文化について

更新日:2024年03月26日

小豆島町の文化

夕暮れの春日神社で行われている中山農村歌舞伎の写真

小豆島霊場八十八か所

小豆島霊場第1番札所洞雲山の岩場の写真

かつて、弘法大師空海が讃岐国と京の都を往復する際、島に立ち寄り、各所で修行や祈念を行ったといわれています。

貞享3年(1686)、空海の修行・祈念の場を僧侶たちによって整備したのが、小豆島八十八か所霊場です。

小豆島霊場には四国霊場にあまり見ることのできない山岳霊場や行場があり、仏の力を以って救われる、祈りの心が息づいています。

虫送り

夕暮れの中山千枚田をほてを持った人の列が炎をゆらめかせながら歩いている写真

約300年前から伝わる中山千枚田の虫送り。

半夏生(夏至から11日目)の頃に、火手(ほて)と呼ばれる松明を田にかざしながらあぜ道を歩き、害虫を退治し、豊作を願うもの。ゆらゆらと揺らめく幻想的な光の列が千枚田に連なります。

中山地区では、数年間途絶えていましたが、映画「八日目の蝉」の重要なシーンとして、この虫送りが行われたのをきっかけに平成23年(2011)に復活しました。

親子連れなどが高低差100メートルの坂道を「とーもせ、ともせ」の声をかけながら下っていきます。

中山春日神社奉納歌舞伎

夕暮れの中山農村歌舞伎舞台で熱演が繰り広げられている写真

昔から「島は芸どころ、歌舞伎どころ」といわれた小豆島。

中山農村歌舞伎の起源は江戸時代中期といわれ、明治・大正期には、島全体で歌舞伎舞台が大小30、役者は600人から700人いたという記録が残っていますが、今では中山地区と土庄町肥土山地区のみとなっています。

中山春日神社の奉納歌舞伎として今も続く、中山春日神社奉納歌舞伎は、毎年10月の日曜日、中山農村歌舞伎保存会によって4幕を上演。子ども歌舞伎もあり、大勢の観客は、桟敷席でわりご弁当などを食べたり、呑んだりしながら、見物します。

川めし

別当川で12枚の柿の葉に炊き込みご飯を乗せたものをお供えし子どもたちが手を合わせている写真

8月14日の早朝、別当川流域の住民が家族らで川原に集まり、五目飯を炊いて柿の葉に盛り付け、無縁仏を供養する行事。

古くから「盆釜」「餓鬼めし」などと呼ばれ、年中行事の一つとして各地で行われてきました。

川めしを食べると、夏病みしないといわれます。

安田おどり

安田小学校の運動場で安田踊りをしている写真

町内の各地で行われる盆踊り。中でも8月14日に開催される県指定無形民俗文化財の安田おどりは、延宝年間(1673年から1681年)から伝承されています。

星ケ城や寒霞渓、人情などが唄い込まれ、都の優雅さを称えた女踊りと素朴な男踊りが披露されます。

太鼓祭り(太鼓台奉納)

亀山八幡神宮の秋祭りを桟敷の上から見下ろしている写真

10月中旬に各地域で行われる秋の収穫に感謝する祭り。

地域によってそれぞれ特徴があり、亀山八幡神宮のオシコミや葺田八幡神社の獅子舞、内海八幡神社の幟(のぼり)さしなど様々。

各地域の住民が参加し、盛大に執り行われます。

オシコミ(亀山八幡神宮)

オシコミの皇子丸が池田の桟敷前の浜にもう少しで着きそうな写真

町指定無形民俗文化財の「オシコミ」により、亀山八幡神宮例大祭の始まりが告げられます。

陸路での太鼓台奉納が難しかった明治初期に始まった「オシコミ」は、奉納する太鼓台を和船で運び、浜に担ぎ上げ、宮入りします。

現在は、神浦地区のみが行っています。

葺田八幡神社例大祭の獅子舞

葺田八幡神社の秋祭りで岡地区の獅子舞でシシセカシの子どものアップの写真

福田地区にある葺田八幡神社の秋祭りで行われる「獅子舞」。

地元の小学生たちが「シシセカシ」として、厳しい練習を行います。

祭りの日は早朝から4地区の獅子が家々を訪れ、笛や太鼓、大鼓(おおつづみ)でにぎやかに舞います。

内海八幡神社例大祭の幟(のぼり)さし

内海八幡神社の秋祭りで幟さしをしている写真

内海八幡神社例大祭では、太い竹に取り付けた約8メートルもある幟(のぼり)を片手で差し上げ、額や肩で受けるという妙技が披露されます。

その起源は、内海八幡神社例大祭時に立てる幟(のぼり)を使い、渡御(とぎょ)の際につゆ払いの役割を演じたり、若者の力試しも兼ねて奉納したものであると考えられています。