星ヶ城跡 【県指定史跡】

更新日:2021年07月30日

星ヶ城跡

星ヶ城跡(西峰山頂)

星ヶ城跡は、瀬戸内海最高峰の星ヶ城山頂部にある城館遺跡で、播磨灘と瀬戸内海を望む人気の景勝地です。

本城は、断崖等の地形や資材を生かした中世的な山城です。

史跡は、西峰(標高804.9メートル)と東峰(816.6メートル)に分かれており、本城である西峰には居館や鍛冶場跡等、詰の城である東峰には烽火台等の他、石塁の石材採取をした舟形遺構や湧水溜めの井戸等が確認できます。かつては石塁も確認できましたが、昭和35年頃、東峰のパゴダという異形の石塔構築により破壊されました。付近ではさらに古い時代に何らかの祭祀が行われた祭祀遺構も確認できます。

本城は、南北朝期の武将佐々木信胤(ささきのぶたね)が南朝側に味方して小豆島に拠った際の城とされています。延元4年/暦応2年(1339)、島一円を掌握した信胤は、星ヶ城を中心に各地に支城を備え全島を要塞化しました。

これに関する遺構として、「安田城跡」「天王山城」(安田地区)や「城が島城跡」(橘地区)、高壺城跡(入部地区)等の城跡や、お妻の局の別荘があったとされる湯舟山(中山地区)等のゆかりの地があります。

当初北朝方だった信胤は、菊亭に仕えていたお妻の局を巡って高師秋と争い、お妻を伴って南朝方へ鞍替えをし、正平2年/貞和3年(1347)に細川師氏に攻められ、ひと月以上の激戦の末、敗退しました。その後信胤は、正平17年/貞治元年(1362)の白峰合戦に参戦し、以降の消息は不明とされています。

信胤伝承は「城崩れ」として島内各所に残り、島民の手で祠や墓が築かれ、安田おどりや農村歌舞伎の演目等の民俗芸能としても伝えられます。

史跡内では時代の異なる輸入陶磁器類が多数確認され、城館とは異なる性格も持つのではないかという指摘があります。瀬戸内海地域の歴史解明への鍵を持つ可能性を秘めています。

人口井戸遺構

人口井戸遺構

出土した鉄滓

出土した鉄滓(町立図書館に展示)

基本情報
所在地 小豆島町片城地区、安田地区
時代 南北朝時代
指定 昭和47年4月27日
見学 随時見学可能
アクセス 【車】 草壁港から車で20分、駐車場から徒歩10分
【徒歩】寒霞渓ロープウェイ山頂駅から徒歩20分

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習課
〒761-4492
香川県小豆郡小豆島町片城甲44番地95
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