで、小豆島の漁業者の皆さんは、小豆島の漁業を守っていこうと、稚魚放流などいろいろな取組みをしています。
 どんな環境変化が起きているのでしょうか。かつて、瀬戸内海で工業立地が進み、工場排水による水質汚濁が大きな問題になりました。それは、昭和40年代、50年代に始まった排水規制により概ねクリアできたように思います。生活排水は、下水道や浄化槽が普及しました。水質は改善されましたが、逆に海の水の貧栄養化が進んだり、水質浄化に使われる塩素の影響を指摘する意見もあります。  
 海底の変化は、詳細な調査がないので、よくわからないのですが、大きな変化があるのではないかと思います。ひとつは、土砂採取で海底の様子が変わってしまったと言われています。そこにヘドロが蓄積され、藻場が失われ、プランクトンが生息し、魚介類が産卵する場が失われようとしているとの指摘があります。  
 林業が衰退し、人々が山の手入れを怠るようになった結果、山が荒れ、滋養に満ちた水が山から、川を通して、海に流れ込まなくなりました。田んぼや畑にし尿を撒く農業も過去のものとなりました。防災のためにダムや堤がつくられたことで、魚の動きが変わり、微細な土砂が海に流れこまなくなっています。  
 地球温暖化は、海の水の温度を上昇させています。漁師の皆さんは、経験的に2度から3度上がっていると言っています。  
 以上のような環境変化を、科学的に、総合的に調査、分析し、必要な対策を講じることこそ、国の大切な仕事です。是非、1日もはやく、国において、省庁横断的に、取り組んでほしいと思います。
 小豆島では、こういうなかで、漁業関係者の皆さん、香川大学、高知大学の皆さんと協力して、小さいながらも、瀬戸内海の漁業を守る取組みをはじめています。この日、3回目の小豆島町漁業振興協議会が行われました。小豆島町の漁協の皆さんと役場、それにレストランテ「フリュウ」のオーナーシェフの渋谷さんが加わって、これからの漁業振興について話し合っています。役場と漁協が角を突き合わせて、といっても喧嘩ごしではなく、建設的な議論するのは初めてのことです。先日は、若手漁業者とも話し合いました。  
 いろいろな率直な意見交換をしています。お互いに初めて知ることもたくさんあります。特に若い漁業者の皆さん、人数は少ないのですが、とても意欲的で、いろいろな希望を持っていることに、今後の漁業の可能性を感じています。  
 島内外でのファンを獲得できる島の魚の魅力を発信できるよう、儲かる漁業、安定した漁業を目指して、漁業就業安定着策など、さまざまな具体策を、これから漁協の皆さんと一緒に講じていきたいと思います。  
 この日は、オーナーシェフの渋谷さんが、会議の後、前日漁業の皆さんが小豆島の海でとったばかりの魚を使った、おいしいメニューの数々を一緒に舌鼓みしました。  
 コロダイのカルパッチョ、スズキの塩生地包み焼き、タチウオのインヴォルティー二、コウイカと足赤エビのマリネ、アカバネのグリル、サワラのティエピド・・・などなどです。  
 どの料理も、これまで見たことのない美しさ、かたち、味覚でした。素晴らしい小豆島の海の幸の食を、島内外の皆さんに楽しんでいただきたいと思います。豊かな海の再生を目指したいと思います。(平成29年10月6日)

たくさんの魚介類が生息する
豊かな瀬戸内海

今瀬戸内海に微妙な変化が起きています

漁業関係者や香川大学、高知大学と協力して
漁業を守る取組みをはじめています
 
小豆島町漁業振興協議会の様子

料理の説明をする
リストランテ「フリュウ」の渋谷シェフ

レストランテ「フリュウ」の渋谷シェフが
作られた小豆島の魚介を使った料理


アカバネ(カンパチの幼魚)のグリル
バルサミコ風味
※アカバネの切り身の表面をさっとあぶり、
バルサミコ酢で味付けしたもの
 
ガラエビのフリット
※炭酸と小麦粉でつくった生地を
まとわせて、油で揚げたもの

コロダイのカルパッチョ
※コロダイを湯引きして薄切りにして、
塩とレモンとオリーブオイルで味付けしたもの

サワラのティエピド
※サワラを一晩マリネして、表面に
焼き色をつけ、半生に仕上げたもの

スズキの塩生地包み焼き
※スズキをまるごと香草とお塩でつくった
パン生地に包んでオーブン焼きしたもの

タチウオのインヴォルティーニ
※太刀魚にパン粉やレモンの味付けした
ものを、巻いてオーブン焼きしたもの

コウイカと足赤エビのマリネ
※コウイカと足赤エビボイルして、
レモンやオリーブオイルとマリネしたもの

島ハモとダイシモチのかまぼこのカルパッチョ
※小豆島産のハモとダイシモチの
かまぼこを薄切りにし、オリーブオイルと
レモンをかけたもの


池田漁協とフリュウがコラボしてつくった、
小豆島産魚介のオリーブオイルコンフィ
※小豆島産の魚介とオリーブオイル、
ハーブ等を瓶詰して、低温で調理したもの
種類:サワラ、タイ、コウイカ、チリメンジャコ

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第2025回 「中学生議会」


 「中学生議会」がありました。小豆島中学校の3年生の12人の生徒の皆さんが、一日小豆島町議会議員になって、議会本会議場で、質問をし、私と担当課長が答弁しました。
 今では、多くの自治体で、「小学生議会」や「中学生議会」が開かれるようになったので、「子ども議会」は、珍しいことではありませんが、私は、小豆島の未来を担う中学生の問いかけであり、真正面から答えようと、緊張感と期待感を持って臨みました。
 医療、福祉、教育、産業、観光、自然、防災と、幅広く、どれも、これからの小豆島のあり方にかかわる大切なテーマの質問でした。ひとつひとつの質問に真剣に応え、私なりのメッセ―ジを時代を担う中学生に伝えたつもりです。  
 選挙年齢が、20歳から18歳に引き下げられました。昨年の参議院議員選挙が最初の選挙でしたが、小豆島町の町全体の投票率が57.17%だったのに対し、18歳と19歳の投票率は28.17%でした。どうも若い皆さんの政治への関心は、低いようです。  
 しかし、今、政治に関心を持ってもらい、政治を変えなければ、本当に困ったことが起きて困るのは、私たちの世代ではなく、若い世代の皆さんです。日本全体もそうですが、とりわけ人口減少と高齢化が急速に進む小豆島のような地方こそ、若い世代の皆さんに政治に関心を持ってもらい、政治を変えてほしいと思います。  
 なぜなら、今すぐ、今から人口減少と高齢化の進展に備え、準備し、社会のあり方を長い時間をかけて変えていかないと、中学生の皆さんが中枢の年齢層になったとき、人口減少と高齢化がこれ以上に進んで、そのときに気づいて手を打っても手遅れである、あるいはもう打てない可能性が高いからです。
 人口減少時代の課題を克服できるかどうかは、まだ余力のある今のうちに、できることを実行できるかどうか、準備できるかどうか、社会のあり方を変えることができるかどうか、大胆に言えば、この5年、10年の取組みにかかっていると思うからです。
 小豆島の人口は、私の子どものころ6万人でした。今は3万人を割り、2万8千人です。社会保障・人口問題研究所の推計では、40年後には、1万人ほどにまで減少すると推計しています。  
 40年後1万人という人口は、このままの状況が続けば、ほぼ間違いなくそうなるという人口数です。しかも人口の半分は65歳以上の高齢者です。今の中学生の皆さんを待っている小豆島の未来図です。  
 人口が1万人になってから、小豆島が危機を迎えるのではなく、このまま社会のあり方を変えることができなければ、少しずつ、既に顕在化している人口減少の課題は、深刻化していきます。危機は、10年後、20年後、30年後と、どんどん深刻になっていくでしょう。そうなれば40年後を待たず人口減少は一気に加速化するかもしれません。  
 人口減少の課題を克服する取組みが必要なのは、10年後、20年後、30年後、40年後ではなく、今です。今から、人口減少を克服する取組みが必要です。今から時間をかけて人口減少時代の社会のあり方を、構想し、準備していくことが必要です。  
 人口減少時代の社会のあり方が、ここ100年のような人口が増加し、経済が成長していた時代と同じであっていいはずがありません。私たちは、時間をかけて、思い切って、社会のあり方を変えていかなければなりません。もちろん素晴らしい自然、文化、伝統、産業、絆は、守る前提の上のことです。  
 人口減少時代の中核を担うのは、今の若者たち、子どもたち、これから生まれる子どもたちです。だからこそ、中学生に、政治のあり方に関心を持ってもらい、これから政治を担い、政治を変えていってほしいと思います。  
 嬉しいことに、この日の中学生の皆さんは、とても本質を突いたいい質問をしてくれました。小豆島は、既に人口減少に苦しんでいますが、今後、このままではもっと深刻化するところを、少し克服できるかもしれない光が、ほんのちょっとかもしれませんが、小豆島で見えはじめていると、私は信じています。  
 例えば、新病院や新高校の取組みも、そのひとつです。島がひとつになった取組みが始まっています。瀬戸内国際芸術祭は、小豆島の魅力と可能性に気づかせてくれました。文化や芸術が人々に元気をもたらしてくれています。若い移住者が増えています。小豆島の食材を活かした新しい産業が生まれるかもしれません。小豆島の自然、歴史、文化を大切にする取組みも始まろうとしています。
 私たちの世代は、引き継いだ小豆島の宝物を守り、磨いて、次世代に引き継がなければいけません。人口減少時代の課題を克服できる社会の道筋をつくりたいと思います。その道をしっかりとしたものにできるかどうかは、次の世代の皆さんにかかっています。この日の中学生議会の論議で、少しでも、中学生の皆さんに思いを伝えられたとすれば嬉しく思います。(平成29年10月5日)

小豆島中学校の3年生12人が
中学生議会を体験しました

中学生の皆さんは、本質を突いた
質問をしてくれました

小豆島中央病院で職場体験を行う
小豆島中学校の生徒
 
島内の2つの高校が統合してできた
小豆島中央高校

瀬戸内国際芸術祭は、小豆島の魅力と
可能性に気づかせてくれました

小豆島の食材を活かした
お店などがオープンしています
 
中山農村歌舞伎などの
小豆島の伝統文化
 
中学生議会に参加した
中学生の皆さんと

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第2024回 認知症を地域で見守ろう


 「認知症」とは、色々な原因で脳の細胞の働きが悪くなったために、さまざまな障がいが起こり、生活する上で支障がでてくる状態のことです。「認知症」は、自然な「老い」のかたちのひとつであると思います。
 厚生労働省では、10年ほど前から「認知症」についての本格的な対策に取り組むようになりました。認知症にどう取り組むかは、小豆島でも高齢者福祉の大きなテーマです。
 ところで、厚生労働省は、これからの高齢者福祉をどう進めていくかについて、キーワードとして、「地域包括ケア」という言葉を使っています。
 「地域包括ケア」とは、高齢者が、重度の要介護状態になっても、住み慣れた地域社会で、自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができる、住まい・医療・介護・予防・健康づくり・生活支援が一体的に提供されるシステム全体を指します。認知症の高齢者が、地域で安心して暮らせることも、もちろん「地域包括ケア」の目指すことです。

 

認知症の高齢者が、地域で安心して暮らせることも
「地域包括ケア」の目指すことです

 小豆島では、土庄町と小豆島町の垣根を超えて、小豆島中央病院を核として、両町の官民を問わない関係者が一同に会し、「地域包括ケア」の実現を目指しています。
 小豆島中央病院企業長をトップにして、両町長が病院企業長を、助さん、格さんのようにサポート・連携して取り組む「小豆医療圏地域包括ケア連絡会議」を設けています。この日のイベント「認知症を地域で見守ろう」は、地域包括ケア連絡会議の介護部会が主催しました。小豆島中央病院の1階フロアに、地域包括ケア連絡会議のメンバーの他、老人クラブはじめ、両町から大勢の皆さんが集まりました。
 この日、香川県綾川町の「綾川まちかど劇団(綾川町介護予防サポーター)」の皆さんが寸劇「わっせても(忘れても)えーが えーが」を披露してくれました。
 綾川町は、人口2万4千人の高松の農業の盛んな高松のベッドタウンのまちです。日本最高齢の88歳の藤井名町長がおられます。綾川町のもうひとつの宝物は、知る人ぞ知る、町立陶病院です。


小豆島中央病院を核として、両町の関係者が一同に会し
「地域包括ケア」の実現を目指しています

 私は、厚生労働省に勤務しているころから、在宅医療や介護予防に積極的に取り組む陶病院のことを知り、注目しています。大原院長先生をはじめ、陶病院は、地域の人と一緒に、こうした活動に熱心にかかわってきました。綾川町、陶病院は、「地域包括ケア」の先陣を務めてきました。小豆島、小豆島中央病院は、先駆者たちの地道な取組みに学びたいと思います。
 「綾川まちかど劇団」は、認知症へのかかわり方を住民の皆さんにわかりやすく知ってもらうために、住民の皆さんがどう認知症にかかわればいいかを劇にして活動しています。
 劇団員は、実際の自治会長、民生委員、老人クラブ員、地域保包括ケアセンターのケアマネージャー、住民の皆さんです。物忘れがはじまり、歩くことが難しくなった一人暮らしの高齢者を、地域として、見守り、どう支えていくかを寸劇にしていました。寸劇を楽しみながら、「地域包括ケア」が何かを知り、学ぶことができました。

 

「綾川まちかど劇団(綾川町介護予防サポーター)」の皆さんが
寸劇「わっせても(忘れても)えーが えーが」を披露してくれました

 このほか、綾川町では、介護予防、一人暮らし高齢者への声かけ、見守りなどを学ぶ「まなびあい講座」をしたり、閉じこもりや孤立の予防として気軽に誰でも集まれる場である「いっぷく広場」を開いたり、高齢者の話を優しく寄り添い、根気よく聞いてあげる「ききじょうず勉強会」をしたり、転倒予防の手軽な体操である「ほっとかんとこ100歳体操」を広めたり、体操や手遊びの出前講座をしたりなど、楽しそうな多彩な取組みが目白押しです。
 「まちかどほっと歓事業」は、町内の地区毎に地区会議を開き、民生委員と協力員が集まり、社協、町健康福祉課、地域包括支援センターとともに、地域の課題について話し合ったり、情報交換をする場です。事例検討のワークショップもしています。  
 「地域包括ケア」は、綾川町の取組みのように、さまざまな住民の皆さん総参加で、地道な活動を重ね合わせ、積み上げることで実現するものだと思います。住民の皆さんの活動を、医療スタッフ、福祉スタッフが専門的な立場からバックアップすることで、「地域包括ケア」は実現します。
 小豆島でも、綾川町のように、小豆島中央病院を核にして、土庄町、小豆島町が行政の枠をこえて、住民総参加で、小豆島らしい、小豆島ならではの「地域包括ケア」の実現を目指したいものです。この日の取組みは、その一歩になったはずです。(平成29年10月4日)


綾川町の住民の皆さんが参加する
多彩な取組みをご紹介いただきました

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第2023回 9月末・10月初めの忙しい休日<続>


 日曜日は、朝一番、ふるさと村に行きました。今年で、27回目になるさぬきセンチュリーライド小豆島大会の開会式がありました。  
 小豆島は、風光明媚で、アップダウンの道があり、しかも島一周が100キロ程度、サイクリングにぴったりです。香川県のサイクリング協会の皆さんが、この小豆島で、全国のサイクリストによびかけて、この大会を手作りでずっと続けてきてくれています。  
 地道に続けてこられたこの大会、今回は過去最大の570名が参加してくれました。アメリカ、ニュージーランドなど4か国の海外の人も参加しました。  
 サイクリングは、ますます盛んになっています。香川県は、今後のサイクリングの拠点として、今度、小豆島を指定しました。これから小豆島で、さまざまなサイクリングの取組みが行われるはずです。小豆島の魅力がまたひとつ増えます。  
 次は、安田の郷の大収穫祭に行きました。安田では、減農薬、無化学肥料栽培米の「安田の郷」を栽培しています。安田小学校、幼稚園の児童も、安田の郷の田んぼで田植えなど、環境、農業の勉強をしています。  
 とれたての新米を使った「おにぎり」、とれたての新米のもち米を使った「あん餅・御餅」を美味しく頬張りました。小豆島が元気になるためには、農業が元気になることが不可欠です。安田の郷では、農業が元気になる実践が行われています。頼もしい限りです。  
 次に、2回目のオリーブinフィッシング祭に行きました。小豆島内海地区漁場利用協定協議会の主催です。漁業者と釣り愛好家と釣り船業者の皆さんが一緒になって、釣りを楽しみ、漁場を守る取組みです。  
 近隣の府県を含め、40人ほどの釣り愛好家の皆さんが、タイ、スズキ、イカなどの釣りの成果を競い、最後は稚魚を放流しました。小豆島が元気になるためには、農業とともに漁業が元気になることも不可欠です。  
 漁協の皆さんなどによるこの取組みも漁業の再生につながっていくはずです。瀬戸内国際芸術祭もアートの振興ではなく、「海の再生」つまり、「漁業の再生」を目指すものです。小豆島町では、今年から、漁業の再生を目指して、漁協と役場スタッフ、シェフによる勉強会を始めています。美味しく、滋養に満ちた瀬戸内海の新鮮な魚介類の料理を、小豆島でいつでも楽しんでもらえるようになることを目指しています。  
 午後からは、中山農村歌舞伎の本番並みのリハーサル稽古に、中山の農村歌舞伎舞台に行きました。本番は、10月8日の日曜日です。今年も、私も、役者として参加させてもらいました。地元の皆さんの足を引っ張らないよう、一生懸命に稽古に取り組んでいます。本番まで、あと1週間というのに、まだセリフを忘れるし、動きもピタッとはいきません。演目は、「仮名手本忠臣蔵・三段目・松の間刀傷の場」です。私は桃井若狭之助安近を演じます。  
 帰りに、サン・オリーブホールに立ち寄りました。小豆島町文化協会主催の芸能発表会が行われていました。うかがったときには、樋笠バレエ小豆島教室の皆さんのバレエが披露されていました。可愛い演技でした。次は、小豆島尺八県協会の尺八本曲でした。大正琴、舞踊、バイオリン演奏、三味線、ピアノ、和太鼓、合唱など、多彩な発表会でした。  
 小豆島は、文化、芸能活動が盛んです。海の交通の要衝にあって、各地との交流があって、文化、芸能への関心が高くなったのだと思います。醤油、つくだ煮、素麺など、産業が栄えたことも、文化、芸能活動の基盤となっています。  
 夜は、小豆島を訪れてくれた日本旅行作家協会の皆さんにお会いし、とても知的な刺激を受けました。小豆島の魅力と可能性について、皆さんから参考になるご意見をいただきました。夜は、次の朝早くの高松の用事のため、最終の高速艇で高松に向かいました。(平成29年10月3日)

島内をコースにさぬきセンチュリーライド
小豆島大会が行われました

安田の東條地域農業集団が主催する
安田の郷収穫祭

地域の小学校や幼稚園の子どもたちが
田植え体験を行いました
 
「オリーブinフィッシング祭」と題した
釣り大会が行われました

10月8日に本番を控える
中山農村歌舞伎のリハーサルが行われました
 
大正琴、舞踊、バイオリン演奏などが
披露された芸能発表会
 
日本旅行作家協会の皆さんが
小豆島を訪れました

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第2022回 9月末・10月初めの忙しい休日


 9月最後の休日のこの日はさわやかな秋晴れでした。  
 朝一番早朝から小豆島ふるさと村で「朝活Project-人と食をつなぐイベント-」が開かれていました。
 小豆島の食材を使っておむすびやみそ汁をふるまい、保育所の園児の歌やダンスの披露、高校生の応援パフォーマンスなど多彩な出し物があり、大勢の人で賑わいました。  
 このイベントは、四国新聞の販売所が中心になり、JA、婦人会、若者グループなど、地域のさまざまの皆さんが呼び掛けて、実現したものです。
 今ほど、地域が元気になっていくことが、これほどに求められているときはないと思います。地域が元気になっていくためには、国や自治体の政策、施策のあり方ももちろん重要ですが、そのことよりも、地域の皆さんが、地域が持っている力を自発的に、合わせていくことが何よりも大切なことだと思います。  
 そのときの、キーワードは、「農」であり、「食」であり、「人」などです、このイベントでは、これらのキーワードが、自然に、楽しくつなげられています。イベントを見ながら、小豆島は、今、元気をつかもうとしているかもしれないと直感しました。  
 船に乗って、高松に向かいました。秋の香川県高校野球大会に出場する小豆島中央高校を応援するためです。一昨年の秋の大会で、小豆島高校は優勝しました。それが評価されて、去年春、全国選抜高校野球大会に小豆島高校は、「21世紀枠校」に指名され、甲子園初出場しました。  
 今年の春、小豆島高校は、土庄高校と統合され、小豆島中央高校として再出発しました。初めての秋の大会、残念ながら、この日の試合は、同じく再出発の観音寺総合高校に惜敗しました。  
 この日は、小豆島中央高校応援団は、「朝活Project」参加のため、丸井先生と男子部員2人だけで応援を頑張り抜きました。負けたので、残念ながら、初めての校歌をグラウンドで聞くことができませんでした。  
 夜は、地元の自治会「一心会」の「月見会」に参加しました。「一心会」とは、私が、生まれ育った地域の自治組織です。久しぶりに、この会に参加したのですが、子どものころからお世話になった、人生の先輩の皆さんたちに囲まれて、ほっとした時間を過ごすことができました。(続く)(平成29年10月2日)

小豆島ふるさと村で「朝活Project
-人と食をつなぐイベント-」が行われました

小豆島の食材を使ったおむすびや
みそ汁がふるまわれました

秋季高校野球大会で小豆島中央高校は
同じく統合校の観音寺総合高校に惜敗しました
 
応援団は少ない人数ながらも
声がかれるまで選手を応援していました

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